「うーん……」 ある日、銀髪の世界司書、紫上 緋穂(しのかみ ひすい)が導きの書を広げながら唸っていた。悩んでいるのか困っているのか判別つけがたいが、ノック部分に小さなチェーンが付いており、その先に蝶とリボンのモチーフが揺れる可愛らしいシャープペンシルで、トントントンと導きの書を叩いている。そのリズムにあわせて可愛らしいチャームがカチャカチャ音を立てているが、彼女にとってそれは瑣末なことのようだ。「うーん……」 再び、唸る。そして、導きの書の隣においた白い紙に、シャッシャと何かを書きつけていく。「うーん……こんな感じ、かなぁ?」 コトリ、シャープペンシルを置いて。髪を両手に持って眺める。「なんだこりゃ?」「っ!?」 ゴスッ「うがあっ……」 好奇心は猫をも殺す。 あまりにも真剣に集中している緋穂が珍しかったのか、椅子の後ろに回って紙を覗き見たロストナンバーは、動揺した緋穂の蹴撃をすねに受けたのだった。「まあ、説明の時に見せるつもりだったからいいんだけど……」 こほん。わざとらしく咳払いをして、彼女は机に向き直る。その向こうに集まってきていたロストナンバーには笑顔で手を振って。後ろで悶絶するロストナンバーは無視。勝手に覗き見たほうが悪いのだ。 *-*-*「今回はインヤンガイに行って欲しいんだけど、ちょーっと急いで欲しいかなぁ」 何事もなかったかのように説明を始める緋穂。急いでほしいとは言うが、口調はいつものとおりだ。「覚醒したばかりのロストナンバーがね、インヤンガイに飛ばされちゃったみたいなんだ。だから保護をお願いしたいの」 ああ、それなら確かに早いほうがいいだろう。覚醒したばかりだとしたら、言葉の通じない世界でたいそう混乱しているだろうから。「保護対象はどんな人なの?」「んっとー、こんな人」 ぺらり。 先ほど一人のロストナンバーが覗き見て犠牲になった用紙を、緋穂は惜しげも無くロストナンバーたちへ向けた。(((こ、これはっ!!))) そこに描かれていたのは、少女漫画のような美形の青年。しかもなんだか異様に上手い。ラフ画とはいえ同人誌でも出せは大手サークルも夢ではないかもしれない(勿論同人誌を出すには内容のクオリティも問題だが) じゃなくて。 そこに描かれていたのは長身の青年。青みがかった黒い髪はストレートで腰の辺りまで長く、中世ファンタジーの貴族や騎士のような服に(鎧は着ていない)剣を佩いている。 しかし一番目を引いたのは、その背中。 純白に輝く6枚の翼が何よりも目を引いた。「……タカラヅカ?」 壱番世界に詳しいロストナンバーがぼそっと呟いた。「いやー、これ、自前みたい」 緋穂はシャープペンシルの背でぽんぽんぽんと翼を指して。 つまり、翼があることが異端視されない世界から来たというわけだ。「この人は光に満ちた世界でそこそこの地位を持つ武人だったみたいだね。色々な翼を持った人々たちの暮らす世界。そこから突然インヤンガイに飛ばされちゃって、ひどく混乱しているよ。薄暗くて入り組んだ街は開放感とは無縁だし、翼を持たない人はほとんど見たことなかったみたいだから」 加えて、チケットによって移動してきていないため、言葉が通じない。「最初は街中で堂々とコスプレしているおにーさんみたいに思われていたようなんだけど、言葉が通じなくてもからかわれたりするとわかるんだよね、侮辱されたって怒って剣を抜いてさ。とりあえずその場では命を落とした人はいないけど、傷つけてしまった相手がなんかチンピラだったみたいで、懲らしめてやるって彼を探しているんだ」「彼は今、どこに?」 緋穂はもう一枚白紙を取り出し、縦横に線を引き始める。「倉庫街の中のある倉庫で身を潜めているよ。翼が眼を引くことはわかっているみたいだから、飛んで移動したりはしていないみたい。けれども人の目から完全に逃れることは不可能だったから、チンピラたちが副リーダーくらいのを連れて彼を探してる。見つかるのは時間の問題」 状況を口にしながらも緋穂の手はてきぱきと動いて。倉庫街の簡単な地図を描き上げてしまった。「彼はここの倉庫の奥の荷物に隠れて疲れを癒してるよ。急げばチンピラたちより先に到着することは可能だけど、彼は警戒しているから倉庫に入ったら攻撃を仕掛けてくるかもしれないから注意して。