オープニング

 世界司書リベル・セヴァンの説明を受け、一行はインヤンガイへ赴く事になった。
「新たな暴霊が出現しました。インヤンガイの探偵『リュウ』に会い、説明を受けた上で彼に助力して下さい。暴霊は既に多くの人間を無差別に手に掛けているようですから、まず話が通じる相手ではありません。早急な解決を期待します」

 朝。梅雨を先取りしたような悪天候に晒されるインヤンガイの街並みは雨にけぶり、まだ日が高いにも関わらずすっかりと闇に沈んでいる。小路にひしめきあう店には軒並み活気が無く、肩を丸めた老若男女が足早に通り過ぎていく。そんな光景を横手に進むうちに視界が開け、一転してがらんどうの空間に抜けた。古びた街灯がぽつぽつと点在するだけの広場の隅に、長身痩躯の男がただ一人佇む。
「よう、来たな」
 ゆっくりと振り向く男の出で立ちは、頭のてっぺんから足の爪先までが情報通りの黒ずくめだった。雨避けなのだろうか、深く被られたフードが邪魔をしてその顔立ちは伺えぬものの、不健康に荒れた唇が苦笑に歪む。
「探偵のリュウだ。……今朝方までは晴れてたんだがなあ。急に降りやがってこのザマだ。ま、長話にはならねぇからここで頼むぜ」
 嘆息混じりに呟いたリュウは、ぐっしょりと水を吸ったローブを掌で搾りながらに語り出す。
「ファヤンの方にどでかい屋敷があってだな。あんた等にゃ、そこに巣くう暴霊退治に協力して欲しい」

 インヤンガイ北部に位置するファヤン区域内には、いつからか巨大な屋敷が存在する。昼夜を問わず猥雑な喧噪に包まれる歓楽街からは遠く離れた、ちょうど小さなバラックが無数に存在する区域に、その邸宅は降って湧いたように建設され、近年まで奇特な富豪が居住していたという。そして、件の人物が没した後に不可解な現象が起こり始めた。

「出て来ねぇんだってよ」
 リュウは濡れた手で懐を探り、調査資料と思しき紙を取り出す。水を吸って湿気ったざら紙の端を一枚一枚捲りながら、
「金持ちが住んでた家がガラ空きになりゃ、ここらの治安の悪さからすると言わずもがなだろうが当然盗人が入る。問題はその盗人が中に入ったきり、とんと出て来ねぇことだ。もちろん一人二人じゃねえぞ」
 語る最中にも捲り続けていた指先がふと止まる。探偵は紙と紙の隙間からよれた写真を抜き取り、おもむろにこちらに差し出した。
 写されているのは白く瀟洒な洋館だった。貧民街と言っても過言では無いファヤンでは、敷地の広さも相成って悪目立ちするであろう建物の造り。
 見入っていると、探偵はまた一枚、更にまた一枚と新たな写真を突き出して来る。被写体が鮮明なのは外観を収めた初めの一枚だけで、他はどれもこれも薄暗く、総じて手ぶれが目立つ。堅牢な正門を抜けた向こう側の庭園。シャンデリアを備えた大広間。そして――部屋中をぐるりと取り囲む、ゆうに30を超えるであろう大きな鏡達。鏡の中には、カメラを構えて満面の笑みを浮かべる若い男の姿も映り込んでいる。
「俺の相方探偵のシンだ」
 ぼやくリュウの声はどこか堅い。
「とにかく鏡だらけだろ? どうやらそいつに取り憑いて悪さをしてる。暴霊自体は一体で、核の鏡も一つのようだが、そいつは対象物が鏡でさえありゃ操る事が出来るみてぇだ。……それと、シンがこう言っていた。『屋敷の中には鏡が多く飾られていた。中でも奥の間は桁外れだった。シャッターを切った瞬間ガラスの破片が飛んで来たから慌てて逃げたが、後々写真を見てみると鏡の中で俺が笑っていた。けれど、俺はそんな顔をして撮影した覚えはない』」
 雨脚が少しずつ遠退き始める。鉛色の空を仰ぐようにして、
「相手は鏡だから、映り込んだ人間の姿を使ったりなんだりも出来るのかもしれねえ。用心するしかねぇだろうな。……裏見てみろ」
 遊ぶようにくるりと回る指に釣られて写真を引っ繰り返すと、走り書きがされている事に気付いた。黒のペンで描かれた屋敷の地図と、道標のように引っ張られた赤い矢印。赤で示された方向は入り口から見てほぼ直進。
「見ての通り、入ったら一直線に『奥の間』を目指せ。シンが撮影したその部屋のどこかに、恐らく暴霊憑きの核の鏡がある。数が多くて探し出すにも一苦労だろうが、単純に全部割っちまうのが手っ取り早いと思うぜ。まあ他に核を見付け出す上手い方法があればいいんだが、生憎浮かばなくてな。オレは現場に案内した後は外で待機しか出来ねぇから、宜しく頼む」
 そこまで紡いでようやく一息吐くと、探偵はやにわにフードを掴んで脱ぎ捨てた。白茶けた短髪が露になる。長い前髪の向こう側から旅人達を真っ直ぐに見据え、
「で、だ。最後に、これは至極個人的なお願いになっちまうんだけどよ」
 言葉に迷うような間があり、眉間にクッと皺が刻まれる。
「もしも、もしもな。敷地内でシンを見付けたら連れてきてくれねぇか。……いっぺん運良く外に出れたせいか、俺が暴霊を突き止めるって躍起になっちまってそれっきりなんだ。正直、中のどっかで死体になってる可能性のが高いとは思うが」
 探偵は視線を彷徨わせ、それから静かに頭を垂れる。
「……それでも構わねぇ。どうか宜しく頼む」
 顔を上げようとしない。暫くそのまま、動かない。

