【次の新月、故あり家宝を貰い受ける】 ブルーインブルーのとある海上都市を治める名家、ヒューリネン家に、この日突然上記のような予告状が届いた。 送り主の名は『怪盗R』……聞き覚えはないが怪盗と名乗る以上は盗みに長けているのだろう、そう考えられる。 勿論誰かの悪ふざけである可能性も考えられたが、この家には実際、家宝とされている大切な物があった。 人魚の落涙――そう呼ばれる一対の大粒のパライパ・トルマリンは元は航海の安全を守るフィギュアヘッドの一部だった。だが何代前かの当主がそれを手に入れ、それ以降大きなトラブルも起こらずに家が繁栄を続けていることから、現在はヒューリネン家の繁栄の象徴として手厚く保管されている。 パライバ・トルマリンとは蛍光塗料のような照りのあるブルーグリーンの色をした宝石であり、現在この海上都市付近ではほとんど採れないことから高値で取引されている。 加えてこの地方では『人魚の涙は不老長寿と子孫繁栄の鍵』という言い伝えがあり、それもこの宝石を高値にする一因となっている。 *-*-* ヘルウェンディ・ブルックリンと青海 要はある日、世界司書の紫上緋穂からヒューリネン家が護衛を探しているらしいとの話を聞いて、ブルーインブルーへと赴いた。予言されたのは『家宝を盗もうと怪盗がやってくること』であり、『人魚の落涙』の護衛を雇いたいヒューリネン家現当主の望みとも一致した。「『人魚の落涙』は普段は屋敷最奥の、窓も暖炉もない部屋に厳重に鍵をかけて保管している。鍵がなければ入ることは出来ない。だが怪盗というからには鍵を開けられる技を持っているかもしれない……だからお前さん達を雇ったというわけだ」 ヒューリネン家現当主アントン・ヒューリネンはヘルと要を前にして若干偉そうに――いや、本当に偉い人なのだが――告げた。執事補佐だという20代半ばの青年が大切に宝石を箱に入れ、しまう。後で元の部屋に持っていくそうだ。「その部屋にかけている鍵はいくつあって、誰が持っているの?」「かかっている9つの錠前はマスターキーを私が、スペアキーを執事が厳重に保管している。もっとも今は執事が身体を壊して療養中のため、補佐のこのカレヴィに管理を任せている」 ヘルの言葉にアントンが答えると、宝石の入った箱を持った執事補佐の青年、カレヴィが恭しく頭を下げた。「二人には屋敷への滞在を許可する。後ほど屋敷はカレヴィに案内させよう。一応父上にも挨拶させるように」 後半はカレヴィへの言葉だ。執事補佐は「かしこまりました」と頭を下げる。「父上って? 前の当主さんのことですか?」 礼儀正しく振る舞うべく猫をかぶった要の問いに答えたのはカレヴィ。「前当主のリクハルド様はご病気のため、アントン様に家督を譲られて静養中でございます。後でご案内いたしますので」 と、その時。一同の耳に入ってきたのは……「泣き声?」「赤ちゃんの泣き声みたいね」 ヘルと要が顔を見合わせると、ガタッとアントンが席を立った。「ヴィレニが泣いておる! 何かあったのかもしれん!」「落ち着いてくださいませ、旦那様。赤子が泣くのは普通のことで……」「うるさいっ! 跡取り息子に何かあったらどうするのだ!」 ばんっ! アントンは走りだすようにして扉を開けた。その向こうに立っていた6.7歳くらいの少女が突然開いた扉にビクッと身体を震わせたのが見える。「お、おとうさま、お話終わったの? サファイア、絵を……」「すまんな、サファイア。急いでいるんだ」「……」 サファイアと呼ばれた少女には目も向けずに、アントンは廊下を走っていく。子煩悩というか過保護というか……。 話を十分に聞いてもらえず残されたサファイアは、今にも泣き出しそうだ。「サファイアお嬢様」 カレヴィがサファイアの前に跪いて。「旦那様は急ぎのお仕事で……」「ちがうもん! ヴィレニがないてたからだもん!」 きっとこんなことは一度や二度ではないのだろう、取り繕うとしたカレヴィを振り切るようにして少女は廊下を駆けていってしまった。「あの子は?」「長女のサファイア様です。