「いや、悪いねぇ。忙しいなか呼びつけてもうて」 ちっとも悪意とかごめんなさいとかの気持ちなんてない爽やかな笑顔に猫撫で声。 黒猫にゃんこは――現在は着物にキセルを銜えた黒猫の姿だ。くわえていたキセルを口から外すと、ふぅと紫煙を吐きだして首を曲げた。「今日の依頼は、危険なことはあらへん。ただなぁ」 黒い目が試すようにロストナンバーを見つめた。「お前さんら次第やな。……というのも、今回の依頼は黒埼壱也の調査や。クランチの部品までいれて協力しとるんかが気になってな。それも、この子、お前さんらの報告では、戦闘中に何度も苦しがっとるみたいやし……」 んー、と思案顔で黒猫は顎を指で撫でた。 正直、黒埼壱也についてはその容貌とともに、壱番世界の人間でありながら旅団に協力し、クランチの部品を埋め込まれたことによる能力――他の能力者同士の力を合わせて使うことが出来ること、それくらいしかわかってはない。「うちにおる壱番世界のモンは旅団をいややと思っとる。自分らの世界に殺人鬼よこしてきたりとかしるから当然や。……それに手を貸すのが解せん」 だから調べてきてほしい。 黒埼壱也はなぜ旅団に協力するのか。 彼自身が己の故郷の壱番世界を憎んでいるのか、それとももっと別の理由があるのか。 すっとチケットを差し出して黒猫は微笑んだ。「前のときこの子の知り合いである比嘉あかり、久遠真人というモンも見つけたからな。そこらへんからいろいろと聞きだすとええかもしれん。向こうさんのことがはっきりしたら、お前さんらも説得にしろ、戦うにしろ、やりやすいやろう?」 それに――「決断する時がきたとき、知らんかったは言い訳にならん」
にゃおん。 光の加減で灰色にも見える毛に黒い斑模様――アメリカンショトヘアーのような猫はとことこと進む。 その横を見事な金色の髪の毛を輝かせた赤い瞳が印象的な少女が歩く。 今回、世界樹旅団に属する黒埼壱也の調査にやってきたシャンテル・デリンジャーとリーリス・キャロンだ。 本来は三人で望む依頼なのだが、ハーデ・ビラールは現在単独行動をとっている。 「うーん」 シャンテルが伸びをすると美しい毛並みがふわりっと揺れる。 「私、彼のことよく知らないんだよね」 「そうなのぉ?」 「うん。私、新米なんだー。だから知っていたら教えてほしいかな」 リーリスがシャンテルを見て微笑んだ。 「私は何度か会ったよ。うーん。旅団向きではなかったかなぁ」 小首を可愛く傾げて告げるリーリスをシャンテルは興味深そうに見上げて、尻尾を振った。 「協力しているのはなんでだろうね?」 「がんばって調査したらわかるかも! ……そういえば、気になってたんだけどぉ」 リーリスがじぃとシャンテルを見つめた。 「ん、なぁに?」 「猫さんなのね」 「今回は戦闘の可能性がないから、それに人の姿のほうが目立っちゃうし……へんかしら?」 シャンテルはその場に腰かけて、自分の姿を見まわした。 「ううん。かわいい~」 とリーリスは蕩けるような笑顔を浮かべ、両手を伸ばしてシャンテルを抱き上げた。 「抱っこしてていいかな。だってね、二人で一緒に行くんだから」 「いいわよ」 「やったぁ。んふふ」 リーリスにとってはこれは大切な食事でもあるのだが、完璧な無害な子供のふりで見事にシャンテルを騙しきった――そもそも本性は一部の者しか知られてはいない。 猫とネコを被った少女は一緒に比嘉あかりのいる学校へと向かった。 平日なので学校に行けば、きっと比嘉あかりに会えるとシャンテルとリーリスは踏んだ。 「あかりちゃんは私の姿を知っているから、話は聞きやすいんじゃないかなぁ?」 「だといいね。けど、あかりおねぇちゃん、どこだろう?」 二人は辛抱強く、下校する学生たちの顔を一つひとつ確認していく。 「君たち、なにしてるの?」 「え?」 