品目シナリオ 管理番号1268
クリエイターthink(wpep3459)
クリエイターコメントはじめましてthinkです。どきどきの初シナリオになります、宜しくお願いします。
探偵からの依頼が付いていますがおまけです。基本的に戦闘主体のシリアスベースシナリオです。
核となる鏡(つまり暴霊)は『奥の間』のどこかに存在します。ただし核は鏡を操れるので倒すまでは他の鏡も含め全て敵になります。
いきなり割れたり、ガラスの欠片が飛んできたり、嫌なものが映ったりする可能性があります。
リュウは片っ端から割るのが良いと言っていますが、攻撃を躱しながら一枚一枚潰していく戦法は時間的にも体力的にも厳しいかもしれません。
一気に数枚破壊出来る能力を持つような方以外にはおすすめ出来ない荒技です。ただし危険承知の捨て身でチャレンジするのはそれはそれであり。

『奥の間』
小ホール程度の広さを持つ部屋。部屋中に30を超す大きな鏡群。さながら遊園地のミラーハウス。右を見ても左を見ても鏡。天井も床も鏡。

核の場所及び探索ヒント:
・見付けられてしまえば一貫の終わりにつき目立ちたくない。
・自分が傷付かないように必死。つまり傷付けられそうになると……?

探偵リュウはPCが屋敷から出るまで外待機となりますのでほぼ空気のような存在になります。
また、初シナリオにつき作製日数は最長にさせて頂いています。あらかじめご了承下さい。
プレイングには探索や戦闘について多めに書いて頂けると嬉しいです。それでは、楽しみにお待ちしています。

参加者
マリアベル(chum3316)ツーリスト 女 13歳 トレジャーハンター
相沢 優(ctcn6216)コンダクター 男 17歳 大学生
古城 蒔也(crhn3859)ツーリスト 男 28歳 壊し屋

