「しょ、書類が山になってますね……! わわわ、こっちは埃がいっぱいだわ!」「すまんな、メルチェットさん、掃除を頼んで」 黒猫にゃんこ――現在は三十代のダンディな男性の姿をしている黒が混沌とした司書室をせっせっと掃除してくれている猫耳つきふわふわケープを纏ったメルチェット・ナップルシュガーに礼を告げる。するとふりふりと二つに分けたツンテールを揺らしてメルチェットは振り返ると得意げに笑った。「いいえ、大丈夫ですよ。メルチェは大人ですから、これくらいのお手伝いは当然なんです。ね、みなさん?」 集められたロストナンバーは胡乱げな目で黒を見つめた。「メルチェットさんが黒が死にそうだって言ってたんだけど」「それも樹海で」「武装してきたんだが」「ワーム退治かと」 樹海は樹海でも人工的に作られた汚い部屋の樹海。挑むために装備したゴム手袋とマスク、箒と塵取。 ぶつぶつと文句を言うロストナンバーたちにソファに腰かけてアンパンを食べている黒は尻尾を軽く揺らした。「なに言ってるんだ。書類が見つからないと俺はリベルに殺されるぜ。ふ、ふふふ……」 ことのはじまりは一時間ほど前。 司書ではないが、その仕事の「お手伝い」をするメルチェットはその日、黒猫にゃんこのところに書類を届けに行った。 そして開けたドア。 広がる樹海。 倒れている黒 慌てて抱き起すと「大切な書類が、書類の一枚が見つからない。リベルに、リベルに怒られる……! あと腹減った……食い物、がく」「はえ! 黒さん、しっかり」 そうなのである。 ここ連日、悪戯娘キサの相手やいくつかの報告書のまとめやに追われて部屋に缶詰になっていた黒。ろくに寝てない上、あまり整頓が得意でないため多忙のせいでどんどん部屋が散らかってしまった。それも報告書を完成させたら、その大切な書類の一枚が部屋のなかで消えてしまった――あまりにも汚れすぎていて見つかるものも見つからないという有様だ。 メルチェットに黒救出作戦のために集められたロストナンバーは予想外の敵(汚い部屋)と戦い(掃除大作戦)に仕方なくも手を動かしていた。「しかし、なんかいろいろとあるなぁ」「そういえば、前ににゃんこが部屋の掃除していたとき、増える瓶があってそれでメン・タピが増えなかったけ?」「まさか、また瓶が残っていたりしてな」「まさかなー」「見つけましたよー!」 メルチェットが書類を片手に叫ぶ。「おお、ありがとう。メルチェットさん」 黒が感動とこのあと待っているだろう書類再作製から逃れる安堵とおしおきスペシャルを受けなくていいという歓びに打ち震える。「ふふふ、メルチェは大人ですからね。この成果を褒めてくれてもいいですよ? えっへん。……ふう、でもちょっと疲れてしまいました。お部屋にあったお飲み物、いただいても構いませんか?」「飲み物? いいぞいいぞ。いやー、部屋もきれいになったし、書類も見つかった。お前ら、紅茶いれるぞ」 現金ににこにこと笑う黒にロストナンバーたちはやれやれと笑う。「しかし、メルチェットさん、部屋にあった飲み物って、俺は基本的にこうち……メルチェット!! そ、それは」 黒が振り返って悲鳴をあげるのにロストナンバーも見た。 小さなピンク色の液体のはいった瓶を口につけてぐびくびと飲むメルチェットさん。あ、あれ、あのピンク色の液体ってなんか、どこかで見たような「ぷはー。濃厚な大人の味がしました」「……あ、あれは、クゥからもらったセクタンが増えた原因だっていわれる液体! おい、飲んで平気」「え? ……別になんでもないですし、へい、き――ひっくん」 ぽん 目の前でメルチェットさんが増えた。