──── 赤の城:執務室 ──── 「レディ・カリスに、お取り次ぎをお願いします」 門扉の前を何往復かしたあとで、ようやく相沢優は意を決し、フットマンに申し出た。 カリスの忙しさは、よくわかっているつもりだ。だから、こういった用件で訪ねても良いものかどうか、かなり悩んだのだが、それでも、何としても実現したいことがあったのだ。 先日、無名の司書の司書室で話題に出た「レディ・カリスの脚本/主演による、螺旋飯店でのミステリーナイトの上演」である。 月の王が実は生きていたという「設定」で、探偵たちに再挑戦を行う。舞台は、青のノイシュバンシュタイン城、というストーリーだ。 もともとは、ベンジャミンに兄弟の縁を切られたロバートが、改めて客として螺旋飯店を訪れるための条件として提示されたものらしい。しかし、ロバートが提出した脚本はあまりにも粗が目立ち、ベンジャミンに却下された。 推敲の相談に応じたカリスは、脚本にかなり手を入れ、相応の完成度となったのだが、そうなると「ロバートの脚本ではない」ということになる。結局、ベンジャミンから上演の許可は下りなかったのだ。「お忙しいところ、申し訳ありません」「まったくだわ。このところ、ほんとうに忙しいのよ」 執務室のカリスは、凄まじい量の未決済書類を前にため息をついていた。 無理もない。世界司書採用試験が近づいているのだ。「でも、そこを何とか、お願いできませんか? ロバートをベンジャミンさんに会わせてあげたいんです」 せっかくの脚本がもったいないし、この機会を逃すと難しいような気がするし、それに――平気なふりをしているけれど、やっぱりロバートは淋しいんだと思うんです、と、優は言葉を添える。「忠告しておくわ。あのかたの友人でいるのは、なかなか骨が折れることなのよ」 もう一度ため息をついてから、カリスは、書類の下から一枚の招待状を取り出した。・━━━━━━━━━━━━ † ━━━━━━━━━━━━・ ロバート・エルトダウン氏及び、探偵たちに告ぐ 久しぶりだ。 私が死んだと思ったかね? ……いや、たしかに、この身は一度滅びかけたのだけれども。 氷の壁が私を護ってくれた、とだけ、言っておこうか。 明後日、青のノイシュバンシュタイン城にて、 死体をふたつ、お目にかけよう。 私はなぜ、彼らを殺したのか。 私はなぜ、きみたちにこうもこだわるのか。 ――私は、誰なのか。 この謎を、解いてみるがいい。 月の王より、敬意をこめて・━━━━━━━━━━━━ † ━━━━━━━━━━━━・「これは」「ごらんのとおり、ご要望にお応えして、月の王からの挑戦状よ」 書類の束を置き、カリスは立ち上がる。「私はとっくに根負けしているわ。ベンジャミンにも話は通してあります。貴方が訪ねていらっしゃるだろうことは、想定していたし」「ありがとうございます」「貴方の前に、由良さんがいらしたのよ。その前には、一さんが」 由良久秀の主張は、「月の王の事件は謎が多い。精査する手段として犯行手段を再構築するのも無意味ではないだろう」だったし、一に至っては、「金貨野郎を死体役にしちゃえばいいじゃないですか!」であったらしい。「じゃあ、ムジカさんとエレナも?」「あの金バッヂ所有者たちには、かなわないわね。ふたり揃って『月の王からの挑戦状、受け取りに来た』『カリスさまはお忙しいから、皆に招待状を送るのも大変だと思ったの。じゃ明後日、螺旋飯店で待ってますね』』と、こうよ。私が引き受けることを前提としているばかりか、上演の日にちまで特定していたわ」「そこまで……!」 明後日、アーグウル街区とその周辺では、月蝕が観測できるらしい。 青のノイシュバンシュタイン城に、さぞかし映えるだろう。 カリスならば、天空が演出する舞台効果を活かさないはずがない。彼らはそう、推理したのだった。 ──── たそがれのチェンバー ──── 「お誘いいただき、ありがとうございます。……とても嬉しいです、久秀さん」 単身、サラスヴァティを訪ね、螺旋飯店に同行しないかと申し入れた由良に、水の女神は微笑んでそう言った。……しかし。「ですが……。ごめんなさい。明後日は、別のかたからデートのお誘いをいただいてしまって。ご一緒することを承諾したばかりなんです」「何だと」 由良は眉をひそめる。デートなどという色めいた気持ちはまったくなかったが、サラスヴァティが誰かの誘いに応じたことが意外だったのだ。「けれど、行き先は同じです。ですので螺旋飯店でお会いできますね。もしくは、青のノイシュバンシュタイン城で」 ――20年ぶりにベンジャミンと「遊んでみる」つもりはないかい? サラスヴァティ。 サラスヴァティは悪戯めかした笑みで、由良を出し抜いたのがロバート・エルトダウンであると告げる。「……とすると」 その意味を考察する由良に、サラスヴァティはゆるやかに膝を屈めた。「ええ。今回、わたしは出題者側です、久秀さん。カリスさまとロバート卿と同様に」 ――あなたがた探偵に、挑戦する立場です。 ──── 螺旋飯店/レセプション ──── 「ロバート!? もう来てたのか。って、あれ……?」 微妙な違和感に、優はまじまじと、目の前の男を見つめる。 