あと、頭の良い人だから、きちんと説得すればその場は一応納得してついてきてくれると思う」 だけど――緋穂は眉をしかめ、ロストナンバー達に向き直った。「彼を説得する時間はあるけど、連れだす時間まではないんだ。先に説得したら、連れだす前にチンピラグループと遭遇することになるね。しっかりと説得しないでとりあえず彼を連れ出せばチンピラたちとの接触は避けることはできるけど、『とりあえずついてきて』とか『私達を信じて』とか何も説明せずに連れだそうとしても、彼はそう簡単には動こうとしないと思う。誰だって、突然現れた人に何の説明もなしに命を預ける気にはならないでしょう?」 確かに緋穂の言うことも一理ある。色々と考えなくてはならないことは多そうだ。「でも、何も知らないままに彼を死なせる訳にはいかないし、彼に事件を起こさせるわけにも行かないから。インヤンガイへの影響もあるからね、とりあえず何としてでも0世界に連れてきて欲しいの」 わかった? と念を押されて、ロストナンバー達はしっかりと頷いたのであった。 *-*-*(一体どこなのだ、ここは……薄暗く、薄汚く騒々しい……我が国とは違う) 男は大きな身体を木箱に寄りかからせ、愛剣についた血をふき取った。(言葉も通じない……背に翼のあるものもいない……一体何が起こったのだ……) わからない。考えてもわからない。 奇異の目、侮蔑の目で見られる時間はひどく耐えがたく、何か悪態を付かれたとわかった時には混乱による疲労も相まって、ついつい剣を抜いてしまっていた。(こんなにすぐに剣を抜くほど、俺は血の気は多くないはずなのに) 見るものすべてがそれまでいた場所とは違うこの世界で、男は途方にくれてため息を付いた。
●車内にて インヤンガイへと向かう車中の中で、川原 撫子は持ち物の確認をしていた。 「菜食主義だと困るのでぇ、温かいお茶にチョコバーとクラッカー準備しましたぁ☆ チケットも預かりましたしぃ、完璧じゃないでしょうかぁ?」 バスケットの中には軽食が詰め込まれている。ディアスポラ現象によって飛ばされた直後、食料が手に入らず飢えていた人が多いという今までの知識と経験から、これは必須アイテムであると導きだしたのだ。たしかに人間、空腹ではまとまる考えもまとまらないし、頭も働かない。お腹を満たして人心地付けば、それまでとは違ったものが見えてくるかもしれないのだ。 *-*-* 「緋穂さんのラフ画、凄く上手だったなぁ……。憧れちゃうなぁ……」 別のボックス席で、先ほど見せてもらったラフ画に想いを馳せるのは松本 彩野。緋穂の意外な能力、絵画技能。絵画、中でもキャラクターイラストを描くことを特技とする綾野は、あのイラストが忘れられない。 『彩野だって負けてないと思うぜー? ていうか、オレは彩野の絵の方が好きだ~』 綾野の腕の中で声を上げるのは、カエルのケロちゃん。その愛くるしい瞳で綾野を見上げる。 「そ、そんなっ、私なんて全然っ……! ……有難う……」 理解者がいるってとても嬉しいこと。ケロちゃんの褒め言葉に綾野は頬を赤らめて、きゅっと彼(?)を抱きしめた。 *-*-* (良い羽根してるじゃん……) 座席で丸まりながらもシャンテル・デリンジャーの視線は玖郎に向けられている。否、玖郎の羽根に。刺激された狩猟本能が、その羽根を毟りたがっている。 (今回は保護対象も羽根持ちだっていうじゃん。ちょっとくらい毟らせてくれないかなぁ) ぶるり、小さく肩を震わせて玖郎は車内を見渡す。なんだか嫌な予感がしたのだが、気のせいか? 「玖郎さん、大丈夫ですか?」 向かいに座ったリニア・RX?F91が、可愛い瞳で玖郎の小さな震えを目に止め、尋ねてきた。玖郎は「ああ」と小さく答えて。 「今回の保護対象の彼、自分の世界から出てすぐなんですね。あたしもはじめは何がなんだかわからなくなって、ものすごく不安だったから、なんとかしなきゃです」 かつての自分の姿と重ね、リニアは使命感のようなものに奮い立たされる。その話を聞くともなしに玖郎は、少し別のことに興味があって。 (六枚羽は、さすがに同族ではないな。