ヴォロスのとある地方に「神託の都メイム」と呼ばれる町がある。 乾燥した砂まじりの風が吹く平野に開けた石造りの都市は、複雑に入り組んだ迷路のような街路からなる。 メイムはそれなりに大きな町だが、奇妙に静かだ。 それもそのはず、メイムを訪れた旅人は、この町で眠って過ごすのである――。 メイムには、ヴォロス各地から人々が訪れる。かれらを迎え入れるのはメイムに数多ある「夢見の館」。石造りの建物の中、屋内にたくさん天幕が設置されているという不思議な場所だ。天幕の中にはやわらかな敷物が敷かれ、安眠作用のある香が焚かれている。 そして旅人は天幕の中で眠りにつく。……そのときに見た夢は、メイムの竜刻が見せた「本人の未来を暗示する夢」だという。メイムが「神託の都」と呼ばれるゆえんだ。 いかに竜刻の力といえど、うつつに見る夢が真実、未来を示すものかは誰にもわからないこと。 しかし、だからこそ、人はメイムに訪れるのかもしれない。それはヴォロスの住人だけでなく、異世界の旅人たちでさえ。●ご案内このソロシナリオは、参加PCさんが「神託の都メイム」で見た「夢の内容」が描写されます。このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・見た夢はどんなものか・夢の中での行動や反応・目覚めたあとの感想などを書くとよいでしょう。夢の内容について、担当ライターにおまかせすることも可能です。
どこかで鐘の音が響いている。清らかに澄んだその音は長く高らかにこだまし、やがては空間全てを覆い尽くして行く。 サシャ・エルガシャはゆっくりと瞳を開いた。 純白のドレスを纏う胸を凛と張り、百合のブーケをぎゅっと握り締めて目の前を見据える。 先に佇む初老の神父は、照れと緊張が綯い交ぜになったサシャの顔を見て、穏やかに笑ったようだ。 「――では、サシャ・エルガシャ。彼を生涯の伴侶とし、病める時も健やかなる時も添い遂げる事を誓いますか?」 「ハイ」 問い掛けられるなり、サシャはおもばゆげな笑みを顔一面に広げた。そろりと、傍らの伴侶の様子を窺う。 「……誓います」 白のタキシードを着込む新郎の容姿は、霧が掛かったように霞んでしまっている。だが、サシャには彼が白い歯を零してはにかんだであろう事が不思議と分かるのだった。 ふと、大きな掌に左手を掬われ、薬指に瞬く間に輪を通される。すんなりと根本に収まった銀色の指輪に鼓動を高鳴らせていると、今度は薄いベールを取り払われ、 「彼女を生涯の伴侶とし、病める時も健やかなる時も添い遂げる事を誓いますか?」 「はい、誓います」 躊躇いなく宣誓を告げた男の唇が、露になった唇に寄り添った。そっと、まるで羽根が触れるように柔らかな口付け。 幸せだなぁ、と迷い無く思う。 愛しい存在と微笑みを交わし合い、新郎新婦は誓いの指輪を嵌めた指と指とを絡め合う。 そうしてどちらともなく腕を組み、やがて寄り添うように歩き出した。 「あっ、出て来た!」 教会の外で待機していた女性が弾む声を上げる。美しく着飾ったサシャの姿を見るなり目を輝かせ、フラッシュを焚く。 「サーシャー! おめでとーう!」 あれは、お屋敷のメイド仲間だっただろうか。大きく腕を振る彼女の傍らにはやはり見覚えのある庭師も居る。その更に横には、サシャが覚醒してから出来た友達も顔を揃えている。皆が皆祝福の笑みを浮かべ、アーチを作るように列をなしながら二人の晴れ姿を見守っている。 「おめでと! 綺麗だよ!」 ふわりと、何の前触れもなく芳しい花弁が宙を舞った。誰かが用意した色とりどりのフラワーシャワーにより、場は一瞬にして華やぎを増す。 「お幸せにサシャ! 今度は旦那さんとのコイバナ聴かせてね!」 「みんな……」 無数に降り注ぐ花弁によって形成された鮮やかな絨毯を踏み締め、サシャは思わず言葉に詰まった。胸がじんと痺れ、喜びのあまり目頭が熱くなる。見守る人々の顔をぐるりと見渡し、腹の底から声を張る。 「みんな、みんなありがとう! ほんとに嬉しいよ! ワタシ、幸せになる! コイバナ楽しみにしててね! 