賑やかなターミナルの街中をさらりとした髪、肩に乗せた相棒のタイムを落とさないように手で支えてやりながら歩くのは相沢優。 大学生活を送りながらターミナルにやってきて、ロストナンバーとしての依頼をこなす多忙な毎日を送っている青年だ。 強くなりたい。 ターミナルで知り合った仲間たちのためにも、自分に出来ることはなんなのかと模索していた。 それにぱっと思いついたのは鍛錬だ。 危険な依頼をこなして学んだのは、日々の鍛練が生死を分かつという単純明快な答えだった。経験は学びとなる。せめて一般人に毛が生えた程度の戦闘能力しかない自分が他の仲間の足を引っ張らないためにも人よりもずっと多くを学ばなくてはいけない自覚はある。 それからコロッセオの常連となっていたが、優はなにも一人で戦っているわけではなかった。「絵奈さん、いるかな」 ターミナルで知り合った淡い桜色の髪に月色の瞳の可愛らしい笑顔をたたえた舞原絵奈はコロッセオでよく顔を合わせる友人だ。 顔を合わせたのは数か月前の偶然だった。まだそのころは親しいというほどもなかったが挨拶を交わし、話をすると互いに同じものを目指しているのだと優は知った。 ――私は、まだ半人前ですが、戦士として、みなさんの笑顔のために強くなりたいんです はにかんだ絵奈が、大切な宝もののように自分の訓練する理由を打ち明けてくれたのは優が目指すものと近い類のものだった。 ――だったら、これからは俺と対戦をするってどうかな? コロッセオのデータによって作られた敵ではなく、人間を相手に戦うことは互いにとってもいい経験になると優の言葉に絵奈は恐縮しながらぺこんと頭をさげてお願いします! と返事をした。 それからコロッセオで二人は対戦することが多くあった。 しかし。 つい先日のインヤンガイでの大きな事件。その事件に優はかかわり、古い友人と邂逅を果たしたが絵奈は鎮圧に向かった街が滅び、さらに本人は負傷して医務室に運ばれた。 一命はとりとめた絵奈だが、その顔色があきらかに暗いことを見舞いに訪れた優は察していた。 今日は退院だというのでせっかくだからお祝いしようと訪れると、絵奈は一人でさっさと出ていってしまったというのが頭の端にひっかかっていた。「あ」 通路の端に絵奈がいたのに声をかけようとして、はっとした。いつもの無邪気で明るい顔ではなく、憂鬱な暗い表情であることに優は衝動的に手を伸ばしていた。「絵奈さん!」「え、あ、優さん」「退院、おめでとう。医務室に会いにいったけど、もう出ていったあとで」「私……ごめんなさい」 絵奈は出来るだけ視線を合わせないように俯くのに優ははっきりと感じた。「絵奈さん、なにかあった? よかったら教えてほしい」「……」「もしかして、インヤンガイの」 びくりと絵奈の細い肩が震え上がった。あげられた顔は迷子の子どものようで、金色の瞳にうっすらと涙の粒が込み上げている。それをぎゅっと絵奈は力をこめて押しとどめた。「私、なんてことをしたのか」「けど、あれは」「私は……あのとき、おかしかったんです。街を滅ぼそうなんて考えて……どうしたらいいのかわからなくて、戦士をやめようかと思っても、それは今までの自分を否定するみたいで……けど、今戦ったらまた多くの犠牲を出さない自信がなくて」 今まで何度も対戦で向き合った優だからこそ絵奈は自分の心の弱さを吐き出すことを許した。そんな絵奈の姿に優は唇を引き締め、その手をとった。「え、あの」 戸惑う絵奈を連れて向かったのはコロッセオであった。 絵奈がぎょっと目を見開くのに優は真剣な顔で告げた。「……今から俺と共戦しよう」「けど」「頭で考えるより、実際にやってみればいいと思う。本当に危ないときは俺が止めるから」「……はい。