クリエイター玉響(weph3172)
管理番号1351-12658 オファー日2013-11-24(日) 23:30

オファーPC ジュリアン・H・コラルヴェント(cutn5843)ツーリスト 男 26歳 専属エージェント

<ノベル>

 その水底には、一人の少女が眠っている。

 硝子を一面隔てた向こう側に喧騒と熱狂を飼い慣らしながら、まるで塑像のように沈み続けている。白砂と、浮き草と、色鮮やかな熱帯魚の戯れる水槽の深くに在り続ける様はさながら御伽噺の人魚姫を思わせるが、白いワンピースから覗くその肢は確かに人間のソレだった。蒼い照明に照らし出されて、不健康なまでに美しく蒼く輝く頬、実体を感じさせぬほどに白い膚。水中に揺蕩う髪は淡く光を纏い、水底に棲まう珊瑚を思い起こさせる。
 周囲の視線にも動じず、その少女はただ目を伏せ、微睡み続けている。呼吸も、食事も忘れて、ただ、其処に居る。

 ◇

「《Rara iuvant》?」
 深い、昏い水を抱く硝子面は鏡となって、部屋の様子を明瞭に描き出す。其処に映り込む己と主の姿を眺めるでもなく視界に入れながら、ジュリアン・H・コラルヴェントは主の言葉に問いを返した。蒼く流麗な刺青を刻んだ美しい面(おもて)は、彫像のように整ったまま、何の表情も浮かべない。
「そう。知らないかしら、カジノ《Rosmarinus》の水槽に棲む《Idola》の名前なのだけれど」
 硝子面の向こう側には主の部下たちが忙しなく歩き回る、オフィスの光景が広がっている。まるで水槽に囚われた魚の群れのようだ、と茫洋と考え、己もその内の一人である事に思い至る。ジュリアンを初めとする人間は、彼女たち《超古代文明の遺産》なる一族に飼われる、愛玩生物にすぎないのだ。
「さあ……あまり、仕事以外でそう云う場所には赴きませんので」
 端正な面差しに凪いだ表情を湛えたまま、ただ淡々とした声音でジュリアンは主の問い掛けにいらえを返した。その言葉は必要以上に空疎で、興味がない、ではなく、関わりたくもない、とでも言いたげだった。主は僅か呆れに似た笑みを浮かべ、様々な光で彩られた鉱石の爪を天へ向ける。水晶質の鯨が悠々と横切る、灰青に澄んだ空を描く天井が、ふ、と翳った。
 オフィスに繋がる硝子の壁面が、瞬間漆黒の闇に塗り潰される。――否、それは海だ。濃やかな水泡が水面を目指し、薄らと水面からヴェールのように光が降りてくる、深い、深い海。
 白珊瑚が築き上げる足場の上を、転々と、此方へ向けて歩いてくる影。幾重にも降り注ぐ光が、少しずつ深海のヴェールを剥がしていく下で、その影は一人の少女の容を取った。白いワンピースを身に纏う、蒼褪めたような透明な肌と、淡い光を放つ髪の美しい、彫像のような娘。
 人の持つソレとは違う、菱形の瞳孔を備えた菫色の瞳が、何者かを探して彷徨っている。
「こちらよ」
 珊瑚の路を逸れようとするその姿を見兼ねてか、主が硬質な、美しい声を掛けた。小振りな耳がそれを捉え、少女は振り返る。此方と彼方を隔てる、分厚い硝子面を容易く擦り抜けた。
 磨き抜かれた黒曜石の床面に、柔らかな波紋が広がる。漆黒の海を進むが如く、その娘は不安定に身体を傾けながら、彼らの元へと歩み寄ろうとする。
 考えるよりも先に身体が動く。ジュリアンは白い装束の裾を翻し、颯爽と進み出て、今にも均衡を崩しかねない娘の前に手を差し伸べていた。
「―― 。 が う」
 視線は定まらぬまま、幽かな笑みを浮かべ、少女は唇を静かに動かした。しかしその喉から絞り出された聲は言葉を為す事もなく、ひゅう、ひゅうと風のように鳴る。
 その様はまさしく御伽噺に顕れる、恋故に言葉を喪った人魚姫そのものだった。
 細く、折れそうなほどに華奢な指先が、流麗な刺青の奔るジュリアンの掌に載せられる。それを離さぬようにしかと捉え、彼は条件反射のように穏やかな笑みを向ける。――だが、人魚姫にはそれさえも見えていないようだった。
「彼女がラーラ・ユウァント嬢よ。ジュリアン、貴方には彼女のエスコートをお願いするわ」
「はっ」
 ジュリアンはただ忠実に、主の命に頷いた。

