以下の五名。大至急、図書館ホールに集合されたし。 リベル・セヴァンの名前で呼び出しがかかったのは、ムジカ・アンジェロ、由良 久秀、一一 一、相沢優、エレナだった。 集まった彼らは、一様に驚く。 インヤンガイ行きチケットの準備をととのえて彼らを待っていたのは、レディ・カリスだったからである。「あなたがたには、アーグウル街区の異界路(イージェルー)に向かってもらわなければなりません。詳しくは現地の探偵、螺旋飯店(ルオシュエンホテル)支配人の黄龍(ファンロン)から説明を受けてください」「レディ・カリス直々に、世界司書の代行をなさるとは」 薔薇のつぼみを一輪、差し出されでもしたかのように、ムジカは優美な所作でチケットを受け取る。「大事があったようだな」 うっそりと、面白くもなさそうに言ったのは由良だ。「まさか、ベンジャミンさんが命を狙われているとか!?」 一は、渡されたチケットを二つ折りにする勢いで握りしめる。「事件はもう、起きたということですか? ……でも、黄龍さんはまだ無事なんですね?」 チケットに視線を落とし、優は思いを巡らす。「連続殺人鬼からの挑戦みたいなことが、あったのかな?」 エレナの推測は、すぐに裏付けられることになる。 † † †「巻き込んでしまって、申し訳ないね」 螺旋飯店を訪れた五人は、馴染み深いダイニングルームに通された。 壁を彩る肖像画の女性たちが見つめる中、黄龍は、花の透かし絵がほどこされたカードを、彼らに見せる。・━━━━━━━━━━━━ † ━━━━━━━━━━━━・ ベンジャミン・エルトダウン氏に告ぐ この世でもっとも美しい死体とは? ――答えは氷だ。疑うべくもなく。 では、この世でもっとも美しい殺人とは? ――名探偵殿、私は貴殿にそれをお見せしたい。 月の王より、敬意をこめて・━━━━━━━━━━━━ † ━━━━━━━━━━━━・ 「被害者は四人。事件はすでに起こってしまった。すべて、この異界路に建つ建物の中で」 螺旋飯店を含め、異界路沿いに並ぶ建物はどれもこれも、インヤンガイの様式を大きく逸脱している。それゆえにこの一角は《異界路》と呼ばれるのだが、その無国籍ぶりはターミナルが秩序ある世界に見えてしまうほどだ。 たとえば。 ノイシュバンシュタイン城ふうの建物の隣に、タージ・マハルが建っている。 サンタマリア・ディ・フィオーレ――花の聖母教会に見える建物に向かいあって、パルテノン神殿が威容を誇る、という具合に。 ――そして。 四人の被害者たちは、それぞれの建物の中で発見された。 “花氷”――すなわち、氷漬けの死体となって。 氷の棺に、ある“花”とともに、閉じ込められて。 四つの花氷は、各建物の管理者や住人の、一瞬の隙をついて出現したという。 その性別も年齢もまちまちだが、共通点がひとつ。 彼らは全員、インヤンガイで名を馳せた「殺人鬼」だった。 青大理石でできたノイシュバンシュタイン城で見つかったのは、黒髪の少年。 彼を抱きしめるように、氷の中に咲いていたのは青いアネモネ。 この状況での花言葉は、おそらく――薄れゆく希望。 白大理石で象眼されたサンタマリア・ディ・フィオーレには、銀髪の少女の氷漬けがあった。 彼女を取り囲むのは、愛らしいスノードロップ。 花言葉は――貴方の死を望みます。 赤色花崗岩のパルテノン神殿で氷漬けになっていたのは、赤毛の老女。 赤みを帯びた錨草(イカリソウ)に埋め尽くされ、その表情さえ定かではない。 ――貴方を捕まえる。 それが、錨草の花言葉。 浅黒い肌の青年は、黒大理石のタージ・マハルで凍りついていた。 彼が手にしているのは、黒い桑の実がたわわに実った枝。 それが意味するメッセージは……。 ――私は貴方を助けません。「この犯人は《月の王》、あるいは《煉獄卿(サー・リィエンユウ)》とも名乗っている。ごく最近、アーグウル街区で、もっといえば異界路を中心に活動しはじめた殺人鬼なのだが、どうも私を、何らかのターゲットにしている節があってね」「……ロストナンバーかな。『ベンジャミン・エルトダウン』と呼びかけている以上」 ムジカの指摘に、支配人は頷く。「そうなのだろうね。このカードはそれぞれの現場に、まったく同じ文面のものが置かれていた。私に対する挑戦であることは明白だ」 だから……、と、皮肉めいた笑みを、ベンジャミンは浮かべた。「手をこまねいているだけというのも癪なので、攻勢に出てみたんだよ」 四つ目の死体が出現した直後、螺旋飯店の鉄の扉に、夾竹桃(キョウチクトウ)の花束を置き、以下のカードを挟んておいたのだと。・━━━━━━━━━━━━ † ━━━━━━━━━━━━・ 月の王に告ぐ 氷の花は、たしかに美しい。 その花びらを清冽な氷河に、 永遠に閉じ込めることができるものならば。 だが。 傲慢と愚行の氷魂は、私たちが溶かすだろう。 凍らせた甲斐もなく、花は無残に散るだろう。 それでもなお、美を主張するというのなら、 その挑戦を受けることを、私と五人の友人は、ここに宣言する。 