三対目の羽はなににつかうのだろう……威嚇か、異性に己を誇示するためか) 同じ有翼の種として、やはり気になるのはそこで。 (純白とはまためだつ色だ。すなわち水辺に棲むものか、雪深き地よりきたのか。機会あらばたずねたい) 生態に興味津々ではあるが、彼を助けようという気持ちは勿論所持している。この中の誰よりも、有翼という点で彼の気持ちがよく分かるのは、おそらく自分自身であるということもわかっていた。 *-*-* 『今回の保護対象はオレと同業者なんだよな? 何とかして助けてやりてぇよな』 「そうだね……。きっと、おなじ戦士のケロちゃんだったら分かり合える部分あるんじゃないかな。説得、お願いね?」 綾野は手を動かしながらもケロちゃんに、信頼の瞳を向ける。身の丈60cmほどとはいえ大剣を振るうその姿は、話に聞いた『彼』と同じ戦士のもの。どこか通ずるところがあるだろう。 『おうっ、任せろー! ……ところで彩野ー。さっきから何やってるんだ? ギアなんて出して』 「うん……囮がいたら逃げる時間稼げるんじゃないかと思ってね……。緋穂さんのラフ画思い出しながら描いてる……」 『なるほど、保護対象そっくりのキャラを具現化させて、そいつにチンピラ共を引き付けて貰うんだな?』 綾野が先ほどから行なっているのはその下準備だ。トラベルギアの大きな液晶ペンタブレットを使用して、緋穂のラフ画に似せて彼の姿を描いていく。素早く描くのが得意であれば現場でちゃちゃちゃっと描けるのだが、あいにく綾野はじっくりと心を込めて時間をかけて描くタイプだ。だから、列車の中で下準備をしているのである。 「うん……急いでいるから、今から描かないと間に合わないと思って……」 『……だけど、見本無しで大丈夫か? 緋穂の描いた絵持って来れば良かったなー……』 「だ、大丈夫……! あの時、頑張って見て覚えたからっ……!」 食い入るように緋穂のラフ画を見ていた綾野だ。その脳裏に焼き付いた彼の姿を丁寧に移してく。なんとか、列車が駅に到着するまでには間に合いそうだ。 ●仄暗い胎内で 指定された倉庫街は暗く、ジメジメとしていた。早朝か深夜しか使用されないのだろうか、現在はしんと静まり返っていて、昼間なのにこの静けさという点でむしろ深夜よりも不気味に感じられた。 「ちょっと簡単な説明だけですませられる気がしないので、やっぱりちゃんと説明した方がいいと思います」 倉庫の入口の前で告げられたリニアの言葉に異論を唱える者はいなかった。皆、チンピラと交戦するのを覚悟で彼にきちんと事情を説明しようと考えている。 「皆が説得に向かうなら、私は入り口でチンピラさん達を待っているよ。ちょっと悪戯しておくね」 シャンテルは人に変身し、準備万端だ。慌てて綾野も名乗り出る。 「あ、あの、『彼』にも手伝わせてくださいっ……!」 そういって彼女が具現化させたのは、車中で描いていた青年の姿。保護対象を模したその男性は存在感を持って具現し、ふぁさりと羽根を震わせて降り立つ。 「無理につれだすは得策ではなかろう。順序だてて説き、賊を迎える覚悟で臨むつもりだ」 「怖そうな人たちに襲われるかもしれないけどしかたがないですよ。しばらくの間、よろしくお願い致します」 「私達も、がんばってお話ししてきますからぁ~」 腕を組んだ玖郎、ぺこりと頭を下げたリニア、バスケットを握りしめた撫子に見つめられ、シャンテルは小さく頷いた。 『エンジェル(仮名)、おまえの任務は分かっているな? 気張っていけよ。……だけど無理はするなっ。おまえもオレと同じ、彩野が心を込めて生み出した存在だ。自分を粗末にするんじゃないぞ!』 ケロちゃんが『彼』に檄を飛ばす。『彼』は小さく頷き、そして主らを送り出す。 「説得の時間稼ぎってところだね。お客さんが来るまで……少し毟らせてくれない?」 人間に変身してもウズウズと狩猟本能が疼いて。シャンテルの瞳に少しだけエンジェルが後ずさったことを、綾野達は知らない。 *-*-* 「……」 彼に攻撃される可能性を考えて、玖郎は気配を探りつつ扉を開ける。あちらも戦士。そこそこに気配を抑える訓練は積んでいるようで、簡単にそれを掴ませてはもらえなそうだ。