ルンの住まう世界はサバンナが何処までも遠く広がっていた。 雲の少ない青い空。 ライオンの鬣のような髪は風に遊ばれているのも構わずに狙う獲物の動きを追う。 乾いた風が草の葉をさわさわと揺らす。 角持つ動物が群れで移動する。 世界の一部であると実感する瞬間。 空から大地へと視線を動かして、草を食み始めた獲物に定める。 狩猟民族であるルンたちは、定住地を持たない。 獲物を追い、仕留め、生活の糧とする。 周囲への警戒をゆるめ、食べることに集中し始めた獲物。 静かに息を整えた。 良くしなる木と牙を組み合わせた大弓は、引き絞った弦から一撃必殺の一矢を喰らわせる。 獲物は出来るだけ一撃で仕留める。 毛皮に傷を作らない為だ。 獲物の部位に余計な所はない。 仕留めたからには全て消費する。 獲物の大小や毛皮や牙は部族内で物々交換をし、生活を成り立たせていた。 食糧に関しては、飢える者がいないように平等に分配する。 獲物を捕ってきた者や制作者に優先権などはあるが、基本的に同じように分け合うというのが昔からの習わしだった。 分け前に関して不服を口にする者がいないのは、部族を一つの大きな家族として認識しているからだろう。 集落へと帰ってきたルンは、調理場へと運び込む。 獲物の大きさに子どもたちが集まってくきた。 部族の皆で生き抜くために必要な方法。 時折、他の部族がやって来たときなどは、自分達が手に入れる機会のない品ち交換する。 部族の移動を決定するのは、長老。 王は居ないが、部族に指針を与える者はいる。 卓越した特技を持つ者が、長老となるのだ。 今の長老が長老となってから、子どもが生まれて大人と認められる程の若者が育っている。 高齢と言われる年齢に入っていた。 寿命を終える者の多くは、30歳前後。 陽に焼けた肌には深い皺が刻まれており、次代の長老を選定する時期が来ているのだと、部族の皆は感じていた。 それから、数日後。 時期長老を選定する時が来たと、皆に宣言し、長老の試練に挑む者の名を呼ぶ。 自薦や他薦ではなく、部族を把握している長老の目で選出される。 選ばれるのは必ず複数。 今回はルンと同年代の男性で、よく知る人物だ。 円のように取り囲んでいた中、空白となった中央に歩み出る。 ルンが選ばれた理由は、獲物が来るまでじっと耐えて待つ辛抱強さと、水の匂いをかぎ分ける能力が高かったからだ。 彼は、遠くまで見通せる良い眼と、大きな獲物を仕留める強さを持っていた。 彼の方をみやり、同じように視線を合わせてきた彼に頷いてみせた。 共に長の試練に打ち勝てるように互いの成功を祈って。 定住はしないとはいえ、起点となる場所はある。 それが、長の試練に使われる洞窟だ。 不思議と洞窟の周囲に生い茂る木々は草食動物に食べられることなく、青々としてあった。 洞窟も同様で、この中を巣にする動物もいない。 動物たちを寄せ付けない何かがあるのだろう。 洞窟内部に関しては口外を禁じられているので、どのようなものなのかは、試練に挑んだものしか知らないのだ。 石は沈んだ色ではなく、どこか艶やかな色を持っている。 手には何も持っていない。 松明はルンには必要のないものだ。 夜目が利くルンは、咄嗟に行動が出来るように、洞窟中を見通す。 洞窟にはつきものののコウモリもいない。 静かな世界が広がっているだけだ。 ルン自身の歩を進める微かな音しか聞こえない。 そんな道程がどれくらい続いただろうか。 洞窟の道は途中で途切れ、光が満ちる空間が現れた。 空が見え、円形に近い空間の中央には、銀の煌めきを閉じ込めた傷一つ無い透き通る石が鎮座していた。 神の石、だと分かった。 紡錘型の神の石は、地面に突き立っている。 差し込む光を受けて、透明な輝きを放ち、吸い込まれそうな気持ちにさせる。 試練はここから入口に戻る事が出来るかどうかだ。 何事もなく神の石までやってくる事は出来るが、試練に失敗すると入口以外の所に現れるのだという。 だから試練の最中は洞窟の入口を何人かの部族の者が見守っている。 