跡継ぎのヴィレニ様が数カ月前にお生まれになってから――いえ、ヴィレニ様が奥様のお腹に宿られてから、旦那様も奥様もヴィレに様にかかりきりで……サファイア様の世話は使用人に任せっきりなのでございます」「そんな……」 要とヘルはサファイアが駆けていった廊下を見つめた。小さな泣き声が今にも聞こえそうだった。 *-*-*「こちらがお部屋になります。あの……お二人ご一緒で本当によろしいのでしょうか?」 別々の部屋を用意すると言われたけれど、折角なので一緒の部屋にしてもらった。メイドのミルヤミという少女が不安そうに首を傾げる。「もしアントン様に何か言われたら、私達の希望だって言っちゃっていいから」「ミルヤミのせいじゃないわ」 そう言われてホッとしたのか「ありがとうございます」と彼女は深々と頭を下げた。「失礼致します」 と、開いたままだった扉をノックして声をかけてきたのはカレヴィ。「兄さん!」「ミルヤミ」 仕事中に素が出てしまった彼女を、カレヴィは軽くたしなめて。この二人は兄妹のようだ。そういえば荷物を運んでくれたフットマンの少年はミルヤミの弟だと言っていたから、三兄弟ということか。「サファイア様がお昼寝からお目覚めでお前を探している。大旦那様の元へと向かったようだから、お客様は私に任せていきなさい」「はい。それでは失礼致します、お客様」 丁寧にお辞儀をして、ミルヤミは部屋を出ていく。代わりにカレヴィが室内へと足を踏み入れた。「お茶をお出しする予定でしたが、大旦那様の調子がいいうちにご挨拶をお願いしたいと思い、お声かけに参りました。よろしいでしょうか」「ええ」「大丈夫よ」 二人は荷物をおいて立ち上がる。 案内された前当主リクハルドの部屋は、喧騒から離れた屋敷の一番奥の二階にあった。「ミルヤミ……?」 その入口の細く開いた扉の前でミルヤミが固まっている。近づいて耳をすませば、泣きじゃくる女の子の声が聞こえてきた。「おとうさまもおかあさまも……ヴィレニのことばっかり、で……サファイアのこと、わすれちゃったみたい……」「そんなことはないさ。ただ、今はちょっと夢見心地なだけだよ」 聞こえてきた優しい老人の声は、リクハルドのものか。「ヴィレニが来る前はね……おとうさまもおかあさまも、サファイアが一番大事な宝物だって……」「そうだよ。サファイアはこの家の宝だ」「……でもおじいちゃま、おとうさまとおかあさまは、サファイアのこと見てくれないの……」 わぁっと堰を切ったように泣き出すサファイア。ミルヤミもカレヴィもやるせない表情を浮かべ、唇をぎゅっとかみしめている。執事見習いとメイドという立場では、サファイアにしてやれることは限られているだろう。「おじいちゃまが何とかしてやるからな……」 慰めるような優しい声が、じんと響き渡った。 *-*-* 怪盗Rから予告のあった新月は明日の夜である。 ヘルと葵の二人は、見事に『宝石』を守りきれるのか――?=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ヘルウェンディ・ブルックリン(cxsh5984)青海 要(cfpv7865)
その日の夕食はブルーインブルーの海上都市を治める名家の夕食らしく、豪華な海鮮料理が所狭しと並んだ。 ぶつ切りにしてあっても一口には入らないような大きなエビのフリッターには特製タルタルソースをかけて。カツオに似た魚のカルパッチョにかかっているのはオイルなのにさっぱりしていて美味しい。サーモンとエビのマリネは酸味が癖になり、バジル風味白身魚と野菜の香味ソースは口の中でソースが広がって独特の味を作り出している。小さなココットに入ったシーフードグラタンはクリーミーでぺろりと平らげてしまえるほど。付け合せだったシラスと岩海苔のパスタは後引く美味しさだ。 可愛いデザートも二種類ついて、ヘルと要を喜ばせる。けれども二人には気にかかっていることがあって、食事中もちらちらとそちらに視線を向けることになった。 