お願いします」 二人対戦の相手を探すと告げるとリュカオスと話し合っていた司書の黒猫にゃんこ――現在は三十台のスーツ姿の黒の姿が――ちょうどいいのがいると一度その場から離れて、五分ほどして連れてきたのは黒軍服に顔にはガスマスク、目を覆うのはゴーグルの奥に不気味な赤い灯が宿っている、頭には頑丈なヘルメットを被って素肌を一切さらしていない高身長の男とシャツとジーンズに手首には銀の輪をつけた短い髪に、首には真新しい切り傷のある女の二人組であった。「彼らはナラゴニアの残党で、過去にワームをターミナルらぶつけようとした前科があるが現在は世界図書館に旅人登録している。……過去の戦闘で負った傷が深くて、最近、ようやく出歩けるようになったが、体慣らしをしたいと本人たちの希望だ。ただし、二人で戦闘をしたいというのが希望している、ちょうど絵奈と優にぴったりだ」 黒の紹介にくすっと女が唇をつりあげて嫣然と笑った。「これは、これは、ターミナルの勇敢なお方たち! 私、アルルカンと申します」「アルルカンさん」 絵奈が応じる。「ええ、本当はピエロの服装をしたいが、今更ですから! クロさんともども生け捕りにされたのに開き直ってここで楽しくパレードをしていこうと思いましてね! ふふ」 ふしゅうー。横にいたクロと呼ばれた全身黒づくめが重々しい呼吸する。 ふてぶてしい笑みを浮かべるアルルカンに正体不明のクロに優と絵奈は緊張する。ナラゴニアと世界図書館の戦争後、樹海に隠れていた残党は危険な思想な者が多い。それもワームをターミナルに差し向けるほどの交戦的な相手とすれば、たかだか一度敗れた程度で本当にその考えを改めるとも考えづらい。 絵奈と優が司書である黒に視線を向けると、彼は口元に笑みを浮かべただけだ。「バトルフィールドは、今回は、ストリート! インヤンガイ風で、凹凸の激しい地面だ」 黒が説明するのに絵奈はびくりと震えた。「それ以外にも屋台や水たまりがあってそこはぬかるんでいたりして障害物がかなり多い、ちなみに屋台などの障害物は破壊、移動が可能だ。ギア、その他の利用は可能とする。地形と自分たちのペアとする相手のことをよく考えて戦闘しろ。今回は相手が動けなくなった場合を勝利条件とする」 黒の言葉にアルルカンが顔を険しくさせた。「動けない、でいいんですか?」「そうだ。ペアの二人ともが動けない、もしくは敗北宣言をした場合は負けとする」「……了解しました」 アルルカンが含みのある笑みを浮かべて下がったのに黒は優と絵奈に向き直る。「優、絵奈、先に伝えておく。クロは接近戦を得意としているうえ、あの服の中身はかなりの砂で構成されているうえ痛覚がないので通常の攻撃では動きを止めない。またアルルカンは五感などを操る能力を持っている。この二人はもともとナラゴニアでも常に協力して戦っていた。心して相手しろ」 フィールドに立つ絵奈は俯いていた。まだスタートの声がかからないのに、すっと手が伸ばされた。見るとアルルカンが握手を求めていた。戦う者として最善を尽くすための礼儀に絵奈は応じた。「お嬢さん、どうしてそんな顔をしているんですか。ふふふ」まるで心の奥底まで見透かすような目のアルルカンに絵奈は躊躇いがちに口を開けた。「私、半人前の戦士で、それで……戦うことが怖いんです。以前、ひどいことをして、だから、お二人のことも、もしかしたら傷つけ、いたっ」 アルルカンが握っている絵奈の手に力をこめる。「随分傲慢なことを言う小娘さんだ! ふふ……あなたは戦士と言いますが、なんのための戦士? なんのための力? なんのために今まで戦ってきた? 生きているのです」「私、みんなを笑顔に」「笑顔? それは力で作れるものですか? 