――ふわり。 赤いケープを翻し、少女は真っ暗な森の奥へ消えようとした。「待ちなさい、お嬢ちゃん」 狩人は必死で少女を追いかける。 暗い森を抜ける道は一本道で、小さい馬車が何とか通れる程度の道幅しかない。ここは別の大きな街道の抜け道だった。急ぎの旅では、危険を承知で通る者も少なくない。彼もその一人だった。 こんな場所で迷ってしまったら、大人だって無事では済まない。周囲には常に鬱蒼と葉を茂らせた、似たような巨木が立ち並んでいる。人里からは遠く離れており、耳を澄ませても葉擦れの音しか聞こえてこない。 常に漂う霧は遠くを見通すことを許さず、一度迷えば、どんな人間もすぐに来た道を見失ってしまう。実際、この森では何人もの旅人――親戚の家から帰る途中の幼気な少女から、彼の仲間の狩人まで――が行方知れずになっていた。 更に、このあたりには人食いオオカミが出るという噂まである。背負った弓矢だけが彼の頼りだった。 森に分け入っていく少女の後ろ姿を見つけたのは、そんなときだった。「お嬢ちゃん、街道に戻りなさい」 少女は振り向かない。迷い一つ見せずに森の奥へ消えてゆく。赤いケープが鮮やかに揺れていた。 彼は覚悟を決め、自ら街道をそれて彼女を追いかけ始めた。細くとも切り開かれ、踏みならされた街道と森の中は全く違う。太陽は枝と霧で隠され、まるで黄昏時のような暗さだった。 冷気が外套から入り込んできた。彼は大きく身震いをした。 今にも腐り落ちそうな丸太橋を渡り、立ち枯れした巨木が見えたところで、男はふと思った。 少女の幼い足で、何故こんなに速く走ることが出来るのだろう。大の男の足で追いつかないなんて。 ……そういえば、何故、あのケープはこんなに鮮やかなのだろう?急に血の気が引いた気がした。男は立ち止まった。 少女は枯れ木の前で静止した。とたんに鮮やかな赤いケープはかき消え――枯れ木のうろが冷たく光るのが見えた。その青白い光は、下枝に引っかかったぼろ布をおぼろげに照らし出している。 そして彼は、背後でオオカミのうなりを聞いた。 彼は弓に矢をつがえた。 世界司書リベル・セヴァンは集まった人々を見渡した。「今回はヴォロスのとある森で、竜刻を回収していただきます。街と街を結ぶ街道、そこから外れた森の中に問題の竜刻があるそうです。あなた方には森に入っていただき、竜刻を捜していただくことになります。ですが……」 リベルは資料を繰った。「竜刻の正確な場所がわかっていません。赤いケープの少女の幻に出会った狩人が、それらしき光を目撃しています。おそらく、その幻自体が竜刻が起こしたものなのでしょう。」 亡霊について行くのか、と集まったロストナンバー達から声が上がる。 リベルはうなずいた。「今のところ、それ以外に方法がないのです。例の狩人も場所を正確には覚えてはいないそうですから。森には野生のオオカミが多数生息しています。彼らの縄張りに踏み込むことにもなるでしょう……くれぐれも、お気をつけて」
「こういう怪談って、壱番世界ではよく聞くんだけどな。まさか実際にお目にかかることになるとは思わなかったよ」 「そうなの?」 リーリス・キャロンは、少女の姿に似つかわしく小首をかしげる。 西光太郎はバックパック――それは自身のトラベルギアでもある――を背負い直し、狭い空を見上げた。光太郎の肩に舞い降りたオウルフォームのセクタン、空(クウ)も、リーリスを真似るように首を曲げる。 相変わらず霧は晴れることなく、日差しも差さなかった。チェキータ・シメールは顔をこすって、チリンと首元の銀の鈴を鳴らす。 「湿度が高いな。……光太郎、キミの故郷にはそんな習慣があるのか?」 「ああ、夏の風物詩なんだ。みんなで集まって幽霊話をして、涼を取るんだよ」 「ふうん。変なの」 「珍しい習慣だな」 リーリスもチェキータもピンと来ないようだった。 「旅先でよく言われたよ」 光太郎は苦笑した。夏に怪談話をして涼むのが、彼の故郷のみの風習だと知ったのはいつだったか。 