青い海を巨大客船のデッキから眺めて、モリヤ・カイは船が作り出す海水の白い軌跡へと視線を動かした。 やや強く感じる風に流されて、髪を掻き上げる。 仕事を辞めてから、各国の港に寄港する豪華客船の世界一周に付き合っていた。 10万トンほどの船で、中はかなり充実した施設が揃っている。 カジノもあれば、スケートリンクまである。 運動不足を補うべく、ジムもあるが、同じフロアの反対側にはカフェが備えられており、運動してまた食事するという、ある意味、食物連鎖と言うべきシステムが実現されていた。 乗船してから数日は、船内の散策に費やして、時間を潰すことができたが、世界一周の旅では、もうすこし自分らしい生活サイクルを求めた方が良さそうだった。 夕食時には、毎夜、船内各所でイベントが行われているから、毎日配達される船内新聞でチェックして、気になった物だけを見たりしている。 満たされた日々を送っているはずなのに、ふと何も考えずに景色を眺めているときには、何処かへ行かなければならない気がするのだ。 世界一周の旅をしようと決めたのは、この感情が常に心の片隅にあったからだ。 ――何処かに行かなければならない。 ――いったい何処へ向かおうというのだろう? 疑問がいつか解消されるかも知れないと。 各国の港に観光で降り立ち思うのは、何処に行っても見知ったような気持ちになることだった。 カイは、潮風を孕んではためくコートのポケットへ両手を突っ込んで大人しくさせる。 見知った記憶があるのなら、それが真実なのだろうと容易く受け入れられた。 自身が信じてやらなければ、どうするのだという気持ちと、自身に刻み込まれている記憶の正体を探すという行為に胸が躍っているのが分かった。 ならば、とことん付き合ってやろうと。 カイは瞳に輝きを宿して、笑みを口元に刻んだ。 ■ *** ■ いにしえの遺跡は、陽光をめいっぱい受けてそこにあった。 超古代文明の遺跡で、六世紀の物だという。 ガイドをつけることなく、現地で購入した観光ガイドブックだけでここまでやってきた。 繁栄したのは宗教都市としての面もあったからだろう。 信仰の力は純粋なものだが、聖地に住まう人はそれだけの為に暮らしている訳ではない。 聖地観光で集まる人々を相手に商いをし、生計を立てて自らの家を大きくする。 それは、住民だけではなく、聖殿を掌握する聖職者も同様。 聖職者が腐敗し、利権を追求するようになり、聖なる儀式も見世物のように頻繁に開催されることとなる。 ガイドブックには掲載されていない情報がカイの記憶にあった。 記載されているのはこの宗教都市が滅んだ理由が謎であること。 妙な懐かしさを覚える。 決して、忘れることのできない、何かがあったと。 実際に遺跡を見ていると、その時の記憶が自然と引き出されていく感覚に近いかも知れない。 太陽の位置変動によって、使用される祭壇は違うらしく、広大な広場の舞台の周囲を取り囲むようにして、大小様々なピラミッド型の祭壇がある。 ピラミッド型の頂上は平面で、祭壇が設けられ十字の基点となる場所にあり、儀式のたびに血が流されていた。 けれど、それは信者に見せる為の儀式で、本当の儀式は別の場所だったのを思い出す。 血を見るのが見世物だった時代だ。 多少の血では満足しなくなったからと、多くの血が流されてはいたが、本当は……。 太陽が一番高い位置にある時に使われる祭壇の地下。 そう、この場所だと、立ち入り禁止の札が掛かけられ、入口が紐で封鎖してあるのを、長い脚で跨いだのだった。 基本的な構造は全く同じであるというのに、迷い無くこの祭壇を選んだのは、呼ばれていると感じたから、というのが正直な感想だ。 外側の風化した石とは違う材質の石を滑らせるように動かすと、下方で機構が作動し、それまで壁面だった面がブロック一枚分引っ込むと、スライドして開いていく。 入口近くは真っ暗だったが、人が独り通れるくらいの通路を抜ければ、何処から光が差し込んできているのだろう、内部は光で満たされていた。 壁面には染料で描かれ、一面だけはこの都市が奉っていた神の御姿を写し取ったタペストリーが掛けられていたが、それらには余り興味を抱くことはない。 真っ先に足を向けたのは、中央にある祭壇の頂上。 ピラミッドの中には、地上と全く逆の位置にピラミッドがあり、祭壇は上下のピラミッドの中央に位置する場所にある。 取り込まれた陽光が、穢れから守るようにしているもの。 カイは祭壇の階段を上り、頂上へと辿り着く。 光満たされた場所に立ち、上空を見上げる。 降りてくるのは蒼い宝玉。 深い蒼が、光を受けて透けて見えるような。 落下速度から反逆する速度で、カイが触れるのを待って居るよう。 壊れ物を扱うように、カイは宝玉に触れた。 触れると同時に、宝玉はカイの身の内に取り込まれ、消える。 ぱん、と散る音が聞こえた気がした。 ――私は目覚めた。 どこからともなく、声が聞こえる。 出会い。 カイは、宝玉に宿るもう独りの自分に出会った。 自分は、ここに、心の奥底に居たのだ。 思い出したのは、時期がやってきたのだと、自然と理解していたからだろう。 自らの終わりと始まりを呉れるパウルを迎えに、この地にやってきた。 何処か見たことのある風景は、前世の自分達の記憶。 積み重ねられた記憶は、ずっと自分に寄り添って在った。 百度の輪廻を超えるまでは、出会い、わかり合うことは出来なかった。 ようやく。 ようやく出会えた自分という個を構成するマスターピースが揃ったのだと。 吐息のような溜息とともに、心の奥底に閉じ込められていた魂は、輪廻という檻から解き放たれ、カイはパウルと出会い、同一存在へと成った。 カイ=パウルとなって、姿も変容する。 色鮮やかな青髪に変わり、膝裏ほどの長さに伸びた。 解き放たれる百度巡ってきた前世の記憶が、色鮮やかに甦る。 からからと映画のフィルムのように回り出し、百の前世が甦り、カイ=パウルの記憶として収納されていく。 あるときは、錬金術師、ガンマン、発明家、パイロット。 また、あるときは、芸術家、音楽家、奇術師、教師、ホテルマン、書道家。 軍人、医師、歌手、政治家……。 様々な人生を送るが、最期は悲惨な結末ばかり。 そして、ひとつひとつの人生の願いも叶うことなく、命を途絶えさせていく。 カイとパウルが同一化し、カイ=パウルとなり、カイ=パウルの中のカイは、彼らの前世と同じように記憶も収納されて遠くなった。 別れではない。 出会い。 パウルがまずすることは、この場を消し去ること。 魔術はパウルの意志と共に解き放たれ、一瞬で室内は崩れ去り、壁面は砂となる。 残しておく気は無かった。 地下が砂化したことで、地上部分のピラミッドは蟻地獄に飲み込まれるようにして、崩壊を始めた。 砂煙と轟音が視界と聴覚を奪う。 魔術に守られているとはいえ、危険であるのには変わらない。 早く、外へと転移しようとしたその時。 全ての音が消えた。 ■ *** ■ 消えたと思ったが、そうではなく、消えたのはカイ=パウル自身。 これまで、巡ったことのない場所。 空気感が違う。 空の雲やその奥に広がる星の位置も。 何物かの介入――。 「ははっ……! あーはっはっは!」 笑うしかない。 ここは、未知の世界。 異世界だ。 百の記憶が、そう言っている。 犯した罪を償う輪廻を経ても、許されないというのか。 ――神よ! 神は私を許すつもりなど、到底思ってもいなかったのだ。 私は、腹立たしくも神を信じていたのだ。 百の輪廻を経れば解放されると、そう言われていたから。 神は、そんな優しくはない。 神は、残酷だ。 そう、残酷なのだ。 百の輪廻を耐え、カイ=パウルとして存在することさえも、神は許すつもりなどなかったのだ。 なんという、傲慢で狭量な神だろう。 そして、信じていた自分も呆れるしかない。 「消え尽きなかった時の運命まで、用意しておいたなんてねぇ!」 呆れながら、笑い続け、神との決別をする。 これまでだ。 神と関わるのは。 もう、私は自由だ。 本当の自由を手に入れて、この生を生きよう。 それが、百の記憶を積み重ねて成った自身への報酬。 罪は罪。 解放されたなら、巻き込まれて楽しみも無く散った自分自身に、自分達の世界の神が居ない異世界で、新しい世界を見せてやりたい。 ■ *** ■ 「これは結い上げた方がいいかなぁ」 艶やかな髪の一房をカイ=パウルは持ち上げて、小さな溜息をついた。 ポケットに突っ込むも結べそうな物はない。 手首を飾っている革紐のブレスレットを外して、それを結い紐代わりにして、ポニーテールにした。 今はひとまずこのままでいい。 新しい世界。 胸躍るとは、こういうことをいうのだ。 ■ *** ■ 0世界の一角。 0世界独特の空や、行き交う人々の多様性に興味を惹かれながら、日常を満喫している。 青髪をで大雑把に結んでいたときとは違い、今は緑の組紐で結び、柊の髪飾りと銀鎖にいくつかのトルコ石が彩りを与えている。 茶の瞳には深い知性を感じさせる光を秘め、口元は柔らかな笑みを刻んでいる。 深緑のロングコートの内側には、黒革のガンベルトが覗く。 此方に来て、手に入れた銀の銃が二丁収まっている。 壱番世界は自身の出身世界を思い出させる類似点が多く、心が重くなるときがあるが、この世界だけではなく、異世界が数多くあることを知った。 元の世界に拘ることはないのだ。 帰りたいか? と問われれば、まだ答えを出す時期ではないだろう。 自分がこの世界で何処まで出来るのか、神に成れるのか。 ――計るにはちょうど良い。 自身の実力を。 この世界の掌で踊ってやろう。
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