公然の秘密、という言葉がある。表向きは秘密とされているが、実際には広く知れ渡っている事柄を指す。秘密とはこの世で最も脆いもののひとつ、それを打ち明け共有出来る友を持つ者は幸いである。胸に抱えた秘密の重さは人に話してしまえば軽くなるものだし、更には罪悪感を連帯所有することで深まる絆もあるだろう。 ……さて。あなたはそんな、誰かに打ち明けたくてたまらない秘密を抱えてはいないだろうか?それなら、ターミナルの裏路地の更に奥、人目を避けるように存在する『告解室』に足を運んでみるといい。 告解室、とは誰が呼び始めたかその部屋の通称だ。表に屋号の書かれた看板は無く、傍目には何の為の施設か分からない。 ただ一言、開けるのを少し躊躇う重厚なオーク材のドアに、こんな言葉が掲げられているだけ。『二人の秘密は神の秘密、三人の秘密は万人の秘密。それでも重荷を捨てたい方を歓迎します』 覚悟を決めて中に入れば、壁にぽつんとつけられた格子窓、それからふかふかの1人掛けソファがあなたを待っている。壁の向こうで聞き耳を立てているのがどんな人物かは分からない。ただ黙って聴いてもらうのもいいだろう、くだらないと笑い飛ばしてもらってもいいだろう。 この部屋で確かなことは一つ。ここで打ち明けられた秘密が部屋の外に漏れることはない、ということ。 さあ、準備が出来たなら深呼吸をして。重荷を少し、ここに置いていくといい。
「ここは神に告白するところと聞いたのだ」 「そのように捉える者も居るとは思うが」 ベルベットのソファに身を預け、カンタレラはどことなく居心地が悪そうにそろりと辺りを見回した。告解を受ける者は穏やかに笑い、どうとでも取れる返事のあとにこう続ける。 「格子窓の向こう、わたしの声に神を見るのならそう捉えて構わない。ここはそういう場所だ」 「む、成る程。我は神に祈ったことがないがこの部屋がどういうものかは知っている。だから少し不思議な気分なのだ」 神。それは憎み、忌むべき対象であると、カンタレラの記憶にはあった。だから神に祈ることなどありえない、あってはならないことであったし、自分がこうして『告解室』と呼ばれる場所に足を踏み入れているのにも妙な感じがした。 それでも。 「我は祈らねばならないのだ。聞いてくれるか?」 カンタレラの静かな熱情が、告解室の空気をしんと震わせる。 ◆ 我は、人間ではない。主の魔術によって生み出された創造物なのだ。我の勤めは唄うことと踊ること、身体の相手をすること、主に仇為す者を殺すこと。それだけが我の生まれた理由で、生き続ける理由だったのだ。 我が我の世界で、主と生きていたときはそれでよかったのだ。我は主を敬愛していたから、主が望むならば全て遂げることが我の喜びだった。 ……今まで、どれだけの人間を殺してきたか分からないのだ。数えようと思ったことも無い。我がしてきたのは主の為にならぬ人間、そんな屑籠を作って放り込むこと。ゴミの数など、数えるものではないだろう? だけど、そうして生きてきて、今まで成してきたことの全てが、今はひどく恥ずべきことに思えるのだ。 __彼を愛してしまったから 我の手は、取り返しのつかないほどに汚れてしまったのだ。主の為という名目を失った今、我は思うのだ。今まで殺してきた者たちにも、生きる理由や大切な人、遂げたい思いが在ったのだろうと。それを我は……。 そう思うのは、我がこの世界でクージョンに出会ってしまったからかもしれぬ。主は我に忠誠と敬愛と服従を求めた。……当然なのだ、その為に生まれたのが我であるから。だが、クージョンは違った。我に何かを強いることも、禁じることもしなかった。そしてそのうえで我の隣に居てくれたのだ。……その、クージョンは優しい男であるから、誰にでもそのように振る舞ってしまうきらいがないわけではないが。 