ゼシカ・ホーエンハイムとタリスの二人がインヤンガイで受けた依頼は、大きく言えば「宝探し」だった。何年か前に亡くなった画家が残したはずの、最後の一枚を見つけてほしいというものだ。「画家さん、どこに隠したのかしら」「うーん、屋敷にはあるはず、なんだよね?」 その画家は、晩年病気で碌に動けなかったらしい。病院にも入らず屋敷で療養し、その間に最後の気力を振り絞って描いていた、とフーロンと名乗った婦人は言った。 けれどどんな絵だったかの問いには、分からないの返答。それを知りたいからこそ見つけてほしいと言われれば、否とも言えない。「のこるものを、のこしたくない」 スランプに陥った頃、その画家がよくそう溢していたらしい。 彼は比較的、早くに才能を見出された。碌にカンバスも買えない頃は婦人が気に入った絵も容赦なく塗り潰されたけれど、それも数枚で済んだそうだ。彼の描く風景画は絶賛され、うだつの上がらない幼馴染にいい顔をしていなかった婦人の両親からもようやく結婚を許された。家を買い、子供も授かり、後は好きなだけ描けばいい状況になって画家は急激なスランプに陥ったそうだ。 結果、彼が脚光を浴びた時期はひどく短い。ただ作品があまり出回らなかったせいもあって、彼の絵には今も高値がついているらしい。「スランプって、描きたい物が分からなくなるのかなぁ」「でも、描きたくないわけじゃなかったのね?」 スランプに陥った後も数枚は描いたと思い出してゼシカが首を傾げると、金の為に描いただけだろと後ろから辛辣な声が聞こえた。思わず二人が振り返ると、一人の青年が屋敷を睨みつけて立っている。胸に下げた黄色い羽根を弄りながら見下ろしてきた彼は、訝るように目を眇める。「黄色の羽根さん……?」「誰?」「それはこっちの台詞だ。家に何か用か、がきども」「がきじゃないもん。ゼシね、ゼシって言うのよ」「ぼくはタリス。最後の一枚を探してって頼まれたんだ」「……そういうと人に頼んだって聞いたが……、まさかお前らか?」 正気を疑るように語尾を上げた青年は、やめとけと鼻先で笑った。「あの人に何を吹き込まれたか知らないが、俺が何年かかっても探し出せない物だぞ。お前らには無理だ」「そんなの分からないじゃない」「勝手に無理だって決めないでよ」 ぷぅと二人して頬を膨らませて反論すると、青年は少しばかり楽しそうにすると目線を合わせてしゃがみ込んできた。「じゃあ、賭けるか。俺も暇じゃないから、一日だけ。お前らが探すのを邪魔しないでやるよ」 たった一日? と聞き返そうとしたが、婦人の姿を思い出して口を噤む。 あの人は、もう先が長くない。画家と同じ病気でもうあまり動けないのだと、寂しそうに笑って教えてくれた。 だからこそ急いで絵を売って薬代に当てようとしている息子は、考えようによっては孝行者だろう。ただ婦人はそんなことを望んでおらず、最後の絵を見たいと願っている。夫の遺作を胸に、彼の元に行きたいと願っている……。「どうだ、乗るか」 からかうような問いかけにゼシカとタリスは目を見交わし、うんと同時に頷く。面白そうに目を見開いた青年に、聞いてもいい? とゼシカが口を開いた。「どうして画家さんの絵、売っちゃおうとするの……?」 薬代にと聞いて最初は返す言葉を見つけられなかったけれど、婦人が言うにはそこまでお金に困っていないらしい。それならその最後の一枚こそ、彼女にとって一番の薬となるのではないか。「ゼシはね、パパが絵を遺してくれたら……きっと大事に持ってたいよ?」 スカートをぎゅっと握りながら尋ねるゼシカを、タリスが心配そうに見る。青年はしばらく黙っていたが、皮肉げに笑って黄色い羽根を潰しかねない様子で握り込んだ。「お前とは違う。俺はあんな奴、大嫌いだ。