ノベル

「見えて来たな」
 広場を離れて早数分。ファヤン区域に突入した一行は、リュウの呟きに前方を見据える。
 発達した暗雲が立ち篭める空を背負い、突如として巨大な洋館が立ちはだかる。四者は示し合わせた訳でも無く歩を留め置き、感嘆の息を吐いた。
「こりゃまた、随分ぶっ壊し甲斐ありげなナイスお屋敷様じゃねーか」
 口笛を吹く古城 蒔也に、マリアベルの長いウサギ耳の先が萎れる。がすぐにピンと跳ねさせ、口をへの字にして仰ぎ、
「こら、いきなりぶっ壊す方向で行くのは御法度だって。探偵さんの探し人の事を忘れちゃ駄目なんだからね!」
「ッハハハ! 冗談だっての、ジョーダン!」
 小さな少女の耳に叩かれそうになりつつも、古城は全く悪びれる素振りを見せず豪快な笑い声を立てる。探偵は、その傍で集う面子を見渡して頬を掻いた。
「つくづく悪ぃなあ、動き辛ぇ感じにしちまって」
「いやぁ、いいんですよ」
 これでも頼み事は無下に断んなって教育されてんだぜェ、だの、とりあえず彼の痕跡を探そう、だのとまるで噛み合わぬ応酬を交わす二人を尻目に、それまで沈黙を決め込んでいた相沢 優がそっとフォローをなす。
「相談するまでもなくシンさんを探す方向ですから。大丈夫。見付かります。――だよな、二人とも?」
 頑として言い切ると、相沢は首を巡らせるようにして仲間の様子を確認する。先に反応したのはマリアベルで、古城に向けていた呆れ顔を戻すなり力強く頷いた。
「もちろんだよ! でね、ちょっと考えたんだけど」
 腕を組み、小さな胸を張るようにして鼻を鳴らすさまは自信に満ち溢れている。
「この門を抜けたらさぁ、とりあえずシンさんの足跡を気にして歩こう? ボクの耳で足音がしないかどうかも気にしてはみるけど」
 相沢は自分よりも小柄な少女を見下ろして頷き、
「そうだな。それで運良く見付けられれば一緒に行動して貰う形で護衛するか」
 同調した瞬間、古城がニヤけ面を戻して肩を竦めてみせる。
「まぁまぁ、あんま考え過ぎてもアレだからよ、何はともあれ行かねェか? あ、シン探索についちゃそんな感じで賛成。お任せ」
「……相沢さん、古城さんからは目を離さないようにしようね。なんとなく」
 マリアベルの瞳が据わった。対する相沢はあくまでも軽い笑い声を立て、年下の少女の頭を撫でた。
「ああ。ま、上手く行くだろ」
 以前も冒険を共にした事があるからだろうか。マリアベルに対する相沢の構えには余裕があり、妹を宥める兄さながらのムードが漂っている。
 そんな両者の様子を古城は面白そうに眺めていたが、門扉に向き直るなり、鍵のイかれた格子をぞんざいに蹴り開いた。
「さぁて、冒険の始まり始まりぃ」


