世界図書館の一画に、「司書室棟」がある。 ここはその名のとおり、「司書室」が並んでいる棟だ。司書室とは、一定以上の経験のある世界司書が職務のために与えられている個室である。ふだんは共同の執務室を使っている司書も、特定の世界について深く研究している司書はその資料の保管場所として用いているし、込み入った事案の冒険旅行を手配するときは派遣するロストナンバーを集めて事前の打ち合わせにも使う。中には、本来は禁止されているはずなのだが、司書室に住みつき寝起きしているもの、ひそかにペットを飼育しているものなどもいると言われている。 司書室棟への立ち入りは、特に制限されていないため、ロストナンバーの中には、親しい司書を訪ねるものもいる。あるいはまだ不慣れな旅人が、手続き書類の持って行き場所がわからずに迷い込むこともあるかもしれない。 司書室の扉には名前が掲示されているから、そこがなんという司書の部屋かはすぐにわかる。 ノックをして返事があれば、そっと扉を開けてみるといいだろう。 たいていの司書たちは、仕事の手をとめて少し話に付き合うくらいはしてくれるはずである。あるいはここから、新たな冒険旅行が始まることさえあるかもしれない。 司書室とは、そういう場所だ。＊ ＊ ＊ 司書室の扉を開けたとき、つい｢食糧庫と間違えた｣と引き返しかけたのを誰が責められるだろうか。 ぐるりと部屋の壁を覆う、業務用と思しき巨大な冷蔵庫の列。所狭しと積み上げられまくった段ボールには、どれも｢りんご｣や｢小麦｣など馴染みの食材やまったく聞いたこともないような食材の名前がしっかり書きこまれていた。調理器具もぬかりなく完備され、ちゃっかりコンロなどの設備まで整ってる。 中央のちゃぶ台には様々な種類の料理が上に乗りきらないほど並べられており、湯木はそこで料理の一つに手を伸ばしつつ、扉を開けた人物に向けて片手をあげ軽く挨拶した。｢何か用かの？｣ 彼は食べ物を口に運ぶ手は止めないまま、ちゃぶ台の向かいに手招いた。それに従い部屋に足を踏み入れ、示された場所に座る。よく見ると、ちゃぶ台の傍らには料理や食料にまぎれて依頼用の資料らしいファイルや紙束などが山積み置かれていた。一応仕事はしているようだが、その横のレシピ本の山の中にさりげなく導きの書が紛れている辺り、管理体制を疑わざるをえない。 また、そのすぐ脇に寝袋と歯ブラシや着替えらしい衣服などといった日用品も放置されている。これは確実に居着いてるな、と思いかけたところで湯木は立ち上がり、寝袋と着替えを拾い上げるとそれを段ボールの陰に押し込んだ。｢まぁ、なんじゃ。せっかく来たんじゃけ、ゆっくりしていけばええ｣ それから彼は何事もなかったように料理の皿を手に持ち、食べながらいそいそと冷蔵庫の方へと向かった。冷蔵庫の扉に手をかけようとして、ぴたりと止まる。悩むように首を傾げ、少しの沈黙の後に振り返った。｢量は大盛りでええかの？｣ いつのまにか、｢食べない｣という選択肢はすっ飛ばされていた。●ご案内このシナリオは、世界司書 湯木の部屋に訪れたというシチュエーションが描かれます。司書と参加者の会話が中心になります。プレイングでは、・司書室を訪れた理由・司書に話したいこと・司書に対するあなたの印象や感情などを書いていただくとよいでしょう。字数に余裕があれば「やってみたい冒険旅行」や「どこかの世界で聞いた噂や気になる情報」などを話してみて下さい。もしかしたら、新たな冒険のきっかけになることもあるかもしれませんよ。