「にゃあ?」 二人の前に困った顔をした生活指導の教師が立っていた。 「えっと、私達、あかりおねぇちゃんに会いに来たの。お話ししたくてぇ」 「にゃあにゃあにゃうん」 リーリスがうるっと赤い目に涙をためて言い返し、シャンテルも必死に鳴いて弁論する。 「参ったな。キミたち、部外者だし」 「おねがぁい、せんせぇ」 リーリスはこっそりと魅了の力を全開にして、教師の心を握る。 「……ちょっと待ってなさい。あの子は、いま、部活中だから」 教師がふらふらと踵返すその背を見て、二人は顔を見合わせた。 「やったね」 「うん」 シャンテルが上機嫌で尻尾をふるのにリーリスもにこりと微笑む。 五分後。 弓道衣に身を包んだあかりは、シャンテルとリーリスの姿を見て顔を強張らせた。 「あなたたちは……着替えてくるので待っててください。部活を急いで抜けてきたんです」 「うん。その服、なぁに? 部活のお洋服?」 「私、弓道部なんです」 「にゃあ」 「へぇ、きれい」 シャンテルとリーリスは感心の声をあげた。するとあかりは照れたように笑って、一度消えたが、五分後に制服姿で戻ってきた。 「それで、なにが用なんですか?」 不安と緊張がない交ぜの顔であかりはリーリスとシャンテルを見た。 「うーん、黒埼壱也って名前しってるぅ?」 「壱也お兄ちゃんに、なにかあったの?」 「にゃあ。私たち、彼について聞きたいの」 シャンテルの言葉にあかりは頷いた。 「だったら、私の家がいいわ。うち……カフェなんです」 あかりに連れられて移動する中で、シャンテルはあかりが巻き込められた事件がどう処理されたのかを聞いた。 学校全体が謎の腹痛に襲われ、集団食中毒と処理された。一番の被害者であるまなみは現在も病院に入院中。 「ばたばたしていたのも、一週間も過ぎて落ちついたけど」 そう締めくくったあかりは足をとめて、 「ここよ」 示されたのは小さな小洒落たカフェ。なかにはいるとカウンターとテーブル席が五つほどのこじんまりとした造りだ。 カウンターにいた中年のマスターがあかりに目を向けて微笑む。 「パパ、お客さんがいるの。ちょっとだけ奥の席を借りるわね」 「お客さんがちょうど引けたから好きになさい」 あかりに連れられた二人は、奥のテーブルに腰を降ろした。すぐにマスターがジュースを二つ、ミルクを一つ置いて邪魔しないように去っていった。 せっかくの好意にリーリスとシャンテルが飲み物で喉を潤しているとあかりは真剣な面持ちで尋ねた。 「それで、壱也お兄ちゃんのなにをあなたたちは知っているの? 私は、協力するけど……何も知らないままはいやよ」 「うーん。私たちもよくわからないのけど、大変なことになっていると思うの。……ねぇ、壱也さんは失踪したって聞いたけど、それはなんで?」 シャンテルの問いにあかりはぎくりと身を強張らせた。リーリスは赤い目を眇めて、その心を読みとると激しい痛みと絶望の感情が見えた。 「あのね、私、この前、真人おにいちゃんと知り合いになったの。真人おにいちゃん、おねぇちゃんのお話ばかりするから、どんな人かなぁって、会いにきたの」 リーリスはさらに言葉を続ける。 「ずばり聞くけど、おねぇちゃんの好きな人、真人おにいちゃんじゃないよねぇ?」 「真人お兄ちゃんは、ううん、真人は幼馴染よ。好きとかはないわ。真人が私のことを言っていたなんて……気にしているのよ。あのときのこと」 「あのときのこと?」 「にゃあん」 二人の声にあかりのかたい唇がゆっくりと動いた。 「付き合っていたの。……私と、壱也お兄ちゃんは……壱也お兄ちゃんが大学にはいるために、日本に帰ってきたの」 「日本にかえってきた?」 シャンテルが首を傾げる。 「壱也お兄ちゃん、小学生のときにアメリカにいったの。……そのあとも私たちずっと文通を続けていて……日本は去年、大学に入るために戻ってきたのよ。