天は藍く深かった。 焦げついた黒が、銀の月を翳らせる。 たったそれだけで、世界は闇に包まれた。 足元に茂る野草がばららと啼いた。誰かの泣き叫ぶような、苦痛に満ち満ちた悲鳴が耳元を駆け抜けてゆく。 ぞっとするようなその音色に、灰人は身を竦め跪いた。 「あぁ……ああ、何と悲痛な叫びなのでしょう」 若干顔色が悪い。 軽く息も上がっていた。 彼が必死に祈りを捧げる目の前には、闇に冷たく沈んだ石がある。 周囲を取り囲むように、幾つも、幾つも、幾つも――それらすべてに誰のものとも知れぬ名が刻まれている。 すべて、墓石だ。 そこはヴォロスのとある村の外れにある、墓地だった。 「それにしても、本当に出るんですかねえ」 夜毎起こるのだというとある事件を解決するために、彼らはそこを訪れたのだが――傍らでぼんやりと零したイーの呟きすら聞こえなかったかのように、灰人は必死に祈りを捧げ続けている。 「お……おお、神よ。どうかお慈悲を!」 ぜぇぜぇ、はぁはぁ。 風が流れ、淡い月光がその姿を照らし出す。 「まっままま迷える魂に救いあれ!」 祈り組んだ手ががくがくと震えている。 ただでさえひ弱そうなひょろりとした体躯に、これでもかというほど蒼褪めた顔―― 「ちょっ……灰人の旦那、随分と息が上がっていやすが大丈夫ですかい?」 「顔青い。おまえ死にそう、死にそう!」 カリシアのツッコミに我に返ったように灰人ははっとして顔を上げた。 「だだだ大丈夫です、これも神の与え給うた試練に違いありません!」 上手く回らぬ口でそう云い切れば、傍らの男の瞳が微かに細められる。 淡い光が酷く青白いその顔を照らし出す――荒れ果てた大地を這い延びる真っ黒な十字が、ずるりと灰人の足元まで延びていた。 灰人は戦慄した。 イーのいつも通りのにやにやとした表情が、一瞬だけにぃっと歪な笑みを浮かべた気がしたのだ。 けれど、それを確かめる術もなく世界は闇に閉ざされる。 ――嫌な予感がしていた。 首筋を撫でる風は、どこか湿っていた。 こめかみを伝う雫が夜風に冷やされながら頬を這い落ちる。 「暇ですねえ。いっちょお誂え向きに怪談でもしやしょうか」 びりりと灰人の身体を電撃が駆け抜けた。 「なななななに考えてんですかイーさんやめてください!」 「カリシア聞きたい、聞きたい!」 「聞きたくない、聞きたくない!!」 「ふふふ……これは俺っちが旅先で出会った人物から聞いた話なんですがねえ」 思いきり瞳を煌かせてこくこくと頷くカリシアに、ぶんぶんと思いきり首を横に振る灰人。 にやにやするイーの傍らで、俄かに灰人の顔が引き攣りはじめる。 「ああ、神よ! 何故、何故このような試練をお与えに!」 「そう……あれはこの晩のように、暗く鬱々とした闇に閉ざされた夜の出来事でございやした――」 わっと両手で顔を覆う灰人を後目に、イーはとっておきの怪談噺を披露し始める。 「背の高く痩せた男が、独り夜道を歩いていやした。既に日はとっぷりと暮れ、灯りと云えるものは翳っては時折顔をみせる頼りない月明かりだけでございやす――運悪く仕事が遅くまでかかってしまったその男は、ひどく家路を急いでいやした。その日は家族の祝いごとがあり、早く帰る約束をしていたのでございやす」 「イイイイーさん……だっだれも聴くなんていってないじゃないですか! やめめっやめてくださいよ!」 「男は何時もの森を迂回する路ではなく、真っ直ぐに抜ける路を通って帰ることにしやした。そう、いつもの路は家に帰るにはひどく遠回りなのでございやす。けれど近隣に住む者たちは皆、何故かその路を好んで使っていやした」 「あぁ、何と嘆かわしい! 