旅団との戦いも終わって復興が進んできています。 見慣れない方々が街を歩かれるのが目に付きます。 ターミナルにも新しい風が吹き、ナラゴニアの人たちも徐々に溶け込んで行かれるのでしょう。 100年以上も静止していたこの0世界もこの数年で本当に変わったと思います。私の時間も最近動き出し始めました。 家にこもっていてるような女よりは、元気に外に冒険に出る女の方がきっとニコ様の好みでしょう。冒険と言ってもそれほど危なくないものばっかりですけどね……。 そこで本日の冒険、私――ユリアナ・エイジェルステットが画廊街に出向いているのはリリィ様にお願いがあったからなのです。――Voi, che sapete che cosa è amor♪ 誰でも知っている恋の歌が漏れます。誰かに聞かれていたら……ううん。0世界だとあまり神経質にならないでいいので気楽です。 はたと歌をとめる。 カウベル様と緋穂様が仲良く連れ立っているのを見てしまいました。 ううん。 なにを考えているのかしら。――ニコ様が女性全般がお好きで、女性全員にお優しいことはわかっているんです。わかっているはずなんです。 そう自分で言い切って、ニコ様も嫉妬されてちょっとうれしいとか。ええ、私もニコ様に嫉妬されたら……。 あの二人は苦労がたたって寝込んでしまっていたと聞きました。そして、ニコ様が尽きっきり看病されたと言うことも……。 きっと私が病気になってもニコ様は同じくらい心配してくださるとは思います。 逆に私にできることってなにかあるのかしら? ニコ様が喜ばれるように美しく着飾ること? リリィ様の服できれいになれるのかしら、 ニコ様はそんな私を浅ましいと思われるかも知れません。 ニコ様が求められているのはそんなことではないのは私にもよくわかります。それだけではニコ様の特別にはなれないはずです。 そして、こんなことで悩むこと自体もあのニコ様は喜ばれないのでは無いのかと……。 いけません。 今日はせっかく良い気分でいましたのに、これではリリィ様にも申し訳ありません。――と 私は道の向こうに見間違えようのない光景を見てしまいました。 ニコ様は仲良く、気安く触れあっていて。 私といるときとは全然違うよう。 お相手は踊り子のカンタレラ様です。 それは男の子が十人いたら十人が見蕩れるしまうような女性です。 そんなカンタレラ様の長い髪を、ニコ様はご自身の指に巻かれてみては、お顔に当てたりしていらっしゃいました。 隠れるように近くのお店に入ってしまいました。 画廊らしく薄暗い店内です。外からは見えないでしょう。 そこで目に飛び込んできたのは、夕日のようなヒナゲシの水彩画でした。その淡い広がりは、ニコ様と翔んだヴォロスでのあの真っ赤な空を思い出させてくれます。 祈るわけでは無いのですけれども、ついつい両手を組み合わせてしまいました。 いただいたばかりの指輪に「大丈夫だよ」そう言ってほしいのに……私は一人です。 † カンタレラとニコは画廊街まで来ていた。 カンタレラがクリスマスのプレゼント交換で手にした「ニコ・ライニオ一日レンタル券」を行使したからだ。「いやぁ、ちゃんとカンタレラちゃんのように素敵、グレートな女性に届いてよかったよ」「そう言って貰えると嬉しいのだ」「恋人がいる者同士だしね。今日はお互い、君は詩人さんの、僕はユリアナちゃんのプレゼントを買うってことでどう?」「あらっ、彼女さんへのプレゼントを買うだけなの? その先に期待しているんじゃなくて」「いやいや」「それがおまえの作戦なのだな。ずるい奴め。わかった。つきあってやるのだ」=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ニコ・ライニオ(cxzh6304)カンタレラ(cryt9397)=========
