1.感激からの惨事 これをおとうさんやおにいさんにも食べてもらいたくて。 鬼の少年、真遠歌がそう言って渡してくれた糯米に、当然のことながら鰍は感動した。狂喜乱舞したといっても過言ではない。 なにせ、可愛い息子が、自分たち家族のためにともらってきてくれたものだ。とてもおいしかったから、自分たちといっしょに食べたい、と言ってくれたのである。それを喜ばぬ父親がいるだろうか、いやない。 「そうか、楽しかったのか」 「はい、とても」 真遠歌が言うには、カフェ『クリスタル・パレス』で行われた新春遊戯会とやらの一環で、皆で餅をついたのだそうだ。糯米は雄々しく、凶悪なまでに力強く――という表現を聞いたところで若干の疑問と不安を覚えたのだが、真遠歌が楽しそうだったため鰍の脳内でスルーされた――、その戦いには参加者たちの愛とか勇気とか真心が試された――このあたりで、鰍の中では餅つきがゲシュタルト崩壊した――そうだが、出来上がった餅は、つやつやと滑らかで、絹のようにきめ細かく、香りが佳くて、思わずうっとりするほど美味だったという。 「じゃあ、せっかくだから、皆で餅つきすっか。ちょっと連絡まわしてみるかな」 楽しいことは大勢でやったほうがいい。 なぜなら、もっと楽しくなるからだ。 ――と、いうことで、一週間後。 鰍の呼びかけによって、彼をはじめとした総勢六人がそこには集まっていた。 かじかじさんこと鰍と、その義弟、盲目の剣士歪、鰍の義息である盲目の鬼真遠歌、ふわっとした部分ときりっとした部分を併せ持つ天真爛漫お嬢さん、南雲マリア。夢魔の少年――といってもどちらかといえばそう見えるだけで、性別は存在しないようだが――神喰日向と、歪の相棒にして堕ちた神、ミケランジェロである。 やる気満々、わくわくを抑えられない人々とは対照的に、相棒に引っ張ってこられたミケランジェロは微妙な表情を隠さない。 「……なんでだろうな、嫌な予感がして仕方ねェんだが」 「ん? 何が?」 「いや……出来れば帰って絵を描いてたほうがよさそ、」 「どうしたミゲル、何か不都合なことでもあるのか」 「あー……」 全身から『帰りたい』オーラを滲ませているミケランジェロだが、 「……いや、何でもねぇ」 相棒の誘いを断れずここまで来てしまった男が、楽しそうにしている歪を振り払ってまで出て行くなど出来るはずもなかった。言葉を濁して億劫そうに息を吐くミケランジェロの胸中に気づいて、助け舟を出してくれそうな面子はここにはいない。 唯一の同属性、苦労人でツッコミという鰍も、楽しそうな真遠歌や歪に目尻を下げるばかりであまり役には立ちそうもない。 気だるげな息を吐くミケランジェロを後目に、やる気も期待感もたっぷりな面々は、借りてきた杵と臼、蒸し器を庭に出し、火を起こして準備を始める。すぐに蒸し器からは湯気が立ちのぼり、蒸された糯米のかぐわしい快香が辺りに漂い始めた。 「すごくいい匂いね! わたし、いろんなお餅料理を食べてみたいな……!」 「うんうん、オレもいろいろ試してみたいんだよね。まあでも、餅っつーたら甘いのでしょ。餡子にきな粉に、チョコレートなんかも合いそう?」 「おいしそう! わたしね、お雑煮をつくってみたいんだけど、あれってどうやるのかしら」 盛り上がるマリアと日向の傍らでは、 「……いい匂いだな」 「そうですね。とても幸せな気持ちになる匂いです。白いご飯もそうですけど、穀物というものには我々を幸福にしてくれる力があるのでしょうか」 「そうかもしれない。確かに、皆と囲む食卓には、言葉にしがたい活力のようなものを感じるものな」 歪と真遠歌が、朴訥な会話を交わしている。