それも小さいのがわらわらと四体も!「私はこの中で一番大人ですよ」「いいえ、私が一番大人です」「私も大人ですから」「もちろん私も立派な大人よ」 うお。なんだ、この可愛い生き物が四体も! 黒がふらふらとその四体に分裂したメルチェットに近づき、両腕でぎゅうと抱きしめてスーツのポケットに押し込み始めた。「俺のポッケで飼う!」「まてー、黒! てか、だめだろう、犯罪、犯罪!」「うるさい、だまれ、癒しがほしいんだよ、俺だって! 魔法のポッケにメルチェットさんがいるって素敵! どうせ薬の効果が切れたら戻るんだし!」「黒が徹夜とメルチェットさんの可愛さに錯乱しやがった!」「むむむ、悪い大人がいますね」「メルチェは小さくなっても大人なので、こんなときどうすればいいか知っています」「逃げればいいんですよね」「大人なので逃げるのも得意です」 四体のメルチェットは手に手をとって部屋を逃げていった。その一体の手には黒の大切な書類を持ったまま…… 数分後。 黒を正気に返したはいいが、ロストナンバーたちはある重要なことに気が付いた。「メルチェットさんがいない!」 あんな小さくてふわふわした生き物が部屋の外に? ターミナルは広い。それも最近は樹海なんかもできて危険極まりない ああ、どうしよう、変な人がいてメルチェットさんを拾ったりしたら! ぎろっとロストナンバーたちは黒を睨みつける。「うっ。すまん。すまん。ええっと、まてまて。今、導きの書で調べるからな。……ターミナルの街にはいるらしい……可愛い物好きな悪党にさらわれるって出てる。お、お前ら、はやく、はやく、メルチェットさんを助けにいけ! って、俺の大切な書類!! メルチェットさん、それもって行っちゃったのか! 俺の書類も頼む。頼むっ! こ、このままだとおしおきが、やべぇ」
あなたはこんな現象に遭遇したことはないだろうか? あら、三時のおやつのプリンを食べたと思ったのに、冷蔵庫にはもう一個あるわ ああ、ジーザス! 天国のジョニー助けてって、あれ目の前でジョニーが彼女の私を放置して逃げてる? じゃあ、先、殺人鬼に襲われたとき私を勇敢に助けて死んだあの人はだれなの? などなど……この世にはあれ、おかしい、一人多くない? といったことが多々見受けられる。それはターミナルにも存在した。それを受付した司書はのちに「……あれ、顔がわからない」と語るほど謎に包まれた存在 その、まぁ、なんというか現象? 七不思議? とりあえず、増え続けることをレゾンデートルとしているそれはピンチに陥っていた。 おれが、なにもしなくてもふるえだ、とぉ!(口調はあえて暑苦しくさせていただきました) ぽんぽんぽんぽん――増える増える増え続けるロアン。 「ふふふっ」 「ろ、ロアンガ一匹、二匹、三匹、四匹……五匹……ド、ドウショウ、黒サン!」 幽太郎・AHI/MD-01Pがおろおろして目の奥から透明オイルすら出しそうな勢いで部屋の主の黒に飛びつく。 その間もぽんぽんぽんぽんぽんぽんぽんぽん…… 「ふふ、かわいい、かわいいメルチェット。白いフードはふかふかしてそう。金色の髪はきれいだし、ほっぺも触れたらふにふにしてそうだ。あんな子が増えるならぼくもがんばらなくちゃね」 ぽんぽんぽんぽんぽん。 増える、増える、増えるぞロアン。 「ロアンガアッチニモ、コッチモイルヨ!」 「あぁ有給けっこう余ってたけ? いまからとってもいいよな。リベル。俺、モフトピアにいくんだ。それで、かわいいアニモフといちゃつ、ぎゃあ」 「ウ、ウワアアアン!」 