画廊街の空気は好きなんだよね。 ここに来ると女の子はみんなきれいになっちゃうからね。 おしゃれ……だからなのかな。この街では還るところを失った人々の作り出した物語達が文化として結晶している。世界群からもたらされた雑多な風習、そして、身の飾り方。 僕には、センスとかはよくわからないんだけど、女の子が喜んでいること、心を弾ませていることはよくわかる。 「カンタレラちゃん。本当に素敵だね。やっぱり感性の高いひとには、この画廊街がよく似合っているようだね」 彼女はワンピースにロングカーディガンを羽織っていた。 「プレゼントを探すのだ」 この人は、最近になってずいぶん生きていることを楽しむようになった。女の子って好きな相手ができるとますますもって輝いて、綺麗になる。 手を差し出すと、軽いステップを踏んで腕に絡みついてきた。結われた髪が僕の鼻先をかすめ、せっけんと花の香りがした。 ユリアナちゃんと比べると背が高くてすらっとしている。目線が近い。手を回した腰は細くて、意外と芯があった。ダンスで絞り込まれている躰だね。腕にうすく触れつつ胸は遜色ない。 全体的にやわらかいユリアナちゃんも大好きなんだけどね。 そして、僕の視力は化粧に隠された月日を見つけてしまった。どうしても僕から去って行った彼女達を思い出してしまう。 失礼、失礼。 「どうしたのだ」 「ううん。カンタレラちゃん。本当にきれいになったね」 「ありがとうなのだ」 「きみを美しくしたのが僕じゃないのがちょっとくやしいのよ」 するとカンタレラはイタズラっぽく笑って、しーっと僕の口を二本の指でふさいだ。 「今日はニコがカンタレラをきれいにするのだ」 「それは、もう。お任せっ!」 わざとっぽく一礼してみる。 とは言え、ちゃんと恋人とうまく行っている彼女を本気で口説くのは野暮かなと思っている。 だけど、こちらに向かって乗り出してきているカンタレラちゃんがどこまで本気なのか……ちょっとどきどきする。 いやいやいや、僕のユリアナちゃんを『特別』にしたんだ。彼女への最高の贈り物を探すのが今日の目的。 腕を掴みやすいように脇を開けると、カンタレラちゃんはすっと絡めてきた。 † 画廊街には、もちろん画廊が多いのであるが、美術用品店もあるし喫茶店もある。 カンタレラちゃんはそれらのお店は素通りしていった。そして、歩を緩めるのは決まって楽器店の前だった。 「カンタレラちゃんは歌が好きだもんね」 「クージョンのために楽器を探すのだ」 そうそう、僕はユリアナちゃんへの贈り物を探しているわけだけど、カンタレラちゃんもクージョンさんへのプレゼントを探しているんだった。 ついつい、プレゼントは女の子にあげるものって感覚でいた。僕以外の男もちゃんとものを貰うんだよね。 あれっ、でもクージョンさんは詩人だって言うし、僕のようなヒモと大差ないか。 「詩人さんだっけ? 彼氏さん。楽器とかやるの? 弾き語りとか?」 ショーウィンドウにはトランペット、チューバが金色に銀色に飾り立てられている。トロンボーンはわざわざスライドが伸ばしてあり、僕よりも背が高かった。 「クージョンは何でも似合うのだ。気に入ってくれるかどうかが問題」 「よく旅に出ているんだよね。持ち運びやすい笛とかかなぁ」 金管楽器やサックスのたぐいは、確かに旅行鞄に入れるには少々大きすぎる。 カンタレラちゃんは隣の店に移った。 「リュートとかの弦楽器も捨てがたいよね。ギターなら背中にしょって歩けるから、いいかもね。ああ、バイオリンもかっこいいよね。フルートは小さくたためるからどう。女の人が吹くフルートも可憐だけど、そこを男が吹くのもかっこいいよね」 「フルートとバイオリンは歌う楽器」 「えっ?」 「主旋律をになう」 カンタレラちゃんが何を言いたいのか、ちょっとわからなかった。芸術家同士ならつうじることなのかな。そう言うのってうらやましいよね。 