螺旋飯店支配人、黄龍こと、 ベンジャミン・エルトダウン および 《金の麒麟》ムジカ・アンジェロ 《金の青龍》エレナ 《銀の朱雀》由良久秀 《銀の白虎》相沢優 《銀の玄武》一一 一 ・━━━━━━━━━━━━ † ━━━━━━━━━━━━・ 夾竹桃の花言葉は――油断大敵。「あの、ベンジャミンさん……。これって」 月の王への逆挑戦状が連名でなされていることに、優は目を見張る。「ああ、勝手に友人扱いしてすまない」「そういうことではなくて」 苦笑するムジカに、「そうだった、名前使用の事後承諾をまだ詫びていなかったね」 と、悪びれもしない。「それで、この悪趣味なやりとりに、返事はあったのか?」 由良は眉間に縦皺を寄せるが、支配人は肩を竦めるだけだ。「カードと花束は持ち去られて、代わりに葡萄の花とメッセージが置いてあったよ」******************* 探偵たちに告ぐ。 決戦はファルケンシュタイン城で。 月の王より******************* 葡萄の花言葉は、酔いと狂気。 ファルケンシュタイン城は、バイエルンの狂王ルートヴィヒ2世が、企画はしながら結局は建てることができなかった幻の城だ。 その建物が、異界路にはあるらしい。 † † † インヤンガイに発つ前、一は、レディ・カリスに問うた。「すごく基本的なことを聞いていいですか? その殺人鬼がロストナンバーなら、目的って何なんでしょう? ただ、ベンジャミンさんに挑戦したいだけなんでしょうか?」「個人的な執着ならば、まだ良いのだけれど。旅人の約束を積極的に破ることにより、インヤンガイという世界に影響を及ぼしたがっているようね」「それって――それって……!」 一は青ざめる。声がうわずる。 彼女の正義感にとって、あまりにも許しがたい、その動機。「再帰属したいがために、殺人を犯してるってことですか!」「そういうことになります」「そんなこと、許されるんですか……。被害者が殺人鬼だとしても、彼らだって『現地のひと』には変わりないじゃないですか。まして、インヤンガイに再帰属したいからって、そんなの、そのロストナンバーのエゴじゃないですか」「まったく同感です。私も、怒っているのですよ。あなたと同様に」 レディ・カリスは一と視線を合わせる。「ベンジャミンはおそらく、それほど深刻に考えてはいません。心躍る謎が提示され、あなたがたを呼ぶ理由ができて、うれしがっているかもしれません。ですが、私はベンジャミンほど酔狂ではありません。謎解きなどは、どうだっていいのです」 再帰属を求めるあまり、ロストナンバーが犯罪を重ねている。 そのような愚かしい行為を、放置するわけにはいきません。 示してさしあげなさい。 世にも醜い犯罪を重ねる殺人鬼を、恥じ入らせてあげなさい。「真に美しい殺人」とは、何なのか。 それはおそらく、《月の王》などではなく、あなたがたが知っているはずですから。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ムジカ・アンジェロ(cfbd6806)由良 久秀(cfvw5302)一一 一(cexe9619)相沢 優(ctcn6216)エレナ(czrm2639)=========
──── 螺旋飯店/ダイニングルーム ──── 洋館ホテルの窓枠にかぶさる蔦は、血潮のいろに染まっている。 それは禍々しさよりも、命の躍動のように見えた。緑豊かとはいえないこの世界にも感じる、ささやかな秋の訪れ。時は動き季節は流れ、かつて旅人であった少年は年を重ね、時の牢獄に囚われた兄の年齢を追い越した。 「月の王の動機は、美しくないね」 ムジカの思うことは、それだけだ。 「美しくない、とは?」 「美意識に動機と手段が伴ってない。ただ、残念、とだけ」 ――世界に認められたければ、その理に準じるべきであるものを。 月の王は、バイエルンの狂王、ルートヴィヒ2世の異名でもある。 独り善がりな芸術に身を浸す、一人舞台の役者。太陽王ルイ14世に憧れて、けれど太陽にはなれず、月の光に侵されてしまった王。 「贋者の芸術家、贋者の王。似合いの名前じゃないか」 オークのテーブルに置かれたメッセージカードをもてあそびながら、ムジカは黄龍を見る。 「ともかく、友人扱いは光栄に思うよ。返礼と親愛のあかしとして、あなたを護るとしよう」 「それはありがたい。では今後は、ムジカくんと呼ばせてもらおうかな――かまわないだろうか、久秀くんも?」 「俺に聞くな」 由良は不愉快そうに片眉を上げる。 「本当に探偵って人種は身勝手だな」 「お気に召さないのなら、由良くんで」 「そういう、ろくでもないことじゃない。本題についての話だ」 由良の不満には、常日頃の実感もこもっている。 「押し付けがましい殺人美学も、それを面白がる根性も、不快なだけということだ」 それは《月の王》への反感でもあった。死体を飾り立てる意味など、少しもわからないのだから。 