オープニング

「ヴォロスでボディーガード募集中です」
 相変わらず唐突に現れて反応など気にした様子もなく続ける世界司書は、心の弾む事にとふらりと指を立てた。
「護衛対象は男です」
 ここの依頼はそんなんばっかりですねぇ、とどうでもよさそうに続けた司書は、そういう事でお願いしますとさっさと歩いて行こうとする。いい加減に慣れたらしい何人かがすかさず行く手を遮り、服を引っ張って止めた。
「必要な情報がなさすぎる。護衛対象は野郎ってだけでなく、色々あるだろう」
 年齢とか名前とか職業と詰め寄られ、司書は面倒そうに再び導きの書を開いた。
「職業、囚われの執事。失礼、今回は狙われ執事ですね」
「野郎の執事に、そんな属性いらねぇっ」
 心からの突っ込みもそうですねと適当に流し、司書は導きの書から視線を上げずに続ける。
「以前囚われているところを救出依頼のあった、クスフラさんです。彼が通りすがりの旅人に害されそうなので、保護を頼むと」
「いちいち突っ込みの必要な情報だな! 何だ、通りすがりの旅人って!」
 通り魔かと怒鳴るような誰かの問いかけに、司書は知りませんと肩を竦めた。
「あの町には優秀な占い師がいて、じきに町を訪れる旅人が執事を狙うと占ったそうです。今回の依頼としては執事の護衛が第一目的、余力があれば犯人の捕獲協力、といったところでしょうか」
 詳細は現地で聞いてくださいと導きの書を閉じた司書は、協力してくださる方をお待ちしていますと頭を下げた。



「領主、占いは如何かえ?」
 ついさっきまで人の押し寄せていた執務室に、ほんの一時だけ訪れた無人の時間。そこにざらりとした声音で紛れてきたのは占い師で、領主は突然の到来に眉を顰めた。
「執務中だと分かっていても訪ねてくるほど、重大な何かを見たのだろう。勿体ぶらずにさっさと話せ」
「ひぇっひぇ。坊と違って話のお早い事で」
 とっておきの情報さぁ、と枯れ木のように細い萎びた手を揺らした占い師は、どうという事はなさそうに続ける。
「近々、この町に旅人が訪れるだろう。人の嘆きを好み、災厄を撒き散らしては喜んでる。既に一つ二つと仕掛け、邪魔が入るのも計算の内。今度はこの町で、満ちる音を拾いたいのだろうて」
 やれ迷惑な旅人もいたものよと耳に障る声で笑った占い師に、領主は不愉快そうに顔をした。
「わざわざ報せに来たという事は、お前の占いでも姿や日が特定できんのか」
「さても賢き領主のご推察の通り。婆が全てを見通せるなら、領主を泣かせるが悲劇は全てこの婆が食ろうてやりましょう程に」
「ふん、お前にそんな大層な事など望んでいない。どうせ先の短い身の上だ、適当に笑って過ごすがいい」
 後の対策はしておくとひらりと手を払った領主に、占い師はいいのかねぇとまるで少女のように小首を傾げてみせた。書類に視線を戻そうとした領主は曾祖母に当たる占い師に目を眇め、まだ何かあるのかと憂鬱そうに口を開いた。
「旅人の狙いは、満ちる音。この町でなら、坊か領主を害すが手っ取り早い」
「──狙いは私だけではないのか」
 それを教えに来たんだろうと顔を顰めた領主に、占い師はひぇっひぇと身体ごと引き攣るようにして笑った。
「執事大事な領主から坊を取り上げれば、湧き喚こうが?」
「誰が泣くかっ」
 あいつと一緒にするなと噛みつくように反論した領主は、上等だと怒りに満ちたまま拳を作った。
「住人に被害を出さず、私かクスフラを狙ってくるだけなら受けて立ってやろうじゃないか。他所に被害を出すのも悪い、ここでひっとらえて適当に処分してくれる……っ」
 売られた喧嘩は買ってやると怒りの赴くまま壮絶に笑った領主に占い師は僅かに眩しげに目を細め、それを隠すように一度顔を伏せてひぇっひぇと低く笑った。
「ところで、坊には伝えなくていいのかえ?」
「知らせる必要はない、お前も黙っていろ。私まで狙われていると知ればあいつの事だ、守りを全部こちらに回しかねんからな」
「ほ。どちらがお姫さんか、分からんのう」
 領主はいたくご執心だと揶揄するように語尾を上げた占い師を、領主は言葉もないまま睨みつける。その鋭さに首を竦めた占い師は、お前の相手はしてられんと吐き捨てて憤然と部屋を出て行こうとする背中を視線だけで追いかける。
「どこに行きなさる?」
「お前の占いで狙いが絞られているなら確実だろうが、万が一と言う事もある。女子供に避難令を出し、迷惑な旅人を捕らえる手伝いを探す」
「避難令もいいが、程々にのう。旅人が求めるのは無人に響く音ではなく、町が奏でる旋律よ。やりすぎて別の町へと逸れたなら、幸いと喜べるのかえ?」
 違うのだろうと語尾を上げると、複雑な顔をした領主は小さく舌打ちしたがそのまま部屋を出て行った。
 占い師はしばらく閉じられた扉を眺めた後、もう遅いと唇を曲げるように呟いた。
「坊にはもう、伝えた後さあ」
 それを知り、余計に怒りに身を焦がす領主を思って占い師は肩を震わせた。けれど、まだ知らなくていい。彼女がそれを知るのは、旅人がこの町に着いてからでいい。
「悲しいかな、怒りはさほど持続せんでのう」
 溜め息のように息を吐き、占い師は未だこの部屋に満ちている気がする怒りを掬い上げるように手を持ち上げ、お怒りなされと聞こえないように囁いた。
「これほど強い怒りなら、きっと旅人も気に入るだろう。怒りが嘆きへと変わる瞬間、誰よりいい音を奏でる……。──お怒りなされ、もっと強く、やがて来る旅人の耳に止まるほど強く」
 決して誰にも聞こえないようにと声を潜めながら占い師は崩れ落ちるように膝を折り、何十年か振りに祈るように手を組み合わせて額に突けた。
「領主が死ねば、この町は嘆きに嵌る。かつて女王が死んだ時、国その物が打ち震え哀しんだのと同じほど。それこそを求めて旅人がを向けると、知られてはならん」
 決して領主だけには、と瞼の裏に描いた姿に占い師は詫びるように小さく頭を揺らした。
「お怒りなされ、心から。足を踏み入れた途端、旅人の気持ちがそちらへ向くように。お前様の嘆く音のほうが心地よいと、知らしめる為に」
 例えば誰を犠牲にしても守ってみせると、占い師は震えるほど強く手を組み合わせた。
「婆はもうお前様の元へは行けずともよい、劫火に焼かれようと甘受しよう。だからお前様、どうか、お前様の面影を色濃く残した婆の最後の希望だけは奪わないどくれ……っ」
 震えるほど祈る占い師の声は、誰にも届かずただ領主の残した怒りの内にそっと紛れた。