クージョンが楽器を弾いて、カンタレラちゃんが歌うところ見てみたいな。あっ。 「伴奏がいなくなっちゃう?」 「そうなのだ」 「確かに、弾き語りってギターとかピアノだもんね。カンタレラちゃんはやっぱり、クージョンさんと一緒に歌いたいわけだよね」 と、カンタレラちゃんが薄暗い楽器屋の前で立ち止まっていた。 ディスプレイには楽器が飾っていないのに楽器屋だと思ったのは、楽譜が広げられていたからだ。かといって、楽譜屋という雰囲気でも無い。 カンタレラちゃんは逡巡を見せたかと思うと、りんとした横顔になって扉をくぐった。 僕も続く。 店の中は思ったよりも広く、それなのに奥の壁まで見通せた。だけど、腰の高さ、黒檀色の机のような楽器が、まっすぐ歩くことを阻む。 ――ピアノだ。いっぱいある。 うわぁ。これは絶対に旅にもっていけないや。 店長とおぼしき老人がカンタレラちゃんに目配せする。 それを承諾と受け取ったか、カンタレラちゃんはワンピースの裾を払って、一台のピアノの前に座った。ふたを開け、鍵盤に乗せられた埃よけのビロードをたたむ。 僕は急に雑踏のざわめきが気になって、店の扉を閉めた。彼女の細い指が手袋越しに鍵盤に乗せられる。 透明なつややかな黒の和音が空間を満たした。 そして、カンタレラちゃんはうっとりと視線をあげると、あーーっと喉をふるわせた。 僕にはその音の組み合わせにこめられた意味はわからなかった。 クージョンさんが、彼女のかたをやさしく抱いている姿が浮かんだだけだ。 ホント野暮だよね。今日の僕は。 「お気に召されましたか?」 店長の低い声に現実に戻される。 「こちらは、ベヒシュタイン――職人と設計図が大戦で散逸する前の逸品でございます。調律に専用の器具が必要になりますが、当店ではそちらもそろえてあります」 僕には壱番世界の歴史はよくわからないが、なにやらいわくのある楽器らしい。前の持ち主が悲運の美姫だったとか、そういう物語ではないようだけどね。 カンタレラちゃんもその辺は聞き流しているようだった。 その代わりといっては、ピアノがちょっとさみしげな和音を発した。 その余韻が消え去るのをじっと待ってカンタレラちゃんが、値段を尋ねた。 案の定、目玉が飛び出す価格だった。 これだけの買い物を即決する人は滅多にいない。 カンタレラちゃんは少し残念そうにほほえんで、ピアノ椅子から立った。 確かにピアノだったら、これを弾くためにクージョンさんは0世界に帰ってくる必要があるわけで、二人が一緒にいられる時間は増えるのかもしれない。 どうなんだろう。 僕にもう少しお金があって、さっと、買ってあげられたりしたらかっこいいよね。 † 店長に礼をして店を出た。 静止した0世界では歩くことによって時間を進めることができる。 小腹が空いてきた。 「さっき。店に入ったとき――女の人がこちらを見ていたのだ。おまえの知人ではないのか?」 「ええー? 僕のファンかな」 「カンタレラと同じ髪の色をしていたのだ」 「だったらすごい美人のはずだね。ところで、そろそろおなかがすかない? この片だと、そうだな~」 喫茶店やこじゃれた飯屋もこの街にいくつもあるが、実はちょっと気になっていた店があるんだ。 もし良かったらユリアナちゃんを連れて行こうと思って、今日は下見。 店の表にはターコイズのパラソルが広げられていた。布はあらい麻で光と風がこぼれる作りになっている。 扉をくぐると、それはどことなくエスニックな雰囲気で、香ばしい香りが漂ってきた。 店内は明るく、カウンターには火がともっていた。香りの主は、鶏だ。 ヨーグルトの壺に職人が鉄の串をさっと刺し込むと、鶏が刺さって出てきた。不透明の白い液体の中で、どうやって狙いをつけているのかはよくわからない。それを炭で炙る。 