増えに増えたロアンは部屋をいっぱいにして、すべてを潰した。 ――間 増えに増えたロアンはロアンがおいしく回収し、なんとか部屋にはロアンと幽太郎、それに黒の三人だけになった。 「あれ、なんか少なくない?」 「メルチェットさんが減ったからか?」 「ぼくが吸収しちゃったのかな?」 ぼくだ、ぼくがいるんだよとこっそりと主張するのはあれ、一人多いぞその二号のぼくです。なぜ、二号? それは……一号さんはロアンなんぞに負けるものかぁと戦いを挑み、見事に増えたロアンさんに紛れて吸収されてしまいました。そんな勇士をぼかぁ決して忘れません。 おのれ、おのれ、ロアンめ! 増えるだけではなく、減る、だと……! く、せめて、減って主張するべきかと思った、けれど、減るのすらできちゃうとしたらぼくは、ぼくぁ! けど、薔薇のように散った一号兄貴のためにもまけません! せめて、書類を増や 「この馬鹿がぁ!」 どすっ! 黒は机にある書類を思いっきり叩いた。 「これ以上書類が減ったらどうするつもりだ! むしろ、俺の部屋をなんと心得る! 最近は馬鹿娘が爆発させたりとかしてそれでなくてもぼろぼろなのに! 人は変わっても部屋は変えられないんだぞ!」 「黒サン、ナンカ、今、悲鳴ガ聞コエナカッタ?」 「知らん、聞こえん! 俺の心の悲鳴だろう!」 「ふふ、書類は減っても、増えてもないよ? ぼくは吸収してないもの」 「当たり前だ! 増えても減ってもたまるか!」 ロアンと黒の言い合いに幽太郎はぶるるっと震えた。 「ソッカ、思イ違イナンダネ。幽霊コワイカラ、イナイ方ガイイヤ。ソンナコトヨリ、メルチェットサンヲハヤク見ツケナイト! 前ニスケートデ遊ンデタトキ、氷ニ嵌ッテ動ケナクナッタ僕ノ事、助ケテクレタ。ダカラ僕ガメルチェノ事、助ケルヨ!」 「ふふふっ。可愛いもの、大好きさ。ふふ、ふふふふ」 「ロアン?」 「迷子探しは得意だよ、なんせぼくはいつも、迷子のロアンを探しているからね。小さなメルチェットもすぐ見つかるよ、ふふふふ」 幽太郎は思った。ああ、ものすごくややこしくなりそう。今もロアンが増えて大変だったし……先ほどからセンサーになにか変な感覚がずっとしているのも気になる。 「ヤッパリ幽霊ガイルノカナ?」 「ロアンは幽霊だよ?」 「エッ! ジャア、センサーガ可笑シイノモ、ロアンノセイ?」 「おやおや、ぼくは怖くないよ。それよりも、メルチェットさんを探さないとね! ふわふわが四人も一緒なら広いターミナルでもすぐに見つかるよ。ふふふ」 ……二号、人知れずここに永眠。ちーん。 お、おおおおお。二号、三号よ。がんばったな、しかし、おのれ、黒よ、貴様、よくも二号を潰して! ロアンめ、幽太郎がようやく気が付いたと思えば、幽霊だと、幽霊だとおおお! オッス! 良い子の諸君、俺は四号だぜ☆ 書類になろうとして見事に叩き潰され、さらにはロアンと妨害と幽太郎のうっかりさんのせいで散った二号のためにも、俺はやるぜ! 待ってろ、この現象の恐ろしさを熱く苦しくかっこよくお前たちに教えてくれるわ!! 「エット……メルチェットさんノ手掛カリニナリソウナモノ無イカナ? ナニカネ、匂イガスルモノガアレバ」 「幽太郎は犬なの?」 ロアンがきょとんと尋ねる。 「チ、違ウヨ! ボクハ」 「あ、わかった。メルチェットさん、かわいいもの、とってもかわいいもの。だからフェチなんだね」 「違ウヨ~! ボクニハモウ好キナ人ガイルモノ……」 ぽぽっと白いボディを赤く染めて幽太郎は両手で顔を隠すのにロアンは尻尾をひらひらと振る。 