だがこの倉庫の奥に居ることは司書の言葉から絶対であって、その分ロストナンバー達にアドバンテージはある。 「あのぉ……ごめんくださいぃ? 私、撫子って言いますぅ。迷子さん、入っても宜しいでしょうかぁ」 撫子の少し緊迫感の抜ける様な声が倉庫内に響く。相手にしてみれば自分が「いる」ということが何故わかっているのか、恐怖心と警戒心を少し増加させたかもしれない。しかしそれは、良い切欠になった。 「……!」 次の瞬間、空気が動いた。 流れる空気に一番最初に反応したのは、前面に出ていた玖郎だ。風切り音からその動きを読み、向かってきた「何か」を手甲で打ち落とす。 ガギン――と金属音の後、追うようにして飛び出していたもっと質量の大きい物が玖郎の眼前に迫る。 ヒュイッ! 風とともに振り下ろされたのは、白銀の長剣。なびくマントと青味を帯びた黒髪。 ガギン――先ほどダガーをたたき落としたのと同じように、玖郎はその一撃を手甲で止めて。 「待て」 長剣による初撃を止められた『彼』は後ろへ飛び退いた後、倉庫へと差し込んでくる光に目を細めた。 「はじめまして! あたしはリニアっていいます。よろしくお願いします!」 緊迫感を破る様なリニアの明るい声に、場の緊張が一瞬緩む。 「……翼!?」 多少目が慣れてきたのだろう、少し目を細めながら『彼』は玖郎とリニアを視界に収めて呟いた。その呟きには驚愕と、縋るような思いが込められている。 「この翼に免じてこの場は剣を納めてくれないか」 「わ、わたしたちは、あなたの置かれている今の状況を説明できますっ……!」 玖郎の後ろからひょこんと顔を出した綾野が懸命に告げて。ケロちゃんがその後を引き取る。 『オレは難しいの苦手だから簡単に言うぜ? あんたを助けたいんだ!』 「助け……?」 眉根を寄せて警戒を見せる彼だったが、玖郎とリニアを見て少し肩の力を抜いてくれたようだった。 「あたしたちおそろいですね♪」 リニアが側頭部のギアを翼のように動かすと、肯定は返って来なかったが代わりに彼は困ったような表情を見せた。 *-*-* 撫子の差し出したチョコバーを不思議そうに眺めていたものだから、彼女はそれを一口かじって「美味しいですよ」と微笑んでみせた。するとそれが食べ物だとわかったのだろう、彼は新しく差し出されたチョコバーをかじり、差し出された温かいお茶をすすってふう、と深く息を吐いた。 「貴方が怪我させたチンピラさんが集まり始めてるのでぇ、大筋だけ説明させていただきますぅ。まずこのチケット、持って下さいぃ。これでこの世界の他の方の言葉が分かるようになりますぅ」 彼が人心地ついた頃合いを見計らって、撫子は預っていたチケットを差し出した。彼はそれを受け取り、不思議そうに裏返したりして見ている。 「落ち着いて聞いて下さいねぇ?」 「ああ」 何を言われても驚きはしない、そう腹を据えたのだろう彼だったが、続く撫子の言葉には目を白黒させざるを得なかったようだ。 「世界は多重であるという真理に目覚めると、世界はその人物を自分の世界から弾き出して消去しようとしますぅ。だからこの異世界で誰ともお話出来なかったでしょぉ? 消去を防ぎ、もう一度自分の世界を見つけ出すために、同じ境遇の人が集まって作ったのが世界図書館でぇ、そこに行けば少なくとも消失の運命から逃れられますぅ。私たちは同じ境遇の貴方を迎えに来たんですぅ」 「……ちょっと待ってくれ」 額に手を当てるようにして彼は目を閉じる。一気にかいつまんで語られた内容を咀嚼するには、少しばかり時間がかかる。今まで考えたことのなかった事実を突きつけられれば、誰だってそうだろう。 「えーと、あたしたち、みんなあなたと同じなんです。突然自分の世界から放り出されてしまったんです」 リニアがもっと噛み砕いて言葉にする。一見不安を煽るだけのその内容には、笑顔を添えて。 「でもダイジョウブですよ! みんな自分の世界に帰るためにがんばってるんです♪ あたしも帰ったらアイドルとして……」 ぐっと握り締められた拳と強い意志の伺える瞳、明るい表情。人を元気づけるアイドルとしての力が、彼女を輝かせているのかもしれない。 「その姿が異形でしかないこの地に、これ以上とどまりたくはあるまい。