そして、それを見て、ほのぼの家族っていいよね……などと鰍が目尻を下げている。いろいろなものが通常運転である。 己のそぐわなさに再度溜息をつきつつ、まァ歪が楽しそうだしいいか、とこちらも通常運転的なところへ落ち着いた辺りで異変が起きた。 「……なあ、かじかじさん?」 「うん、一文字多いけどどうした、少年」 「なんか、アレ、動いてね?」 最初に気づいたのは日向だった。 蒸し器のふたが、かたかた、かたかたと動いている。 それは、徐々に激しくなっているようだ。 「本当だ。火の勢いが強すぎるのかしら?」 「いや、それほど強くはないようだが……何か、間違いでもあったか」 マリアと歪が首を傾げ、 「おい、更に嫌な予感が強くなったんだが……」 ミケランジェロが呻く中、 「……あれ?」 真遠歌が可愛らしく声を上げた。 「ん、どした、真遠歌」 「いえ、そういえば言い忘れていましたか? この糯米は、喪血ノ王と言って、噛みつくんです。きっと、蒸したことで糯米が覚醒したのではないかと」 「へえ、そうだったのか……って、噛みつく!? 覚醒!?」 スルーしかけた鰍が目を剥く間に、蒸し器のふたが激しく揺れ、次の瞬間吹っ飛ぶ。地面へ落ちたふたがガラアアアァンと音を立てる。蒸し器から、むくむく、むくむくと、白い塊が盛り上がってゆく。鼻腔をくすぐる快香に、ふしゅるるるるるうううううぅ、という低い唸り声が重なる。 糯米がヒトのかたちを取り始めているように見えるのは気のせいだろうか。 「わあ、なんだか、白い、人型の風船がふくらむみたいね!」 マリアが無邪気に感心する中、しゃげぇええええぇ、と咆哮を上げたその白い塊の『顔』の辺りに、あきらかに糯米が持つにしてはおかしい、肉食動物を百倍獰猛にしたような口を見て、鰍が一瞬遠い目をした。 喪血ノ王なる、魔法兵器としか思えない糯米の塊は、今や全長五メートルにまで達しようとしている。しかも、真遠歌が言うには、斬る・突くなどの攻撃ではダメージを与えにくく、手順を踏まない限り魔法のたぐいは効果がないのだそうだ。どんなチートだよ、と鰍が思わず突っ込んだとして、いったい誰が責められただろうか。 「うん……うん。まあ……ある意味、通常運転っていうか、セオリー通りっていうか……」 でも俺、そんな悪いことした覚えもないんだけど、と鰍がぼやく傍らで、喪血ノ王の凶悪なあぎとが、明確な食欲を宿して開閉されるのを見て、 「おい、来るぞ!」 ミケランジェロは低く警告の声を上げ、いつでも持ち歩いているモップを手の中でくるりと回転させた。柄の部分に刃が仕込まれた、彼の得物だ。これで陣を描き、魔法を発動させもするし、接近戦もお任せである。 ――が。 「待て、ミゲル」 「んだよ」 「それで戦うつもりか」 「そりゃそうだろ、どう考えてもやる気満々じゃねェか、あいつ。心配しなくても、後れを取るようなことは、」 「食品にモップや塗料を使っての絵などもってのほかだ、却下」 「そっちかよ!?」 巨体に挑むミケランジェロへの気遣いかと思いきや衛生面への配慮でした。 俺の身の安全は食の安全以下か、と若干落ち込んだミケランジェロだが、 「行くぞ、ミゲル。手伝え」 双剣を杵に持ち替えた歪から、厳かに告げられれば頷かざるを得ない。 はあああああ、と盛大な溜息をつき、杵を手に取る。 「へいへい、わぁったよ。つーても餅つきなんざ、見たことはあってもやったことねぇからな、あんま期待すんなよ」 「判った、期待している」 「俺の言のどこに、その返しになる要素があったよ……」 ぼやきつつ、期待されて悪い気はしない。 遠い昔、背中合わせで戦った日々を、鮮やかに思い出すからだ。 