オープニング

 窓の外はどこまでもつづく虚無の空間「ディラックの空」。
 ロストレイルは今日も幾多の世界群の間を走行している。
 世界司書が指ししめす予言にもとづき、今日はヴォロス、明日はブルーインブルー……。大勢のコンダクターが暮らす壱番世界には定期便も運行される。冒険旅行の依頼がなくとも、私費で旅するものもいるようだ。
「本日は、ロストレイルにご乗車いただき、ありがとうございます」
 車内販売のワゴンが通路を行く。
 乗り合わせた乗客たちは、しばしの旅の時間を、思い思いの方法で過ごしているようだった。

●ご案内
このソロシナリオでは「ロストレイル車中の場面」が描写されます。便宜上、0世界のシナリオとなっていますが、舞台はディラックの空を走行中のロストレイル車内です。冒険旅行の行き帰りなど、走行中のロストレイル内のワンシーンをお楽しみ下さい。

このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、
・ロストレイル車内でどんなふうに過ごすか
などを書いて下さい。
どこへ行く途中・行った帰りなのか、考えてみるのもいいかもしれません。

!注意!
このソロシナリオでは、ディラックの落とし子に遭遇するなど、ロストレイルの走行に支障をきたすような特殊な事件は起こりません。

品目ソロシナリオ 管理番号928
クリエイター宮本ぽち(wysf1295)
クリエイターコメント実際に受けた依頼の帰り、というシチュエーションでも構いません。依頼(=シナリオ)の内容を振り返って物思いに耽ってみるのも良いでしょう。
もちろんそれ以外も歓迎します。よろしくお願いします。

※プレイング期間・製作期間ともに上限まで上乗せしております。ご了承ください。

参加者
武神 尊(czzc1773)コンダクター 男 57歳 大日本帝國海軍中尉

ノベル

 ディラックの空は虚無だという。ならばロストレイルは虚無の中を旅しているのか。
 古人は人生を旅に喩えた。ならば、螺旋特急に乗っての旅とは――。

「………………」
 武神尊は静かにまどろみから浮上した。夢うつつに、ほっそりとした指先で左の瞼を撫でられた気がする。痕跡をなぞるように指を這わせても、左目には刀傷があるだけだ。
 ロストレイルの発車を待つ間についうとうとしてしまったらしい。列車はじきに壱番世界を出立する。虚無の空へと上る列車の窓越しに、霞んでいく故郷の風景を幾度眺めてきただろう。
(硝子越しの景色……か)
 大日本帝國海軍二種軍装に身を包み、古めかしくも雅なロストレイルの座席に腰を下ろした尊の姿はそのままひとつの時代を表しているかのようだった。ストイックさを思わせる彼の色彩の中、手にした彼岸花だけが鮮烈な赤に輝いている。
「失礼いたします」
 という声に顔を上げると、乗務員の女性が立っていた。彼女の視線は彼岸花に注がれている。
「申し訳ありませんが、そちらのお花の持ち帰りは……」
「ああ、そうだった。済まん」
 尊は苦い笑いで応じた。墓参りの帰りに何気なく手折って車内に持ち込んでしまったが、異世界の動植物を持ち帰ることはできない決まりだ。
「外に置いてくる。発車までには戻る」
 車外に降り立つと、透き通った風が彼岸花を揺らした。
 土の感触を確かめるように跪き、素手のまま地面を掘る。彼岸花を植え、丹念に土を寄せた。根を張らなくとも、ここなら土に還ることができる。そうやって他の草木の命を繋いでいく。
(今年も咲いてくれて良かった)
 毎年、尊は墓参りの度に彼岸花を手折っている。この花は彼岸の時期を狙い澄ましたように咲くのだそうだ。人にこの季節を思い出させようとしているかのように。
 しかし花は無言だ。何も語らない。それでも、静かに燃える赤は亡き妻を思わせる。すっくと伸びる佇まいも、また。