「だいたい、四人もの殺人鬼がうろうろしてたのに、誰かが死体にしてくれるまでなぜ放置してた。名探偵が聞いて呆れる」 吐き捨てるように言われ、黄龍は神妙に頭を下げた。 「それについては返す言葉もない。同時進行で事件が頻発して、私もカイも、手が回らなくてね」 「見直しました、由良さん!」 一が目を輝かせ、身を乗り出す。 「私、同じことを言おうとしてたんです。殺人を未然に防いでこそ、名探偵ですよね!」 「…………」 由良はふいとそっぽを向く。一と同じ意味合いで言ったわけでは、まったくないのだ。 ベンジャミンさん、と、一は黄龍に向き直る。 「呼んでいただいて申し訳ないんですが、私はこの事件を『楽しむ』ことはできません。どう取り繕おうと、人の命を身勝手に奪う行為に美など存在しません。少なくとも私は、それに美を感じません」 「きみは、そう言うだろうと思っていたよ、一くん」 「探偵に向いてないのは自覚してるので、『探偵』として動くつもりもないです。ただ、身勝手な殺人を続ける犯人を捕えるためだけに、ここに来ました」 「眩しいほどの正義感だね。ひとは、自分にないものを求めるものなので、私はきみを、非常に好ましいと思うよ」 「月の王、煉獄卿――」 テーブルに肘をついて指を組み、優は真剣に考えを巡らす。 「四つの死体と花は四つの色を現してます。ということは、螺旋飯店の四神と俺たちに充てたメッセージなんでしょうね」 「劇場型の、犯罪者」 ムジカが断じ、優が頷いた。 「このツーリストは、探偵かもしれないですね。もしくは、建築家」 「その両方、という可能性もあるね」 「帰属するには、その世界か、そこに暮らすひとに必要とされなければならない」 優は、ゆっくりと言った。自分に、あるいは誰かに、言い聞かせるように。 「月の王は、殺人犯を殺すことにより、被害者遺族の無念を晴らすという体で、インヤンガイとの縁を深めようとしているんじゃないでしょうか」 一は、顔を曇らせる。噛み締めた唇が青ざめる。優は、自分の手元を見つめ続ける。 「殺人鬼としての活動の一方で、探偵としての顔も持ち、現地のひととの縁を深める。でなければ、有名な殺人鬼と探偵を殺すことにより、この世界に影響を与え、《最も有名な殺人鬼》として世界に認知されることを望んでいる……?」 少しずつ、優の言葉は低くなり、やがて、 ――黄龍さんになり変わる? そう呟いて、ふつりととぎれた。 「ゆっちゃのいう通り、被害者は四神の色と対になってる。だから、最後は《黄龍》の黄色だと思うの。でも……」 目を閉じ、静かに思索していたエレナが口を開く。 「月の王の本当の目的は、どこにあるのかな……?」 はっとなって、優はその愛らしい口元を見る。 「本当の目的?」 「うん。再帰属だけなら、ファンちゃんを名指しで狙う理由がはっきりしないもの」 「面白いね」 黄龍が、エレナの隣の椅子を引き、そこに腰をおろす。 「エレナくんの見解を、聞かせてもらおうか」 「個人的なものじゃなくて、もっと大きな何かが背後にある気がするの」 「黒幕がいるということかな?」 「だってファンちゃんは、元ファミリーでしょう? だからエヴァちゃんも、ずっと気にしてる。ファンちゃんのお兄さんだって」 「……縁は切ったつもりだけどね」 「家族の縁は、切れないよ」 「犯行日時は特定できているのか?」 その会話を打ち切るように、由良は冷静に問う。本人としては不本意だろうが、由良のスタンスは、はたからは、誰よりも現実的な『調査員』に見えた。 「だいたいは」 「《月の王》の外見と特徴は?」 「目撃証言がないのでね。いっさい不明だ。とはいえ、状況からして、私と同年代の男性と推測している。だが久秀くんは、それを聞いてどうするのかな?」 「カリスに、ロストレイルの乗客名簿との照合を依頼する」 「旅客登録情報も参照してもらいましょう。月の王の能力とトラベルギアの効果は、瞬間移動と氷系の魔法じゃないかなって思うので」 決意をこめた声音で、優が言った。 † † † 「月の王は、この地に求められたあなたに嫉妬しているのかもしれないな」 ムジカの言葉は、言外に、ベンジャミンの帰属に至る経緯を問うていた。 「帰属したのは18のときだったね? それから20年が経過している」 「たかだか20年ごとき、過ぎてしまえば、あっという間の年月ではあるけどね」 ――私が《黄龍》を名乗ることができたのは、先代の四神との邂逅があったからだ。 カイと紅花の父。蒼の母。墨の兄。雪花の叔父。 彼らはすべて、いとしいものを殺された。 亡骸をかき抱き、この謎を解いてくれと慟哭していた。 少年は、その要請に応えた。 感謝した彼らは、旅人であった少年に、強く求めた。 この街区にとどまってほしい、と。わたしたちが、あなたを護るから、と。 そして四神が揃い、ベンジャミン・エルトダウンは真理数を得、《黄龍》となった。 † † † 「さて。従業員たちが待ちくたびれているようだ」 黄龍は四人の従業員を手招きした。