「わたしも手伝うわ! おいしいものを食べようと思ったら、身体を動かさなきゃね!」 やる気十分のマリアが拳を握り、小さめ、軽めの杵を掴んだ。 「では、わたしも……」 「オレだって頑張っちゃうもんね!」 真遠歌と日向がマリアに倣い、 「皆、あんま無理すんなよ。危ないときは連携してかかること!」 鰍が保護者というか引率者っぷりを発揮する。 真遠歌・日向・マリアが素直に、元気よくはーいと返事をし、身構えたところで、完全体(?)となった喪血ノ王がその第一歩を踏み出した。 ずしぃいいいぃん、という重々しいそれに、鰍は、なにこの怪獣決戦、と思ったとか思わないとか。 2.「なあ、俺たちってもしかして……」「言うな、心が折れる」 喪血ノ王が最初にターゲット・ロックオンしたのは鰍だった。 なぜなのかは判らない。 『だって、可愛い子たちを狙ったら可哀想じゃない?』なのかもしれないし、『一番不幸そうな顔をしてたから』なのかもしれないし、『コンダクター的な意味で一番与しやすそうだったから』なのかもしれない。 しかし最終的にはこう集約されるだろう。 すなわち、 だって、かじかじさんだから と。 しゃぎゃああああと咆哮した喪血ノ王が、巨体には似合わぬ速度でもって真正面から突っ込んでくるのを目にして肝を冷やさないコンダクターは少ないだろう。 無論、0世界には下手なツーリストより戦闘に秀で、危険に慣れきったコンダクターもいるが、少なくとも鰍はそこまで到達できていない。彼は常識人だし、自分を普通だと思って生きている。何より彼は絶対的にツッコミである。 「えええ、ちょ、何で俺!?」 驚愕しつつも鰍の判断は早い。 要するに、三十六計逃げるにしかず、である。 「俺囮になるんで皆よろしく!」 くるりと踵を返し、脱兎の勢いで駆け出すと、喪血ノ王は彼の背へと追い縋る。 「くッ、かじかじさん、あんたの尊い犠牲は無駄にしねーぜ……!」 「その犠牲フラグ叩き折ってくれって言ってんだろうがっていうか一文字イィ!」 逃げている最中といえどツッコミに手抜きはしない。 全力で裏拳を放ちつつも、ちょっとしたトラックの質量で追いかけてくる喪血ノ王から逃げ回る。 逃げる鰍、追う喪血ノ王。さらに、喪血ノ王へ追い縋り、ヒットアンドアウェーとばかりに背後から攻撃を加えてゆく他面子という、奇妙な光景が展開される。 ツーリストといっても特殊能力を持たない、基本的には普通の少女であるマリアと、肉体的には“鉄パイプを持ったヤンキーと同等かそれより少し強い”程度の戦闘力を持つだけの日向はともかく、鬼の子である真遠歌と、異形のモノたちより長きに渡って集落を護り続けた不落の門番たる歪の打撃力はすさまじい。 「ふふ……先日のお餅つきを思い出して、楽しい気持ちがさらに増しますね」 真遠歌は、遊戯会でのそれが楽しかったためか焦りなど欠片も感じていない様子だった。 「おとうさん、がんばってください。たくさん運動したあとのお餅はきっとすごくおいしいですよ!」 にこにこ笑いながら、わりと必死に逃げる鰍へ声援など送っている。 応援されたほうも、 「真遠歌にそう言ってもらえると、なんかエネルギーが湧いてくる気がする……!」 親馬鹿全開で脚に力を込める始末だ。 「親子愛って美しいわね。わたしも、パパやママに会いたくなっちゃうなあ」 それを見たマリアが、微笑ましさと寂しさを同時ににじませてつぶやく。 それは独語に近い、ごく小さな声だったので、言葉が届いたのは、ちょうど踵を返して方向転換したばかりの鰍だけだった。