インヤンガイの非合法組織の一つ、暁闇のボス・ウィーロウから護衛依頼が飛び込んできた。 通された小さな建物の三階にある事務所は五大マフィアのボスには似つかわしくないほど小ざっぱりしたものだ。 ソファに旅人たちを座らせたウィーロウは自ら進んでコーヒーを振舞った。「コーヒーが君たちの口にあうといいんだけどね。ああ、組織の長らしくない? 仕方ないさ、組織は寄せ集めで私は雑用係りみたいなものだよ」 暁闇の発端は他の地から流れてきた少数民族が迫害と貧困に対抗する手段として十年ほど前にウィーロウが仲間たちをまとめあげたのだ。特殊技術に優れている彼らは自分たち以外の仲間を激しく敵対している故に組織の結束は他よりもずっと強い。 組織そのものは「何でも屋家業」として依頼を受ければ、それに見合った人物が派遣して仕事をこなすというシンプルなシステムだ。「立場的に私と君たちは似たようなものだ。それなら親しくしておくにこしたことはないだろう? それに先ほどの説明でもわかるように私たちは常に差別される立場だ。少しでも身を守るものがほしいと思っても不思議はあるまい? 君たちと仕方なくとはいえ敵対した過去はあっても、今からでも仲良くできると思っている」 にこりとウィーロウは微笑む。濃い紫色の瞳が魅力的に輝いた。「耳だけはよくてね、他の組織がずいぶんと大変なことになっているらしいし……ああ、今回の依頼は私の護衛、そして調査の手伝い。調査するのはハオ家という術者の屋敷だ。知っているね? つい最近滅んでしまった家だよ」 ハオ家とはインヤンガイでもその名の知れた術者を排出する名家だが、時の流れによって衰退した結果、暴走したのをロストナンバーたちが討ち取った。 問題は、そのハオ家の残した術書の類だ。「ほとんどは鳳凰連合が差し押さえしたが、一部の術書は盗まれ、さらに禁呪……この世で最も危険だとされている術もいくつか放置されたままだ。禁呪がなぜ危険か、君たちはわかるかな? あれはどんな者にも使用できるように作られているんだが……ハオ家の屋敷周辺で人が石になる事件が起こっている。これがその一部だよ」 差し出された小瓶にはいっていたのは輝くクリスタル。それも人の手だ。「禁呪・邪石……その力を得た者は、他者を石、正確にはクリスタルに変えてしまう。クリスタルに変えられても生きてはいるが、それを砕かれれば死ぬ。禁呪を使用していると思われるのは彼」 差し出された書類に掲載されているのはたくましいドーベルマン。「ハオ家の財を守るために作られた、術動物だ。動物は決して裏切らないと考えていたんだろう。この犬はハオ家の屋敷に入る者をことごとく殺していっている。君たちはこの犬を倒して、ハオ家の禁呪回収に協力してほしい。もちろん、私も行く……なぜって、これは私の生涯の目標だからね。私は学者で、こういう知識を集めるのが好きなんだ。けど、さすがに組織の者たちを私の我儘で動かすことはできないからね、だから君たちに頼むのさ」 そう言ったウィーロウは少しだけ茶化したように肩を竦めた。「一応、断っておくけど、五大組織のボスが誰も彼も強いとは思わないでくれ。だから君たちを護衛につけるのだから……あと君たちとぜひ仲良くなりたいためにね」※注意※・当シナリオは『【砂上の不夜城】★』『【砂上の不夜城】囚』と同時に起こったものといたします。PCの同時参加は御遠慮ください。
狭い事務所のソファにきつきつに腰かけた五人のなかでウィーロウの言葉にまず飛びつくように反応をしたのは虎部隆だった。身を乗り出して大きく頷いた。 「ああ、俺もあんたと仲良くなりたいね。仕事仲間は楽しい方がいい!」 さわやかな学生らしい白シャツ、ズボン。子供のころはさぞや悪戯っ子だったと伺えるやんちゃさを色濃く残したワイルドな風貌は挑発的な笑みを浮かべる。 隆の目的は力を証明し、信頼を得ること。仲良くなるというのには大いに賛成だ。 「あっ、けど、コーヒーには砂糖がほしいね。五杯ね!」 ウィーロウは隆の朗らかな態度にくすくすと笑いながら砂糖の瓶を差し出した。隆は宣言通り遠慮なくコーヒーのなかに大匙でぶちこんでいく。 「無理をして飲まなくてもいいんだよ?」 「いやいや、うまいぜ! メロンソーダのほうが好きだけどな!」 勢いよく飲むとコーヒーの熱さに思わず舌を火傷した隆は軽く涙目になりつつも明るく返す。 「うむ。