 軋んだ音を立てて開いた扉の向こう側には、広大な中庭が広がっていた。勇ましくも先頭に立とうとするマリアベルを相沢が押し止め、スィと前に出る。少女は途端に唇を尖らせ、不満げに拳を握る。
「気を遣ってくれなくても平気なんだけどなぁ」
「違う違う。だいぶ暗いからな、灯りが無いと不便だろ? タイム、出て来い」
 呟いた瞬間、相沢のパスホルダーがぷるぷると震え始め、間も無くポンッと音を立てて小動物が出現した。タイムことフォックスフォームのセクタンは嬉しげに弾み、眩い炎を纏う身体を主人の肩に添わせる。周囲の闇が後退し、先程よりも随分と視界が明瞭になる。
「古城さんは最後尾で問題ないですか?」
 途端におー、と返る反応。見えはしないが手も挙がった気配だ。
「無ェ無ェ。背後は任せてくれってな」
「……ねぇ、二人とも」
 と、そこで間に挟まれたマリアベルが声を上げた。ゆっくりと前へ進んでいた三者の動きが止まり、視線が少女に集中する。相沢が首を傾げる。
「どうした?」
「これこれ、これ見て。これってボク達の足跡じゃないよね。なのに、まだ新しい」
 眉を顰めた少女の指が示す先――モダンな石畳の敷かれた地面には、文字通り足跡が残っていた。それは細道の上にスタンプを押したように点々と、後に辿り着くであろう屋敷の方角へと伸びている。
「あ、マジかよ。早ェなもう見付けたのか。やるじゃねェかマリアベルちゃん」
 古城がピュウと口笛を吹く。
「ふふん。ま、当然だよね」
 分かりやすく胸を張るマリアベル。古城は足早に距離を詰め、痕跡を見下ろす。相沢の肩に乗っていたタイムがひょっこりと首を伸ばすと、足下が赤く照らし出され、先の雨で出来たらしい足跡が一層くっきりと浮かび上がった。長身の男は首を傾げ、比較するように脚を伸ばす。
「成人男性の足跡で違いねェな」
 たちまちマリアベルのポーズが崩れ、神妙な響きが続く。
「シンさんのかなぁ? ってことは、やっぱりここに戻って来ちゃったんだ」
「マリアベル、音はどうだ?」
「あ、うん」
 相沢が問うと、少女の長い耳がピンと伸びた。ぐるりと四方を見渡す動きに合わせて、赤茶色の両耳は小刻みに揺れながらしきりに向きを変え、物音を拾おうとする。
「うーん」
「どうだ?」
「だめ、何も聞こえない。多分ここにはボク達以外の人間はいないみた――」
「おーい! シーンー!!」
「!?」
 消沈したマリアベルの声を突如として遮ったでかい絶叫が、大気を揺らす勢いでこだまする。二人が驚愕に顔を上げると、古城がまた深く息を吸い込んだ所だ。
「おー……! むぐっ」
「ちょ、ちょっと古城さん! いきなりどうしたんですか!」
 尚も叫ぼうとする古城の口を、相沢が迅速に塞ぐ。声を封じられた男は目を白黒とさせ、溜息混じりに手を押しのけるなり陽気に肩を竦めた。
「なに、ここらに居るとすりゃ静かに聞き耳立ててるよりこうしちまった方が早ェんじゃねェかと思って」
「そりゃ、そうかもしれないですけど……」
「びっくりするよ!」
 マリアベルも喚き声を上げる。中でも一番ビビったらしいタイムは、ずり落ちた体で飼い主の肩にしがみつき直し、ぷくっと体を膨らませた。まるで文句だ。古城はそんな非難などどこ吹く風でニッと笑うと、一転して真摯な面持ちになって廃れた中庭を見渡す。
「でもまあ、生憎マジで居ねェみてェだな」
「……うん。音も、やっぱり相変わらず変化無しだ」
「ってことは」
 一同の息が揃う。屋敷扉を射貫く。
「中、か。無事だといいけどな」
 四角張った相沢の横を、マリアベルの小柄な身体がするりと抜ける。
「――足跡を辿ろう」
 そうして背後を振り向き、顎をしゃくるようにして促す。
「相沢さん。タイムは足跡を中心に照らして貰うようにしてもいいかな? 見失いたくないんだ」
「ああ、いいぜ」
