$ターミナル「嘘、嘘、嘘、嘘、嘘ーーーー!!!」 半狂乱に泣き叫ぶ少女の声がターミナルに響いていた。 ――虎部 隆・インヤンガイにて行方不明となる 心の拠り所たる少年に関する不幸、その報告は少女の心を千千に引き裂いていた。 激する少女の周囲にはただ翠の粒子のみが流れ彼女を思わんばかる人の一人もいない、いや存在することができない。 限界に達した激情は、図書館に帰属してからというもの収まっていた竜刻の力を完全に暴走させていた。 少女が身に纏う翠の粒子(竜子)――叢雲に帰属する世界構成の力の一欠は、己に帰属せぬもの全ての存在を最小単位に分解していく。 机が粉砕され、床が消え、部屋は消失し、建物は崩壊した。 その力は、ただ物質を消失させるに留まらず、少女を照らす光すら分解し、少女を呼びかける友の声――振動を掻き消し、只管に少女を孤独の闇に追い込んでいく。 頼るべきものは消え、心はゆっくりとその間口を閉じ、閂をかける。 かの叢雲が未だ存在を保っていれば喝采したかもしれない。 今まさに少女の精神は、在りし日の虚幻要塞が望んでいた有り様に変化しつつ合った。 ――奇跡を成した男の行動が奇跡を崩す、それは運命の皮肉か――否、それは運命の大いなる揺り戻しか 現実から乖離する少女。 彼女の内に湧いたのは頼るべき幻想があった。「……パパ、助けて…………」 光なき眼に映るのは幻想。 少女は盲た瞳で惹き寄せられるように過去に縋る。 ――さらに皮肉‡ ‡ $司書室 「ロストナンバー、早速ですが依頼です。ある人物によってインヤンガイが崩壊の危機を迎えることが予言されました」 如何なる事態が起きようとも冷静の化粧を落とすことのない鉄の司書ことリベル・セヴァンは、資料を広げ常と同じように淡々と依頼を切り出す。 資料はハイティーンの少女の写真と簡素な経緯書――言うまでもなくある人物のものであろう「ご存知かもしれませんが、当該の人物は元々世界樹旅団でドクタークランチの秘書を勤め竜星の戦いに於いて我々が保護した人物です。当該の人物――フラン・ショコラはターミナルに融合したナラゴニアに存在するドクタークランチの屋敷、その中に隠された兵器をもってインヤンガイに致命的な被害を与えると予言されました。 フラン・ショコラは、インヤンガイの事件にて恋人が行方不明となったことで精神の並行を失ったようです。独力で恋人を救おうとドクタークランチの屋敷を訪れ、屋敷内にある兵器を用いてインヤンガイに侵攻すると予言に出ています」 ――なぜ世界図書館の救出をまたないのだろう? 救出はでるのだろう?「感情で動いているかたの行動を類推することは困難ですが、自分の手で助けたいか……あるいは残念ですが我々を信用していない可能性もあります」 自らの組織を酷評しようともリベルの表情は一変の変化も見せない。「できれば穏便に事を納めて頂くことを期待しています。しかし当該人物の抵抗が激しい場合は、相応の対応を取っていただいて構いません」 ――元より一人と世界が天秤にかかるはずもない‡ ‡ $ナラゴニア・ドクタークランチ私邸 並行次元断層に隠蔽されたドクタークランチの秘密研究室。 普段はクランチが叡智の限りを尽くした機械によって姿を隠している其の部屋は、屋敷の入口から一直線に繋がる風穴によって完全に其の存在を露出していた。 何百年か振りに外気に晒された部屋の中には、主の最後の姿にも似た機械の異形が蠢いている。 明滅する全天周囲モニターが少女にシステムの正常稼働を伝える。 柔らかなクッションで作られたコクピットに沈みながら瞑目する少女からは全てを崩壊させる激しい狂躁は感じられない。 (パパ……パパ……ありがとう、これならトラベさんを助けに行ける。……ああでも、パパは私に恋人ができたら嫌なのかな? 大丈夫トラベさんは良い人だから、今度連れてくるね、きっとパパも納得するわ) ――干渉スペクトル チャージレベルグリーン ――鏡面破砕槌 稼働レベルクリア ――ディストピア展開まで後900……899……898 コクピットに響く電子音声が兵器の稼働を伝える。 (それじゃ行ってくるね、トラベさんを傷つけた奴も苦しめた奴……そんな世界は全て無くなってしまえばいい……) 狂気に囁かれた少女は、再び取り返しの付かない選択へ転げ落ちていく。 ――彼の存在は世界より重い============※このシナリオは『ターミナルの休日 -baby incoming-』とは別の時系列の出来事です。============