我々は、ひとまずその姿を異とされぬ場へ案内することができる。その後のゆくさきは己でさだめるとよい。問いにはこたえよう、ただし時がおしい、作業しながら応じる」 「お前も俺と同じだったのか?」 玖郎をじっと見つめ、問う彼は玖郎の翼に親近感を持っているのだろう。同じ有翼の者がすでに与えられた状況に順応しているのならば、自分もそうなれるかもしれない――希望だ。 「ああ」 短く応えた玖郎は、倉庫の入り口を振り向いて。 「先程おまえがきりつけた者が徒党をくみ、こちらへむかっている。その対策をする。気がむけば手伝ってくれ」 一人、箱を動かして壁を作り始めた。「て、手伝いますっ」と綾野が駈け出して。 『さっきも言ったが、あんたを助けたいんだ! 俺達と一緒に来てくれ! ……と言ってもチンピラを何とかしてからだがな』 ケロちゃんはそう言い、綾野を追いかける。残った撫子とリニアが、彼の顔を覗き込んだ。 「…そろそろお名前教えていただいてもいいですかぁ?」 「……あ、お名前聞いてもいいですか?」 同時に尋ねた撫子とリニアは顔を見合わせて、思わず笑む。それに釣られたのか、彼も小さく笑んで。 「はっきり言って俺はまだ混乱している。色々とよくわからないことは多いが、だがここで縋れるのはお前たちだけだということはわかった。ならば、俺の命を預けよう」 茶を飲み干し、彼は立ち上がる。埃にまみれた衣服をはたいて、彼は口を開いた。 「俺の名は、ルファエルード・アトラクシエル。故郷では左の将軍を務めていた」 *-*-* 倉庫内で説明が行われていた頃、外ではシャンテルが索敵を行なっていた。 「もうすぐお客さんが来るみたいだね」 三時の方向から騒がしい足音が聞こえる。目撃情報でもあったのだろう、多数の足音がこの倉庫に向かっていた。 「エンジェル、囮頼むね」 遠目から見てもその姿は目立つはず。シャンテルは地中を溶かして索敵を続けながら、綾野の力で生み出された『彼』へと声をかける。 「おい、いたぞっ!」 「捕まえろ!」 バラバラという下品な足音と共に、建物の影からチンピラ達が姿を表す。建物の隙間から差し込む光りに照らされた『彼』の姿は目立つ。他に目もくれずに『彼』だけを目指して走るその姿は無警戒で滑稽だ。 「よっと」 シャンテルが足元を溶かせば、簡単にチンピラは足をとられる。そのまま勢いでべたんと地面に突っ伏す者もいた。下半身まで地中に引きずられたチンピラはパニックに陥り、情けないほどの大きな声を揚げて泣き叫んだ。仲間のその姿を見た他のチンピラたちの表情も恐怖でひきつっている。 「何をしてやがる、追いやがれ!」 後方から到着した副リーダーらしきチンピラに激を飛ばされて、下っ端達は再びエンジェルの姿を追うが、次々と下半身を地中に埋められてなかなか近づけないでいた。 (ちょっと数が多いなぁ) できるかぎり倉庫に近いチンピラから地中に埋めていたシャンテルだったが、さすがに一人で対応するには数が多すぎる。数名が向こうの倉庫の影に消えたエンジェルを追っていった。だがホンモノは倉庫の中だ。 「この倉庫、使ってないはずですよね? 人の気配がするんですが」 ちょっとは強そうなチンピラが副リーダーに報告すると、副リーダーは顎で「入れ」と示して。 まずい、とシャンテルは思ったが、次いで入ろうとするチンピラたちの足止めに手を割かなくてはならない。 だが倉庫の中には仲間たちがいる。彼らが守ってくれるだろう、と思い直して倉庫を見つめた。 *-*-* きょろきょろと警戒して辺りを見渡しながら、数人のチンピラが倉庫に入ってくる。箱の影に隠れた一同は機会を伺っていた。 「行くぞ」 静かに告げられた玖郎の合図と羽音。倉庫上空に飛び上がった玖郎の手甲から、続けざまに雷が放たれる。狙われたのは、銃を持つチンピラたちの手。飛び道具は厄介だ。 「くそっ! まだ逆らう気か!」 羽音で玖郎とルファエルードを勘違いしたのか、チンピラが声を上げる。向けられた銃口――だが玖郎は箱の影に隠れて飛び来る銃弾を避ける。 「正面突破しますからぁ、綾野さん達と先行ってください」 撫子がホースを構えて箱の影から出ようとする。