サファイア――二人の向かいに座るその少女は上手にナイフとフォークを使ってはいるが、なかなか食事が進まないようであった。時折父へとチラチラ視線を投げかけてはいるが、お抱えシェフの料理に舌鼓を打っているアントンがそれに気づいた様子はない。わざと気づかないふりをしているのかと最初は疑ったが、どうやらそうでもないらしかった。本当に気がついていないらしい。 「我が家のシェフの料理はいかがかな?」 「……おいしいです」 「……さすがヒューリネン家ね」 心の中で小さくため息を付いて、ある意味空気の読めていない当主の問いに答える要とヘル。執事補佐のカレヴィや給仕をしているミルヤミは、食の進まないサファイアのことが気になって仕方ないという感じなのに。ちなみに夫人はヴィレニの側を離れたくないということで別室で食事を摂っている。 怒ったらいいのか呆れたらいいのかわからない夕食の時間を終えた後、あてがわれた部屋に戻った二人は少しの間意見を交換しあい、しばらくしてカレヴィを呼んだ。 『人魚の落涙の警備について相談したいから部屋に来て』と。 *-*-* 「遅くなりまして申し訳ありません。お呼びでしょうか」 執事服に身を包んだカレヴィはピンと背筋を伸ばしたまま扉を開けたヘルと、奥にいる要を見つめる。その表情には何かを決意したような色が浮かんでいるように思えた。 「ここじゃなんだから、入って」 「それでは、失礼致します」 ヘルに促されて室内に足を踏み入れるも、彼は要の勧めた椅子に座るのは固辞した。あくまで自分は使用人だから、ということらしい。 「じゃあ、本題に入るけど」 「あたし達、考えたのよ」 ベッドに座ってスラリとした足を組むヘル。カレヴィに勧めたのとは別の椅子にまたがり、背もたれを抱くようにして座る要。 「警護方法ですね」 「「いいえ」」 「?」 揃って口にされた否定の言葉に、彼は目を見開いて首を傾げて。 「怪盗Rは【次の新月、故あり家宝を貰い受ける】と言った。『家宝』で有って『人魚の落涙』とは書いていないわ」 「ええ、そうですけれど……この家で家宝とされているのは人魚の落涙でして……他の宝石は家宝というほどでは」 「おかしいわね。もう一つ、あるじゃない」 要の指摘に視線を逸らして戸惑うような表情を見せるカレヴィ。ヘルはわざと演技っぽく、言葉を紡ぐ。 「サファイアが」 「!?」 美少女二人の鋭い視線を受けたカレヴィが身体を硬直させる。とぼけも否定もしないということは肯定なのだろうか。構わずにヘルは続ける。 「怪盗の予告は、跡取りに夢中で娘を顧みない当主夫婦を懲らしめるための狂言でしょう? 実行犯はスペアキーを持つカレヴィ、あなた」 責めるのではなく詩を朗詠するように、ヘルは言葉を編んだ。 「黒幕はリクハルド。サファイアの不遇を何とかしてやりたい祖父心はあれども病床の身では一人で全てを行うことは出来ない。きっと父親として息子夫婦への注意はもうとっくにしたんでしょう? けれども息子夫婦は聞き入れなかった」 「あそこまで親ばかになっていたら、注意されたら『ヴィレニが生まれて嬉しくないんですか!』とか何とかいいそう」 要の予想にヘルも同感だ。カレヴィはさすがに苦笑を隠せない。彼の立場的に主人をばかにするようなことは言えないだろうから仕方がない。 「怪盗Rの頭文字はリクハルドのR。安直だけどバレたらバレたでそれでもよかったんでしょう? そこまで考えていたったことが伝われば。あと、あなた達三兄弟はサファイアに同情的だしサファイアもなついてるでしょ。実行犯にはもってこい。立場上表立って進言してもあしらわれるだけだから、少しでも何かしてあげたかった。違う?」 「……」 カレヴィは唇を噛むようにして沈黙を護る。それが肯定を表していることに気づきながら。 「『宝石』はサファイア」 「予告状の家宝は人魚の落涙じゃなく、宝石と同じ名を持つ長女をさすのよ」 推理はこれで完成。要とヘルはじっとカレヴィを見つめた。 長いようで短い、短いようで長い沈黙が部屋を満たす。屋敷の外で夜行性の鳥が鳴いた。 