死んで清々してる」 だってそうだろ、と彼は顔を歪めて自嘲気味に続ける。「俺があいつと顔を合わせたのは数えるほどだ、ほとんど背中しか見たことない。同じ屋敷に住んでたのに、だぜ? 部屋を覗いてるのがばれようもんなら、危険だからってぶん殴られた。はっ、たかが絵を描いてるだけで何が危険だっての! 最後の絵だって、本当に描いてたかどうか。何か混ぜたり燃やしたり、怪しげなことしかしてなかった!」 怒鳴るように吐き捨てて立ち上がった彼は、びくりと身体を竦めたゼシカに気づいて一瞬申し訳なさそうな顔をした。けれど素直に謝る気にはなれなかったのかふいとそっぽを向き、一日だけだと低く宣言して踵を返した。「ここにいたら気分悪ぃ……、夕方になったら戻ってくる」 それまでだけだと残して離れていく背中を見送り、怒らせたと落ち込むゼシカを慰めてタリスが首を傾げる。「嘘、だね」「え? ゼシ?」「違うよ、あの人。本当に嫌いなら部屋にも近寄らないよ、けど背中しか覚えてないって言ったよね。怒られても懲りずに部屋を覗いてたから、何をしてたか知ってるんだよ」 にこりとタリスが笑うと、ゼシカもようやく笑顔を戻して握っていたスカートから手を離した。「そうよね、画家さんの最後の絵を見たら売らないって言ってくれるかもしれない」「うん、見つけたらきっと上手くいくよ」 声を弾ませたタリスに、ゼシカも嬉しそうに頷いた。 ゼシカとタリスが足を踏み入れた屋敷は、広さこそあったものの部屋数としてはさほど多くなかった。画家がアトリエとして使っていた部屋が二階の半分ほどを占め、後は夫婦の寝室と息子の部屋。一階はキッチンやリビング、風呂トイレといった生活空間の他、客室として使っていた三部屋があるばかりだ。「……散らかってるね」 思わず呟いてしまうのは、目につく範囲に点々と白いカンバスが投げ出されているからだ。きっとジンシーが放りっ放しよと婦人が苦笑して説明したまま、空振り続きで嫌になった青年が放り投げる姿は簡単に想像できた。「とりあえず、片付けがてらアトリエに行ってみようか」「うん。このままじゃよくないよね」 頷いてゼシカは手近にあるカンバスを拾い、少し離れたところにあるカンバスを拾ったタリスに追いつく。二階に向かう階段を上がりながら、時々嗅ぎ慣れない匂いを感じて首を捻る。「これ、何の匂い?」「絵の具と油、だと思うよ」 画家の屋敷だしねと答えられたそれに、ゼシカも納得して頷く。二階にもまだ転がっているカンバスを拾うのは後回しにしてアトリエに向かい、馬鹿みたいに広いのに乱雑に物が転がっていてちっともそう感じないことに軽く閉口する。ついでに言うとどこかむっとした匂いが篭っていて、カンバスを置くと喚起すべく窓に向かった。「うわあ」 窓を開ける前に思わず声を上げたのは、そこから見る庭の眺望に感動するから。タリスも急いで近寄ってきて、ゼシカと同じく台に乗ると熱心に眺め始める。 婦人が四季折々咲く花を楽しめるようにと腐心した庭は、アトリエから見るのを前提としていたのだろう。今を盛りと咲き誇る鮮やかと、それを邪魔しないようにと計算して配置された灰色の様々な鳥たち。 婦人の想いを嫌でも感じられるこの風景を、色のない筆を持った画家はどんな思いで眺めていたのだろう。「画家さん、絵を描かないで何をしてたのかな?」「混ぜてたのは、絵の具を溶いたりするから分かるけど。燃やしてた……」 画家の行動に不審を覚えつつタリスは軽く部屋を見回し、うーん? と首を傾げる。画家のアトリエにしては見慣れない物が多く、新しい色でも作ってたのだろうかとぼんやり考えた。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ゼシカ・ホーエンハイム(cahu8675)タリス(cxvm7259)=========
