0世界のどこかにある、小さな食堂。しかも看板も小さい。しかし、そこからはなんとも言えない美味しそうな匂いが漂ってくる。そう、そこがカレーとスープの店『とろとろ』である。 ここでは壱番世界でいうカレーやスープが楽しめる。オーソドックスな物からちょっと珍しい物まで、店主のエルフらしい男が作ってくれる、という。但し、この男は壱番世界を若干誤解している可能性が高い。また、どんな物かさえ教えてくれれば貴方の世界の料理(あるいはそれに近い物)も作ってくれるだろう。「よぅ、いらっしゃい」 ドアを開けると、この店主――名をグラウゼ・シオンという――が笑顔で出迎えてくれる。彼はよっぽどの事が無い限り怒る事は無いので安心してこの店を訪ねてみると良い。貴方の要望に答え、とても美味しい物を作ってくれる。迷っているならば思い切って『君だけのカレー』を選んでみてはいかがだろうか?この場合、貴方の気分や体調に合わせてスパイスを調合し、具をチョイスしてカレーを作ってくれる。辛さの希望もちゃんと聞いてくれるので安心されたし。 さぁ、貴方もほっこりほかほか、とろとろなご飯タイムを。
「おう、いらっしゃい」 エルフっぽい耳が目立つ『とろとろ』の店主、グラウゼ・シオンがそういって出迎えたのは、桃色の髪と瞳が綺麗で可愛らしいメイドさんだった。可憐なメイドであり、その正体はアンドロイドというジューンは少し考えながら店主を見た。 「こんにちは、グラウゼさん。今日は少しご相談したい事があってまいりました」 「ふむ。それはどんな相談だい? 内容によっては場所を変えたほうがいいか?」 グラウゼがそう問うと、ジューンは「そうですね……」と言いながら厨房を見つめた。それだけで、店主も何か感じ取る。 「もしかして、料理に関する事か?」 「はい。具体的にいえば子供の好きなカレーについて、です」 グラウゼはとりあえずカウンターの席を勧め、ジューンに相談の内容を話してもらう。 「私は、縁あって現在妖精の双子を預かっています。そろそろ13歳になるぐらいの女の子です。その子達に時折カレーを作るのですが……工夫をしても、『こういうのじゃない、もっと美味しいカレーが食べたい』と言われてしまうのです」 ジューンはそういいながら、今までに作ってみたカレーについてグラウゼに説明する。甘めのルーに肉を入れた物にちょっと辛めの物、シーフードカレーに、型抜きした野菜をグラッセにしてトッピングした物、赤いトマトカレー、それに生クリームを加えたピンクのカレー、緑のほうれん草カレーに夏野菜カレー、ココナッツミルクのカレー……。 「月2回程しか作っていませんが、困ってしまいまして。そこで、お知恵を拝借できればと思っています」 ジューンがため息混じりにそう言えば、グラウゼもいつになく真剣で真面目な顔で考える。シチューだと文句を言わないという双子の話に、彼もジューンも『想い出』の味なのかと考えるも、そればかりではないような気もしていた。 グラウゼは彼女の工夫した物を想像し、尚且つ彼女の料理の腕に関しても『乳母』という職業からそれ相応の物と判断する。それでも子供たちは満足しない、という点で彼もまた悩んでしまう。 悩んだ末に、グラウゼは自分の経験から、導き出した物を取り敢えず作ってみる。それは壱番世界の日本でオーソドックスなカレーだった。ごろごろのジャガイモ、ニンジン、鼈甲色に近い玉ねぎ、食べやすい大きさの豚肉にスパイスの香りが食欲をそそるルー。そして、琥珀色にも似たしゃきしゃきの福神漬けを添えて。 「あくまでも、俺だったらこんな感じでやるかなって事で。気が向いたらその双子のお嬢さんを連れておいでよ」 そう言って皿に盛り付け、ジューンの前に差し出す。そして、レタスとトマト、キュウリのサラダと冷たい水を差し出す。 「これは、本当にオーソドックスなターメリックカレーですね」 「まぁ、な」 ジューンはセンサーでカレー独特の香りを感じ、頷きつつも食してみる。アンドロイド故に食事はいらないのだが、乳母であるが故にこういった行為は違和感なくこなせるのだ。 しかし、ジューンの記憶が確かならば、自分が似たような物を作った時の結果は……。 (恐らく、同じ結果になるでしょう) そう思いながらも、ジューンはグラウゼに、レシピをもらえないか、と頼む。