品目シナリオ 管理番号1743
クリエイター梶原 おと(wupy9516)
クリエイターコメント執事護衛にご協力頂けないでしょうか。

司書から聞いたのは執事の護衛ですが、執事は領主が絶対、領主は執事大事、占い師は領主の安全にのみ腐心と三者三様の思惑が行き交っています。
執事と領主に守られる気はなく、占い師は領主の為なら助力を惜しみません。行動によっては誰もがとんでもなく邪魔になると思いますので、ご注意ください。

誰かを守ってくださるか、若しくは犯人確保にだけ動いてもらっても構いません。何を目的に、どんな手段で動かれるかを教えてください。
ただ犯人確保に関しては、大分失敗率を高めにしております。接触が目的、チャンスがあったら捕まえる、くらいの気構えでいてください。

それでは、不穏の到来を予感しながらお待ちしています。

参加者
ジャック・ハート(cbzs7269)ツーリスト 男 24歳 ハートのジャック
川原 撫子(cuee7619)コンダクター 女 21歳 アルバイター兼冒険者見習い?
雪・ウーヴェイル・サツキガハラ(cfyy9814)ツーリスト 男 32歳 近衛騎士/ヨリシロ/罪人
シーアールシー ゼロ(czzf6499)ツーリスト 女 8歳 まどろむこと
シャンテル・デリンジャー(cabc8930)ツーリスト 女 23歳 猫