「カンタレラちゃんと言ったら串かなと思ってね」 席に座るとすぐに注文を待たずに串に刺さった鶏が出てきた。 コリアンダーが効いた味噌ダレが売りらしく、前歯で肉をちぎると、味噌の甘みとともにすーっとした香りが口腔に広がり鼻へと抜けた。 味噌に混ぜてあるアーモンドクランチの食感が楽しい。 「カンタレラもやってみたいのだ」 「おっお嬢ちゃん。外したら食べられなくなるぞ」 職人がにやりと笑うと、カンタレラは鉄串を指に挟んで真剣な表情でヨーグルト壺をにらんだ。 そして、タイミングを計ったのか何なのか、はっしと串を壺に刺した。その動きはなめらかで、もう一度みたいと思った。 「おみごとカンタレラちゃん」 僕はぱちぱちと手を叩く。女の人をほめるのは楽しいね。職人さんはその串を受け取って火にのせた。 † 「悪いねごちそうしてもらって、ありがとう」 「いいのだ。ニコは女に奢られるのが仕事なのだ。かわりにカンタレラは楽しくなった。ニコはクージョンと違っておごりやすいのだ」 腹もふくれたところで今度は僕のプレゼントを探しに行くことになった。 実のところ、ノープランだったりする。用意周到に準備するとお金がないのをごまかしているみたいで女の子にウケが悪いんだよね。指輪の時もそう。これをあげたら喜ぶかなって気持ちが急に降ってきたんだ。 だから、僕はユリアナさんのことを考えながらピンと来るのを待つしか無い。 「ニコは悪い男」 カンタレラちゃんはいたずらっぽく笑う。たぶん、彼女は僕のこんな作戦とか全部お見通しなのだろう。 そうだなぁ。逆にカンタレラちゃんに贈るとしたらなんなんだろう。 服とか……うーん。自分で選ぶことにプライドを持っていそうだ。詩人さんを好きになるくらいだし、なんかびっくりするくらいキザなプレゼントとか喜んでくれそう。 ――君にこの夕日を捧げるよ ヒモの僕が言うのもなんだけどね。 ユリアナちゃんと見たあの夕日がよみがえった。 あの日、僕がプレゼントした夕日を彼女はとても大切にしてくれている。 あれから何度も、また見に行きたいとか、世界群にはもっともっとすごい光景があるとか、そういう話題で盛り上がった。 カメラをもっていけば良かったなと思ったりもする。ユリアナちゃんと一緒に写真に写りたかった。 手を引っ張られる。……カンタレラちゃんだったら情熱は一瞬とかいって、写真は無粋とかいいそうだね。 写真なら永遠か……。永遠ね。 僕は刹那のように過ぎていく時間がやるせなくて。 「少し休むのだ」 うわの空になっているのはカンタレラちゃんに覚まされた。 「ごめんごめん」 ガラスの曇った、薄暗い店に入る。 画廊だった。空気が一変する。 テンペラの香りがむわっと僕たちを包んだ。 画廊街にいるのにこれまで画廊に入っていなかったというのもおかしな話し。 薄暗い店内には所狭しと絵が並べられており、油と絵の具と……珈琲の臭いが入り交じっていた。カンタレラちゃんによると、画廊を兼ねた珈琲店だそうだ。 店の主は老婆であった。背は高く細く、背筋も伸びている。 「絵を購入いただいたお客様には無料でお出ししているのです」 奥の商談机では、魔法のように、珈琲が湯気を立てていた。 本を読むにはちょっと暗い、大きめのマグカップの中で、漆黒の液体がランプの光を反射していた。 「へぇ、カンタレラちゃんってこういうお店にも来るんだ。意外だなあ」 「……最近」 「あれ、音楽をやるには、他の芸術からインスピレーションを貰うとか、そういう奴」 「……」 自分の軽い調子が、場違いな気がした。店の主はカウンターの向こうで老眼鏡を磨いている。 カンタレラちゃんにうながされて、珈琲を片手に店の中をうろついてみることにした。 絵を汚さないように気をつける。 そして、とある静物画を通り過ぎたとき、鮮烈な夕日が目に飛び込んできた。 違う。 花の絵だった。 赤い花だ。ほんのり向こうが見えるしわくしゃの赤い花びらが広がっている。