整列させてその中央に立ち、招聘受諾の礼を取る。 左から、蒼(ツァン)、紅花(ホンファ)、黄龍、墨(ムオ)、雪花(シュエファ)という並びである。 今日の黄龍のいでたちは、シルクハットに燕尾服、目元を覆う絹のマスクというもので、なかなかに大仰だった。襟元には、葡萄の花があしらわれている。 「今回の現地探偵のお出迎えは、ずいぶんと華やかだね。カイ・フェイはどうしているのかな?」 ムジカは、カイの妹の紅花を見る。ツインテールの黒髪に紅薔薇のつぼみと錨草をあしらい、壱番世界でいうところのチャイナドレスを着た少女は、肩をすくめた。 「さぁ? お兄ちゃんのことなんて知らない」 子猫のような目を細め、由良の後ろに駆け寄り、背中から無邪気に両手を回して頬を寄せる。 「ユラりんがあたしに逢いに来たから、すねてるんじゃないかなぁー」 「離せ。うっとおしい」 由良は邪険に振り払った。しかし紅花はめげずに抱きつく。振り払う。抱きつく。振り払う。また抱きつく。 「……いい加減に」 眉間の縦じわが深くなった。普通の若い女の子が暗がりで見かけようものなら通報ものの表情だが、 「そんな照れなくてもいいじゃなーい」 まったく意に介さず、今度は回り込んで膝の上にちょこんと座った。由良は反射的に蹴ろうとしたが、紅花は敏捷に飛び退いて、またも膝に座る隙をうかがっている。蹴る。飛び退く。また座ろうとする。蹴る。飛び退く。 「………!」 ムジカが急に、喉元を押さえた。 「だいじょうぶ、ムッちゃん? 具合でも悪いの?」 何かに耐えるようにうつむいているのを見て、エレナが顔を覗き込む。 「お水、もらう?」 「いや……。いいよ。前回より破壊力が強くて、あまり、だいじょうぶでは、ないけれど……」 「苦しそう」 「心配には及ばないよ、エレナくん」 ムジカの代わりに、とでもいうように、黄龍が破顔する。 「ムジカくんの首を絞めたがる暴霊が、また現れただけだ」 「そう……、なの? それって大変じゃないの?」 エレナはきょとんと小首を傾げる。その耳に、黄龍は囁いた。 (朱雀組の漫才に、ムジカくんが受けているんだよ。微笑ましい光景じゃないか) (漫才って、なあに?) エレナたんはご令嬢なので、いまひとつ意味がわからないのだった。 「エレナちゃんこそ、だいじょうぶかい? 急な招待だったし、疲れてない?」 蒼がそっと声をかける。華奢な身体に濃紺の衣装を身につけ、胸元には青いアネモネをあしらっている。 「ありがと、ツッちゃん。あたしは平気だよ」 気遣う蒼に、エレナは微笑みを返した。 「それにしても。ウチの支配人の悪趣味ぶりも相当だが、あんたのお仲間もいい勝負だな」 由良とムジカを交互に見て、墨は一を振り返る。 「え、えっと。よ、余裕があるのはいいことじゃないですかね!」 コメントに困った一が、あせりつつ返した。 「今日は皆さん、気合の入った装いですね。やっぱり《月の王》を意識して?」 「……支配人命令でね。真っ向から挑戦を受けて立つという気概のあらわれだそうだ。だが何も、花言葉の符丁に、こちらも合わせることもないだろうに」 胸ポケットにさした桑の実の枝を、墨は憮然とした顔で見やる。 「道化と紙一重だ」 黒天鵞絨のスワローテイルが細身の長身に映え、それなりにサマになっているのだが、どうやら彼としては今日の衣装は面映いらしい。 「もしかして墨さんも、月の王にストレートに立腹してますか?」 「ああ。こんなものは美学じゃない、ふざけるなと言いたいね」 「ですよね」 一は、《月の王》からのメッセージカードに視線をうつす。 「美しい殺人なんて存在しませんよ。私は、月の王を許せません」 「あんたにとっちゃ、嫌な事件なんだろうな」 「……事件はどんなだって、嫌です。ひとが死んでるんですから」 「違いない。ま、茶でも飲め」 「そうします。……って、まだお茶とお茶菓子出てないですよ。ベンジャミンさーん」 「これは失礼。雪花」 「かしこまりました」 支配人の目配せに、雪花は頭を下げる。ふわりとした白のワンピースには、随所に雪のような硝子のビーズが散りばめられている。やわらかに結い上げた髪には、スノードロップが飾られていた。 「優さまは、何をお飲みになりますか?」 「あ、うん」 優はふと、壁に飾られた肖像画を見つめていた。雪花に声をかけられ、我に返る。 「そうだなぁ。紅茶かな? ここの紅茶、とても美味しいから」 「銘柄は何がお好みですか?」 「ダージリンとか、キームンとか? でも、そんなにこだわらないよ」 「ティーカップのご指定はございますか?」 「……指定できるのッ? よくわからないからまかせる」 「では、キャッスルトン・グロリアで。お茶うけは如何いたしましょう? ストレートティーですと、シナモンの香りを効かせたアップルパイなどが合いますが、月餅なども意外と……」 「まかせる、まかせるよ。それに、そこまで気を使ってくれなくても」 「わたくしは《白》の部屋担当の従業員です。