ノベル

「イヨォ、クスフラ。まァたリァイリノアのスカートの下に隠れてンのか」
 げらげらと笑いながらジャック・ハートが声をかけると、いつか見た執事が射殺しそうな目つきで振り返ってきた。けれどジャックを見つけると視線に乗った険を消し、気まずげに頭を下げた。
「いつかはお手数をおかけした。──今回もまたあの方の依頼か」
「あァ、テメェを守れってヨ。はっ、相変わらず愛されてンなァ?」
 揶揄するように語尾を上げると、執事は苦痛そうに眉根を寄せて拳を作った。
「自分の身は守れる、あなた方は領主様の護衛に当たってくれ」
「自分で守れる、だァ? それを信じろってか、ただ捕まってたテメェの言葉をねェ?」
「あの時とは状況が違う」
 固い声で吐き捨てた執事に、ジャックは片眉を跳ね上げると無造作に執事を蹴飛ばした。咄嗟に足を避けるくらいはできたようだがESPを使っての突風に抗えるはずもなく、近くの壁に打ち付けられて動けない姿に声を上げて笑う。
「ぎゃははは、イーイ様だなァ! それでも自分の身は守れるってかァ!」
「……主張したいところは分かるが、少しやりすぎではないか」
 大分辛そうだがと控えめに口を挟んできたのは、雪・ウーヴェイル・サツキガハラ。視線で示された執事へと顔を戻すと、骨さえ折れそうな威力になっているのを見つけて悪ィ悪ィと謝罪しながら力を消した。
「馬鹿をほざかれっと、軽ーく頭にきてヨ」
 風の拘束を解かれて崩れ落ちている執事にしれっと告げると、恨めしげな目が向けられる。ジャックはその分かっていない様子に目を眇め、溜め息をついて続ける。
「ガチで殺しに来る人間が、こんな程度で済ましてくれると思うなヨ? これでもまだ自分の身は守れるってほざけンのか?」
「……仮に私の力が及ばなかったとしても、私ではなく領主様をお守りしてほしいと頼んでいるだけだ」
「っ、テメェ、」
「私にあなた方のような力があれば、あの方が守りたい全て、誰かの力を借りずとも私が守った!」
 噛みつくように反論する執事の切実に、ジャックも言いかけていた言葉を呑んだ。執事は震わせた拳を自分の膝に押しつけて堪え、それができないからと俯く。
「危険を承知で、領主様を守ってほしいと依頼するしかできない。あの方さえ守ってくれれば私は、」
「死んでも構わない、と?」
 咎めると言うには穏やかな声でサツキガハラが言葉を浚うと、執事は目に宿す光を強くした。それを見てゆっくりと息を吐いたサツキガハラは、執事を見下ろして続ける。
「命に代えても。そういう切実な思いを私は理解出来る。しかし、自分が誰かのために命をかけたとして、自分が傷つくよりも苦しむ誰かがいることを忘れてはならない」
 静かに諭すサツキガハラは、あまり人の事は言えないがと少しだけ困ったように眉根を寄せた。
「おまえが領主を守って死ぬのは勝手だ、おまえとしてはそれも本望だろう。けれど、残された領主はどうする。おまえが喪うのを恐れたように、領主もそれを避けたくて私たちを呼んだはずだ。おまえが避けたい絶望を相手に味わわせる無責任を、どう考える」
「っ、」
 返す言葉に惑って視線をふらつかせた執事の背を、うだうだ鬱陶しいンだヨ! と思い切り叩いたジャックは、身体を折り曲げるようにして顔を近づけた。
「テメェの代わりに、俺が命も懸けてやる。だから信じろ」
「、どうして、」
 そこまでと眉宇を顰めた執事に、誤魔化すようににいと笑って体勢を戻した。
「今度のヤツは他の町で一番愛しい相手を守らせるため、他の全てが殺し合うよう仕向けた事がある。その策に一番引っ掛かりそうなのがテメェらだ。リァイリノアのためにテメェらお互いに殺し合いかねねェ」
 そうだろ? と語尾を上げると渋い顔をする執事に小さく笑い、テメェがしなきゃなんねェ事は唯一つ、と指を突きつけた。
「まず自分が死なねェ算段をしろ」
 そしたら後は何とかしてやらァと請け負い、なァ、と視線を変えるとサツキガハラは微かに笑みを刷いて無論だと頷いた。
「私たちはその為に来た」
 だとヨと喉の奥で笑ったジャックは、膝を突いたままの執事を真っ直ぐに見据えた。
「けどまァ、さすがの俺もばらばらに動く三人全員は正直守りきれねェ。だから協力しろ」
 さっさと立てと促し、躊躇いながらも膝を払って立ち上がった執事に目を細める。
「何があってもテメェはリァイリノアの50m以内に居ろ。それなら絶対俺が守ってやる」
 どうせ一度は貸し作ってンだ、気楽に胸借りろヨと少し強く執事の肩を押したジャックは、からかう色を消して少し低めた声で続けた。
「残りの一生、泣かせンなヨ。一番大事な相手ならヨ」