力で他人になにを与えられるというのです? ナラゴニアは力こそすべて! 強さがなくてはなにも成せない。しかし、それは己の利益のみ。奪わなくては奪われていくだけ」「そ、そんなの、なにかを奪うなんて」「奪って、逃げているお嬢さん、あなたに言われたくない」 ぴしゃりと言われた絵奈は息を飲む。「力を奮って、自分がしたことが恐ろしいなどと己が一番可哀想だと迷うならば、愚者のパレードにご招待しましょう。もちろん、あなたの命という代価にしてね」「っ、ここでは殺し合いは」「私もクロさんもどうせナラゴニアの残党ですから、所詮はね。ふふ。私はクロさんを信じていますよ、彼は私を絶対に守り通す、あなたたちには負けない。私たちの力はあなたから奪い尽くすとね。自分のことばかり考えて、いま隣にいる者も信用出来ずにびくびくして力のひとつも使えなさそうなあなたには負けないでしょう」「っ!」 絵奈の怯えきった顔にアルルカンは満足したように微笑んで、手を離した。「さぁ、愚者のパレードをはじめましょうか」 なにを話しているんだろう、優は絵奈を気にして視線を向けていると不意に視線を感じた。そこにはサーベルを構えたクロがいた。その両腕からも細い刃も出た完全武装に自然と震えが走る。強くなりたい。自分になにができるだろう。ゆらっと揺れる赤い双方の光を見て優は考える。 いま、自分はなにができるだろう? と。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>相沢 優(ctcn6216)舞原 絵奈(csss4616)=========
ぴちゃんと流れる汚水が音をたてる、湿りといくつもの残飯が混ざったような、思わず鼻を覆いたくなる悪臭が漂うフィールド。 せいぜい三人くらいが立てればいいくらいの狭い路地にいくつもの障害物が並ぶなかで緊張ぎみの相沢優、暗い目の舞原絵奈は並ぶ。その前にはクロとくすくすと馬鹿にしたような笑みを浮かべるアルルカンが立ちはだかる。 アルルカンの耳障りな笑いにはじめに噛みついたのは意外なことに絵奈だった。 「なにを笑っているんですか! 先から!」 「絵奈」 優は驚いた。 絵奈とは彼女がターミナルに来てからの知り合いで、付き合いは浅くない。けれどこんな激情に駆られた彼女を見るのははじめてかもしれない。 くす、アルルカンは鈴を鳴らして目を細める。 「いえいえ。愚か者を見るとつい、ね。笑いがこみあげてたまりません。ふははははは!」 とうとうアルルカンは耐えかねたというように腹を抱えて笑い出したのに絵奈は頬を朱に染め、肩が小刻みに震わせる。 いけない、優は咄嗟に絵奈を制そうとした。アルルカンはあきらかに絵奈を挑発している。戦いは、冷静さを無くした者が負ける、それくらいいつも絵奈ならばわかるはずだ。 「私はたしかに愚か者だし、なじられて当然だけど、貴女達に言われたくない。世界樹は停止したし、もう悪戯に奪う必要なんてないはず、貴女達はただ、人を痛めつけるのが楽しいだけでしょう!?」 絵奈の怒りがとうとう爆発した。まるで風のように素早く、片手に短剣を持って真正面から切りかかる。 「え……!」 りん、りん、りん。鈴の音が鼓膜を愛撫するのに、優の視界がぐらっと歪んだ。 アルルカンは絵奈を挑発しながら五感を狂わせるターゲットとして優を選んでいたのだ。 「はぁ!」 切りかかる絵奈をアルルカンは後ろにステップを踏んで、まるでダンスするように軽やかな避け、鈴を鳴らす。その鈴がまるで絵奈を嘲笑っているかのようで。アルルカンの目が絵奈の心の深いところをつついてくる。 お前のせいだ お前のせいだ 違う、 違うの、私は 絵奈は心の声に必死に抗い、逃れようとした。