のこるものを、のこしたくない。画家の言葉を繰り返したタリスは、部屋に残る画材の多さに首を傾げる。本気で残したくないと思っていたなら、道具も捨ててしまわないだろうか。 白いカンバスの多さがスランプを示しているのかもしれないが、それにしては量が多い。描けなくなっていたなら尚更、描けと迫ってくるようなこれらは見たくもないと思うのだが。 「どうしてこんなに沢山散らばってるんだろう」 ぽつりと呟くと、ゼシカが先ほど拾ってきた一枚を持ち上げて口を開いた。 「木の葉を隠すなら森の中。絵を隠すならカンバスの中、よ」 きっとこの中のどれかだと思うわ、と角度を変えて眺めながら言う。 「ゼシね、画家さんは焙り出しで絵を描いたんじゃないかと思うの」 果汁や特殊な絵の具で描くと一見真っ白だけど焙ると浮かび上がってくるの、と説明するゼシカに、タリスはそんな絵もあるんだと何度か目を瞬かせた。 彼が大切な人たちに習ったのは、カンバスに色を乗せて描く手法だ。けれどそんな普通の絵なら、今頃とっくに見つかっているはず。未だに見つからず、描いていたのも確かなら。 「のこらないものなら、のこしたかったのかなぁ」 だとすれば、ゼシカの推測は正しい気がする。ぱっと見ただけではのこっていない、でも、のこしたいもの。 「カンバスをみんな集めて、お庭で焙ってみない?」 「みゃあ。それなら、にゃぼてんに手伝ってもらおう」 言うなり七色の付いた絵筆を取り出し、次々と描き出す。ぽてっとしたフォルムのにゃぼてんが総勢十体、にゃぼ、と小さな手を振り上げて挨拶する。カンバスをお庭に集めてくれる? とお願いしたゼシカに頷いてにゃぼてんたちが一階に向かうと、負けじとアシュレーもアトリエ内のカンバスに駆け寄っている。タリスも手伝おうと足を向けかけたが、机の上に並んだ絵の具缶や油の瓶らしき物に気づいて止まった。 「ゼシカ、ちょっと離れててくれる?」 危ないかもしれないからと断って、タリスはそれらを床に下ろした。ゼシカの不思議そうな視線を受けながらバケツを描いて具現化し、画家がしていたのを真似て混ぜ合わせる。 しばらくタリスの行動をしゃがんで見守っていたゼシカが、ぽつりと零した。 「画家さん、黄色い羽根さんのこと、ちゃんと愛してたと思うわ。だってね、部屋に入るのを止めたのは今みたいに心配してくれたからよ。絵の具って身体に毒な成分も含まれてるもの、子供が口にしたら危ないわ」 伝わらなかったみたいだけどと寂しそうなゼシカの言葉に、擦れ違ったままの親子を思ってタリスも視線を落とす。バケツの中では混ぜ合わさった絵の具が、今の心境みたいに何だか複雑な色をしている。 「──これでいいのかにゃあ」 思わず不安になりながらも、転がっていた絵筆を取った。同じく手近に落ちていた紙を見つけて試しに描きつけると、しばらくしてすうと色が消えた。 「消えちゃった……」 「当たりみたいだね。ならきっとその辺に火をつける道具が、」 あるんじゃないかなと顔を巡らせると、何をする気だよと唐突な声が割り込んできた。 「あ。黄色い羽根さん」 ひょっとしてもう夕方!? と軽く慌てたゼシカに、青年は違うとぶっきらぼうに否定する。 「あの人が気になるって言うから、連れて来ただけだ」 車椅子だから下で待ってると続けられ、今は実家で療養している婦人に付き添ってきたのだと分かる。 「何がしたいか知らないけど、部屋の中で火を使おうとするな。危ないだろ」 使いたいならせめて部屋は出ろと顰め面で促す青年は、案外面倒見がいいらしい。分かり辛い親切に画家もこんな風だったのだろうかと考えていると、ゼシカがふふと小さく笑った。