ご滞在中は、優さま専用のメイドと思し召しくださいませ」 ──── 螺旋飯店/門扉前 ──── 煙草を吸ってくる、と言いおいて、由良は席を立ち、外へ出た。まとわりつく紅花に辟易し、離れたかったせいもあるというのに、 「あたしも行くー。ひとりじゃさみしいでしょ」 紅花はちゃっかりついてくる。 「来なくていい。邪魔だ」 「だってあたし、ユラりんの相棒だもん」 「違う」 見えぬ壁を意識させるべく、ぞんざいに片手を振って押しとどめる。門扉に寄りかかり、煙草をくわえたときだった。 怪しい人影が、見えた。ホテルの内部をうかがうように、いったりきたりしている。 「誰だ」 くわえ煙草のまま近づいて、腕をねじりあげる。 「たーーーっ。あいたたた。離せ、この不審者め!」 「不審者はそっちだろう」 「黙れ黙れ、紅花から離れろぉー!」 「やっだー、何してるのお兄ちゃん!」 紅花が目を丸くする。螺旋飯店前をうろうろしていたのは、現地探偵のカイ・フェイだったのだ。 「いや、だって紅花、おまえを気に入っていて、どうしても付き合いたいとかいってる怪しい旅人がまた来たっていうから」 「……違う」 「んもぉー、やめてよお兄ちゃん。いいトシして恥ずかしい」 「あんた、由良久秀といったな。仕事は? 健康状態は? 年収は?」 「仕事はカメラマンだ。あとは、……どうでもいいだろう」 「カタギじゃないんだな」 「探偵ごときに言われたくない」 「やあ、カイ。いつもご苦労様」 由良とカイの間を、しなやかな指先が割る。ムジカだった。目尻に小さく涙がにじんでいるところを見ると、まだ彼の首を絞める暴霊は去らないらしい。 「妹さんの恋路をうかがう時間があるのなら、頼まれてほしいな」 「何だ?」 「螺旋飯店のホールに溢れるほどのステルンベルギアを、集めてくれ」 「ステルンベルギア……?」 「クロッカスに似た黄金いろの花だよ。黄花玉簾(ファンファユーレン)と言ったほうがいいのかな」 ステルンベルギア。英名はyellow star flower―― 花言葉は、 「無駄なこと」 さらにムジカは、追加の要請をする。 「異界路の建物の建築家を、調べてくれないか」 ──── 螺旋飯店/ダイニングルーム ──── 「肖像画が気になるみたいだね」 ムジカは優の横に立ち、その視線を追った。 「はい。ムジカさんも?」 「閉じた猫箱の秘密の欠片が、ここにある気がする」 「ここの肖像画の女性たちはみんな、故人でしたよね」 「名前と生没年が伏せられているから断定はできないが、ベイフルック家の女性たちが多いようだね。皆、レディ・カリスの面影も、アリッサの面影も持ち合わせている」 美術展を観賞するかのように、ムジカはゆっくりと肖像画の前を歩き、 「その中でも、ベイフルック家の歴史や世界図書館のなりたちに、特に関わりの深い女性が集められているのかな?」 右端の貴婦人像の前で、立ち止まった。 「たとえば、この女性は、ベアトリス・ベイフルックだと思う」 ゆたかな金髪。ひややかな緑の瞳。 魔女伯、ベアトリス。 (ベアトリス……) ふとエレナはその絵に触れ、記憶を読んだ。くらりと、目眩がする。虚無の深淵を覗き込んだかのような恐怖。 《黒い本》のイメージが、浮かんでくる。 かすかな頭痛に、エレナはそっと額を押さえた。その肩に、蒼が無言で手を置く。 「エレナちゃん……?」 一が、心配そうに声をかけた。 「あ、うん。平気。ありがと、ヒメちゃん」 「つらかったら、いつでも言ってくださいね?」 「だいじょうぶだよ。……美人さんばかりだから、迫力負けしたのかも?」 「エレナちゃんが大人になったら負けませんよ! でも、ほんっと美人ぞろいですよね。このひととか、アリッサが大人の女性に成長して、すごく綺麗になった感じ。……っと、アリッサは今のままでも可愛いですけどね」 一が目を止めたのは、ベアトリス伯の真横に位置する、重厚な革張りの本をたずさえた女性の肖像だった。 結い上げずに自然に流したブルネットの髪は、それ自体が装飾であるかのように、白い顔を彩っている。とび色の瞳は、アリッサよりはやや淡い色合いだ。まなざしはつよく聡明な光をたたえ、この女性の生まれ持った美しさ以上に知性が勝っている――そんな印象である。 「アイリーン・ベイフルック」 ベンジャミンの声が、しずかに響いた。 「『最初の世界司書』と言われている。ある男に、劇場で殺されてしまったけれども」 「その事情を、知っているのかい?」 「かつてのファミリーとして、一応は」 「犯人と、その動機も?」 「探偵を標榜するものとして、一応は。だが今は、鉄仮面の囚人の謎解きをするつもりはないよ。それは きみたちの楽しみを奪うことになってしまうのでね」 「囚人さんのことを、なぜ……?」 一は真っ直ぐに、ベンジャミン・エルトダウンを見る。かの囚人に会うためにホワイトタワーに出向いたのは、さほど前のことではない。 「エヴァが教えてくれた。物好きなロストナンバーがいたことをね。