壱也お兄ちゃんは、真人お兄ちゃんと同じ大学に入って、また小学生のころみたいに三人一緒だよって」 帰国した壱也を真人とあかりは小学生のときと変わらず、受け入れた。 三人のなかに溝はなかった、はずだった。 しかし、互いの時間が忙しくどうしても三人の時間がとれない。それを黒埼が不安に思っていたことをあかりも真人も感じていた。 「お兄ちゃんから告白されたの。付き合ってほしいって……それで恋人になったけど、そうなると真人お兄ちゃんが遠慮して」 それからまたぎくしゃくしてしまった、とあかりは呟いた。 壱也は三人でいようとするのに、真人は気を使う、あかりもどうすればいいのかわからない。 「あの日、私たち、壱也お兄ちゃん抜きで会ったの。相談のために……けど、それを壱也お兄ちゃんに見つかって。壱也お兄ちゃんは悲しい顔をしていたわ……三人の時間を俺が壊したって、そして私たちの前から消えたの……行方がわからなくなったの」 にゃあ。シャンテルは慰めるように尻尾であかりの頬を撫でた。 リーリスは赤い目を瞬かせて、ふぅんと心の中で呟いた。よくある三角関係とは少しだけ違うんだ。 「凄く頭が良くて、でも体が弱いんだよね、心配だね」 「ええ」 「そろそろハーデお姉ちゃんと合流しよう。シャンテルちゃん。あかりおねぇちゃんも一緒にいこう? これからね、真人お兄ちゃんにも会いに行くの」 リーリスが差し出した手をあかりは恐れながらも、しっかりと握りしめた。 ★ ★ ★ ハーデと向きあう真人の間には肌に痛いほどの殺気と緊迫が流れていた。 ハーデは油断も隙もなく、いつ真人が逃亡を謀ったとしても、それを力でねじ伏せるつもりでいた。 美しい褐色の肌に、今は壱番世界の服装を身につけているが、鍛え上げられた肉体は隠しようもなく、鋭い目は戦士のそれ。 ハーデはあらかじめ司書から入手した久遠真人の情報を元に、大学をあたった。丁度、授業が終わったらしい真人は現れたハーデの姿に動揺した。ハーデを見ただけで何者かわかったらしい。記憶がしっかりとあるのはハーデにとってありがたいことだ。 周囲の男子たちが恋人か? 美人だなと茶化すのを聞き流した真人は、ハーデを大学の食堂に連れてきた。 そのときハーデはさりげなく窓といった逃亡可能箇所を確認、自分の背に入り口が位置するように座った。 「久遠真人だな? 黒埼壱也の話が聞きたい。この前の夜のこと覚えているだろう? 私たちに借りがあるはずだ。違うか? こちらも教えられることは教えよう」 「……取引か?」 「そういうことになる」 「なにが知りたい」 「黒埼壱也の家族歴成育歴全てが知りたい……彼がこの世界を滅ぼそうと思った理由は? 家族仲が悪く疎まれて育ったのか。それとも守りたいものがあるのか」 ハーデの問いに真人は顔を強張らせた。 「あの女と仲が悪いとかあるかよ」 「あの女?」 「壱也の母親だよ」 口調からはっきりとした嫌悪と憎悪が感じられた。ハーデは精神感応をこっそりと施して思考を読んだ。 人の顔に、黒いマジックで塗りつぶしたように、嫌っている。 「知りたいなら教えてやるよ。壱也のこと」 真人が語ったのは壱也の経歴だ。彼は母親のみの家庭で育ち、小学五年までは日本。そのあとは母親の仕事の関係でアメリカ。日本にもどってきたのは去年のこと。 真人と壱也は小学校が同じで、家も近所だった。また同い年ということもあり、親しくなったそうだ。 「壱也は頭がよかった。……アメリカでは、スキップで大学はもう卒業してるし、いろんな論文を出したり、かなり有名な先生に注目されてる。この大学にはいったときは、ちょっとした話題だったよ、なんでここにあの天才がいるんだって」 真人は嘲笑う様に肩を竦めた。 「俺らとまた会いたいだけに、壱也は戻ってきたんだ」 「お前はそれが疎ましいのか?」 