 川原撫子の足元では、猫の姿をしたシャンテル・デリンジャーがのんびりと歩いている。撫でたい欲求を堪えながら辿り着いた領主の館で執務室に向かっていると、一体どういうわけだ! と激昂した声が前方から届いた。
 みゃっと小さな声を上げて飛び上がったデリンジャーは、驚いたのを誤魔化したげに浮いた左手で毛繕いを始める。けれどそんな愛らしい様子に視線を落とす暇もなく、撫子は未だに空気を震わせるような怒りが伝わってくる部屋へと足を速めた。
 少しだけ開いた扉から顔を覗かせると、気を静めるように息を吐いた領主らしい女性が見えた。
「私の出した避難令が、どうして勝手に撤回されている」
 逆らったのは誰だと低めた声で問い詰められているのは、机の前で身を縮込めている二人の女性。一人が震えそうな声で紡ぎかけた言葉を、領主は見据えるだけで奪った。
「言い訳も理由も必要ない、誰がやったかの問いにだけ答えろ」
「っ、占い師のラァルにございます」
「ほう。あの婆様は、いつから私の命を覆せるほど偉くなった?」
「お許しください、領主様。ですがラァルの占いではそれが最善だと、」
 泣き出しそうに右の女性が答えると音高く舌打ちした領主は、ようやく人の気配に気づいたように顔を巡らせてきて目が合った。
「ごめんなさいぃ、怪しい者ではないんですがぁ!」
 立ち聞きする気もなかったんですぅと慌てて説明する間に足元を通り過ぎたデリンジャーは、領主の側に寄って愛らしく鳴いた。怒りの糸をふっと撓ませた領主はデリンジャーを抱き上げ、撫子を見るとちらりと苦笑した。
「みっともないところを見せてすまない、馬鹿の護衛に来てくれた客人だろう」
 問いかけに、抱き上げられたデリンジャーが鼻先を上げて返事をする。領主は優しい手つきで彼女を撫でると、中にどうぞと招いてくれた。
「すまないが、あの馬鹿がどこにいるかは把握していない。守り易くする為なら昏倒させても構わん、多少怪我を負ったところで死ななければ問題ない。生命の保証だけしてくれればいい」
 無茶なようだが客人らも大怪我はしないように気をつけてくれと乱暴ながら気遣ってくれる領主に、侍っていた女性たちは不安そうにする。撫子は二人の様子を見てから領主へと視線を変え、首を傾げた。
「御領主様……リァイリノア様でよろしいですかぁ? 一つ質問があるんですけどぉ、貴女はどうなさるんですかぁ?」
「どう、とは?」
「私たちは五人いますぅ、半数をクスフラさんの護衛に当てたとしてもぉ、残りで貴女をお守りする事はできると思うんですぅ」
 そうしてもよろしいですかぁと提案すると、領主は眉宇を顰めて必要ないと断言した。
「私が依頼したのは、馬鹿の護衛だ。五人全員で当たってくれ、そのほうが客人らの負担も減るだろう」
 話はそれだけかと続ける領主に軽く目を据わらせ、撫子は大きく足を踏み出した。ぐっと拳を作り、不思議そうに顔を向けた領主の側まで行くと躊躇いなく頭突きを食らわせた。
「っ、領主様!」
 悲鳴紛いの声を上げて駆け寄ろうとする女性たちを手で制した領主の腕から反射的に飛び降りたデリンジャーは、あれ、庇わなきゃいけなかったっけ? とばかりに首を捻った。そうしてすぐに撫子を見上げてきたが何か言うでもなく、まぁいっかとばかりに耳の後ろをかいた。
「リァイリノア様も痛いけど私も痛いですぅ……、でも貴女を慕ってる皆さんはもっと痛い筈ですぅ! どぉして皆さんの気持ちを踏みつけになさるんですかぁ? ご自身をもっと大切にしてくださいぃ」
 痛い頭を押さえつつ詰め寄ると、領主は撫子の頭がぶつかった場所を押さえながら複雑そうに顔を顰めた。
「私が皆の気持ちを踏みつけにしていると?」
「町の様子や館にお勤めしている皆さんの様子、少しだけ拝見しましたぁ。皆さんリァイリノア様が大好きで、尊敬していらっしゃいましたぁ。害されて皆の悲しみの声が合唱になる可能性、リァイリノア様のほうが高いと思いますぅ」
 仮称脚本家が狙うとすれば、きっと領主のほうだ。執事を亡くしたくないという思いは理解できるが、撫子には領主の行動がどうしても認められない。
「どぉして私たちの半数で守らせていただけないんですかぁ。占い師さんやクスフラさん、町の皆のお慕いする気持ち、領主の責任を果たすためなら踏みつけてもいいとお思いですかぁ?」
 睨むように言い募っても反論はなく、撫子はぷぅと頬を膨らませた。
「私は違うと思いますぅ。気持ちを汲んだ上で責任を果たすのが、本当のお役目だと思いますぅ。クスフラさんとご一緒に守らせてくださいぃ」
 どちらも守りますからぁと強く請け負うと、デリンジャーも同意するようににゃあと鳴いた。領主は言葉を探すような間を置いた後、滲むように苦笑して額を押さえた。
「耳に痛い正論だな。私としても死んでやる気はなかったんだが──、心配をかけているのも確かか」
 後ろで不安そうに見守っている女性にちらりと振り返った領主は、撫子に向き直って小さく息を吐いた。
「私の民を踏み躙るが真似をして、領主でいられるとは思わない。私の依頼を優先させてもらうのは前提として……、客人の提案を受け入れよう」
 頼めるかと静かな依頼に、撫子は勿論ですぅと笑顔になった。
「脚本家を寄せ付けないのも、勝利の形の一つですぅ」
 ねぇと撫子が笑いかけた先でデリンジャーは二度ほど大きく目を瞬かせ、よく分からないけどそんな感じで、とばかりに首を傾げるようにして頷いた。