しかしルファエルードは「だが……」と渋る様子を見せた。戦士として自らが前線に出ずに先に離脱するというのは憚られるのかもしれない。 「あたしが防御を担当しますから、今は行きましょう」 リニアのジャイアント・マニュピュレイターが起動され、彼女はルファエルードを守る盾となる。 「しかし、お前らばかり戦わせるわけには……」 「ダメです!」 長剣を抜こうとした彼に、リニアの鋭い声が突き刺さる。 「そんなことしちゃうとまた狙われちゃいます! 今はとにかく逃げましょう!」 「そ、そうですっ……今は、貴方の身の安全が第一です」 リニアと綾野に手を抑えられ、ルファエルードは深くため息を付いた。それには色々な思いが込められていて。 「俺の無事がお前たちの任務の成否に関わっているのだったな。済まない、従おう」 「先に行きますねぇ。運命は自分の手で切り開くものですよぉ」 その様子を見て安心したのか、撫子は箱の影から飛び出した。玖郎を追うことのみに気を取られていたチンピラたちの横っ面を水でしたたかにはたく。 「行きましょう!」 リニアと綾野、そしてケロちゃんはルファエルードを導いて、チンピラたちの死角から倉庫脱出を試み始めた。 *-*-* 「長(おさ)を見極め、潰せば退くだろうか」 「そうですねぇ。こういう人達は上の人がやられちゃうと戦意喪失しちゃったりしますからねぇ」 玖郎の蹴った箱が、回りこもうとしていたチンピラの顔にヒットする。追うように撫子の水を腹に受けたチンピラは、そのまま床に倒れ伏した。ゴスッといい音がしたから、しばらくは目覚めないだろう。 「おいおいおい、何やってるんだてめーらっ!」 「あ、あちらから来てくれましたよぅ」 倉庫内の騒ぎに気づいたのだろう、副リーダーらしき男が怒りに震えながら足を踏み入れてくる。その背後を気づかれぬように通り抜けるルファエルードたちの姿が見えて、玖郎は自分たちに意識を向けさせるように雷撃を放つ。 「あんたの相手は私達ですよぅ」 どんっ――強烈な水圧を腹に受けたチンピラが、副リーダーへ向かって飛ぶ。 「な、なんだぁ!?」 突然の思いがけぬ事態に動けない副リーダーは、そのまま部下の下敷きになったが、なんとかその身体をどかして起き上がろうとして―― 「さて、どう料理しようか」 喉元に突きつけられた手甲に身動きがとれなくなった。 「おまたせだよ~」 と、明るい声と共に副リーダーの下半身が地中へと沈んでいく。 「もどってきた残りのチンピラ片付けるのに、ちょっと手間取っちゃった」 入り口に立っていたのはシャンテル。エンジェルを追っていたてチンピラ達が彼を見失って戻ってきたところを、相手取っていたようだ。 「彼らは先に行ったよ」 「ならばもう用はないな」 「そうですね~。とっとと身動きとれなくして行きましょう~」 残った三人がインヤンガイの駅で合流するまで、そう時間はかからなそうだ ●運命を切り開くために 「この列車に乗ってくださいね」 綾野に示され、ルファエルードはきょろきょろと物珍しげにロストレイルを見ながらも、タラップに足をかける。 「あ、シャンテルさん~どこいってたんですかぁ?」 いつの間にか姿を消していたシャンテルが、いつの間にか猫姿で駅へと戻ってきた。さすがに地中に下半身埋められたままでは自力で脱出できないだろう、とこっそりチンピラたちが脱出できるように解放しに行っていたのだが、あえて告げずに列車に乗り込む。問うた撫子も、明確な返答を期待していたわけではない。追うようにして車内へと入っていった。もちろんバスケットも忘れずに。 「守りきれて、安心しました!」 窓の外から車内のルファエルードを見て、リニアは安心して笑みを漏らして。 「そうだな。あいつはこれからが大変だろうが」 それでも異世界で何もわからずに命を落とすよりはずっとマシだろう――玖郎はゆっくりと車内へ乗り込んだ。リニアも後を追う。 ロストレイルは走る。新しい仲間を内に抱いて。 葛藤、慟哭、衝撃――これからの彼を、色々なものが襲うだろう。 だが、運命は自分の手で切り開くものだから。 【了】
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