後は戻るだけだと、ひとつ息をつくと、もう一度神の石を見上げた。 その時、地面が波打った。 波に立つ事が出来ないように、ルンも揺れる地面に立っていられるはずもなく、自身を支える為に、神の石に掌を触れさせた。 だが、揺れているのは神の石も同様で、触れたことでバランスを崩したのか、ルンの方へと倒れかかってきた。 ルンは、触れてはいけないものに触れてしまったからだと神の石が罰を下したのだと思った。 獲物を背負う力のあるルンでも、巨大な石を支える事などは出来るはずもなく、神の石はルンを容易く押しつぶした。 押しつぶし、骨の砕ける音と共に、ルンは意識を失った。 試練の洞窟でルンは死んだと思った。 だが、ルンが居たのはルンの住まう世界とは違う場所だった。 生きて変わらず在るということは、ここは神の国なのだと思った。 死んでから行く事の出来る国。 驚きと部族の者達に会えない悲しみがルンの心を満たしたが、どこに居てもルンの生活は変わらない。 「お金、ない……ごはん、買えない。図書館、行く」 ルンは、ターミナルの近くにある樹海で生活していた。 水の流れる路もあり、生活はしやすい。 故郷に近い環境。 樹上に簡素な家を作った。 雨風をしのげ、ルンひとりが生活できる程の小さな空間。 木には果物が実っているが、喉を癒す程度。 空腹を満たすには全然足りなかった。 元々が肉食のルンだ。 果物だけで腹が満たされるはずもなく、空腹を訴える音に負けてターミナルにやって来た。 ターミナルで物を買うにはナレッジキューブが必要だ。 ルンの居た世界は、物々交換で成り立っていた世界。 貨幣経済自体、ルンには分からない事が多かった。 必要な物と交換するために必要なものがナレッジキューブで、ナレッジキューブを得るには、ルンが獲物を捕らえていたのと同じように、依頼というものを請けなくてはならないということ。 「神の国、難しい。仕方ない」 ルンは力なく頸を左右にふり、力のない足取りで歩き始めた。 分からないことがあれば、図書館に行けばいいと言われて以降、ルンは分からないことがあると図書館へと足を運ぶ。 そこには依頼も張り出されて居たから。 だが、ルンには文字は読めない。 元居た世界には文字という物自体が無かった。 絵を石に描くのも特別な時だけだった。 ちょうと通りが勝った司書をルンは呼び止める。 「依頼、読んで欲しい」 司書は頷き、ひとつひとつ説明をしてくれた。 「今ある依頼、1人のもの。陰陽街・暴霊退治。ヴォロス・竜刻探し、モフトピア・お祭り手伝い? ……ヴォロスにする」 ヴォロスに着いてから、目的地へ向かう途中、兎を狩った。 捌いて肉と毛皮とに分ける。 肉で腹を満たし、毛皮は腰に下げた。 「ヴォロス、狩りできる……ヴォロスは楽だ、ルン、生きやすい」 空腹を満たすと、考える力が生まれる。 空気もルンの居た世界に近い気がした。 ルンは竜刻がはまり凶暴化した熊に大弓で何十本の矢を撃ち込んだ。 それでも動きを止めない熊にルンは拳で殴りかかった。 何度も殴り合い、ふらついたところをルンの拳がとどめを刺した。 熊を凶暴にさせていた竜刻を取り出し、獲物を仕留めた時と同じように解体する。 毛皮も剥いだ。 大きな熊は沢山の肉に変わった。 肝を調理して食べると、肉は燻製にする。 保存の利く肉は、空腹になったときの非常食だ。 それでも量は多く、必要な分だけをルンは鞄1つに詰め込んだ。 他の燻製肉と毛皮は立ち寄った街で売り払う。 熊の大きな毛皮は寒い夜を温めてくれるだろう。 必要な人の手に渡ればいい。 そう思いながら、ルンはロストレイルに乗った。 依頼を終えた報告を済ませ、住まいのある樹海に帰る。 樹上の家から空を見上げた。 「ルンは死んだ、神さまの国に来た。神さまに呼ばれたから、神さまのために戦う。神さまの役に立つ。ルンは神さまのために、獲物を狩る……それが今の、ルンの仕事」 死ぬ前は、生きるために。 死んでからは、神さまのために。 今日もルンは神さまのために生きている――。
このライターへメールを送る