「ふふふ。いいね」 「おーい、ロアン、幽太郎よ、こんなところでリア充してる暇があったら、はやく、メルチェットさんを見つけろ、ついでに俺の書類も、てか、いまだに俺の部屋でなにしてんだ!」 そうである、まだ黒の司書室である。 黒がジト目でロアンと幽太郎を睨んでいる。それでなくても仕事忙しいわ、メルチェットさんいなくなるわ……仕事もプライベートも悲惨な人の前でリア充語りは危険である。 「アッ! ゴメンナサイ。エットネ、普段身ニツケテイル物ガ有レバ、臭イヲ記憶シテ追跡デキルヨ。僕、犬ジャナイカラ臭イ嗅ガナイヨ。尻尾ノネ、センサーで情報ヲ記憶スルンダ!」 自慢の尻尾をひらりと振る幽太郎。ロアンはしげしげと尻尾を見てへぇと声をあげた。 「ケド、匂イダケダト曖昧ニナッチャウカナァ。出来レバ電波ヲ出スヨウナ機械ヲ追跡スルノガ一番ナンダ……携帯電話トカ、トラベラーズノートトカネ」 「ノートって、電波流してるの?」 「アッ!」 幽太郎は指摘されて改めて自分のトラベラーズノートを凝視した。なんの変哲もないノートである。ここから微妙に感じる電波。これは電気ではない。 ああ、きっと、これはチャイ=ブレがすべての世界に流している黒い波動……コレハ 「幽太郎、大丈夫?」 「ハッ! ボク、イマ、ナニヲオモッテタンダロウ! イケナイ、イケナイ! ナニカ、気ガツイチャイケナイモノニ触レテタ! ヨシ、トニカク、後ヲ追イカケヨウ!」 「ふふ。ぼくは迷子を捜すの得意だよ。いつもロアンを探しているからね!」 四号、死去……まさか、部屋にあからさまに白いケープとして置いておいて全スルーとかお前らそれでも雄か! 雄なら持ち上げてくんかくんかをだな、うお、っと、いけない。待ってろ! 次こそは! ぽんぽんぽん。 増える、増える、ロアンは増える。どこに行っても増える。 「アワワワ、ろ、ロアン、増エテル!」 「ふふふっ。おっと、油断すると増えちゃうんだ。えいっ」 ぎゅうとロアンがロアンを抱きしめて、しゅうううと白い煙をあげると、その腕のなかにいたロアンは消えてしまっている。 幽太郎は目をぱちぱちさせる。 「エット、ドウナッテルノ?」 月色の瞳を細めてロアンは笑う。 「知りたい?」 「エッ」 「本当に知りたい?」 小首を傾げるロアンに幽太郎はぶんぶんと首を横に振った。 「イ、イイヨ! ソレヨリ、ハヤク、メルチェットサンヲ探サナクチャ!」 「ふふふ。そうだね」 五号、あんた、ほんとうにばかよ。一号と同じ二の舞を踏むなんて……故郷に恋人がいるって言ったくせに! 「ソウダ! データヲトッテモイイカナ?」 「データ?」 「ソウダヨ! 先モ言ッタミタイニ、僕、データトカヲ解析スルノ得意ナンダ。念ノ為、捜索メンバーノデータモインプットシテオイタホウガイイト思ウンダ! 万一、ハグレチャッタラ探セルヨウニシテオキタイカラ!」 「ロアンを全部?」 「……アッ」 わらわらと部屋のあちこちにロアンは溢れかえっている。先ほど減ったと思ったのに、もう増えているのだ。 せっかくきれいに掃除したというのにすでにロアンまみれの部屋に黒は諦念に満ちた顔で遠くを見つめている。 「ひ、ヒトリデイイヨ!」 「おやおや、そうかい?」 「アト、黒サント。ソッカ、ロアンがイッパイダカラ、イッパイ登録シナクチャイケナイト思ッテタンダ。ヨシ、コレデ大丈夫。サァ、ハヤク、メルチェットサンをミツケナクチッチャ!」 