「スカイタワーっていうのがあるんだって!」 少年ブックキーパークサナギは展望台、展望台と、自分が行くわけでもないのに楽しそうに口火を切った。今にも、おやつは300円までな、とか言い出しそうだ。何度も言うが世界司書が0世界以外の世界に出かけることはよほどの事がない限りありえない。知らないわけでもないだろうが、浮かれているのでそれ以上つっこむのはやめて彼の言葉を大人しく待つ。「バナナはおやつに入るのかなぁ…?」 などというお約束な呟きもスルーして彼の言葉を辛抱強く待っているとやがて彼は本題に入った。「この前、九州でお世話になったお礼に是非、東京へ招待したいって言ってるんだ」 誰か彼に5W1Hについて説明してやってくれ。相変わらず、筋道を立てて話すという言葉を知らない彼の思いつきみたいに出てくる話を順序立てて並び変えてみると、どうやらこういうことらしい。 スーパーコンピュータ=SAIによって人がコンピュータ管理されているという世界構造を除けば壱番世界と比較的似た世界AMATERASUは、人を管理するSAIと、人がコンピュータ管理されることに疑問を持った人々が組織するレジスタンスとで敵対関係にあった。 前回、ロストナンバー(=外国人)はSAIの要請により、〈FUKUOKA〉にて、SAIと敵対関係にあるレジスタンスを撃退したのである。 これを受け、マスターSAIであるナギが是非にも外国人を首都〈TOKYO〉に招待したいと言ってきたのだそうだ。 東京観光というわけで広げられたのは壱番世界の地図。管理都市は丁度23区がすっぽり収まる範囲らしい。つまり東京都下にあたる部分は管理都市外ということだ。 東京といえばスカイタワー、クサナギの思考回路は簡潔である。それは壱番世界では、と突っ込む以前に名前がいろいろ混ざっているのだが、クサナギが楽しそうなので指摘するのはやめておくことにした。 とにもかくにも。 確かにTOKYO観光もいい。タワーの展望台からは管理都市が一望出来るだろう。だが、せっかくナギが直々に呼んでくれたのだから、ナギから直接いろいろな話を聞いてみたいような気がしなくもない。 しかしこの件についてクサナギは消極的だった。当然、こちらが質問すれば向こうも我々に質問を返してくるだろうことが予測されるからだ。たとえば『あなたたちは何者なのですか?』とか、『そちらの国に行ってみたい』といったようなものだ。 ナギが持つ膨大な情報は魅力的だが、接触は慎重にというのがクサナギの考えらしい。たぶん。 というわけで、おのぼりさんよろしく観光に向かうのだ。「東京を案内してくれるのはサイバノイドの風見一悟と桜塚悠司って人だから」 風見一悟は、セカンドディアスポラの際にお世話になったサイバノイドであり、こちらの事情を多少把握してくれている人物だ。サイバノイドのナンバーズの中ではイレブンの位を持つ実力者。ただ諸般の事情であまりSAIに信用されていないため、彼には相棒兼監視役のサイバノイドが付けられている。それが桜塚悠司だ。ちなみに彼のナンバーは…。「ナンバースリーって響きがなんかカッコいいよね…」 ぽややーんとどこか明後日の方に視線を泳がせながらクサナギは呟いた。自称勇者のくせに影の黒幕的ポジションにでも思いを馳せているのか。 それからふとクサナギは顔を引き締めた。「レジスタンスに最凶と言わしめる実力者らしいんだけど…」 自称勇者としては、憧れていい存在ではないと気づいたようだ。「SAIとアクセスするには普通そのインターフェイスであるバイオロイドを介さなきゃいけないんだけど、彼はSAIに直接アクセス出来る唯一の人間らしいんだ」 真剣な面もちでそう言ってクサナギは手にしていた導きの書を閉じ傍らの机の上に置いた。ナギと直接対話出来なくとも、案内役の彼からいろいろ話を聞けるかもしれない。「あ、それから」 クサナギが思い出したようにポンと右手の拳で左の手の平を打った。