§ターミナル「みなさん、長期間に渡るカンダータ軍との共同作戦、ご苦労様でした」 ロストナンバーを前に短い挨拶をすると世界司書リベル・セヴァンは早々に本題を切りだす。「共同作戦の折に、接収した通信設備に残された記録の解析が完了しました。読み取れた情報を共有いたします」 リベルが述べた言葉は、大凡の予想を裏切ることはなかった。 通信設備――アンテナ基地と通信していたのは『理想都市ノア』、通信内容はマキーナへの指示「マキーナに自律性があるためでしょう、指示内容は端的なものばかりでした。 管理番号に、場所と思われる符号、そして行動内容――具体例としてコタロ・ムラタナ氏が行方不明となった事件の際に発呼されたと思われる指示をあげます」 リベルが手元のパネルに触れると室内の灯りが消え、モニターに壱番世界でいうところの電子メールに近い書式の文字列が映し出された。start message--------------------------------------- Code: 0x563422 Point: A10-F5-J Mission: 翻意者の弑逆 地上移動中のナンバー9865341を早急に処分せよ---------------------------------------end message 学校の授業よろしくペンライトで指示しながらリベルは説明を加える。「通信内で翻意者と呼称された人物は故カンダータ軍人のルドルフ氏でしょう。通信の発信者である『何者か』は、ルドルフ氏が不都合な存在となったため抹殺の指示を出したと推察されます。 また、本通信には含まれておりませんが、他の通信文中には畜獣や屠殺といったフレーズが散見されていました。これは『何者か』が差別的思想の持ち主であることを想像させます。 加えて通信の管理番号が必ずしもシーケンスとなっていないことから、通信拠点は複数存在すると推測されます」 モニターを消し室内の光源を再び灯したリベルは一拍だけ置き再び言葉紡ぐ。「さて、みなさんにお集まり頂いたのは報告をするためだけではありません。 依頼があります。内容は『理想都市ノア』の内偵です。マキーナに指示を出している『何者か』、もしくは『何者か』に繋がる情報を調査してください。 『何者か』の意図は図りかねますが、『何者か』がマキーナに指示を出し、カンダータの方々を苦しめていることは明らかです。これ以上の被害を発生させないためにもみなさんのご協力をお願いします 最後に一点、あくまで推測となりますが、アンテナ基地が奪われ通信内容が露呈したことを『何者か』が認識していることは十分に考えられます。『何者か』はすでに逃亡を含めた何かしらの行動を開始しているかもしれません」 忠言で言葉を切りチケットを二枚取り出すリベル。 冷静沈着な世界司書の推測は――残念なことに適切であったと知ることとなる‡ ‡ §理想都市ノア 作られた朝が訪れるにはまだ僅かな時間がある。 狂躁に耽った歓楽街の灯りを背中に軍服姿の男が歩いている。 片手に握ったスキットルを呷ると悪態の代わりにアルコール臭い溜息を吐き捨てる。 ( ――あいつら、糞みてえな地上から帰ってきてやっと羽根を伸ばせたってのに……伸ばしすぎて天国まで行っちまったのかよ…… 悪態の原因は、たまたま耳についた酒場の女の噂――共に地上で銃火をくぐり抜けた戦友が事故で死んだ まさかと思いながら買った新聞の訃報欄には間違いようのない戦友の名があった。 戦場で共に合ったのは僅かな時間、しかしその彼らが亡くなった事実は堪らない寂寥感を呼び起こす。 (……そういや四番隊の奴らは休みなく別戦場だって言ってたな、楽しんでから死ねた分まだマシなのか……?) 恩給と休暇を使い潰すはずだった歓楽街の時間は急激に色褪せ、己の気持ちを慰める意志は帰路へつくことを選択させる。 耳に触れるのは、己の足音とチリチリと明滅する街灯。 薄闇と静寂が物思いに耽るにはちょうどいい……はずだった。 ――――pipipipipi (……嫌になるね、ノアの市街で物取りとは……) 機械製の感覚器触れる気配が孤独な時間の邪魔をする。「おい、そこにいるのはわかってんだぞ。懐を狙ってんなら相手が悪かったな、ポリスに突き出してやるから姿をみせな」 幾分か交じる苛立ち、携帯用小銃を構え不埒者に警告する軍人。 驚愕の時間は与えられなかった。 彼の死は翌朝『事故死』として記録された。