「ふふ、そうだね」 大切な友人であるメルチェットさんへの使命感に燃えて勢い込む幽太郎とそのあとを月明かりのなか優雅なワルツを踊るようについていくロアンはなんとかスタート地点の司書室から、建物の外へと出た。ここからがメルチェットさん探索の本番である が 「コレハ」 「おやおや」 ロアンの月色の瞳が細め、幽太郎はごきゅりと喉を鳴らす。 それはセクタン並の大きなカップ。並々と黒い液体、濃厚な香りからして酸味の強いコナコーヒーのようだ。しかもブラック。そのなかに無造作に入れられているのは茶色のキャラメルのようなチョコファッジが浸され、くるくるっと三重タワーのホイップクリーム。 まるでさぁ、おいで、大人の味がわかるメルチェットさんなら絶対にきてくれるよね! な罠である。 「……」 「……」 「エットコレ」 「えい」 ぱくとロアンはそれを手に取ると、食べてしまった。というか、むしろ、きれいさっぱり吸収して消してしまった。 「アッ、アノ、ケド、アレッテ、落トシモノジャナイカナァ、食ベチャッタラ」 「なくなっちゃったよ?」 「……」 「なにもなかったよ?」 「……」 「ふふ」 「サ、サァハヤク、メルチェットサンヲ見ツケナクッチャ!」 幽太郎はいろいろと見ないことにした。うん、そのほうが賢明だ。 六号、七号、あんたたちの連携プレー、見せてもらったよ。どれもこれも奇策をこらしていてすばらしいのに、おのれ、おのれ! ロアンめ! 幽太郎も気が付けよ! 幽霊とかいってないで気が付けよ! う、ううっ。ぐすっぐすんっ、けど、けど泣かないわ! だってここはターミナルですもの! ロアンと幽太郎は店が軒を連ねる賑やかで活気立つターミナルのなかを彷徨っていた。ロアンは他のロアンを見逃さない刃物のように鋭く、油断のならない瞳を駆使して、幽太郎の優れたセンサーがびんびんに活動して、ようやく小さな四つのふわふわにたどり着いた。 「イタ!」 「ふふ、四人そろっているね!」 二人が声をあげるのに小さなセクタン並の大きさのメルチェットさんが足をとめて四体同時に振り返る。 小さな赤い瞳、金色のさらさらした髪の毛、さわさわのフード。四人はしっかりと手を握り合っていたがロアン、幽太郎を見ると、ぎょっと顔を合わせてぱたぱたと駆けていく。 「ア、待ッテ!」 「かわいいなぁ、かわいいなぁ、メルチェットさん」 うっとりとロアンが囁くのに幽太郎はハッとした。 「駄目ダヨ! イクラ可愛クテモ、メルチェットサンハ駄目ダカラネ!」 「ふふふ」 「笑ッテモダメダカラネ! ア、アノ人、ナンカ怪シイ! 腰ヲクネクネシテ、フワフワノ毛皮! メルチェットサンヲ誘拐スルヒトカモ!」 「ただのおかまさんじゃないのかな」 「アア! メルチェットサンガコケチャッタ! ア、アノ人ガチカヅイテル! トメナクチャ!」 幽太郎は目の前で小さなメルチェットが地面にこけてしまう様子にあわあわした。四体は仲良くこけて一体は足をすりむいてしまったようだ。大人であるメルチェットは必死に泣くまいとしているのに他の三体があわあわしている。それに真っ赤な毛皮に腰をくねりん、くねりんとあからさまにあやしい男――たぶん、おかま――近づいて、腰を屈めて、泣きそうなメルチェットさんを抱っこすると連れ去ろうとしている。残る三体があわあわしているのに幽太郎は果敢にも駆けだした。 「悪党サン! メルチェットサンヲ連レテイカナイデ!」 悪党の前に飛び出して幽太郎は両手をひろげ、尻尾も威嚇するかのように伸ばしてキッと睨みつけ、出来るだけ怖い顔を作って見せる。 「オネガイ! 連レテイカナイデ!」 「あらん、けど、この子をはやくつれていかなくちゃあ」 「連レテ行クナラ、僕ヲ連レテ行ッテ! オネガイ!」 