確かにうまいな。俺に砂糖は不要だ」 長い白髪に紅色の瞳のロウユエは隣に座る隆より、落ち着き払ってコーヒーを味わっていた。 優雅な物腰でちらりとユエはウィーロウを見る。 組織の長であれば他組織がごたついている今、入手できる力を欲するのは当然、それが今後他組織への牽制にもなりうるはずだ。 「仲良くなろうというのには不服はない。しかし、禁呪には自滅の心配はないのか?」 「それは俺も気になってたんだ。誰にでも使えるって危なくないのか?」 ぼさぼさの髪の毛を一つにまとめ、マントと白い衣服のメルヒオールは尋ねた。魔法分野のスペシャリストである彼はインヤンガイの魔法についても気になっていた。右半身が化石化している今、その解呪の糸口の望みがある魔法が目の前にあるのには多少とはいえ乗り気だ。 研究者のはしくれとして、自分が禁呪をどうこうしたいとは思わないが、ウィーロウが使用しないのかも気になった。回収してただ終わりではあるまい。 「禁呪は説明したように誰にでも扱えるように高度な術を単純化しもので、禁呪そのものよりも使い手の精神状態が問題だね。いきなり一般人が巨大な力を持てば力に酔ってしまう可能性が高い。正直な話、これを作り出したハオ家の長、フッキはいろいろと問題のある人物でね、そういう点を考慮するという配慮がまったく出来ない人だったんだ」 「つまり、自滅の可能性は高いってことか?」 メルヒオールは眉根を寄せた。 「使用者によっては、としか言えないが」 「物騒だな」 メルヒオールは左肩だけ器用に竦めた。 「それでも禁呪を手にしたいのか?」 ユエは赤い目で問いかけた。ウィーロウは微笑んで頷いた。 「ああ」 「ふむ」 やはり実益もかねているのだろう。そして自らがわざわざ同行するというのはこちらの実力を見ようと考えている――別にいいが、ユエは挑発的に考えた。 「僕は、その犬のことが気になります」 オゾ・ウトウが小さく呟いた。 犠牲となる人がいれば止めたい。ハオ家が多くの人間を犠牲にしてきた過去がある。 もともとの性質を変えられ、守るべきものが滅びてもなお忠義を尽くす犬を解放してもやりたい。それに禁呪の危険性を考慮しても人助けに使用することは可能かもしれない。 「まぁ、いいぜ! 兵隊は連れていかないんだろう?」 隆の問いかけにウィーロウはにこりと微笑んだ。 「君たちがいるのに?」 「よーし! そうこないとな! 俺たちの個人の力を見てくれ! ごちそーさん!」 空っぽになったコーヒーカップを隆は勢いよくテーブルに置いた。 何度も改築を繰り返したいびつな形の建物は蜂の巣のようだ。ごみごみとした人と屋台が密集した通りから見上げた隆は肩を揺すった。 「そういやここには綾っちがなんか熱心に通ってた一家がいたっけな。ありゃ惚れてたね! ははは」 いまはもう会うことのできない友人を懐かしんでいた。 「なぁ、あんたは質問とかしなくてよかったのか?」 隆はふと思い出して、ずっと沈黙を守っている白系統のチャイナ服に眼鏡をかけた臼木 桂花に声をかけた。 桂花はこくんと頷いた。 「ふーん、無口な美人だなぁ!」 隆は気さくに言葉を投げるが桂花は何も言い返しはしなかった。 「あ、戦闘は任せた! って、俺だって戦うぜ? っても、頭脳労働派なんだよ! 禁呪関係は術関係得意なメルヒオール先生を当てにしてるけど!」 「お前はどうするんだよ」 「もちろん、ここぞっていうとき頭を使うんだよ! 頭を! ほら、能ある鷹は爪を隠すだろう?」 「隠しすぎて使えなかったら意味がないだろう」 隆がメルヒオールと雑談するのを桂花は黙って見つめる。もともとこの依頼で誰とも会話するつもりはない。必要ならば頷いたり、首を振ればいい、またボディランゲージを行えば会話は問題ない。 今回の目的は禁呪の横取りである桂花は彼らと必要以上の接触は回避したかった。ただなにもしないのでは怪しまれるので回復役として働くぐらいの考えはあった。とはいえユエやオゾのように回復に長けた人物がいるならばあえてする必要もないかもしれないが……罪悪感は一切ない。痕跡を残さない用心としてゴム手袋を用意している。 犬対策には一人でも戦えるように視界をひろげるための手鏡、ガスマスクも自分の分だけはあるが、下手な行動をとって同行者たちを敵に回したくはない。全員の後ろ、出来ればウィーロウの背後についていく。 