$ナラゴニア・クランチ私邸 生前の振る舞いゆえ、その地位に反して顧みるものもない男の屋敷。 主人の性格と立場を表した堅牢セキュリティを誇る科学の城、その秘所を人一人潜れる程の風穴が暴いていた。 侵入者を惑わす縦横の通路が切り裂かれ、屋敷の入口から続くオブジェとなって来訪者を迎えている。 白く小さい姿が奇怪なアーチの下をとてとてと歩む。 輪石の代わりに弧を描く破壊された断面は、どれをとっても一様とは言えない。 ――微かな空間の揺らぎが明滅する ――剥き出しになった配線が煌めき ――黒き一塊の金属が律動していた 幾重にも仕掛けられた超科学的不可思議は、如何なる仕組みか部分的な消失によって停止することもなく、さりとて小さな姿が道行くのを阻むこともなかった。 風穴の先からは金属片が触れ合うような擦過音が吹き抜ける。 僅かな歩数でその異様は明らかになった――巨大な機械、中央に鎮座した銀色の球体、艶かしく滑る流体金属の触手が蠢く 白く小さい姿――シーアールシー ゼロは奇怪な姿を晒すクランチの秘密兵器、その搭乗者に向かって声を張り上げる 「フランさんこんにちはなのですー」 ‡ ――パパ――パパ、一緒にいてくれてありがとう――大好き ――トラベさん、大好き、アイシテイル ――だから……私を置いて行かないで、私を一人にシないで……パパ、ママ……ドクターみたいに……トラベさんも居なくなってしまうんですか? ――お願い一緒にいて……イカナイデ…… ――家族になってくれるんじゃなかったんですか……イッショニイテ…… ――耐えられない……優しいコエヲキカセテ、ダキシメテ、ワタシヲ、ワタシノ――!! ――ッ!! ……400……399…… 夢の残滓にモニターが揺れる、秒単位で刻まれた電子音が覚醒した少女の耳朶に響く。 荒く吐かれた呼気に喉は枯れ、ヒリヒリとした痛みを訴えている。 瞬かせた瞼からは涙が零れ落ち、頬を伝い胸に落ちた雫は肌に染みて消える。 躰をじっとりと濡らした寝汗、いや脂汗がシートに染みて少し気持ち悪いと感じた。 (……寝ちゃった!? 400って? ……10分くらい??) 慣れない力の行使は極僅かな時間、少女を柔らかいシート中にある泡沫の世界へ沈めていた。 目覚めた少女は半ば混濁する意識のまま半身を起こし、落涙の痕を擦りながらキーボードを打鍵した。 Condition:Green 正常を示すディスプレイメッセージに安堵の息をつき、再びシートに体を埋める。 慌てる必要などないことに、ふと気づいた少女の顔に微苦笑が浮んだ。義父の手がけた兵器が起動中に止まることなどありえるはずなどない。 安心に再び微睡み始めた意識に黄色の文字が触れる。 警告の明滅を示すのは、生体反応を検知する機器。 自分と義父の兵器に近づくのは、白を纏う小さな幼女の姿をしたロストナンバー。 直接の面識はない。しかし、フランの記憶には虎部が語る友として、マスカローゼの記憶には世界図書館における要注意人物として、其の名が刻まれている。 ――シーアールシー ゼロ 『フランさんこんにちはなのですー』 無邪気な声を上げて挨拶をする無謬の白き女神が、自分へのエミッサリーであることはようと知れた。 (パパ、力を貸して……) 少女は夢想の中の義父の姿に祈り、世界樹旅団で鳴らしたその権謀術に思いを巡らせる。 ‡ ‡ 「……誰? ……ここは危ないから外に出てください」 『ゼロは、ゼロなのです! フランさん、フランさんはそんな危ない兵器に乗ってどうするのです?』 「……トラベさんを助けにいくの……邪魔をしないで」 (起動するまでには、まだ時間がかかる……どうしよう……そうだ……先に) ……300……299…… 『ゼロはフランさんに落ち着いて欲しいのです。