きらきらきら。 幽太郎、渾身の可愛いビーム発動。 悪い人だって、お話すればきっとわかってくれるよねと幽太郎は信じている。そのきらきらとしたお願いポーズにずきゅん! と悪党おかまがその場に崩れた。 「アノ」 「カ、カワイィイイイイ! いやーん、なんなのこの子ぉ! かわいいじゃないぁ!」 「エット」 「ふふふ、ワタシァ、ただ、この子が怪我してるからぁ、治療のためにもぉ、クゥのところにつれていこうとしただけよぉん」 「エ、ソウナノ、イイ人?」 「あらあら、もぉ、かわいいねぇん、ワタシが悪い人に見えるぅ」 若干。しかし、それを素直に口にしてはいけないとシステムが判断して幽太郎が黙っていると 「もう、もう、カワイィイイ! 連れてってなんてかわいいわねぇ、この子の知り合い? じゃあ、アタシといきましょぉかぁ~。そのまえにぃ、そんなかわいい顔して、アタシのこと誘うなんてぇええむちゅーううう」 「!?」 幽太郎は見事にメルチェットさん一体を守り切った。かわりに、ちょっびっとだけいろいろと汚れてしまったが、悔いはない。だって、メルチェットさんのためだもの。 黒いスーツにサングラス姿の黒髪を後ろに撫でつけた男は葉巻をくゆらせながらゆっくりと歩いていた。重い足取りは危険な香りを漂わせる。その男は三つのふわふわに近づいて、腰を屈めた。 ぽん。 「メルチェットさんはだめだよ、ふふふ」 夜色の毛に月色の瞳をしたロアンがにこりと微笑む。男は怯んだがすぐに三体の白いそれを抱っこして駆けだした。 が 路地に入ると、いきなり動けなくなった。 なんと足に元に大量のロアンがしっかりとしがみついているのだ。 ふ、ふふふふ。 ふふふふふふふふふふふふふふふふ。 不気味な笑みを浮かべてロアンはそろり、そろりと歩いていくと男の腕にいる三体のメルチェットを抱っこすると、男に見せつけるようにぎゅうと抱きしめてすりすりして、頭を撫でた。 「ふふふ、ちいさくて、ふかふかで、あったかくて、ふふ、ふふふー♪」 うっとりとロアンはメルチェットを見つめる。 「かわいいなぁ、ほしいな。けど、だめだよね。元のメルチェットに戻らなくっちゃ、ぼくは、ぼくからぼくが抜け落ちていくのは、ちょっと怖いことだから」 メルチェット三体は不思議そうに目をぱちぱちさせてロアンを見つめている。そんなメルチェットをもう一度ロアンは惜しむように頭を撫でた。 「だからぼくはロアンを探し続けるんだ。さぁ、ロアンが案内してくれるから、ちゃんと間違わずにいくんだよ」 ロアンに手をひっぱられてメルチェットはとことこと歩いていく。その姿をじっとロアンは見つめたあと、くるーんと振り返った。 大量のロアンまみれになって地面に倒れている男にロアンは近づく。 「ふふふ。なでなでなでなで。ロアンは生きている者が大好きさ」 なーで なでなでなで なーで なでなで そーれ、みんなで なーで、なでなで 大量のロアンが男を撫でていく。頭を撫で、首を撫で、脚を、腕を……力も加減など知らず、愛しい、愛しい、愛しいと そーれ なーで、なでなで 一人の男の悲鳴が響いた――らしいが、それに気が付いたターミナルの者は一人もいなかったそうだ。 「メルチェットサンノ怪我モ小サナモノデヨカッタ」 小さなメルチェットさんの手をひいて幽太郎はキスマークだらけでとぼとぼと歩いていた。その前にふわふわの白いもこもこのメルチェット三人とロアンが手を繋いであるいてくる。 「アッ! メルチェットサン、ミツカッタノ! 良カッタ!」 