神よ、気紛れに己の往く路を変えたその男に救いあれ!」 「……、…………」 「森の中を歩き出した男は、すぐに自分の失敗に気付きやした。森に蔓延る樹々は天蓋をつくり、合間から時折見える空も暗く淀んでいやした。けれど男は面倒に思い、路を戻ろうとはしやせんでした。無論約束を守りたい気持ちと、意地のようなものもあったのでございやしょう。男は時折地面に零れる蒼白い月明かりを見つけては、それを標に奥へ奥へ――どんどんと森の深くへと進んでいったのでございます」 「あぁ、なんということでしょう……神よ、面倒臭がりなその男をお許しください。どうかその愚かな迷える小羊に救いの道をお与えください。懐中電燈、ランタン、何でも構いません、原始的に松明でも良いのです……いいえ、最早そこまでの我が侭は申しません。マッチの一本、火つけ石のひとつでもお与えください。そっと足元にでも転がしておけば、その男も自身の愚かさに気がつくことができるでしょう。そうしてそれまでの自身の行いを恥じて神に許しを乞うに違いありません……」 「神の罠、ころぶ、ころぶ!」 「そうこうする内に森の深くへと迷い込んでしまった男は、ふと何かに気付いて足を止めやした。路の先に、ぼんやりとした光が燈っていたのでございます」 「おぉ……神よ! とうとうその男に救いの手を差し伸べられたのですね!」 話の方向を捻じ曲げるように歓喜の声を上げた灰人を無視して、イーは声を低めた。 ぞっとするような声色で、囁くように語り出す。 「――その光は、森の中でゆうらゆうらと揺れておりやした」 「ヒッ」 救いなど、与えられはしない。そういわんばかり、不意に表情を消し何の感情も読み取れぬ眼でじいっと覗き込んでくるイーに、灰人はごくりと息を呑む。 「男は、しめたと思いやした。彼にはそれが、誰かが堤燈を手に歩いているように思えたのでございましょう。こんな時間に森を歩いているなど、自分と同じように帰りを急いでいる者か、その迎えに来た者くらいだと思ったのでございます。男は急ぎ声をかけてみやしたが、相手からの反応はございやせんでした。もしかすると聞こえなかっただけかも知れない、男はそう思い、もう一度声をかけてみやした。それでもやはり、相手からの反応はありやせん。一気に心細くなった男は、堤燈の持ち主に追いつこうと慌てて駆けだしやした。ところがどうしたことか、男は走っても走ってもゆうらり揺れる堤燈の灯りへ追いつくことができやせん――そうこうする内に、男は堤燈の灯りを見失ってしまったのでございます」 しん、と辺りが静まり返った。 冷たい風が駆け抜けて、後を追うようにホウホウと不気味な声が響いて渡る。 「ああ、ああっ何と無慈悲な行い! 神よ、人心の荒廃にす」 「息を切らし足を止めた男は、両の肩で息を吐きながら周囲を見回しやした。それから、ふとあることに気付きやした。何時の間にか樹々が途切れ、ほんの少し開けた場所へと出ていたのでございやす。随分と走ったのにまだ森を抜けきらないことを不思議に思いながらも、男はその広場をまっすぐに突っ切ろうとしやした。けれど、ふと『それ』が目に留まったのでございやす」 「カリシアどきどきする、どきどきする!」 「それはどこにでもありそうな、ただの岩でございやした。両手で抱えられる大きさの、ただの岩っころでございやす。どうしてそれが気になったのか、男自身も解りやせん。男は休憩がてらに屈み込むと、しばらくその岩をじいっと眺めておりやした。けれどふと、何かを感じて後ろを振り向いたのでございやす。するとそこには――」 「あぁ、あぁ! 