「……それがお二人の出した答えですか」 下を向いて目を閉じた彼が声を絞り出す。要とヘルは顔を見合わせて頷いた。 「細かい推理はヘルちゃんよ」 「でも『宝石』がサファイアであることと、身内が犯人かもしれないって意見は一致したわ。だから二人の推理――答えよ」 「アントン様に全てを話されるのですね……」 ふう、とカレヴィが深い溜息をついた。慌ててヘルが口を開く。 「勘違いしないで、貴方達を糾弾したいんじゃないの。私達も計画に噛ませて欲しいの」 「そうよ。だって私、盗まれる前に盗んじゃえばいいと思っているもの」 「え……」 顔を上げた彼は、さっきとは打って変わって明るい表情をしている少女二人を視界に収めて、信じられないといった表情を見せた。彼としてはアントンに報告されて、咎めを受けると覚悟していたのだろう。 「他人事とは思えないしね」 「だから、リクハルドに会わせて。あとサファイアにも」 ウインクをしてみせたヘル。前当主も呼び捨てで堂々としている要。二人をかわりばんこに見つめて、カレヴィはひとつ息を吐いた。そして。 「かしこまりました。ご案内いたします」 この部屋に入ってきて初めて、彼は安堵したような笑みを見せたのだった。 *-*-* 「バレてしまったのなら仕方がない。賢いお嬢さん方に敬意を示そう」 就寝前の突然の訪問に嫌な顔ひとつせず、リクハルドは話を聞いてくれた。目を閉じたまま話を聞くその表情が読めなかったが、二人が推理の全てを話し終えた時、彼は目を開いてひとつ頷いたのだ。そして。 「ある意味これは我々にとって幸運だったのかもしれん。こちらから頼もう。サファイアのために協力をしてくれぬか」 「そんなの決まってるじゃない。ね?」 要とヘルは頷きあって。 「「もちろん!」」 明るくそう答えた。 目の端でカレヴィがほっと胸を撫で下ろすのと、リクハルドが好々爺とも言える笑顔を浮かべたのが見えた。 程なくして、ミルヤミに手を引かれたサファイアがリクハルドの寝室を訪れた。 風呂あがりなのだろう、ビンクのフリルの付いた可愛い上質なネグリジェに身を包んでいて、栗色の髪の毛は結っていない。 (可愛いネグリジェ……生まれてくる妹にもこんな感じのが似合うかしら) ヘルはふとそんな考えを浮かべて、そして自力で意識を引き戻す。その間に要がサファイアの隣にしゃがみ込み、視線の高さを合わせるようにして話しかけた。 「ねえサファイア、サファイアはこのお家や弟のこと、好き?」 「え……」 突然の問いに戸惑うようにサファイアは視線をリクハルドへと向けた。不安そうなその表情に、リクハルドは頷いてみせて。『正直に答えていいんだよ』と優しい声で告げた。 「おじいちゃま……」 サファイアは祖父から視線を移し、要の瞳をじっと見つめた。小さいながらも信頼出来るか品定めしているようなその視線に、要は真正面から答える。 両親を失っている要は家族関係に敏感だ。怪盗の正体よりもサファイアが寂しがっている方が気になっていたくらいなのである。だから自然、瞳にもそんな気持ちが出ているはずだ。 「サファイアは、おじいちゃま、すきよ」 そんな要の気持ちが伝わったのだろう、サファイアはぽそり、可愛い声で告げる。 「カレヴィも、ミルヤミも、テームもすきよ」 「お父さんとお母さんは?」 「……ほんとうはすきだけど、今のおとうさまとおかあさまはきらい」 「じゃあ、ヴィレニは?」 「……きらい。おとうさまとおかあさまをとっちゃったから、きらいよっ!!」 きゅっと握りしめた小さな手が震えている。大きな瞳に涙が溜まっている。 本当はサファイアだって嫌いだなんて言いたくないのだろう。家族みんな大好き、家族みんなで仲良く過ごしたいのだろう。けれどももう何ヶ月も――子供にとってはとても長い時間だ――そんな懐かしい日々は戻ってきていない。 ぽろり……一度こぼれ落ちた涙は止まることを知らず、サファイアのきめ細かい頬を伝い落ちる。声を上げるのを我慢して泣くその姿が胸を突く。この子はこうして一人でいつも泣いていたのだろうか。 