「実は九州の件で、レジスタンスの本拠地FUJIコミューンからも招待が来てるんだ」 〈FUKUOKA〉ではロストナンバーがレジスタンスを撃退した表向きとは別に、レジスタンスを助けた裏側もある。「で、日程が重なっちゃったから…両方参加は出来ないから気を付けてくれよな」*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・!注意!このシナリオは小倉杏子WRの「【天照】フジサンロクにオウムナク」と、同じ時系列の出来事を扱っています。同一のキャラクターによるシナリオへの複数参加はご遠慮下さい。*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・
■TOKYO駅■ 駅構内にある銀色の巨大な鈴の前。 「悠司様、お久しぶりですわ…前回悠司様にお会いできずに、わたくし寂しかったですわ」 オフェリアはよよよと泣き崩れてみせた。もちろんフリだ。ちなみに彼女の言う前回とは福岡迎撃戦のことである。 「ほんまに? いやぁ、嬉しいなあ。俺もオフェリアちゃんに会いたかったなあ」 悠司は大阪の商人みたいな愛想笑いを返した。何故だろうこの空々しい感じ。 「前回は何をしてらしたの?」 「ん? ちょっと野暮用?」 「もしかして、女性の方と?」 「いやいや、男やって」 「男…まさか悠司さまって!?」 「なんでやねん! ってか、もしかして妬いてくれとんの?」 「そんな妬くだなんて、ふふふ」 「……」 2人のやりとりを半ば呆気に、というよりは冷めた目で見ていた3人に、一悟がハッとして悠司の肩を叩いた。改めて。 「TOKYO案内は俺たちでさせてもらうよ」 「よろしゅう」 悠司は客を迎えるホテルマンみたいに手揉みなんぞしている。何だろうこの胡散臭い感じ。 いや、胡散臭さなら彼だって負けてない。 「チャン新宿歌舞伎町行ってみたいあるよ」 ティッシュペーパーよりも軽薄そうな男が綿毛よりも軽やかな口調で言った。 「新宿歌舞伎町?」 「こっちにもパチンコ店や雀荘あるか? あるなら遊びたいね、チャンこう見えて腕利きあるよ」 「パチンコって…この時間に行ってもめぼしい台は残ってへんやろ」 どうやらこの世界にもパチンコ店はあるらしい。そして壱番世界のそれと同じく朝から並ばなければ当たり台がゲット出来ない。 「まぁ、行くんは止めへんけど…このメンバーで?」 悠司は他の3人を振り返った。その後頭部に向けてチャンは滑らかな口調で続けている。 「他にも道行く小姐ナンパして昼っぱらからラブホにしけこみたいね」 チャンの言葉に神無はぎょっとし、リーリスとオフェリアは呆れた内心を覆い隠すように聞こえてないフリをした。 「子連れでナンパかあ。チャレンジャーやなあ」 感心している風の悠司の頭を一悟がはたく。 「そういう問題じゃないだろ」 なんの漫才だろう、とリーリスはサイバノイドの2人を見上げた。いやそれよりも彼らに行き先を任せている場合ではない。 「リーリスねぇ、水族館とか動物園に行きたいの♪」 「わたくしは悠司さまと千葉にある某遊園地に行ってみたいですわ」 2人は口々に希望を挙げた。 と、そんな2人とは裏腹に彼女らの後ろに隠れるようにしていた神無に気づいた悠司が声をかける。 「どないしたん?」 「え? いえ…」 驚いたように目を見開いて神無は俯いてしまった。人混みに慣れていないのだ。なんだかそわそわしてしまう。手錠のせいで人から好奇の視線を向けられているような気がして、それが他の者たちの迷惑になるんじゃないかと思えて。 だが、悠司はそんな彼女の内心に気づいているのかいないのか、なんでもないことのように彼女の耳元に囁いた。 「大丈夫、みんなにそれは見えてへんから」 「え?」 悠司のウィンクに神無は戸惑いを隠せない。手錠は他の人から見えなくなったが外れたわけでは勿論なくて、けれど、どうして、という言葉は出てこなかった。