かつてディナリアでの戦闘の折に一笑に付した己の思考。 ――マッチポンプ その言葉は今再び、より強烈な疑念を伴って鎌首をもたげた。 マキーナは本当に有史以前から存在していたのか? マキーナは民を纏める為に人為的に作られたとでも言うのか!? 俺はカンダータが好きだ。 俺はカンダータに生きる人々が好きだ。 彼らは教えてくれた兵士の誇りとは。 何故兵士は国の為に命を捧げるのか、何故民は国の為に愛する者を死地へ送るのか。 それはその国に大切なものが、大切な人が、守りたいと思うものがあるからに他ならない。 真実が知りたい、彼らの誇りを護りたい。 ――しかし その真実こそが彼らを愚弄するというならば。 誰かがカンダータを、朋友の誇りを踏み躙ると言うならば、俺は―― 砕ける音が耳朶を打ち、激情の溶けた紅に濡れる。 ‡ ‡ §理想都市ノア 複数の都市国家を『指導者ゴーリィ』の掲げる理想主義の名のもとに糾合したカンダータの首都。 『理想』とは、マキーナという絶対の天敵から人類が生存を勝ち取るための唯一にして無二の思想。 異世界に触れた者達のような『理想』から外れた一部の例外はあれども、その思想の根ざしカンダータでは個が集のために生き、集はより大きな群のために死んでいく。 (まるで箱庭ゲームの駒だぜ、歯車になることのなにが『理想』だっつの) ノアの中央に位置する広場で『指導者ゴーリィ』の像を見上げながらベンチに腰掛けた男、凡そ理想主義とは縁遠い快楽主義かつ個人主義の持ち主は己と全く相容れぬ思想に毒を吐く。 (いいじゃねえか、お陰で秘密たっぷりの世界を楽しめるんだからよ) 内心の悪態を宥める意識もまたその男自身。 分裂思考、電脳世界「ユング」のサイバノイド、エイブラム・レイセンは並列に存在する複数の意識を持っている。 幾多の情報を同時に処理することを常とする世界を故郷とするが故、異なる意識を同時に持つことができる。 極めて特異な意識を持つ個がカンダータの地に降り立った理由はただ一つ。 ――病的なまでの好奇心 隠蔽されていれば暴きたい、警戒されていれば覗きたい、見られたくないものほど見たい。 過去にエイブラムがカンダータの秘密に迫った回数は二度。 一度は、巨大な要塞マキーナがディナリアに接近した大戦。 一度は、地上で捕らえた衛星経由の通信。 何れも今一歩のところでするりと手の中から抜けていった謎。 一枚一枚とベールを剥ぎとってきた、その輪郭はすでに浮かび上がっている。 理想主義の後ろに隠れた『何者か』は後僅かのところに存在するはず、それを暴き立てた時に得られるカタルシスは如何ばかりであろう。 その時を想像したエイブラムの脳髄に堪えきれぬ興奮が走った。 興奮に震える意識と異なる意識、外界を認識していた思考がぽつりと声を上げた。 (……75点ってところか) 彼は無為にベンチにかけていたわけではない、過日ディナリアの長に依頼した人物を待っていたのだ。 ミラーシェードを面体に嵌めたツナギ姿の長身の女性がエイブラムに近づいて来ていた。 『俺の権限を貸せだと……何を企んでいるロストナンバー』 『グスタフ、アンタさVIPだろ? アンタの権限があればノアで楽しく遊べんじゃねって思ってね』 『……無理だな、ノアで遊びたいなら案内人をつける、ちょうど補給の交渉でノアに行っている奴が居る。おまえさんが楽しむ分には顔が利くだろうよ』 『そりゃありがたいぜ、ところでその子可愛いの?』 『ああ少なくとも見た目はまともだ。……いいかロストナンバー、俺はオメエらを信用している。だから、できる限りの便宜は図ってやる。