 シーアールシー ゼロは、占い師を探して辺りを見回しながら町を歩いていた。不安そうに話し合ったり足早に歩いていく姿は見かけたが、笑顔でいる人はほとんど見当たらなかった。全体的に息が詰まるような緊張感が漂っているが、騒ぎに発展しそうな思い詰めた感は小さい。
 町に辿り着いた時点で、サツキガハラがカミオロシをしてくれたからだろうか。町そのものに宿る大いなる意思を発現させ、悪意を持って足を踏み入れる者の能力や意志を削ぐらしい。
「効果は町のほぼ全域に及ぶ。ついでに犯罪率も低下だ、ちょうどいいだろう」
 小さく肩を竦めてそう話してくれたサツキガハラとは、町に入ってすぐの場所で別れた。執事を見知っていたハートが立ち尽くしている背中を見つけ、聞きたい事もあるからと二人で向かったからだ。
 その後はしばらく川原やデリンジャーと一緒にいたが、とりあえず領主の館に向かうというので一人だけ町に残った。デリンジャーも占い師に興味があったようだが、館に二人は向かったほうがいいとの川原には同意した。
「町をうろつくより豪華な食事にありつ……、うにゃうにゃ」
 顔を洗って途中で言葉を誤魔化したデリンジャーを微笑ましく見送り、ゼロは一人占い師を探して今に至っている。
「でも占い師さんがどの辺にいるのか、さっぱり分からないのです」
 常はどこにいるのかと住人に尋ねてみたが、向こうから声をかけてくるのが大半でどこにいるかは知らない、という答えがほとんどだった。領主の館に向かったほうが会えただろうかと息を吐いた時、婆をお探しかえと唐突に声をかけられた。驚いて振り返ると、枯れ木のような印象の老婆がそこにいた。
「領主の招いた客だろう? 坊を守れと言われたんじゃないのかえ」
「それはゼロの仲間が向かったのです。ゼロは占い師さんに会いたかったのです」
「ひぇっひぇ。婆は恋占はせんがのう」
 何の用かは聞いてやろうてと目を細めた老婆に、ゼロは有難いのですと生真面目に頷いた。
「占い師さんは、自身に纏わる事は占えないものだと聞いたのです。だとすれば、今回死角となるなら占い師さんの周りだと思うのです」
「ほお、ほう? 面白い事を言う嬢じゃ」
 死角となれば何とすると歌うように尋ねられ、ゼロはずばり聞くのですと皺の深い顔を見据えた。
「領主さんの為にと、誰かに何か唆された覚えはあるですか」
「さて。旅人に接触したかという尋ねなら、婆には覚えがないのう」
 旅人がおるかどうかも分からんと、揺れるように頭を振った老婆の言葉に嘘はないように思う。ただ旅人の特質を考えると、既に惑わされている可能性もある。
 ゼロがブルーインブルーで見かけた──実際に姿は見えなかったのだが──犯人は、人の目を晦まし心を惑わせていた。領主の為と吹き込んで執事を殺害させ、その後自害させるくらい平気でやってのけるのではないか……。
 嫌な予測に大きく首を振ったゼロは、改めて老婆を見据えた。
「ゼロは一度、その旅人と会っているのです。でも何故か姿も見えず、動けもしなかったのです。占い師さんが会っていたとしても、今は忘れている可能性もあるのです」
「ほ。会った事も忘れる程度の旅人に、婆が何を吹き込まれたと言うのかえ」
「具体的には分からないのです。でも占い師さんと執事さんが……傷つけ合えば。きっと領主さんの嘆きは深くなるのです。旅人は、それを狙っていると思うのです」
 言葉を選びながら真摯に告げたゼロに、占い師は身体を引き攣らせるようにして笑った。
「婆が坊を殺せば、領主の怒りはきっと凄まじかろうのう」
「そうならないように、ゼロたちがここに来たのです」
 誰も傷つけさせないのですと強く断じると老婆は何か言いかけた口を閉じ、ひぇっひぇと笑った。
「それで嬢は、婆に付き纏うのかえ。婆が坊を殺さぬように」
「皆悲しむ事がないように、最善を尽くすのです」
「さてもお目出度い話よなぁ。生きる事など所詮、苦痛に塗れた茨の道だろうに」
「確かに茨に囲まれる事もあるのです、けれどその間は眠っていればいいのです。それに茨の中で眠っていたら、王子様が助けに来るのです」
 どこかでそう読んだのですと胸を張って答えると、大きく目を瞠ってゼロを見た老婆は何故か声を上げて笑い出した。
「涸れた婆に迎えが来るとしたら、死神だけだろうて。──嬢こそ、占い師になるといい」
 光を齎すが務めよなぁと面白そうに笑いながら言われ、ゼロは首を傾げた。
「とりあえず旅人は、きっと領主さんのところに姿を見せるのです。今ここで捕まえてしまえば他に悲劇は広まらないのです……、協力してほしいのです」
 お願いするのですと深く頭を下げるゼロに、老婆はそれで光を招くならよかろうよと囁くように答えた。