ただ。 「君はどこに行きたいん?」 「えっ…! ええと…美術館、とか」 神無はとっさにそう答えていた。元々美術鑑賞が好きなのもあるが、この世界の人々が作り出したものを見てみたいと思ったのだ。 「でしたらわたくし、あのタワーに登ってみたいですわ」 悠司と神無の近さが気に入らなかったのか、オフェリアが割って入る。それもまたこの世界の人々が作ったものか。 「じゃあ、今日はタワー登った後SHINAGAWA水族館行って、明日UENO公園で動物園と美術館はどうだ?」 一悟のこの提案に、憤然と立ちはだかったのは勿論チャンである。 「新宿歌舞伎町はどうなったあるね!」 「パチ屋やったら一人で行けんちゃう?」 悠司が言った。一人で勝手に行ってくれば。なんとも冷たい。 「え…それは無理ある」 財布が空っぽのチャンにとってオーナー持参は必須条件なのだ。しょんぼりしているチャンに悠司が小声で耳打ちした。 「まぁ、あっこは夜の方がいろいろあるし…えぇ店あんねん。今晩どうや?」 「しょうがないある。夜まで待つあるよ」 チャンは偉そうに答えたのだった。 ■スカイタワー?■ 「今は出来たばかりで、上に登るにはチケットがいるだろ? もう、半年先まで取れないって聞いたけど」 タワーの下に集まる観光客らしき人混みを見ながら、そういえばとでもいう風に一悟が言った。 「非常階段使えばえぇやん」 悠司がさらりと答える。 「階段!?」 思わず悲鳴みたいな声をあげたのはチャンだった。体力には自信がない、とかそういうレベルの高さではない。敵は634mなのだ。 「大丈夫、大丈夫」 悠司は軽く手を振って見せて5人を非常階段へと促した。関係者以外立ち入り禁止の札も無視してすたすたと入っていく悠司に、何の疑いもなくオフェリアが続く。その後に神無、リーリス、そして何が大丈夫なんだと呆れる一悟の後に「これ登るの?」みたいな顔をしたチャンが続いた。 悠司が指をパチンと一つ鳴らすと、足下にテーブルのようなものが現れる。そこに5人が乗り込むとテーブルは非常階段をエスカレーターというよりはエレベーターのように登り始めた。 「APフィールドがあるんじゃないんですの?」 オフェリアが尋ねる。 「あれはナミが管理しとるシステムやからね」 悠司がなんでもないことのように答えた。一悟は無言だ。 「APフィールド?」 リーリスが初めて聞く言葉に首を傾げる。いや、首を傾げているのはリーリスだけではない。オフェリア以外の3人はこの世界に初めて来たのである。 「アンチPSYの稼動領域のことですわ。そういえばクサナギったら説明をサボっていましたわね」 しょうがない子ね、とでもいう風にオフェリアが言った。 アンチPSYとは、PSYと呼ばれる力を封じるシステムのことだ。但し、この世界のPSYがどのような法則に基づいているのかわからないため、現時点ではトラベルギアは使えるが一部の特殊能力が使えないかもしれない、ぐらいに捉えられていた。今回は戦闘もないし能力を使うような場面もないだろうからとクサナギが説明を省いていたのだ。 つまり悠司のこれはPSYという力ということである。 管理都市にはAPフィールドが張られているため基本的にPSYは使用出来ない。だが、悠司はそれを自由に解除出来るようだ。 「このタワーは、何の役割のタワーですの?」 どんどん小さくなっていくTOKYOの街を見下ろしながらオフェリアが尋ねた。 「電波塔だよ。テレビとかラジオとか携帯電話とかの」 それはどうやら壱番世界と大して変わらないらしい。 程なくして展望フロアへ到着した。 展望台から望む絶景に神無は誘われるようにそちらへ歩きだし感嘆の声を漏らす。 「すごい…」 その眺望にただただ見惚れた。それが遠い記憶と重なる。子供の頃、父親に展望台に連れて行ってもらった懐かしい思い出だ。 傍らに景色案内板を見つけた。自分が見ているのは東の方角らしい。