美しく整えられた和式庭園から鹿威しの音が響く。 一枚の風景画のようで、居心地のよい庭というのは、こういうものなのだろうと考えて、一時の思考の散歩から帰って来ると、向かい合う人物へと視線を向けた。 「引き受けてくれるだろうか」 「お引き受けしましょう」 設楽一意は、普段使いの言葉使いではなく、営業用の言葉使いで返す。 依頼人の八重垣氏は、落ち着いた佇まいで、依頼をするに至った経緯を説明する。 八重垣氏の娘である八重垣真姫が遭遇している数々の出来事を。 最近になって娘が外出する時を待ち構えて接触を図ろうとするものや、高等学校へと通って居るときには、学校への不法侵入、下校途中には幾度か誘拐も起こった。 高等学校は今年卒業したため、登下校時の不安はなくなったのだが、この一連の出来事ですっかり進学を諦め、屋敷に引きこもってしまった。 必要なとき以外、外へと出かけなくなったのだ。 八重垣氏としては、娘が自分が屋敷に引きこもることで、周りに被害が及ばないように行動範囲を狭めているように思えたのだ。 屋敷には、警備システムや運転手、家政婦が常駐しているが、警護担当はそれほど数は配置していない。 人員を増員すれば、ぎすぎすした雰囲気になりがちであるし、それでは唯一の安息の場所であるこの屋敷も娘にとっては落ち着けない場所となってしまう。 そう考えた八重垣氏は、1人でこなせる人物を求めた。 八重垣氏の娘は、普通の娘とは少し違う。 神の子と呼ばれるようになった八重垣氏の娘である真姫を警護とそれらに付随する情報攪乱をするのが一意の役目だ。 真姫が小さなころから不可思議な力を持っていることは八重垣氏も把握してはいたが、その力を神聖視するものが現れ始めたことから、このままでは真姫に危険が及ぶのではないかと懸念して、最少人数で真姫を警護できるものを探したら一意が引っかかってきたらしかった。 第1の条件は真姫が側につくのを許容出来る人物であること。 八重垣氏に促され、となりに座る真姫が真っ直ぐに一意を見つめてきた。 綺麗に梳られた黒髪は真っ直ぐで腰の辺りまであるようだ。 幾らかは結い上げていて、天鵞絨のリボンがシックな印象を与えている。 瞳の色はやや青みがかった黒瞳で、縁取るまつげは長く影を作っていた。 ほっそりとした身体を包むのは、新緑の色のワンピース。 手にはやや不似合いな黒の数珠。普段から身につけている物なのだろうか。 色白でか細い手首にある数珠は一意の目を惹いた。 誰かから贈られた護り数珠なのだろうと見当をつけ、まずは安心させるべく、一意は口を開いた。 「設楽一意です。よろしくお願いします。何か分からないことがあれば、気軽に聞いてください」 「真姫です。これから宜しくお願いいたします」 2人は自己紹介をして、あとは任せたと八重垣氏が席を立った。 幾ばくかの沈黙が続いて、一意は気になっていたことを口にする。 「その黒い数珠は誰かから貰ったものですか」 「ええ。祖母がお守り代わりにと下さったの。黒瑪瑙には、魔除けの効果があるそうで」 最近の災難を思ってのことらしい。 「日光浴をさせると浄化されて本来の効能を発揮できるので、一週間に一度くらいさせるといいですよ」 「そうなのですか。試してみますね。あ、……私の使っている棟を案内しますね」 この応対された和室は本棟で、真姫たち親族は基本的に本棟を取り囲む形であるらしい。 「お願いします」 真姫は、一意の方を見て微笑む。 「丁寧な言葉遣いは普段はなさらないのでしょう? 私と設楽さんの間では普段の言葉使いで構いません」 「似合って無かったか」 一意は普段使いの言葉に戻し、苦笑する。 「いえ、不自然なところはありませんでした。ただ、なんだか窮屈そうだったので」 「そうか」 「見た目ではなく、なんと言っていいのか、感じたのです」 人の本質が見えるのだろう。 