見回すとあたりには、再びミルク色の霧が流れ始めている。 「視界が悪いな。空には前を飛んでもらおうか……いつ狼が来るか、分からないから」 「で、亡霊の情報は何かあったのか?」 チェキータの問いかけに、光太郎がうなずく。 「ああ。狩人によると、亡霊は白い洋服に赤いケープの女の子。顔は見えていないそうだけど、銀に近い色の髪に真っ白な肌だそうだ。……とにかく印象に残っているのが赤いケープらしい」 「それなら目立つな」 チェキータは霧を見据えた。ミルク色の霧の中で、木々は色を失った影のようにしか見えない。 「先導は引き受けよう」 「頼むよ。どんなに霧が濃くても、彼女ははっきり見えるらしいよ。ただし。追いかけても追いかけても逃げていくそうだけど」 「ほほう……追いかけても追いかけても。思いっきり追いかけていいのだな!」 チェキータの瞳が輝いた。彼女の眼は暗さに強く、猫の姿をとれば偵察は得意だ。天を向いた長いしっぽがゆらゆらと機嫌良く動いた。 「皆で動くからには、迷子が出ると面倒だな。道しるべをつけようか?」 「みちしるべ?」 リーリスが聞く。 「そうだ。私の通ったところを凍らせながら歩こう。もしはぐれても、これなら追ってこられるだろう」 「頼むよ。そうだ、リーリスはこれを持っておくかい?」 光太郎はバックパックを探る。空が肩から飛び立った。 「ギニャッ!?」 チェキータが思わず飛び上がる。光太郎が取り出した布袋から、彼女にとってはきつい刺激中が漂っていた。そのまま彼女は離れたところに逃げ、フーッと髪の毛を逆立てる。 「お、おい、チェキータ! 大丈夫か?」 「なあに、これ。ハーブ?」 リーリスが袋の中を覗き込む。乾燥した大量の葉がかさこそ音を立てた。 「狼避けにと思って、分けてもらってきたんだ。この匂いが犬避けになる……らしいんだが……」 「チェキータにも効いちゃったのね」 リーリスは楽しげに呟いた。 「驚かせて悪かった、チェキータ。我慢……出来そうか?」 光太郎がおそるおそる聞く。 「フフッ、チェキータって本当に猫みたい」 リーリスが笑う。チェキータは渋々、といった表情で、二人の元に戻った。 「ところで光太郎、その子って私より可愛い子?」 リーリスは光太郎に問う。 「顔は見えないそうだから、どうだろうなあ……。ところで、足元が悪そうだけど、リーリスはついてこられるかい?」 「平気だよ」 リーリスは微笑むと、その足元はふわりと地面を離れる。頭二つ分は違う光太郎とチェキータに目線を合わせた。 「こうして行けば、でこぼこ道でも大丈夫だと思うんだ。二人とも、私と手を握ったら同じ風に浮くけど、どうする?」 リーリスの問いに、二人は首を横に振る。 「私は追跡を先導するから、必要ない」 「俺も自力で歩いて行くよ。俺たちがピンチになったら、力を貸してくれるかい?」 「……分かった。ねえ、浮かばせないから、光太郎と手を繋いでいっていいでしょ?」 もちろん、と光太郎は笑いかけた。 ざわ……ざわざわ…… 木々の枝が戦ぐ。 三人は誰ともなく口をつぐんだ。 リーリスとチェキータは前方を見据える。彼女たちの視線を追った光太郎が、呟きを漏らす。 「来たのか……?」 濃霧の切れ間から覗く、真っ赤なケープ。 スカートの裾も、そこから伸びる手足も幽鬼のように白い、素足の少女。 「あの子か?」 「ああ、証言通り」 光太郎がうなずく。光太郎と同じ位の背丈のチェキータの体がきゅっと縮み、チリンと鳴った鈴は銀毛の猫の首元で光っていた。 「さあ、行こう」 三人は追跡を開始する。 ■ ■ ■ ――光太郎は爪先で凍った地面の感触を確かめる。 チェキータが凍らせた下草は冷たく、硬い。その感触はチェキータの手を取っているように確実で、安心感があった。 目の前には赤いケープの少女が、音もなく森の奥へ奥へと去ろうとする。 「あの子、赤頭巾みたいだな」 「あかずきん? なあに、それ?」 そうたずねるリーリスを見て、そういえば彼女は壱番世界の出身ではなかったな、と光太郎は思う。 