神よ、どうかこの男の口を今すぐお塞ぎくださ」 「堤燈を翳した色の白い女が、ぼんやりと立ち尽くしていたのでございやす」 口の端を引き上げ冷たい笑みを浮かべたイーに、灰人は喘ぐように呟き、呻いた。 「ああ、神よ……!」 「先ほどの灯りはこの女のものだったのでございやしょう――男はほっとすると同時に、無言で背後に立たれたことに、なんとも腸の縮み上がるような心地でございやした。男は必死に声を振り絞って女に話かけやした。けれど、女からは何の反応もございやしません」 「神よ、あなたは時として何と酷なことをなさるのでしょうか。何故イーさんにこのような性格をお与えになったのですか。生まれ育った環境に問題が……よもや前世からの因果とでもいうのでしょうか。だとすれば前世でもこのように人心を惑わし畏怖させる小噺を万民にきかせて廻る旅をしていたのでしょうか……吟遊詩人? いいえ、最早これは怪談詩人……おぉ、おお、なんと……なんと罪深い! イーさんは罪深い!! あぁ、神よ。彼を改心させるには今の私では力不足でしょうか。あぁ、あぁ……けれどどうか力をお貸しください。イーさんが自身の罪を認め、これまでの行いを悔い改め、改心できるよう、どうか救いをお与えください……!」 「――何とも無表情な、不気味な女でございやした。ただただ無言で、じいっと男のことを見詰めてくるのでございやす」 「ああ、私はなんと無力な存在なのでしょう!」 「ずるぅりと、何かを引き摺るような奇妙な音を響かせて、ゆぅっくりと女が近付いてきやした」 「ぅおぉお天に益します我らが神よジュゲムジュゲムエロイムエッサイムマカハンニャハラミッタ……」 「その瞬間。男は悪寒を感じ、咄嗟に立ち上がろうとしやした。けれど、腰が抜けて立ち上がれやせん」 「アーアーアー聞こえない!」 「おまえうるさい、うるさい!」 べっしりと響いた鈍い音と共に、灰人はその場に突っ伏した。 「男は声もなくがたがたと震え、それでも地面を這いずり逃げようとしやした。背後からは一歩、また一歩――何かを引き摺るような、低く、鈍い物音が――」 ウケケケケッと今にも奇怪な声をあげて笑い出しそうなその表情に、イーは更ににたぁと笑みを浮かべる。 張り裂けそうな胸を押さえながら、灰人は地面に這いつくばった体勢のまま活き活きとしたイーとカリシアを見上げた――その瞬間、灰人の表情がぎしりと固まった。 ――ずぅるり。 何かを引き摺るような、重く鈍い音がその耳を掠める。 「……」 灰人は呼吸すら忘れたように二人を――その背後を凝視していた。 ――ずる……ずるる……ずるぅり。 ひとつ、またひとつ。 黒い影が闇の中を蠢きはじめる。 ひくり、と頬の辺りが痙攣したように引き攣った。 「……ィー……」 ようやく、振り絞るように吐き出された灰人の声が、夜の闇にかすれて消える。 影っていた月がおちょくるように顔を出し、灰人の眼にイーの背後に立つ『それ』の姿を焼きつけようと照らし出す。 ――ぁ゛ァ…… その姿を眼にした瞬間。 その音を耳にした瞬間。 灰人の声にならぬ声が、ようやくまともな音と化して真夜中の墓場に響き渡った。 「……イぃぃ……っ……イーさんんんんんっっ!!!!」 「おや?」 灰人の視線が微妙に自分からずれていることに気付いたイーが視線を動かし、釣られたようにカリシアもまた顔をそちらへと向けた。 「「……あ」」 ――ヴァ゛あ゛ァ゛ァ!!!!!! 「でででっ出たあああああああああああああッ!!?」 腕を振り上げ襲い来るゾンビに絶叫し、灰人は十字架を翳した。 清く美しい光が辺りを包み込み、弾かれたようにゾンビが地面に這いつくばる。 