クリエイター阿瀬 春(wxft9376)
管理番号1147-22869 オファー日2013-03-15(金) 15:41

オファーPC ジョヴァンニ・コルレオーネ(ctnc6517)コンダクター 男 73歳 ご隠居

<ノベル>

 懐かしい温もりが肩に触れた気がした。黒檀の杖で石畳を軽く叩いて足を止めて見仰げば、薄紫の花をいっぱいに咲かせるライラックの樹。
 ジョヴァンニ・コルレオーネはモノクルの奥の湖水色した瞳を穏かに和らげた。
 ふと思い出す。そういえば、あの古い校舎の庭にもライラックがあった。創立者である初代校長が好んで植樹したらしい樹は、世間から隔絶されたあの丘の上の寄宿学校の庭で、初夏の青空に薄紫の可憐な花をいっぱいに咲かせていた。中世の修道院を改築した、どこもかしこも石灰色した厳しい校舎に、ライラックの花は明るく映えた。
 花の香に誘われて、不意に兄の声が蘇った。
 ――悪かったな
 声変わりの最中の掠れて高い声が、肩にもたれかかる幻の重さを伴い耳朶を打つ。
(兄さん)
 花の香と古い思い出に立ち止まる傍らを、忙しい足音と共に背に翼持つ少年が掠めて過ぎた。翼で風を生みながら苛々と振り返り、怒鳴る。
「邪魔するな」
 通行の邪魔になったかと、ほんの僅か眉を上げて見せれば、少年はジイさんに言ったんじゃねえよと唇尖らせた。その翼人の少年の腕を、後ろから駆けて来た別の、こちらはジョヴァンニと同じヒトの姿した少年が掴む。早口に言う。
「心配なんだ」
「うるさい!」
 翼持たぬ少年の手を振り払い、黒翼の少年が喚く。
 思いがけず、口許に微笑みが滲んだ。少年たちに気付かれぬよう、枯れた掌を口許に寄せて隠す。
 あの古い校舎の夜の庭で静かに咲いていたライラックの香りを、
 あの日聞いた兄の掠れた声を、
 今でも鮮明に覚えているのは何故だろう。



 その時の兄は何に苛立っていたのだろう。
「兄さん」
 ただ、そう声を掛けただけだった。それだけで、こちらを不機嫌に振り返った兄、ジャンカルロの深い湖水色した眼が剣呑な光を帯びた。着崩した制服の腕が伸びた。胸倉を乱暴に掴まれる。襟のタイが大きく歪む。
 校舎と校舎を結ぶ渡り廊下の柱に背中を押し付けられてしまう。柱に彫り込まれた、色褪せた元極彩色の天使から灰色の埃が舞う。激しく距離を詰められ、思わず息が止まった。自分と同じ顔をしているはずなのに、堪えようのない苛立ちを含むだけで、顔立ちはまるで違ってしまう。瞳の色さえ、どこか違ってしまう。
 双子なのに、と間近にある兄の深い湖水色した眼を見つめて思う。
 昔はお互いに同じ顔をしていることが嬉しかった。多少の複雑さは抱きながらも、それでも、同じ顔で笑い合っていたのに。同じ事柄に怒ったり泣いたりしていたのに。
 子供の頃のように笑いあいたいだけなのに、どうしてだろう。
「兄さん」
「お前もか」
 息の掛かる間近からきつく睨まれ、どこまでも不機嫌な声で低く唸られる。
「お前も、って?」
 聞き返そうとした時、兄の身体が後ろに引いた。
「やめろ!」
 兄に向けられた叱責に眼を上げる。兄はどこからか駆けつけた男性教師に羽交い絞めにされていた。渡り廊下を行く他の生徒が知らせたのだろう。気付けば、渡り廊下の隅からも、蔦の彫刻為された窓からも、重々しい焦茶色の扉の向こうからも、好奇心に満ちた生徒たちの顔が覗いている。
「離せ!」
「何度騒ぎを起こす気だ!」
 怒鳴りあう兄と教師の間に、
「すみません、ただの兄弟喧嘩です」
 笑顔を作って身体を割り込ませる。
「迷惑をかけてごめんなさい」
 笑みを向ければ、教師は困惑顔で兄から手を離した。兄は飛びのくように距離を置いて、忌々しげに顔を歪めた。舌打ちし、肩を怒らせる。
 教師は兄を見、こちらを見、
「大丈夫だな?」
 こちらに確かめる。はい、と大きく頷けば、そうかと短い息を吐いた。君が言うなら問題ないだろう、と安堵の表情で呟き、今度は険しい顔で兄を見遣る。
「ジャンカルロ」
「何だよ」
「兄弟喧嘩も程々にな」
 黙りこむ兄に、あともうひとつ、と付け加える。
「夜間外出は禁止だ。例え校舎内と言えども」
 教師を睨みつけていた兄の眼がますます険を帯びる。
「……何で知ってる」
「噂になっている」
 ここはそんなに広くない、と教師は丘ひとつを占有する元修道院の学舎を見回す。
「噂?」
 学校における兄の噂は幾つか聞いている。
 級友や上級生と喧嘩した、教師に殴りかかった、授業をまともにうけない。兄弟なのに、同じ顔をしているのに、どうしてああも違うのか。
 教師が口にした『噂』は初めて聞いたものだった。
「学校に出る幽霊の正体を確かめてやると息巻いてるそうだな」
 図星だったのか、兄は唇を不満げに引き結んだ。
 お前もか、と罵られた言葉に合点がいく。兄は、噂を聞きつけた弟が他の誰かやこの教師と同じように引き止めるものと思っているのだろう。
「そんなことで自分の勇敢さを証明しなくてもいいだろう」
 顔を背ける兄の肩を軽く叩き、教師は群がる生徒たちを散らしながら校舎内に戻った。
「兄さん」
 全身を針のように尖らせる兄に、何と声を掛けていいのか迷って迷って、結局いつもと同じように呼びかける。おしなべて大人しい級友たちから問題児と恐れられ、白眼視される兄を、けれど怖いと思ったことは一度もなかった。ただただ、知りたかった。どうしてそんなに苛立っているのか。どうすれば以前のように笑ってくれるのか。
「学校は、嫌いかい?」
 どれだけ真直ぐに見ても、兄はこちらを見てはくれない。
「馬鹿か」
 こんなところ、と兄は灰色の校舎を仰いだ。数本の灰色の塔が寄り合って初夏の青空に伸びている。
「牢獄みたいだ」
「そう、かな?」
 白い眉間に気難しげな皺寄せて、兄は鬱陶しそうに溜息を吐く。自分と同じ色した前髪がふわりと揺れた。
 風に紛れて、花の香りがする。校舎のどこにいても、初夏の風が吹くたび、中庭や前庭に植えられたその樹花の香りが流れた。
 花の名を覚え、花の持つ言葉を知ったのはいつだっただろう。