「ふふふ。そろそろ、黒のところに戻ろうか?」 ロアンの連れている三体と幽太郎の連れていた一体はひしっと抱き合っている。 「なんだか、いろいろあったみたいだね。ふふふ」 「ウン、イロイロ、ネ。サァ、ハヤクカエロウ!」 「はいなのです」「帰るのです」「黒さんが待っているのです」「大人なメルチェットさんが助けてあげるのです」 そんなわけで四体とロアン、幽太郎はロアンまみれの黒の執務室に戻ってきた。黒は大量のロアンを投げ飛ばしたのに気が付いたら増殖していたのに体中を撫でられて敗北……なんとか部屋の掃除を終え、業務をがんばっていた。 「戻ったか! メルチェットさんもいるな!」 「ウン、デ、イツモデルノ?」 「そろそろ、時間が、あれ?」 四体のメルチェットに変化はないのに黒と幽太郎、ロアンは小首を傾げる。戻れないメルチェットもおろおろしている。 「マ、窓ノソト!」 幽太郎が叫んだ。窓のところには小さなメルチェットさんがもう一体。 「もっと大人なメルチェットさんだとぉ!」 「究極的ニ大人ナメルチェットサンダ!」 「絶対的に大人なメルチェットなのですか!」 おろおろする三人にロアンがにこりと笑った。 「ふふふ」 「「「あ」」」 ぱくりん。 窓辺にいたメルチェットを背後からぎゅと抱きしめた黒い影があった。それが見えたと思ったときにはぽんとメルチェットは元の大きさに戻っていた。 「あ、あれ、あれあれ? 戻ったのです」 「ヨカッタ、メルチェットサン!」 「きっと俺、仕事で疲れてるんだな。そうだな。うん、有給とろう」 「ふふふ。黒さん、あ、増える薬、まだある? ぼくも欲しいなぁ、薬。ふふふ。綺麗な瓶に入れてね」 「え」 「ふふふふ」 「いや、あの、ロアン」 「薬、ねぇ、ぼくのコレクションの瓶でね、とってもきれいなのがあるんだ。これにいれて」 「いや、薬は、もうきっとないなぁ。うん、ないなぁ。はははは」 「黒さん」 「俺は知らん、知らんぞ。クゥからもらったが、もうたぶんないぞ。なくていい、あんなもの」 「……尻尾が二本あるよ。もしかして、黒さんも薬を」 「俺は元から尻尾は二本あるぞ」 「そうなの?」 「ほら、俺、ルーツは化け猫だからな。一本はいつも隠してるんだが、とうとうばれてしまったか……いやー、もう恥ずかしいなぁ。ははは」 「お薬のせいで増えたのかなぁって。ふふふ、それで、お薬は」 「いやいや、俺の華麗なる二本目の尻尾をみたってことで忘れろよ、なぁ、おい、こらって……そんなものばらまいたとばれたら俺がリベルに殺される! あ、そえいえば、俺の書類は?」 「ふふ」 ロアンは微笑むだけなのに黒はメルチェットとにこにこ笑っている幽太郎を睨みつけた。 「書類!」 「……ァ」 「え?」 幽太郎とメルチェットのきょとんとした顔に黒は蒼白となる。それを見て幽太郎は舌を出してえへっと笑った。 「冗談だよ。ちゃんと記憶しておいたもの」 幽太郎のお茶目な笑顔で書類を差し出したのに安堵とした黒はその場にがくりと崩れた。 楽しげな部屋を見上げる人物がいた。 「ふふ、十人までの私は貧弱! 本当の私こそ……! 最強の多さをみせて、ん、お前は……!」 「ふふふふ」 「なでなでしようね」 「一人はさみしいものね」 そーれ なーでなで なーでなで ぎゃああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…… 晴れた空の下。大量のロアンは今日もまたどこかでふわふわと歩いて、誰かをなでていた。
このライターへメールを送る