｢湯木さんっ、メリークリスマース！｣ 司書室の扉を元気よく開け、笑顔で片手を挙げて挨拶をしたのは、サンタのそれによく似た衣装を纏った銀髪の少女だった。赤いサンタ風帽子の先端に付いた白いポンポン飾りが、ミルカ・アハティアラのツインテールと一緒に揺れる。 ミルカのシーズンを大きく外れた挨拶に、ちゃぶ台の傍でお茶を啜っていた湯木は表情を変えず首を傾げた。 ｢クリスマスなら、過ぎたばかりじゃと思うとったんじゃが？｣ 湯木が問う間に、ミルカはちゃぶ台を挟んで司書の向かいに座り、先程より幾分真剣な面持ちでそれに頷いてみせる。 ｢はい。なので、次のクリスマスの準備をしようと思うんです！｣ ｢……気が早いのう｣ ミルカが何者であるか詳しくない者ならば、だいたい湯木と同じ感想を抱いただろう。ミルカはまだ充分な自己紹介が済んでいなかった事に気づくと、慌てたような表情を見せた。 ｢あっ、すみません。わたし、ミルカっていいます。今は見習いなんですけど……将来、一人前のサンタクロースになりたくて。サンタクロースの修行中なんです｣ ｢ほう。ミルカはサンタクロースの玉子なんか｣ 異世界の数は正に無限ということなのだろう。見習いとはいえ本物のサンタクロースにこうして会うのは初めてだと無表情ながら感心した様子の湯木に、ミルカははにかんだような笑みを溢す。 ｢えっと、そんなところです｣ ｢ほいで、今からクリスマスの何の準備をするんじゃ？｣ 話を本題に戻すと、ミルカはハッと思い出したように緩んでいた表情を引き締め、姿勢を正してみせた。 ｢はい！ あのですね、湯木さんにちょっと相談したい事があるんです｣ 自分に？ と問いたげに首を傾げる湯木に、ミルカは何処から話そうかと少し悩むような顔をしながら、ゆっくりと事の説明を始める。 ｢ええっとですね、サンタクロースのお仕事って、知ってのとおり、世界中の子供達にプレゼントを届けることなんですけど……プレゼントを届けた先の子供達が｢サンタさんへ｣って、ケーキやお菓子を用意してくれてることが多いんです｣ ｢ん。よぉありげな事じゃの。行く先々で食いもんが貰えるんなら、羨ましい限りじゃ｣ ｢そう、『そこ』なんです！｣ びしっと人差し指を突き付けられた司書は特に驚くようなリアクションこそとらなかったものの、数回目を瞬きさせている。 ｢そこ、っちゅうと？｣ ｢お菓子を用意してもらえるのはとても嬉しいことなんです。でも、行く先々で用意して貰ったもの全部を食べるのはとっても大変で……かといって残すのは用意してくれた子供達が可哀想ですし……持って帰るにしても量が多いんです｣ 彼女の世界ではサンタクロースが各地に存在しているとはいえ、一人当たりで巡る子供達の数は決して少なくはない。一件一件の量がそれほどではなかったとしても、積もれば相当のものになるのだろう。 ｢わたしのおじいちゃん、サンタクロースなんですけど、おじいちゃんはお菓子を全部食べていった結果……なんというか、横幅が……｣ 短い期間に大量のお菓子を食べ続ければどうしてもそうなってしまうのは致し方ないことではある。しかしまだ子供とはいえミルカも女の子だ。将来とてもふくよかな体型になる事を想像すると、どうしても複雑な心情にならざるを得ない。そうなるとどうにも用意して貰ったお菓子やケーキを前にしても手も止まってしまいそうな気がしてくる。 だがそれではいけないと、彼女は曇ってきた表情を振り払うように顔を左右に振った。 ｢わたしも、将来立派なサンタになったら、おじいちゃんみたいに子供達の感謝の気持ちをきちんと受け取りたいんです｣ それは一人前のサンタクロースを目指す彼女の真剣な気持ちだった。子供達の温かい気持ちを無駄にしたくない。その意志は彼女の真直ぐな瞳からはっきりと伝わってくるものだった。 ｢ん、なるほど……ほいで、わしに相談っちゅうのは｣ ｢はい、湯木さんって何でもぺろっと食べちゃうって聞きました。どうやったらそんなにたくさん食べられるんだろうって、参考にしたくって｣ 話しつつ、ミルカは持ってきていた大きな荷物の口を開け、中をごそごそと漁り始める。 ｢あの、ケーキとかクッキーとか、一緒に食べてもらえませんか？ お菓子は作るの得意なので、作って来たんです！