屋敷のどこかに【魂渡り】があるかもしれない。それを手入するのが桂花個人の目的だ。 歩行での移動中、ウィーロウはメルヒオールとユエが声をかけてくるのに丁重に対応した。 「犬の使う禁呪の使用方法はわかってるのか?」 とメルヒオール。犬なので詠唱は考えづらい。そもそも誰でも使えるならば手間のかかる発動条件ではないはずだ。 「それはわかってないんだ。屋敷に近づいた者はすべて彼に石にされているからね」 「なら人形でも放り込んで出方を伺うしかないな」 顎を撫でつつメルヒオールは思案する。 「気になったが、禁呪の具体的な特徴はなんだ? 解呪が少ない、または皆無、術者が肉体的精神的に潰れるか……思いつく理由はこれくらいだが」 「禁呪は、本来使用が困難なものを単純化させ、さらには使用によって危険な結果が招かれる恐れがある、この二つが基準で呼ばれている。術者そのものが潰れるというのは事務所でも言ったように使用者本人の精神状態によるから断言できない。解呪については基本的にないと考えたほうがいい。というのもそもそも禁呪は解呪することを前提としない術だからだ」 ユエとしてもその解答にはしばし考える。 「あの、大丈夫ですか? 足は疲れてませんか」 「平気だよ。ふふ、私の組織はさして大きなものではないからね、移動は基本的に私も歩きだから、これくらい全然平気だよ」 「そうなんですか」 オゾはウィーロウに対して誰よりも丁重だった。相手がマフィアとはいえ依頼人だ。疑う理由がない以上、彼の言うことは信じるべきだ。ただ疑問を疑問のまま残しておくつもりはなかった。 「学者としてどんな研究をしているのですか?」 「この世界の霊力関係を幅広く、かな。術関係が多いのは私の個人の、……私の支配する街は暗房というものがあってね、それについて今は一番研究している」 「これは余計なことかもしれませんが、禁呪は存在する限り、人の欲と疑心を招くのではないのですか?」 「一度生み出されてしまったものはどうあがいても消えない。悲しいことに、この世界で欲を持たない人間は滅多にいない。私も、そうだしね」 ウィーロウはオゾに微笑んだ。 「……術のなかに「人を作り替える術」はあるのでしょうか? もしくはそれを解く、変化させるものが?」 オゾは出身世界で翼を作ったことと今回戦う犬のことを思い出して尋ねるとウィーロウは眼を眇めた。 「禁呪そのものが、ある意味、そのものの性質を作り変える働きがある。君のいう人を作り変える、といえば根本的に作り変えてしまう類のものだ。けれどどうしてそんなことを君は気にするのかな?」 「犬のことを、術として作り変えられているならあると……それが人助けになるのではないかと考えているので」 「人を助ける、か。そうだね、そういう考えももちろんあるだろうね、現状では難しいが……それが可能な場合、貴方は私から奪うのかな?」 「いえ。そんなつもりはありません」 オゾがあわてて弁論する姿をウィーロウは意地悪く見つめた。 「一つ言っておこう。私がわざわざこうして依頼したのは、貴方たちの今までの行動にもよるんだ。貴方たちは私の知る限り依頼者に対してかなり不誠実なことばかりしている」 「そう、なのですか」 「だからこうして私が出てきたのは貴方たちが本当に信用できるのか、否かを知りたい」 その言葉にオゾは身を引き締めた。もしこの依頼が不成功に終われば今後自分たちを信用はしないだろうと暗に言われているようなものだ。 「必ず依頼を成功させます」 「期待しているよ。オゾさんの考えは中々、私としては好ましいものだからね」 「そ、そうですか」 「ものの性質を作り変える、人を作り変えてしまうなんて、禁呪の簡単な説明でそこに目のつける鋭い視点は大変好ましいよ」 無知ゆえに思いつきでの発言を思いのほか評価されたオゾが困惑するのにウィーロウは微笑んだ。 「ああ、君とはいろいろと意見交換を交わしたいと思うよ」 「いいのか、そんな風に言って」 ユエが横やりをいれた。 「私的に遊びに行くぞ?」 にっこりと、それはそれはとてもいい笑顔で告げる。多少の意地の悪さも発揮したつもりであるが 「構わないよ」 ウィーロウはまったく怯まなかった。むしろ歓迎する笑顔だ。 「私の家は、あの事務所の上の階で、狭いからコーヒーくらいしかないけれどそれでもいいならこの依頼が達成された暁にはぜひ訪ねてきてほしいよ。