晴れた空に富士山が見えたが、さすがにFUJIコミューンは見えそうになかった。いや、見えたら大変だろう。 「あら? …管理都市の外にも家が?」 神無は目を凝らした。確か管理都市は23区内のはず。だが新宿の高層ビル群の向こう側にもずっと家々が並んでいる。 「昔の名残だな」 傍らでリーリスの手を引きながら一緒に景色を眺めていた一悟が答えた。 「なんだか箱庭みたいですね…」 管理都市の中と外を区切る壁。ミニチュアほどに見える街並み。 それからふと周囲を見回す。他の3人はと神無が怪訝な顔をしているとリーリスがやれやれと肩を竦めながら教えてくれた。 「オフェリアさんなら婚活中で、チャンさんはそれを邪魔しに行ったわ」 ◆ 悠司に近づくためなら仲間も売れる。そんな次第でオフェリアは大絶賛婚活中(笑)であった。 「悠司さま、可愛いストラップを見つけましたわ」 いつもより少しはしゃいだ声でデート気分を満喫。なんといっても今回は邪魔者はいないのだ…と思っていた。 タワーのイメージキャラをあしらったストラップを掲げながら悠司を振り返ったオフェリアは、そこにいたチャンを今にも射殺しそうな目で睨みつける。 しかしチャンはそんな視線に気づいた風もない。 「天照は管理都市いうけど歌舞伎町も健全で清潔な街あるか?」 とにかく彼は新宿歌舞伎町が気になって仕方がないらしい。そんなもの行ってみたらわかるではないか、とオフェリアは内心で毒吐く。 「そんなのつまらないね、歌舞伎町はチャイニーズマフィアやヤクザが闊歩する猥雑な繁華街だからこそいいのよ」 力説するチャンに悠司は曖昧な笑みを返していた。 「歌舞伎町は治安良いあるか?」 健全すぎても住みにくく息詰まる。光ある所には必ず影が出来る。そしてチャンのように日陰を好む人間がいる。そんな風にしてしか生きられない人間もいるのだ。 「まぁ、あまりいいとは言い難いな。チャイニーズマフィアはいないけどヤクザは闊歩してるし」 悠司の言にチャンは少しばかり肩を落とした。 「チャイニーズマフィアいないあるか?」 「そもそもここにいる外国人は君らだけだからな」 AMATERASUに外国人は存在しない。いや、オフェリアたちを最初に見た人間がロストナンバーを外国人と誤解したのだから、全く存在しないというわけではないのだろう。ただ、この国は外国との国交が途絶えているのだ。だから外国人はいない。故に、チャイニーズだろうがイタリアだろうがジャパニーズ以外のマフィアは存在しようがないのだ。 「そういえば、この国は鎖国しているんでしたわよね?」 オフェリアが憤然とチャンの前に割って入る。 「鎖国なんかしてへんよ? ある日突然、他の国と連絡も往来も出来んようになっただけや。やからオフェリアちゃんがどうやって来たんか聞きたいくらいや」 な、と悠司がにこやかにオフェリアの顔を覗き込んだ。相変わらず何を考えているのかわからない目をしている。 「まあ…」 悠司の言葉にオフェリアは顔を綻ばせてみせた。 「悠司さまはわたくしの国に来てみたいと仰るんですの?」 オフェリアの言葉に驚いたのは果たして誰であったか。 「そりゃ行ってみたいなあ」 「それはもしかしてプロポーズの言葉というものですの?」 頬を染めながら喜んでみせるオフェリア。悠司が面食らった。 「へ?」 「色男あるな」 チャンがニヤニヤしながら悠司の脇腹を肘でつつく。 「あ、いや…えっと、あれ…?」 しどろもどろになる悠司。あまり本音を見せない彼にしては珍しい。 「悠司さまを家族に紹介したいのは山々なんですけど、わたくし今はちょっと迷子で…」 ツーリストとはある意味、多重世界を跨っての盛大なる迷子…であるかもしれない。オフェリアは恥じらうように朱に染めた頬を両手で押さえて照れたように俯いた。チャンは「ここで決めなきゃ男じゃないある」と悠司を煽っている。悠司は困惑することしきりだ。 と、そこへ助け船が現れた。 “何の茶番?”