青い海面に反射する光にわずかに目を細める。 空は真っ青で今日は晴れのようだ。 海はなれない者にとっては、未知の場所とそう変わらない。 突然海が荒れるのもよくあることだ。 ここ、ブルーインブルーに降り立ったのは、ロストナンバーの保護依頼を受けたからだ。 人や動物、幻獣と呼ばれるものではなく、めずらしい自動人形の少女が対象だという。 シュマイト・ハーケズヤとサシャ・エルガシャの2人は、互いが初めての遭遇であったから、話し方も丁寧な言葉遣いで、打ち解けるまでにはもう少しの時間が必要なようだった。 調査は始まったばかり、時間はいくらでもある。 肩まである琥珀色の髪、理知的に見せる藍色の瞳は、やや幼めに見える外見を年相応に見せている。 白のドレスシャツとタイ、藤色のウェストコートにテイルコート、白のズボン。靴は全体を引き締める黒。同色のつば広の帽子が、凛とした印象とともに、華やかさを添えている。 「綺麗な海に活気のある市場!」 サシャは、ロストレイルから、海に面した港、市場へと段々と人の多い場所にやってきて、第一声がそれだった。 青い世界にサシャの健康的な褐色の肌はよくあっている。 肩までで切りそろえたさらりとした金髪に、白いレースのヘッドドレス、ホワイトプリムと黒色に近い濃紺のエプロンドレスは、大多数が想像する正統派のメイド衣装だ。 彼女の第一印象はと聞かれたら、きっときらきらと輝くアーモンド形の瞳と答えるだろう。 整った容姿は美人である分類にはいるのだろうが、活発さが全面に出ているので、可愛いとまず印象を与える。 シュマイトと並んで歩く姿は、男装のお嬢様に付き従うメイドといった風情だ。 2人の身長差もあるのかもしれない。 「整理しよう。キミが、自動人形の少女が匿われている屋敷に派遣メイドとして潜入後、頃合いを見計らってわたしを招き入れる」 「おまかせ下さい、シュマイト様」 来る途中から、静かというよりも、目に入るものすべてに反応して、シュマイトはずいぶんと賑やかな娘さんだなと思っていたから、若干、潜入調査は大丈夫だろうかという不安がよぎった。 (「年齢的にもわたしよりも年下だと思うのだが……」) 知らない人間ばかりがいるなかで緊張もするだろう。 目立った振る舞いで注目を集めてしまわないだろうか、などといらぬ心配をしてしまう。 「危険なことはないだろうが、わたしが合流するまでは十分に注意をしてほしい」 「屋敷のご主人様は穏和な方だそうですから、大丈夫だと思いますが、注意します」 屋敷をとりまとめる人物が派遣希望を出していたところ、タイミング良くサシャが見つかって、紹介状を手にして行くという設定だ。 紹介状自体は本物であるから、心配はいらない。 屋敷に続く白い石畳で立ち止まり、シュマイトはサシャを見送る。 「気をつけて」 「はい。行って参ります」 サシャが笑顔を浮かべ、背を向けた。 ■+■+■ 無事に屋敷を統括する執事長に面通りを行い、役割を分担するメイド達とも紹介を終え、サシャは屋敷の内部を把握すべく、同僚となったメイドのルシアに案内を受けていた。 「階下は主にわたしたちの活動エリアね。住み込みの部屋や一階はサロンや遊戯室、図書室とロングギャラリーに、食堂と大食堂、それにあわせた厨房が2つね。旦那様は普段は食堂を使われるの。2階は旦那様のプライベートエリア。寝室や書斎、趣味のお部屋が数室となっているわ。趣味のお部屋は旦那様から掃除が必要になるまでしなくても良いと言われているから、基本的には入室禁止。3階、4階はゲストルームになっているわ」 「はい」 「何か分からないことがあれば、気軽に聞いてちょうだいね」 「ありがとうございます。ワタシ、はやく慣れるようがんばります」 サシャがルシアに明るい笑顔を浮かべる。 つられてルシアも笑みを浮かべた。 変に気取ったところのないサシャは、この屋敷内で働く仲間として合格したらしかった。 「じゃ、これで終わっていいかしら。済ませておきたい用事があるの」 「はい、大丈夫です」 それじゃぁね、と落ち着いた足取りで仕事に戻っていく。 訪れたときに明るかった空も茜色へと変化させて来ている。 キャンドルに火を灯す頃合いだ。今から掛かれば、陽が落ちたころに全部灯せるだろう。 大きな屋敷は、日常の生活を維持するだけでも人手がかかる。 そのための使用人なのだが、屋敷の大きさに比べて、この屋敷は人員が少ない方だ。 倹約家という訳ではなく、来客も殆どないため、必要人数だけで良いということらしい。 建前上はそうなっているが、使用人の数を減らしたのは、上客だけを招待して行うオークションで何かを手に入れてきてからだという。 手に入れたものは、どういった物なのか知っているのは、旦那様だけ。 (「怪しいところは、旦那様の趣味のお部屋かなぁ~?」) ルシアから聞いた旦那様のプライベートエリアにある、趣味の部屋のどれかが候補としてあがってくる。 ゲストルームのある階は、使用する予定がなくとも、部屋担当のメイド達が毎日出入りする。 (「シュマイト様には、一日の業務が終わってからワタシの部屋に潜んで貰うのがいいかな」) 「ガネーシャ? 寝ていたんだねぇ。ごめんね。お遣い頼まれてくれるかなぁ」 サシャは、一度あてがわれた個室へと戻ると、ポンポコフォームのガネーシャにシュマイトへお遣いを頼む。 昼寝から目覚めたばかりで眠そうにしていたが、仕事は引き受けてくれるらしい。 小さなポシェットに手紙を入れると、ガネーシャの身体に斜めがけした。 ご褒美にビスケットを一枚入れる。 「これは、シュマイト様に届けてから食べるのよ?」 分かった? と確認するように話しかける。 セクタンは飲食は必要としないが、ポンポコフォームの時は主であるサシャの物を隠し持っているので、今回はそれがビスケットだった。 きっと持っている物がほしい物なのだろうと解釈した。 こくりと頷くガネーシャに安心すると、使用人の目につかないように、半地下の裏口から解き放ったのだった。 ■+■+■ 夜になって、サシャが裏口からシュマイトを伴い、私室へと案内する。 会話は私室についてからにしようということで、沈黙したまま、手振りだけで進んでいく。 サシャの私室に入室すると、緊張から解放されて、ほっと息をつく。 「ここはキミだけか」 「ご主人様は寛大な方のようで、使用人に個室を与えて下っているそうで~」 「それは優しい主人だな」 たいていは、複数人で一つの部屋を共有するというのが多く、役職を貰ったり、屋敷内でステップアップしてキャリアを身につければ、個室を与えられるというのが、一般的だ。 「お茶を淹れますね~」 サシャは、アンティークな白磁のティーポットで紅茶を淹れる。 同じくデザインを合わせたティーカップに馨しい香りが広がった。 「ありがとう」 シュマイトは礼を口にし、唇をカップの縁につけた。 部屋の隅にあるベッドの上でガネーシャがおなかを見せて寝息を立てている。 「居所は掴めたかね?」 「特定、というほどの確証はまだないのですが、怪しい場所はいくつかありましたねぇ」 「それは?」 「旦那様の趣味のお部屋なのです。使用人にも掃除が必要になるまで、出入りさせて貰えないそうです。掃除する人も決まって居るみたいで、きっとワタシには掃除当番は回ってはこないと思うのです」 「そうか」 「どうしましょう~?」 「屋敷の主が出かけていくのを見かけたが、今日は帰宅予定になっているのだろうか?」 「夜会でのお帰りは、朝方になると聞いているのです」 屋敷の主が着飾って出かけた姿を夕刻、シュマイトは見かけていた。 探索するのなら、今をおいてないだろう。 そう考えているのが分かったのだろう、サシャは紙にメモしておいた屋敷の見取り図を、取り出した。 「これなら、主が居ないのだから、進入するのはそれほど難しくない筈だ。今から取りかかろう」 「じゃぁ、人が居るか確認しますねぇ」 そっと扉を開き、左右を見渡す。 「誰も居ないのです~」 サシャの声が自然と小声になる。 「では、行こうか」 答えるシュマイトの声も同様に小さくなる。 足音をなるべく立てないように、使用人のいるエリアから、主人のプライベートエリアへと向かう。 今晩は、主が出かけている為に、屋敷内には殆ど姿がない。 来客に対応する使用人の控え室位にしか人の気配はなかった。 使用人の大半は、私室にいるのだろう。 何事もなくプライベートエリアに到着すると、いくつか並んだ扉を見やる。 「やはり、趣味のお部屋が怪しいですねぇ~」 サシャが、奥にある扉を指で示す。 「鍵が掛かっているな」 「鍵はご主人様しか持っていないのです」 「わたしが解除しよう。万が一誰が来るか分からない。サシャ、キミは周りに注意を払ってくれ」 割と複雑な構造の鍵が掛かっているのを見て取り、シュマイトが小さな道具を取り出す。 解除するのは、難しくないが、ある程度の集中力は必要になる。 余計な心配はない方が良い。 機械構造に関するものは、シュマイトの得意とする分野だ。 カチリとかすかに音がなる。 「問題なく開いたようだ」 扉の持ち手に手をかけ、静かに開いた。 先にあったのは、短い廊下。 右側には本棚が天井まで埋めてあり、隙間無く本で埋まっている。 奥にあるのは、再び扉。 用心深い性質なのだろう。 大切な物は奥にしまって誰にも見せないタイプなのかもしれない。 扉の持ち手に手を掛ける前に、シュマイトは手を離す。 「ここではないようだ」 「でも……」 「間違ってはいない。ただ、この扉の奥ではなく、此方の方のようだ」 本棚の中にある妙に揃っている本数冊が連なっている部分を押し込む。 なめらかに本棚の半分が奥へと引っ込み、もう半分の本棚の後ろへと収まった。 現れたのは、淡い緑色の扉。 扉には、蔦が彫り込まれ、彩色されている。 「ここだ」 「鍵は掛かっていますかぁ」 「閉じ込められたときの場合に備えて、流石についてはいないようだ」 「誰……?」 