今後も信用させてくれ』 (で、この女がグスタフの案内人ってことか、しかし俺よ、ちょっと厳しい評価だと思うぜ) (俺ちゃんああいうキツメの顔は、ちょっとダメなんだよね。体はすこぶるつきの合格点だと思うけどさ) 「ハロー、ロストナンバー。あんたがグスタフが言ってた人? 私はミズカ、ディナリア機械化部隊の少佐よ。ノアを案内しろって言われたけどさ、どういうところ行きたいとか決まってるの?」 「初めましてかなオネーサン。俺はエイブラムだ。 そうだな、政府組織まずは新聞社と警察署を案内してくれ、できれば中までな。……その後は酒場で一杯やって、明日の予定はベッド上で相談だな」 「ふーん、学生の社会科見学みたいね。ま、いいけどさ。どうせグスタフの依頼だからただの見学じゃないんでしょ? あんたのやりたいようにやれるように取り計らうから、夜は楽しませて欲しいわね」 ‡ (グスタフは随分使える奴を寄越したみたいだな……) 新聞社でも警察署でも責任者らしき男にミズカが一二言囁くと弱みでも握られているのか、コメツキバッタのようにヘコヘコとしながら案内してくれる。 あまりのやることの無さに肩透かしを食らった感があるが分割した意識の一つに他愛もないゴシップネタを質問をさせながら、机の上、壁、目に付く電子機器にギアの糸を接触、瞬く間に支配権を掌握する。 支配した機器を踏み台に核となるサーバを探索――電脳越しに伸びた糸が核となるサーバ捉えバックドアをしかける。 拍子抜けするほど簡単にすんだ潜入作業にエイブラムは失笑混じりに零す。 (潜るまでもないぜ、ちょろいガードだ……まるで未通女だな) ‡ ‡ ノアの酒場は僻地であるディナリアとは違い、一定の清潔感とそこそこ可愛い給仕が存在した。 振舞われる酒はアルコールそのものと言わんばかりの液体だったが、これはカンダータの習いなのだろう。 多くの客の紛れ一人コタロはテーブル席で酒を舐めている。 日が落ち、書き入れ時であるにも関わらず彼の周囲には人はいない。 ――――赫怒 旅人の外套はその感情までは隠蔽すること能わず、滲み出る感情が壁となって他人を寄せ付けない。 【カンダータのために戦死したルドルフ中将とその部下に哀悼の意を表明する】 ノアに降りた後、最初に訪れたのは手近にあった新聞社。 生憎、社内にまでは入ることはできなかったが、併設された図書館に収められた過去の新聞の見出しが翻意者として死んだはずのルドルフの名誉を汚していないことを知った。 先の地上行軍で知るところとなった地上を流れた通信とは明らかに異る文言、それは聡いとは言えぬ己にもカンダータに潜む闇の輪郭をありあり感じさせる。 『戦に惑うとは若僧よな……己の大事とするものを護るため……他に何を求める』 (あの時、我儘としても己の主張を貫いていれば) 忸怩たる思いは逃げ場の無い感情となって己を灼く。 ルドルフは誇り高くカンダータのために戦い、その誇りを汚す『何者か』の都合に沿わぬ行動をして弑逆された。 そしてその死は『何者か』の演出する歯車に組み込まれたのだ。 居る。 居ると言わざるを得ない。 カンダータのいや、己の至宝を汚すものが間違いなく居る。 軍か? 政府か!? それとも―― 硬質の物体が手の中で砕けた。 酒を入れたコブレットが割れ、掌から零れた液体と酒が混ざり床を汚した。 「よぉコタロ、えらくご機嫌斜めじゃねえか」 肩に触れる感触が感情の奔流に揺れるコタロの意識を現実に戻す。 気安い声と共に己の前に現れたエイブラムがハンカチを投げてよこす。 「すまない」 エイブラムのサングラスに映った己の眼は光の加減か紅く濁って見えた。 ‡ ‡ ――深夜 隣室からは微かな呼吸音が聞こえる。 (やれやれ予想以上に遅くなっちまったな、まあいっか、それじゃ一丁やりますか) 案内されたセーフハウスに備え付けられた端末からエイブラムは電脳の海に飛び込む。 幾重に流れる情報という名の網が編み上げるネットワーク。 電脳の世界に浮かび上がる四体の赤肌の男、エイブラムの意識が象るアバターが両手を握るとぽぅと燐光が灯り薄ぼやけた光の輪郭から電脳の海に糸が流れ揺蕩う。