「ねえサフィア」 ヘルはポケットから四つ折りにされた小さなハンドタオルを取り出し、腰をかがめてサファイアの涙を拭いてやる。姉が妹にするように、優しく、愛情こめて。 「貴女は両親が自分の事を忘れちゃったって哀しんでるのよね。だったら思い出させてやりましょ」 「そうよ。お姉ちゃん二人が協力してあげるから」 双子だが姉である要も、妹を見る思いでサファイアの頭を撫でてやって。 「あれは怪盗の予告状じゃない、誘拐犯の脅迫状。本当の目的はサフィァイアよ、って」 いたずらっぽく笑んだヘルと要の顔を交互に見て、サファイアは大きな瞳を更に大きく開いた。 涙はいつの間にか、止まっていた。 *-*-* 翌日の晩、ヘルと要は人魚の落涙のある部屋を警備するふりをしていた。アントンへのポーズである。 だが怪盗Rがその部屋を訪れるはずはなく、アントンは居間のソファでやきもきしたまま眠ってしまい――夜が明けて日が昇る。 「旦那様、大変です!」 ミルヤミが血相変えて居間に飛び込んできたことで、当主は目を覚ますことを余儀なくされた。 「何!? まさかっ、人魚の落涙が盗まれたのか!?」 「いいえ、人魚の落涙は無事よ。一晩中守っていたけれど、侵入者はなかったわ」 慌てて立ちあがるアントンに答えたのは部屋に足を踏み入れたヘル。ほわっと出てきたあくび。口元を開いた掌で隠して。 「さっきカレヴィに鍵を開けてもらって確認したけど、人魚の落涙は確かに部屋の中にあったわ」 「で、ではなんだと言うんだ」 アントンはミルヤミを睨みつける。睨みつけられた彼女は泣きそうな表情を作って告げた。 「サファイア様が、サファイア様がどこにも居らっしゃらないのですっ!」 「!?」 普段だったらそろそろミルヤミがサファイアを起こす時間だという。その彼女が部屋を訪れてみたら、ベッドで眠っているはずの少女の姿がないのだ。 「ベッドの上に、こんなものが……」 ミルヤミが差し出したのは、昨晩サファイアが着ていたネグリジェ。その胸元に乱雑に『R』の文字が書かれている。 「ど、どういうことだっ……怪盗Rは家宝の宝石を……宝石を……、……!?」 そこまで言って自分でなにか思い当たったのだろう、アントンの顔色がすっと消えて行く。 「まさか、そんな……最初から、サファイアを……? そんな、馬鹿な……」 漸く事態の大きさを把握したのだろう、アントンは頭に手を当てて、そして力なくソファに腰を下ろした。 「あなたっ!!」 と、そこに駆け込んできたのはヴィレニを抱いた夫人だ。カレヴィにサファイアが行方不明だと聞かされて、たまらず部屋を飛び出してきたのだという。 「サファイアが、あなた、サファイアがっ……」 「屋敷の中をテームと手分けして探しましたが、サファイア様のお姿はどこにも……」 カレヴィが沈痛な面持ちで首を振る。 「探せ、探すんだ! 庭に何か痕跡が残っているかもしれん。なんだったら兵士達を動かしてもいい!」 「ああ、サファイア……」 アントンが大きな声で命じ、夫人はその場に崩れ落ちる。 大声に驚いたヴィレニが泣いても、二人は悲痛な表情を浮かべて愛娘のことを思うだけだった。 「サファイア、見える? 聞こえる?」 「……うん」 要とサファイアは、身を隠していた。 アントンが怪盗Rを待ってやきもきしていたリビング。朝、アントンが眠っているうちにそっと、テーブルクロスの掛けられたテーブルの下に潜んだ。このテーブルクロスは事前にミルヤミが長いものに変えてくれていたから、潜んでいても見つかることはないだろう。第一アントンは怪盗Rの事で頭がいっぱいだし、夫人はめったに部屋から出てこない。 と、ミルヤミが駆け込んできてアントンを起こした。 「始まったわ。しっかり見ているのよ」 「……」 そっとテーブルクロスをめくってやって、要とサファイアは場の様子をうかがう。アントンが顔色を失ったのがよく見えた。 「……おとうさま……?」 驚いたように呟くサファイア。だがそれで終わりではない。夫人が駆け込んできてサファイアの名を呼び、崩れ落ちる。 「……おかあさま……?」 