オープニング

「大ッッッ変申しわけございませんでしたッッ!!」
 ターミナルの片隅にある、知る人ぞ知る隠れ家的カフェ、『エル・エウレカ』。
 厨に入ることが好きで好きでしかたがないという料理人が腕を揮うここは、美味な食事ととろけるような甘味、厳選された酒や茶が安価で楽しめ、芸事を得意とするツーリストが時折演奏まで提供するとあって、常連も少なくない。
 しかしながら、この店にも、世界樹旅団との戦いにおける傷跡は残されていた。
 とはいえ、入り浸っているロストナンバーや、気にかけてくれた人々のお蔭で、再起不能といった様子ではない。人手を募って片づければ数日で何とかなるだろうといった程度の被害だ。
 誰も悲観的には考えておらず、ちょっとあちこち声をかけてみようか、といった風情だったわけだが、そうは捉えなかったものもいた。
「い、いかように……いかように償えばよろしいでしょうか! すべての責はこのわたくしめに!」
「いや、その。別に、あんたのせいというわけじゃないんだ、気にしないでくれ。あんたたちに怪我がなかっただけでもよかった」
 店の前で佇む困り顔の男、世界司書にして『エル・エウレカ』の料理人、贖ノ森 火城の前では、異国情緒あふれる美しい衣装を身にまとったエキゾティックな顔立ちの美少女が、舗装された道路に埋まる勢いでジャパニーズ・ドゲザを展開している。
 彼女の背後には、その従者であったり友人であったりするのだろう、出で立ちも年齢層も種族も様々な人々が、心配そうな表情で様子を見守っている。
 店の一角、あの幻想的な、鉱石と植物と、無機と有機の融合したかのようなもろもろで出来た庭に、見事なまでの垂直っぷりで銀色の円盤が突き刺さっているのを見れば、たいていのものは事情を理解するだろう。要するに、世界樹が滅びたことで制御不能となったナレンシフの墜落した先が、『エル・エウレカ』の庭だった、というわけである。
「し……しかし! これだけのことをやってのけて何もなかったふりなど、許されません! いかなる責め苦でも甘んじてお受けします、どのような償いでも、仰ってくださいませ……!」
 美少女は、いったいどれだけ過酷な世界の出身なのか、ものすごい罰を申し付けろとぐいぐい押してくる。しかし、パッと見は強面だが中身は常識人、世話好きで気の好い火城が、親しいものたちをどうにかして護ろうと奔走したという彼女に怒りを抱くはずもなく、
「いやいや。若い娘さんがそんな土下座とかはよくない、とりあえず顔を上げてくれ。俺がいたたまれない」
 とにかく安心させようと言ったとたん、
「も、も、申しわけございませんんんんんッッ!!」
 美少女は土下座の体勢のままおそるべき筋力で垂直に飛びあがり、一回転したのち地面に五体を投げだし、その後再びしずしずと土下座の体勢に戻った。びたんッ! という派手な音がしたが、あれは痛くなかったのだろうか。
 当然、火城は驚きのあまり硬直している。
「わたくし、こう見えて千二百飛んで七年ばかり生きておりましてッッ! わ、わたくしのごとき熟女どころか発酵女が大切なお店にこのような……か、かくなるうえはこの地に我が身を埋め人柱となることで、皆様のご多幸と豊穣を祈念してッッ!」
「いやいやいや、だからそういうことではなく……!」
 恐ろしいまでのネガティブ・ゾーン突入ぶりでごりごりと額をすりつける美少女に、どうすればいいのか判らなくなったらしく、むしろ俺が埋まりたいと火城が顔を覆ってしまいそうになった時、
「火城殿、準備が整ったようだぞ」
「ととのったのですー」
 筋骨たくましい、ノーブルな顔立ちの男、阿鼻叫喚の招き手ことゲールハルト・ブルグヴィンケルと、つぶらで愛らしい眼が印象的なわんこさま、クロハナが店から顔を覗かせた。クロハナを見て、美少女や同胞たちがほんわかとした和みの顔をする。さすがターミナルでも一二を争う癒し系である。
「そ、そうか」
 火城が救われたような顔をして美少女とその身内のものたちを見やる。
「そういうわけだから、ブリーギットも、他の皆も、心配はいらない。何、どうしてもというなら片づけを手伝ってくれ、炊き出しのほうでもいい。そのあと皆で茶にしよう。壱番世界ではハロウィンのさなかだしな、かぼちゃを使った菓子をはじめ、いろいろな甘味を用意するから、楽しみにしているといい」
 彼が、どことなく楽しげなのが伝わったのだろう、ブリーギットと呼ばれた美少女はようやく身体を起こし、身内のものたちはホッとしている。
「せっかくこうして出会えたんだ、友好的にやらない手はない」
 おそらくそれは、ここにいる人々の共通した思いだったはずだ。

 * * *

 店内へ戻ると、フェレット姿のアドがするりと火城の肩を駆け上がり、腰を落ち着けた。ふわり、と、バターのコクのある匂いや、甘くて芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。
『あのお姉ちゃんの件は落ち着いたのか?』
「ああ。一時はどうなることかと思ったが……」
『あー、聞こえて来たわ。『エル・エウレカ』に人身御供的な。幻想的カフェがいきなりおどろおどろしくなるなー、それ』
「想像しただけで夢に見そうだ」
『何お前ホラーとか駄目なんだっけ? 今度いっしょにトコヤミ屋行くか?』
「やめろ、頑是ない赤子のように泣き喚くぞ。それでもいいのか」
『そんなキリッとした顔で言われてもなあ……』
 真顔で脱力系会話を繰り広げるアドと火城の傍らでは、マキシマム・トレインウォーver.から戻った無名の司書とヴァン・A・ルルーがゆったりとテーブルに陣取り、今年のハロウィン・スイーツのパッケージングを手伝っている。
「カボチャに栗にさつまいも……火城さんたら、今年も甘味スキーの胃袋を鷲掴みに来てるわ~」
「ケーキにタルトにビスケットにプディング、どれも紅茶に合いそうですよね。とっておきの茶葉を出してこようかな」
「んま、素敵~さすがルルーさん! じゃあ私はハロウィン・ランチに合いそうなビールでもチョイスしてこようかしら~」
 うふふと楽しげに笑う無名の司書の横を、クロハナがたたっと走ってゆく。
「ハロウィンのお菓子、楽しみなのですー! 今年も、皆にコンニチハ、たくさん言うのです!」
 前回のハロウィンイベントでの誤解もそのままに――しかし誰もが和む誤解なので特に訂正はされていないようだ――、愛らしい尻尾を振りながら店内をくるくる走り回ったあと、クロハナは真っ赤な鉱石がほどよく熱を発している暖炉の前で立ち止まった。
 ふわふわのラグが敷かれたそこには、見事な体躯と朱金の色をした縞模様の毛並を持つ、大きな猫が寝転んで、心地よさそうに尻尾を揺らしている。尻尾の先に灯った金色の火は、暖炉の色合いと同じく温かい。大猫司書の、脚と脚の間に、クロハナがすっぽり収まると、ふわもこ好きには鼻血級の微笑ましさだ。
「灯緒さんもハロウィン、するのです?」
「そうだな、おいしいものを皆と食べるのは、とてもいいな」
 眼を細める灯緒と、目をキラキラさせて頷くクロハナに、動物好きの面々が鼻血をこらえたのは言うまでもない。
 その傍らで、
「……ひとまず、植物に関しては大したことはできそうにないな。あとで、モリーオに助力を乞おう」
『だな、そういうのはあいつに頼むに限る』
 頷き合う火城とアドの鼻孔を、穀物が蒸される、仄かに甘くかぐわしい香りがくすぐる。どこか懐かしくもあるそれは、外から漂ってくるようだ。
「? 炊き出しは確か、シチューや雑炊だったはず……?」
 不思議に思って表へ出てみれば、
「せっかくだから餅料理や和菓子も、と思って糯米を蒸しておいた。身体が温まるような雑煮や、カボチャ餡のおはぎ、栗入り大福や、さつまいも餅にすればいいと思う」
 『エル・エウレカ』の常連兼店員、神楽・プリギエーラが、湯気を立ちのぼらせる大きな蒸し器の前に立っていた。炊き出し用の即席かまどを使って蒸しているらしい。
 キングオブ空気読まない人には似つかわしくない気の利きようだ。
 が。
「……ちょっと待て、今店に在庫のある糯米と言ったら」
 不穏な空気を感じて火城が声を上げる。
 気のせいだろうが、風もないのに蒸し器がカタカタと振動しているように見える。気のせいだとは思う――というか、目の錯覚だと信じたいのだが、ふしゃしゃしゃしゃあああああなどという不穏当かつ獰猛な吼え声が蒸し器から聞こえてきているような気もする。が、これも空耳だと信じたい。心底。
「ん?」
 しかし、淡い期待というのは裏切られるさだめにあるもので、小首を傾げてみせた神楽の手には、『喪血ノ王(もちのおう) 魔威留怒(まいるど)』と書かれた大きな袋があった。
「やはり、それか……ッ」
 膝から崩れ落ちたい心境の火城をよそに、
「以前の喪血ノ王をもとに、改善と改良を重ねた糯米らしい。以前よりさらに味わい深く、マイルドになっているそうだ」
 淡々と解説を続ける火城の背後に、むくむくと大きな影が盛り上がる。
 全長は五メートルにもなるだろうか。
 純白の、艶もテリも素晴らしい糯米同士が融合し、つぶつぶのおはぎ状態となったその塊には、おそろしく凶暴な牙が生えそろった口がついている。普通の人間などひと飲みにされてしまいそうな、巨大な口だ。
 しゃしゃしゃ、しゃげえええええええ! という、不穏極まりない咆哮が上がる。
 新春の遊戯会で猛威を揮い、猛者たちに搗(つ)かれて美味な餅料理となった、ヴォロスだかシャンヴァラーラだかの糯米、『喪血ノ王』の再臨である。
「素晴らしい……なんという躍動感。なんという、ほとばしるエネルギーか……ッ!」
 現地の農家によってつくりあげられたそれの、魔法的に高められた力が判るのか、感激のあまり、双眸を不吉に光らせながらゲールハルトが拳を握っている。この展開に嫌な予感を覚えない男性諸氏はいるまい。
「……というか、何がマイルドなんだ……?」
 現状、ツッコミが自分だけ、という火城が、シオンがいてくれれば……などと巻き込む相手を探しつつつぶやけば、神楽がパッケージにおどろおどろしい血文字で書かれたアオリ文を見せてくれる。

『新生・超糯米 喪血ノ王 魔威留怒』
『一度食べたらやみつきになる素晴らしいコシ、ねばり、味わいをさらに改良!』
『噛みつきますが、搗くと悦びます!』
『喪血ノ王を悦ばせれば悦ばせるほど美味な餅が出来上がるマイルド仕様』
『喰われないよう注意しつつ、世界一美味な餅を目指して喪血ノ王を痛めつけてください』

「要するに、こういうことだ」
「なるほど、ドM仕様か……」
 すでにいろいろと諦めた風情で火城が頷き、運悪くその場に居合わせた面々へアルカイック・スマイルを向けた。
「……まあ、そういうことで、ひとつ」
 説明すら丸投げである。
 前回からの情報をもとにまとめれば、『糯米がくっついて形成されている関係上、斬る・突く・撃つなどの攻撃はほとんど効かない』『魔法系の特殊能力は全部吸収される。トラベルギアも、補助能力は別だが、基本的には物理攻撃しか効かない』『根本が餅なので、しっかり搗いて餅に出来れば怪物化は解ける。糯米や餅としての特性は受け継いでいるようだから、それっぽい攻撃をしてみるのもいいかもしれない』ということになるだろうか。
「あとのことは頼んだ」
 自分は料理や製菓に没頭するつもりの――たぶん現実逃避だ――火城から爽やかに押し付けられ、気持ちは判るが頼まれても困る、そう主張したい面々の深い深い溜息に、喪血ノ王の咆哮が重なる。

品目シナリオ 管理番号2272
クリエイター黒洲カラ(wnip7890)
クリエイターコメント皆さんこんばんは。
またしても出オチ系ですみません、復興にかこつけて騒ごうぜ、なシナリオのお誘いに参りました。
復興要員、炊き出し要員、戦闘要員、それからツッコミ要員大募集。

※記録者事情でハロウィンは過ぎてしまいましたが、その周辺の出来事だと心の眼で見ていただけるとありがたいです。

喪血ノ王に関しては、『【新春遊戯会】挑め、喪血ノ王!』を参照いただくとおさまりがいいかもしれません(必須ではありませんが、弱点や有効な攻撃方法などが書いてあります)。

判定はありますが、前喪血ノ王戦と同じく基本的にユルいです(もちろん、プレイングによって登場率に偏りが出るかもしれないのはいつも通りです)。自由に、ご自身の見せ場をプロデュースしてみてください。

