それは墓と呼ぶには、人が眠るには、余りにも簡素で狭苦しい盛り土。 体を残し常しえの眠りにつけたものなどここには居ない、故に文句を言うものも居ない。 墓標代わりの棒切れには、数多の認識票。 かけきれぬ銀片は盛り土に刺さり、打ち捨てられていた。 一足早く自由となった戦友を酒に語り……省みず、忘却の彼方に捨て去る。 輩の死は生きているものの礎でしかなく、死に引き摺られるものはこの世に残ることはできない。 ――永久戦場の命は端切れのごとく軽く、濡れ紙のごとく脆い † $ディナリア市街 慌しく傍らを流れる軍車両が錆とオイルに塗れた芥を巻き上げる。 薄汚れた最前線の街には似合わぬ麗人は、反射的に口元を押さえた。 空が見えず空気がよどみ、重たい土天井ののしかかる世界は翼あるものにとって決して気持ちいい場所ではない。 だが、今それ以上に自分を陰鬱な気持ちにさせるのは泥濘のような後悔。 巨大マキーナ要塞との戦いにおけるロストナンバー達の活躍によって、世界図書館とカンダータ軍との間の信頼関係はより強固なものとなりカンダータ軍の要請の元、地上探索の共同作戦が計画されるに至った。 そして、ここ人類圏最西端であるディナリアは各地方軍の受け入れのために慌ただしい喧騒に包まれている。 (異世界との信頼……カンダータとの共同作戦……喜ばしいことだ。しかし……私は) ターミナルにいてもカンダータの名を聞かぬ日は減った、いや大きく聞こえてしまうだけか。 其の名を聞く度に積もる自責の念を数えるのに耐えかね、アマリリス・リーゼンブルグは一人ディナリアの地に降りた。 マントを羽織り、羽根をたたんだ麗人を慌ただしい街は顧みない。 何か明確な目的があるわけではない、ただ―― (……私はこの世界の人間ではない……軽々と選択し彼らに命を捨てさせた……) 彼らが見られた未来を見れば何か整理がつくかとも思った。 意識は上の空、散漫なまま歩くアマリリスに軽い衝撃が伝わる。 振り返ると、喪章をつけた女が深々と頭を下げていた。 ――覚えている 地上よりコタロを盾に、多くのカンダータ兵を見捨てディナリアへ退却したあの日、泣き腫らした顔にもかかわらず、自分に礼の言葉を述べた女だ。 返事に淀む内に女は去ってしまった、しかしそこに拒絶の意志は感じられなかった。 いっそ責められればと思ってしまう自分の弱さが無性に腹立たしい。 思わぬ接触に千々に乱れ彷徨う心は潤いを求める。 むせかえる程に漂う焼けた酒精の臭い、かろうじて体裁を保つ酒場。 ドラム缶の上のトタンを敷いたテーブルを囲むパイプ椅子に座し杯を傾けた。 ――不味い……激烈に 工業用アルコールに水を混ぜたような酒と呼ぶのも痴がましい液体。『彼らはこれすら飲めなくなった』 自縄自縛――無理に干した杯が与える酩酊を超えた目眩はアマリリスを蹲らせる。 トタンに突っ伏す麗人に声がかかる。「よぉ、ロストナンバー。何してんだ、ここはおまえさんのようなお綺麗な嬢ちゃんの来る店じゃねえぜ?」 ディナリア最高執務官グスタフが一人呆れた声を上げていた。 † 薄暗く粗末な墓所――場違いなほど赤い彼岸花が揺れていた=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>アマリリス・リーゼンブルグ(cbfm8372)=========
$ディナリア市街・酒場 度数九十五。 純粋なアルコールに近い液体は食道を灼きながら胃液に落ち、鼻から抜けた高密度の酒気は酩酊とは異なった、むせ返るような嘔吐感を喚起し続ける。 テーブルと呼ぶには余りにも粗末なトタン、油臭い鉄板如きにターミナルの子女を沸かして止まぬその唇を与えかけていた有翼の麗人は、かけられた声に辛うじて矜持――涼やかな片意地を保つ。 全身に包む酩酊と混濁を押し殺し、顔をあげたアマリリスの中性的な笑み。 「グスタフ、ディナリアの最高執務官である君こそ、こんな所に居ていいのか?」 零れたのは酒気ではなく、皮肉気な軽口。 ディナリア最高執務官殿は少し困ったような――例えるなら、やんちゃ盛りの娘にどうやって話しかけていいかわからない父親のような半端な笑みを浮かべ、強面の鼻頭を掻いた。 