真人はキッとハーデを睨みつけた。 「あいつは俺の大切な親友だ。誇りに想いこそすれ、なんで疎むんだよ」 「だがお前の心には、なにかがある。隠しているな」 ハーデの指摘に真人はぎくりと震えあがった。 「お前は真実しか語っていない。しかし、言っていないことがある、違うか?」 「……言いたくない」 きっぱりと真人は言い返し、深呼吸をひとつ。 「これは取引なら、ここまでのことで壱也のことを語ってくれてもいいはずだ」 「……そうだな」 ハーデは鷹揚に頷いた。 「壱也のことはだいたいわかっているな?」 「なんとなくは……ろくでもない奴らと関わってる」 「そうだ。私たちは彼のはいった組織はエリザベート・バートリの裔だと考えている。彼らは自分たちが力を得るために他者を殺し、世界を壊す。彼らは他の世界で村を襲って全滅させたこともある。私たちは彼らと戦っている、出し抜かれることも多い。……黒埼は、私たちが奴らに勝てぬと思ったから自分の居場所を一番最後にしてもらおうと奴らと取引したと」 「ありえない」 ハーデの言葉を遮って真人は言いきった。 「ここが壱也の居場所にはならない」 「ほぉ、なぜだ。お前は確信を持って告げたな。……後悔しているならば語れ。彼が失踪した直後のこと」 またしても沈黙とともに反抗的な目を向けられたが、ハーデの心は凪いだ海のように静かだった。最悪、リーリスとシャンテルと合流すればなんとかなるはずだ。 「壱也のいる組織は、延命治療が受けられる。ただし、そのかわりに殺人を要求される。私の知る限り彼は大勢を傷つけ、数名を殺した」 刃物を相手の喉へと突きつけるかのようにハーデは語った。 「お前はそれでも戻ってきてほしいか?」 「延命なんて……壱也は……壱也は、やっぱり生きたいのか……?」 「あ、いたいたー」 「にゃおん」 重い空気を吹き飛ばすように、明るい声が二つ。真人は目を瞬かせたのに、ハーデも振り返った。 「来たか」 あかりと手をつないで、シャンテルを抱っこしたリーリスがにこりと微笑む。 「おまたせぇ~。ここまでね、あかりおねぇちゃんに案内してもらったの。ほら、ノートで連絡もきてたし。ありがとね、ハーデおねぇちゃん」 「……座ったらどうだ」 「うん」 にゃうん。 リーリスはちょっとだけ名残惜しそうにあかりから手を離すと、ハーデの横にシャンテルを抱っこしたまま座る。 あかりは真人の横に腰かけた。 「お前、なんでここに」 「なんでかな。来ちゃったの」 あかりと真人の間にはどこかぎこちない空気が流れる。 その間にリーリスとシャンテルは手早く自分たちが得た情報をハーデに伝えた。 「お前たちが隠していることを聞きたい。なぜ彼はこの世界に居場所がないんだ? お前たちに否定されたからか?」 「にゃあ。教えてほしいなぁ。発作を彼は起こしているのも気になるんだよ」 「発作……壱也は……」 「教えて、お兄ちゃん」 リーリスの赤い瞳が輝く。 「……壱也は心臓に病気をもってるんだ。二十まで生きられてないっていわれてた……けど、今までなんとか生きてこられたんだ。きっと長く生きれるって希望をもってる。アメリカにいったのも、心臓移植のためだったんだ。けど、壱也はそれを否定した。あいつ、人間が嫌いなんだ」 「嫌い?」 「……母親のせいだよ」 真人は吐き捨てた。 「壱也は」 「お兄ちゃん」 あかりが止めようとしたが真人は続けた。 「壱也は……試験管ベビーなんだよ……父親はいない。いや、精子バンクの提供者の誰かなのかな。壱也は知ろうともしてなかったけど」 ハーデは目を眇めた。 「壱也の母親はさ、わりと偉い学者の人で……子供の頭の良さしか見てない人で、壱也の体が弱いってことで、母親はアイツに欠陥とか言ってたんだ。 