扉の向こうから聞こえたのは、怯えを含んだ声。 「わたしたちは、キミに危害を加えたりする者ではない。安心してくれたまえ」 扉を開いて現れたのは、水槽にたゆたう優雅な少女。 足の部分は尾ひれがついており、人魚と言われる姿をしていた。 「貴方たちは誰……?」 シュマイトとサシャは、依頼を受けて保護しに来た事を話す。 「開いている……!?」 現れたのは、夜会に出かけているはずの主人。 「ご主人様……!」 「アレン……!」 サシャと少女の声が重なった。 「どういうことだね」 不振さを露わにした声音に、少女に話した様に主人にも話をした。 「そうか、てっきり私は、ユリアが機械海魔として追われているのが見つかったのかと……」 ひとまず安心した主人だったが、問題はまだ解決はしていない。 「私はここに居たいのです」 ユリアは、すがりつくような眼差しを主人であるアレンに向ける。 「私もユリアと共にありたいと思っている」 「アレンは、私に名前くれました。そして、見世物にすることもありませんでした」 「それは、ユリアを傷つけたくなかったのと、彼女を誰にも見せたくなかったからだ。彼女の嫌がることはしない。だから、ここは引き取ってくれないだろうか」 「それでは、依頼を完遂できない」 冷静さを失わないシュマイトに、それまで話を聞き、黙っていたサシャが、シュマイトの前に立った。 「ご主人様とユリア様の間には離れがたい思いが芽生えているのですねぇ。シュマイト様、引き離すのはおかわいそうですわ~」 ふんわりとした口調ながら、サシャの言葉はシュマイトと反対の立場だ。 同じ依頼を受けてやってきた2人ながら、対立するのは悲しいものだと思いつつ、あくまで依頼を優先するシュマイトと、アレンとユリアの意志を優先しようとするサシャの間で話し合いを試みるが、その内容は互いが引かない限り膠着状態のままで、ただ時間が過ぎていくだけだった。 ユリアの耳が何か拾ったのが、怯えを露わにし、危険を訴える。 「誰か来る……!」 使用人の足音などもユリアは把握していたから、この様子では、招かざる客である可能性が高い。 「誰かにつけられていたか」 アレンもしくは、自分達の行動を見張られていた可能性は捨てきれない。 ユリアを守るために、まずはこの部屋から出て、アレンにも中に居て貰った方がいいだろう。 「サシャ、行くぞ」 「はい、シュマイト様」 自然となを呼ばれたのに、サシャは嬉しく思いながら、2人を守るべく、奮い立たせる。 シュマイトは、レトロな装飾の施された拳銃ラス11号型を、サシャはサーベルを取り出し、襲撃者を出迎えた。 やってきたのは、3人。 闇色を纏った男達は、待ち構えていた、シュマイトの魔法の銃弾2発と、サシャの一閃で仕留められ、すぐに片がついたのだった。 サシャは取り出した荒紐で結ぶと、襲撃者を縛っていく。 「もう、大丈夫だ」 シュマイトが、隠し部屋にいる2人に安心させる。 「ありがとうございます」 「これで、またアレンと一緒にいられる……」 その姿を見て、シュマイトは思い直す。 (「お互いにとって、大切な人なのだな」) 「ユリア、キミはここに留まっていたいということでいいのだな?」 シュマイトは判断をするべく、ユリアに意志を確認する。 「はい。私はアレンと共にありたい」 「私もだ」 2人の堅い絆と互いに思い合う心を感じて、シュマイトは小さくため息をつくと、サシャの方を振り返り、視線を合わせる。 「サシャ、キミの意見に同意しよう」 「では、お邪魔なワタシたちは、帰りましょう~」 「そうだな」 「ご主人様、短い間でしたが、お世話になりました」 サシャは、頭を下げた。 「仲睦まじくあるように祈っている」 「お幸せになのです~」 縛った者達は、執事長に任せることにして、2人は帰途についたのだった。 ■+■+■ 帰りのロストレイルの車中。 サシャの淹れた紅茶をお供に、2人は向かい合い、遠くなっていく地上を見送る。 「わたしは、キミについて誤解をしていたようだ」 同行者であるサシャが、ただ明るいだけの少女ではなく、人の心を重んじ、守るために剣を取って戦える心の強さを持っていることに気づいたこと。 思っていたことをシュマイトが伝えると、サシャは嬉しそうに笑顔を浮かべた。 「シュマイト様……じゃなくてシュマイトちゃん、って呼んでいいかな?」 敬語で話していたのを友人に対する口調へと変える。 サシャは、男装で凛々しい印象だったシュマイトにも普通の女の子の面もあったのだと思うと嬉しかった。 シュマイトは手を差し出し、握手を求める。 「ちゃん付けで呼ばれるなど初めてだから、照れてしまうが、うれしいよ」 「これからもよろしく、シュマイトちゃん」 差し出された手を握り返す。 (「きっと、ワタシたちは仲良くなれる」) そんな予感はすぐに実現することになる。 親友と呼べる存在になって。
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