ユエさん」 「ほぉ。楽しみにしている、あとさんはやめてくれ」 とユエは微笑んだ。 死人の腸のような不気味な静寂が一帯に広がる。 心ない人間の仕業か、それとも風によって流れてきたのか無数のゴミが屋敷の門前に散乱して、寂れた雰囲気を引き立てていた。 「家は人を守るものだというが、住む者がいないと朽ちるのもはやいな」 ユエは眼を細めた。 「こーなるとちょっとかわいそうだな」 隆も顔をしかめた。 「それで、この門の内に犬がいるんだよな? ウィー」 隆はここにくる間のうちにウィーロウを愛称で呼んでいた。 「たぶん」 ウィーロウは答える。 「周辺に民家はないので迷惑をかけることはないから君たちのしたいようにしてもらっていい」 メルヒオールは早速ポケットのなかから小さな人形を取り出した。 「これで試すか? 犬の攻撃方法はわかってないんだ。俺とユエ、オゾで前に出たほうがいいだろう?」 「おう、俺がウィーの護衛はする。美人さんが背後は守ってくれるしよ」 隆も、桂花もともに長距離型の武器だ。逆に接近すると使用しづらい。 「俺が痕跡消去を展開して守ろう。どこまで効果があるかわからないからあまり無茶はするな」 メルヒオールが手のなかの人形を宙に放つ。念力で浮かすと紙に言葉を刻み、乱暴に破った。 強風が人形を屋敷のなかへと投げ入れて、反応を待つ。 永遠にも等しい沈黙が流れる。 「? なにもないな」 隆が痺れを切らした。 「もしかして、犬はいないってことか?」 「……わからないが……なかに、はいってみるか? 俺が先手を切る、フォローは任せていいな?」 ユエの言葉にメルヒオールとオゾはギアを構えたまま頷く。 ユエは剣を構え、ゆっくりと扉を押し開けた。足で地面を蹴って確かめ、じりじりと水が土にしみるように進みながら横目でメルヒオールとオゾがいつでも戦える構えであるのを確認し、さらに踏み込む。 庭は朽ちた門から想像できないほど穏やかで、美しいままであった。 腕の良い庭師が植えた植物たちが、野生に返りって無造作に枝や茎を伸ばして赤、黄、青と花を咲かせて、誰かを楽しませようとしている。もう既にその美しさを楽しむ者は誰もいないというのに。 ユエのなかに終焉の僅かばかりの切なさが過った、そのとき花が動いた。 「そこか!」 ユエの剣が銀茨を放ち、花のなかのそれを捕える。 「っ!」 引き上げると、驚くほどに軽い。見ると、それはメルヒオールの人形だった。それについた花びらがかすかに輝いている。クリスタル。 「!」 ユエが息を飲む。次の瞬間背後からそれは飛び出してきた。声もなく、素早く接近し彼は牙を剥く。 メルヒオールが紙を破くと同時に強風が襲い、しなやかな彼の体が僅かに浮かせた。オゾは振り返ると大槌を握る。 敵の完璧な攻撃のタイミングを察した彼が吠えて威嚇する。オゾの体は僅かに震えた。ぱん、ぱん、ぱんっと周囲の花がクリスタルとなって輝く。 「心配するな、術は無効かしている!」 ユエの声に、オゾは思い切って大槌を投げた。 大槌は彼の体を掠めただけだった。なんと彼は空中にいるというのにすぐれた身体能力を駆使して身を捻ることで致命傷を回避したのだ。しかし右肩に受けた衝撃の重みに地面に倒れた彼にユエは容赦なく追撃する。彼は地面を蹴ってユエの攻撃をぎりぎりで避けるがメルヒオールの風の刃が襲いかかってくるのに攻撃を諦め、花たちのなかに身を隠した。 「っ」 ユエは苦い顔をして獣の消えた先を睨みつけた。 「打消しは有効のようだな。隆たちは俺の術の範囲内にいるが……あまり離れるのは得策ではないな」 ざ、ざ、ざっ。周囲の草、花が三人を囲むように円を描いて揺れ踊る。 ユエたちは互いに背を合わせて、その動きを見守った。 先ほどの戦い方といい、今のタイミングの計り方といい、犬はかなり知能が高いことが察される。それも厄介なことにユエたちのような相手との戦いに慣れている。 「化石化は声でしょうか?」 オゾが囁く。 「声なら危険が広すぎるぞ」 「爪、噛みつき……または目だと思うか?」 メルヒオールも犬の声については否定的だ。声だとすれば被害はもっと広範囲に及んだはずだ。 「どちらにしろ、近づくのは避けたい」 「……思ったが、あいつのクリスタルにできるのは生きているものじゃないのか?」 とメルヒオール。その手には先ほど犬が化石化した人形が握られている。