 シャンテルが領主の執務机に乗って寛いでいると、トラベラーズノートを広げた川原が嬉しそうな声を上げた。
「ジャックさんたちが、クスフラさんを捕獲したみたいですぅ。こっちに向かってるみたいですよぉ」
 一緒のほうが守りやすいですねぇと弾んだ声で報告する川原に、領主が小さく溜め息をつく。
「あれが来るなら怒鳴る間もないよう仕事をしたいんだが……、できればそこを退いてもらえないか、客人」
 下の書類が必要だと声をかけてくる領主に顔を向けたシャンテルは、にゃあ、と惚けて鳴いた。
「こんな時までお仕事されないでぇ、襲われた時の心構えとか準備したほうがいいと思いますぅ」
「そう言われても、仕事をしたほうがまだ落ち着くんだが」
 取り上げられるとする事もないと肩を竦めた領主に、シャンテルはそれならと喉を鳴らした。
「接待してくれても良いのだよ? にゃあ」
 何か美味しい物をと無邪気に強請ると、目を瞬かせた領主は息を吐くように笑った。
「これは失礼をした、客人を持て成さず帰したとあれば私の名折れだな」
「でもでも、これから襲撃を受けるかもしれない時にぃ」
 美味しいケーキは魅力的ですけどぉっと揺れながらも止める川原に、領主は構わんと笑ったまま部屋に残っていた女性たちに振り返った。
「仕事ができんなら、気も紛れていい。茶の用意を頼む、客人らのお気に召す物をな」
 お腹は減っているのだよと領主に続けて主張すると、二人の女性はようやくほっとしたように笑って直ちにと部屋を出て行った。入れ替わりに外から扉が開き、そっちも説得できたかと声をかけながらハートが姿を見せた。後ろにサツキガハラと見慣れない男を見つけ、これが執事だろうと見当をつけて眺める。
「お二人とも、お勤めご苦労様ですぅ。そちらが、」
「クスフラ、茶の用意がまだだ」
 執事かと尋ねたかったのだろう川原を遮るように、領主が何気ない様子で言いつけた。部屋にも入らず失礼を致しましたと頭を下げた執事が踵を返したのを見て、慌てて川原も部屋を出る。サツキガハラも同じく追いかけたようだが、ハートは中に入って領主を見つけるとにやりと口の端を持ち上げた。
「顔も見たくねェ、ってトコか?」
 見たら殴りたくはなるからなァと語尾を上げたハートに、領主は否定はせんと苦笑を返す。
「久しいな、いつぞやは世話になった」
「世話って程のコトもねェがナ。けど前回はちゃんと依頼を果たしたんだ、ちったァ信頼しろ。あんたごと執事を守る、それなら今回の依頼からもさほど大きく外しちゃねェだろ?」
 それともあんたも駄々捏ねンのかヨ? と揶揄するように目を細めたハートに、領主は降参とばかりに手を上げた。
「既に痛い説教をされた後だ、客人らの判断に任せる」
「やけに素直だナ。何があったンだ?」
 楽しげに尋ねてきたハートに、シャンテルはちらりと領主を見てからにゃあと鳴いた。何だそりゃと眉を上げたハートを眺めながらも、シャンテルは耳を動かして辺りを探る。
 人間関係はよく分からないしあまり興味もないが、依頼内容は覚えている。ロストレイルでシーアールシーが話していた相手なら、物体透過ができるかもしれない。この瞬間にも踏み込んできかねないなら、常に警戒しておくべきだろう。
 ハートにしても領主と話しながら部屋を見回し、いつでも確認できるようにノートを広げている。執事は追いかけた二人はさておき、シーアールシーが何をしているのか気になったが問題があれば連絡がくるはずだ。
(でも、さっきから何か……)
 気になる、引っかかる。改めて部屋を探っても不審な点は見受けられない、何がこんなに気になるのかと神経を尖らせているところへ川原たちが戻ってきた。扉を開けてまず入ってきたのは川原で、手にしているトレイにはスコーンやケーキが載っている。続いて入ってきた執事は領主を確認するように顔を向け、不審も露に顔を顰めた。
「そこで何をしている?!」
 誰に断って入り込んだと声を荒げた執事を庇うように、サツキガハラも部屋に入って太刀を構える。
「何を言っている、クスフラ」
 戸惑ったように領主が眉を顰めると、油断してましたぁっと川原がトレイを投げるように置いて背負っていた小型の樽に繋がる銀のホースを構えた。
「知人と錯誤させる能力だとは思ってましたけどぉ、まさか真理数まで再現できるなんてぇ!」
 今すぐ押し流しますぅと川原がホースを領主に向けると、トレイを投げ捨てた執事がよせと彼女の腕を押さえて止める。。
「何を考えている、あれは領主様だ!」
「はァ!? テメェが誰だっつったンだろ?!」
 あの領主は本物か偽物かとハートの投げるような問いかけに、何を言っていると分からなさそうに執事は眉根を寄せた。
「誰も領主様の話はしていない、その後ろにいるのは誰かと、」
「やれやれ……、たまにいるんですよねぇ、お願いの効かない方が」
 まだ役者も揃ってませんのにと、唐突に領主の後ろから知らない声が聞こえた。



