ヴォロスのとある地方に「神託の都メイム」と呼ばれる町がある。 乾燥した砂まじりの風が吹く平野に開けた石造りの都市は、複雑に入り組んだ迷路のような街路からなる。 メイムはそれなりに大きな町だが、奇妙に静かだ。 それもそのはず、メイムを訪れた旅人は、この町で眠って過ごすのである――。 メイムには、ヴォロス各地から人々が訪れる。かれらを迎え入れるのはメイムに数多ある「夢見の館」。石造りの建物の中、屋内にたくさん天幕が設置されているという不思議な場所だ。天幕の中にはやわらかな敷物が敷かれ、安眠作用のある香が焚かれている。 そして旅人は天幕の中で眠りにつく。……そのときに見た夢は、メイムの竜刻が見せた「本人の未来を暗示する夢」だという。メイムが「神託の都」と呼ばれるゆえんだ。 いかに竜刻の力といえど、うつつに見る夢が真実、未来を示すものかは誰にもわからないこと。 しかし、だからこそ、人はメイムに訪れるのかもしれない。それはヴォロスの住人だけでなく、異世界の旅人たちでさえ。●ご案内このソロシナリオは、参加PCさんが「神託の都メイム」で見た「夢の内容」が描写されます。このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・見た夢はどんなものか・夢の中での行動や反応・目覚めたあとの感想などを書くとよいでしょう。夢の内容について、担当ライターにおまかせすることも可能です。
目を開くと、温かな光り溢れる広大な空間に佇んでいる。 そこは一面の花畑だった。見事なまでに咲き乱れるシロツメクサ。燦々と降り注ぐ日の光を浴び、風にそよがれ、白い花々は気持ちよさそうに揺れている。 ゼシカ・ホーエンハイムは空色の瞳をきょときょとと瞬かせ、周囲を見渡す。見知らぬ空間に一人ぽつんと取り残されたような心細さに、思わず手持ちのポシェットを握り締めるが――程なく、小さな掌は紐から離れた。不安に彩られかけていた幼い顔に、ふっと綻びが乗る。 「思い出した」 (ここはゼシがいた教会の裏にあったお花畑。よくここでクローバーを摘んだの) すると、まるで呼応するようにさぁっと風が吹き渡る。肌に優しい春の風だ。温かな空気に誘われてゼシカがふたたび首を巡らせると、果てのない花畑の先に一人の女性の姿を見付けた。 ――だあれ? 脚を崩して座り込む彼女の指先は、クローバーを一本、また一本と摘み上げては器用に結い合わせている。遠目にも分かる、人好きのする柔和な顔立ち。ゼシカによく似た澄んだ青い瞳。ゆるやかなウェーブを描いた美しい金髪は、動くたびにさらさらと揺れる。 「……ママ?」 ぽつりと洩らしてしまった呟きは、決して大きくはない筈だった。だが、その呼び掛けに気付いたように彼女の動作が止まり、顔を上げる。ゼシカを真っ直ぐに見つめ、大きく瞬いたかと思うと――喜びを隠す事なく破顔し、両腕を広げた。 「こっちにいらっしゃい、ゼシカ」 「!」 懐かしい声。優しい笑顔。ゼシカは一瞬、雷に打たれたように硬直し、 「ママ!」 全速力で駆け出した。 体当たりをするように、ママの胸にぼふんと飛び込む。あまりの勢いに目を丸め、しかしすぐにくすくすと楽しげな笑い声を上げてママはゼシカを抱き締めた。慣れた手付きで小さな娘を抱え上げ、膝の上へと導く。 「ママ、ママ! 会えて嬉しい、夢みたい!」 「まぁ、ゼシったら」 愛おしげに髪を梳いて行く掌に、ゼシカは甘えるように擦り寄る。日だまりの中にいるような心地よさを覚え、そのままほぅと溜息を吐く。 あったかい。それに、とってもいい匂い。 「ママ。ママは、ここで何をしていたの?」 問いにママは笑みを深め、 「花冠を編んでいたのよ。貴女に会えた時に、プレゼントしようと思って」 「ほんと? あっ」 間を置かず、ゼシカの頭にふわりと白い花冠が乗った。 「わぁ、ありがとう!」 ゼシカの顔がパッと明るくなる。かと思えば、おもむろに足下に繁る茎に手を伸ばす意図を読み、ママの瞳が弓形に細まる。 「もしかしてお返しをくれるの? ふふ、じゃあお願いしようかしら。ママもお手伝いするから、首飾りを編んでみてくれる?」 「うん。ん、と……、こんな感じ?」 「あらあらへたっぴ。編み方はこうするのよ、こう」 「うっ。ゼシ、初めてなんだもん!」 シロツメクサをぎこちなく扱うゼシカを手伝いながら、ママは楽しげに肩を揺らす。