戦っている間に風を使って回収したのだ。 「人形についた花びらが化石化してる、先も花しか化石化は出来なかった」 「つまり最悪、建物を盾にすれば化石化は回避できるということか、しかし、相手のスピードを考えても現実的な対策ではないな」 「犬は生きているんでしょうか」 オゾの問いかけにユエとメルヒオールは怪訝な顔をした。 「ぱっと見た目ではわかりませんでしたが、ウィーロウさんの話を伺ってからずっと気になっていました……彼に苦手なものが通じると思えません。とはいえ肉体は犬ですから、高いところから降りるなどの肉体的な弱点はそのままだと思います」 「うむ。……メルヒオール、隆たちに連絡を頼めるか?」 ユエの指示にメルヒオールは従い、念力でノートを開くと隆に現在の状況を連絡すると、すぐに返事が返ってきた。 「隆のやつが、なにかやりことがあるそうだが、賭けてみるか?」 「このまま長期戦に持ち込まれるよりはマシだな。メルヒオールの念力は魔法のためにも奴に使用したくないが、俺も……咄嗟のときに痕跡消去と念力を使用して、攻撃まで手がまわらないのは避けたい」 「あの、もし隙を作れるんでしたら、こういうのはどうですか」 オゾが作戦を耳打ちするのにメルヒオールとユエは頷いた。 屋敷の門が乱暴に開けられた。 隆がシャーペンの芯を折って乱暴にこじ開けたのだ。さらにそれが投げられる。 「頼む!」 ユエの念力がそれ――缶詰を浮かせるのにさらにシャーペンの芯が撃つ。 ぱん! 音をたててそれが撃ち抜かれ、砕けると悪臭が放たれる。 「そいつぁシュールストレミングだ! 鼻のいいわんちゃんにはさぞきついだろう!」 「こっちらもきついぞ!」 ユエが文句を言う。 零れだす悪臭の漂う液体はメルヒオールが続けて二枚破る。三人を守る結界、そして液体を周囲にばらまく風を。 犬の悲鳴があがった。それも複数。 「なんだぁ!」 飛び出してじたばたと暴れるのは小さな子犬たちだ。 「おい、一匹じゃないのかよ!」 隆は思わず背後のウィーロウに叫んだ。 「こちらで発見できたのは一匹だけだよ。隆」 「つまりは、他にもいるってことかよ! 詐欺だぜ!」 「……彼はここにずっといたとしたら、どうやって生きてきたのか気になっていたが……共食いしたのか」 ウィーロウの指摘に隆は顔をしかめた。 犬がここから離れていれば当然被害は街中で起こったはずだが、そんな騒ぎは聞かれていなかった。つまり犬は屋敷のなかでずっと生きていたことになる。 「家のなかのものを漁る、なんて、このわんちゃんならしないだろうな。ある程度は自分の飯を確保したとしても限界がある、つまりは死んでるのか?」 「もしくは、一匹だけではなかったのか……私も情報がなくて君たちに伝えられなかったが、一匹だけというのも可笑しな話だ」 「そういうの早く言ってくれないかぁ!」 「すまない。確かなことではなかったから」 隆が文句を言うのにウィーロウは深紫色の瞳を細めて苦笑いする。 「ったくよぉ」 隆は頭をがしがしとかきつつ悪態をついてウィーロウの腕をつかんだ。複数の犬が地面に倒れるなか問題のドーベルマンだけはまだ出てきていない。我慢しているのか、はたまた効果がないのかはわからないだけにウィーロウの身を庇うのは一番そばにいる隆の役目だ。 長距離という利点、シャーペンの芯は小さいし、仲間たちの推測が正しければクリスタルにすることは出来ないが、当たらなければ意味がない。 「俺の後ろにいてくれよ! くそ、対象をポッケに詰めて護衛したいとはよく言ったぜ!」 「ありがとう、隆」 「ウィーは依頼人だからな、ふんぞりかえっててもらわないとな!」 隆が振り返ると、ウィーロウと目があった。 同性である隆すら一瞬息を飲んで見惚れてしまうほどに、美しい瞳だ。 痩せ衰えた犬たちが倒れ、草の動きがとまった。ここで下手に動いたら危険だと彼は察したのだ。 「利口だな。しかし、これで隙もできた。メルヒオール、頼む」 メルヒオールがその言葉に何枚もの紙を一気に破いて放つ。とたんに風の刃がいくつも生まれて草花を無造作に刈られて、隠れ場を奪われた彼が飛び出した。 ユエの茨の鞭がしなり、伸びる。さらに隆のジャーペンが飛ぶ。 彼はユエの攻撃は避けたが、隆の攻撃は避けきれず地面に転がった。赤黒い血を流しながら犬は立ち上がるのにオゾは建物のなかに駆けていた。