ご参加に当たっては、
1.店の復興を手伝う
2.店の炊き出しを手伝う
3.喪血ノ王を餅にする
の、大別して三つのメイン行動からお好きなものをお選びになり、具体的にどのような行動を取るか、どのようなものをつくるか、どう戦うかなどのプレイングをお書きください。三つとも選択していただいても結構ですが、描写は薄くなる可能性があります。

その他、このシナリオでは、
・PCさんと交流
・NPCに声をかける
・ブリーギットに声をかけてみる(高確率でジャパニーズ・ドゲザが展開されます)
・魔女ッ娘ビームを浴びる(浴びたい方は必ずその旨を明記のうえ、反応及び行動をお書きください)
・喪血ノ王とのプレイ(?)にて新たな自分に目覚める(例:「もっと鳴かせてやるよ……」「自分もあんなふうに痛めつけられてみたい、だと……!?」)
・その他、フリーダムに行動してみる(内容によっては不採用の場合もありますのでご注意ください)
といった選択ができるほか、最終的に、皆さんで和気藹々とお茶会を行っていただけます(このお茶会は、基本的にすべてのPCさんが描写されます)。
バッドエンドの確率0%の、交流やどたばたコメディが基本のシナリオではありますが、ご自身のPCさん以外のキャラクターに対しての確定ロールは採用されにくいですのでお気を付けください(事前に相談がなされている場合はその旨をお書きいただけますと幸いです)。

なお、今回、入りたいと思われた方すべてに入っていただけるよう、いつもより多めに枠を設けてあります。OP公開後24時間までは、たとえ枠が空いていたとしても、1PLさんにつき1PCさんのエントリーでお願いいたします。
口うるさくて大変申し訳ないのですが、ご協力のほどをよろしくお願いします。


こまごまと書かせていただきましたが、ユルく楽しくどたばたと大騒ぎが出来ればと思っておりますので、どうぞお誘いあわせのうえご参加くださいませ。

それでは、いい匂いのたちのぼる、半壊した『エル・エウレカ』にて、皆さんのお越しをお待ち申し上げております。

参加者
アマリリス・リーゼンブルグ(cbfm8372)ツーリスト 女 26歳 将軍
川原 撫子(cuee7619)コンダクター 女 21歳 アルバイター兼冒険者見習い?
鰍(cnvx4116)コンダクター 男 31歳 私立探偵/鍵師
トバイアス・ガードナー(cpyf2352)ツーリスト 男 24歳 冒険者/剣士
ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノ(cppx6659)コンダクター 女 16歳 女子大生
音成 梓(camd1904)コンダクター 男 24歳 歌うウェイター
マスカダイン・F・ 羽空 (cntd1431)コンダクター 男 20歳 旅人道化師
蜘蛛の魔女(cpvd2879)ツーリスト 女 11歳 魔女
アストゥルーゾ(crdm5420)ツーリスト その他 22歳 化かし屋
テリガン・ウルグナズ(cdnb2275)ツーリスト 男 16歳 悪魔(堕天使)
鹿毛 ヒナタ(chuw8442)コンダクター 男 20歳 美術系専門学生
黒葛 小夜(cdub3071)コンダクター 女 10歳 小学生
シューラ(cvdb2044)ツーリスト その他 38歳 おっかけ/殺人鬼、或いは探偵
有馬 春臣(cync9819)ツーリスト 男 44歳 楽団員
テューレンス・フェルヴァルト(crse5647)ツーリスト その他 13歳 音を探し求める者

ノベル

 1.日常の香り

「うん、……うん」
 喪血ノ王の咆哮が響き渡る、幻想的な茶房の片隅にて、
「懐かしいわー、この光景。なんつか、元通りのターミナルって感じで」
 抗えぬ運命の導きによって『エル・エウレカ』へ来てしまった鰍は、すでに遠い目をしていた。仮装はしていない。それは別に、この催しがあることを知らなかったからではなく、しても無駄なことを知っているからだ。
 なにせ彼、このたぐいのイベント参加は三回目である。
「出来ることなら今すぐ帰りたい」
 が、帰れないことなどはなから判っている。
 要するに鰍は、過去に行われた『エル・エウレカ』主催のハロウィン・パーティに二回とも強制参加させられた挙句、二回とも強制的に例の衣装へと着替えさせられたのだ。気づいたらここへ足を運んでしまっていた彼の、諦めを通り越した菩薩のような表情にも納得がいくというものだろう。――もちろん、今回こそ逃げ切ってやる、とも思っているのだが。
「……まあいいや、とりあえず復興だよ復興」
 喪血ノ王を包囲し、今にも戦いを始めようとしている面々を視界の片隅に見やり、その中に思う存分昂っているゲールハルトの姿を認めて顔を引き攣らせつつ、鰍は店内の片づけに取りかかる。
「あ、手伝うよ、テューレンス」
 鰍は、小さな子どもほどもある大きさの、翠から青、青から紫、紫から桃色へと変化する不思議な岩を動かそうとしているテューレンス・フェルヴァルトに声をかけた。
 庭に突き刺さっていたナレンシフは、神楽の影に潜む七ツ眼の影竜によって撤去されている。しかし、ぽっかりと空いた穴を埋め立てたり、吹き飛んだ庭石をもとの位置に戻したり、倒れたり傷ついたりした植物を整えたりするなど、やることは多い。
「うん、ありがとう。早く、元の姿にして、あげたい、から。テューラ、頑張るよ」
 穏やかに微笑むテューレンスは、二足歩行の竜と妖精、少年と少女、そのすべての中間のような、不思議とやわらかい雰囲気を持つツーリストだ。音楽をこよなく愛するこの人物は、『エル・エウレカ』にも思い入れがあるようで、出来る限り復興の手伝いがしたい、と考えているらしかった。
「テューレンスはここの常連なんだっけか?」
「そう、だね。この店の、雰囲気。とても、好き、なんだ」
「ああ、うん、アレさえなけりゃ、ほんといいとこだとは思うよ。ここの菓子、家族が好きでさ」
 アレとはもちろんアレのことである。
 ほとんど運命に仕組まれているとしか思えない確率で喰らっている鰍が言うのだから間違いない。
「まあ、これ終わったら、今年もハロウィン菓子詰め合わせがもらえるみてぇだし、頑張るかな」
 自分に言い聞かせるように鰍がつぶやくと、テューレンスはこくりと頷いた。
「……あっち、も、大変そう、だね?」
 テューレンスがちらりと見やった先では、ブリーギットが、またしても雄々しいまでの勢いでジャパニーズ・ドゲザを展開している。足元に割れた植木鉢が転がっているのを見れば、事情は一目瞭然である。
 小さなクニを護る産土神の一柱だったというブリーギットに、人間の営みのアレコレは少々難しいのかもしれない。
「申し訳……申し訳ございませ……ッ」
 仮にもカミサマなのになんでそのネガ思考、というツッコミはさておき、何度目かの五体投地を繰り広げようとするブリーギットだが、そんな彼女をやさしく止めたのが、有翼の女将軍、アマリリス・リーゼンブルグだった。
「あ、あなたさまは……」
 アマリリスは、ブリーギットの白い繊手をやさしく、掬い上げるように取り、身体を起こさせて、肩を抱きながら睦言のごとくにそっとささやくのだ。
「私はアマリリスだ、可愛いひと。どうかその手を、顔を上げてほしい。貴方にそこまで謝られては、火城たちも貴方の仲間も、貴方が心配で心配でたまらなくなってしまう」
 女性なのにイケメンオーラ駄々漏れのアマリリスに、ブリーギットの眼がいわゆるハートマークになる。アマリリスの、吸い込まれそうに深く青い双眸がブリーギットを見つめると、氏神姫の紫の眼が羞恥と照れと感激に潤んだ。
「し、しかし、わたくしは……」
「お互い、この激しくも苦しい戦いを生き延びた命。取り合う手があるのなら、今はともに、この時を全力で楽しもうじゃないか。……そうは思わないか?」
 アマリリスが茶目っ気たっぷりにウィンクをしてみせる。大輪の薔薇ならぬ、大輪のヒッペアストルムのごとき華やかさと艶やかさを持つイケメンオーラに直撃されて、ブリーギットの頬が薔薇色に染まった。
「テューラも、そう、思う、よ? そんな、気にしなくて、いいんじゃない、かな。その、傷跡を、残さないため、にも、復興、頑張ろう」
 テューレンスが穏やかに微笑むと同時に、激しすぎるジャパニーズ・土下座に各方面から突っ込みたくて仕方なかったらしい有馬 春臣先生が深々と頷く。両手がわきわきと動いているのは、ツッコミ衝動の名残であるらしい。
「まあその、アレでソレだよ、コレはドレでソコカシコで、まあつまるところそういうことじゃないか?」
「有馬さん、動揺のあまりなのかは知らないけど、全体的に代名詞ばっかりになってる」
「うむ、鰍くんはよいところに気がついたな、さすがだ」
「あっそこ褒める部分なんだ……」
 鰍がいっそ感心する間に、有馬先生はブリーギット一行の診察と治療を始める。流れるような自然さで、あまりにてきぱきと手際がよかったものだから、ブリーギットですら遠慮する暇とてなかった。
「ふむ、大きな傷を負ったものや、ひどい体調不良を抱えているものはいないようだ。ただ、疲労は確かにあるようだから、栄養のあるうまいものを食べてよく休むようにしてくれたまえ」