 頷くなり、肩を滑り降りたタイムが相沢の手の甲でランプのようになる。その腕を掲げ、青年はまっすぐに道の先を見た。
「少し急ぐか?」
 相沢の呟きに声が返るより早く、横の二人はトッと地を蹴り勢いよく駆け出す。相沢も遅れ走り出すと、周囲の景色はぐんぐんと流れて暗色の線と化した。全力疾走の末に一番早く階段を駈け上がったのは古城で、さして息を切らす事も無く扉を押し開く。
「一番乗りィ!」
 壊れそうな勢いで蝶番が軋み、ギギィと鳴いた。速度を緩めることなく突っ込む古城の後に、マリアベルと相沢が続く。間もなく扉が閉じてしまうと、暗い屋敷の中は閉塞感に満ち溢れた。心なし寒気を覚えるような禍々しい空気も漂っている。マリアベルは速度を緩めて灯り役の相沢を先に行かせ、盛んに周りを見渡しながら、聴覚に意識を集中させる。
「やっぱり、何も聞こえない。誰もいない」
「足跡はまだあるな」
 駆け足のまま、相沢が床を指す。
「この分だと奥の間まで続いてそ……っ!」
 その時。余所見をした相沢の身体が古城の背中にぶつかり、バランスを崩した。数歩よろめいた後で改めて前を見ると、なぜだか古城が道の半ばで立ち止まっている。相沢は片眉を上げ、
「古城さん?」
「……鏡だらけってのはこの事か」
 古城は興味深げに呟き、肩越しに振り向いた。訝しげに首を傾げる相沢とマリアベルに見えるように、脇にずれて口端を歪める。
「見てみろよ。美しい廊下だなァ、全くなんだってこんなに蒐集したのかね」
 促しに合わせて二人が目を凝らす。すると、丁度古城の立ち位置の先から、廊下の両端に規則正しく連なる何かがキラリと光った――鏡だ。壁に嵌め込まれるようにした巨大な姿見は、途切れることなく奥の扉まで続いている。
「うわ」
 突飛な声を上げたのは相沢だ。光り続けるタイムを乗せた手を高く掲げると、道の端のみならず、灯火に照らし出された天井にまで鏡が埋められているのが分かったのだ。空を仰いだ相沢は、そこで目と口を丸く広げた自分の顔と視線が合う。慌てて首を戻し、寒気を覚えたように二の腕を擦る。
「こ、この地点でありすぎだな。屋敷の持ち主の頭が心配になるな」
「ほんとにね。何を考えて集めたんだろう。……変なものは映ってない? 大丈夫?」
「おう、まだ見えねェな」
 飾られた鏡を横目で気にしつつ、歩みを再開する三人の歩調はいよいよ慎重になり始める。じりじりと迫る重厚な扉を見据え、誰かが息を詰めた。
「あれだな。開けて良いか? いいよなァ?」
 意気込みも露に呟いた古城の背後で、マリアベルが自らのトラベルギアである魔銃――キャロットガンナーを抜いた。相沢も腰の鞘に手を添え、すらりと刀身を引き抜く。
「危なくなったらすぐパスホルダーに戻れよ、タイム」
 相沢がセクタンに一声掛ける。
「……よし、開けて良いよ古城さん」
 タイミングを図り、緊迫に満ちた声でマリアベルが続ける。
「あとね、うずうずしてるんだろうけど、一人で突っ走りすぎないでボク達を頼ってよね!」
「おうおうもちろんだ」
 あっけらかんと返す古城も、二丁のサブマシンガンを揚々と引き抜く。鎖で繋がったグリップを右手と左手で握り持ち、その寸前愛用のMP3プレーヤーを慣れた手付きで弄った。ヘッドフォンから流れる曲がロックからクラシックへと切り替わる。
 相沢が静かに呟いた。
「マリアベルは知ってるだろうが、俺は防御には自信があるからその点は任せてくれよ。……行きましょうか」
 古城とマリアベルが同時に頷く。扉目掛けて踏み込むと、右後ろにマリアベル、左後ろに相沢が位置する形で背後を固めた。古城は得物を握り直し、深く大きく息を吸い、
「ッおらァ!」
 肩から突っ込む姿勢で、体当たりをかました。観音開きの扉は勢い大きく開かれ――転がり出るようになった古城の視界に、突如として蹲る男の姿が飛び込んだ。目を剥く。
「っ、シンか!?」
 だが、刹那、風が唸る。