みたいな表情は面に出さずリーリスが3人の間に割って入る。まるで無邪気な子供のように。 「リーリスお腹すいちゃった」 「お、そんな時間か?」 これ幸いと悠司がそれにのっかった。 「じゃぁ、ランチにして水族館行くか」 「わ~い♪ リーリスね、オムライスが好きなの」 「じゃぁ、ランチはオムライス…で、ええ?」 悠司は他の面々を振り返った。 「いいある」とチャン。 「はい」と神無。 「…お任せしますわ」 オフェリアはそっぽを向いた。 「そのストラップ欲しいんやったら買うたるよ」 悠司がオフェリアの手にしているストラップに気づいて、まるで取りなすように言った。オフェリアは少し考えてから「いりませんわ」とストラップを元の棚に戻す。女心は複雑だった。 ■水族館■ 穏やかな昼下がり、水族館へやってきた6人だったが、入館して早々、子供のようにはしゃいでいたリーリスが姿を消した。 「お魚さんって綺麗で可愛いよね♪」 そう言って一人で駆け出し、はぐれてしまったのだ。迷子と慌てた一悟に、悠司が「俺が探すで、みんなは水族館楽しんどって」と言うので任せることに。オフェリアが「わたくしも悠司さまとご一緒しますわ」とついていってしまったので、残された3人で水族館を回る。 そして迷子の当事者のリーリスはといえば、一人でのんびり水族館を歩いていた。管理都市というくらいだから、都市の住人と勝手に口を聞いてはいけないのかと思いこんでいたが、チャンに一人でパチンコ屋に行けばなどと言っていたところを見ると、そうでもないらしい。ならば、いろいろこの世界に触れてみたいと思ったのだ。 熱帯魚の水槽の前を歩いているとリーリスより2つ3つ小さな男の子がリーリスをじっと見ているのに気づいた。 リーリスが男の子の顔を覗き込むと男の子が尋ねる。 「迷子?」 「それはキミでしょ?」 リーリスは呆れたように肩を竦めた。 「お…俺は平気だい!」 「……」 リーリスはため息を吐く。 「しょ…しょうがないから、俺がついててやるよ」 それはこっちの台詞だとリーリスは内心で思いながら「まぁ、いいわ」と諦めた。 本当は大人の人と話してみたかったのだが、子供の方が嘘がないかもしれない。 2人で館内を歩きだす。リーリスには少年の連れを探す気はない。もちろんその気になれば簡単に探せるからだ。というより、もう殆ど見つけていた。ずっと精神感応を全開にしているからだ。 魚は好きか、などとたわいもない話を始めると少年は楽しそうにイルカショーの話を始めた。少年の話はリーリスが想像していた管理都市のイメージから大きく外れて、普通の世界と遜色ない。管理都市の管理とは、SAIが管理しているものとは具体的になんなのだろう。 程なくして巨大な水槽のエリアにやってきた。エイやマンボウなどが悠々と泳いでいるのを眺めながら、リーリスは聞いてみた。 「ナギとナミって知ってる?」 「ナギ様とナミ様? 知ってるよ。神様みたいな人だよ」 少年は自分が迷子になっていることも忘れたかのように、鮫の迫力に目をキラキラさせながら答えた。 「神様みたいな人?」 「って、パパとママが言ってた」 そこで、少年の表情が曇る。迷子であることを思い出したのか。パパとママが恋しくなったようだ。 「ふーん、神様ねぇ…実は私も神様なんだ」リーリスはいたずらっぽく言った。 「え? うっそだー」少年は信じない。 「じゃあキミをパパとママのところに連れていってあげるわ」 リーリスは少年の手を取ると、彼の両親の元へと歩きだした。 「ほらね」 とそちらを指差す。少年はそこに両親を見つけて目を大きく見開いた。 「パパ!! ママ!!」 そう言って駆け出す。 「健!」 両親は探していた我が子を見つけて少年を抱き上げた。 「どこに行ってたんだ!?」 と叱りつけながらも、その顔は安堵に満ちている。男の子が後ろを指差して言った。 「あのね、今神様の女の子が…あれ?」 そこにリーリスの姿はなかった。 「神様?」 