グラウゼも笑顔で頷き、すぐに書いて手渡した。そうしながら、グラウゼは穏やかな眼差しで語る。 「まぁ、ターミナルには、多種多様な種族の老若男女が揃っている。だから俺は作る前にどういった物が好みか、食べられる物とそうでない物が何か聞いて作る事も多いんだ」 特にツーリストとなれば自分のようなアンドロイドもいれば亜人、獣人、人形など様々な存在がいる。それを思えばグラウゼのやっている事はすごく普通の事なのかもしれない。ジューンは自然と相槌を打ち、店主は言葉を続ける。 「なぁ、ジューンさん。その双子のお嬢ちゃん達に『どんなカレーがいいのか』って聞いた事、あるかい?」 「……え?」 グラウゼの問いに、ジューンは目を丸くする。子供達のリクエストに答えてカレーを作ってはいたが、果たして、そこまで聞いていただろうか? ジューンは少しだけ、目の前の霧が晴れそうな『何か』を掴んだ気がした。 カレーを食べるジューンに、グラウゼはふと、こんな事を問いかける。 「ところでさ。そのお嬢さん達と一緒にカレーを作った事は無いか?」 「そういえば、ありません」 丁寧に紙ナプキンで口元を拭いながらジューンが答え、グラウゼはそれなら、とにっこり笑った。 「今度、一緒に作ってみたらどうだ? 問うより早いと思うよ。それに、さ。その双子のお嬢さん達について教えてくれないかい? もうちょっと何かアドバイス出来るかもしれないからさ」 グラウゼが青い瞳を細めて、楽しそうに問えばジューンもと柔らかい笑顔で「二人共やんちゃでとても可愛いですよ」と語り始める。その内に、話を聞くグラウゼの眼差しに、ジューンは僅かな羨望が滲んでいるように思えた。 「俺がおすすめなのは皮を剥いた豆を細かくして煮込んだダール・カレーかな。あとはまぁ、カレーうどんって手もあるぜ。ただ、食べる時に汁が飛んで服に染みを作る事もあるから気をつけて食べたほうがいいよ」 「それはそれで色々工夫できそうですね。ありがとうございます、まだやれる事があるかもしれません」 ジューンはぺこり、と頭を下げる。グラウゼはどこか表情が柔らかくなったジューンを見、少しは手助けになったかな、と思うのだった。 暫くはカレー談義に花を咲かせていたジューンとグラウゼであったが、ふとジューンがこんな事を問う。 「ところでグラウゼさん。ラーメンケーキはご存知ですか?」 「……なんだそりゃ?」 どうやら、知らなかったらしい。ジューンは少し考えながらこんな事をいう。 「実は、ラーメンを模したケーキがあるのです。こちらが資料になります」 と、彼女はたまたま見つけた雑誌を持参しており、グラウゼに見せる。それに驚きつつもグラウゼは面白そうだ、と目を輝かせる。 「カレーっぽさを出すとしたらどのような物がよいか、素材の相談に乗っていただけます?」 「勿論。なんだか楽しそうだからな」 食後のチャイを差し出し、グラウゼがどこかわくわくした様子で答える。こういったチャレンジは好きなようだ。 「うーん、チョコレートムースじゃちょっと色が合わないかもなぁ。肉の代わりにマシュマロはダメかなぁ……。凝った菓子は得意じゃないんだが……」 「クレマカタラナ、という壱番世界のカスタードプリンならば色が近いのではないでしょうか? あとはゼリーでしょう」 ジューンの言葉に「なるほど」と頷くグラウゼはどこからともなくノートを取り出し、イメージを絵にしていく。そうしながらも、二人は暫くの間、ああでもないこうでもない、とカレーケーキのレシピを考えていく。やがてその内に 「とりあえず、作ってみようか?」 「そうですね。よろしければ、厨房をお借りしたいと思っていたところです」 とまぁ、2人でカレーケーキの制作に取り掛かってみるのであった。ライスの代わりにお米で作ったパフを使い、クレマカタラナのルーにチョコレートと果物を使って具を用意し……、と、カレーとスープの店『とろとろ』から珍しく甘い香りが漂い始めるのだった。 「あれ? ケーキじゃないな、これ」 「そうですね。カレー風スイーツですね」 (終)
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