サファイアはその様子を不思議そうに、不思議そうに眺めている。これが本当に自分の父親と母親なのだろうか、そう思っているのかもしれない。それでけ、小さなサファイアの記憶は自分を見てくれない両親の姿でいっぱいなのだ。 「まだまだこれからよ。しっかり見ていて。おじいちゃまの出番よ」 要はサファイアの肩をしっかりと抱いた。 「何を慌てる必要がある」 威厳を持った声が混乱の場に響いた。入り口を振り向けば、そこには杖をついたリクハルドが立っている。 「お前達はサファイアに冷たく当たっていた。サファイアの育児を放棄していた。お前達はヴィレニだけいればいいのだろう? だったら好都合ではないか。サファイアは怪盗にくれてやれ」 演技だとわかっているヘル達が聞いてもきつい言葉。それを聞いたアントンと夫人は――。 「父上! いくら父上だとしても今の言葉は許せません! サファイアは私達の大切な娘です!」 「なら、サファイアが最近気に入っている遊びを知ってる? 気に入っている遊び場所は? 好きな洋服は?」 リクハルドに言い募るアントン。涙を流す夫人。二人に詰め寄るようにしてヘルが問う。 「それは……」 「……最近サファイアをかまってあげなかったから……何も、知らないわ……」 二人は自分達が最近の娘について全然知らないことに衝撃を受けているようだった。自覚がなかったのだろうか、周囲からため息が漏れる。 「どれだけサファイアが悲しんでいたか、お前達にわかるか? 自分は愛されていないと思ってどれだけ涙を流したか」 「愛されていないなんてそんなっ!」 リクハルドの言葉に夫人が涙声で叫ぶ。アントンがその肩を抱いた。ヘルは泣き続けているヴィレニを夫人から受け取り、あやして泣き止ませる。 「サファイアがいなくなったら、私達はどうしたら……」 「おとうさま、おかあさまっ!!」 「!?」 その時、テーブルの下から小さな身体が飛び出した。様子を見ていたサファイアがたまりかねて飛び出したのだ。夫妻は目を白黒させつつも、駆けてきた愛娘を抱き止める。 「サファイアっ!」 「無事で……」 テーブルの下から這い出してきた要はヘルの側に寄り、小さく片手同士を打ち合わせて微笑んだ。 *-*-* 「心配かけてごめんなさい」 「隠れたのはゴメンなさい。でも……サファイアの気持ちも解って欲しいの!」 「この子の気持ちに気づいてほしかったの」 真相を明かして交互に謝るヘルと要。 ヴィレニは夫人の腕の中に戻り、そんな夫人とアントンの間に座ったサファイアは嬉しそうだ。 「どっちがじゃなくて、どっちも貴方達の大切な子供でしょ? 思い出して、サファイアが生まれた時も今みたいに嬉しかったでしょ?」 「……ああ」 ヘルの訴えにアントンは遠い日を思い出すような目をしてサファイアの頭を撫でる。するとサファイアは嬉しそうに、何日かぶりの笑顔を浮かべた。 「サファイアだって、本当はヴィレニ君が嫌いな訳じゃない……逆に大好きだろうし……でも、全然構ってくれないんじゃサファイアが可哀相よ! サファイアもお父さん達に自分の気持ちを言って?」 「……おとうさまもおかあさまも、ヴィレニも……みんなだいすきよ。だから、すこしでいいからサファイアのこともすきになって」 「……!」 あまりの健気な言葉に夫妻は愛娘を抱きしめる。祖父は満足気に微笑み、三兄弟は感激の涙を隠すようにしていた。 *-*-* 「サファイア」 見送りに出てくれた彼女に、ヘルは視線をあわせて語りかける。 「お姉ちゃんになったらガマンしなきゃいけない事いっぱいあるの。でも貴女ならきっと乗り越えられる。支えてくれる周りの人、なにより大好きなパパとママがいるんだもの」 ヘルは軽くウインクしてみせて。 「それにね、弟に『おねえちゃん』って呼ばれるのはまんざら悪くもないのよ」 お姉ちやんは楽じゃないけど、いいこともたくさんあるの――ヘルと要は顔を見合わせて笑った。 了
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