 ひととおりの診察と手当てを終えた有馬先生は、いつもの不気味オーラをオフにしているものだからずるいくらいに格好いい。ブリーギットの身内の女性たちが頬を赤らめたのも理解できるというものだ。
「あ、あ、あ」
「……あ? どうかしたかね?」
「ありがとうございますうううッ!!」
 しかしながら、ブリーギットは通常運転だった。
 バチコーン! という派手な音をさせつつ顔面からの土下座である。
「うむ、素晴らしい土下座だ。我が内なる嗜虐心が疼……おっと蚊だ!」
 変態先生の呼称に相応しく、そちらへ踏み込みかけたところで我に返り、思い切りよく自分の頬を叩く。こちらも、スパァン、という威勢のいい音がした。
「ふう……危なかった、いかんいかん」
「うん、有馬さんの脳内で何が行われたのかは訊かねぇでおくわ、俺の心の平穏のためにも」
 爽やかに遠い目の鰍がアルカイック・スマイルを浮かべる中、有馬先生は旅団員たちひとりひとりに声をかける。各人の弱っている部分、気をつけるべきことなどをこまごまと説明し、アドバイスしたのち、後日女性たちがアレは本当にずるかった、と溜息をついたほど麗しく穏やかな笑みで、
「何であれ、君たちが無事でよかった。アマリリス君の言うとおり、せっかくこうして出会ったのだ。この佳き時間を楽しむことで、精神の充足をはかることは大変有意義だと思うのだが、どうかね」
 そう、締めくくった。
「はい……皆さまのご厚意に、不肖ブリーギット、感謝いたします……!」
 ブリーギットをはじめ、ハラハラしながら彼女の土下座を見守っていた身内たちにもホッとした空気が流れる。
「お嬢さ~ん」
 と、そこへやってきたのが、マスカダイン・F・羽空だ。
 この、コンダクターではあるはずなのだがどうにも不思議な雰囲気の、よくいえば明るくとっつきやすい、悪く言えば愛想がよすぎてうさんくさい青年は、外連味たっぷりのしぐさで肩をすくめてみせた。
「ハ、その程度の行為で罪を贖おうなんざ笑わせる。まだまだ、なっちゃいない」
 羽空に、しかし敵意や悪意は感じられない。なにか考えがあるのだろう、と周囲の面々が様子を見守る中、ククク、とキメ顔で笑った羽空は、
「お嬢さんにはこの生粋の大和男児マッスーさんが真のドゲザをお目にかけますのね……!」
 アッそっち方面の方でしたか! と突っ込まずにはいられない宣言とともに、マスダさんは跳躍の体勢に入った。
「無我にして滅私奉公人生・頭ひとつで数々の修羅場をかいくぐった、華麗なる土下座フォームを見るがいいー!」
 ズッギャアアアアァンン!!
 耳をつんざく轟音とともに、なぜか周囲に花が咲き乱れる。
 飛び込みの体勢からの全肉体投げ出しに続き、顔面を地面に擦りつけつつ若魚のようにしなやかな動きで身体を丸めて一回転させ、見事なまでに四肢を縮こまらせた完璧なるジャパニーズ・土下座を完成させる。
 いったいどこでどう何を習えば習得できるものなのかは、残念ながらマスダさん以外には知る由もない。土下座にはありえない大音響および特殊効果に、常識的な面々がびくっとなる。
 が、ブリーギットは少し違った。
「何という美しいフォルム……そして無駄のない動き……! ああ、まさか、かような地であなたさまにお会いできる日が来ようとは思ってもみませんでした、土下座神さま……!」
 その神さまはどういう理由で生まれたんですか、と誰もが設定について脳内裏拳を炸裂させずにはいられない名をつぶやき、目を輝かせる。――何かおかしいことに、ブリーギット自身は気づいていないし、彼女の身内たちもそれが普通なのか指摘すらしない。ツッコミ面子の内心を吹き荒れる嵐、押して知るべし。
 有馬先生などはその最たる存在で、
「……今の音は土下座の効果音としては正しいのかね? というか、どの器官のどの部位があの音を発生させたのかね?」
「いやぁ、前回のハロウィンじゃ、怜生がゲールハルトを殴った音がアレだったからなぁ……まあ花が咲いたのは不可解だけど、アレだ、カボチャ大魔王だかのお力添えじゃね……?」
 やや投げやりな鰍とは対照的である。
 そんな中、
「まあ、そういうわけでさ」
 何事もなかったようにマスダさんが起き上がる。裾をぽふぽふと叩いている辺りが妙に日常的だ。
「必要以上の償いを押し付けたら、相手だって困っちゃうよ。奪ったことを悔やんでるのなら、許されることを求めるんじゃなくてさ。うずくまってる間があったら、立ちあがって、壊してしまったぶん、与えることで返そう?」
 羽空の眼差しは、言葉は、真摯で穏やかだ。
 ブリーギットが感じ入ったように頷いている。
「……はい、土下座神様」
 名称は間違っているが。
「地面とばっかりお話ししてたら、向き合う人もわからなくなっちゃうしさ。まあ、そんなわけで、復興に向けて働く英気を養うタメにもいっしょにおもち食べるのね! はい、みたらし!」
 言いつつ、ギアで限りなくみたらしに近いフレーバーのシロップをだばだばと精製する羽空には、むろんツッコミが集中する。
「まだ早いから!?」
 なにせ搗き上がってすらいない。
 とはいえ、彼らの一連の声掛けのお蔭でブリーギットは復興への意欲を燃やし、その身内たちも積極的に作業へと加わり始めた。
「ま、そんな感じでいっしょに炊き出しやんねぇ? 謝るばっかじゃ非生産的っての、よく判っただろうし」
 身体の温まるものをつくろう、などと思いつつ、鰍は、ブリーギットたちに声をかける。
「旅団と図書館の関係もさ、そうやって手を取り合っていけばいいとか、そういう風に判り合えればいいとか、俺は思うんだよな」
「はい、本当に。皆さんとお会いできたわたくしたちは、幸せ者です」
 ようやく心からの笑顔を見せるブリーギットたちとともに豚汁づくりなどに従事する。匂いをあちこちに拡散させ、炊き出しの存在を知らせるために、これらはすべて『エル・エウレカ』の店先で行われている。
 それが功を奏し、炊き出しの匂いに惹かれてやってきた少女、黒葛 小夜が手伝いに加わった。
「小夜様のそのえぷろんとやら、たいそう似合ってらっしゃいます。とてもお可愛らしゅうございますね……!」
 初めて見るらしく、こんにゃくを物珍しげに千切りつつ、ブリーギットが小夜を褒めちぎる。
 この中では最年少の小夜は、愛らしいエプロンを身にまとい、食材を丁寧な手つきで切ったり刻んだりしている。おとなしげな容貌ながら、褒められたり労われたりした時に見せるはにかんだ笑顔はブリーギットのいうようにたいそう可愛らしく、厨房の一角に可憐な花が咲くかのようだ。
 その他、特大のシチュー鍋を苦労しつつかき回したり、誰かがこういうときは果物を食べればいいといったのもあって大量にフルーツヨーグルトをつくったり、手の空いた人々が握ったおにぎりのいくつかを焼きおにぎりにジョブチェンジさせたりと、幼い小夜がくるくると立ち働くさまは、とてつもなく微笑ましい。
「よく働くな。大丈夫か? 無理はしなくていい」
 ちらほらとやってくるターミナルの住民やナラゴニアの人々へ、笑顔でシチューや雑炊、豚汁を配る彼女へ、デザートを所望されどでかいアップルパイを焼き上げてきた火城が声をかける。
 小夜は雑炊をよそう手を一瞬止めて、言葉を選ぶ表情になった。人見知りをする少女だが、顔は怖くても気持ちはやさしい男だと判るからか、火城に対して物怖じする様子はなかった。
「……あのね、わたし、ナラゴニアに行ってみたの」
 そこには、小夜となんら変わることのない普通の人々がいて、ごくごく普通の日常を営んでいた。そこにある『普通』は、小夜が思い描きいつもそうあってほしいと願うものとなんら変わりがなかった。
「わたしがそうだからこそ思うのかもしれないけど、ナラゴニアの人たちだってもう争いはたくさんだと思ってるんじゃないかしらって。こうなったことはもう変えられないんだし、それなら争うより、新しい生きかたを探すほうがいいって思っている人も少なくないんじゃないかなって」
 笑顔で、誰かがこしらえた熱々のうどんを配り、
「まだまだ、今すぐ仲よくしましょう! って素直になるのは難しいかもしれないけど、時間が解決してくれるものはたくさんある、って聞いたこともあるから。だからね、わたし、世界樹旅団の人たちが来たら、笑顔でおいしいものを配りたいな、って思ってるんだ」
 にっこり笑ってお箸を手渡す。
 元旅団員らしい少年が、はにかみながら受け取り、礼を言って去っていく。
 その背を見送る小夜の眼はとても優しい。
「美味しいものを食べると、不安も疲れも和らいでいくから」
「なるほど」
「……不安なことはたくさんあると思うの。わたしも、ファミリーとかチャイ=ブレとか、気になることがいっぱいあるから。でも、身体を動かして、何かに集中していれば気も晴れるし、それが誰かのためになるなら素敵なことだとも思うから、頑張るね」
「はは……そうか。小夜はいい子だな」
 目元を和ませた火城が、少女の頭をそっと撫で、切り分けたアップルパイを小皿に取り分けて小夜の前に置く。
「これが終わったら、小夜も休け――……」
 火城が言いかけたところで、