「うん…パパとママのところに連れてきてくれたの」 「そう」 そんな家族を柱の影で見ていたリーリスは小さく呟いた。 「…神様なんて簡単になれるのよね」 ナギとナミは神様みたいな人。少年はそう言っていた。管理都市の人々はナギとナミをそんな風に思っているのか。 ただ何となく思う。 彼らは真実を知ってもきっと変わらないのだろう。一部の人は管理都市を出て、残りの人は信じずに今の日常に埋もれていく。 壱番世界と似ているところもあるが全然違うとも思っていた。だけど、そういうところは少し似ているように感じた。 何も知らない壱番世界の人々。世界が滅びるかもしれないなんて微塵も考えていない。プラットホーム化が滅びの兆候だという事実に触れたほんの一握りの人間はコンダクターとなり、壱番世界の滅びを止めようと奔走しているが、大半の人間は真実を語られてもそんなことあるわけがないと高を括り日常に帰っていくのだ。 見様によっては、ここは壱番世界の縮図のようにも見えなくもない。 「見ぃつけた」 背後から声が降ってきた。 リーリスが振り返るとそこには、悠司と、それから巨大なマンボウのぬいぐるみを抱えたオフェリアが立っていた。 「……」 ■SHINJUKU■ 「これからは大人の男の時間や。お守りは任せたで」と悠司が大人の男にいつにない力がこめて言った。 「はいはい」と一悟。すると。 「わたくしも参りますわ」オフェリアが言い出した。 「いやあ、女の子の行くようなとこちゃうしなあ」と悠司はチャンの方を見やる。 チャンはうんうん頷いた。キャバクラを梯子して綺麗な小姐とにゃんにゃんする予定なのだ。断じて女の子が同行するようなアレではない。 しかしオフェリアは譲る気がなかった。 「大丈夫ですわ。悠司さまがいらっしゃいますもの」 「……」 悠司とチャンは顔を見合わせた。 数分後。 一悟と神無とリーリスをホテルに残して悠司とチャンはオフェリアを連れて新宿歌舞伎町へと向かっていた。 「いい店…の話なんやけど…」 悠司は小声でチャンに話しかけた。 「なんか行き辛いあるな」 チャンはチラリとオフェリアの方を見る。 「わたくしのことはお気になさらず。ふふふ」 オフェリアは満面の笑顔だ。 チャンは半ばやけくそに言った。 「行くあるよ!」 いざ、キャバクラ。 黒服に出迎えられるかと思ったら、綺麗なお姉さんが3人を出迎えた。悠司が事前に連絡を入れていたらしい。 「久しぶりね、悠ちゃん」 などと腰までスリットの入った真っ赤なシルクのドレスのナイスバディなお姉さんが悠司の腕を取る。それからオフェリアの方になんともいい難い視線を投げた。 「まあ、素敵なお店ですのね」 オフェリアが笑みを返す。 「あうちっ!」 と悲鳴をあげたのはチャンだった。うっかり2人の女性の間に入ってしまい飛び散った火花にやられたのだ。そんなチャンに。 「こちらのお兄さんは初めての方?」 などと別のお姉さんが大きな胸が彼の腕に当たるように腕を絡めて言った。チャンの鼻の下がだらしなく垂れ下がる。 「どうぞ」 一番若い女がオフェリアを店の中へと案内した。 「……」 ボックス席でチャンは早速メニューを端から端まで頼んだ。一度やってみたかったのだ。 「サクラヅカも遠慮せず飲むといいあるよ、どうせSAIのおごりある。さすがSAI様太っ腹ある」 すると悠司は苦笑を滲ませつつ言った。 「SAIの奢りじゃなくて、俺なー」 「似たようなもんある」 「機械風情と一緒にせんでくれ…」 悠司は苦笑いだ。しかし止めたりはしなかった。 「オフェリアちゃんも好きなん頼みや」 と、自らも水割りを頼んでいる。オフェリアみ、グラスが揃ってまずは乾杯。 チャンは喉の奥に琥珀色の液体を一気に流し込む。 「人の金で飲む酒美味いね、皆もじゃんじゃん飲むよろし。チャンはボトルキープあるよ」 テーブルには所狭しとグラスやボトルやフルーツの盛り合わせなどが並べられている。