 執事の誰何を聞くなり雪は即座に太刀を抜いて軽く指先に傷を作り、血を媒介に自らの内に神を顕現させた。ただでさえ疲れる通常のカミオロシよりも疲労を伴うが、皇脈筋と呼ばれる大神を下ろすと身体能力が跳ね上がる。この場においては即時の制圧が何よりだと踏んだのだが、執事を庇うように部屋に入っても真理数の見えない者は共に赴いて来た三人しかなかった。
 川原やハートが車中で話していたように彼ら以外に真理数のない者が犯人だと理解していたが、全員の視線を浴びているのは領主と思しき女性だけだ。
 この場に、シーアールシーがいないのが悔やまれた。別の世界で旅人と対峙した事があるのは彼女だけだ、もしかすれば何か分かったかもしれないのに。
「見えない……、透過能力? でも執事さんには見えるのかな」
 視線で部屋中を探りながら尋ねた女性にも見覚えはなかったが、位置を考えればデリンジャーだろう。問われて執事は不安げに雪たちを見回し、見えないのか? と聞き返してくる。領主も咄嗟に振り返ったが見つけられなかったのだろう、不安げに執事を呼んだ。
「見えているのがクスフラだけなら正確な位置を、」
「いいえ、それは困ります。何の為に私がお願いしたか、分からなくなるでしょう?」
 声は、確かに領主の後ろから聞こえる。風もないのに領主の髪が揺れ、触れるなと怒鳴る執事の声からもそこにいると確信するのに今度は身体が動かなかった。
「さて、執事さんも動かないでくださいねぇ。私の手に領主様がおられるのを、どうぞお忘れなく」
「ハッ、他人様を散々振り回しといて、自分は姿も見せねェってか? しかも人質取らねェと動けねェとは、お粗末だナ?」
 挑発するようにハートが領主の後ろを睨みながら吐き捨てたが、どうやら執事を除いた全員が動けないらしい。
 落ち着けと自分に言い聞かせて呼吸を整え、息もできれば声も出せるのを確認する。視線は動く、考える事も可能だ、これならばハートは先ほども使ってみせた力を使えるのではないか。ただ問題は相手の気配がぼんやりとしか分からず、領主のすぐ側にいて巻き込みかねない事だ。
「領主様から離れろ、侵入者」
「そうですね……、ではこうしましょう。あなたが邪魔な方々を始末してくだされば、私は退散しますよ」
 簡単でしょう? と笑いながらの提案に、馬鹿を抜かせと領主が吐き捨てた。
「貴様がさっさとこの無礼者を取り押さえればすむ話だ、クスフラ!」
「ああ、まったくその通りですねぇ。ですが彼が辿り着くまでに、あなたの首筋を撫でるくらいは簡単ですよ」
「やめろ!」
 悲鳴のような執事の声から、見えないが領主の首筋に刃物が当てられている想像はつく。
「執事に私たちを害させて、何の得があるんだ?」
 教えてくれないかとデリンジャーの問いかけに、見えない相手は音の為と短く答えた。それ以上を説明する気はないらしく、笑うように執事を促す。
「私はどちらでも構いません、元より領主が死ねば音は満ちる──、それを目的に訪れたのですから。ただここまでの音のお礼に、チャンスを差し上げただけです」
「っ、他人の不幸が蜜の味たァ随分緩くて貧しい脳みそだナ」
 相手の怒りを誘うようにハートが鼻で笑うと、そうですねぇと相手は楽しそうに頷いた。
「自分が不幸だと知らない、私は幸せなんでしょうねぇ」
 独り言めいて呟いた相手は、さて、と気分を切り替えたらしい。
「お喋りはこの辺にして、選んでください。唯一を重んじて助けに来た方々を殺すか、義理を通して唯一を喪うか。ああ、どちらも選び難いのなら自害の選択肢も差し上げましょうか」
 どうぞ目の前で喉を突いてくださいと親切ぶった勧めに、執事の視線が大きく揺れた。やめろと雪が執事を諌めるのと、今なのです! と叫んでシーアールシーが部屋に飛び込んできたのはほぼ同時だった。
 何が起きたかと、見えない存在も気を取られたからだろうか。不意に身体にかかっていた圧が取れ、雪は近くにいた執事の背を押して領主をと短く告げた。
「ノア!」
 躊躇うような愚を犯さず駆け寄って領主の手を取り、庇うように抱き寄せた執事にさっさと退けとハートが怒鳴りつけた。
「テメェは逝っちまいなァ!」
 未だぼんやりとした気配しか掴めない辺りに、雷が落ちる直前のような兆候が走る。
《逸らせ!》
 切羽詰ったような音が聞こえたと思った時には、視線の先に黒い影が人の形に揺れた。その影の間近に、当たれば即死したのではないかと思われる威力の雷撃が落ちる。ちっと舌打ちしたハートが再びを試みる前に、雪は影を目指して太刀を振るった。手応えはあったが何故か狙いを外したようで、人影は分厚い本を持った腕を押さえてよろめくように雪から離れた。
「雪さん、退いてくださいぃ!」
 巻き込んだらごめんなさいぃと謝りながら川原の持つホースから激しい水流が放たれたが、壁に押し付けられるはずの人影は巻き込まず近くの壁と床を濡らしたに終わった。どぉしてぇ!? と戸惑ったような川原の声に被さるようにして、
《動くな!》
 頭の中に響くような音が響くなり、またしても凍りついたように動きが取れなくなった。咄嗟に視線を動かすと、顔を隠すように黒い本を持ち上げている相手は深い溜め息をついた。
《見るな》
 やれやれとでも続きそうな音を境に再び視界から人影は消え、どうなってンだと苛ついたハートの声が耳を打った。
「人の館で好き放題ですねぇ……、あんなに大きな穴まで開けて」
 逃げられたではありませんかと相変わらず聞こえる声が示したのは、隣の部屋に続く壁に大きく開けられたそれだろう。デリンジャーがいないところを見ると、そこから執事たちを逃がしてくれたらしい。
「とりあえず執事さんたちが助かったのは、いい事なのです」
 約束は果たしたのですと嬉しそうな声はシーアールシーで、多分に彼女も動けないのだろうが扉を塞ぐほどの大きさでそこに座り込んでいた。



 ゼロが占い師と領主の館を訪れた時、既に執務室では旅人の存在に気づいた後だった。即座に飛び込まなかったのはノートで連絡を取った際、動けないが力は使えたハートに隙を衝きたいから機会を窺ってくれと指示されたからだ。ついでに一緒にいた占い師に飛び込む万全のタイミングを占ってもらったのが功を奏したのか、見えなかった旅人の姿を一瞬だけでも捉えられた。
 それにデリンジャーが機転を利かせて執事と領主を部屋から連れ出してくれた、後はこの部屋から犯人を逃さず捕まえられればいいのだが。
「クソッ、外した。けどまァ、そこにいるなら次は、」
「攻撃は止めないが、できれば雷撃は控えてほしい。こちらにまで被害が出そうだ」
「ごめんなさいぃ、絨毯ずぶ濡れですぅっ」
 どぉして外したんだろうぅと地団太を踏む川原の言葉は攻撃を仕掛けた三人揃っての本音だろうが、逸らせと聞こえたあれが原因ではないかと口を開いた。
「お願いが効かない相手がいると、さっき自分で言っていたのです。察するに今は、動くな、見るなとお願いされている状態なのです」
「動き出した時は見えなかった、逸らせと聞こえて姿が見えたという事は──できる命令は二つが限度か」
「命令なんて無粋な言い方はやめてください、私はただお願いしているだけですよ」
 サツキガハラの確認に、そう言いましたよねぇ? と同意を求める声がひどく近かった。まさかと握っていた香水便を隠そうとしたのに、敢え無く取り上げられたそれはすぐに見えなくなった。そこに入っている犯人確保の為に用意した強力な睡眠薬は、一息でも吸い込めば昏倒するほどの威力だ。
「毒ではない事をお祈りしますよ」
 そうであっても問題はありませんがと笑った気配は、壁に開いた穴へと向かった。そこから部屋に向かって流れてくる風を感じ、相手の意図を察したところで動けないのはどうしようもない。
「命令とは、こんな絶対的な威力を指すんだと思いますよ」
 言いながら、しゅっと吹きつける音がした。咄嗟に全員息を止めたが、吸え、の音に深く吸い込んでしまう。これでも命令でないと言い張る気だろうかと考えた頃には動けるようになっていたが、強烈な眠気に襲われてゆっくりと身体が倒れた。テメェ、とどこか遠いハートの声に続いて部屋を衝撃波が走ったが、怖いですねぇと惚けた声にダメージを与えられなかったと悟る。
「せめて役者が揃っていれば、もう少しいい音にもなったでしょうに……」
 残念ですとしみじみ呟かれた言葉を最後に、ゼロの意識は途切れた。