 ぼぅううんんん。

 厨房から派手な爆音が響き、ふたりは顔を見合わせた。
「なんだ、また誰か土下座でもしたのか」
 すでに何かを心配しようという気持ちすら失っているらしい火城が厨房の様子を見に行く。小夜は、その背を見送りつつ、温かいものを求めてやってきた人々へ、熱々のシチューと焼き立てパンを配るのだった。
 人々は、彼女の笑顔に癒され、心までほっこりさせて帰ってゆく。

 ちなみに、熱心に志願してゲールハルトに料理を教わっていたものの、驚異の不器用ぶりで鍋を爆発させ意気消沈したアマリリスが、この場を皆に任せて喪血ノ王との闘いへと出かけてゆくのはそこから数分後のことである。



 2.貧乏くじはいつだって

 トバイアス・ガードナーは深く考え込んでいた。
 『エル・エウレカ』の軒先、少し離れた位置で糯米の塊が蠢くカオスな空間である。
「……やはり、おかしい」
 トバイアスの頭の中では、同居人の少年の、肩を落とした姿が何度も再生されていた。
 こんなチャンスはそうそうない、と、いつもなら、トバイアスが大人げなく怒るような、他愛ないいたずらをしかけてはお菓子をせしめていきそうな彼が、今年はその双方に言及しなかったのだ。
 理由なら、本人に問うまでもなく判っている。
 彼は、0世界の惨状にひどく心を痛め、無力な自分に落胆し、傷ついているのだ。それは別段、彼が負うべき責ではなく、また、おそらく、この場所を愛する誰もが、少なからず抱いたであろう感情でもあった。
 それゆえに、トバイアスは、彼を力づけたい、なんとかして元気になってほしい、そう思いながら、何かいいものはないかとターミナルを歩いていたのである。
 そんな彼の視界に白い塊が飛び込んできた。
 驚いて我に返り、周囲を見渡してみて、ここが友人の馴染みの店だと気づいた。
「『エル・エウレカ』……そうか、ここがテオドールの言っていた」
 つぶやきに咆哮が重なって、トバイアスはびくっとなる。
 とっつきにくい強面に反して、中身は陽気でお人好し、世話好き、そして実は三枚目寄りというトバイアスである。恐る恐る、咆哮の主を見やり、それが合体した糯米と察して思わず拳を握った。
 無意識に全力で――そう、横から滑り込みながら裏拳を放つ、といった――突っ込みそうになったのを理性で押し留め、現状の把握に努める。
「ドMなお餅かー、何というか、トチ狂ってるねぇ。さすがは0世界」
 しみじみ、といった風情で、トバイアスと同じく咆哮する糯米の塊を眺めているのは、“化かし屋”のアストゥルーゾと、
「もち? アレが? ……あの、なんか、しゃげーとか鳴いて、しかも動いてるアレが、もち? ……もち、なら食えるんだよな……?」
 据わった眼で怪物を睨み据えている――ときどきお腹が盛大な音を立てて鳴る――、カラカルの姿をした悪魔、テリガン・ウルグナズである。
「あの……」
 トバイアスが事情を尋ねるために声をかけたのは当然とも言えた。
 アストゥルーゾは親切にもここへ至るまでの経過を説明してくれたが、
「もち……うおー、もちー!」
 トレインウォーで無償契約を結び過ぎ、ナレッジキューブもナントカいう兵器にすべてつぎ込んでしまい、腹を減らしていたというテリガンは、辺りに転がっていた杵を引っ掴むや、
「腹減ったー食わせろー!」
 杵をぶんぶん振り回しながら喪血ノ王の正面へと突っ込んで行く。
 空腹のあまり、作戦もへったくれもなくなっているのだろう、真正面から飛びかかったテリガンは、杵で搗くという餅つきのセオリーを飛び越えて、そのまま喪血ノ王へと食らいついた。
「あつつッ、熱いッ! けど、何もつけてないのにうまいよコレ!」
 脇腹のあたりに噛みついて、ひたすらもぐもぐしている。
 蒸した穀物が放つ快香が、トバイアスの鼻孔をもくすぐった。
 しかし、いかにマイルドになったとはいえ喪血ノ王は喪血ノ王である。ただで食べさせてくれる、甘い存在ではないのだ。
 案の定、喪血ノ王は腕とも触手とも取れぬ部分を伸ばすとテリガンを引っ掴み、牙の生えそろった凶悪な口を大きく開けて、食いちぎった餅を夢中でもぐもぐしているテリガンをひと息に飲み込んでしまった。
「むぐぐ、むがー!(だったら内側から喰らい尽くしてやるもんねー!)」
 そんなテリガンの言葉が通じたのか通じていないのか、ややあって、ペッ! とばかりに吐き出す。受け身を取る体力さえ残っていないテリガンは、餅のこびりついた憐れな姿で放り出され、地面を転がる。
「あーもーなんだよー、もっと喰わせてくれたっていいじゃないかよーケチー!」
 力尽きたのか、その場でごろごろもだもだし始めた。
「腹減ってるんだよー、このまま腹ペコ状態が続くと他の連中に問答無用で噛みついちゃいそうだから早く何とかしたいんだよー」
「ええと、その、何だ。俺が餅にしてくるから、あんたは出来上がったのを食べればいい。それまで休憩しているってのはどうだ?」
 トバイアスが思わず声をかけると、テリガンの顔がへにゃへにゃっと笑みになった。
「マジ? オイラ待ってていい? ホントもうこれ以上は無理。じゃあよろしく……ええと」
「トバイアスだ」
 安心させるように頷き、トバイアスは杵を拝借する。
 その隣で、アストゥルーゾがくすくす笑った。
「お人好しだねぇ、お兄さん」
 いつの間にか、可憐で麗しい少女の姿になっている。
「……その恰好は?」
「ん? いやほら、雰囲気的に、幼女・少女に責められたら喜ぶのかなってさ」
「はあ……そういうものか」
「そうそう。せっかくだから、ねぶるように嬲るように美味しくいただかなきゃ失礼だよね? ね?」
「いや、同意を求められても」
「えー、天地開闢級の真理だと思うんだけどなぁ」
 どこまで本気か判らない口調で言ったアストゥルーゾの身体が、ゆっくりと変化してゆく。
「ま、ということでお餅搗くよ! 来いよ餅野郎!」
「……男なのか、アレは?」
「ノリと勢いだから突っ込んだら負けです!」
 雄々しく胸を張るアストゥルーゾの左右の手がハンマーのかたちになった。そして背中には三対の触手が伸びると、その先にハンマーが六本あらわれる。
「これぞお正月餅つき殺法、容赦なしの構えで行くよ!」
「……まだ、一ヶ月ほどあるけど……」
「ノリと勢い以下略! 細かいこと気にしてると禿げるよ!」
「!?」
 いきなり頭髪に関わる指摘をされ、耐性のないトバイアスは思わず両手で頭皮を押さえる。アストゥルーゾはそのまま喪血ノ王へと向かって行ってしまったが、若干の精神的ダメージを喰らったトバイアスはしばらく強面無表情のまま身悶えていた。
 男性諸氏にとって、毛とか髪といったものは非常にナイーブかつデリケートな問題なのである。
 驚きの上がり跳ね上がった――全長十メートルの毒竜が目の前に現れたとてここまで激しく脈打ちはすまいというような――心臓をなだめながら、テリガンとの約束を果たすために自分も、と踏み出そうとしたトバイアスから少し離れた位置で、体育座りをした鹿毛 ヒナタが盛大に愚痴っている。
 はあああああ。
 こぼれる溜息に、お人好しのトバイアスはやはり放っておけず、
「……どうした?」
 杵を担いだまま問いかける。
 モノトーンの衣装をまとった、スタイリッシュな雰囲気の青年は、トバイアスをちらっと見やり、また深々と溜息をついた。
「いやさ、ホラ、世界計大破でまさかの帰宅難民じゃん、コンダクター。ひとり暮らしの社会人ならなんとかな……ってなかっただろうな、うん、とりあえず親とか学校とかバイト先とか彼女とかさあ、なんて釈明すりゃいいの教えて人生の大先輩! って脳内のセンパイと会話してたとこ」
「……ああ、なるほど」
 脳内先輩云々はさておき、我が身に置き換えて考えてみれば、ヒナタ青年の苦悩は手に取るように判る。流れの冒険者、根無し草の剣士だとて、仕事をほったらかしにして一ヶ月も二ヶ月も行方をくらませたら、人生の大切なものをいろいろと失いかねない。
「それは、人生の危機、ってやつだな」
「そゆこと。俺史上最大最悪の危機だよ……とめどなく不安と焦燥が湧きあがるよ……」
 愚痴というより独語めいた言葉をこぼし、むにんもにんと伸び縮みする喪血ノ王をじっと睨み据えていたヒナタは、ややあってすっくと立ち上がった。
「あーもー、やってらんねーわー」
 彼の足元には、『エル・エウレカ』から拝借してきたらしい杵が、なぜか六本、転がっている。打ち水用か、杵を濡らすためだろう、水の入った桶も置いてある。
「この、とめどなくあふれだす不安その他もろもろを紛らわすためにも、餅でも殴って美味いもの食うしかねーっしょ……まあ俺が直接手を下すわけじゃないけど。なんにせよ、考えすぎたらマジつぶれるわ……」
 再度、深々とため息をつき、ヒナタがサングラスを装着する。
 と、彼の影が縦横無尽に蠢き、
「さて、本日影で作製する造形はこちら! 三面六臂の阿修羅像ー!」
 ヒナタが大げさな身振りで紹介する間に、三つの顔と六本の腕を持つ、華奢な中に強大な力を感じさせる美しい造形が影によってつくりだされた。どうやら、あのサングラスはトラベルギアで、影を操って作業をしたり攻撃をしたりできるらしい。
「へえ、美しいな」
「おっとお褒めの言葉感謝! 見た目華奢でも鬼神の名に恥じぬ動きと威力かますよ! あと、相手がドMらしいから、女王様風ボンデージスタイルにアレンジしてみた。……神仏と国宝への冒涜とか聞こえない!」
 全身を艶めかしい黒に覆われた(だって影だもの)阿修羅像が、六本の手それぞれに杵を握り、優美な姿かたちに似合わぬ荒々しさで喪血ノ王へと向かってゆく。
「さあ純白の悪魔よ、ひざまずいて帰依するがいいー!」
 ノリノリのヒナタに触発され、トバイアスも純白の悪魔こと糯米を餅にすべく、戦場へと飛び込もうとした。
 ――その辺りで悲劇が起きた。
 彼らの視線の先では、すでに何名かが喪血ノ王と戦っている。
「皆さぁん、打ち水手伝いますねぇ!」
 『エル・エウレカ』の店内から姿を現した川原 撫子が、トラベルギアである散水用ホースつき小型樽から勢いよく水をぶちまける。
 魔法攻撃は効かない仕様の喪血ノ王だが、餅として美味しくいただくための動作であるならば魔法的な現象であっても問題ないらしく、白い塊はむしろ心地よさそうに降りしきる水を受けた。
「じゃあ、お餅、楽しみに待ってますから、よろしくお願いしまぁす!」
 まんべんなく水を撒いたあと、溌剌としたウィンクを残して撫子が引っ込むと、戦いはさらに本格化した。
 前述のアストゥルーゾ、ヒナタの操る影阿修羅のほか、『バールのようなもの』でタコ殴りにする羽空、冷静な視線で喪血ノ王の動きを観察しているアマリリス、溜息交じりの鰍や、若干腰が引けている音成 梓の姿もある。
 ちなみに、梓の腰が引けているのは、喪血ノ王との戦いに怯えているのではなく、とんでもなく興奮したゲールハルトが参戦しているからだ。むろん、いつもの正装こと、魔女ッ娘衣装に身を包んでいる。フリフリフワフワのスカートからのぞくたくましい太ももが眼に痛い。
 男性の大半は、この魔女ッ(男の)娘オッサンが振り撒く災厄について熟知しており、戦々恐々としながらの、喪血ノ王との対戦を余儀なくされている。ここで名誉ある退却というか、「ビームが怖いから戦わない」という選択が許されないところが、この空間の恐ろしいところである。
 そのため、とにかくゲールハルトの視界に入る=ビームを喰らう範囲に入るまいと、非常に不便な戦いを強いられてもいるのだった。
 そんな中、
「魔女ッ娘……? 魔女ッ娘だとぉ!?」
 まったく別の意味合いでエキサイトしているのは、背中に大きな蜘蛛脚を持つ、少女の姿をした悪魔こと蜘蛛の魔女だった。
「それって魔女の天敵じゃないの!」
 何やら魔女の世界も複雑らしく、蜘蛛の魔女はご機嫌斜めである。
「この蜘蛛の魔女様の前でそんなフシダラな存在をチラつかせるとはいい度胸だ! 生かしては返さnギャー!」
 鼻息荒くまくしたてる蜘蛛の魔女の語尾が雄叫びになったのは、
「おお、貴殿は魔女殿か! 世界を異にする同胞と出会えるとは、不肖ゲールハルト、感激の極みッ!」
 むしろ喜びに打ち震えたゲールハルトの眼から、直径一メートルばかりの魔女化ビームがほとばしり、蜘蛛の魔女を飲み込んでしまったからだ。
「ななな、なんじゃこりゃああああ!?」
 光が収まると、そこには、ガンメタブラックなエナメル製衣装をまとった、チョイわる魔女少女が爆誕している次第である。源氏名をつけるならアレニエーラさんだろうか(アレニエは仏語で蜘蛛の謂)。
 背中の蜘蛛脚の先端はおもちゃ屋で見かけるようなピコピコハンマーに変化しており、蜘蛛の魔法なる特殊能力、手から蜘蛛糸を無限に出すというそれは、代わりに水が出る仕様へと変化している。糸の代わりに水がチョロチョロ出る様はなんだか物悲しい。
「くっ……まあいいわ。こういうのは真っ向から挑むから楽しいの。モチノオーだかスサノオーだか知らないけど、要は完膚なきまでに叩きのめせばいいんでしょ? 私にかかればお茶の子さいさいだわ!」
 凛々しくきっぱりと言い切ってから、ピコッ、などと可愛らしい音を立てる蜘蛛脚を見つめて、
「ええと……うん、お茶の子さいさい……かな? だよね?」
 弱々しく誰にともなく尋ねてみるのもなんだか物悲しい。
 しかしトバイアスには、それを慰める余裕も、大丈夫だと励ます暇もなかった。
 一部始終を見ていたヒナタが、ぎこちなく振り返るトバイアスに、
「ええと……その、ゴシュウショウサマ……?」