若い娘さんが、親元を離れて長い時間を過ごす、その寂しさが理解出来ぬはずもなく、鰍が励ましの言葉をかけようとするより早く、 「きゃっ」 マリアが、地面のちょっとしたでっぱりに足を取られて転んだ。 ターゲットを変更することにしたのか、動きを止めた喪血ノ王が身体の向きを変える。もちろん、マリアのいるほうへ向かって、だ。 あの巨体にぶつかられたら、華奢な少女など吹き飛ばされ、潰されてしまうだろう。 鰍は血相を変えた。 「マリア、危ねぇっ!」 そして、喪血ノ王と対峙すべく、マリアの前に立ち塞がる。 トラベルギアのウォレットチェーンを展開し、攻撃を跳ね返そうと―― 「え」 喪血ノ王に口以外は存在しない。 そもそも、いかに規格外とはいえ、糯米の塊に喜怒哀楽が存在するかさだかではない。 ――それなのに、鰍にははっきり判ったのだ。 喪血ノ王がニヤリと笑ったことも、「してやったり」とばかりに得意な顔をしたことも。手と思しき場所が持ち上げられ、人差し指っぽいものが立てられ、ちちち、という効果音つきで左右に振られたことが、その理解に拍車をかけた。 「まさか、フェイントとか……っ!?」 そう、なんとこの喪血ノ王、鰍をおびき寄せるために、わざとマリアに向き合ってみせたのだ。マリアを襲うふりをすれば鰍が飛んでくると踏んでこの行動を取ったわけだから、おそろしいまでの状況把握力である。 彼らの中に精神感応の力を持つ者がいれば、喪血ノ王が、「こんな可愛いお嬢さんを殴るわけないじゃないか、俺は紳士だぜ?」的な内心でいるのが読めただろう。そして猛烈に脱力したことだろう。 「くっ、そ……!」 鞭のようにしなり、伸びた両腕が、俊敏な動きで鰍を捕らえようとする。 それを、アクロバティックに――かなり必死に――回避し、一瞬の間隙をついて間合いの外へ転がり出る。崩れた体勢をどうにか整え、とにかく距離を取らないと、と走り出した先で、 「ちょッ、危ね……ッ」 鰍はミケランジェロに勢いよく衝突し、ふたりいっしょにもんどりうって転倒していた。背後を気にするあまり、前方を確認する余裕を失っていたのが敗因である。 「うわゴメ、ってやば……!?」 飛び起きて体勢を整える、身構えるいとまもなかった。 ぎゅんッ、と一気に肉薄した喪血ノ王が腕を伸ばす。 「くそッ」 ギアを展開し、どうにか動きを止めようとしたが、喪血ノ王はなんと、チェーンをむんずと掴むや否や思い切り引っ張ったのだ。 「!?」 チェーンから手を放すことも出来ないまま引き寄せられ、大きく開かれた口へひと息に飲み込まれる。ちなみに、運悪くチェーンに絡まってしまい、再び体勢を崩したミケランジェロもいっしょである。 ごっくん。 「ぎゃーッ!?」 「おまこの、思いっきり巻き添えじゃねェか……ッ」 「だからごめんってー!」 あつあつもちもちの咽喉元を、喚きながら男ふたりが滑り落ちてゆく。 「あつつつつつッ! すっげイイ匂いだし美味そうだけどとにかく熱いッ!?」 「糯米の塊に呑まれるとか、何なんだ、何の罰なんだこれ……普通経験するもんじゃねェだろ……」 「はは、そう考えたらある意味得難い経験なのかもなー」 「うるせェよ!?」 喪血ノ王の腹の中から、どちらかというと緊迫感からはほど遠い、漫才めいた諍いが聞こえてくる。残念ながらツッコミがふたりとも飲み込まれてしまったので、外界には事態を的確に突っ込める人員は残されていない。 「ごめんなさい、わたしのために……待っててかじかじさんミケさん、今助けるからー!」 マリアは聖戦の戦乙女のごとく凛々しい表情で杵を握り締め、 「おっと、かじかじさんの一大事! 可及的速やかに助けるからもう少し耐えるんだ! かじかじさんが餅に混じっちゃったら食えなくなるし!」 