「壱番世界の童話なんだ」 暗い森を一人歩きする幼い少女。赤い色。容赦なく待ち受ける狼。この事件を構成する要素は、光太郎が昔聞かされた童話によく似ていた。 少女は下草を踏む音すらさせず、ひたすら逃げていく。その髪は絹糸のように細くたなびく。柔らかな頬のラインも、白い衣服の裾から伸びる腕や足も、光を放つほど白い。 「童話の赤頭巾ちゃんは寄り道をして、狼に丸呑みされてしまうんだ」 「うかつな子だ」 話を聞いていたのか、チェキータがぽつりと言う。 「でも最後には猟師が助けてくれるんだよ」 「へえ……あの赤頭巾ちゃんはどうなのかしらね?」 そういうリーリスの手は、光太郎にしっかりとぬくもりを伝えている。目の前を彷徨う赤頭巾に、そういう現実的な感覚は一切感じられなかった。 (……魂がむき出しになった姿だもんね。) そう、リーリスは思う。そして――少し、渇きを感じる。 「あの子は何があったんだろうね……」 「何にせよ、原因は竜刻だ。今あの亡霊の素性を探っても仕方がない」 光太郎の独り言に、チェキータが釘を刺した。 「まあ、そうだけどさ。手がかりが何かあったらいいと思ったんだよ」 ふう、とチェキータはため息をつく。 「お人好しめ。……この任務が終われば、手がかり探しを止めはしないぞ。とにかく今はあれを見失わないことだ」 「チェキータ」 銀毛の猫は振り向かない。ひょいと跳び越した倒木は、彼女の軌道の分だけ綺麗に凍り付いた。 「一人は寂しいからな。分からんでもない。だが、最優先は……」 チェキータの言葉が途切れる。 「――目の前の敵を蹴散らすことだ」 空を通した光太郎の視界にも、既にはっきりと視える。彼らの行く手を、狼の群れが塞ぎつつあった。 ■ ■ ■ 「来たか、狼ども。私は優しいが……甘くはないぞ!」 チェキータの筋肉が、骨が、バキバキと音を立てて発達し、伸びて行く。銀毛の猫の腕は太さと力強さを増し、しなやかな筋肉は厚みを増す。そしてその滑らかな銀毛の上を氷の鎧が覆う。現れたのはジャガーに似た――しかしその三倍はあろうかという――巨大な銀毛の獣だ。 そして、轟く咆哮。 彼女の発する音圧が大気を大きく揺り動かす。 狼たちはひるんで後退し、一部は光太郎とリーリスを狙うように横へと展開する。 「チェキータ! 先鋒を頼む!」 「当たり前だ」 「囲まれたわ!」 リーリスが叫ぶ。横にも後ろにも、そして横にも。狼は既に彼らを取り囲んでいた。 「私、戦闘は出来ないの」 「あいつらの牙の届かないところまで、飛べるかい?」 光太郎の言葉にリーリスはうなずく。 「危なかったら呼んでね。私も頑張るから」 「わかったよ……空は先に行くんだ! 赤ずきんを見失わないように!!」 上空を一度旋回して、空が飛び去る。続いてリーリスも高度を上げ、木々よりも高く飛び上がる。チェキータは前方を睨み付け、光太郎は後方を警戒しながらバックパックを下ろす。 「行くぞ! 巻き添えに気をつけるんだな!!」 チェキータが再び吠えた。 遠巻きに彼らを囲んでいた狼が、一匹ずつ突撃を開始する! チェキータは飛びかかってくる狼をこともなく前足で撃ち落とす。 そして、跳躍。 グエッ! 踏みつけた狼の肺が潰れ、空気が漏れるだけの音がした。 そのまま別の狼の真上に着地して踏みつけ、更に蹴り上げる。 突進してきた一匹は彼女にがぶりと噛みつかれ、投げ飛ばされて宙を舞う。 彼女の背骨を狙った一匹は狙いがはずれて地面を転がり、そのまま蹴り上げられて木に強かに体をぶつけた。 狼はそれでもひるまない。木々の間という狭い空間である分、チェキータの巨体が生かしきれていないのを感じ取っているのだ。 「ええい、さばききれん!」 チェキータが苛ただしく吠える。 「光太郎、武器は?」 リーリスの声が上空から響く。光太郎はバックパック――彼のトラベルギアである、クラインの壺を探る。 「俺のトラベルギアは運任せなんだ。当たりが出るように祈っててくれ!」 (時間がないんだ、頼むぞ……!) 