 大日本帝國海軍の軍人であった尊が覚醒したのは戦時中のことだ。乗っていた航空母艦が敵の攻撃で沈没し、死ぬ代わりにこの世界から放り出された。
 家族の元へは戦死通知が送られた。それでいいと尊は静かに納得した。ロストナンバーとなってしまっては家族と歩むことすらかなわない。長男も戦争で逝き、残ったのは妻と次男だけだった。
 遠くから見守るつもりだった。あたかも風や空のように。超の付く愛妻家の尊だからこその決意だった。
 だが、戦後すぐに妻が病であることを聞き、居ても立っても居られなくなった。遠くから様子を見るだけだと己に言い聞かせながら自宅に戻った。それは遅すぎる復員だった。否、復員であったのか。尊は既に壱番世界の存在ではないというのに。
 妻と会うつもりも言葉を交わすつもりもなかった。だが、磁石のような夫婦の絆が二人を引き合わせてしまった。尊は庭先に立ち尽くしたまま、窓際の部屋に臥せった妻と相対した。
 駆け寄って抱擁して口づけを交わして――ああ。そんな瞬間を幾度夢想しただろう。
 だが、体は動かない。動けない。ロストナンバーとして会ってはいけないからか、それとも。
「お帰りなさいませ、あなた」
 布団から起き出した妻は洗練された所作で三つ指をついた。痩せ細った彼女は綺麗に髪を梳いて清潔な化粧を施していた。それが夫を待つ妻のつとめだとでも言うかのように。
「それとも――」
 ゆっくりと顔を上げた妻の唇は彼岸花のような紅で彩られている。
「私を迎えに来てくれたのかしら?」
 その問いに、尊は唇を真一文字に引き結んだ。
 透き通った風が庭木を揺らす。高い空は無言で二人を見下ろすばかり。
 さわさわ、さらさら。二人の間では風だけが揺れている。二人の間には無色透明の壁が横たわっている。触れられない、踏み越えてはいけない、けれど、手を伸ばせば届くのではないかと錯覚しそうになる。
「……否」
 やがて尊は静かに、しかしはっきりとかぶりを振った。その刹那、静謐な赤で縁取られた妻の唇がかすかに震えたように見えた。
「静」
 ゆっくりと、いとおしむように妻の名を紡ぐ。
「お前には俺の代わりに司の成長を見守って欲しい。そして、この国の行く末を見届けて欲しい。だからお前に今、此方側に来て貰っちゃあ困るんだ」
 妻は答えない。まっすぐに背筋を伸ばしたまま、ひたと尊を見つめている。
「……苦労をかけて済まないと思っている。だが、どうか俺と猛の分まで生きて幸せになってくれ。頼む……」
 この通りだと呻き、深々と頭を下げる。鼻の奥がつんと痛む。こうべを垂れたまま、迫り上がる熱いものを必死で飲み下そうとする。
 不意に、ふっと妻が微笑んだような気がした。
 尊は弾かれたように顔を上げた。妻は無言だった。それでも、美しい唇を微笑の形にして尊を見つめていた。痩せた頬に一筋の涙を光らせながら、妻は毅然と微笑んでいたのだ――。

 螺旋特急の汽笛が終幕のベルのように鳴り響く。ふっと我に返った尊の視界は吐き出される蒸気で白く霞んだ。機敏に回れ右をし、列車に乗り込む。名残のように揺れる彼岸花を振り返った瞬間、車体は壱番世界の土を蹴って飛び立った。
 ロストレイルは空へと上る。口紅の色の花が小さくなっていく。凛と伸びた茎が遠くなっていく。尊は凛と背筋を伸ばして敬礼した、出征したあの日のように。真っ赤な花もまっすぐに尊を見送っている。いつまでも、いつまでも……あの日のように、いつまでも。
 やがて車窓はディラックの空で塗り潰された。天地すら判然とせぬ虚無の空間。ここには何もない。ただ、旅人を乗せる列車だけが漂っている。
 だが、無を前にした尊は晴れやかで満ち足りた笑みを浮かべるのだ。
「ま、何も心配する事ぁ無ぇやな」
 あの後、先が長くないと宣告されていた妻は奇跡的に回復した。周りから再婚を勧められても頑として拒み続けた妻は、三十数年後、天寿を全うして家族に看取られながら永眠した。その年から、尊は息子に見つからないようにして妻の墓参りを毎年欠かさず続けてきた。
 息子も一昨年鬼籍に入ってしまった。だが、その子供や孫が今も誰彼となく墓参りに来てくれているようだ。こぎれいに整えられ、賑やかな花で飾られた墓石を見れば訊かずとも分かる。彼らが墓に入った後は彼らの子や孫が同じように手を合わせることになるのだろう。営みはそうやって続いていく。とうとうと、絶え間なく流れ続ける川のように。
「俺の務めもそろそろしまい時ってこった」
 くだけた口調で誰にともなく告げ、尊はゆるゆると目を細めた。虚無に満ちた空でさえ、どこかの世界へと繋がっているのだから。

(了)

クリエイターコメントありがとうございました。ノベルをお届けいたします。

申し訳ありませんが、世界観の都合でシチュエーションを少し変えさせていただきました。
エッセンスは拾ったつもり、です。

ところどころ捏造しましたが、楽しんでいただけましたでしょうか。
ご縁があれば、またどこかの階層で。
公開日時2010-10-18(月) 20:50

 

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