何だよと脅すように青年が見下ろすと、ゼシカはあのねと腰に手を当てた。 「せっかく親切にしてくれるのに、そんなに怖い顔しちゃだめよ」 もっと笑顔にならなくちゃと尤もな指摘に、青年はぐっと言葉に詰まっている。ゼシカはその彼を見上げ、真面目な顔になって続ける。 「ゼシね、画家さんもきっと黄色い羽根さんと同じだったんだと思うわ。カンバスとにらめっこしてる時間が長すぎて、どんなお顔で振り向けばいいか分からなかったの。絵を描くのは上手だったけど 他の事が人よりちょっとだけ不器用だったのよ」 だから画家さんを怒らないであげてと真っ直ぐにお願いしたゼシカに、青年はどこか苦い顔つきになったけれど言及はしないまま部屋を出ろと促した。ここで火を使うのも確かに危ないので、タリスたちは持てるだけカンバスを持って庭に向かった。 アトリエを見上げられる位置にいた車椅子の婦人を見つけてゼシカとタリスが駆け寄っている間に、渋々と装いながら手伝ってくれる青年が火の用意をしてくれていた。準備できたぞと声をかけられ、婦人にもう少し待っててと断ると抱えていたカンバスを持っていく。 「とりあえず、さっきの紙で試してみるね」 さっき描きつけた紙を取り出してタリスが火に翳すと、ぼんやりと色が戻ったのを見てゼシカがぱっと顔を輝かせた。やっぱりと嬉しくなって笑い合うと、青年が何度も目を瞬かせた。 「絵が出てきた……? まさか、ここにあるカンバスを全部試すのか」 呆れたような青年の声につられて見回すと、にゃぼてんやアシュレーたちが寄りかかれるほど積み上げられているカンバスに思わず溜め息をつきたくなる。 「みゃあ。ちょっと多いね……」 「何か目印はないかしら」 これでは夜までかかりそうだと不安を覚えた二人は、ない可能性もあるだろと皮肉に語尾を上げた青年に恨めしい目を向けて彼が握っている黄色い羽根に気づいた。 「黄色い羽根さん、それ、ひょっとしてパパに貰ったの? 何かヒントがあるんじゃないかしら」 「っ、これは別に……違う」 名前にかけた嫌がらせだと言い難そうにした青年は、 「あいつが俺に何かを託すはずないんだ」 小さく嘆いて振り切るように首を振った。そうして一枚ずつ調べればいいんだろと吐き捨てて乱暴な仕種でカンバスを取り上げると、焙ったところで白いままのそれを次々に投げ捨てていく。 「だめよ、乱暴にしちゃ!」 「どうせ違うんだからいいだろ」 「よくない、違っても大事な道具だよっ」 ゼシカとタリスが声を尖らせると、青年はますます乱暴に扱う。悲しそうな顔をしている婦人に気づいたタリスが慌てて取り上げると、たった今投げ捨てられたカンバスの端っこのほうにひびが入っているのを見つけた。壊れたのかと焦ったが、どうも表面だけらしくタリスが触れればぽろぽろと落ちる。 まるで、乾いた絵の具が剥がれるみたいに。 「そっか! これ、白く塗り潰してあるんだよ。この下に描いてあるんじゃないかな」 「上を削ればいいの? でもそうたら一緒に下の絵も消えない……?」 不安になってゼシカが尋ねると、タリスが大丈夫と笑った。 「上の絵だけ剥がす方法があるよ、確かアトリエに道具もあった。ぼく、取ってくるね」 急いで戻っていくタリスに転ばないでねと声をかけたゼシカは、弾んだ気持ちで婦人に振り返った。けれど嬉しそうに頬を上気させている彼女とは裏腹に、青年が眉を顰めているのに気づいて顔を上げる。 「黄色い羽根さん……? パパの絵が見つかって、嬉しくない?」 「見つかってはないだろ、まだ。その下に絵がある保証だってない」 「ジンシー」 やめなさいと窘められて青年が顔を背けると、階段を使うのがまどろっこしかったのかタリスが道具を抱えて窓から庭に下りてきた。