彼女はときどき、多忙を押して、ここを訪ねてくれるのだよ」 一を見るベンジャミンのマスクごしの瞳に、ちらりと、哀切に似た翳りが宿った。 「一くん。あの囚人に関わるのは、やめなさい」 「……え?」 思いがけない言葉に、一は息をのむ。 「他の皆については、かまわない。だが、きみだけはだめだ。二度と彼に会ってはいけない。彼のことは忘れなさい」 なぜ、と、問う一に、ベンジャミンはもう、答えない。 「……カリスさんがここに来るのは、何かを心配してるからでしょうか?」 そう言ったのは優だ。 ピースはまだバラバラで、思わせぶりな欠片だけがちらほらと見え隠れしている。 すべてを集め、おさめるべきところへおさめることができたなら、そこにはどんな絵が出現するのだろう。 すべての謎が解けたなら、そのとき自分たちは、どうするのだろう。 「心配なのか、警戒なのか。だけどエヴァは、誰かに助けを求めたりしない女性でね。だから私にも――私であれば即座に解答できるはずのことを、とうとう聞こうとしなかった。結局、赤の城を訪れたロストナンバーが、雑談の中で、一定の結論を見いだすまでは」 「それは……!」 肖像画から離れ、ベンジャミンの真正面のテーブルに、優は手を突く。 「ヘンリーさんを刺したのが誰か、と、いうことですか?」 「そう。すでに公然の秘密として周知されているようだから言うけれども、容疑者の顔ぶれと現場の状況からみて、ロバート・エルトダウン以外には、あり得ないだろう?」 ――兄のギアは、五芒星の図案が刻まれた『隠されし叡智のメダル』だ。使用時は左手を肘まで覆うガントレットに変化して、対象を追跡し、金色の光線で撃ち抜くことができる。 「つまり、そこに密室が存在しても、わずかな隙間があれば、相手を刺すことが可能なんだ」 「やっぱり、そうなんですね」 優は唇を噛む。 「ベンジャミンさん。わかっているのなら、教えてください。ロバートさんはなぜ、ヘンリーさんを殺そうとしたんですか?」 「きみは、どう思う?」 ――あなたは、どう思うの? 赤の城の薔薇園で、《雑談》として行われた密室談義。あのとき、レディ・カリスも、同じことを優に問うた。そして優は、ここでも同じ答をする。 「……護るため、じゃないでしょうか」 「何を?」 「『誰を?』とは、言わないんですね。ロバートさんが護りたいものは、特定の個人ではないから?」 「ほう……。少し、兄に影響を受けているのかな、きみは」 もしかしたら、きみにはもう、わかっているのかもしれないね。 兄が護りたがっているものは、他ならぬ、壱番世界であるということを。 「ヘンリー・ベイフルックは、ファミリーに離反し、独断で《革命》を起こそうとしていた。兄からすれば、それは勝ち目のない勝負で、失敗は目に見えていた。その勝負に負けたなら、壱番世界など、あっけなく滅びてしまうというのに」 「……だから」 「兄は……、なんというか、自分のまっとうな部分が照れくさいのだと思うよ。だから、あんなふうに、偽悪的にふるまってしまう。兄はずっと、きみたちに手を差し伸べて、声を枯らして叫んでいたはずだ。『……お願いだ。壱番世界を護るために力を貸してくれ』と。しかしそれは、うまく伝わっていないようだ。何しろ兄は負けず嫌いもはなはだしくて、ひとに頼るのが苦手な性分でね」 「カリスさんと、似てますね」 「そうだねぇ。エヴァは実は、私と同じ年の生まれでね。わざと覚醒のときを、今の年齢まで遅らせたんだよ。アリッサが成長するまで。彼女の後見人にふさわしい年齢になるまで。ロード・ペンタクルに対抗できるほどに」 「だけど……、ロバートさんは、カリスさんが好きだったんですよね……。おてんばな少女だったときから」 「それを知っているとは、きみはずいぶんと、兄に好かれているらしい」 「ベンジャミンさんは、ロバートさんが嫌いなんですか?」 「いや。どうして?」 「さっき、縁を切ったって」 「そうしたほうがいいと思ったんだ。母は、私が生まれたときから尋常な精神状態ではなくてね。ことあるごとに私に手をかけようとしたし、私を溺愛していた兄はそんな母に殺意を隠そうともしなかった」 「それも、ロバートさんから聞きました」 「だから、このひとたちと距離をおく必要がある、というのは、子どものときから考えていたことなんだよ。あのままでは、私ではなく、彼らのほうが不幸になるばかりだったのでね」 「でも、ロバートさんは、今でも普通のお兄さんなんだなって、俺は思ってます。ベンジャミンさんに特定の女性がいないことを残念がっていましたよ。子どもが生まれたらさぞ可愛いだろうに、って」 「どうせ、『ベンジャミンはもう可愛くなくなってしまったから』とでも、言っていたんだろう?」 ふっ、と笑う表情が、ロバートと重なる。 「ロバートさんは、ずっと、孤独だったんですね」 愛する母は、若くして死んだ。 愛する父は、彼を敬遠し、遠ざけた。 愛する少女は、彼と同じ時を刻むことを拒み、覚醒のときを延長した。 