こんなときにはドクターに習い、科学的に考えるといいと思うのです。科学的に考えて、こんな兵器でインヤンガイに侵攻すれば、竜星の戦いでフランさんを助けて超すごいりあじゅうで超すごいいけめんになった虎部さんであっても、巻き添えになって無事にはすまないのです』 ゼロの言葉に他意はないだろう、それは常であれば小さな棘でしかない言葉。 情操の箍が外れている少女の口から軋む音が漏れた。 ――パパを殺した貴方達がパパのことを口にしないで!!! 灼熱と化した痛みが胸を刺す、感情を吐き捨てて策を放棄せずにいるには奥歯を砕きかねない程の忍耐が必要だった。 無言を同意……少なくとも聞く気があると取ったのか外から聞こえる説得の言葉は続く。 『ゼロは、報告書にあった依頼主のウィーロウが怪しいと思うのです。ゼロはこの人を探るのが一番の早道と考えます』 「……報告書のことなんて知りません。それで、ゼロさんはその人が今どこにいるか知っているんですか? 探っている間に手遅れになるかもしれませんよね? 仮に簡単に会えるとしてその人から情報を得られるのでしょうか? 今になっても何一つ話してきてくれないんですよ!? この人、意図を隠してましたよね!? 其のせいでトラベさんは傷ついたんじゃないですか!? トラベさんを騙した彼が正直に話してくれる道理なんてありませんよね!!? 時間稼ぎが目的なんじゃないですか!? ゼロさんは心でも読めるんですか!? それとも脳走査する機械でもお持ちなんですか!?」 少女は募る焦燥を支離滅裂としたヒステリーを吐き捨てる。 乗せた思いは嘘ではなかった。 ――しかし 語る言葉に真実を表していない、目まぐるしくキーボードの上を走る指こそが少女の本心。 (……もっと落ち着いてフラン……話を長引かせて、大丈夫……分かるはずない) ――気が触れているわね 仮面を着けた冷静な自分が呆れたように呟く。 ――ええ、そうね 恋人の友人の言葉を無視し、意味があるともしれぬ行為に世界一つを天秤にかけて ――喜ぶと思っているの? ――きっと怒る、嫌われるかもしれない、でもそれでいいトラベさんが帰ってきてくれるなら ――呆れた我侭さね…… 「…………フランさん、ゼロ一人ではそんなことはできないのです。でもそれはフランさんも一緒なのです。そのすごい謎兵器でウィーロウをぺしゃんこにしても、きっと虎部さんのことはわからないと思うのです。フランさん、ゼロは司書さんにチケットを貰ってきたのです。救出隊を集めるのです、皆で虎部さんを助けにいくのが良いと思うのです」 身振り手振りを交えながら言葉を綴るゼロの姿をフランは見ていない。 只管にキーボードを叩く指が止まり、コマンドを実行された。ディスプレイに出力が目まぐるしく流れ……止まる。 「……あなた達は勝手にして。私は……そんな悠長に待てません……私とパパの作ったこの子ならトラベさんを助けられる」 少女は言葉を吐き捨てると共に、コクピットのレバーを強く引いた。 微細な駆動音と共に異形の機械が震える。 無為の言葉を交わす間に書き換えた起動コマンド、それはナレンシフから移植された世界移動を実現するはずであった。 蒼色の粒子が異形を包み、振動が屋敷を鳴らし――唐突に全てが止まる Fuel:Empty モニターに赤い警告音が虚しく響く。 「なんで! パパッ!? どうして!?」 キーボードが砕け赤く濡れる、コクピットの中に少女の絶叫が荒れ狂った。 簡単な理屈だった。世界樹が沈黙しナレンシフはその機能を失っている……同じ機能を使っているなら稼働しないのは必定。 ‡ ‡ ゼロは珍しく漠然とした困惑のようなものを感じていた。 少女の心は波打ちこそすれ、安寧を戻りつつあるように感じていた。それは自分の言葉に少女が耳を傾けているからだと思った。 しかし、兵器のマイク越しに聞こえる絶叫が、少女が企てた何かが失敗したことを伝え、自分の言葉に少女は耳を傾けていないという事実を認識させる。 