「ん、あぁ……重要な事案があってな、まぁ半分は今終わったんだがよ」 「重要な? まさかマキーナか!?」 些か酔いが回った故か、己の名を冠した愛刀を佩く麗人の緊張が大きく響く。 酒場の空気が緊張に染まる、しかしそれは最高執務官の手を振ると一瞬で静まった。 「いや……お前さんを迎えに来たんだがな。図書館から連絡があってな……女のロストナンバーが一人行くと。放っておいていいとは言われはしたがね、受け入れる俺たちからすればそうもいかん。賓客の歓待ってのは、お偉いさんの仕事って訳だ。まぁ、まさかこんなとこに居るたぁ予想外だったがね」 「…・・・それは、迷惑をかけたな」 アマリリスは些かばつ悪そうにパイプ椅子に沈む。 ‡ 酒精で幾度洗えば、心を苛む傷の痛みを乾すことができるのか。 ただ、傷口は玉箒に濡れその有様をくっきりと見せつける。 ロストナンバーの女将軍とカンダータの高級将校。 二、三と交わしたのは、他愛もない言葉と灼けた鉄のコブレット。 不味い酒も幾度か喉を通れば潤滑剤となって思いを吐露させる。 杯を呷る回数が片手の指を超えた時、酒気混じりの吐息とともにアマリリスは零す。 「……故郷で私は将軍だった。指揮者たる者の常として、大勢の仲間の兵達の命を奪った」 巨漢の掌が無言でコブレットに酒精を注ぐ。 常ならば吐き出せぬ溜め込んだものを流し出す、酒場とはそれを許す場であり対面する男はそれを理解する程度には人生の年輪を刻んでいる。 「その時は、こんなに重い罪悪感を抱く事はなかった。それは私があの国の人間で、明確な責任と覚悟を持てていたから」 ――けれどカンダータでは違う ――私は彼らと共に戦い死ぬ覚悟など持っていなかった、彼らの生き様を背負う覚悟などもっていなかった 「あの時地上で、大勢のカンダータの兵達が命を落とした。ただの異邦人に過ぎない私の選択で、だ。無念のうちに死んだ彼らに私はどう応えればいい」 「……気にするなとはいわねぇが、それはお前さんのせいじゃねえ。ルドルフが健在でも大量のマキーナに待ち伏せされたら終いだ。それに……だ、ロストナンバー、お前らに判断の権利を与えているのは俺達だ。兵士どもが少なからずディナリアに帰還できたのもお前さんの指揮があったからだろう、お前さんを責める奴なんざいねえぜ」 対面の男の言葉が押し殺した表情の上に生まれていたことにアマリリスは気づかない。 ただアマリリスは首を左右に振り六杯目を呷った。 「ありがとう、だが……誰が許してくれようと、私は自分自身が許せない」 ――胸の奥に淀むのは、己を愚者と信じて止まぬ悔恨 己が術の虜となって、恐怖に身を震わせながら歯を食いしばるルドルフ。 『……化物共が……私は屈せぬぞ…………』 口腔を朱く濡らしたルドルフが衝撃に揺れガソリン臭い火の中に消える。 首魁を失い蹂躙されるカンダータ軍、輩の軍人は前線に消え、己はただ叫ぶ。 ――逝ってしまった彼らのためにできることは 「……グスタフ、『彼ら』がいる場所に連れて行って欲しい」 ‡ ‡ $ディナリア市街・間道 カンダータの都市は常に重苦しい土の天蓋を背負う。 常夜灯が揺らす最前線に行き交う人は慌ただしい。 復興の活気から外れた人気のない静かな薄暗い道――墓所へ至る道を先導するグスタフがぽつぽつと呟く 「……知っているかロストナンバー。カンダータの、この世界の人口には限界がある、食料もエネルギーもプラントが生産できる量は決まっている。誰かが死ななければ、誰かが生きられない。限界を超えれば……誰かを捨てるしかねえ」 ろくに舗装されていない道を二対の軍靴が踏みしめる度に砂利が割れる。 「誰かを生かすためにマキーナと戦い、そして死ぬ。前線の兵士達は皆覚悟し、期待している。自分が死ねば親しい誰かが救われるとな。……ノアが外に希望を求めたのは、当然と言えば当然だ。俺は他の希望があると信じた……お前さんらの助けもあって、それはなったようにも思えた」 巨躯の背は重荷を背負った苦力のように疲れて見える。 「…………兵達に戦って死ぬ、俺は轡を並べることもなくふんぞり返っている。あいつらが無念のうち死んだというなら……ノアの奴らと俺は何が違う? グスタフの問に答える言葉をアマリリスは持たない。 