愛する弟は、彼と暮らすことを回避し、異世界の住人になってしまった。 ……ああ、だから。 情のふかいロード・ペンタクルは、経済という熱い血液がとうとうと流れる壱番世界を、自身の王国と定め、愛し、護ろうとした。 情のふかさを、押し隠して。 彼に護られらたがったものは、世界のほかに、いなかったので。 「誰かを、あるいは何かを護るために、誰かを殺す。それは少しも美しくはないけれど、すこやかな動機ではあるのだと、俺は思います。だけど」 ――月の王は、そうじゃない。 ──── 螺旋飯店/レセプション ──── 「おーい、支配人。門扉開けっ放しだったぞ。鉄壁のセキュリティを誇るはずのルオシュエンホテルが、なんでこんなに不用心なんだか。まあいい、運びこんでくれ」 カイがぶつくさ言いながら、花屋たちを手招きした。 「どうもー。おじゃましますー」 「へえ、いいホテルですね」 「ご注文ありがとうございます。今後ともどうぞご贔屓に」」 彼らは台車のうえに、あふれんばかりのステルンベルギアを乗せていた。 みるみるうちにレセプション前は、目にも鮮やかな黄色で満たされる。 やがてホールの床は、月のような、星のような、黄金のような、黄の花で埋め尽くされた。 「ありがとう、カイ。……いや、今回の招待客は、よしんば暗殺者に狙われたとしても、保護の必要などない面々なのでね」 応対に出た黄龍が、苦笑した。 「それと、あの珊瑚色の髪の毛のやつには、別件の頼まれごとがあったんだが」 「何か、わかったかい?」 ムジカが足早にやってきた。 「うーん。あんまり華々しい情報はないなぁ。地元のおれが知ってる程度のことで」 異界路の建築物は、ひとりの手によるものではない。 多数の旅人が、ここを終わりの場所とさだめ、長い年月をかけて構築してきたものらしい。 それが、カイ・フェイからの回答だった。 ──── 螺旋飯店/ダイニングルーム ──── 由良が、トラベラーズノートを広げた。 リベルから、連絡があったのだ。 ――カリスさまより依頼の調査結果を報告します。犯行日時と乗車記録、推測される人物像と支給されたギア、特殊能力から判断して、該当者はひとり。 ――教えろ。 ――ベルク・グラーフ。男性。外見年齢35歳。身長185cm。金髪。瞳の色は青。ですが、旅客登録情報がそうなっていても、それが本名や容姿と一致するかどうかは何ともいえません。 ――どういうことだ。 ――ベルク伯爵(グラーフ)とは、壱番世界のルードウィヒ2世が実際に使用した偽名です。それにならったとも考えられます。髪の色や瞳の色については、何らかの方法で変えることも可能でしょう。 ――職業は? ――探偵にして建築家。 ――覚醒の経緯も聞いておこう。 ――「誰も解けなかった謎を解いた瞬間覚醒し、気がつくと異世界にいた」です。 由良は、ノートを突き出すように、一同に見せる。 † † † 四神とその長。 そして金と銀のバッジを持つ探偵たちは、立ち上がった。 異界路を巡り、ファルケンシュタイン城にて対峙するべく、螺旋飯店をあとにする。 ──── 青のノイシュバンシュタイン ──── エレナと蒼は、先んじてノイシュバンシュタイン城に足を踏み入れる。 (あなたは誰? あなたが見ているモノはなに?) それは、月の王には届かないであろう、ささやかな問い。 花氷は溶けずに、そこにあった。 青いアネモネに包まれて目を閉じている少年は、とても殺人鬼には見えない。 何も言わずに、由良がシャッターを切る。 真に美しい殺人とは、なんだろう。 誰に言うつもりも、なかったけれど。 ソレが存在するとしたら、相手に望まれて自ら手に掛け、相手の命を閉じることではないだろうか。 他の誰にも分からない。ふたりだけの完結した世界。 互いへの優しさと愛しさであふれたものでなければならない。 一瞬たりとも苦しくないように、眠らせてからそっと素手で首を絞める。自ら手を下し、奪うことを五感すべてで慈しみを持って感じる。 そうして、死の瞬間まで傍にいて見届ける。 死の後にも、見守り続ける。 朽ちることのないように時を止めて。ガラスの棺に眠らせて。 その人を、永遠に忘れない。永遠に、誰にも語らない、語らせない。永遠に、他者と罪を分かち合うこともない。 生涯でただひとりだけ手に掛けながら、けっして誰ひとり悲しませない。 エレナはそれを、言葉にはしなかった。 ただ蒼だけが、その横に立つ。 ──── 白のサンタマリア・ディ・フィオーレ ──── オウルフォームのセクタンを飛ばし、ファルケンシュタイン城を監視しながらも、優は雪花とともに、サンタマリア・ディ・フィオーレを検分していた。 氷漬けにされた少女は、思いのほか可憐だった。 道すがら、聞き込みをして得た情報によれば、井戸に毒を仕込み、大量殺人を行ったということらしい。 幾人ものひとびとが、毒の水を飲んで苦しみもがいて死んだ家族のことを、嘆いていた。 