すぐに落とすねと張り切って作業にかかるタリスの手元を、ゼシカも食い入るように見つめる。 画家が残した絵は、家族の肖像画であればいい。自分が死んだあとも想いが残るように、と。風景画で知られていたから照れ臭くて、でも家族の絵を破るなんてできないから隠したのではないか。 (画家さんは、黄色い羽根さんのこと大好きよ) 今はまだ信じられないだろうけど、最後の絵を見たらきっと分かってくれる。分かってほしい。 手を組んでゼシカが見守る中、全てを剥ぎ取られたカンバスはその下にまた白を見せた。 「え、」 「は、……はは、ほら見ろ! ないんだよ、あいつが残した物なんて一つも!」 やっぱりだざまあみろと、誰にともなく悪態をついて青年が引き攣った顔で笑う。どうしてと戸惑っていると、 「他にもあるんじゃないかしら」 一番残念に思っているだろう婦人が、さほどがっかりした様子もなく声をかけてきた。三人して振り返ると、あの人ならやりそうよと婦人が楽しげに微笑んだ。 「何もないのに塗り潰すなんて、あの人はしないから。きっとあるわ、まだ何枚かそんな風に塗り潰したカンバスが」 婦人の言葉通り、にゃぼてんやアシュレーも総動員で探したところ塗り潰したと思われるカンバスは後四枚出てきた。せっせとタリスが剥がしてくれたどれも白いままだったけれど、一枚ずつ丁寧に火に翳せばどれかに絵が浮かび上がってくると信じられる。 無駄だと青年はやめるように促してきたが直接邪魔はされず、最後の一枚を焙るなり浮かび上がってきた線にゼシカは思わず声を上げた。 「やっぱりあったよ!」 嬉しくなって青年に向けると、彼は一歩だけ後退りしてすぐに唇を歪めた。 「どこが絵だよ。そんなの、単に焙りすぎて焦がしただけだろ」 「違うもん!」 そんなはずないと向きを変えて眺めるが、確かにそれはまだ絵に見えなかった。人為的な曲線が何本か薄らと走っているように見えるが、それだけ。タリスが受け取ってもう一度焙ったけれど、それ以上線が濃くなることもなかった。 「これ以上やると焦げちゃうよ……」 しょんぼりとタリスが頭を振ると、青年はほらなと自嘲気味に笑う。黄色い羽根は、彼の右手で潰されそうに握り締められている。 「無駄骨ご苦労様だったな、あんな自分勝手な奴が誰かに何かを残すなんて有り得ない。そういう奴なんだよっ」 「っ、でも、じゃあどうして黄色い羽根さんはパパの絵を探してたの!? 本当はパパが大好きなんでしょ、好きだから振り向いてくれなくて哀しかったんでしょ?!」 目に一杯涙を溜めながら、それでも泣きたくなくて堪えつつ投げるように問いかける。そんなことない! とむきになって否定する青年を、タリスが嘘つきと軽く睨んで口を尖らせた。 「本当はあるって思いたいくせに、どうしてないなんて言うんだよ」 「あるなんて、」 「あってほしいから探したんだよね? でないとこんなに長い間、探し続けたりしないよ」 どうして自分に嘘をつくのとタリスが続けると、言葉に窮した青年はちっと音高く舌打ちして顔を逸らした。ゼシカは彼の態度にますます泣きそうになりながら、白に近いままのカンバスを見下ろした。 「絶対……、絶対に描いてあるはずなのに……」 「なら、いっそそれを燃やしてくれないかしら」 「っ、燃やすの!?」 どうしてとタリスが目を丸くして婦人に振り返ると、彼女は穏やかに微笑んで言う。 「あなたたちが信じてくれるから、私も信じてみたいのよ」 「信じるのに燃やしちゃうの……っ?」 婦人にまで見捨てられた気分でゼシカが声を震わせると、タリスが何かに気づいたように軽く焙ったまま放り出していた紙を取り上げた。