短剣を振るって、切りかかる度に、何か、自分の大切なものが失われていくのだと感じながら。 「おやおや、どうしました? そんな生半可な動きじゃあ、私は殺せませんよ?」 「っ!」 「魔力を使ったらどうです? あなたの鈍い動きじゃあ、ほらぁ!」 アルルカンが水たまりを蹴り、飛び散った汚水が絵奈の視界を奪い取る。 「きゃあ!」 一瞬の隙。 それをついて絵奈の短剣を持つ手が掴まれ、右腹に掌打が放たれる。防御も構えも出来てない状態でのダイレクトな痛みと圧迫に絵奈は悲鳴すらあげられず、身をくの字にして倒れ込む。胃のものが激流するのに任せて吐き出すと胃酸の苦味が口いっぱいに広がった。絵奈はぎゅっと拳を握りしめ、涙と怒りで滲んだ目でアルルカンを睨みつけた。 「っ、許さない!」 「どうして魔力を使わないのです?」 「……っ」 「使ってしまいなさいな。また、あのときのように全部壊してしまいなさいな。あなたにはそれしか出来ないでしょう」 いっそ優しいとすら思える声に絵奈の脳裏に浮かぶのは破壊した街の姿だった。あの街がどうなったかをきちんと絵奈は見ていない、けれど、きっと、ひどい有様なのだろう。まだ直視できない現実が恐怖という力を得て膨れ上がり、絵奈の弱い心に広がっていく。 「っ! 違う! 私は、私はっ」 「違う? なにが違う? 現実を見れない愚か者っ!」 アルルカンが怒気のこもった声をあげて、うずくまる絵奈の胸倉をつかんで持ち上げると平手打ちを喰らわせた。 痛みと屈辱と、自分自身の情けなさから涙を流したぐちゃぐちゃの顔の絵奈はじっと見つめる。 目の前にいるのはアルルカンではない、自分だ。 優は必死に思考を巡らせた。ギアの防御壁で防げないかとはじめのうちに張っていたが無理だったようだ。 アルルカンは音で空気を伝いに他者の五感に影響を与えるらしい。いくら物理的に防ごうとしても、空気を防げるはずがない。 ぐるぐるぐる、ぐるぐるぐる、まるでメリーゴーランドのなかにいるように視界がまわる。 「タイム、頼む」 優はセクタンに救いを求めた。 自分の目が使えない以上、タイムに目のかわりを頼むしかない。しかし、セクタンの能力としてどれくらいフォローしてもらえるか。 心持たなさを覚えた瞬間、足元にいるタイムがしがみついてきた。 右! 優は咄嗟に後ろに転がり、尻餅をついた。なにかが髪の毛を切った――のがわかった。 息を飲み、目でそれを確認しようとするが叶わない。かわりに素早い突き技が優の肩を突き刺した。 「くっ!」 このままでは負けてしまうと優は防御結界を自分の顔、胸と急所となりえる場所に展開する。 素早い刃の突き技は優の肩、腕、脇腹と掠めて斬り裂いていく。まるでカマイタチのように。 「……っ!」 痛みは、ある。 アルルカンが施したのは視界のことだけならば、この痛みを頼りにすればいい。 俺は一人じゃない。 絵奈がいるんだ。 強くなりたい。 強くなりたいのはどうしてだ? 諦めたくない。手を伸ばしたい。俺一人じゃないから。 じりじりと燃え盛る火にいるように、体の芯から熱くなっていくのがわかる。 ずっと、考えていた。どうして強さを求めているのか。それは大切な人達を、ターミナルで知り合った彼らを護る術がほしいから。 力は、何のために使う? それを自分の中でしっかりと決めて使うべきもの、だ。 「うおおお!」 声をあげ、優は全身を滾らせる。 だったらこんなところで止まるな! 進めよ! 脳裏にいくつもの笑顔が浮かんで消えて、そしてまた浮かぶ。そのひとつひとつが自分にとって大切で、護りたいもので、自分自身の力だ。 相沢優! 自分の名を頭いっぱいに怒気の孕んだ声で叫ぶ。