それが淡い水彩とよく調和していて、花が目の前にあるのか、とても遠くにあるのかわからなくしていた。 「こちらはヒナゲシでございます」 しばらく立ち尽くしていたと思う。 老婆が告げた花の名前は僕の耳を素通りしていった。 「これは……夕日、の絵では無いの? あ、いや、花の絵だよね。変なこと言ってごめん」 「そうおっしゃったお客様は本日二人目であります」 やっぱり、夕日のイメージなんだなと。ひょっとして僕の感性も捨てたものじゃ無いのかも。 「カンタレラちゃんはどう思った?」 「これはクージョンも好きな花なのだ」 見当違いの返答に、緊張がほぐれた。 それで、これにピンときてしまったんだよね。いや、流石に無理だとは思うが、万が一と言うことはあるから。 「ねぇ、この夕日って、いくら?」 「お値段はお客様次第でございます」 やはり、こう来たか、チャンス。 「僕あんまりお金もっていないんだよね。でもこの絵のすばらしさはよくわかるつも……」 「一人目の客は、カンタレラと同じ銀の髪をしていたりしたか?」 店主は、おっと目を見開く。 「さようでございます」 「そうか、ならカンタレラの歌を代金とするわけにはいかないか?」 「ほう」 店主はそっと老眼鏡を外し、レンズをふいた。承諾の合図のようだ。 カンタレラちゃんは満面の笑みを浮かべ、ロングカーディガンを脱いで、僕に渡した。この流れは役得かもしれない。 カンタレラちゃんの歌もちゃんと聴いたこと無いんだよね。ユリアナちゃんのもだけど。 そして、僕はランプの光と、踊り子の歌に夢の世界へといざなわれた。 そんなに長い曲では無かったと思う。 ともかく僕達はヒナゲシを譲って貰えた。 店の外に出ると、いつもと変わらないやわらかい日差し。 「僕の一日デート券だけどね。その行き先が君で本当に良かった、今度は……」 「クージョンなのだ!」 彼女の視線に釣られると、小道の入り口にはおもそうな旅行鞄をもった白のロングコートが立っていた。 「やっぱりクージョンが一番最高なのだ!」 カンタレラちゃんは僕の方を振り向きもせず走り出し、彼の胸に飛び込んでいった。 その男は、カンタレラちゃんを抱きしめながら、こちらに軽く手を振ってくる。 あーあ、行っちゃった。 アレ絶対、首筋舐めているよね。服に手が入っちゃっているし……。 最後にかっこよく締めようと思ったのに『今度はレンタル券なしでも呼んでくれていいから、僕らはもう友達だしね』ってね。まっ、間男は潔く退散するのが粋ってもんだ。 それに、僕には待ってくれている彼女がいるからね。 白い布に包まれたヒナゲシをぽんぽんとたたいた。 † † ニコ様は今日も楽しそうです。 どういうことなんでしょう。 私の目の前にあのヒナゲシがあります。ヴォロスで見たあの夕日……の雰囲気の水彩画です。 改めていろいろな角度から絵を眺めてみましたが、これは、ニコ様と並んで拝見するのが一番しっくり来ます。 しかし、女の業なのでしょうか。私はふと気づいてしまいました。 この素晴らしい絵はニコ様にはとうてい買えそうにもありません。 私の不安を察したのかニコ様が自慢げに口を開きました。 「それがね。この絵をじっと見ていたらね。『お安くしておきます』ってね。たぶんなんだけどね。最初からこの絵は気に入った人に安く売るつもりで、高い値札を下げていたんじゃないのかと思うんだよ。ここは酔狂な人に満ちあふれている0世界だしね」 私はそのニコ様の笑顔を信じそうになりました。やっぱり私はこの方が好きなのです。この底抜けの明るさが、私には必要で、まぶしい。 ええ、信じたかったのです。 絵の隅に小さく小さく書かれた署名をみるまでは ――cantarella
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