話が逸れたのだ! ……我は、そんな風に我を選んでくれたクージョンを、同じように選んでよいのだろうか? 我にはそれが不安でならないのだ。 分不相応なことくらい、我にも分かるのだ。それでも、クージョンを愛してしまったこの気持ちに嘘もつけないのだ。クージョンを選びたい、傍に居たい。ただそれを願うには、我の手は汚れすぎてしまった。クージョンには触れさせたくないほどに、我の身体は爛れてしまっているのだ。 「それでも、止められない?」 ……そうなのだ。クージョンに出会って、我は我の行いがどれほど醜いものであったかを、身をもって知ったのだ。だから……身勝手なことは承知しているが、罪を償いたいと思うようになったのだ。こんな身体がクージョンに相応しいはずなど無い、我は裁かれなければならないのだ。 ◆ 「我は裁かれなければならないのだ」 カンタレラは言葉を区切り、ぶるりと身を震わせて両手で顔を覆った。泣いてなどいない、泣いてはいけない。涙で雪げるほど、己が罪は軽くない……それがカンタレラの頑なな思い込みであったとしても。 「だから、神様。どうか」 主と共に過ごしていた頃には考えられなかった、祈りの言葉。 彼を愛している、愛されたい、それが願うことすら許されない愚かな思いでも。 __僕は今ほど旅人でよかったって思うことはないよ __君を助けることが出来たんだからね 衒いなく差し出される手を、躊躇いなく素直に握りたい。 だがこの罪がカンタレラの中で罪として在る限り、彼への負い目が消えることはない。 「我はクージョンに何もしてやれぬ。クージョンは追いかけてきてくれたのに」 ただ、隣に在って微笑むこと。 クージョンがそうするならばカンタレラにとって至上の喜びともいえるその行為が、カンタレラがクージョンにそうすることは果たしてどれほどのものなのか、カンタレラは知らない。いや、知ってはいるのかもしれないが、それを信じてよいのかがわからないのだろう。 「何かをしてやることだけが、愛かね?」 「……我には分からぬ」 告解を受ける者はカンタレラの重い言葉をただ受け止め、戸惑いの中に光るクージョンへの想いを見い出し問いかける。 「相応しい自分には、いつまで経ってもなれないものだ。ただおぼろげで美しい理想だけが、頭上高くにある」 「そうかもしれぬ、難しいのだ」 相応しくなりたい。心が彼を求めているから。まっすぐに、ただまっすぐに愛を誓いたい。その方法は誰も教えてくれないけれど。 「それでも彼を愛しいと思うのなら」 「……思うのなら?」 告解を受ける者の静かな語り口。カンタレラは父のように慕う新生の顔を思い出し、そっと背筋を伸ばし語りの続きを待つ。 「言葉を、交わしなさい。君が何を思い何を重んじるのか、それを彼はどのように思うのか、どんなに些細なことでも構わない、心に言葉が浮かんだのなら直ぐに声に出しなさい。そして彼の言葉も同じように聞いてあげなさい」 「む、難しいのだ……」 思いを伝えた分だけ、思いを受け取る。そうやって出来上がっていくのが、友人、恋人、夫婦という、『ふたりの間柄』。 「でも、やってみるのだ。クージョンの話をたくさんたくさん聞くのはきっと楽しいのだ」 カンタレラは大きく深呼吸をし、立ち上がる。涙はどこかへ引っ込ませた。だって、このあとは。 「これからクージョンとケーキを食べに行くのだ。早速、たくさん話をするのだ」 「そうか、楽しんでおいで」 「うむ。お土産もあるらしいのだ、楽しみなのだ!」 笑って礼を述べ、立ち去るカンタレラの凛とした後ろ姿は美しい。 その背に負う罪がどんな重さだったとしても、光を見つけられるほどにカンタレラの紅い瞳は前を向いていた。
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