日向はどちらかというと餅の心配、 「大丈夫ですよおとうさん、わたしが飲み込まれた時もそれほどの痛手はこうむりませんでしたから。糯米に飲み込まれるなんて、ちょっとおもしろい経験ですよね、ふふ……」 真遠歌は過日の餅つき大会を思い出して楽しげに微笑み、 「……ミゲル入りの餅か。どう想像してもあまり美味しくならなさそうだから、早めになんとかしなくては」 歪に至っては、ミケランジェロが糯米の中で『の』の字を書きたくなるようなことをぼそっとつぶやく体たらくである。 「……なあ、ミケ」 「それ以上言うんじゃねェ、三日三晩引きこもるぞ」 自分たちって愛されているのか愛されていないのか、と、熱々の糯米に火傷しそうになりつつ、ツッコミふたりは前のめりで落ち込んだとか落ち込まなかったとか。 3.放置プレイはほどほどに 「ミゲルはともかく鰍は普通の人間だ、早く出してやらないと」 厳かに言い、歪が杵を剣に持ち替える。 「だねー。火傷って、切り傷とかより大変っていうし」 日向はトラベルギアである細長い布を水に浸しながら頷いた。 「じゃあ、わたしと日向くんで囮になるから、真遠歌くんと歪さん、よろしくね!」 言って、マリアが走り出す。 その隣に日向が続いた。 「鬼さ……じゃなくてお餅さんこちら、手の鳴るほうへ! もっちもちにしてやんよー!」 伸縮自在、硬化軟化も自在というギアを振り回し、ぺちぺちと喪血ノ王を叩きつつ日向が呼ばわれば、やれやれ、しょうがないなあハニーたち、とばかりに、ゆったりとした動作で喪血ノ王がふたりを追う。 「……おにいさん」 「ああ。救出は任せる」 「はい。ふたり一度は難しいかもしれませんが」 「ミゲルは別にいい。まずは鰍だ」 淡々とした、しかし信頼の見えるやりとりのあと、双方同時に飛び出す。 彼らの故郷に銃火器や火薬のたぐいは存在しないかもしれないが、まさに『弾丸のような』と表現するのが相応しい速さだった。 「俺は別にいいっておま……」 会話を聞きつけたのか、喪血ノ王の腹の中から呻くような声が聞こえるが、 「そのくらい何とかしろ」 歪の、一刀両断にひとしい物言いのあとは、沈黙が落ちるのみだ。 ――泣いてはいないはず。たぶん。きっと。 歪は別に、世界を超えて再び巡り会えた相棒を落ち込ませたいわけでも、惨く扱いたいわけでもない。彼の端的な言葉には、信頼しているからこそ放っておくのだという絆が垣間見られるはずだ。 しかし、おそらく根本ではそれを理解しているであろうミケランジェロであっても、今のこの扱いが嬉しいかどうかは別である。 「歪さんとミケさんって、長年のつきあいの相棒なんだよな? けっこうドライな関係なんだなー」 日向の、何気ない、悪気もないつぶやきが、傷心のミケランジェロを更に抉ったであろうことは想像に難くない。 「ええと……あの、元気出せよ、な……?」 「……しばらくそっとしておいてくれ……」 こんな場面にもかかわらず、思わず慰めに走る鰍と、諦観のにじんだ返しがものがなしい。 未だ喪血ノ王の腹に収まったままのふたりの胸中はさておき、ツッコミ二名救出作戦は着々と進行していく。 マリアと日向を追う喪血ノ王へと瞬時に肉薄した歪が、 「……餅つきとは少し違うがそこは勘弁してくれ」 裂帛の気合いとともに剣を一閃。 横薙ぎのそれによって、ほんの一瞬、喪血ノ王の腹がぱっくりと裂け、ちょっとぐったりし始めた鰍とミケランジェロの姿をあらわにする。 すぐに閉じてしまいそうになるそこへ、真遠歌が一気に肉薄、小柄で華奢な外見からは想像もつかない怪力でもって鰍を抱きかかえ、喪血ノ王の体内から引っ張り出す。