 どれほど乱暴な言動をしようとも、制服を粗野に着崩そうとも、兄の歩く姿は美しかった。背筋を伸ばし、頭も眼も真直ぐに上げ、力強い一歩を踏み出した。
 明るい月明かりに照らし出された校舎の入り口に一人で立つ兄は、何かに抗うように肩に力を籠め、背筋を伸ばしている。
 入り口とされる元修道院の大扉には、色褪せた天使が何体も翼を広げる。太陽の光の下では、優しい笑みを湛えて見えた天使たちは、月下には意地悪で好奇心に満ちた笑み浮かべているように見えた。
 たちの悪い天使たちのこらえきれない笑い声が、ライラックの香り漂う夜の前庭に響いた気さえして、思わず兄の背中から眼が離れる。兄に見つからないよう、身を隠した外灯の影から、石畳敷かれたライラックの道に視線を巡らせる。
 そうしている間に、兄は躊躇いもなく天使像の大扉の傍を通り過ぎた。大股に向かうのは、大扉の脇の小さな通用扉。兄の片手に揺れる小さな鍵が、月明かりを白く反射させる。
 通用扉の鍵を使い、兄は施錠された学校にあっさりと入り込んだ。
(あんなものをどうやって)
 兄の後を追う。花の装飾の通用扉に手を掛け、慎重を期して耳を押し当てる。扉の向こうに居るはずの兄の物音を探ろうとして、
 冷たい扉に押し当てた身体が不意に傾いた。扉が内側から引き開けられる。声を上げる間もなく、勢いよく校内へ引き込まれる。石床を何歩か踏みしめ、倒れこみそうになる身体を立て直す。
 短く息を吐いて顔を上げると、こちらに伸ばしかけた手をきつく握りこんで制服のポケットに押し込む兄の姿があった。驚いた湖水色の眼が見る間に不機嫌に顰められる。
「ついてくる奴が居ると思っていたら」
 寮を脱け出した兄の後をこっそりついてきたつもりが、知らない間に気付かれてしまっていたらしい。
 兄は通用扉の鍵を持ったもう片方の手もポケットに突っ込んだ。腹立たしげに踵を返す。苛立った背中を見せて、夜の学校の廊下を足早に歩き出す。
「なんでついてきた」
「兄さんが心配だから」
 高い窓から流れ込む月明かりの下を、兄の背中を追う。たった二人分だけの足音が月光と夜闇に占められた校内に響く。
 聖人像の並ぶエントランスを過ぎ、学年教室が暗闇の奥まで続く廊下の手前で、兄は振り返りもせずに吐き捨てた。
「足手まといだろうが」
 追い返されないことが嬉しかった。
「そうはならない」
 思わず笑みが滲んだ。横に並ぼうと足を速めれば、兄が肩越しにちらりと向けて寄越した眼と眼が合った。もしかすると笑み返してくれるかとも思ったが、兄は無言でこちらの手を掴んだ。そのまま、月明かりと暗闇が斑に入り混じる廊下を駆け出す。
「兄さん?」
「振り返るな」
 真摯なほどの声音にむしろぎくりとした。高い窓から降る月明かりに照らされた兄の顔は恐ろしく白く見えた。兄に引き摺られる形にならないよう、足手まといにならないよう、並んで走る。
 教室の脇を駆け抜け、角を幾つか曲がる。明り取りの窓がほとんどない、特殊教室の並ぶ廊下に入る。
 振り返るなと言っておきながら、兄自身は強張った視線をちらちらと背後へと向ける。その度に掴まれたままの手が更に強く握られた。
「ついて来る」
 嗄れた声で兄が囁いた。
 振り返る兄の視線につられ、見るまいと思っていたはずの眼が思わず背後を向いてしまう。
 制服の襟元に冷たい水が流れた気がした。
 大した距離を走ってはいないはずなのに、息が乱れる。身体中に心臓の早い鼓動が響き渡る。
 紋様で覆い尽くされた暗い廊下の奥、白い影が揺れている。何かが、後を追って来ている。
 僅かに先を行く兄の呼吸が乱れた。兄の身体が前につんのめる。掴まれていた手が振り解かれる。転ぶ兄の隣に膝を突く。慌てて顔を上げて、行く手を防ぐ石壁と、ずらりと並ぶ歴代学長の肖像画にぎくりとする。
「兄さん」
 傍らを向けば、起き上がろうとしながら兄は舌打ちしていた。蒼白い顔を顰め、制服に包まれた足首をきつく掴む。尻をついたまま背後へと向き直り、息を飲み込む。
「先に行け」
 兄は恐怖に凍りついた眼のまま、焦燥に歪む頬のまま、助け起こそうとするこちらの手を撥ね退ける。撥ね退けた手でこちらの肩を掴み、自らの背の後ろへ遣ろうとする。
「俺はいいから逃げろ!」
「兄さんをおいていけない!」
 悲鳴じみて応えれば、兄は青い瞳に迫る白い影を捉えながら静かに呟いた。
「俺がいなくてもお前が居ればいい」
 達観したような兄の眼に、一瞬、状況を忘れた。反射的に兄の襟首を両手で掴む。
「馬鹿言うな!」
 冷や汗に濡れて冷たい兄の額と、駆けた熱が籠もって熱いこちらの額とがぶつかる。
 兄の手を掴む。兄を背に庇おうとした肩を兄が掴む。揉み合うかたちで互いを互いに身を挺して庇いあう兄弟の傍らを、白い影は音もなく擦り抜けた。視線だけで追えば、白い影は壁に掛けられた初代学長の肖像画に吸い込まれ、――消えた。
 肖像画を呆然と見仰ぎ、兄は幽霊の正体を解したらしい。脱力した態で苦笑する。
「なんて人騒がせな幽霊だ」
 明るい月明かりに照らし出された肖像画の中で、初代学長は物静かな笑みを浮かべている。
「それだけ学校を愛していたんだろう」
 幽霊になってまで、学舎の夜の見回りを続けるほどの愛着とはどれだけのものだろう。
「立てるかい?」
 差し伸べた手を、兄は僅かに躊躇って後、しっかりと掴んだ。
「悪い」
 言って後、兄は身体中の空気を入れ替えるような深い呼吸をした。肩にもたれかかる兄の温かな重さが増す。
「悪かったな」