お前の決意はこんなものかよ! ――違う! 「っ! 見えた!」 アルルカンのかけた術を上回る強靭な意思が優を突き動かした。視界が定まり、クロが目の前にいるのがはっきりとしたのに優はタックルをしかける。 予想してなかった攻撃にクロが無防備に倒れると優はアルルカンに囚われた絵奈に向かって走り出した。 「タイム!」 タイムが応えるように飛び出して、炎をまき散らす。 「絵奈――っ!」 炎の攻撃にアルルカンは、絵奈を離すと後ろに逃げる。その隙をついて優は絵奈を腕の中に受け止めると路地のなかに急いで退散した。 ちりちりと切り傷が痛み、優の力を奪い取る。 「絵奈、しっかりしろ」 「優さん、私……私、あの人を許せない! 絶対に」 まるで手負いの獣のように絵奈が優の腕から飛び出そうとするのを必死に抱きしめて、制した。 「っ、いたぁ」 「え、あ……その、傷」 絵奈はそのときになって優がひどい有様であることに気がついた。 「私、私のせいで」 絵奈の顔がまたくしゃりと歪む。 アルルカンの挑発にのって考えもなくつっこんで、挙句にこんな結果を生んでしまった。 優は穏やかに笑って絵奈の髪の毛を撫でると、その肩を掴んで自分へと向けた。真っ直ぐに二人の目が見つめ合う。 「絵奈、君はどうして力がほしいんだ?」 「私、私は」 「俺は、護りたいだ。大切な人を、ターミナルで出会った人たちを、故郷のひとたちを、護りたいから……俺は、そのために力がほしい。けど、力はその使う人間の気持ち次第だって思うんだ」 「……優さん」 絵奈は泣きながら静かに優を見つめる。 「俺は絵奈の、みんなを笑顔にしたいっていう考えがとっても素敵なものだと思う。だからこんなところで立ち止まってほしいくないんだ」 「……っ、けど、私、怖い」 「絵奈」 「私が魔力を使って、破壊してしまって、そのせいでいろんな人が不幸になって、泣いていて、けど、それ以上に怖いのは、自分が、もしかしたら恨まれているんだって、憎まれているんだって!」 嗚咽を鳴らして絵奈は吐き出す。 アルルカンを見ていて苛立って、ぶつけた怒り。それはもしかしなくても絵奈自身が受けるべき、罰なのかもしれない。 「絵奈、絵奈は一人じゃない。そうだろう」 「優さん」 「失敗が取り戻せないほどひどいこともかれしないけど、絵奈、逃げちゃだめだ。俺たちがいる。受け止めるのが一人で辛いなら、俺たちが一緒に受け止めて、どうしたらいいのか考える。どうしたら許されるのか、許されるまで一緒に、絵奈が自分のことを許せるようになるまで、みんなが笑顔になるまで」 「……一緒に?」 「絵奈、起こってしまった事、過去は決して変わらない。ならば自分に何が出来ると思う? 俺は起こってしまった結果から目を背けず、向き合う事だけは出来ると思う。自分自身がもう二度とあのような結果にならないよう強くなる事は出来ると思う」 今までの苦痛の涙が止まり、ひどく透明な涙が絵奈の瞳から零れた。 私は、本当に愚か者。 だって今まで泣いていたのは自分のためだけ。誰かのためじゃない。 本当は苦しんでいるだろうインヤンガイのひとのためでも、 目の前で傷ついた優さんのためでもなかった。 自分のため。 自分のことばかり。 けど 溢れる透明な涙を絵奈は乱暴に拭う。 「……私、戦います」 ようやく瞳に光を取り戻し、はっきりとした声で応じる絵奈に優は頷いた。 「うん。戦おう。二人で」 「はい。これから、どうしますか?」 「タイムが見張ってるけど、彼らはすぐにはくる気配はない。今のうちに移動しよう。出来るだけ障害物が少ないところで、水がほしいかな」 「わかりました。それだったら私が調べられると思います」 「うん。