「古城さん!」
 相沢が声を張って飛び出す。古城を無理矢理押し退けるように腕を振るい、正面から押し寄せる鏡をブロックする。淡い光を放つ刀身を身前に渡し、展開する形無い防御壁が、鋭い破片を次々と弾き返して行く。
「紛い物です! っシンじゃない!」
 見れば、今しがた蹲っていた筈の男の姿は忽然と消え去っていた。その位置には凪いだ一枚の鏡がある。
「っ初っ端から騙すたァ上等じゃねェか!」
 激しく転倒した古城は青筋を立ててガバッと起き上がった。マリアベルは相沢の防御壁の内側へ収まるように身を縮めながら、まさにミラーハウスと呼んで差し支えない室内のさまを観察する。右を見ても、左を見ても、床を見ても天井を見ても鏡張りの部屋。息を呑んで魔銃を握り、
「これはもう片っ端から打ち込んでいくしかないか……な!」
 力強く引き金を絞った。照準を定めた右端の壁へ、まずは一発。ウサギを模した白い銃口が跳ね上がり、放たれた魔弾は鏡の中心を的確に打ち抜き、無様にひび割れた硝子の奥から瞬く間に植物の蔓が生まれる。間を置かず、左端へもう一発。こちらもやはり鏡がひび割れた後で、生える蔓がしゅるしゅると伸び、床を這うように発達して行く。それまでひっきりなしに相沢へ注いでいた攻撃がピタリと止み、入れ違いにヒュンと降る一撃がマリアベルを襲うが、軽快にステップを踏んで躱す。拳銃をくるりと持ち直し、少女は目を細める。
「今の場所ではないのかな。早くボクの植物を怖がって姿を現わしてよ、隠れたって無駄なんだから!」
 勝ち気な呟きに煽られたとばかり、再びマリアベルを狙って鋭利な破片が飛来する。少女はみたび地を蹴ろうとするが、身を翻す相沢が剣を払うのが早い。
「キリがないな!」
「ありがとう相沢さん!」
 歯を食い縛った相沢の背後で後ずさると、マリアベルの肩が屈強な筋肉にぶつかる。見れば丁度古城が腕を振りかぶったところだ。前方で繰り広げられる攻防を気にしつつも、矢継ぎ早に問い掛ける。
「なにしてるの! もしかして見付けた!?」
「いやァ違ェよ、まだ探してる! 小石を投げてこう、こうやって」
 言いながら、照準を定めるように目を細めた古城が腰を捻る。ブンッ、と風が鳴き、掌から放たれた豪速球はたちまち真横の鏡にぶち当たり、やはりそこで仕返しのように破片が飛ぶのだが、素早く横に動く相沢の剣がたちどころに凶器を跳ね返して行く。
「ナイス相沢ァ!」
 叫びざまに古城は懐に手を突っ込み、またも小さな小石を抜いて切れた先を続ける。
「ぶつけて地味~に探してんだが、なかなかな! 床ってことはねーよなァ、さっきから踏みまくってるしよ!」
「この辺りの鏡でも無いですね、もうだいぶ割れてる。見たところ隠れているような小さな鏡も無いな」
 息を乱した相沢が一息吐き、割れた鏡で荒れ果てた光景へ慎重に目を凝らす。その間にもマリアベルの蔓は驚異的な成長を続け、室内の鏡という鏡に纏わり付いて敵の本体を探している。気紛れのように放たれる鏡の一撃を的確に避けながら、少女は小さく唸った。
「くっそー、じゃあめげずにもう一発!」
「あ」
 マリアベルの意気込みと、間延びした古城の声が唐突に重なる。少女がきょとんと目を丸めた隙に、上背のある男は頭上を仰ぎ、
「天井」
「え?」
「天井じゃねェか、目につきにくいのは!」
 言うが早く、またも投球フォームを取った古城の掌から弾丸のように小石が飛んだ。しかしそれが鏡張りの天井を叩く寸前で、ザァッと何かがざわめくような不穏な音が室内を満たす。いち早く音を察したマリアベルの耳先が震え、殺気を読んだ相沢が剣を構えて地を蹴り立てる。
「っ、来るぞ! みんな、俺の後ろに隠れ……!」
 注意を喚起した相沢の叫びを遮って飛来したのは、アイスピックのように尖った破片の山だ。今までとは比べものにならない数のそれは四方八方から怒濤の勢いで迫り、防御壁だけでは受け止められない分を辛うじて植物が防ぐ。最後尾で暢気に口笛を吹いた古城が、すかさず声を張る。