 アルカイック・スマイルを向けるのを見れば判る通り、蜘蛛の魔女を直撃したビームが、その直線上にいた彼をも飲み込んでしまったからだ。
 当然、次の瞬間には、魔女ッ(マッスル)娘トビーナさんが降臨してしまっているわけだが、衣装というのはもちろん、黒地に赤と橙の配色がなされた精緻で華麗な装飾を施された例のアレである。着る人間さえ選べばたいそうさまにはなるのだが、筋骨たくましい堂々たる体躯に膝上二十センチのフェティッシュなゴスロリ風ワンピースをまとわされたトバイアスの動揺たるや推して知るべし。
「……うん。肉体美と装飾美の不幸な出会い、って感じ?」
 何気ないヒナタのひとことが臓腑を抉る。
「いや……うん、話は聞いている。ゲールハルトが血筋を大切に思う気持ち右あ、誇りの象徴である魔女装束をまとうことは理解するし、尊重もしなくっちゃな、うん。……うん」
 無意味に頷く。眼があちこち泳ぐ。
 正直言って、下半身のスースーっぷりが怖い。
 そして周囲の視線が痛い。
 魔女のゲールハルトがまとうならともかく、自分が着てもどうにもならない、と落胆していたトバイアスだったが、以前、「あれは試練なんだ」と友人が言っていたのを思い出し、ハッと目を見開いた。
「……そうか。あいつが耐えたなら、俺だって……!」
 背中を預けて不安のない戦友とも、互いに切磋琢磨する好敵手とも言える金眼の青年、某美魔女ッ娘ことテオドラさんの言葉を胸に刻み、トビーナさんはぐっと拳を握る。奮起したと言っていい。
 そして、そのまま、杵を握り締め、同じくピコピコハンマーと化した脚を振り上げて突っ込んで行く蜘蛛の魔女とともに、喪血ノ王へと突っ込んで行く。
「おっ新規参戦ありがた……ぎゃああ被害者一号二号出たー!」
 その先で、身も蓋もない悲鳴を上げるのは鰍である。
「へええ……モチツキっていうのは、なかなかに不可解な行事なんだね……思っていたより、アグレッシブだし」
 餅つきについてまったく知らず、どんどん勘違い知識が蓄積されていくのはシューラ。
「おお、皆、大層美しいのう! その衣装の精緻なことと言ったらどうじゃ。皆の美しさを、衣装がさらに高めてくれておる。わたくしも機会があるならば身に着けてみたいものじゃ」
 輝く笑顔で魔女ッ(漢の)娘化した面々を褒めたたえる――本気だと判るからタチが悪い――、こちらは正統派美少女なのでむしろあなたが着てくださいと誰もが祈ったのは、ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノだ。
「シューラ殿は、餅つきは初めてなのかの?」
「うん、そうなんだ。本当を言うと、料理が好きだから、炊き出しの手伝いに来たんだけどね。見ていたら、こっちのほうが面白そうだと思ったから。杵……というもので、搗くんだよね?」
「うむ、そうじゃ。手際よく搗けば搗くほどおいしくなるのじゃ」
「なるほど……じゃあ、ちゃんと杵で行くよ。これで、あれを殴ればいいんだよね?」
 にたり、と笑った顔は凶悪というか不気味というか、シューラという器にいくつも存在する無数のアレクサーンドルとアレクサーンドラの中の、殺人鬼として生きていた個体の精神が発露したものらしく、非常に冷ややかで寒々しい。気配に聡いものなら、ただものではないことを察しただろう。
 が。
「モチツキのことはよく判らないけど……うん。これは、楽しそ、」
 みなまで言わぬうちに、流れ弾ならぬ流れビームがシューラを直撃する。
 諸悪の根源ゲールハルトが、興奮冷めやらぬままにこうべを巡らせたことから起きた悲劇だった。
 大元のシューラは、両性の、男女どちらとも取れる身体つきであり顔つきだし、男性にも女性にもなれる肉体の持ち主でもあるから、中性的な肢体にシックなゴスロリ風衣装をまとわされる程度ならダメージは少ないだろう、と思うかもしれない。
 しかし、実を言うと、このシューラの中には男性の魂である無数のアレクサーンドルがいるため、
「……うっかりしてた」
 現在、内部は大騒ぎなのである。
 自分が魔女ッ娘になってしまったと知って、あちこちから絶叫が上がる。
 膝上二十センチのスカートの、裾をしきりに気にしているものもいる。混乱のあまりワタシキレイ? とか言い出すものもいれば、ぺしゃんこになって沈黙しているものもいる。とにかく人目に触れる前に撤収しろという声と、もう見られてるよ、という涙声が行き交う。
 そんな内面が、シューラ以外に伝わることはないが、
「ごめん、ちょっとしばらく戦力にならないかも。中がね、静まらないと、身体があべこべに動く可能性が」
 なんだか妙にかくかくとした動きを見れば、何かが起きたことは一目瞭然だ。というか、一度でも被害に遭ったもの、これから被害に遭いそうなものからしてみれば、明日は我が身なので恐ろしさもひとしおである。間違いなく自分も同じ動きをする、と断言するものさえいる。
「そうか、ではわたくしが時間稼ぎをしよう」
 事情を察したわけではないのだろうが、ジュリエッタがうむ、と頷く。
 それと同時に、彼女はオウルフォームのセクタン、マルゲリータを空へ放った。
「ふふふ、力や武器では敵うはずもないのでのう。ここはあえて、素早さを活かした囮役になるのじゃ!」
 マルゲリータが上空から喪血ノ王の動きを伝えてくる。
 巨体に似合わぬ俊敏な動きは充分な脅威だが、じっくりと観察していると、次の動きが漠然と把握できるようになってくる。基本的には、動きの大きい、速いものを追尾するようになっているらしいのだが、強い打撃を与えたものを追う習性もあるようだ。
「しかし、わたくしがカルタ大会に出ている間に、このような激戦があったとは」
 遠い目をしていた火城を思い出しつつ、ジュリエッタは一番小さくて軽い杵を担いだ。
「火城殿のご苦労、察するに余りあるのう」
 火城殿の胃に穴が空く前にあれを餅にしてやらねば、という義務感とともに飛び出す。喪血ノ王の真正面へ突っ込めば、鞭のようにしなる腕がジュリエッタを叩きのめそうと言わんばかりに振り上げられ、薙ぎ払われるが、マルゲリータからの視覚情報によって、事前にそれを察知していた彼女は、軽やかなバックステップで避け、喪血ノ王の背後に回り込むと杵を叩き込んだ。
 心地よい手ごたえが伝わってくる。
「うむ……これぞ餅つき!」
 怒りの咆哮が上がり、喪血ノ王がジュリエッタを追い始める。
「無理をしてはいけないよ?」
 イケメンオーラをまき散らしながらアマリリスが喪血ノ王追撃の体勢に入り、
「よっしゃ、ナイスアシスト! この蜘蛛の魔女様が、ジュリエッタちゃんの心意気を受け継いでモチノオーを完膚なきまでに叩き潰してやるわー!」
 ピコピコハンマーな蜘蛛脚をわっさわっさ揺らしながら蜘蛛の魔女もそれに倣う。
 その他の面子が、ふたりと同じくジュリエッタの意図を察し、攻撃態勢に入るのを確認して、追い縋る喪血ノ王を完全に振り切ってしまわないように注意しつつ、ジュリエッタは走り出した。
「ほれ、喪血ノ王よ! そのように粒々が残っていては、餅なのにまったくもち肌ではないという奇妙なことになってしまうであろう。何より、かように面妖な顔のままでは見た目にも美味しくなさそうじゃ。わたくしがそなたを小突き回して餅にして進ぜるゆえ、おとなしく食べられるがよい!」
 本人は素である。
 が、喪血ノ王的には『罵詈雑言による言葉責め』スイッチが入ったらしく、なぜだか表面がほんのり薄紅色に染まった。――悦んでやがる。
 気をよくしたジュリエッタが、清楚かつ愛らしい唇から無意識の言葉責めを放つのを見やりつつ、音成梓はいまだに戦々恐々としている。
 はああああ、と溜息をついた、と思ったらそれは自分ではなく、隣の鰍のものなのだった。
「喪血ノ王か……まあうん、うまかったけどさ……」
「あれッかじかじさん、経験者だっけ?」
「言っても無駄だと思うけど一文字多いからな。いや、正月のアレで、家族が持って帰って来てくれてさ。――糯米を」
「ああ」
 そこですべてを察して、梓は菩薩の顔になる。
「かじかじさんのことだから、きっと華々しいくらい貧乏くじ引いたよね?」
「……俺のことをすべて判っているような言い草はやめてくれないか。いや図星だけど、うん」
「引いてんじゃん」
「まあ、なんでか知らねぇけど執拗に追い回された挙句飲み込まれたよね……俺のギア、あいつと相性悪いから。あの感覚を味わうのは一度きりで充分だって、ホント」
「あー、チェーンはまずいよなぁ。力じゃ敵わねぇもん、引っ張られて距離つめさせられて飲み込まれて終わり、か」
 そもそも、多少戦い慣れはしていても、0世界の一般人ことコンダクターである。戦闘系ツーリストたちのような非常識な身体能力は持ち合わせておらず、また、目をビカビカ光らせたゲールハルトがあちこち動き回るのが怖くて、自然、ふたりは及び腰になる。
「いやほら、強いヒトたちが積極的に闘ってるわけだし。俺は非戦闘員に害が及ばないよう結界を張ったから、それでもう義務は果たしたかなーって。まあ要するにあんまり近づきたくねぇっていうか」
「それに関しては俺もかじかじさんに賛せ、」
「行ったぞ、ふたりとも!」
 梓がしみじみ言いかけたところで、ジュリエッタの鋭い警告が飛ぶ。
 ハッとなって前方を見やれば、やる気満々の面子に打ち据えられ、ずいぶん艶と丸みを増した――そして悦びに薄紅色に染まった――喪血ノ王が、凶悪な牙がぞろりと覗く口を大きく開いてこちらへと突っ込んでくる。
 逃げるか戦うかの選択肢をふたりが突きつけられたその時、
「危ないッ、鰍殿、梓殿ッ!」
 目を物理的に光らせながら、ゲールハルトが飛び出してきた。
 チラッチラッと、光が漏れているのを見て、梓も鰍も低い悲鳴を上げる。それを誰も責められまい。
「今お助けするぞ、しばし待たれよ!」
 象や熊のみならず竜とさえ素手で渡り合うという全身凶器のような肉体が隆起する。
 あの魔女ッ娘衣装が弾け飛んだら視覚的暴力のあまり死ぬ、そんな恐怖が込み上げて、梓は回れ右をした。もちろん、鰍もそれに倣う。ふたり同時に全力ダッシュ。そこへ追い縋る喪血ノ王、それを追いかける魔女ッ娘おっさん。そしてさらにその背後を、杵を担いだもろもろが追う、そんな地獄絵図。
「ふむ、『大きなカブ』の逆ヴァージョンのようじゃのう。ほのぼのする光景じゃ」
 そこにメルヘンを感じるジュリエッタ嬢最強説浮上中である。
 ジュリエッタは和んでいいかもしれないが、追われるふたりはこの世の終わりの気分である。
「え、なに、何で追っかけられてんの俺ら!?」
「知らねぇけど、ここで立ち止まったら何が起きるかは明白――って、ちょ、やめろ掴むな……ッ」
 救いを求めるように伸ばした手が鰍の腕を掴んだところで、梓は見事にけつまずいた。反射的にバランスを取ろうと鰍の腕を強く引っ張ったら、鰍の体勢が大きく崩れ、
「ぎゃーっ!?」
 ふたりは、もつれあうように転倒する。
 そこへ迫る喪血ノ王。
「鰍殿、梓殿ッ!」
 悲壮なまでの表情で叫ぶゲールハルトの眼がいっそうの輝きを増し、ふたりは引っ繰り返ったまま悲鳴を上げた。
「ぎゃー!? かじかじさん、俺を盾にすんのやめ……ッ」
「マキシマム・トレインウォーの恨みだ、悪く思うな!」
「思うよそりゃ……っていうか人を盾にしたくらいで防げるもんなの、これ!?」
 相手を盾にしようとか、押しのけてでも逃げようとか、むしろ生け贄に差し出すから自分は見逃してくださいとか、そういう大人げないやり取りを繰り広げるふたりの前で、
「なんと、我が身を犠牲にしてでも友を護ろうというのか……不肖ゲールハルト、感激致したッ!」
「そんな美談、どこにもねぇからー!?」
 脳内でストーリーをつくりあげていっそう昂ったらしいゲールハルトの眼から、ついにアレが放たれる。
「あーもう、結局コレか……ッ!」
 呻きながら鰍がギアを構える。
 くるりと回ったチェーンが結界を展開する。
 ビームが迫る。
「かじかじさんのそれ、光も防げたっけ!?」
「今までそんなことが出来たためしはねぇ! でもどうにかコレでお願いします!」
「誰にお願いしてんのー!?」
 しかし、鰍の祈りが通じたのか、結界が金の光をまとった。ビッカァ、とばかりに肉薄したビームは、何とギアの結界によって弾かれる。人間、必死になれば何でもできるとは名言である。
 が。
「やった、――ッ!?」
 ……その後、ビームは、光も跳ね返せる仕様に進化した結界上で乱反射して、結局ふたりを包み込みましたとさ。
 希望を掴んだと思った矢先のコレであるから、ダメージは当社比1.5倍である。光が収まった先には、呆然と座り込む鰍さん梓さんの姿があるのだった。
「見ないでくださいホント頼むから見ないで!」
 首まで真っ赤になったアンジュさんこと梓は、黒地に紫と銀のシックな魔女ッ娘衣装をまとわされている。恥ずかしすぎて半泣きである。お盆でスカートを押さえているが、膝上二十センチでは何とも心もとない。
「っていうかゲールハルトさんはセルフ対策しといてくださいッ!」
 上品な濃紺に黒で装飾のされたちょっと大人っぽい衣装をまとわされたカサ・ジーナさんこと鰍はすでに魂を飛ばしている。へんじがない、しかばねのようだ。
「ああ、とても美しいよ、皆。胸がときめいて、苦しいほどだ」
 満面の本気笑顔を浮かべたアマリリスが、最近使いかたを覚えたというデジタルカメラを構えてにじり寄ってくる。
「やめてッ、写さないで、人生の恥部ッ!?」
 梓の悲鳴が虚しく響く。
 ――無論、餅つきという名の戦いは続行中である。