呪術にはそういった類のものはあるが、真姫は何もなくとも捉えられるのだろう。 一意は、ふと真姫を見た。 「もしかして、ずっとか?」 「それは……流石に。外に出かけるときは、壁を作るようにイメージして遮断しています。そうすると、声が遠くなります」 「中では必要がないということか」 「はい。遮断し続けるのは気疲れとでも言うのでしょうか、次の日に起きるのがつらいので」 「色々教えなければならないことが多そうだな。まぁ、あんたの父親もそういうのを期待して俺にしたんだろうさ」 「よろしくお願いします。設楽さん」 「堅苦しいな。一意でいい。俺もあんたのことを真姫って呼ぶ。もちろん、2人の間だけな」 緩い黒髪を指で後ろへとやり、一意は少し照れた表情を浮かべる。 耳に並ぶピアスがきらりと光る。 「そうですね。これから一緒に過ごすのですから。一意……さん。呼び捨てにするのはもう少し掛かりそうです」 「呼び捨ては慣れてないか。まぁ、どっちでも構わないぜ」 真姫の住まう棟の一室に一意の部屋が設けられ、そこで一度別れたのだった。 ■+++■ 一意が持参したトランクケースをあけ、机に広げる。 式神を喚びだす。 現れたのは真っ白な白犬で額にあたる部分には赤字で描かれた札が貼られている。 もう一体喚びだしたのは、うさぎの式神。同じように額に札が貼られ、指示があるまでおとなしく待つ。 ベッドの縁に腰を下ろし、八重垣氏から事前に渡された書類にもう一度目を通す。 真姫の現状を把握する。 やることは多そうだが、やりがいはあるだろう。 いつもは、呪殺や後ろ暗いことも躊躇いなく手を下すことができたが、そのことを真姫の前で口にしようとは思えなかった。 「真姫を守れ、何かあれば、こいつに連絡しろ」 白うさぎと白犬はこくりと頷いた。 それからは一番問題に目を落とした。 真姫が誘拐されたとき、連れて行かれたのは真姫を神の子としてあがめる信者の本拠地。 小さい頃から目をつけられ、成長するとともに、信者の数も増えていった。 そして、高校卒業後進学しないとわかると、これまで以上に外へと出てくる機会が減ると危惧した信者たちが、卒業式のあと友人と卒業式パーティの会場へと車を回して乗った車が信者も達が手を回したもので、真姫は誘拐されたのだ。 友人達は真姫を本拠地に到着する前に別の車に乗せられて帰された。 真姫はそれから3日、不本意ながら留まることになり、救出されるまで居心地の悪い気分を味わい続けた。 事件として表沙汰にはならなかったが、いまだに信者達は諦めては居ないらしい。 「特別な力というのは、本人が望んでいなければ、厄災でしかないのにな」 溜め息をつき、一意は書類をベッドの上に手放し、自身も横になった。 ぱさりと音を鳴らして、静かになる。 一意は、彼女に対してどう思っているのだろうと、自らの名で呼んでくれといった自分の気持ちに問いかけた。 ■+++■ 結果として、俺は彼女に惹かれた。 幸いにして、彼女も俺を想ってくれ、いわゆる両想いになっていた。 互いに好意を抱くのにそれほど時間は掛からなかったと想う。 いつの間にか、という言葉がしっくりとくる。 神の子という彼女の力を抜きにして、彼女という存在が愛おしい。 彼女の空気は清らかでいて柔らかい。 彼女の纏う空気に自然になじむ自分。 時間が経つにつれて、彼女を取り巻く人々についての情報も集まる。 ひとつでも彼女の害になるようなものを排除するために。 剣呑な相手には、仕掛けて簡単にはいかないと力の差を見せつけもした。 真姫は何も言わなかったが、きっと分かっていただろう。 目をこらして警戒していても、彼女を利用しようとするもの達は多く、それだけに警護の期間は長くなる。 崇拝するものがいれば、逆にその神聖性を利用して、使い捨ての道具としようと考えるものも現れる。 扱うものによっては、闇にも光にも傾く力。 