家を守る任がある犬のなかで狙うべき相手がオゾとなる。 木造の建物は傷みが激しく、走るとそれだけでぎしぎしときしみ音を立てる。横目で見るが犬は血肉を散らして必死に追いかけてくるが、深手を負っているために遅い。 そのときオゾは気が付いた。犬は眼を伏せている。――目が術の発動にかかわっていたのか。だから犬は予想できない建物の中で動きが制限されているためスピードが出ないのだ。 オゾはすばやく階段にあがると立ち止まり、振り返った。 「こちらです!」 ぎりぎりまで犬をひきつけたオゾはメルヒオールに渡された紙を乱暴に両手で破いた。紙がはらはらと花びらのように散り、地面に落ちると床が凍った。 犬の足が突然のことにもつれ、転がる。 立ち上がろうとして犬は異変に気が付いた。動けないのだ。 ユエの念力が犬の足を止め、メルヒオールの風の刃がたくましい肉体を傷つけて術を使うタイミングを奪う。それでも犬は吠える。オゾは大槌を持ち上げた。犬が吠える。オゾは一瞬目を苦痛に細めた。犬は吠える。オゾは振り上げた大槌を投げた。 それは犬の頭に命中し、悲鳴をあげさせる。犬は口から白い泡を吐き散らし、それでも必死に地面を蹴って立ち上がろうとする。 「もう、いいんです。もうあなたの守るものはないんです」 オゾが声をかけると犬は否定するように、どこか悲しげな声で鳴いて倒れた。 「……っ」 オゾはゆっくりと犬に歩み寄ると、その頭から丁重に大槌を退け、抱え上げた。 「目が!」 犬の目は閉じられているが、そこからどろりっと、何か黒い液体のようなものが流れ落ちる。それはすぐに空気に溶けて消えた。 「無事か?」 ユエとメルヒオールの声にオゾは頷いた。 三人が建物のなかから庭に帰還するとシャーペンを構えたまま待っていた隆はほっと笑った。 オゾが先ほどの現象を説明するとウィーロウは犬の死体をしばらく観察するのにオゾは思い切って申し出た。 「あの、すいません。できれば、埋めてあげたいんです……依頼中ですが、いいでしょうか?」 ウィーロウは穏やかに頷いた。 「……構わないよ。哀れな子だ。守るものがもうなくなったのに守り続けるために仲間すら殺して食べて生きながらえて」 ウィーロウは憐れむようにドーベルマンの体を優しく撫でた。 庭にいる犬たちはドーベルマンが死亡すると身の隠し場もない庭で心細そうに鳴きながら門から逃げて行った。自分たちのリーダーの死を敏感に感じ取ったらしい。 オゾは丁重に庭の端にドーベルマンと他にもいくつかの犬の死体を発見したのにそれらも丁重に埋めて供養した。 「よーし、探索だよなぁ!」 隆は腕まくりした。 その横では桂花がゴム手袋をはめている。 「屋敷のなかは階段までなら危険はありませんでした。犬のいけるところなら大丈夫と思ったんですが」 オゾは犬のいけるところ、また触れれるところに罠はないと考えていた。むろん、躾けられた犬ならたとえ行けるところでもあえて近づかないだろう。その点は考慮して犬の足跡がある場所を辿ったが今考えると無茶をしたと肝が冷える。 「なかには動かすことで発動するものもあるだろうから気を付けてくれ。いくら俺が術を打ち消したとしても、危険がまったくないわけじゃない」 ユエが振り返りみなに注意をするのにメルヒオールがウィーロウに声をかけた。 「俺とユエが念力を使えるなら、それも使ったほうがいいだろう。それで心当たりはないのか? 地下や書庫は当然探すとして、それ以外は」 「私もあまり詳しくないからね」 「よーし、だったら行き先はこれだよな。やっぱり!」 隆は全員が注目するなかシャーペンを地面に置いた。 ぽて。 シャーペンが地面に転がって、その先を示す方向を隆は指差した。 「こっちだってシャーペンの神様が言ってるぜ」 「なんの神様だよ。まぁ、単独行動は避けたほうがいいし、アテもないからな」 呆れたメルヒオールは肩を竦めた。 隆のシャーペンが示した方向に進むと、ソファ、本棚のある居間に出た。ユエが術の打消しを、メルヒオールが念力を使用する。 オゾや隆、桂花はトラベルギアでものをつつき、危険がないのを確認後、本棚、ソファの下、掛け軸を探す。 「これは、地下に続く扉か?」 掛け軸の後ろある階段をメルヒオールは発見して声をあげた。 「行ってみる価値はあるよなぁ。お宝があるかもしれないぜ。なぁウィー」 「そうだね、隆。手を貸してくれないかな?」 