 シャンテルは庭まで執事たちを避難させた後、戻るべきかどうか迷いつつ二人の側についていた。
(多分あちらで始末はつくだろうが……、万一もある)
 元より捕獲ではなく護衛が依頼だ、二人を守り通すのが先決だろうと辺りに気を配りながらノートを窺う。捕まえたなら連絡は入るだろう。
(まさか見えないなんて)
 執務室でずっと感じていた引っかかりは、いるはずのない存在の分かり辛い気配だったのだろう。自身に透過能力があるのではなく、他人の視界を強制的に制限するとは。分かっていたら手の打ちようもあったろうにと奥歯を噛み締めていると、背後で執事が領主を庇うのが見えた。
 察してどこと短く尋ねると、執事が指した方向を睨むように見据える。地面を液化させて捕まえようにも、やはり相手の姿は見えず気配もはっきりとしない。
「そんなに怖い顔をしないでください。仕上げの音は足りませんが、それなりにいい音に満ちました……、今回はこれで満足しておきます」
「皆はどうした!」
「今はぐっすりとお休み中ですよ。腹いせに誰か一人、と思いましたが、」
 じわりと滲むような殺気にふーっと牙を剥くと、見えない相手はしていませんよと楽しそうに答えた。
「役者が揃わない内に姿を見せる羽目になったのも、あなた方の手際を見誤ったのも私の手落ち。これ以上傷を負わない内に引き上げます」
 言われて鼻を引くつかせると、微かに血の匂いがした。執事がじりじりと後退りするのを見て間に立ちはだかるよう位置を調整したが、ただ通り過ぎていくような気配に眉を顰めた。執事の協力があれば捕まえられるかもしれないがシャンテルだけで二人を庇い通すのは無理がある、下手に刺激するよりは出て行かせたほうがいいと思い直した。
 しばらくして微かに漂っていた血の匂いもしなくなると、唯一見えている執事に声をかけた。
「本当に出て行ったかな?」
「そのようだ。姿は見えなくなった」
 戻ってくる様子もなさそうだと固い表情をしたまま頷いたのを見て領主も詰めていた息をそっと吐き、用心はしておけと執事の背中に言い置いてシャンテルに向き直ってきた。
「客人、助かった、礼を言う。部屋に残った客人らが心配だ、もう戻っても構わんだろう」
「そうだね、寝ているだけならいいけど」
 安否の確認はしておかないとと頷いたシャンテルに、領主は歩き出しながら軽く髪をかき乱した。
「しかし見えずに取り逃したのは痛いな……、また他所で暴れられては申し訳ない」
「気にする事はないのだよ。その時はその時だ」
 今回を遣り過ごすのが重要だったと告げたシャンテルに領主は僅かに口許を緩めた後、振り向きもしないで後ろをついてくる執事を指した。
「礼に代わるかは分からんが、少しはあれも役に立つだろう。以前助けてくれた客人が、記憶を読めたはずだ。あれの見た姿は伝えられると思うが」
「あー。それは皆が喜ぶ。かもしれない」
 シャンテルとしてはさほど興味は覚えないままも頷き、結局手をつける暇もなかったお茶会のセットに切なく吐息した。
「それはいいけど……、接待してもらいそびれたのだよ」
 残念と小さく呟くと隣を歩いていた領主は小さく笑い、改めて茶会にご招待しようと楽しそうに提案してくれた。

クリエイターコメント執事の護衛その他にご協力頂き、誠にありがとうございました。

今回は後味の悪い結末もいいかなーとぼんやり考えていたんですが、皆様揃って隙のないプレイングでして、ほぼ何事もなく終わる事ができました。
ええ、それはもう鉄壁でした。旅人及び書き手がこうしようと思っていた計画が、脆くも崩れ去るほど(笑)。鉄壁っぷりが素敵でした。

犯人に関しては本気攻撃して頂けたので、咄嗟に姿を見せるくらい追い詰められました。残念ながら捕獲にまでは至りませんでしたが、執事の見た姿も皆様に共有して頂けます。
最悪の事態を避けるどころか、最良の結末になったのではないかと思います。皆様の優しく力強いプレイングに心から御礼申し上げます。

相変わらず字数の壁に阻まれて言葉足らずなところもあると思いますが、少しでも楽しんで頂ければ幸いです。

ご参加、ありがとうございました。
公開日時2012-03-11(日) 19:50

 

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