｣ そう言ってミルカはちゃぶ台の上に手製クッキーの詰まった大きな袋を置いた。荷物の中には他にも彼女の手造りのお菓子が入っているらしく、とても良い香りが漂ってきている。そして彼女は司書に対しガバッと頭を下げた。 ｢お願いします、湯木さん！｣｢喜んで｣ 返答まで０．０１秒。そしてミルカがパッと明るく目を輝かせて顔を上げると、湯木は既に彼女が持ってきていたクッキーやケーキを盛る為の皿を取りに行っていた。 ＊ ＊ ＊ ちゃぶ台の中央にはクリスマスケーキ。白いクリームで覆われた円形の中央には、可愛らしいサンタクロースの砂糖菓子がのっていた。ミルカ曰く、サンタ人形はお菓子の材料を買い出ししている最中に見かけてつい買ってしまったのだそうだ。 その傍らにはクッキーが山と盛られている。雪だるまやモミの木、トナカイなどの形に型抜きされたクッキーは見ているとなんとなく数ヶ月前のクリスマスへ遡ったような気分になってくるようだ。 ホットミルクの注がれたマグカップがミルカの前に置かれると、間もなく司書は同じマグカップを持って彼女の向かいへ戻ってきた。 ｢いただきます｣ ｢！ いただきます！｣ 湯木が早速ミルカ手製のクッキーを食べ始めるのを見て、ミルカも同様にクッキーに手を伸ばす。口に入れるとさっくりとした食感と共にほのかな甘さが広がり、今日のはとても良い出来だと分かって自然と笑みが零れてくる。 ｢ん。美味い。ミルカは菓子作り上手じゃの｣ ｢えへへ……ありがとうございます｣ そう話す間にも湯木が次々クッキーを口に運んでいく様を見て、ミルカも負けじとクッキーを頬張っていく。なるべく司書のペースに付いていこうと口を動かすが、ミルカが一枚分を飲み込む前に司書はもう次のクッキーを口に入れている。 (はっ……早いです……！) 追いつこうと口の中に残ったクッキーをホットミルクで流し込む。しかしそうする間にもクッキーの数はどんどん減っていく。何かしらの魔法でも使っているんじゃないかと疑ってしまうほどに早い司書の消費スピードにミルカは衝撃を覚えざるを得ない。 ｢噂には聞いていましたけど、生で見るとすごいですね……｣ ｢？｣ クッキーを頬張ったまま首を傾げる湯木を眺めるミルカは、ひとまず食べる早さで追いつくのは無理だと判断したらしく一旦クッキーを食べる手を止める。満腹になる前にケーキも食べておこうと、既に切り分けてもらっていたケーキの一般を自分の小皿に運んだ。 ｢あの、サンタクロース人形はわたしが貰ってもいいです？｣ ｢ん。もちろん｣ 確認をとってから、ケーキ中央のサンタクロース人形を自分の皿に移動させる。砂糖で作られた少し淡い色のサンタクロースは小さな二つの瞳でミルカを見上げていた。見ているとつい祖父の姿が重なってくるようで、ミルカの口元がほころぶ。 一人前のサンタクロースを目指すミルカにとって、サンタクロースの祖父は近しい存在であると共に、憧れの存在でもあった。世界中の子供達に夢を与えるサンタクロース。祖父が届けたプレゼントを、クリスマスの朝、大喜びで開ける子供達がいる。沢山の子供達を笑顔にできる。自分もそんな存在になりたいと思う。 祖父の後を継ぐと決め、両親と別れ祖父の家で暮らしだした当時、まったく不安がなかったわけではない。けれど、それでも、ミルカにとってはそれが夢だったのだ。だから絶対に、立派なサンタクロースになってみせる。 ｢ミルカ、どうかしたんか？｣ 突然かけられた声に、ミルカは驚いて顔を上げた。どうやら考え事をしていたのが、ぼうっとしているように見えてたらしい。首を傾げている湯木に対し、ミルカは動揺したまま少しボリュームの大きい声で返事をした。 ｢えっ、いえ！ なんでもないです！ ただちょっとだけ、おじいちゃんのことを思い出しちゃって｣ ｢ミルカのおじいちゃん……サンタクロースなんじゃったかの｣ いつの間にか湯木はケーキの半分を平らげ、盛ってあったクッキーの量も半分以下まで減らしていたようだ。