 ◇

 歩く度、灰色の地面を波紋が走る。
 その街は、まるでそれ自身が海底に沈んだ王国のように、屈折した蒼い光と冷涼な大気に包まれている。もちろん、叶わぬ願いなどないと言われるこの星では、その町並みさえも星の持つ多様性の一角に過ぎないが、水底で暮らしていたという少女と親和性が高かろうと考え、ジュリアンは敢えてこの街を選んだ。
 太古の王城と、城下町を模した建物群の合間を、二人は擦り抜けるように歩く。時折崩れる石橋を迂回し、朽ちた柱の上を飛び移って、壁面に咲く蔦薔薇の下を歩く。十年も水底に沈み、身体機能の低下した少女を連れて歩くのは決して容易くはないが、ジュリアンは倦厭をも顔に出さなかった。
 水槽の中で飼われる《Idola》としての生き方を承諾した少女は、契約時に短期間の自由を求めたのだと云う。今回主はそれに応じ、ジュリアンに彼女の付き添いを任せた。
「水槽では、何を?」
「――なにも」
 陸へと上がった人魚姫は、しかし御伽噺とは違いすぐに言葉を取り戻した。未だたどたどしくはあれど、ジュリアンと言葉を使ったコミュニケーションが取れる程度には。
 その返答に、ジュリアンは僅かに眉を寄せる。十年の間、呼吸も、食事も、娯楽も、何もせずにただ無為に過ごして来たと言うのか、この少女は。
「鑑賞の眼があったとしても、それを掻い潜る事は出来たんじゃないのか」
 少女は折れそうな首を傾けて、小さく頷いた。できるが、やらなかった、とその仕種が応える。
 娯楽を追及し、“叶えてはならぬ願いさえも叶う”と云われるこの星で、何も求めずに生きている娘。観衆の目に曝されて、しかしそれを厭うでもなく受け容れる《Idola》。
「……そうか」
 ジュリアンは嘆息にもならぬ呼気を吐くと、少女の手を惹いて倒れた石柱を飛び越させた。

 何処へ行きたい、とも云わず、何処へ行きたい、とも応えない少女を連れて、ジュリアンはただ何処へ行くでもなく街並みを擦り抜ける。彼らの居住区である富裕層の領域を抜け、打ち捨てられたホログラムと、生きる場所を喪った者達の住み着く幽霊街へと。虚構の光景と現実が交錯する街に足を踏み入れて、少女は初めて、驚いたように小さく目を見開いた。富裕層の許で飼われていた彼女に取り、この街の在り方は初めて触れるものなのだろう。しかしそれ以上は何をしたいとも言わず、少女はジュリアンに手を惹かれるまま、歩いた。
 擦れ違う人が、肩をぶつけた傍から水泡となって消え失せる。目を丸くする少女に、ホログラム、或いは電脳世界の精神(ゴースト)が表に出てきただけだろう、とジュリアンは応えた。
「生きている人間が彼方へ籠る事もあれば、彼方で生まれた精神が此方へ飛び出して来る事もある。そう言う街だ、此処は」
 生と死の、現実と虚構の境目が曖昧な街。
 死者よりも空疎に生きてきた娘は、其れを茫洋とした面持ちで受け入れていた。