叫び声に惹かれたようにゾンビたちは次々地面を割り溢れ出す。その只中へ、鋭い刃へと変化させた拳を振るいカリシアがまっすぐに突っ込んでいく。 「俺っちとしたことが、うっかり怪談噺に興じ過ぎでさぁ」 ぺっしりと額をひと打ちして、イーの翳した扇子の先でするすると蔓が伸びてゆく。 忽ち繁茂した蔓は襲い来るゾンビの足を次々捉え、縛り上げた。逃れたゾンビの鼻っ面をカリシアの重く鋭い拳が捉え、吹き飛ばす。そのままくるりとひと回転したカリシアは、忽ちに変化を遂げた鋭利な足先で牙剥くゾンビを蹴倒した。 その強烈な脚撃を喰らったゾンビは、勢いに引き摺られるようにざりざりと地を掻き灰人の眼の前に転がった。腹が裂かれ、赤黒くぐっちゃりと固まった肉が張り付いている。 灰人は一瞬緊張に身を引き攣らせるも、がっくりと力を失ったように動かぬゾンビにほっとしたように他の敵へと眼を向けた。 その瞬間――むくりと、真横のそれが起き上がる。 「……」 「……」 ぎぎっと軋む首が横を向く。 ほんの一瞬だけ、灰人はそれと見詰め合った。 「ヴァアアアアアアアアアアアッ」 「ゾ、ゾンビだぁあああああああっ!!?」 灰人が十字架を振り上げる。それより早く、ゾンビの口がかっぱりと開いた。 「っぎゃーっ咬まれたっ!」 わぁぁぁぁっと声を張り上げながら振り上げた十字架でがっつりとゾンビの脳天をクラッシュ。最早清浄の光など関係ない。 どびゅんっと世界記録保持者も驚きの猛ダッシュでイーの眼前へ肉迫する灰人。 「ぎゃーっ」 「おや灰人の旦那、今日は予想外にアクティブで吃驚しまさぁ」 「どどどどうしましょう齧られました私! これ感染します? 感染しますよね?? どうしよう!! おお、神よ!!!」 「ははぁ、いったい何の映画の話かは知りやせんが、そいつぁ偉く燃える展開でございやすねえ」 「おまえもゾンビ? ゾンビ?」 灰人の背目掛け超速の風が駆け抜ける。 ゾンビ=倒すの方程式でカリシアのものっそい蹴りが灰人の方へとすっとんできた。 「ぎゃぁあああああっまだ違いますぅうううっ」 「そっか。ごめんね、ごめんね」 風だけで吹っ飛ばされた灰人の傍ら、無論の如くイーは韋駄天走りでひょひょいと身がわしている。 「おっとっと……いやぁ、こわいこわい。大丈夫ですかい、灰人の旦那ー?」 「「「ヴァアアアアアアッ!!」」」 ――代返が来た。 本気で色々なものを巻き込んで薙ぎ倒された灰人をぺいっと放り、怒り狂ったゾンビたちがカリシア目掛け突っ込んでくる。 跳び箱の要領でぴょいぴょいとゾンビたちを飛びかわしながら、カリシアは不思議そうに首を傾げた。 「仇討ち、仇討ち!」 「どっちがですかい?」 目を細めて笑いながら、イーはからりころりと下駄を鳴らしきゅーっと伸びた灰人の元へと近づいてゆく。 「ほっ?」 不意にその足元の土を割り、ぼごんっと土気色をした手が生えた。 「っとと……おっとっと」 にょっきりと伸びた手がイーの足を捉える。急に足をつかまれてバランスを崩したイーは、けんけんぱをしながら右へ左へふらふらしている。 「楽しそう、カリシアも遊ぶ、遊ぶ!」 嬉々としてイーの元へ駆け寄るカリシア。 「いやいやあんさんこれは違いまさぁ……っと、おっとっと」 「おっとっと、おっとっと!」 両手放しできゃっきゃするカリシアに、軽快なリズムを刻んでけんけんぱするイー。 彼らの足元からは無数の手がにょきにょきと生え、何かを求めるように宙をにぎにぎしている――そんなシュールな光景を拝むのに最高のポジションで目を覚ました灰人は、青ざめた顔のままゆっくりと身体を起こし、目を細めた。 