幸いにも、鰍とチェーンで絡まったままだったミケランジェロも、引きずられるように引っこ抜かれて脱出を果たすことが出来た。 ――鰍と違って支えがなかったので、無造作に地面へ落下してしまったが。 「あー……ありがとう、真遠歌。助かったわ」 「いいえ、どういたしまして」 「……おいミケ、大丈夫か。死ぬな、生きろー」 「うう、うるせェよ……」 頭を打ったのか、踏んだり蹴ったりなミケランジェロが呻く中、鰍をそっと立たせた真遠歌と、剣を再び杵に持ち替えた歪が喪血ノ王の前に立ち塞がる。杵を構えたマリアと、ギアに水を浸した日向もそれに倣った。 先ほどから地道に搗きつづけているおかげで、喪血ノ王の表面はずいぶん滑らかになった。内部で鰍とミケランジェロがごそごそしたためか、内側もそれなりに搗かれているようだ。 「……おいしいお餅まであと少し? みんな、がんばろうね!」 マリアが可愛らしく気勢を上げる。 ほこほことした快香を立ちのぼらせ、喪血ノ王が外連味たっぷりの咆哮を上げた。ある意味、エンタメ精神サービス精神に満ち溢れた糯米なのかもしれない、と思いつつ、一同、最終決戦へと挑む。 「行こう、真遠歌」 「はい、おにいさん」 両サイドから突っ込んだ怪力ふたりが、連続して喪血ノ王を打ち据える。真遠歌がボディ(らしき場所)に強烈なブロウを打ち込むたび、ぽふぽふと音を立てて佳い香りのする湯気が噴き上がった。 日向の振り回すギアが喪血ノ王の表面を整え、マリアの振るう杵が細かいつぶつぶを潰してゆく。 「お餅つきって楽しいね。少しずつ出来上がっていくのが判るのがいいな」 きらめく汗を額ににじませつつ、マリアは満面の笑顔だ。 喪血ノ王は、もうほとんど餅になっている。 そこへ、ようやく立ち直ったミケランジェロが、 「コイツなら文句はねェだろ……!」 醤油を塗料代わりにぶちまけて陣を描き、 「ラプロ・ソヴァロ・ソク。荘厳に打ち鳴らせ、輝ける鉄槌!」 光る衝撃波を生み出して喪血ノ王をまんべんなく搗く。 激しい衝撃に、喪血ノ王の巨体が痙攣し、それからぐらぐらと揺れた。 「よっしトドメ! ホリさんよろしくッ!」 そして、鰍のセクタン、ホリさんが放った火が、喪血ノ王の表面をじんわり焼くと、ひときわ大きく震えた喪血ノ王がゆっくり倒れてゆく。ずしいいぃん、という重々しい音とともに、食欲を刺激する匂いが鼻腔をくすぐった。素朴だが、空腹に訴えかける、幸せと充足の匂いだ。 「やったあ、お餅完成ね! わたし、もうお腹ぺこぺこ。早く食べたいな!」 もちろん、一同に否やのあろうはずもなく、大急ぎで食卓が整えられることとなるのだった。 4.おいしいは正義 「んー、おいしい! 搗きたてのお餅って、やわらかくてすべすべしていい香りで、いくらでも食べられちゃいそう……!」 六人で囲む食卓には、それぞれがめいめいにつくった餅料理や餅菓子が山と載っている。 マリアは、鰍が仕立ててくれた雑煮を頬張ってご満悦だ。この雑煮、自分でつくろうと思ったのだが、レシピが今ひとつ判らず断念しそうになったのへ、鰍が助け舟を出してくれたのだった。 シンプルな醤油出汁仕立てに茹でたほうれん草と焼いた鴨肉を少々。 それだけのことなのに、とても滋味深い一品となっている。 椀の中で、ゆったりと横たわる白い餅が美しい。 「おいしいものを食べると幸せな気持ちになるのは、どの世界でも共通よね。おいしいが共有できる世界同士なら、どんなところとでも仲よくできる気がしちゃうなあ、わたし」 「まったくだ。食べるって、生きることの根幹だもんな」 「そうね。あ、かじかじさん、お雑煮を手伝ってくれてありがとう。こうやって、みんなといっしょにごはんが食べられて、わたし、とっても幸せ」 「どういたしまして。