頼む。俺が見張ってるから」 「はい!」 絵奈は魔法陣を自分の足元に生み出すと、そこから生み出された透明な風がフィールド一帯の濁った空気を洗い流すように吹き抜けていく。その風は絵奈の目と繋がり、フィールドの映像が絵奈の脳裏に流れ込んでいく。 「ありました! 案内します」 絵奈はようやく自分の足で立ち上がると、遠慮がちに手を差し出した。 「手を、貸してください。優さんの気配を覚えますから、そうしたら、どこにいても優さんの場所はわかります」 優が絵奈の手をとったとき、しゃらんと音がした。吹き抜ける風から敵であるアルルカンとクロのその居場所が特定されることとなった。 「鬼ごっこですか?」 にっと笑うアルルカンに絵奈は全身をかたくするが繋いだ手のぬくもりが絵奈をいま、するべきことを思い出させた。 お姉ちゃん、うん、そうだね。 いまするべきことをやれ。姉がいつも口にしていた言葉。今なら、その本当の意味がわかる。 大切な仲間を信じ、護るためにするべきことをするのだ 私は、言葉の表面上をただ理解していただけなんだ。今までわからなかったなんて、ごめん、お姉ちゃん。 「私は私のするべきことをする!」 絵奈は宣言すると優と共に走り出した。 このフィールドのどこをどう進めばいいのか絵奈は理解して迷いなく走り出す。 移動の間に魔力で魔力を練り上げて、絵奈は自分と優の双方の気配を頭のなかに流し込み、二人の手が離れてしまってもお互いがどこにいるのかわかるように術を施した。 「このまま進めばバケツと、屋台から水が流れてます」 「わかった。タイム!」 背後から追いかけてくるアルルカンに向けてタイムが炎を吐いて行く手を阻む。 絵奈は真っ直ぐに駆けようとして目の前に現れた黒い影がぎょっとした。 クロだ。 彼はアルルカンが二人の注意をひいている間に屋台などの障害物の上を、肉体が砂ゆえにほぼ気配がないことを有効に使って移動し、回り込んだのだ。 「絵奈!」 「大丈夫です!」 絵奈は立ち止まると優を見る。優は頷いた。 「私が、サポートします!」 「わかった。絵奈を信じる。俺の背中、任せた!」 「はい!」 絵奈は強く叫んだ。 ――絵奈はまだ、自分で敵を倒そうなどと思うな。仲間を守ること うん! 私はみんなを守りたいから強さがほしいんだ。 絵奈は優の足元に跪いて陣を発動した。 りん、りん、りん、鈴の音がして、自分の視界が歪むのがわかった。けれど絵奈は躊躇わなかった。 優の位置はもうわかっている。 だから 「私のすべてをそそぎこんで!」 絵奈は体内にある魔力のすべてを優に注ぎ込む勢いで流し込む。 魔力は煌めきながら青い光の粒となって、優の肉体を包んでいった。 「これが……!」 優自身が驚くほどに肉体が高まっていく。 今まで痛んでいた傷が、自然治癒のアップで塞がった。軽くなった肉体に、更に魔力は鎧のように包み込んでどんな攻撃からも守り、いつも以上の力を優に与えていた。 いける! 優は駆けだした。 クロが刃を振り上げるのに優は素早く地面を蹴って飛ぶ。横腹を刃が掠れたが、――クロの刃のほうが絵奈の魔力、さらに優の作り出した肉体を包む二重の防御壁によって刃毀れした。 優は地面に手をついてでんぐり返りで着地、そばにあったバケツをとるとそれで汚水を垂れ流す屋台に身を寄せた。 クロは優を狙い、身を捻って刃を振るう。 「いまだ!!」 ぎりぎりまでひきつけたクロに水をかける。 「タイム!」 タイムの炎がクロを燃やす。 水で鈍った動き上にタイムの炎によって熱され、クロのなかの砂が予想以上に重くなってしまったのに彼は片膝をつく。それでもまだ片腕を動かそうとするのを優は結界で封じ込めた。 「絵奈! 後ろ!」 