外に出るのは、やはり怖いのか、自ら出かけようとはしなかったが、一意が誘えば出かけるようになっていた。 他人には、警戒してとがっていた雰囲気も彼女の前では丸くなる気がした。 一意は真姫に対して、想いを口にはしないが、真姫には人の本質がわかるのだから、飾る必要はない。 「庭園の木々の剪定か」 「ええ、定期的に整える必要がありますから」 あの絵画のような景色は、こまめな手入れによって成り立っているらしい。 庭にある東屋で真姫と一意はお茶を楽しんでいた。 ぱちんぱちんと剪定鋏を扱う音が響く。 庭師の数は庭が大きく剪定を必要とするものも多いぶん、屋敷に入っている人数も多い。 だが、庭師仕事をし始めて間もない間は、切り落とした枝の片付けや箒で掃くのが仕事だ。 そういった弟子にあたるもの達の数が多いと考え始めた時、此方へとやって来た。 手の動作で、仕掛けて来たのだと分かった。 「ここにいろ、真姫。連絡できれば、屋敷内の誰かを呼ぶんだ」 東屋の中に真姫と式神を残す。 真姫の周囲にはうさぎの式神が群れるようにいる。 「無事で」 その内の1体を胸元で抱きかかえ、駆けだした一意の背を見送った。 ■+++■ 呪術に関して、一意のことを調べて居たのだろう。 此方が調べるのと同じように、同じ分野に身を置くものに。 真姫が受ける筈だった呪いを引き受けることで、彼女を守る。 「させるかよ……!」 真姫の周りにいるうさぎの式神がその度に一体ずつ姿を消していく。 消えたあとは、呪いの力を抱いたまま、一意の元へと還る。 相手の術者はかなり念入りに用意していたらしい。 引き受ける間も対処しようと身体を動かすか、思うように動かない。 呪いのせいかとすぐに思い当たるも、まずは眼前の敵をどうにかしなければ、一意は後方にいる真姫の元へと到達してしまう。 ぎりぎりまで頑張れると考え、やはり真姫のことが好きなのだとしみじみと思った。 一意が、太刀を携えた式神を喚び、同時に攻撃を仕掛けさせると、襲撃者の手が止まる。 複数で同一の呪術を扱うことで、力を増幅させていたのだ。 思っていたよりもやっかいなものに身体を蝕まれたものだと、芝生の上に倒れた。 東屋では、うさぎの式神達が、役割を終えて羽が散るように白く淡い光を放って消えていく。 その中から真姫が飛び出してきた。 真姫の姿を捉えて、一意は言葉を口にしようとするが動かない。 自分が一大事だというのに、のんきにも安全を確認するまで出てきてはいけないと思う。 「一意……!」 ふわりとスカートを膨らませて、一意の元に座り込む。 黒髪が乱れて、涙が頬を伝っていた。 「助けます、あなたを」 祖母より贈られた黒瑪瑙の数珠を一意の左手首にはめる。 すこしでも守ってほしくて。 真姫は眼差しに決意を滲ませて、神の子と崇められる力を解き放つ。 愛おしいその人に。 「私は救いたい。一意を」 自らの身に宿る力が、真姫の意に従い発現した。 ■+++■ カフェの一角で、一意は珈琲を口にする。 あのとき真姫は儀式を行い、一意の身体から呪いの力を追い出そうとした。 だが神の祝福は、呪いの深度が深く、完全にはいかなかった。 覚醒して分かったことだったが、一意は受け入れた。 残ったのは、右腕の祝福の印と、やや不自由になった左半身。 ぎこちなく左手を動かせば手首にあるのは、彼女がお守りにとはめてくれた黒瑪瑙の数珠。 儀式を終えて、意識を失う前に口にした言葉。 本能的にここにはたぶん居られないと悟って、彼女が縛られないように伝えたつもりだった。 真姫は涙を流して、何か言っていたと思う。 不思議とその声は聞こえず、目が覚めたときには知らない世界にいた。 今でも思い出し、思うのだ。 「伝わったよな……?」 空を見上げ、一意はぽつりとつぶやいたのだった。
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