何かが手に触れた。光太郎はそれをぎゅっと握って引き上げる。 「これは……!」 「何だ、その貧弱な棒は!?」 狼と再びにらみ合ったチェキータが叫ぶ。 光太郎が掴み出したのは、短い竹箒のような物。ただし、ほうきの穂先に当たる部分は荒縄でしっかり縛り付けられており、油が染みこんでいる。 「そうか、これは、松明か!」 光太郎はポケットからマッチを、そして――狼避けのハーブ袋を取り出した。 「ハーブにはこういう使い方もあるんだ……!」 松明の穂先にハーブを袋ごと挟み込み、光太郎はマッチをする。 強い臭いと眩しい炎が、狼たちの目と鼻を焼いた! 光太郎が低い位置で松明を振り回す。チェキータが突進してきた狼の頭に噛みつき、投げ捨てる。 リーリスは上空からその様子を見ていた。 (善戦はしてるんだけどね。) 狼は光太郎の松明にひるんで動きの精彩を欠いており、チェキータの牙に消耗している。しかし二人が防御に徹しているが為に、次々やってくる狼相手には決め手に欠くのがリーリスの視点からはよく見えていた。チェキータの動きもまた鈍っているのは、あのハーブのせいだろう。 「仕方ないなあ……」 リーリス・キャロンの本性、それは吸精鬼。人を魅了し、触れることで生気を食らう存在。彼女は薄く微笑み、戦闘の渦中へ飛び降りる。 「リーリス! 危ない!」 「引っ込んでろ!」 二人の声が交錯する中、リーリスの瞳が紅く光る――そして狼たちがその動きをぴたりと止めた。 うなる人食い狼に注視されながら、吸精鬼は微笑みの形を作る。 「ねえ、可愛い獣達。リーリス達はあなたたちと同じ狼よ……?」 狼のうなりが止む。 「山の向こうをご覧なさいな。丸々と太った鹿がいるわ――きっと美味しいよ?」 「何だ……!」 チェキータがうめく。不気味な静寂が彼らを包んでいた。 「リーリス、何を……?」 一頭、また一頭……何かに取り憑かれたように、狼は森の奥に姿を消す。そしていくつかの屍体と血の臭いだけが残った。 「何をやったんだ?」 チェキータは猛獣の姿のまま、リーリスに問いかける。 「魅了して言うことを聞いてもらっただけ……仲間だと思わせたから、もう出てこないと思うよ」 「……そう、か。ありがとう、リーリス。助かった」 「そんなことないよ。――さあ、行こう? 赤頭巾ちゃんを早く追いかけなきゃ」 リーリスはにっこりと笑った。 (だって私、あの子の味見をしたくなっちゃったんだもん。) ■ ■ ■ 光太郎は空の視界を頼りに道を進む。セクタンのミネルヴァの眼は、濃霧も厚く茂った木陰もものともしない。松明に目鼻をやられたチェキータは既に猫の姿に戻っており、光太郎の腕に収まっていた。リーリスも再び、地面の上を浮きながら進んでいる。 「あれが丸木橋か」 チェキータが耳をぴくぴくさせ、光太郎の腕から飛び降りた。 光太郎が聞いてきたとおり、沢を渡る為の丸木橋が架かっている。赤いケープの少女はその橋を渡り、向こう側の森へ分け入るところだった。 「もう大丈夫かい?」 「ああ、あのハーブと松明の組み合わせはよかったな。一言断ってほしかったが」 「悪かった」 光太郎は素直に言う。 「まあいい……しかし、ずいぶんと古いな、これは。光太郎が乗ったら壊れるんじゃないか?」 丸木橋は丸太を二本、縄で縛り付けただけという簡素な物だった。その縄も触れればちぎれそうなほど古びている。 「さほど深そうではないし、落ちても平気だとは思うな」 「でも流れはずいぶん速いわ。……あれ、チェキータ。まだ気分が悪いの?」 リーリスはチェキータの顔を覗き込む。チェキータはとっさに顔を背けた。 「いや……ちょっとな……」 「水が嫌いなら、抱えていくかい?」 チェキータは首を横に振る。 「……いや、自力で渡る。橋の負担を考えても、軽い方が落ちにくいだろう」 「じゃあ、お先にどうぞ。……あともう少しだから」 光太郎のミネルヴァの目には、既に立ち枯れした巨木が見えていた。 ■ ■ ■ 少女は音もなく進み、広場のように円く開けた場所に出る。