 3.別世界なバックヤード

「そうか、まさか火城殿のところへ行くとはのう。口に合ったようで何よりなのじゃ」
 未だ悲鳴のやまぬ餅つき会場をあとにして、ジュリエッタは厨房での手伝いに精を出していた。
 なにせ、あそこから先は純粋な力仕事だ。腕力では殿方に劣る、ごくごく一般的な少女のジュリエッタが、囮としての役割を終えてこちらへ戻って来たところで、誰も文句は言えまい。
「ああ、おいしくいただいた。伝統菓子というのはやはりいいな、歴史を感じられるし、積み重ねられてきた味わい深さがある」
 ジュリエッタと火城が話しているのは、昨年のクリスマスに彼女が出したプレゼント、イタリアの伝統的クリスマス菓子パネットーネのことである。彼女のプレゼントが届いた先が火城だったのだ。
「そういえば、礼をせねばと思っていたんだ。どこかで聞いたんだが、ジュリエッタはよき伴侶というのを探しているんだったな?」
「うむ。面と向かって言われると照れるものじゃが、その通りじゃ」
「なら、これを進呈しよう。神楽が仕立ててくれたお守りだ」
 戸棚の辺りを探った火城が、小さな巾着を差し出す。
「そのような気遣いなど無用じゃ……と言いたいところじゃが、お守りというのは嬉しいものゆえ、ありがたくいただこう」
 受け取り、開いてみれば、そこには色鮮やかな石を用いてつくったブレスレットが入っているのだった。上品な濃い桃色の石、薄桃色の石、半透明な中に虹のような輝きのある石、高貴で神秘的な薄紫色の石に、束ねたシリコンゴムを通した、日常的に身に着けるたぐいのブレスレットだ。
「ほほう、これは美しいものじゃ。神楽殿は楽師と思うておったが、かようなこともするのじゃな」
「ミコというのはそういうものらしい。ロードクロサイト、ローズクォーツ、レインボームーンストーン、アメジストを使ったもので、これらは古代より女性や愛情のお守りとして珍重されているんだそうだ。これならきっと、ジュリエッタによい相手を引き寄せてくれるだろう」
 言われて、しげしげと見つめれば、それらはジュリエッタの掌で穏やかな輝きを放っている。彼女にスピリチュアルな何かをはかる力はないが、それでも、誰かの幸せのために編まれたのであろうそれに、温かなエネルギーを感じずにはいられない。
「それは、嬉しいものじゃのう。何やら、恋愛運が猛烈に上昇した気がするぞ……!」
 これで、素敵な伴侶をゲットなのじゃ、と、ジュリエッタが可愛らしく拳を握っていると、
「いやぁん、ブリーギットさんったら可愛いですぅ!」
 打ち水の手伝いを終えた川原撫子が、ブリーギットとともに厨房へ戻ってくる。ふたりとも、ゴスロリ風魔女ッ娘衣装をまとっているのは、どうやらゲールハルトに例のビームを浴びせてもらってきたから、らしい。
「ふたりして出ていくと思ったら、それか」
 火城が呆れ顔で鍋をかき混ぜる。
 スパイスのエキゾティックにしてかぐわしい香りが立ち上り、その鍋に入っているのが、火城が自分で調合したガラムマサラを使った特製のカレーであることを教えた。
「だってぇ、可愛い衣装でお給仕したかったですしぃ、ブリーギットさんの衣装を汚しても困ると思ったんですよねぇ。魔女衣装なら、汚れにも強いし防御力も高いし一石二鳥! じゃないですかぁ」
「おお、それは一理あるのう。あの衣装、確かに、一度は着てみたい麗しさじゃ。誰が着ても美しいが、美麗な女子が身に着けるとさらに見目よいものなぁ」
「ジュリエッタさんもそう思いますよねぇ!? ほんとブリーギットさん、美しいですぅ。っていうか、千二百年も生きてるなんて、つまりほとんど美少女で人生送ってきたってことじゃないですかぁ! いやぁん、勝ち組ですぅ、憧れちゃいますぅ☆」
 褒めちぎる撫子に、基本的に後ろ向きらしいブリーギットは恐縮するばかりである。
「いえ、あの、その……わたくしなど、そんな。撫子様の力強い美の足元にも及びません……!」
 皆に諭されて土下座は思いとどまっているようだが、いたたまれないのか今にも床へダイヴしたそうな表情をしている。
 それを察してか、撫子はさくっと話題を変え、
「えへっ、タダで可愛いお洋服着られて幸せですぅ☆ ブリーギットさんもホント、可愛いですよぉ! それじゃ一緒にウェートレス頑張りましょう☆」
 ブリーギットを促して、出来上がった料理の数々を運び始める。
 表での、雑炊やシチューの炊き出しだけでは数が足りないのと、『エル・エウレカ』へ普通に食事をしに来たものも増えてきたため、厨房での追加調理と相成ったのだった。
「皆さん、待ってらっしゃいますよぉ! 火城さん、もっともっとたくさんお願いしますねぇ☆」
「ん、ああ。今、南瓜のグラタンと栗のタルトを焼いている。出来上がったら切り分けるから、表へ頼む」
「はぁい、了解です☆ でも、私、か弱いですからぁ、一度に四十個くらいしか運べません~☆」
 特大のお盆に、絶妙なバランスでかずかずの料理が載った皿を積み上げつつ、撫子がテヘぺロとばかりに言う。ブリーギットはブリーギットで、
「まあ……なんと繊細な! さすがは撫子様、やはりあなたさまは深窓の姫君でいらっしゃるのですね……!」
 ここのリアクションの激しいツッコミがいれば思わず固まったのち裏拳を放ちそうなことを口にして感嘆しているが、事実、彼女が両手に持つ特大のお盆×2には、百近い皿が積み上げられているのだった。
「ああ……うん、産土神って、そういうもの、か……?」
 すでに激しく突っ込む気力すら失った火城が、遠い目をしつつボウルの生クリームを泡立てている。ジュリエッタは、火城殿も大変じゃのうなどと気遣うものの、彼女も時たま特大のボケをかますので(しかも気づいていない)、人のことは言えない。
「ふむ、ではわたくしも料理を運ぶとしよう。――おお、これはおいしそうじゃのう。火城殿、わたくしものちほどいただいてよろしいか?」
 脂ののった鰯に塩コショウ、オリーブオイルをまぶしたあと、にんにくとイタリアンパセリのみじん切り、自家製パン粉を振りかけて焼いたグリルが、じゅうじゅうと実に食欲をそそる音を立てている。
 秋ナスと五種キノコ、秋鮭を使った和仕立てオイルパスタ、秋刀魚の胡麻フライ、誰かがリクエストしたのか打ち立ての新蕎麦などなど、食欲の秋に相応しいメニューが、次々と出来上がっていくのを見て、食欲を刺激されぬものはいるまい。
「ああ、ジュリエッタにはたくさん手伝ってもらったからな、何でも好きなものを食べてくれ。もうじき、洋ナシとぶどうのタルトもできる」
 穏やかに微笑んだ火城が頷くのへ満面の笑みを返し、ジュリエッタは大きな盆にさまざまな料理を載せて店内へ向かう。注文品をそれぞれのテーブルへ配りつつ、新しくやってきた客の注文を聞き、厨房へ引っ込む。
 また、炊き出し用の特大カレー鍋を苦労して外へ持っていくと、赤々と火が燃える即席かまどの横で、灯緒とクロハナ、そしてアドが、大中小の順番に並んで座っている。何をしているのかと思ったら、ときおり前脚を掲げてくいくいと動かす仕草から、招き猫・招き犬・招きフェレットなのだと察せられた。
「みんな、とってもすてき! これで千客万来だよね!」
 発案者らしい小夜が、にこにこしながら灯緒に抱きつき、クロハナをもふもふし、アドを撫でくりまわす。生きた毛皮司書たちは「これが皆を楽しませるなら」と協力的だ。というか、マキシマム・トレインウォーの疲れによる筋肉痛が今頃来たというアドなど、小夜に撫でられながらうとうとしている。
「……ルルーさんにもここに座ってもらったら、もっとお客さんが来てくれるかな……?」
 うーん、と考え込む小夜の隣を、不思議な風合いの液体が入った小瓶を手に、テューレンスが通り過ぎていく。
 集まった面子のほとんどが喪血ノ王退治に向かってしまったため、片付けの大半はテューレンスが請け負っていた。完全にダウンして回収され、炊き出しのシチューと雑炊で少し元気を取り戻したテリガンが手伝いに駆り出されている。
「ん、植物は、ほとんど、大丈夫、かな」
 庭に空いた穴は埋められ、静かに光を放つ庭石は元あった位置に戻され、なぎ倒されたり吹き飛ばされたりした植物たちは、依頼を受けてやってきたモリーオ・ノルドが整えた。他の、こまごまとした箇所も、テューレンスの慈しむような作業及びテリガンのサポートによって、ほぼすべての修復が終わっている。
「でも、少し、元気のない、ものもいる、から」
 これを置いていこうかな。手元の小瓶を見下ろし、つぶやくと、
「それってナニ? なんか、不思議な力を感じるんだけど……」
 テリガンが首を傾げる。
 テューレンスはにっこり笑って小瓶を軽く揺らした。
「テューラの、涙、だよ」
「涙? それに、植物を元気にする力がある、ってことか?」
「うん、そう。テューラの世界の、妖精の、涙には、そういう、効果が、あるんだ」
「へええ」
 故郷では力と願いを司る悪魔だったというテリガンは、別の世界の、根源を異にする不思議の力に興味津々だ。
「ん? でも、なんで小瓶に入れてあんの?」
「……必要な、時が、来た時の、ために、料理とかで、玉ねぎを、切る度に、ビンを、用意、するんだ」
「うわ、すげぇ用意周到なのな!」
 試しに、少しうなだれた青い花にその液体を一滴、垂らしてみると、それはあっという間に瑞々しさと輝きを取り戻し、光を振り撒くように咲き誇った。
「おー、すげー。『力』にもいろんなモノがあるのが面白いよなぁ」
 感心するテリガンへそうだねとうなずき、テューレンスはこうべを巡らせた。
 視線の先には、喪血ノ王と戦う面々、特に、魔女ッ娘ビームを浴びた人々の姿がある。
「ん? どしたん、テューレンス?」
 テリガンが首を傾げる傍らで、テューレンスは横笛型トラベルギア【渡り鳥】をそっと構えた。次の瞬間、滑らかに、流れるようにメロディが流れ出す。
「おー、綺麗……だ、な……うん?」
 ――が。
 それはなぜか、魔女ッ娘アニメで流れていそうな、ポップでキュートな旋律なのだった。
「……えーと、それ、もしかして、応援……か……?」
 吹きながらこっくり。
 曲の意図に気づいた魔女ッ娘な人々が、なんだか泣きそうな顔をしたのが見えた。