「ほいよ」 ウィーロウは隆の手を借りて先頭を切って地下に降りる。 そこは二十畳ほどの畳の、小さな机があるだけの部屋だった。 「ハオ家当主……フッキが術を使用していた部屋か」 ウィーロウは物珍しげに部屋を観察するのに探すところもさしてないためメルヒオールたちは手持ち無沙汰となった。 「これだったら二手にわかれるか?」 「そうだな。メルヒオールと俺、オゾはもう少しなかを探してみよう」 それに桂花が手をあげて探索に参加するとアピールする。 「なら、僕が残ります」 三人に分かれ、隆とオゾはウィーロウが満足するまで待機する傍ら、メルヒオールとユエ、桂花は屋敷のさらに奥の探索にかかった。 洋風と和風の趣味がまるでごちゃまぜな、規律のとれていない内部は混沌の一言に尽きた。 「ここは書庫か」 たどり着いた部屋は本がずらりと置かれているのにユエがまず足を踏み入れる。メルヒオールは後に続いてざっと眺めると目を輝かせた。 「どれもこれも術に関するものだ……すごい量だ」 個人的な好奇心が疼くメルヒオールは感嘆のため息が漏れる。 桂花は淡々と探索をしながら下唇を噛んだ。いくら探しても目的の魂渡りがない――ハオ家の討伐にかかわったが、そのとき魂渡りを使用しようとしていた経緯を考慮すればあれは鳳凰連合が差し押さえた可能性が高い。もしまだ可能性があるとすれば主人の寝室ぐらいしかない。 「ウィーロウに確認をとる。呼んできたほうがいいな」 ユエはウィーロウに対して好意的、また協力を惜しむ気はなく、発見したものを隠蔽する気はさらさらなかった。 「そうだな。ノートで連絡をとってみるか」 「おーい、気になるものがいくつか見つかったらしいぜ」 隆の声にウィーロウは我に返ったように振り返った。 「そうなのかい? じゃあ、そちらにいこうか」 「財ってのは術よりも金目の物なんじゃないの? あんたも本当は資金源とかそっちの方を探しに来たんじゃないのかって思ったんだが、違うんだな」 「金は役に立つよ。隆、けれど知識と比べれば無用だね」 「欲がねぇなぁ」 隆は頭に腕をまわしてぼやいた。 「んじゃあ忠告。俺らは元々皆それぞれの目的で動いてるから、あんたの求める物語が書き変えられる覚悟はしときなよ?」 「ふふ。たとえば?」 「たとえばってなぁ」 「そうですね」 隆とオゾは顔を見合わせた。 「なにとはいわないが、衝突しても恨みっこなしだ。その予想つかない化学反応が人生では面白いってことさ」 「隆は面白いな」 ウィーロウはくすくすと笑って隆を見つめた。隆はその視線に笑い返した。 「隆とは出来れば衝突したくない。君のこと、とても気に入ってしまったから。ここにいる全員、とても誠実だ。今後も君たちになら依頼するのも悪くないかもしれない」 「ありがとな。お、ついたぜ」 書庫で合流するとユエが差し出した書物をいくつかウィーロウは点検した。 「奥に部屋がある。二階も気になるが、先に下を片づけておいたほうがいいだろう?」 「ユエ、あなたの判断に任せるよ。いくつか持ち帰りたいものも出来た」 ウィーロウはユエを完全に信頼しているらしく、やんわりと頼む。 奥に進むと、茶室、台所があったがざっと見た限りなにがあるというわけでもない。また何もない空っぽの部屋を進み、ようやく寝室にたどり着いた。 畳張りの、出されたままの寝具しかない部屋だ。 桂花はそこでも出来る限り目立たないように探し始める。 と 「おい、これはなんだ」 メルヒオールが声をあげた。その手元には宝石細工の小さな小箱があったのに、蓋をユエが慎重に開ける。 なかには無造作に美しい石が数個、はいっていた。 ウィーロウは近づくと、嬉しそうに微笑んだ。 「禁呪だよ」 「これが?」 紙とは限らないとメルヒオールは思っていたが、石とは予想外だった。 「石に術をため込んでいるんだ。これを体内にいれることで誰でも使えるというわけさ」 「そういうカラクリか」 屋敷を守っていた犬のことを思い出せば、あれは眼に石が入っていたのだろう。死んで禁呪が解けて、禁呪も溶け消えたのだ。 箱を受け取ったウィーロウは満足そうに頷いた。 「そして、これの大本である術式を記した書があれば助かる。書庫にはなかったが」 「もう少しここを探してみようぜ」 と隆。 しかし、いくら探してもない。 