エイブラムのもつトラベルギアによく似た動き、いやギアこそが彼の電脳世界での有り様を模しているのか。 情報が光点となって輝く海に、魔術師の触手が目指す先は日中に目印をつけた各機関の情報管理システム。 門番姿のアイコンはエイブラムのアバターを見ると一礼する。 細工は流々、日中に仕込んでおいたバックドアはセキュリティを騙しやすやすと侵入をゆるした。 もはや、情報の核たるDBを守るものはパスワード認証という薄衣一枚。 エイブラムの腕が触れると衣が剥がれ落ち、露となった核からは0と1の濁流が滲みでた。 『へ、お固いところにお勤めかと思ったけど素直で可愛いじゃねえか……』 膨大な情報がエイブラムに流れ込む。 溢れる情報が脳髄を刺激し、溢れ出るエンドルフィンが弾けるように与える快楽に打ち震えながらも並列するエイブラムはさらなる秘密を貪る。 ――ルドルフの殺害は誰の利益になる、対立する派閥は? 対立派閥、急進派に属するルドルフと対立するのは穏健派、殊に文民研究所のイザベラ所長と険悪、異界方面軍は中立を保っている 軍内部では急進派は主流派、参謀室の失墜を望むものは少ない だたし、昨今の急速な拡張路線から輜重隊、工兵と揉めるケースが存在するがルドルフの死とイコールでは結べない ――ルドルフの死後のびた勢力は? 存在しない、ルドルフの業務は別担当が引続済み 強いて上げるとすれば、参謀室が体勢の盤石さ、人材層の厚さを示し急進派の勢力が伸長 ――各派閥の寄って立つ政治勢力、全てに対して絡む人物・集団は? 急進派は主として軍が支持している、軍事的な地位は政治的な地位に紐づくため政府の大部分も支持層であると言える しかし流動的な立場をとる人間が多く、政治的理由よりは対マキーナの軍事的状況によって優勢派閥が容易に変わる なお派閥横断的に地位を持つ人物は存在しない、異界方面軍のミラー大佐が近い位置にいる 『プロパガンタをしている奴が居そうなもんだが……まあ、新聞社と警察じゃこんなもんか……ん、なんだこれは』 ――最近の事故死をリスト化、被害者の軍属と照合しろ 事故死者の軍属は、一定ではありませんが地位のある人間は少ないように思えます。 また、被害者の40%がある作戦に参加、当該作戦の参加者は別作戦での死亡を含めると60% 一作戦に参加した軍の動向としては多いですが、死亡者が100%に到達した作戦もありますので異常とはいえません ――ある作戦とは 世界図書館と共同の大規模地上探索作戦 『んだと……』 ――作戦立案者は誰だ、誰が音頭をとって実施した 立案は参謀室、常通り穏健派は反対に周りましたが、急進派閥の賛成多数で採択 規模以外に他の作戦との差異は無し 整いすぎている程に整っている、初めから疑ってかからねば不審など浮かび上がっても来ないだろう 『なるほどね……へへ、しかし随分、綺麗に隠してやがんな……いいぜ、恥じらいがある奴も嫌いじゃねえ。見てな今度こそ、丸裸にしてやるぜ』 ‡ ‡ §カンダータ軍司令部 コタロの右手が静脈認証装置に触れる。 刹那、エラーを示す赤が灯り――小さな爆破音と共に表示が消え扉が解き放たれる ――最近じゃ『みちびきの鐘』なんていう宗教が流行ってるらしいぜ、後は『レコンキスタ』なんて運動もな。我々を苦しめる神から世界を取り戻せってな ラジオ局で聞いたヤク漬けの体を機材に接続した男がかき鳴らす電子音は、以前であればノイズと思えたかも知れない。 ――地上へ行った奴ら、部隊を解体されて次々に激戦区に回されているらしいな…………ここだけの話何か見ちゃいけないものを見たって噂だぜ 駐屯地で聞いた根も葉もない噂は、聞き捨てることのできない真実が重みを持っているように思えた。 ノア市街で聞ける話には自ずと限りがある。 真実に近づくためには、相応の場所か人物に問うしかない。 いや、機械に問うことのできぬ己ができることは真実を知るものを只管に追うことだけ。 「ゲートを破壊している侵入者がいると報告があったが……なるほど、ロストナンバーか何用だ」 都合、五台の装置を破壊し侵入した部屋の中から聞こえた声。 