 ホログラムの森を抜け、ひと気の多いパサージュの下を潜る。見事な装飾の硝子天井が、色彩豊かなステンドグラスが、彼らの頭上から光を注いでいる。まるで水槽の硝子から取り込まれる光のように、屈折し、色を変えて。モザイクタイルの地面は美しい幾何学模様を描き出すが、視力の発達しない少女はそれすらも判別できずにいる。
 かつては高級商店街であったらしいそこは、情勢の変化に伴って、《幽霊街》へと呑み込まれていったらしい。かつての華々しい日常の俤(おもかげ)を典雅な装飾に遺し、硝子張りの商店街には猥雑な店舗が立ち並ぶ。そのひとつひとつにも興味を示さない少女は、ただ黙々とジュリアンの歩みに任せていた。
 彼女の手を惹きながら当て所もなく歩くジュリアンの指先を、ぴり、と微弱な電流が走る。
 異変。
 ジュリアンの第六感が其れを瞬時に捉え、言葉もなく少女を抱き上げた。
「――?」
「捕まっていて」
 そう囁く彼の言葉をも掻き消すかのような、絶叫が轟く。否、それは歌声に軋む、マイクの咆哮(ハウリング)にも似ていた。鼓膜を揺さぶる大音響は後を引いて、それと入れ替わりに、圧倒的な質量を伴う旋律が、何処からともなく来襲する。ジュリアンは少女を抱え、反射神経のままに商店街の端へと飛び退いた。息を吐く彼らの目の前で、世界が、転変する。
 硝子の天井が、端から鮮烈な光に塗り潰されていく。典雅なパサージュの装飾が、急速に朽ちていく。まるで襲い来る音の群れに削り取られたかのように。質量を伴った、音楽の波が瞬く間にパサージュを占拠し、商店街はホログラムの海に沈んだ。
 砕け、朽ちたパサージュをそのまま抱く海の中で、天から降る透いた泡が、海底の亀裂から湧き出る光が、目まぐるしく色彩を変化させていく。廃墟の海が音の乱流に踊り狂う。時折パサージュの頭上を駆け抜ける黒い影の群れは、鳥か、魚か判別がつかない。
 唖然と立ち尽くし、或いは熱狂に乗せられる通行人たちの中央、十字路になっている場所に、人影が生まれた。観衆の中央でマイクを握るのは、銀色の流動体が人を模したシルエット。無貌の金属質が、内側から広がるような荒々しくも美しい歌声で、観衆を煽る。
 少女は実体とも見紛うそのホログラムに魅入られたように、長く足を留めていた。
「……この、曲」
「ああ。聴こえるのか?」
 ジュリアンの言葉に頷いて、少女は聴覚を澄ませるように己が掌を耳の後ろへと持ってきた。
 唇とも目とも違い、蓋をするものの無い鼓膜から浸み込む音。体内を巡り、脳を、臓腑を充たし、熱狂と快楽を呼び起こす音楽。まるで性質の悪い麻薬のようで、五感の鋭いジュリアンはあまり耳を傾けていたくない代物だった。
「水槽の、外から、聴いていた」
 しかし、感覚に疎い少女には新鮮に、かつ懐かしく映るようで、その場に立ち尽くして、熱心に耳を傾けている。
「何て、名前?」
「――ちょっと待って」
 無垢な仕種で首を傾げ、此方を見上げてくる依頼主に、ジュリアンは暫しの沈黙の後に応えた。古めかしいジュークボックスを模した端末に手を触れれば、その表面が波紋を描いてコンタクトを受け容れる。電流の奔るような感覚を押し殺し、そのまま指先をスライドさせるように動かせば、端末は淡い光を放ちながらゆっくりと文字を打ち出した。
「《Deus Ex Machina》」
 ジュリアン自身、初めて聴く名だった。音楽は、彼の流動体は、至る所で目にしていたけれど、興味を持たなければその名を知る事もない。此処はそう云う場所だ。望むものだけを手に入れる事が出来、望まぬものを切り捨てる事が出来る。
 ――或いは、何も望まないまま過ごす事だって、可能なのだ。
 ジュリアン自身がそうであるように。
 水底で暮らしていた娘は、その言葉を瞑目して受け止めて、僅かに頷いた。

 《機械仕掛けの神》が創り出した海に占拠されたパサージュを抜ければ、その先に広がるのは、彼らもよく見慣れた富裕層の構想ビル群。ジュリアンは一度時間を確認し、改めて少女に告げる。
「刻限だ」
 穏やかだった護衛の聲が無慈悲な看守のソレに代わっても、少女は幽かに首を傾けたまま、何も応えない。茫洋と揺蕩う菫色の瞳が、しかし確かにジュリアンの貌を捉えている。
「じゃあ、戻ろうか」
 差し出した掌を、人魚姫が取る気配はない。
 それを認め、ジュリアンはその蒼い瞳を細める。鮮やかな燐光が、涙のように散った。腰に刷いた剣の、流麗な細工が為された柄に手を掛ける。
「――それとも」
 しゃらり、と軽やかな音を立てて、剣の飾りが鳴る。少女はジュリアンの其の所作を眺めていながら、しかし恐れる事もなく幽かにわらう。
 白く、実体を伴わぬかのように蒼褪めた指先が、その細い胸を指し示す。不備だらけの身体を捨て、新たな器を手に入れる事も容易い世界で、彼女は尚その衰えた身体を保ち続ける。
「“或いは、お望みならば死を”?」
 続ける筈だった言葉を先んじられ、ジュリアンは苦笑めかして頷いた。

 ◇

 カジノ《Rosmarinus》の一角に設えられた巨大な水槽。周囲の喧騒から切り離されたような静けさを保つ、幻想的なその水中には、白砂が敷き詰められ、珊瑚の花が咲いている。色鮮やかな熱帯魚がその上を泳ぎ回り、訪れる者の目を楽しませる。

 その水底には、一人の少女が眠っている。
 恋も、自由も望まず、死よりも空疎な生き方を選んだ人魚姫が。

 <了>

クリエイターコメント大変お待たせいたしました。オファー、ありがとうございました!

幻想的な光景を描くのは大好きなのですが、普段からSFには馴染みがないもので、世界観を描くのに大変苦心いたしました。PLさまのお望みの情景が描けていれば、幸いです。
また、世界を同じくする某様のノベルに合わせ、用語などはラテン語で統一させていただきました。キャッチコピーは《たゆたえど沈まず》という意味です。

今回は素敵な物語をお任せいただき、ありがとうございました。
それでは、御縁がありましたら、また違う物語をお聞かせくださいませ。
公開日時2014-01-26(日) 20:10

 

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