公然の秘密、という言葉がある。表向きは秘密とされているが、実際には広く知れ渡っている事柄を指す。秘密とはこの世で最も脆いもののひとつ、それを打ち明け共有出来る友を持つ者は幸いである。胸に抱えた秘密の重さは人に話してしまえば軽くなるものだし、更には罪悪感を連帯所有することで深まる絆もあるだろう。 ……さて。あなたはそんな、誰かに打ち明けたくてたまらない秘密を抱えてはいないだろうか?それなら、ターミナルの裏路地の更に奥、人目を避けるように存在する『告解室』に足を運んでみるといい。 告解室、とは誰が呼び始めたかその部屋の通称だ。表に屋号の書かれた看板は無く、傍目には何の為の施設か分からない。 ただ一言、開けるのを少し躊躇う重厚なオーク材のドアに、こんな言葉が掲げられているだけ。『二人の秘密は神の秘密、三人の秘密は万人の秘密。それでも重荷を捨てたい方を歓迎します』 覚悟を決めて中に入れば、壁にぽつんとつけられた格子窓、それからふかふかの1人掛けソファがあなたを待っている。壁の向こうで聞き耳を立てているのがどんな人物かは分からない。ただ黙って聴いてもらうのもいいだろう、くだらないと笑い飛ばしてもらってもいいだろう。 この部屋で確かなことは一つ。ここで打ち明けられた秘密が部屋の外に漏れることはない、ということ。 さあ、準備が出来たなら深呼吸をして。重荷を少し、ここに置いていくといい。
灰色の右腕をだらりとソファの外側に垂らし、メルヒオールは気怠そうな面持ちで深く背もたれに上半身を預けた。ふかりとやわらかなベルベット生地がメルヒオールを包み込み、ゆったりと背中が沈むにつれ目は自然と天井に向かう。 「……あー」 誰も見ていない環境がそうさせるのか、元々の性質なのか、メルヒオールは脱力しきった表情で空を見つめる。言葉にしたいことはある、だけど何から話せばいいのか、まだ整理がついていない。そも、ひとりで整理がつけられるくらいならきっと此処には来ていないのだろう。 「お悩みのようだね」 「ん? ……そうだな、それなりに」 格子窓の向こうから気遣わしげに、あるいは好奇心を覗かせて届く疑問符に、メルヒオールはため息混じりの答えを返す。 「解の無い問題ってのは、面倒だな」 数式には解がある。言葉はスペルが決まっている。魔法にだって決められた手順が存在する。 「解とは、最初から目に見えるところに在るものではないだろう?」 「……まあ、そうなんだが」 青い鳥のように、探し続けた果てに、最後に探す場所にしか無い、それが『答え』。わかっていると言いたげな目で、メルヒオールは格子窓をちらりと見た。 「それを導き出すには時間が足りない気がするんだよ」 大事な言葉、伝えなければいけない言葉は、いつも最後に、急かされてでないと出てこない。だからいつだって伝え足りない、わかってはいる。 「……教師のくせになあ」 まだ、口にするべき言葉は定まっていない。メルヒオールはぽつり、ぽつりと、伝えたい言葉が浮かび上がるのを待つように、語りはじめた。 ◆ ミスタ・テスラに行ったことはあるか? 俺は……まあ、その辺の連中に比べれば多い方だろうな。 何体かのオートマタのマスターになる……家庭教師と世話焼きみたいな依頼があってな。俺はそのうち、一体の女子のオートマタを預かったんだ。こっちに来てまで教師の仕事ってのも面倒だったが、蓋を開けてみれば……そうだな、意外と楽しかった。教師というより親兄弟みたいなもんだったかもしれない。 オートマタの名前? ああ、イーリスだ。世話を焼く奴が名前をつける決まりらしくてな、俺が名付けた。元々の性質なのかな、俺が教えた割にしっかり者で世話焼きで、他のオートマタをよく見てる奴に育ったよ。あいつに言わせりゃ反面教師なんだろうな。はは。……そういう要らんところが昔の教え子に似てる。 よく笑う、よく怒る、何でもずばずば言って、どこにだって喜んでついてくる……仔犬みたいな奴なんだ。 「不精なお人柄のようにお見受けするけれど、大事に思っているようだね」 ……そりゃ、そうさ。でなけりゃ何度も通ったりしない。本人の前じゃ言えんが、あいつも大事な生徒だよ。 けどなぁ……。 そうなんだよ、マスターとオートマタである前に、教師と生徒なんだ、俺とイーリスは。 生徒はいつか学校から卒業していって、大人になって……教師から教わったことは大事にするだろうが、教師の存在そのものなんて頭の片隅かどっかに行っちまう。思い出せば懐かしいがそれだけ。それくらいがちょうどいい距離感だと俺は思う。だがあいつは違ってた。 ……俺について行きたい、そう言われた。 俺の役に立ちたいんだと。俺がどうにも不精でずぼらで一人じゃ生きていけなさそうだからってな。……今自分で言葉にしたらすげえ哀しくなったわ。 「まあ、オートマタとはいえ人格は年頃の少女なのだろう? そう思わせるとは、なかなかどうして悪い教師じゃないか」 うるせえな、追い討ちか。 ……まあ、いい。ミスタ・テスラで頑張って働いてるのも、勉強を続けてるのも、全部俺の為だって言われた俺の気持ちにもなってくれよ。 「嬉しくないのかね?」 複雑なんだよ。 ……あいつはロストナンバーじゃないし、ロストナンバーにさせたくはない。そして俺はミスタ・テスラに帰属するつもりはない。それだけで充分複雑だろ。あいつが……イーリスがイーリスになるのには、たまに来る俺だけじゃ駄目だったんだ。ゼペルトに、瑠璃、マヤ、ジング、ミオ、ティンカーベル……あいつに、ミスタ・テスラでの全部を捨てさせて、ミスタ・テスラの皆もあいつを忘れちまう、それがロストナンバーになるってことだろう。 俺はイーリスの願いを叶えてはやれない。 ……ただ、それをどうすれば伝えられるのか、どうすればイーリスに理解させられるか、分からないんだ。別れの言葉なんて、どんな授業でもやらねえよ。先延ばしにしたっていいことなんか無いのくらい分かってる。分かってるが……。 ◆ メルヒオールは、「嬉しくない」とは決して言わなかった。 それが別れの言葉を口ごもらせていると、メルヒオール自身もきっと気づいているのだろう。 __いつか追いかけていくから、覚悟しててね 結局、覚悟が出来ていないのはメルヒオールひとりなのだろう。だが、イーリスの幼い覚悟や決意を素直に受け取って、ともに連れ添うだけの責任の前に、覚悟の文字はぼやりとその輪郭を失う。 「そのいつか巣立って行く先がUターンじゃあ、格好つかんだろうに」 受け入れるには不安で、拒むには寂しい。それに尽きるのかもしれないが、イーリスにその気持ちはきっとまだ伝わっていない。言葉にするのは難しくて、面倒で。だけど。 「……言わなきゃ伝わらないことくらい、分かってるんだ」 別れの言葉も、感謝の気持ちも、何もかも。思うだけでは伝わらない。大事に思うことと、大事にすることは似ているようで違う。目を見て言えない言葉の多さはそのまま、メルヒオールの『思い』の重さだった。 解はまだ、見つからない。 この部屋が最後の探しどころになるはずはないのだから。
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