チャンの言葉に、店の女の子たちもいただきまーすと飲み始めた。 オフェリアはせっせと悠司のグラスに酒を注ぐ。なかなか本性を見せない悠司を酔わせようという作戦に出たのだ。オフェリアの意図を察したわけではないだろう、赤いドレスの女もオフェリアに負けじと悠司に酒を注いだから、悠司はものすごいペースで飲むハメになった。 「お、サクラヅカいける口ねぇ」 とチャンは暢気なものだ。 女の子は粒ぞろい。酒は旨い。気分もいい。確かにいい店だ。 程なくして、赤いドレスの女が別の指名があったとかで席を外すと、チャンは悠司がベロンベロンになる前にと、彼の隣に詰め小声で言った。 「…ところで、チャン、もしもの時の為に現地の裏社会と顔繋いどきたいね」 「もしもの時?」 酔眼をチャンに向けて悠司はさくらんぼうを口の中に放り込む。 「もしもの時はもしもの時ね。細かいこと気にするなしよ」 「この辺の元締めやったら、奥のVIP席ちゃうかな?」 悠司の言にチャンは早速立ち上がる。 「ちょっと挨拶してくるね!」 「いってらっしゃ~い」 悠司はひらひらと手を振ってチャンを送り出した。 ちなみにこれは余談だがチャンは悠司の金でその元締めと仲良くなるつもりだった。というか、仲良くなったのだった。 ◆ 一方、その頃。ホテルのラウンジで。 「あいつには気を付けた方がいい」 一悟はリーリスと神無に向かって言った。 「あいつ?」 「桜塚悠司」 何を考えているのかさっぱりわからない男。だが、神無には悪い人のようには感じられなかった。自分で自らを戒めた手錠を、彼は外したり、外すように言ったりせず、もちろん何も聞かずに、ただ人の目に映らないようにした。 「どうしてですか?」 「あいつは、君たち外国人を巻きこもうと…っていうか利用しようとしている気がする」 一悟は答えた。 「利用されるのは嫌だろ?」 神無は複雑に口を噤んだ。自分が誰かのために出来ることがあるというのは、嫌ではない、とか、たぶんそんな単純な問題ではないのだろう。 「リーリスはお魚さんとか動物さんに会いたくて来たから…む、むつかしいお話は良く分かんない」 リーリスは不思議そうに首を傾げてみせる。一悟はそれで「変な話をして悪かったな」と話を終わらせた。 ただ。リーリスはジュースを飲みながら考える。クサナギの話だと、SAIからこの世界の情報を得るには対価が必要で、しかしSAIは外国人を興味の対象物としてしか捉えていないため支払える対価(こちらの情報)がなかった。だが自分たちに利用価値があるとしたら話は別だ。何故なら情報を得るために支払える対価がそれに代わるからだ。SAIではないがSAIと直接アクセス出来る人間が自分たちに利用価値を見いだしてくれた。 こちらがそれを利用するという選択肢があるかもしれなかった。 ■UENO公園■ 結局悠司が二日酔いで午前中は自由行動の後、有名らしいという洋食屋でランチに舌鼓を打って、一行は動物園を楽しみ同じ公園内にある美術館へ向かった。 美術館では平家物語展とやらを今は開催していた。平安末期のあれやこれやが展示してある。こうして見ていると壱番世界の歴史に本当に酷似していた。むしろ同じなのではないかとさえ思えてくる。 動物園では悠司とのデートに忙しかったオフェリアだが、今は目の色を変えたように美術品に見入っている。まるで品定めでもしているみたいだ。 美術品に興味のないチャンは1時間だけ稼いでくるね、と言ってどこかへ消えた。手がボタンを叩くような仕草をしていたから、恐らくはスロットでも回しに行ったのだろう。昨夜、顔を繋いだ裏社会の皆さんからいい台を教えてもらったのである。悠司の金を湯水のように使ってしまったので少しくらいは返そう、などという殊勝なことは微塵も考えていなかった。 リーリスは一悟と美術館の傍にある喫茶店へパフェを食べに行った。 そして神無は興味深げに古人の美術品を見ていた。 美術品を見るのは楽しい。