何故、フランが自分を謀ってまで破滅的な選択に向かうのか分からない、ただ少女の心から再び安寧が零れ落ちるように失われていっているのは理解できる。 (フランさんは虎部さんに会いたくて、会いたくて仕方ないのです。でもフランさんがやろうとしていることは虎部さんもフランさんも傷つけてしまうのです) 「フランさん、フランさんはどうしても今すぐに虎部さんに助けに行きたいのですか? ゼロは皆と一緒に助けに行くほうが安全確実だと思ったのです。でも、どうしてもというのなら、ゼロと一緒にその凄い兵器でインヤンガイに行くのがよいのです。超すごいいけめんでなんでもできる虎部さんもフランさんが助けに来たら大喜びなのは間違いないのです。でもその時、フランさんが傷ついていたら虎部さんはきっと悲しいと思うとゼロは思うのです。ゼロが一緒に居ればフランさんの安全はバッチリ保証されるのです!」 ゼロが乗り込めば如何な超兵器と言えども傷つける力を失う……フランを騙すことになるが予言の通りにインヤンガイに取り返しの付かない破壊が訪れることは防げるはず。そしてそれ以上にフランをこのまましておくと二度と少女に安寧が戻ることが無くなってしまうのでないかという漠たる直感、そしてそれは虎部からも安寧を奪い、彼の周りにいる多くの友人からも……。 『どいて……』 ゼロの思惑を他所に、少女の返事はにべにもない。 『……貴方の言葉には隠していることがあるでしょ? ゼロさん、私は貴方のことをよく知っているんです。貴方と一緒にいれば、私は傷つかない……でも、この子は傷つけることができなくなる……そうでしょ? ……私はね、ゼロさん。力づくでトラベさんを取り戻して……トラベさんを傷つけた奴に報いを与える……ナレンシフの機能が使えないなら……ロストレイルを奪うわ。そこを……どいて!』 ……1……0 System::Lavateinn:Start 少女が叫び、機械の音が言葉の時間の終了を告げた。 ドクタークランチの遺産――蠢く金属触手のレーヴァテインが唸りを上げながら天を突く。 起立した銀の柱は、天で割れ地面を串刺した、無数の触手が銀の球体を支える脚となる。 少女の意志は明確だ。このまま自分が道を譲れば、目の前の少女の安寧は確かに取り戻されるであろう。 しかしそれは彼女自身を含めた人間の安寧を間違いなく奪い取る。多寡を考えるまでもなく天秤を如何に傾けるべきかなど即断を苦手とするゼロをしても迷う余地はない。 「フランさん、ゼロは去年インヤンガイで虎部さんとデートしたのです――」 挑発を意図した吐いたゼロの言葉は、意図せぬ形で少女の勘気に触れる。 「ねえ、それで? 貴方が虎部さんを好きで助けたいから私を邪魔するとでも言いたいんですか!? もう、いい加減にして!!!」 ゼロの前に突如と現出する触手の先端がゼロの存在した空間を硝子のように砕く。 収斂する空間に引かれるゼロは瞬間で無限大まで巨大化した体で小さな空間の穴を押しつぶし、疾駆する銀色の巨大な槍となった兵器を両手で受け止める。 「通せんぼなのです。ゼロに止められるなら、超すごいりあじゅうの虎部さんに危機を齎した何かにはこの兵器でもまだ足りないかもしれないです」 「放して! 足りる足りないじゃなくて、この子でやるんです!! さっきは『無事に済まない』今度は『足りないかも?』笑わせないで! 貴方、言葉を左右にしてるだけじゃない――」 ゼロを詰る少女の声と槍の圧力が突然消える、己の手の中に居たはずの兵器は突然其の姿を失った。 背後から爆音が響く、幾度となく通った駅の天井がはじけ飛び、銀色の球体に寄生されたロストレイル号が空に消えるのが見えた。 ゼロのトラベルギアは、ゼロが他者を拘束することを許さない。 掌の中に居たフランの意志を拘束と認識したギアは、搭乗した兵器ごとフランを彼方へと転移させた。 説得の言葉を受け入れることのなかった少女は異世界に消えた。 ゼロはもはやそれを見送ることしかできなかった。
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