「ビンゴォ! 天井だ!」
「ッ盲点だったよ! でもそこって分かったなら」
 轟音がとどろく中で笑みを逃がしたマリアベルが、白い銃口を空へ向ける。
「――あとは攻めるだけだよね!」
「ああ! もう壊してイイよなァ! さっきっから、いい加減、」
 大きく息を吸い込んだ古城が、目を爛々と輝かせてサブマシンガンを構える。
「我慢の限界なんだよ!!」
 獰猛な咆吼が響き渡った直後、図らずも同時に引き金を絞った二人の銃口から一直線に弾が飛んだ。連続で打ち込まれる魔弾が被弾した先から蔓が生まれ、縦横無尽に天井を這い進んでは絡み付く。少女が立ち位置を転じながら魔力を篭め直す間にも、古城のサブマシンガンは踊るように弾を放ち続け、右手と左手が互い違いに忙しく跳ねる。爆音は止まない。
「おらおらおらおらァ!!」
「っ凄いな」
 立て続けに粉砕され、頭上から降り注ぐ鏡の破片を驚異的な速度で薙ぎながら、感嘆の音を上げた相沢が古城を見た。防御の構えなど微塵も取らずに暴れ続ける男の顔は、水を得た魚のように活き活きとしている。ふっと目元を弛め、
「俺もしっかり護らないとな!」
 なめらかに刀身を旋回させた相沢は、数多の銃弾を受け止めて深い亀裂が走り始めた一角を射る。ヒュンと注ぐ破片のタイミングを図り、明確な狙いを持って力強く打ち返す。
「っ行け!!」
 剣が空を割り、闇を照らし出す眩い光が真っ直ぐに頭上へ突き刺さり――裂け目の中へ吸い込まれた途端、女の金切り声にも似た大音響が鳴り響いた。攻撃に耐えかねて真っ二つに割れた巨大な鏡はあっという間に床へ突き刺さり、重く激しい振動を呼ぶ。
「やったぁ! ……って」
 思わず小さな身体を跳ねさせ、ガッツポーズを取ったマリアベルがつんのめり掛ける。地面が傾いたのだ。慌てて耳を澄ませば、ズズ、ズズズと何かが迫るような重低音が室内を満たし、穴の空いた天井が、部屋中が危うげに揺れ始める。
「何!? も、もしかして崩れる!?」
「おーおーちょっとやり過ぎちまったみてェだな!」
「悠長に構えてる場合じゃないですよ古城さん……!」
 突如として発生する横揺れの重力に翻弄されつつも、三人は一目散に外を目指す。が、途中でぴくりと長い耳を跳ねさせたマリアベルが目を剥き、弾かれたように顧みた。その首根っこを、古城がむんずと掴んで引こうとする。
「止まってんなよマリアベルちゃん!」
「痛いいたた! だ、だって何か音が! 音、……あっ!」
 両手であわあわと宙を掻くようにして馬鹿力に拮抗するマリアベルの耳がまた震える。忙しく顔を巡らせた後、硝子の粒子で煌めく地面を射貫いて指を指す。
「そこ! そこに人、人がいる!」
「人ォ!? な訳ねェだろ! どうせ魔法の鏡の悪足掻きじゃ」
「いや、居る!」
 間に割り込むように吠えた相沢が、抜き身の剣を翻して室内へ飛んだ。呆気に取られた古城が瞬いた隙に、腕を振り払ったマリアベルも後に続く。身を斬る破片の中で蹲る男の身体を抱え、揺り起こしに掛かるが反応はまるで無い。
「シンさん、か……?」
「っとりあえず連れてこう相沢さん、時間が無いから!」
「あ、ああ!」
 縦揺れの酷い空間の中で、一人の男を担いだ二人はよろめきつつも疾走する。背後からはぞっとするような地鳴りが差し迫り、遂に地面が裂け、無数の亀裂が足下を脅かす。
「相沢! マリアベルちゃん! 急げ!!」
 扉の前で待ち構えていた古城が腕を伸ばす。必死の表情で駆ける仲間を今にも呑み込もうとする大地に舌を打ち――手首を掴むと、渾身の力で引いた。
 途端、ひときわ大きな異音が鳴り響き、一瞬のあっけなさで床が抜ける。
 巨大な亀裂に様々な物が雪崩れ込み――濛々と立ち上る粉塵が、狭い空間を瞬く間に覆い隠した。