なおも食べ続けている彼に内心感嘆しつつ、ミルカも目の前のケーキにフォークを刺し、一口大にして口に入れた。 ｢はい。わたし、覚醒前はおじいちゃんと二人で暮らしてたんですよ｣ ｢ほう。っちゅーことは、家事の手伝いもしてたんか？｣ ｢手伝い、というか……ほとんどわたしがやってたんです。おじいちゃん、普段はすごくいい加減で。部屋は散らかりっぱなしにしちゃうし、料理もすぐ焦がしちゃうし、物を何処にしまったかもすぐ忘れちゃうし……｣ 自分がいないと祖父の家はあっという間に物が散乱して、台所は毎日食べ物の焦げた匂いが充満してしまうんじゃないかと、あっさり想像ができる。サンタクロースとしての祖父は尊敬できるところが沢山あるというのに、普段の祖父の生活ぶりを思い出すとついつい不安が込みあげてきてしまう。 ｢おじいちゃん、一人きりで残してきてしまったんですよね……わたしがいなくてもちゃんと片付けも食事もできてるのか……心配です｣ ｢ミルカは優しいの。……ミルカのおじいちゃんも、ミルカの事を心配しとるんじゃろうの。ミルカが心配しとるんと同じように｣ ｢……そうですね。早く帰ってあげられるといいんですけど｣ 少し沈んだ様子で俯きつつ、ミルカはケーキをもう一口食べる。ケーキもとても美味しく出来ていた。祖父に作ってあげたとき、とても嬉しそうに食べてくれていたことをふと思い出し、帰ったらまた作ってあげたいと思う。できれば、祖父が沢山のお菓子に追われるクリスマスの時期以外に。 ｢まぁ、こればかりは焦っても仕方ないからのう。今できることをやるしかない、っちゅーやつじゃ｣ ｢今できること、ですか｣ ミルカは少し考える。今、できること。考え始めたが、すぐに、それは考えるまでもなかったことに気づく。何故なら、それは司書室を訪れたときに自分で言っていた事なのだから。 ｢ひとまずは、次のクリスマスの準備ですね！｣ 祖父の元に帰ったとき、前より一人前のサンタクロースに近づけているように。ミルカは気合を入れ直すように一度大きく頷くと、目の前のケーキにフォークを突き刺す。 ｢そういえば、壱番世界のサンタクロースのテストでは、五十メートル先の家へ走っていって煙突から中に入り、プレゼント置いて、子供達が用意したクッキーとミルクを完食し、行きと同じルート通ってスタート地点まで戻ってくるゆうんのを二分以内に達成せんといけんっちゅーのを聞いた事あるの｣ ｢壱番世界ではそんなテストがあるんです！？｣ 五十メートル、往復百メートル。煙突から入る為には家を梯子等で家を登らなくてはならない。帰りも煙突から出るとして、さらにクッキーとミルクも急いで食べきらないといけない、と一通り想像するだけで相当ハードなテスト内容だ。それも制限時間つき。 ｢……わたしも体力といぶくろをもっと鍛えた方がいいんでしょうか……｣ ｢……壱番世界の話じゃけ、無理はせんくてええと思うぞ｣ ＊ ＊ ＊ ｢湯木さん、今日はお付き合いいただいて本当にありがとうございました！｣ あっという間に空っぽになった食器類を一通り片付け終えると、ミルカは司書に向かって丁寧に頭を下げた。 ｢ん。こっちも美味いもん食えたけぇの、これくらいかまわん。ありがとう、ミルカ｣ ｢美味しいって言って貰えてよかったです。わたし、今日の湯木さんのすごい食べっぷりを目指してがんばりますね！｣ そして壱番世界のサンタクロースにも負けないサンタクロースに……！ と握り拳を作り、最後にまた丁寧にお辞儀をして司書室を後にしていくミルカの背に、無感情なはずの司書のやや心配そうな声がかかるのだった。 ｢……まぁ、体壊さん程度にの｣ 【完】
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