嫌って言われても、馴れ初めからうーんとお話しちゃうんだから!」 感極まったサシャの反応に、周囲の人々は誰もが満足げに頬を崩し――不意に、一人、また一人と道を譲るように退いて行く。 開かれた道の先は眩い光に包まれており、参列者が消えた瞬間、共に進んでいた新郎が新婦の腕をやんわりと引いた。不思議そうに目を丸めるサシャに微笑みを向け、その掌はまるで導くように背中を押す。 「あ――」 サシャは大きく目を見開いた。くらむほどの光の洪水に身を呑まれた瞬間、待ち侘びていたようにこちらを振り向く姿に言葉を失う。仕立ての良いスーツを着込んだ老人は帽子を脱ぎ、柔和に目を細める。 「綺麗だよ、サシャ」 それは、忘れようとしても忘れられる筈の無い、 「旦那様……」 驚きが過ぎてぽかんと口を開いたサシャに、名を呼ばれた男は穏やかに笑った。 彼の一挙一動に目を奪われる。 ずっとずっと、会いたかった。 ワタシの家族で恩人で、大好きだった旦那様。 「ど、うして旦那様がここに……」 「どうして?」 おどける風に肩を竦め、老人は手にした杖をくるりと回す。 「私がキミを祝福しない筈が無いだろう。幸せにおなりサシャ」 その杖先は、ちょん、と虚空を突いた。 「今度はキミが、家族を作る番だよ」 「……っ!」 刹那、サシャは溢れんばかりに目を瞠った。胸の奥から込み上げるものを抑え込もうと息を呑むがたちまち呼吸は震え、褐色の容貌がくしゃりと歪む。 「で、でもワタシ……ロストナンバーなのに? 年を、取らないのに?」 「……サシャ」 言い募る間にも細めた眦には涙の粒が沸き上がり、水の膜が邪魔をして何も見えなくなった。嗚咽するサシャに老人は驚いたように眉を上げ、表情を改めると、 「花嫁に涙は似合わない」 その言葉がとどめを刺す。 「ごめんなさい……!」 サシャはいよいよ膝を折って泣き崩れ、噎び泣いた。 この人は今でもこんなにワタシの事を愛し、心配し続けてくれている。 ワタシは、覚醒した事をどうしても打ち明けられず、黙って屋敷を去ってしまったのに。 どうして黙って姿を消したの? どうして、この人を置いて行ったの? 「ごめん、なさい。ごめんなさ……」 自責の念に駆られたサシャは、何かに憑かれたように途切れ途切れの謝罪を繰り返しながら、ブーケを強く握り締める。 しかし、ぽたぽたと滴り落ちる涙で百合がすっかりと濡れてしまった頃。サシャを見守っていた掌がスッと伸び、華奢な肩に触れた。 びくりと震える身体を優しく抱き起こし、老人はぐしゃぐしゃに崩れてしまったサシャの顔を覗き込む。本当の孫を見るように温かな眼差しが、全て分かっているとでも言いたげに細まり、 「……いいかい、サシャ。よく聞いて」 頬をあやしながら、内緒話に似て声を潜めた。 「キミは私の自慢の、」 ――閉じた瞼の表面が震え、少しずつ瞳が開かれて行く。 眠る最中に泣いたのだろう。その目縁はまだ名残のような濡れを帯びて、ゆっくりと瞬くたびに長い睫毛の先が冷たくなる。 あぁ、とサシャは大きな溜息を吐いた。何とも言えない表情を浮かべて、濡れた目元をごしごしと拭う。 「そ、うだった。夢かぁ。……いいところで起きちゃったなあ」 とても幸福なようでいて、どこか切ない夢。サシャは深呼吸を繰り返しながら天幕を仰ぎ、静かに左手を掲げる。 「『キミは私の自慢の』」 指を折り、薬指を確認してみるが当たり前のように指輪は存在しない。夢のセリフをなぞった唇が続ける。 「あの時……旦那様はなんておっしゃったの? もう一度寝ても、出て来てはくれないよね」 うーん、と小さく唸り、数秒後。サシャは諦めたように笑った。 分からないのは残念だけれど、気分は悪くない。 良い夢を見れたと思える。 焚かれた香の匂いに取り囲まれる中で、余韻に浸るように再び瞼を伏せる。 「……旅を続ければ、」 いつか答えが見つかるかしら。 夢うつつな呟きには、当たり前のように誰からのいらえもない。 ただ、その瞬間ふと――サシャの頬を、温かな風が掠めて消えた。
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