 あの幸福な学び舎を離れて、もう何十年と経つ。
 頭上で咲き誇るライラックの樹を仰ぎ、眼を細める。湖水の色した眸に悲しいような笑みが滲む。
 あの時代を幸福と言わずして何と言おう。
 世間から隔絶され、ライラックの花香る学び舎で、兄と離れたり歩み寄ったりを繰り返した何年かは、今となっては間違いなく幸福な日々だった。
 幸福な時代のその後は、
(――さて、)
 思い出に沈みそうになる心を、温和な笑みひとつで引き摺りあげる。
「じゃ、行くぞ」
「わあ、待って」
 ライラックの樹の下で言い争って後、少年たちは連れ立って駅方面へと駆け出した。
「よい旅を」
 思わず声掛ければ、
「よい旅を」
 元気な返事が返って来た。
 小突きあいながら駆け去る背中に、遠い昔の兄と自分の背中を見た気がした。
 一人、唇の端に深い皺刻んで微笑む。
 幾重にも思い出を重ねて、旅は、まだ続いている。



クリエイターコメント 大変お待たせいたしました。
 ジョヴァンニさまの少年時代の冒険譚、お届けにあがりました。
 おはなし、お聞かせくださいました通りに描けておりましたでしょうか。ご満足いただけましたら幸いです。

 折角なので題名には薔薇の花言葉を、と思っていたのですが、ライラックの花言葉があんまりしっくりきたので、今回はライラックの花を据えてみました。しっくりと言いますか、そのままな気もしますが。

 おはなし、聞かせてくださいましてありがとうございました。
 またいつか、お会いできましたら嬉しいです。
 ありがとうございました。
公開日時2013-04-10(水) 21:30

 

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