「凄え音がしたからな。正直駄目かと思ってたんだが」
 無事脱出した一行を出迎えたリュウは、空を仰いだ。息の詰まるような暗雲は、嘘のように消え去っている。雨も上がり、日が傾き駆けた空には赤と紫の美しいグラデーションが果てなく続く。
「上手く行ったんだな。流石だぜ」
「いやいや、それほどでも」
 照れくさげに頭を掻いた相沢は腰が低い。
「まぁ、ボクの手に掛かれば当たり前だよね!」
 満面の笑みでピョンと跳ねたマリアベルは鼻高々。
「ちィーっと暴れ足りねェ気もすっけどな! ま、結果は当然だ」
 古城は臆面も無く言い退け、ワイルドに笑う。
 そんな三者に目を戻したリュウは、スッと細めた視線を真横に投げた。旅人に向けるのとは180度異なる冷ややかな眼差しを注がれた男――シンは途端に明後日の方向を向き、首の根を竦める。その様子に溜息を吐き、探偵は肩を並べる男を顎で指した。
「ああ、オレの頼みもしっかり叶えてくれたしな……おいバカ、挨拶しろ」
 相方に小突かれたシンがよろめき、いかにも腰が低そうな面持ちで頭を下げる。
「すまない。……シンです。このたびは本当に、助けて頂いて感謝しています」
「ううん、一緒に出れたのはボク達にとっても嬉しい事だよ」
 首を振ったマリアベルに同調して、二人が頷きを重ねる。ほっとしたように和らいだシンの目元を仰ぎ、続けて少女が目を瞬かせた。
「シンさんはさぁ。結局あの屋敷の事についてはどれくらい分かったの? 写した姿を歪める鏡なんて、人を驚かせるくらいにしか使えなさそうだと思ったんだけど……何を考えてそんなに収集したんだろうなあって不思議に思ってるんだ」
「それは俺も思ったなぁ」
 相沢が横で腕を組み、既に小さくなった洋館を振り向いて口を開く。
「あとは、例の亡霊ってのはここで亡くなったっていう金持ち自身だったのかどうか……とかな」
「おまえら面倒臭ェこと気にしてんだなァ」
 のんびりと古城が割り込む。
「もう終わったことなんだし別にイイじゃね――ぶっ!」
 欠伸すら付随しそうな発言をマリアベルの大きな耳がビタンと遮ると、シンが肩を揺らして笑った。笑いの波が収まるのを待ち、彼もまた怜悧な風貌を屋敷の方角へ向ける。
「あの屋敷の持ち主は、まじないに凝っていたようでね」
「まじない?」
 首を傾げた少女に、シンが頷く。
「黒魔術の類じゃないかな。どうやらその道具として蒐集していたようで……まあそういった禍々しい物は霊を呼び寄せやすいから、結果としてあんな鏡が生まれたのではないかと思う。確かな事までは分からなくて申し訳無いんだが」
「へぇ、黒魔術か……」
 相沢は難しい顔になってもう一度屋敷の方を見たが、やがて何かを思い出したように眉を寄せて息を吐く。
「確かに嫌な感じの空気、漂ってたもんなぁ」
「ッアー!! もうそういう暗ェ話はやめようぜェ!!」
 さり気ないウサ耳攻撃から漸く逃げ切った古城が、息を切らせて横槍を入れた。
「暴霊は倒した、シンも無事! 一件落着つーことで帰らねェか。俺はもう、腹が減って腹が減って……」
「奢る」
 すかさずそっと囁いたのは他でもないリュウだ。
「「「え」」」
 目を点にした三人の視線が痩躯の探偵に集中すると、注目の的は肩を竦めて、
「相方を助けてくれ、つーのはあくまでもオレの個人的な頼みだったからな。依頼料代わりだ。奢るぜ」
「本当!?」
 ウサギさながらにマリアベルが跳ねる。古城は大袈裟なまでのガッツポーズを取り、辞退しようとする相沢を阻止するように肩を抱いた挙句、インヤンガイでの食事についての会議を始める。
 リュウはその様子を見渡し、
「いくらでも食ってくれよ。……アンタ等に手伝って貰って、本当によかった」
 ここで漸く、穏やかに笑った。

クリエイターコメント大変お待たせしてしまい申し訳ありませんでした! 楽しいプレイングの数々を頂けてとても嬉しく思っています。
核の正解は「天井」でした。今回は成功という事で怪我もなく、シンも助けられて無事ハッピーエンドです。
少しでも楽しんで頂ければ幸せです。
このたびは本当にありがとうございました!
公開日時2011-06-07(火) 21:10

 

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