己の行動は筒抜けだったわけだ……しかし。 「分かっているならば、何故すぐに捕縛しない」 「釣り上げるためだ、泳がせて首魁をあぶり出すなど諜報の初歩だろう」 不遜な笑みを浮かべるミラーへ微かに感じる違和感。 (何故俺にそれを話す? 素知らぬ顔をして泳がせればいいはずだ……交渉か) 「首魁など居ない、俺一人の考えだ」 この男は己の利用価値を見定めている、しかし交渉術など知りえぬ己にできるのは最大の札を切ることだけ。 「マキーナの真実を知りたくないかミラー」 ‡ ――事実なら証明してみせろ、俺の知る情報はお前の話を肯定しない ミラー大佐であっても知り得ない情報であれば、もはや対象は限られていた。 政府、それも限られた人間のみが侵入をゆるされる最上層。 ――ルドルフは最上層に至ることが許された人物だった、お前の言う秘密とやらに触れていてもおかしくはないな 政府の扉を開けるのはルドルフの佐官としての認識票。 死人が侵入しているのだバレるまでの極短時間使えれば幸運であろう、使えたとしてミラーのように誘い込んでる輩がいるのかも知れぬ。 ――だがルドルフは知っていた、では何故従う? 何故裏切る? 貴様の論理は矛盾しているのではないか? (考えるな、己のできることなど限られている) 既に佐官では入りえぬエリアに入った、警報は聞こえない。 中層を突破し上層に至る扉、認識票が初めて拒絶された。 (破壊し突破する!!) 符を握りしめた掌で扉に触れようとした刹那。 自身の破壊を厭うように上層を隔てる扉が、その奥に覗く扉が次々解き放たれる。 (罠か?) 心は疑問を浮かべるようとも、コタロという体は遅滞無く扉の奥に身を躍らせる。 「こっから先はネットワークが隔絶してやがる、開けられる扉は全て開けた。後は任せたぜ」 己の背中を押す声が、何故己がこの瞬間まで捕縛されずに政府を進めたか、その理由を示唆していた。 コタロを見送るエイブラムの内心は忸怩たるものだった。 彼とその分割思考は政府の情報をも新聞社・警察署と同様に洗いざらい裸にしていた。 政府回線で浮気をしている不届き者や高官の他人に言い難い秘密の趣味すら把握したというのに、アンテナ基地で捕らえた通信の痕跡を欠片足りとも見つけることができない。 (政府じゃねえのか? いやちげぇ、ネットワークが隔絶してやがんだ、クソが) 如何な電子の魔術師と言えども世界の限界を超えることはできない。 ネットワークの届く最奥に据え付けられた監視カメラから覗くコタロの姿が小さくなっていく。 エイブラムの力が及ばぬ扉が朱く爆ぜた。 コタロが最後の扉を潜り最上層に消えた時――エイブラムの分割思考が掻き消えた。 ――!? ミリセカンドの驚愕。 エイブラムの意識が事態を捉えるまでの刹那、さらに一つ分割思考が掻き消える。 『逆ハック!? 馬鹿な!?』 カンダータの電子技術を遥かに上回るエイブラムが逆ハックされるなどありえない。 ましてやその存在に気づかぬ速度でなど。 さらに消える分割思考、核たる意識からみても何が起きたか分からなかった。 また一つ意識が消える。 恐慌状態に陥ったエイブラムは強制遮断プログラムを走らせる。 崩れ落ちる電脳の認識。 絶望的な深さを持つ洞が自分を覗いていた。 ‡ ‡ 地下世界の朝は薄い靄がかかり蒼国を思い出させる肌寒さだった。 (俺は…………ここはカンダータか……ぐっ!) 二日酔いのような酩酊感と強烈な頭痛、何故このような場所で横たわっていたか全く思い出せない。 懐にあったチケットは間もなく帰還のロストレイル号が到着することを示していた。 (俺は何を……) 灰がかった蒼い眼に浮かぶ疑問符。 コタロの脳裏に禍々しいまでに福々しい巨大な笑顔が浮かび、軋む脳髄の痛みの中に消える。 カンダータの空に汽笛の音が響き渡る。 それは時至りし刻、御使が吹く喇叭のようにも聞こえた。
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