だがその一方で楽しむなど自分には過ぎた行為だという気持ちがあった。せっかく連れてきてもらったのだから、もっと楽しまなきゃと思う自分と、楽しんでいいはずがないと思う自分とがせめぎ合う。 ふと、周囲に視線をやると家族連れで美術館に遊びにきているのだろう、カップル、友人、そんな小さな集団が目に入った。それはタワーにも動物園にも水族館にも、いっぱいあって、皆、それぞれに多くの表情を見せていた。 最初、人々がコンピュータ管理されていると聞いた時は、もっと無感情に淡々と生きているのかと思っていた。だが彼らは傍目には普通の人間と変わらずに人生を謳歌しているように見える。 (この世界でも…苦しまずに生きられるわけじゃないんだ…) 道行く人々を眺めながら神無は内心で呟いた。 この平家物語のように天皇や政治家がどれだけ変わろうとも、大多数の人々はただその中で環境に則して逞しく生きていくだけなのだとしたら、それがコンピュータになろうともコンピュータが自分たちに危害を与えない限り、人々はただその営みを続けていくだけなのかもしれない。 「苦しいだけちゃうけどな」 声に驚いて振り返る。神無が見ていた絵巻物を眺める悠司の横顔に、内心のつもりがいつの間に口に出していたのだろうと訝しみながら聞いてみた。 「この世界の人は、どのくらい自由に生きられるんですか?」 「どのくらい? うーん…どのくらいやろう? 難しい質問やなあ」 悠司は首を傾げる。 「…すみません」 神無はとっさに謝っていた。変な質問をしてしまったような気がしたからだ。だが悠司は別段気にした風もない。 「人の道を外れん範囲やったら何しても自由ちゃう?」 と笑った。 「そろそろ閉館や」 促されて気づく。歩き出す悠司を神無は慌てて追いかけた。 「あ…あの…今日はありがとうございました……楽しかった、です」 神無の微かな笑み。TOKYOに来て初めて見せたと彼は気づいているだろうか。悠司は「うん」とだけ笑った。 エントランスへ向かう。 「ほんでも、箱庭っちゅーんは言い得て妙やな」 ふと思い出したように悠司が言った。 「箱庭の住人はただ知らんだけや。ナギとナミの正体と、それから箱庭の外のこと」 「それを知ったら?」 「まぁ、大抵は箱庭の外に出ていくかなぁ。別に止めへんし」 するといつの間にそこにいたのか、オフェリアが言った。 「止めないんですの? でしたら人狩りというのは…?」 コミューンの人間を管理都市に連れ戻しにきたバイオロイドとオフェリアは会ったことがある。それをコミューンやレジスタンス側の人間は人狩りと呼んでいた。 「人狩りて、人聞き悪いなぁ…。籠の中で1度飼われた鳥は外では生きられへん。水も火も食料も着るもんも住む場所も全部1から1人で調達出来る奴は少ないねん。レジスタンスも全部のコミューンに手が届くわけちゃうしな。そやし保護したってるだけやん」 「保護…」 物は言い様である。 「外に出ても自由。せやけど、自由に生きる余裕があるんはほんの一握りの人間だけってことや」 多くは死なないことに必死なのだろう。それもまた自由な生き方の一つだ。自由とはただ好き勝手に出来るということではない。神無はぼんやり考えた。では自由とは何だろう。 オフェリアと歩き出す悠司の背を神無は見つめた。昨夜一悟に言われた気を付けろという言葉を思い出す。SAIは悪なのか。彼の目的は一体何であるのか。 美術館の前では既に3人が待っていた。 帰路。オフェリアがふと尋ねた。 「悠司さまはSAIが人を管理することをどうお考えですの?」 「別にええんちゃう?」 まるでどうでもいい事のように彼は答えた。そんなことは大した問題ではない。さして重要なことでもない。 リーリスの中で情報を繋ぎ合わせて出した一つの仮説が現実味を帯びていく。 ――ここは壱番世界の箱庭なのか。 ■完■
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