 4.前のめりにガチンコ勝負

 日曜日の午前八時ごろに流れていそうな、軽やかで可愛らしい旋律が場を支配する。
「なんつか、うん、何とも言えん空間だな」
 ヒナタは影の阿修羅像を操作しつつ、しみじみつぶやいた。
 有事の際には影の壁をつくって店舗を含む非戦闘員およびスペースの防衛に回ろうと思っていた彼だが、そもそもそういう商品だからなのか、マイルドだけに性格的なものが丸くなっているのか、喪血ノ王が餅つき要員以外を襲うことはなかった。
「ま、餅つきに専念できていいやね」
 六本の腕に携えられた杵が、次々と喪血ノ王を打ち据える。その傍らでは、蜘蛛の魔女が蜘蛛脚で叩きまくっている。そのたびに脚がぴこぴこぴこぴこ鳴って、やかましいやら微笑ましいやら、テューレンスの奏でるBGMと相俟って、表現しがたい空気だ。
 しかし、喪血ノ王はずいぶん餅らしく整えられつつある。現段階でおはぎを髣髴とさせる粒々感になっていて、艶もテリもさることながら、立ちのぼる上品な香りが食欲をそそる。
「醤油つけて海苔巻いて食ったら、それだけでうまいだろうなあ」
 舞うような優雅さで、影阿修羅が六本の杵をリズミカルに叩きつけてゆく。
「っしゃー、マスダさんのキネ☆ウルトラブレイク、お喰らいやがってくださいってんだー!」
 羽空が手にしているのはバールのようなものだが、その辺りの矛盾は気にするだけ損である。
 思い切って女性体になることでまとまりを取り戻したらしいシューラも、女性とは思えない怪力で杵を叩きつけた。喪血ノ王の身体が不自然なくらいひしゃげるほどの力だ。
 手ごたえを愉しむように、シューラがにたりと笑う。
「……うん、いい殴り相手だね」
 振り回される腕をかいくぐり、杵を叩きつけ、上がる咆哮に愉悦の笑みを浮かべる。
「ああ……うん、いい。もっと、もっともっと鳴いてみてくれるかなぁ」
 シューラにかかれば、杵も餅つきの道具というより立派過ぎる凶器、鈍器である。
 シューラのように、S方面にテンションを上げる面々は少なくなく、はじめは回復やフォロー、防御に回っていた変態先生こと有馬春臣も、徐々に楽しくなってきたようで、
「クックック……甘い、甘いな。餡子もきな粉もまぶしていないのに、甘すぎる。まるで黒蜜だ」
 ニヒルに生活感あふれるキメ台詞を吐きつつ、喪血ノ王の攻撃を水の盾で防いでは悪役っぽい笑い声を響かせていた。
「私のご主人様は私が決める。君の思い通りにはさせんよ」
 トラベルギアの三味線が鳴り響くと、うねるような水の奔流が現れ、それが物理的な打撃を与える。咆哮した喪血ノ王に跳ね飛ばされ、何人かが傷を負ったものの、それは有馬先生の特殊能力であっという間に治癒された。
「くっくっく……幾ら攻撃しようと味方は私が何度でも治す。悔しいかね、いい顔だ。さあ、もっと悔しがるといい……そうとも、みっともなく地団駄を踏むんだ」
 打ち据えられ、罵られて、喪血ノ王は咆哮し身をよじる。
 しかし、その全身は艶めかしいまでにつやつやと輝き、淡い薔薇色に染まっている。痛めつけられるごとに、高貴にして上品な、かぐわしい快香は高まってゆく。とんでもないドMである。
「ウェーヘヘヘ! こいつはいいストレス解消だぜぇ……!」
 少女型のアストゥルーゾもSッ気全開で楽しんでいる。少女の姿から繰り出されるにしては激しすぎる打撃に、喪血ノ王の粒々はどんどん滑らかになっていく。
「さあ……もっと鳴いて。あぁ、たまんないよ、その醜態。まさしくお皿の上のお餅……!」
 うっとりと囁くアストゥルーゾに、ひときわ大きく咆哮した喪血ノ王から、十数本もの触手めいた腕が生え、伸びた。それはアストゥルーゾや、周辺の人々を捕らえようと伸ばされたが、
「甘い……甘いぞ。まるでラグドゥネーム(※世界一甘さを感じる物質、その甘さなんと砂糖の二十二万~三十万倍)だ」
 ドS先生と化した有馬が、水を縄状にして解き放ち、亀甲縛りにしてしまったため、喪血ノ王は動きを封じられてしまう。
「クックック……見たかね。菱形ではなく六角形。これこそが本当の美しい亀甲縛りだ」
 素敵知識を披露する有馬先生の傍らで、じたばたともがく喪血ノ王を、アストゥルーゾが潤んだ瞳で見つめる。
「そうだよ……焦らないの、あとでゆっくり頭から食べてあげるからね。ああ……愉しみだなぁ、無様に叩き潰された君を、嬲りながらいただけるだなんて」
 その言葉に悦んだか発奮したか、ひときわ暴れた喪血ノ王が、有馬先生の緊縛を解いて自由を取り戻す。そこへ立ちはだかったのは蜘蛛の魔女だ。
「キキキキキ! 私に任せなさい! なにせ私の蜘蛛糸はその気になればジェット機でさえも捕縛でき……ない、だと……!?」
 ちょろちょろちょろちょろ。
 魔女ッ娘化の影響で、手から出て来るのは水ばかりである。
「……うん、そうそう、打ち水しなきゃって思ってたんだよね、うん」
 ふふっと寂しげに笑う蜘蛛の魔女の隣では、徐々に出来上がってゆく餅の塊を見つめながら、アンジュさんこと梓がぶるぶる震えている。
 それが、決して恐怖によるものではなく、
「できるのか、俺に……この食材を調理することが……! いや、そうじゃない、やるしかないんだ。餅が、俺を呼んでいるんだ……!」
 武者震いであることは、上記の物言いからも明らかである。
「餅を使った料理……細かく刻んで、ピザに載せて焼くとか……トマトジュースとチーズでイタリアン風の雑煮とか……」
 ぶつぶつつぶやきながら、トラベルギアのお盆を巧みに振り抜いて喪血ノ王に衝撃を与える。
「痛めつける、徹底的に、隠し味は罵詈雑言と降り注ぐ屈辱か……まったく、喪血ノ王ごときが生白い顔をのこのこさらすなんてどれだけ厚顔なのかしら。身のほどを弁えないって恐ろしいわね!」
 いつの間にか口調も変わっているが本人は気づいていないようだ。
「金槌乱舞、サディスティック添え! お待たせ致しました!」
 ギアから金槌(消毒済み)が飛び出してきて喪血ノ王を打ち据える。
 喪血ノ王が咆哮し身を震わせるたび、梓さんもといアンジュさんの唇が充足の笑みを刻む。通常ならツッコミ属性全開のはずが、あまりにもすごい食材を前に思考がおかしくなっているようで、すでに出で立ちのことなど一切気にとめず、大胆な動きを繰り広げている。
 身を翻して喪血ノ王の猛攻を避けた瞬間、ふわりと翻ったパニエの下から、本来見えてはいけないものが覗き、半分地面に埋没しかけていた鰍から悲鳴が上がった。
「ちょっ、梓、なんか大変なものがチラリしちゃってるよ!? お願い俺の視覚的なアレコレのためにも自重して!」
「カサ・ジーナさんったら……今の俺、いや私はアンジュよ! お客様に満足していただける餅料理をお出しするための飽くなき探究心が、私を衝き動かすの……!」
「ちょおお、なに、どこまでイっちゃってんの!? ていうか俺はカサ・ジーナさんじゃねええぇ!」
 ウェイター的サービス精神と食材への情熱、美味しくするためなら何でもやってやるぜ的精神が突っ走りすぎた、まさにバーサーカーと呼ぶにふさわしい暴走ぶりである。
 肉体美と装飾美が不幸なマリアージュを果たしたトバイアスも、まるで雨に打たれながら永遠の思索を続ける哲学者のようなストイックさで、たくましい太ももをチラリさせながらも喪血ノ王との戦いを続けているが、たまに我に返ってしまうのか、ときおりこの世の終わりのような表情をする。
「うわー……うん、阿鼻叫喚ってああいうのをいうんかねー」
 離れた位置で、影阿修羅の操作に専念しているため、それなりに身の安全が保障されているのもあって、ヒナタは比較的落ち着いていた。というか、生身ではごくごく普通のコンダクターのため、進んであの輪に入る根性はない。
「しっかし……」
 ゲールハルトの躍動する筋肉を見つつ、ぼそりとつぶやく。
「魔女ッ娘ビームって、影の像にも影響あんのかね? ナレンシフまでデコったっていうじゃない。何その万能属性」
「いや、あれはゲールハルトとアドの魔力が合わさった結果じゃないか、と誰かから聞いたが」
 つぶやきを聞きつけたのは、小休止中のアマリリスだった。
 汗を払うように首を振り、額を拭うさまなど、本人の持つ高貴にして華やかかつ艶やかな顔立ちや優雅な立ち居振る舞いも相まって、面憎いほどイケメンオーラ全開である。女性なのに、勝てる気すらしない。
「あ、そういうものなん?」
「ああ。それを証拠に、喪血ノ王はビームがかすっても魔女ッ娘化していないだろう?」
「そっかー、影阿修羅、面白半分に突っ込ませてみようかと思ってたけど、アドさんがいなきゃ無理か。アドさん、さっきからあっちでずっと舟こいでるもんなぁ」
 戦いが繰り広げられる中、のんきな会話を交わしていると、喪血ノ王に跳ね飛ばされたゲールハルトがこちらへ転がってきた。
 えっ、と思う間もなかった。
「くっ……まだだ、まだ斃れるわけには……ッ!」
 やたらシリアスな顔で飛び起きたおっさんの全身から、四方八方めがけてビームがほとばしり、ヒナタとアマリリスを包み込んだ。ビカァ、というか、ビシャア、という印象で、眼からだけじゃないのかよ、と突っ込む暇もない。
 光が収まれば、黒のベルベットに白のレェスがかがられた、古式ゆかしい濃厚ビジュアル系魔女ッ娘が降臨している次第である。
「……ええと、これは、その」
 あまりに唐突なことで驚愕している暇すらない。
「漆黒の暗闇に舞い降りた天使、それがこの私……! ……とか言っておけばいい? いいよね? うん、いや、判ってる、ちょっと絶望するくらい似合わんっていうか、いかんでしょこれ……」
「いや、大丈夫だ、とてもよく似合っている。思わず恋に落ちそうなほど美しいよ」
「アッホントですかあざまっす。守備範囲広いひとが多くてよかった! ホントよかった!」
「……それより、問題は私のほうだ。この年で魔女ッ娘など、視覚的暴力になっていないか気になってしかたない。これは大丈夫なんだろうか……?」
「いやいやよく似合ってらっしゃいますよむしろ選ばれた人種ですよソレ」
 そもそも、出身世界的に言って、この服飾に違和感のない人物だ。
 臙脂のベルベットを惜しげもなく使い、金糸銀糸で縫い取りをした豪奢な魔女ッ娘衣装は、華やかな雰囲気のアマリリスにはたいそうよく似合った。基本的に、女性がまとうと目の保養になる衣装ではあるのだが、アマリリスが着るとさらに映えた。ヒナタも、自分の惨状を忘れたほどだ。
「そうか……なら、よかった」
 安堵の笑みを見せる様子などは、どことなく童女めいて可愛らしくすらある。
 そんな中、もっとも大変なことになっていたのは、ゲールハルトが全身からビームをほとばしらせながら戻った先にて、その洗礼を喰らった有馬先生だった。
 最初、舐めるな、とばかりにギアで大きな水鏡をつくって対抗しようとした先生だが、なにせ四方八方からの猛攻である。当然ながら防ぎきれず、断末魔の絶叫とともに白光に飲み込まれる結果となった。
 光が収まると、そこには、ショッキングピンクに金糸銀糸という、目に痛いほど鮮やかな、膝上二十センチの衣装をまとわされた、魔女ッ漢ドクターが爆誕している。全体的に『長い』身体つきのため、棒切れのように突っ立っていると哀しいくらい残念感が増した。
「い……いっそ殺せ……ッ」
 有馬先生は変態だが、女装は不本意なのだ。
 心は折れに折れ、傷だらけである。
 喪血ノ王に弱みを見せてはいけない、と、背筋を伸ばし威風堂々とした立ち居振る舞いで平静を装っているが、顔は青いし手は震えている。
「お、おっと……いかんいかん。診察の時間だ……」
 ぶつぶつつぶやきながら自分の血圧など測っているさまは涙を誘う以外の何ものでもない。
「クロハナくん、クロハナくん!」
 必死で呼ばわると、純真無垢なわんこ司書は、尻尾をちぎれるほど振りながら走り寄ってきてくれた。心が複雑骨折どころか、骨という骨が粉砕されそうな有馬先生は、更なる癒しのために追加で灯緒とルルーを呼ぶ。アドは熟睡中で、静かな寝息を立てており、ピクリとも動かない。
「お呼びなのです? コニチハ、なのです?」
 あまりの愛らしさに何もかも忘れてニルヴァーナしたい衝動に駆られつつ、クロハナと灯緒の肉球をぷにぷにしたり前脚を取って脈を計ったり耳や目から健康状態を探ったりして心の均衡を保つ。
「いや、うん、素晴らしい癒しだ……どうもありがとう。――ハッ、ルルーくん、大変だ!」
「どうされましたか?」
「脈がない!」
「ああ、そういうこともあるかもしれませんねぇ」
 脈がないもなにも、着ぐるみなのだから当然なのだが、平静に見えて混乱中の春美女医には気づく由もない。
「はぁはぁ……素晴らしい、目くるめくひと時だった。これで、私も、試練を乗り越えることが出来そうだ……」
 得意の妄想で精神的に乗り切り、最後のひと仕事とばかりに立ち上がる。
 現実的にはまったく乗り切れていないというか、晴美女医を筆頭とした雄々しく華々しくも毒々しい魔女ッ娘たちに、ナラゴニアからの来訪者たちが眼を剥いたり鼻水を噴いたりととんでもねーことになっているのだが、今そちらに意識を向けると完全に心が折れるどころか切断されるので割愛する。
「……連中がいなかっただけマシだ。そうとも、運命はそこまで冷酷じゃない……!」
 ポジティブシンキングこそ勝利の鍵とばかりに、同僚がこの場にいないことをひとまず感謝して、有馬先生はギアを構える。
 見れば、喪血ノ王は、もうほとんど餅になっていた。
「じゃあ……最後のひと仕事といこうか」
 トラベルギアを発動させたアマリリスが、優雅でありながら鋭い動作で連続して杵を叩き込めば、
「っしゃー、たたみかけちゃうぞー! お餅まであと少し!」
 絶好調かつご機嫌なマスダさんは、バールのようなものでリズミカルに喪血ノ王を打ち、
「なんだと、羽空ちゃんに後れを取るなー!」
 蜘蛛の魔女がピコピコハンマーな脚でさらにその表面を均してゆく。
 アストゥルーゾとヒナタの影阿修羅は競うように杵を打ち付け、上機嫌のシューラは、他の面子の手が入らない部分を重点的に搗きつづけている。有馬先生は目を泳がせつつもギアを操って打ち水及び水圧による餅つきを続行する。
 そして。
 ここにきて、ストイックに餅つきを続けていたトバイアスの、精神的に大切な部分がぽっきりイった。
 どうも、魔女ッ娘化の衝撃と、ツッコミどころが多すぎてどうしていいか判らなくなったのと、疲労と混乱、戦いへの昂揚のほか、若干の空腹も合わさって、バーサーカー化したものであるらしい。
「はははははッ!」
 高らかな笑い声を響かせながら、トビーナさんが杵を振りかぶる。
 残像が見えるほどの速度で杵を打ち込むと、風圧でスカートがふわりとたわんだ。見えちゃいけないアレコレがあらわになった気もするが、皆、あまり見たいものでもなかったので全身全霊でスルーした。
「おっ、やるじゃないの、トバイアスちゃ……ええと、トビーナちゃん? 私も負けてらんないわー!」
 俄然やる気を出した蜘蛛の魔女が脚を振りかぶる。
 蜘蛛脚と、アストゥルーゾのハンマーと、影阿修羅の杵が、同時に喪血ノ王を打ち据えた。
 ぐらぐらぐらっ、と喪血ノ王がよろめく。
 その脳天めがけて、
「トドメだッ!」
 高らかに跳躍した――ちなみにその拍子にまたパニエがめくれてなにやらチラリした気がするが全力で気のせいだ――トバイアスが、ありったけの力を込めて杵を叩き込む。
 どしゃっ、という鈍い打擲音のあと、びくりと震えた喪血ノ王の全身から力が抜け、それはゆっくりと倒れていく。その全身は薄紅色に染まり、吸い込むだけで幸福な気持ちになるほどの快香が立ち上っていた。
 どうやら、ロストナンバーたちの責めはお気に召したようである。