「機械仕掛けだったらわかりませんが、ここに隠し部屋などはないようです」 「居間にはあって、ここにはないか……二階も探してみるか」 今度は二階へとあがり探索が開始された。 いくつもの部屋があるのにそれぞれ探索の要領は既に掴んでいたので手分けして探索は続いた。 隆はシャーペンの神様頼みなのにウィーロウも一緒に従った。 「やっぱり見つからないなぁ」 置物やらを手にとって眺めながら隆はため息をついた。 「ふふ。そうだね。隆……君より、ユエやメルヒオール、それにオゾや桂花のほうが役立つかもね」 「まてよ。俺の信仰するシャーペンの神だって捨てたもんじゃないんだぜ」 隆が振り返る。ウィーロウの美しい目は穏やかな深い色をして隆を見つめていたがふっと興味を失せたように逸らされた。 「……っ」 「どうかしたのかい、隆」 「いや、なんでもない」 「ユエたちが呼んでいるようだ。私はそちらに行くよ」 隆が呼び止める間もなくウィーロウはユエたちのほうに歩いていく。隆は首の後ろをかいた。 ユエたちが探索したのは二階よりもさらに危険度の高いと思われる屋根裏だった。 しかし、そこにあったのは無造作に集められていたのは、一階の書斎よりもさらに大量の書だった。よくこれで落ちないものだと驚くほど、存在する。 「術を施して支えているようだな。さすがに下手なことをして支えている術が無効化したあとの惨劇を考えれば迂闊なことは出来ないのであえてここでは俺はなにもしていない。だから一階よりも注意が必要だ……奥の部屋に祠があって見つけたのがこれだ。この屋敷は不思議だな。一階ではなく、二階に重要なものを隠してあった」 「禁呪を作り上げた記録……ここに禁呪の術の説明、使用、すべてが書いてある。ありがとう。ユエ」 ウィーロウが微笑む。 「これがほしかったんだ。一階にある禁呪の石、そして、その大本ともいえる今はもう失われた古術、これさえあれば十分だ。そろそろ帰ろう。ここにある他の書物も気になるから、後日、またとりにいこう」 「役に立ったようでよかった」 「ユエ、十二分すぎるよ。君は私の期待に応えてくれた」 ウィーロウは背後にいる隆に振り返った。 「隆、残念だったね」 次の瞬間、誰も予期しなかったことが起こった。 隆が片腕をあげ、シャーペンの芯を折ったのだ。それはまっすぐにウィーロウの下腹部に命中した。 ウィーロウが倒れるのに誰もが息を飲む。咄嗟に動いたのはオゾだった。すばやくウィーロウの前に飛び出す。まだ隆はシャーペンを構えたままだ。 「おい、どうした、いきなり!」 メルヒオールが叫ぶのに隆はまっすぐにウィーロウだけを睨みつけて微動だにしない。 「うるさい。そいつを殺すんだ、俺は!」 「どうしてですか!」 オゾがウィーロウを庇ったまま、焦りから怒鳴り返した。 「どうしてだって? それしかないんだよ! 俺にはもうそれしかないんだ!」 何かの脅迫観念にかられたように隆は声を荒らげる。 倒れたウィーロウをユエが抱き上げ、治癒を施す。ウィーロウは首だけ動かして悲しげな深い色の瞳で隆を見つめた。 「う、うああああああああああああああああああああああ!」 耐えられない苦痛に遭遇したように隆は頭を抱えて悲鳴をあげた。 「どういうことでしょう」 「この屋敷のトラップか? 隆、落ち着け!」 ユエの制しも聞かず、隆は駆けだした。 「っ、行かせるか」 メルヒオールが急いで紙に言葉を刻もうとするが、それよりも早く隆は悲鳴だけを残して消えてしまった。 ウィーロウの治癒はユエとオゾがいたので間に合い、無事に事務所に戻ることが出来た。 「隆についてはすまない。まさか術の邪気にあたるとは」 「いや。怪我は平気か?」 「ありがとう。……しかし、隆が心配だ。私も彼を探しておこう。見つけ次第、君たちに連絡するよ」 ウィーロウの深い瞳か悲しげに、それでいて親愛をこめて見つめてくるのに誰も反論はない。 「こんな結果になったが、君たちは私の依頼を見事に達成してくれた、ありがとう」 旅人たちが帰路についたあとウィーロウは携帯電話を取り出した。 「ああ、俺だ。ハオ家の探索は成功、すべて手入した。回収を頼む」 携帯電話を切るとウィーロウはゆっくりと窓を見た。透明な硝子に自分の顔が映り、深紫色の瞳が輝いていた。 「隆、君の忠告、肝に銘じておくよ」
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