「……何してるんですか二人とも」 灰人はのろのろと起き上がると、二人を助け起こそうと手を伸ばした。 「さあ、掴まってください」 「ァー!」 声と共、ぐわしっと手を掴まれて灰人は思わず目を丸くした。 「どうしたんです、慌てるだなんてイーさんらしくもない……大丈夫ですよ、ちゃんと私が掘り起こしてあげますから」 「ヴァァアアアアアア!!」 「えええええ!? ちょ、イーさん!?」 灰人はおもむろにがっと掴まれて、勢いよく足を払われた。 「アーッ!?」 実に見事な大外刈りだ。 華麗に宙を舞い、ぼっすりと大地に突き刺された灰人をまったりと眺めながら、イーはどこか安堵したように吐息を零した。その傍らで、カリシアはぽかんとした表情を浮かべている。 呻きながら身じろいだところを見る限り、どうやら無事のようだ。 毎晩ゾンビたちが掘っては埋めを繰り返した土だ、きっと程よく柔らかいのだろう。 「……あぁ、何だ。本気でそっちの仲間入りしたのかと吃驚しやしたよ。おーい、俺っちはここですぜ、灰人の旦那ー!」 そっちの心配だった。 「うぅ……酷いじゃないですか、いつのまに大外刈りなんて覚えたんですか、イーさん」 「……じゃなくて俺っちはこっちですって、旦那ー」 「ゾンビ、眼鏡ない、眼鏡ない!」 「ゾンビ? あれ、本当だ。眼鏡がないですね……メガネメガネ」 「タースケテー♪」 「タースケテ、タスケーテ!」 眼鏡の見つからない灰人は、棒読みのイーと輪唱するカリシアの声に反応して視線を上げる。 ぴょんぴょんと楽しそうに跳ねる二人の姿を、彼はものすごくどすの利いた鋭い眼でぎぬろと睨み付けた。 「眼つきの悪い聖職者でございやすねぇ」 「悪役、悪役!」 「おや、イーさんとカリシアさんは其方でしたか。ええと……それではこちらの方は?」 灰人はのろのろと身を起こし、先ほど自身が手を差し伸べた相手をじっと見つめた。 一歩、また一歩と近づいてゆく―― うにょらうにょらと蠢くソレをを凝視した灰人は、卒倒しそうな勢いでゾンビの手をぱぁんと叩き落として雄叫んだ。 「手ぇええええええええっ!!?」 灰人は半泣きでおもっくそ十字架を振り回す。 一、二、三、四ヒット! 「ぎゃぁあああああっイーさんの手がぁあああああ!!!」 辺りはまばゆい光に包まれ、ゾンビたちが一気に退けられる。 灰人の周囲の手が駆逐された! 「ああっ、なんということでしょう。お二人の手がゾンビに……おお、神よ、どうかイーさんとカリシアさんに安らかな眠りを!」 祈るように十字架を握り締めてわなわなと打ち震える灰人を見つめながら、未だおっとっとダンス中の二人が愉快そうに笑っている。 「だから、俺っちたちはこっちですってば、灰人の旦那ー!」 「近眼、近眼!」 「あぁっ二人ともご無事でしたか。神のお導きに感謝を! ……メガネメガネ」 眼鏡を探しながら地面を這い彷徨う灰人。 その足を、何かがぐっと捉えた。 「はっ!」 瞬間的に何かを察した灰人の手がぐあしと二人の足を掴む。 「ちょ、ぇえええ!?」 「あちゃあー?」 「落ちる、落ちる!」 地面を失う感覚に襲われながら、三人はごっちゃりと絡まりながら土砂と共に落ちた。 「落とし穴……なんと巧妙な罠でしょう!」 「嵌ったのはあんさんでしょうに……」 「落とし穴、楽しい。もう一回、もう一回!」 大地の底から恐る恐る空を仰ぐ二人とわくわくと仰ぐ一人を、穴の淵からゾンビたちがそうっと見下ろしている。 ――シュールだ。 ものすごくシュールな映像だけに、彼らはあることを脳裏に思い浮かべ、内心恐々としていた――。 