 5.調和、新しい喜び、そして

 そこから三十分もしないうちに、餅料理のあれこれが整って、皆でお茶会と相成った。ちなみにビームを浴びたものはまだ例の衣装だが、被害者が多すぎてそろそろゲシュタルト崩壊のひとつも起こそうというものである。
「皆さぁん、どんどん食べてくださいねぇ☆ おかわりは私ナデシコとブリーギットさんの、魔女ッ娘メイドコンビにお願いしまぁす☆」
 大きな盆に料理を山と積んだ撫子が、ブリーギットとともに給仕をしてまわる。やはり、性別:女子のかたがたがまとう例の衣装は、彼女らの美しさを高め、場を華やかにしてくれる。彼女らが忙しげに行き来するだけで、パッと大輪の花が咲くような活気があった。
 現在、テューレンスの地道な作業の甲斐あって元の姿を取り戻した『エル・エウレカ』には、復興や餅つき、炊き出しの手伝いに名乗りを上げた面々のほか、匂いに誘われてやってきた人々が集まっている。隠れ家的茶房は、世界図書館も世界樹旅団も関係なく、美味な料理に舌鼓を打ち笑いあう、そんな和気藹々とした場所になっていた。
「モチノオーうまーい。なんだこの、心地よい歯ごたえと不思議な快香、何にでも合う包容力は……! 海苔醤油もきなこも、大根おろしも納豆も、チョコレート和えも餡子&生クリームもどれもたまらん、うまーうまー!」
 テリガンは待望の餅に夢中だ。
 次から次へと皿に手を出し、食らいつき咀嚼して飲み込む。
 清々しいほどの食いっぷりである。
「あ、そうだ。リーダーたちにお土産として持って帰ってもイイ? フツーの、襲ってこないヤツな!」
「ああ、皆に土産として持って帰ってもらうつもりだ。喪血ノ王でつくった餅は保存性が高いらしいから、日陰の、湿度の低いところで保管すればかなり持つらしい。正月の雑煮にも使ってもらえるだろう」
「やった! あとハロウィンだっけ、お菓子もよろしく~」
 喜ぶテリガンの横では、ようやく我に返ったトバイアスが、火城から土産の菓子と糯米を譲り受けている。
 ちなみに、今回のお持ち帰りハロウィン菓子は、一口サイズのスイートパンプキンに南瓜の種のフロランタン、あえて大ぶりに切ったさつまいもがごろごろ入った素朴なパウンドケーキ、ラムの効いた栗のモンブランや、南瓜の滑らかプディング、南瓜の種を練り込んだ香ばしいビスケット、裏ごしした栗を生クリームと蜂蜜と一緒に練り上げた洋風栗羊羹、りんごとさつまいもとサルタナレーズンをバターと蜂蜜でソテーし、生クリームたっぷりの卵液とともに焼いた小型のスイートグラタンなど。素材の味を活かしつつも甘味スキーたちの舌を喜ばせるものばかりがこれでもかというほどに詰め込まれていた。
 そのほか、旬の野菜や魚介類をふんだんに使った食事がところ狭しと並べられ、餅料理の汎用性も相まって、無名の司書はどこからともなくビールなど持ち込んでご満悦である。
「いや~ん、このお餅おいしい~。他の料理も最高~。“時知らず”のシンプルな塩焼きもおいしいけど、鮭と茸のホイル蒸しも最高~。だめ、ビールが進んじゃう~」
 その横で、ジュリエッタは、自分でつくった餅料理に舌鼓を打っていた。
「ジュリエッタたん、それなに? すっごくおいしそう!」
「うむ、これはの、チーズを練り込んだ餅に、わたくしの大好物であるトマトを挟んだピザ風餅なのじゃ。とても美味じゃぞ、無名の司書殿もいかがかの?」
「いや~ん、いいの? いいの? ありがとう、またビールが進んじゃう~!」
 無名の司書は感激しきりである。
 人さまを喜ばせることが出来たのもあって、ジュリエッタは満足げに頷いた。
「うむ、シンプルな砂糖や醤油味もよいのじゃが、やはりチーズと餅は合うのう! ……しかし、ちとカロリーが気になるところじゃ。まあ、あとで運動すれば問題ないじゃろ」
 なにしろ年頃の乙女ゆえ、カロリーというのは大いなる問題なのである。
「火城殿は鍛えておると聞いた、何かよき運動方法を教えてくれぬかのう?」
「ん? ああ、もちろん構わない。実用的かつ効果的なトレーニング・スケジュールを組み立てよう」
 と、そこへ、
「なあなあ火城さん、抹茶って点てられる?」
 蒸かしたさつまいもをよく叩き、ねっとりとさせたものに餅を練り込んだ、素朴で味わい深い餅にきな粉をまぶしつつヒナタが手を上げる。
「ああ」
「やった、じゃあよろしく! いやほら、あの餅さ、正月は雑煮でいただいたから、今度は甘くして、って思って。さつまいも餅にしてみたんだけど、それにはやっぱり日本茶でしょ。玄米茶かほうじ茶でもいいんだけど、抹茶も渋くていいかなあってさ」
 さつまいも餅の素朴な甘みは、きっと、抹茶の持つ甘み、渋みによって、更に趣深い味になることだろう。
 そんな中、鰍はというと、魂を飛ばし、暖炉前で体育座りをしている。
 が、暖炉前にはクロハナに灯緒、絶賛熟睡中のアドまで、癒し系司書たちがもっふもふと丸くなっているため、毛皮御三家に囲まれた鰍は、魂不在ながらどことなく幸せそうだ。
「はあ……いかんな、私もまだまだ青いということか」
 我に返った有馬先生はというと、人前でS的な意味ではしゃいだことを後悔しつつ、餅と南瓜、味噌を合わせて煮た素朴な汁物で温まっていた。
 南瓜の煮つけに舌鼓を打ち、南瓜やサツマイモの天ぷらの絶妙な揚げ加減に感激し、かぼちゃを使った大福で熱い緑茶など堪能して、心身の疲れを癒している。――視界の端をかすめる、ショッキングピンクのフリフリはスルーだ。直視したらもう戻って来られなくなる。
 しかし、隣で、海苔を巻いた醤油餅を幸せそうに頬張る小夜を見て、有馬先生の口元はほころんだ。自然と不気味オーラが消え、慈しみが滲み出す。
「小夜君、楽しんでいるかね。きみはとても頑張っていたから、たくさん食べて元気を回復してくれよ」
「はい。おいしいお茶と、お菓子と、お餅がたくさんあって、すごくホッとします。皆さんが笑っているのもとてもいいなあって」
「そうだな。いろいろあったが、楽しいひと時だ」
「本当に。こんなお餅つきって初めてみます。凄いですね……!」
 にこにこと笑って、小夜は洋ナシとブドウのタルトに取りかかった。それに気づいたルルーが、タルトに一番合う紅茶を、丁寧に淹れはじめる。
 そのさらに隣では、シューラが、アマリリスと餅の食べかたについて語り合っている。
「海苔を巻いたり、きなこをつけたりするって聞いたんだけれど」
「なるほど。……実を言うと、初めて食べるんだ」
「ああ、奇遇だね、私もだよ。よく伸びるし粘るから、飲み込むときに注意が必要なんだそうだよ。お年寄りは特にね。鯵としては、餡子をまぶしたり、ひと口大に丸めて黒蜜をかけたりしてもおいしそうだね」
 はいどうぞ、そう言ってシューラが差し出す餅を、アマリリスは満面の笑みで受け取った。
「ありがとう。へえ……美味いな、これは。なんというか、素朴で、心が温かくなる味だ」
 賑やかで楽しげなお茶会を、目を細めて見つめ、アマリリスは再びデジタルカメラを構えた。ぱしゃり、という音がして、温かな光景が切り取られる。
「もう会えない人たちも、いるのだな……」
 この光景の中に二度と映り込むことのない、先の戦いで命を落とした人々を思い、切なげな表情をするものの、
「アマリリスさん? どうかした?」
 シューラが、ひと口大に切った餅に、南瓜餡と栗餡をまぶしたものを差し出してくれたので、何でもないと首を振り、笑顔を返した。それでも生きているものはいて、護るべきものはいる。その事実は、何ら変わらず、アマリリスを生かし、護るために戦わせるだろう。ただ、それだけのことだ。
 皆の輪から少し離れた位置で、アストゥルーゾは小さな――愁いの含まれた溜息を吐いた。
「……ふう」
 シンプルな大福を手に取り、ひと口齧ってから、びろんと伸びた餅を見つめる。
 その眼には、どこか暗鬱な光が揺れている。しかしアストゥルーゾは化かし屋だ、人に暗い顔を見せるわけにはいかない。だから、皆には顔の見えない場所で、餅を相手に溜息をつく。
 餅を伸ばし、ふっと諦観めいた笑みを浮かべる。
「長い長い長いねぇ、まさしく終わりも果てもない一本道、喩えるなら永久ループの国民的お茶の間アニメ。――さて、僕らはいつまで茶番を演じていればよいのかな」
 口にするだけ虚しいと知って、つぶやかずにはいられない。
 終焉を、帰結を、終着を求める思いは、きっとこの先も消えることはないのだ。
 そのすぐそばを、
「南瓜餡ぜんざいをお待ちのお客様ー!」
 ウェイターの習性で配膳などを手伝っている梓が通り過ぎていく。すでにすっかり吹っ切れたのか、アンジュさんのままごくごく普通に接客している辺りがプロである。
「あ、そうだ火城さん、せっかくだからお勧めのレシピとか教えてもらっていい? 俺さ、レパートリー増やしたくて最近頑張ってるんだよね」
「判った、メモを進呈しよう。そうだ、それなら、梓のお勧めのレシピを教えてくれ、俺も人さまの得意料理というものに興味がある。どうせなら、それを再現して、ここで供してみたい」
「それ楽しそうだな。レシピ交換か……うちの味がここでアレンジされて出されるとか、すげぇ嬉しいかも!」
 梓は、邪気のない満面の笑みを浮かべる。
 テューレンスは、それらを見つめながら、過去にここを訪れたことを思い出し、微笑んでいた。人々とのかかわり、おいしいお茶と菓子、それから皆の笑顔を見ているだけで、自然と音楽が溢れ出してくる。
「……ねえ、神楽、さん?」
 声をかけると、それだけで意図を察したらしい神楽が白い弦楽器パラディーゾを掲げた。テューレンスは頷き、【渡り鳥】を構える。
 ゆったりと流れ出し、店を満たしてゆく音楽に、人々が溜息をつき、耳を澄ました。しかしそれは賑やかさを邪魔することなく、滔々とたゆたい、心を穏やかにしてゆくのみだ。
 そんな中、
「あっそうだ!」
 餅を頬張りながら、お騒がせマスダさんが立ち上がる。
「どしたん、羽空ちゃん? 餡子もっと載せる? 肉もいいけど、こういうのも悪くないよねー。餅の歯ごたえ、けっこう好きだわぁ」
 ちょくちょく交流しているという蜘蛛の魔女が、餅を咀嚼しながら不思議そうに見上げる中、
「ん、うん、そういや新装開店だよねコレ。てコトは、祝いにジャパニーズ・モチマキしなくちゃ~! って思って」
「ふうん、そういうものなんだ? ちなみにモチマキって何?」
「モチマキ……それは互いに餅を投げ合い、酒池肉林・阿鼻叫喚の戦場を飛び交う餅が染めゆく中、最後に立っていた者が勝者というエクストリームスポーツ……!」
 またしても恐ろしいカオスを予感させる提案を行ったものだから、一応この店を預かる立場の火城が慌てて制止に入る。
「待てなんだそのスポーツ。どこの出典だ」
「ん? マスダペディアからだけど?」
 脳内かよ、と突っ込む暇もあればこそ。
「よっしゃー大乱闘開幕だー! ジャグリングで鍛えたマスダさんのモチ捌きなめんなヒャッハー!」
 盛り上がるマスダさんだが、残念ながらそんな体力が残されているものはいない。残されていても、餅に夢中で聴いていない。
 ハイテンションな羽空に溜息をつき、火城がやれやれと溜息をついた。
「こらこら、ものを食べているところであまり騒いだら、……?」
 その動きが、唐突に止まった。
「ん? どしたの、火城さん?」
 羽空がいぶかしげに問う中、火城は片手で顔の反面を覆った。
「な、ん……?」
 その瞬間、膝ががくりと折れる。
 バランスを取ろうと椅子に手を添えるが果たせず、椅子ごと転倒してしまう。がたんッ、という大きな音に、誰かが息を飲んだ。どこかから悲鳴が上がる。
「おい、大丈夫か!?」
 異変に気付いた鰍がとっさに駆け寄り、その上体を抱き起した。なんでもない、と起き上がろうとする火城だが、身体にはまったく力が入っておらず、すぐにずるずると崩れ落ちてしまう。
 意識も混濁してきているようで、苦しげに眉根が寄った。
「どうしたのじゃ、火城殿! しっかりせよ!」
 ジュリエッタの呼びかけに、ほんの少し、首が動く。焦点の定まらない視線が宙をさまよう。しかし、それもわずかな間のことで、赤い双眸はすぐに閉じられてしまった。
 それきり、呼んでも揺さぶっても反応はなく、あとにはただ静かな呼気があるばかり。
「いったい……何が……?」
 不安げな小夜の肩を抱き、撫子が首を横に振った。
 アマリリスが、医者を、と『エル・エウレカ』を飛び出していく。
 ざわざわとした空気が、茶房を満たし始める。



 ――世界司書の昏睡に関わるあれこれがアナウンスされるのは、そのすぐ後のことである。

クリエイターコメントご参加、ありがとうございました!

総勢15名様による、とってもカオスな復興シナリオをお届けいたします。
皆さん、素晴らしいレッツパーリィぶりで、記録者は書きながら何度も吹き出し、鼻水を噴きました。プレイングの段階で、皆さん楽しく考えてくださったんだろうなあと、とても嬉しかったです。素敵なプレイング、どうもありがとうございました。

ノベルですが、ご覧のとおり、なかなかのカオスに仕上がりました。それぞれPCさんらしさを発揮して、はっちゃけてくださった方々、気遣ってくださった方々、不幸にも被害に遭われた方々、各方面からのアプローチ、どうもありがとうございます。

大変楽しく書かせていただきました。皆さんにも、少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。


そしてどうやら、話はそれだけで終わらない模様。
追って知らせがあるかと思いますので、よろしければ、そちらへのご助力もお願いいたします。


それでは、改めましてどうもありがとうございました。
ご縁がありましたら、また。
公開日時2012-11-26(月) 19:00

 

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