何をするんだろうと目を瞬かせていると、タリスはそれをそっと火に投げ入れた。途端、ぼうっと音がして火が膨れ上がった。 驚いて後退りしてしまったけれど、燃え上がった火の中にタリスの描いた絵が浮かんでいると気づいて声を上げた。ゆらゆらと燃え広がっていた赤はしばらくその絵を写していたが、やがて通常の勢いに戻るとそこには何も残っていなかった。 「燃やさないと、ちゃんとは見られないんだ……」 そういえば焙って浮かんできたのは、絵の一部分だけだった。あの時はこれで見つけられると喜んで気にしていなかったけれど、元々火と混ざってようやく見えるように作られていたのだろう。 ゼシカは大事に抱いていたカンバスを見下ろすとそろりと婦人を窺い、穏やかな微笑に力づけられて青年へと視線を変えた。 「どうするかは、黄色い羽根さんが決めて」 「そうだね。見つけてって依頼は叶えたよ、この絵を見たいかどうかは二人が決めなきゃ」 「私の意志は決まってるわ。だから……ジンシーの好きにしなさい」 柔らかに突き放す婦人の声で、青年は立ち尽くしたまま僅かに拳を震わせている。 見たい。でも、見たくない。ない間はただ憎んでいられたのに、残された物を目の当たりにすると逃げ場がなくなる。でも本当に残された何かがあるのなら知りたい、けど、でも。 葛藤が如実に伝わってくる様子に、ゼシカは急かしたい想いを堪えてカンバスを抱き締める。タリスを見ると笑って頷いてくれるから、信じると決めて黙って見つめる。 どれくらい時間が経っただろう。長い間押し黙っていた青年は、ひどく聞き取り辛い小さな声で、見たいと呟いた。ぱっと笑顔になったタリスが青年に駆け寄り、引っ張るように婦人の元まで連れてくる。ゼシカは慎重に彼女の車椅子を押して火に近寄り、距離を確かめてカンバスを構えた。 燃やしてしまうのは、勿体無い。なくなってしまうと思うと、心が痛い。それでも見たいと望むのは、画家が遺した想いを知りたいから。 「……準備はいい?」 知らず小さくなった声で確認すると、青年の視線が軽く揺れる。けれど婦人がそっと彼の手を取ると、意を決したように顎を引いた。 ゼシカはタリスと一緒にカンバスを持ち、顔を見合わせるとしっかり頷いて火に入れた。 さっきの紙とは比べ物にならない勢いで、ごうっと炎が吹き上がった。くべたカンバスよりも少し大きく広がった真紅に写るのは、咲き誇った芙蓉の花とそこを自由に飛び回る小さな鳥。火に描かれたそれらに色は付いていないのに、何故かその鳥は鮮やかな黄色なのだと分かった。 (あの鳥……黄色い羽根さん?) それなら芙蓉が婦人だろうかと考えていると、アトリエから見える景色だねとタリスが目を細めた。 言われて見れば、先ほど感嘆した庭の様子とよく似ていた。花の種類に生きている鳥と違いはあるけれど、画家が最期まで眺め、最後と決めて描いた風景。景色になぞらえて描かれた、家族の肖像──。 青年がどんな想いで眺めているのか、窺おうと思ってやめた。炎が揺らぐたびに羽ばたいているかに見える躍動的な姿から目を離したくなかったのと、何より無粋な気がしたからだ。 きっとどんな言葉を重ねるより、この絵は青年に様々を伝えるだろう。風に揺らぐ芙蓉の花と、それに見守られるように飛び回る金糸雀。何れ消えると思えばこそ余計に愛しい、画家が精魂を込めて描き残した最後の作品。 「残らないけど留まる物を、ちゃんと遺してたんだねぇ」 囁くようなタリスの声が消えるのと同調したように、炎はふっと揺らいで小さくなる。 「っ、」 引き止めたげに手を伸ばした青年の指先に名残を残して静まった火は、もう何も語らない。
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