ぱらり。 「「「……」」」 ぱらぱらぱら。 「ああああああ」 「こ、これは……!」 「ぱらぱら、ぱらぱら!」 どっさーっ!!! 「わ゛ーーーッやっぱり!!?」 不意を突くように土が降ってきた。 めっさ大量に降ってきた。 どちゃどちゃと降り注ぐ土の間に間に空を見上げれば、えっちらおっちらと生き埋め作業に没頭するゾンビたちの姿が見て取れた。 「あっはっはっはっはっ」 「わー、わー!」 「生き埋めエンド!? ちょっとそんなのありですか!!? あぁっ神よ! 何ゆえこのような試練をお与えに!」 「そいつぁどうにも笑えやせんねぇ」 「埋まる、埋まる!」 三人は降り注ぐ土に、僅かに顔を顰めた。 仕方がない――イーがするりと手を空に向け、カリシアが身体を変化させようとした、その瞬間。 「おや……?」 「うん?」 不自然なほどに、しんと静まり返っていた。 自分たちの声、そして身じろぐ音だけが反響して、空へと昇っていく。 「土、降ってこない。あいつらいない、いない」 「いない?」 三人は顔を見合わせた。 イーの生やした植物の力を借りて順に穴を登ってゆく。 ぽっかりと地面に開いた穴から三人が這い出ると、既にそこにゾンビたちの姿はなかった。 ざらりとした白黒の粉が、風に乗って天へとのぼってゆく。 「あぁ……光によって、天へ召されたのですね」 「もう終わり? カリシアもっと遊びたかった、遊びたかった!」 「あーあ、すっかり朝になっちまいやしたねえ」 イーはそういうと、荒れ果てた墓地を見渡して僅かに瞳を伏した。 延々と続くなだらかな丘は幾つもの、幾つもの――誰とも知れぬ者たちの墓標によって、埋め尽くされている。 儚く、虚しい。 この世界そのものを象徴するような光景だった。 せめてもの手向けに――彼がそう零した途端。 張り詰めた空気は緩やかに解けて、目映く、煌びやかな花々が辺り一面を覆いつくした。 「ま、ちょちょいとこんなモンでさぁ」 白く、清らかな朝日が一面の花畑に降り注ぐ。 ふっと口の端を引き上げたイーに、灰人は微笑を零した。 「素敵なお花畑ですねえ」 「きれい、きれい!」 咲き乱れる花々を飛び回る蝶のように、カリシアはぴょんぴょんと嬉しそうに周囲を駆ける。 ――しかし。 彼らの穏やかなひと時は、そう長くは続かなかった。 「ゴルァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」 「ひっ」 「ほっ」 「はうっ」 唐突で強烈な怒声と共、筋骨隆々としたおっさんが猛烈な勢いで駆けてくる! 「てめえらぁっ墓泥棒かぁああ!」 その一言で、和やかムードは跡形もなく霧散した。 「ご、誤解です私達はゾンビ退治に!」 「ゾンビだぁ!? どこにいやがるってんだそんなモンが!!」 「いえ、ですから私達は」 「聞く耳持つか墓泥棒がぁあああああ!!!」 「おめさ朝っぱらからなぁに叫んでんだー?」 村人Aが現れた! 「墓泥棒ってホントだべかー!?」 村人Bが現れた! 「なすたんだー?」 村人Cが現れた! 「あいつら墓場泥棒だ、つかまえっぞー!」 「「「おぉー!」」」 「ちょ、ぇええええっ!!?」 「あちゃー面倒な事になりやしたねえ」 「逃げる、逃げる!」 「あぁっどうしてこんなことに……神よ!」 ぞろぞろと集まりだしたおっさんと村人たちに追われて、三人は一斉に駆け出した。 爽やかな花畑でおっさんたちと追いかけっこする三人を、朝日がまばゆく照らしていた――
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