そう言ってくれると俺も嬉しいよ。皆でなんかつくったり、いっしょに食べたりするのは、いいよな」 マリアと顔を見合わせて笑いあったあと、 「しかし、なおさら美味いわ。運動って大事だな。……途中、明らかに運動じゃないこともあったけど」 鰍は、醤油をまぶして焼いたのち海苔を巻いた磯部焼きに舌鼓を打った。それから、となりで餡餅を無心に食べている真遠歌をやさしい眼で見つめ、彼の頭をなでる。 「ありがとうな、真遠歌」 「?」 「こんなうまいものを、俺たちに喰わせてやりてぇって思ってくれて。俺、真遠歌のその気持ちが、ホント嬉しいよ」 鰍が言うと、真遠歌ははにかんだように微笑み、頷いた。 「おとうさんやおにいさん、みなさんが喜んでくださって、わたしも嬉しいです。みなが嬉しいのは、幸せなことですね」 「そうだな」 ほのぼのとした空気が流れる。 「餅がミゲル入りにならなくてよかった。それというのも、おまえが飲み込まれたり飲み込まれたり飲み込まれたりしつつ頑張ったおかげだろう。思う存分、餅を味わうといい」 「おまえ……それもしかして労うつもりで言ってんのか……? いや、うん、本気だとは思うんだけどな……」 ある種の、信頼という名の放置を続ける歪に疲労感を滲ませつつ――しかし訂正しても突っ込んでも無駄だという理解もある――、ミケランジェロは、歪が不器用極まりない手つきで取り分けてくれた大根おろし餅をつまんでいた。 「……まァ、うん、うまいのは確かだ。悪かねェな、たまには」 それでも、相棒が傍らにいて、いつでも声が聴ける、それに勝る幸いはない。 行き着く答えに微苦笑が浮かぶのも、もう通常運転というしかなかった。 皆がめいめいに餅料理を味わい、ゆったりとした時間が流れる中、 「よっし、できたー!」 先ほどから無心にモチ・デザートをつくっていた日向が大きな声を上げる。 「見て見て、超ゴージャスじゃね?」 満面の笑みとともに指し示されたのは、特大のジョッキを入れ物にしたモチパフェだった。 ひと口大にちぎって丸めた餅に、チョコレートソースや、いちごやブルーベリーやあんずのジャムをまぶす。それを、ヴァニラ味のアイスクリームやコーンフレーク、米でつくったパフ、缶詰のフルーツなどと交互にジョッキへ突っ込んで、天辺にはコーンつきのアイスクリーム、チョコレートプレッツェル、ウエハースや真っ赤なチェリーで飾りつける。最後に思う存分生クリームを絞れば完成である。 「名づけて、モチタワー・パフェ! どうだ!」 「すごい……とても豪華ですね、おいしそうです」 「うわあ、すごい! ワクワクしちゃうデザートね……!」 キラキラ笑顔の真遠歌とマリアが誉めそやすと、日向は得意満面で胸を張った。それから、スプーンを六本、出してきて、 「せっかくだからみんなで食おーぜ! こういうのって、ワイワイ食ったほうが絶対うまいからさ!」 机の真ん中に、ジョッキパフェをでん! と置く。 どーぞどーぞとスプーンを差し出され、真遠歌とマリアはありがとうと嬉しい笑顔、鰍も「んじゃちょっといただこうかな」、と笑顔を見せ、歪にもスプーンを渡してやる。そもそも食にこだわりや執着がなく、甘いものはあまり、というミケランジェロも、歪に促されて、溜息をひとつついたのち、スプーンを受け取った。 「じゃあ、いただきますっ!」 マリアの、元気いっぱいの挨拶とともに、また笑い声が弾ける。 ゆっくりと、穏やかに過ぎてゆく、ターミナルの昼下がりである。
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