そうして自分もふたたび花を摘み、お手本のような手付きで器用に編み上げ――奮闘する娘よりもよっぽど早く完成させた可愛らしい首飾りを、幼い首筋にちょんと結び付けた。 「とっても綺麗ね。白い冠に首飾り。ちっちゃな花嫁さんみたい」 「……」 なかなか上手く作れない悔しさと、褒められた嬉しさが綯い交ぜになり、ゼシカは唇を尖らせる。が、つたない出来映えの首飾りをママの首に結び付けるなり、またぎゅっとその胸に飛び付いた。そのまま、そろそろと顔を覗き込む。 「ママ。あのね」 「うん?」 先を促すママの声は、どこまでも柔らかい。ゼシカが自分の感情を言葉にする事が苦手であると知っているからだ。 「ゼシね。ずっと、ママに会いたかったの。ずっと、ぎゅってしてほしかったの。……でもね、その前にパパをさがさなきゃいけなくて。どこにいるか、わからなくて」 たどたどしくもゆっくりと訴えかけるゼシカに、ママは一つ二つと相槌を打ち、やがて眉を潜めた。今まで笑みを絶やさずにいた白い貌に、微かな憂いが乗る。 「ゼシを哀しませるなんて、悪いパパね」 「違うの!」 ゼシカはすぐに目を瞠り、慌てて頭を振り乱す。 「パパは悪くないの、悪いのはゼシなの」 「……」 ゼシカを抱くママの腕に、静かに力が込められる。小さな頭に頬を寄せ、ママはそのまま震える溜息を吐く。 「優しい子」 「……ママ?」 感情の氾濫を抑えるような声に、ゼシカは控え目にママを窺う。それに応えずママはただ首を振り、少しの間を置いて、 「あの人にそっくり。――ねえ、ゼシカ。私の代わりに伝えて欲しい。過去を嘆かないで。未来を紡いで。私と貴方の大事な可愛い一人娘をもうこれ以上哀しませないで、と」 「……ママ。泣いちゃダメよ」 何かを感じ取ったゼシカが、ぽつりと洩らす。ママはまた首を振る。だが、その拍子にこぼれ落ちる透明な雫が一粒、ゼシカの頬にぱたりと落ちた。途端にくしゃりと顔を歪めたゼシカは、短い両腕を懸命に伸ばすと、堪えきれずに声を詰まらせたママの頭を撫でた。 「ゼシが、いたいのいたいのとんでけしてあげる」 「ゼシ、……うん、うん。ごめん、ね。……ごめんないね、ありがとう。痛いの、なんて、飛んでっちゃったわ」 力一杯撫でられ、時にぽんぽんと叩かれ――暫くの間深く深く俯いていたママは、どうにか涙を引っ込める事に成功したようだった。顔を持ち上げ、ゼシカと目を合わせるなり、まだ嗚咽の名残の残る潤んだ瞳を細める。 「お願い、……あの人を助けて」 「うん」 ゼシカは頷き、ポシェットの中からハンカチを取り出す。『女の子の身だしなみ』で、泣き濡れた眦をいそいそと拭うと、ママの表情に柔らかな微笑みが蘇る。 「……私の声は、もう届かないの。あの人を叱ることさえできない」 「うん」 わかったわ、ママ。 ゼシカはもう一度頷き、自分を抱く片腕を離させる。何が起きたか分からずにきょとんとしている様子に構わず、ママの小指に自分の小指を絡め、せっせと上下に揺すって主張する。 「ゆびきりげんまん、お約束」 「……あ」 「ゼシ、ママの代わりにパパをめってする。だから、もう泣かないで。キレイなおかおが台無しよ?」 得意げに言って退けたゼシカにママは瞬きを早め、困ったように息を抜く。 「泣き虫さんに励まされちゃうなんて、……ママったら情けないわね。ええ、もう大丈夫よ」 絡んだ小指が、返すように揺すられて離れて行く。ママの両手は、再び大事そうにゼシカの身体を抱いて――その途端。 ゼシカは自分の身体がふっと軽くなるような、希薄になるような、不思議な感覚を覚えた。 本能的に察知する。どうやら、目覚めの時が近付いているようだ。 ――離れたくない。 言いたい事も、一緒にしたい事もまだまだたくさんある。気持ちばかりが急ぐ中、ゼシカはママの服をぎゅうっと掴み、 「ママ! ゼシカを産んでくれて有り難う」 白く白く、霞んでいく世界の中で、ママは酷く幸福そうに頷いてゼシカを撫でる。 「……貴女のママになれて、ハイドのお嫁さんになれて、ママは幸せだった」 そうして、もう泣く事はないのだろう、そんな美しい満面の笑みで少女を見送る。 ――ばいばい、ママ。 ゼシ、お約束ちゃんと守るからね。 ゼシカは眠るように目を閉じた。 最後まできつく、ママを抱き締めて離さない。その温もりを、存在を忘れないように――現の世界に戻るまで。
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