父親がいないってことを母親は隠してなかったから、壱也のことは周りのみんななんとなく知ってた。子供って残酷だろう? そういうのをさ、いじめの道具にて……壱也は一人ぼっちだった。頭がいいけど、人づきあいが下手でさ」 「壱也お兄ちゃん、知らなかったのよ、人との付き合い方を」 「アイツの人間関係って、たぶん、俺らと引き離されたときから変わってないんだ」 真人はため息をついた。 「だからあいつがこの世界を憎んで、生き延びるためにテロするのには納得する。あいつにとって守りたいものなんてないんだよ。だって俺ら、あいつを失望させた。……自分だけ置き去りにされるってあいつは怯えてたんだ。なのに、守れなかった」 苦い告白が終わった真人はハーデを睨みつけた。さすがにリーリスやシャンテルを相手に敵意を剥きだしにするのは大人げないと思ったらしい。 「あんたたちは壱也をどうするつもりなんだ」 「戻ってきてほしいのか」 ハーデの再度の問いにあかりと真人は頷いた。 「ならば祈れ。……私の大事な相手を殺そうとした一味の一員など、早々に死んでくれても構わんが……お前の顔を立てて、会ったら説得ぐらいしてやる」 「にゃん、私もするよ」 「私も」 「……ありがとう」 三人の返答に真人は肩から力を抜いた。 「壱也さんのお家、どこか教えてほしいんだけど」 シャンテルが遠慮がちに尋ねると、二人はあっさりと教えてくれた。 「一人暮らしのマンションはそのままのはずだ」 真人とあかりは三人を大学の門前まで見送ってくれた。 ハーデはシャンテルを抱っこし、歩き出すときちらりとリーリスの耳元に囁いた。 「リーリス、頼むぞ」 「うん」 ハーデとシャンテルが去ったあと一人残ったリーリスはにっこりと笑顔を浮かべる。 「ごめんね? ちょっと、こっちのほうにきて。うん。人がいないほうがいいの。なんでって、それはね? ……私を見なさい!」 リーリスは魅力の力を最大限に二人に命令を下した。 「久遠真人、比嘉あかり、お前たちは今日、黒埼の事が気になって会う約束をした。夕方まで2人だけで黒埼の思い出を語り合った……誰にも会わず、昔の黒埼のこと以外の話しはしなかった……行け!」 真人とあかりはその言葉にふらふらと糸のきれたマリオネットのように歩き出す。リーリスはそのあとを、二人がきちんと家へと戻ったのか確認するためについていった。 「リーリスちゃん、いいの? 来ないけど」 「ああ。心配ない。二人が家に戻るまで護衛をするそうだ。ロストレイルで待ち合わせしてある」 ハーデはシャンテルと黒埼が一人で暮らしていたマンションに訪れた。 部屋の前でシャンテルは人の姿になると、ドアをどろどろに溶かして二人はやすやすとなかへと侵入した。 「ここで生活していたのか」 「気配がまったくないね」 ハーデとシャンテルが困惑するほど、部屋はなにもなかった。 机とベッド。それだけだ。 部屋全体が埃ぽいので、壱也は旅団に属してから壱番世界には一度も帰っていないらしいことが伺える。 シャンテルは机の上にある写真を手にとった。 「黒埼くんは、本当に二人のことしか考えなかったんだね」 古びた、くしゃくしゃに色あせた写真。 そこには幼い真人、あかり、微笑んだ壱也がいた。 「黒埼くんは、きっと世界を憎んでる。けど、同じくらいこの二人のことを守りたいんだね。だから旅団に協力してるんだね。だって、世界を憎んでいたら、この世界を一番に破壊しようとするはずだし、あの事件のときに真人くんを庇ったりはしないはずだもの」 「……守りたいもののために別のなにかを壊す……褒められた方法ではないな」 「うん。けど、それしか方法がないと彼は思ったのは悲しいね」 シャンテルは幸せな子供たちの写真を優しく撫でた。
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