それは、立ち枯れた巨木の枝の分だけの広さを持っていた。少女はその巨木の、物置小屋ほどあろうかという幹へ近づいていき……そしてふっと姿がかき消えた。 「ここか……」 猫から人へ姿を戻したチェキータが呟く。小高い丘の上にあるこの巨木は、上部が黒く焼け焦げていた。 「雷でも落ちたのか。生きていれば素晴らしい樹だったろうに」 「どうしてここだけ空が見えるの?」 「あの木が生きていた頃は枝が日差しを遮ったから、他の木が生えなかったんだよ」 リーリスの問いに恋うたろうが答える。チェキータがうなずいた。 「さあ、竜刻を探そうじゃないか」 「私が行くわ! 一番に見つけるんだから!!」 リーリスはそう言って走り出し、自身を赤い眼の小鳩に変えて羽ばたく。 真っ先に枯れ木の根本にたどり着いたリーリスは、蛇のように複雑にうねった、枯れたツタに隠されたうろの入り口を見つけた。 大人では入り込めないだろうその隙間から、ぼろ切れが覗いている。 「あったよ!」 リーリスは叫ぶ。追いついたチェキータは、鳥かごのようになっているうろの入り口をしげしげと眺めた。 「ツタが入り口を塞いだのか。光太郎は頭も入らんな。猫の姿なら入れそうかな……」 「待って、私に任せて? このままちゃんと竜刻を探してこられるんだから!」 二人の了解を待たずに、リーリスはうろに入り込む。中は意外に広く、人型のリーリスでも膝を抱えれば潜り込んでいられるほどの広さがあり……そこには乾いた手触りの何かが、いくつか転がっていた。 真ん中に転がっている竜刻が淡い光を発し、それらをほんのり照らす。 「ねえ、入り口を破ってちょうだい!」 リーリスは外の二人に向けて叫んだ。 そこにあったのは、骨だった。元は洋服であっただろうぼろ布の大半は退色し、元の色の判別がつかないほど汚れている。しかし中には、かろうじて赤いと分かる程度に色が残っているものもあった。 「何があったんだろうね……こんなところに一人でいたなんて」 光太郎は寂しげに呟く。古い骨だったが、思ったよりも多くが残っていた。 「遭難者というのが妥当なところか。ここに入り込んだおかげで、狼どもに食い荒らされることはなかっただろうな」 チェキータは頭蓋骨にそっと触れた。その形が、さっきまで追いかけていた少女に似ていたかどうかは分からない。 「さあ、帰るぞ。いつまでもここにいたところで、どうにもならん」 「そうね」 「待ってくれ。――少しだけ、時間がほしいんだ」 そして光太郎は、森を彷徨う魂に短い祈りを捧げた。 彼女の魂が、平穏に眠れますように。 ■ ■ ■ 去り際に、リーリスはふと立ち止まる。 「行くぞ。またいつ狼が来るか分からん」 「平気。先に行ってて」 光太郎とチェキータ、二人の背中を見送り、リーリスはくるりと振り返った。 そこには森を彷徨っていた赤ずきんが――向こうの景色がほとんど透けており、今にも消えそうな姿で――佇んでいた。その表情は穏やかだ。今まで彼女を無理に形取っていた力は竜刻のものだったのだろう。その力の源から離された今、彼女は運命に従順に消え去ろうとしていた。 リーリスはそんな彼女に話しかける。 「私、リーリスって言うの。ねえ、赤頭巾ちゃん。キミはだあれ?」 少女は反応しない。 「あのね……キミは死んじゃったのよね。ここで一人なの。寂しいのは分かるけど、他の人を巻き込んじゃダメなんだよ」 少女は反応しない。リーリスは微笑みながら手を伸ばす。 「だから、私と一緒に行こう? 私と一緒に、いろんな世界、見て回ろう?」 リーリスの手が少女に触れる。 少女は一瞬、驚いたように目を見開いた。 消えゆく彼女の幽かなものが、握りつぶされるように、食い尽くされるように――リーリスに吸い取られる。 「……ご馳走様でした」 吸精鬼は食事を追えると、スカートを翻して走り去った。
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