スノードロップが彼らの涙のように見えるのが、とても皮肉だ。 優は、ミステリーや推理を好む。 けれど、殺人を美しいとは決して思えない。 例えそれが、どんなに華麗で計算しつくされていたとしても。 ──── 赤のパルテノン神殿 ──── 「黄龍を護った方が良いんじゃないか。好奇心旺盛なだけのおまえが信用できるか」 由良は、紅花を引き離そうとした。 んが。 そんなん無理だったんで、紅花たんはふつーにくっついてきた。 「信用してもらおうなんて、思ってないもーん」 月の王は最終的に名探偵に打ち勝ち、つまりは殺し、成り代わろうとするのではないだろうか。 それが由良の見解だった。 帰属が目的であるのなら、自身の評判を高めるべく宣伝するに違いない。 そう考えて、アーグウル街区における黄龍と、月の王の評判を確認したのだが。 ……いまいましいことに。 「ねー? 支配人の評判、バッチリでしょ? 月の王なんて瑣末な犯罪者でしょ〜?」 紅花の言う通り、この街区における黄龍の名声は絶大だった。 事件関係者や報道関係者の中に、月の王への期待を煽るような人物がいないかどうか、確かめてもみた。花氷の出現が一瞬であるらしいことから、協力者の存在を疑ってもみた。 だが。 探っても探っても、そういった事実は認められなかった。 おそらくは単独犯だ。花氷の移動は、その能力によるものなのだろう。 唯一、収穫といえたのは、異界路に幻の城が立ちやすい理由を聞けたことだろうか。 曰く、ここは、インヤンガイにしては受容度の高い土地柄で、《世界からはみだしたもの》が住み着きやすい――いわば、異邦人を許容してくれるひとびとが多い場所であるらしい。 ムジカにノートで連絡をする由良に、紅花が無邪気に聞いてきた。 「ねー、それでユラりんは、どーゆー殺人が好みなのぉ?」 そう問われ、炎、と言いかけて、口を閉ざす。 ──── 黒のタージ・マハル ──── 一は墨とともに、最近、遺族と関わりを持った旅人がいないかどうかを中心に調査していた。 ――わたしの妹は、あの少年に殺されました。 ――俺の兄は、あの少女に殺された。 ――あたしの恋人を、あのばあさんが殺したんだよ。 ――ぼくの母親を殺したのは、あの男だ。 だから。 彼らを殺した月の王を、糾弾しようとは思わない。 遺族は口々に、そういった。 「人を殺したものは、殺されてもいいっていうんですか?」 道ばたで立ち止まり、一は空を見上げる。墨は無言で、同じ方向を見る。 ――私はそうは思いません。殺人犯だって人間です、殺人犯を殺すことだって人殺しには変わらないじゃないですか。 ――やられたからやり返す、その結果何が残るっていうんですか? ――犯人は死にます。けれど死者は帰ってきません。ただ一時、虚しい自己満足を得るだけじゃないですか。 ――そんなの、誰も救われません。残るものなんて、何もありません。 ――まして、その遺族の想いを利用して、踏み躙る月の王の行動は絶対に許せません。 それは、墨に言ったわけではないのだけれど。 墨は黙って、頷いた。 ──── 黄のファルケンシュタイン ──── そして、一同は合流し、ファルケンシュタイン城についたのだが―― 「おかしいな」 城の内部はがらんとしていた。 ムジカがひそかに懸念していた、罠の存在もない。 「ムジカくん……。私たちは、誤解していたのかもしれない」 「何を?」 「私たちは月の王を調査しているつもりだった。だが、調査されていたのは」 「俺たちのほうだったということか」 すい、と。 黒い影が、横切る。 からかうように。 「ともかく、捕まえて裁きの場に出しましょう!」 一が叫んだ。 「なんとか捕縛を」 優がエレナを見た。 「黒幕がいるのなら、捕まえられないかもしれない。でも、やってみるね」 城内を、棘付の薔薇が覆っていく。 「偽ものの月、傀儡の王よ。あなたを糾弾する。エルライアノーラ・レイアストリア・ニア・ナンナ・エーデルローゼの名において」 魔法詠唱のごとく放たれたその名。"高貴な薔薇"家の知恵深き泉、高貴の女王、玲瓏と祝福の娘。「エレナ」と名乗っている少女探偵の、それが本来の名前だった。 ムジカは、城の天井に詩銃を撃ち込んだ。 ルードウィヒ2世はシュテルンベルク湖畔で死んだ。彼が夢みた城を湖の棺に変える、それは『月王の夢』終焉の演出。 螺旋飯店のホールと空間が繋がれた。 あざやかな星の花が、降り注ぐ。 「花の湖に浮かぶか、焔の海に沈むか、どっちがいい」 焔の弾丸を、花弁に突き付けて問うた。 だが、 黄金の花の被膜のかなた、 月の王のすがたは、かき消えていた。 † † † そして、黄龍は一に言う。 「兄に、連絡してくれないか。この顛末を」 「私がですか?」 「そうだ。きみがだ。きみが蛇蝎のごとく嫌う、鼻持ちならない『金貨野郎』に」 「でも、どうして」 花の雨はまだ、降り続いている。
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