優の叫びに絵奈は振り返り、アルルカンと向き合う。 「私は……私は大切な人達を守る、私はそのために戦う。どんなに否定されたって、この絶対変わらない。死んでいった仲間達の思いなんだから、私が覚えてなくちゃいけないの」 絵奈を見つめていたアルルカンはにこりと笑ったと思ったら、瞬時に片腕をあげて殴りかかってきた。 もうほとんど魔力は使い果たしてしまったが絵奈は諦めなかった。持っている短剣を意思の力によって伸ばし、懐まできたアルルカンの肩を貫いた。 アルルカンは壁に吹き飛ばされて縫いとめられたのに唇に浮かべた笑みを深くした。 「クロさんはあのとおり動けませんし、私も。今回はあなたたちの勝利、ですね」 ようやく試合が終わった。 「あ、あの」 女子更衣室でシャワーを浴び終わった絵奈は思い切ってアルルカンに声をかけた。 「なんですか?」 衣服を身に着けながらアルルカンは応じるのに絵奈は俯いた。 「私、ひどいこと」 そっとアルルカンの指が絵奈の唇を塞いだ。 「別に間違っちゃいませんから、構いませんよ」 「けど……アルルカンさんは私のことをわざと怒らせました、よね? それに考えたんです、お二人がはじめから本気だったら私はすぐに潰されていた、そう思うんです」 「はじめからわりと本気でしたよ。ただね、弱い者をいぶるのは好きじゃないんですよ。それにここは手合せする場所で殺し合いの場所じゃないでしょ? なら本気でやりあわなくちゃ意味がないでしょう?」 「アルルカンさん」 「一つアドバイスを。今後、貴女がああいう戦い方をするなら後ろに回り込まれないように注意なさい。壁を背にするか、自分に結界を張るか。二人ペアの場合は一人が攻撃に徹すると、あなたみたいなのは無防備になりやすい。今回はギアで対応しましたが、依頼中など敵が本気で狙ってくるなら遠距離攻撃か、爆弾を使われたら対応できないでしょう。精進なさい。さて、男どもを待っているので、行きましょうか」 アルルカンに促されて更衣室を出ると、廊下の端でクロと優が待っていた。優はシャワーを浴びてさっぱりした姿でクロは衣服を変えたらしいが、やはり黒いままだ。 「私はね、甘ったるい考えは嫌いです。けどね、私たちを保護したとき、ある女が言ったんです。世界図書館は否定しないと……私たちを生かして、こうして受け入れ、変えるチャンスとなった世界図書館には感謝はしているんですよ。貴方達の未来が良い方向に進むように、って、クロさんなに笑っているんですか! ああもうガラでないことをしました! 恥ずかしい、行きますよ!」 クロが突如として肩を揺すったのは、笑っているらしい。アルルカンがむっとした顔でクロの脇腹を蹴って背を向ける。そのあとをクロは追いかけようとして一度足を止めて手をふるとすぐに歩き出した。 優と絵奈はぽかんとした顔でアルルカンとクロを見ていたが、すぐに口元に笑みを浮かべた。 力は所詮、力でしかない。使う者によって破壊を招く。けれど使い方を自分で選択し、誰かを思えば、それは誰かを生かして、時間をかけても変えるきっかけにだってなるのかもしれない。 去っていく二人に絵奈は深々と頭をさげて優と向き直った。 「私、決めました……大切な人のためにも戦士としての心構えを忘れません。けど、インヤンガイのことはきちんと向き合うべきだって。自分に何が出来て、どうすれば償えるのか、みんなを笑顔にできるかまだわからないけど。いっぱい悩んで、考えて、みんなにも相談して、いこうって」 「……うん」 優は笑うのに絵奈も久しぶりに本当に笑う事が出来た。
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