同じ兵を率いる将帥であってもアマリリスとグスタフの生きる世界は違う、抱き続けた想いも違う。 グスタフの言葉は途切れ、再び砂利が鳴る音だけが、暗い間道に響く。 歩いた時間は四半刻程、間道の奥に土晒しの開けた墓所が現れる。 大量の銀片――ドッグタグ――が散乱し、申し訳程度の墓標と思わしき木切れを飾っている。 戦死者を祀るにはあまりに簡素な盛土――と感じるのは、カンダータの人ならぬ異世界人の感傷だろう 彼らは別れを既に告げていた、覚悟は既に決めていた、そして、 ――輩の死に引き摺られるものはこの世に残ることはできない 「…………俺はそろそろ会議の時間だ。心配ねえとは思うが後で顔出しな」 グスタフは言い放つと片手を上げ、間道の闇に姿を消した。 彼が残す思いは此処には存在しない。 ‡ 異世界人の墓場に立つアマリリス。 故郷でそうであったように持参した高級酒を粗末な盛土の前に置き最敬礼をする。 「勇敢なカンダータの兵士達、ディナリアは我々の協力の元、巨大マキーナの侵攻を排除し、再び大規模な地上探索の兵を送ることになった…………私も作戦に参加する、次に此処に来るときにはよりよい報告ができるはずだ。期待してくれ」 死人は決して返事をしない。 静寂だけが答えだった。 ――…………すまない、君たちを助けられなくて 死人は決して言葉を生まない。 もしそれが聞こえたとしたら―― ‡ ‡ 墓場を辞しディナリアの街に戻る道すがら、アマリリスは再び件の女と見える。 丁寧な礼をする女は、僅かばかりお腹を気遣っているように見える。 通りすがった時には気づかなかったが、喪章をつけた女は薄っすらと妊娠の兆候を見せていた。 (私はこの女性から良人を奪っただけでなく、この子から父を奪ったわけか……) アマリリスの胸に、再び湧き上がる忸怩たる痛みが取り澄ました仮面をつけることを許さない。 「どうしたんですか軍人さん、お加減が悪そうですけど」 陰に入ったアマリリスの表情を見咎めた女が心配気な声をかけた。 「……いや、大丈夫だ、ありがとう」 彼女は、いや彼女達は何故大切な人を奪った自分に、どうしてこうも自然といられるのだろうか。 自然……何も作っていない顔は、化粧気一つなく煤けていたが美しく強いと思った。 「すまない…………私のせいで」 何時か告げるつもりであった悔恨の言葉。 果たして女の顔は怒りに歪むこともなく、悲しみに崩れることもなく自然なまま、ただ諭すような口調。 「……軍人さん、私は難しいことは分かりません。みんな一生懸命マキーナと戦っているんです……ボロボロになって戦場から帰ってきた軍人さんを責める人なんて、ここにはいません」 それは、割り切れることではないだろうとアマリリスの常識は告げる。 「もちろん、あの人が死んでしまって悲しかったです……けど、私はあの人の遺体にちゃんと会えた……お別れなんだって、理解することができた……軍人さんのお陰です。 あの人は言ってました、私のために、この子のために、私達に生きて欲しいから戦っているんだって……。あの人が命懸けで守ってくれた、だから私達は生きていける、生きていかなきゃいけない。 軍人さんもそうでしょう? 家族のために、国のために大切なものがあるから戦わなきゃいけないって。軍人さんが大切に思う人達もきっと同じです」 ――大切なモノがあるから戦える ――護りたいものがあるから命を捧げることができた ――大切なモノに護られていると知るからこそ懸命に生きる 彼らの強さの根底を知り、己が奪ったものの意味を知る。 ――彼らの力になりたい 自責の念はつきないが、そう思い、そう考える自分がここにいる。 ‡ ‡ 誰も居なくなった粗末な墓場に風が吹く――それは兵士達の最後の唄 『妻のために、息子のために、父のために、同胞のために、輩のために、ただ――カンダータのために』 ――それはただの贖いでしかないかもしれない、それはただの慰めでしかないかもしれない 私は亡くなった人達の為に、彼らの大切な人のために、護りたかった故郷のために戦いたい。彼らに成り代わり、私の力をディナリアのために。 紅々と咲く彼岸花が風に揺れていた。
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