仕立ての良い白いスーツにアスコットタイ。少し癖のある長髪。そのいでたちと醸し出す雰囲気は、そう……、赤の王との戦い以前の、ロストナンバーになど期待はしても信用はしない《ロード・ペンタクル》に他ならぬ。 だが、優の知るロード・ペンタクルはすでにいないはずなのだ。優の友人となったロバートは、古傷をさらすことを厭わず、自身の弱さを自覚している等身大のコンダクターなのだから。「変装には自信があるのだけれどね。真理数の有無を抜きにしても、さすがにきみは騙せないか」 ロバートは、いや、ロバートに変装した男は苦笑して肩を竦める。その仕草は、螺旋飯店の支配人、黄龍のものだった。 ──── 青のノイシュバンシュタイン城 ──── そして。 探偵五名と、ロバートに変装したベンジャミンは、ノイシュバンシュタイン城に赴いた。 ――月蝕が、始まった。 月が、隠れていく。 非常に明るい月蝕だ。フランスの天文学者アンドレ・ダンジョンの尺度によれば、おそらくは「4」。 月の縁は青みがかっており、別の星に変貌したかのように見える。 壱番世界では、月蝕時、月から太陽を見れば、地球による「ダイヤモンド・リング」を確認できるというけれど。 インヤンガイでは、どうなのだろうか。 ……と。 城の尖塔のうえに、人影が見えた。 青い月を背に翻る天鵞絨のマント。輝く金髪。「探偵たちと、被害者の兄に告ぐ」 おごそかに降り注ぐ、月の王のことば。 ぱちん、と、指が鳴らされて―― 出現するは、氷漬けにされた、ふたつの死体。 ひとつは、螺旋飯店支配人、黄龍こと、ベンジャミン・エルトダウンの。 ひとつは、たそがれのチェンバーに隠遁する水の女神、サラスヴァティの。「これが、私の出題だ」 ──── (閑話休題)螺旋飯店/ダイニングルーム ──── 「ちょっとぉ。ユラりん! あの水っぽい女、誰よ!? なんかあれこれ、ずいぶん親しげじゃない馴れ馴れしいじゃないキーッ!」「いや、紅花。由良くんは無実だ。彼女は私の古い遊び相手でね」「だったら支配人とだけ遊んでりゃいいじゃない。ユラりんはあたし以外の女と遊んじゃだめぇ!」「貴様。紅花とは遊びだったのか? 許さんぞ」「お兄ちゃんは黙っててよ」「……遊んだことなどない」「待って。やめてやめて。むっちゃんの首締める暴霊が出ちゃう」「ありがと……う。エレナ」 もうとっくに出てるようだが、と、ムジカは喉元を押さえている。 ええと、水、と、優はあたりを見回す。一が片手を挙げた。「すみませーん、サラさーん。ムジカさんにちょっとだけ水くださーい」 ──── 招待状に添えられた一文より ──── ・━━━━━━━━━━━━ † ━━━━━━━━━━━━・ 黄龍さま及びバッヂ所有者のかたがたへ このたびは、つたない脚本の上演許可をいたただき、 また、招待に応じてくださいまして、ありがとうございます。 上演をためらっておりましたのは、黄龍さまの不許可に加えまして 私自身、思うところがあったからです。 《月の王》ベルク・グラーフの心のうちを、その人となりを、 私たちは何ひとつ知りません。 彼がすでにこの世を去った今となっては、 たとえそれを探り、何らかの解答を得たとしても、 検証するすべもありません。 ですからこれは、私個人の考察であり、推理の披露ということになります。 私の考察がある程度的を射ているものかどうか、 皆様の目でお確かめいただくというのも不遜ではないか。 そう、思いもしましたが。 皆様同様に、ベルク・グラーフの謎は、私の心の奥にも 小骨のように刺さっておりました。 刺抜きの一幕としては、いささか大掛かりではありますが、 しばし、大根役者におつきあいくださいませ。 エヴァ・ベイフルック ※付記 「ワーグナーのいない世界で、白鳥の騎士は偽王となったのではないか」 野暮ながら、この一文を申し添えます。 ヒントとなさるか、罠と読むかは、おまかせいたします。・━━━━━━━━━━━━ † ━━━━━━━━━━━━・=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。〈参加予定者〉由良 久秀(cfvw5302)ムジカ・アンジェロ(cfbd6806)一一 一(cexe9619)相沢 優(ctcn6216)エレナ(czrm2639)エヴァ・ベイフルック(cxbx1014)ロバート・エルトダウン(crpw7774)サラスヴァティ(未登録NPC)=========
──── 開幕前:螺旋飯店/ダイニングルーム ──── 隙あらば由良のそばにくっつこうとする紅花を、じゃれつく仔猫から身をかわすように避け、ロバートに、いや、ロバートに扮したベンジャミンに目線で合図を送る。 「これは申し訳ない。気が利かなくて」 何を誤解したのか、偽のロバートはにこにこしながら、灰皿とライターと紙煙草を一箱(どうやって入手したのかは謎だが、由良が愛用している銘柄だ)を持ってやってきた。 「当ホテルは分煙を徹底しておりまして、喫煙用のお部屋は別にご用意してあります。ご案内しましょう」 「……違う」 じろりと睨んでから、それでも煙草は受け取った。いつぞやの顛末の直後、医務室のロバートに鬱憤ばらしのエアメールを送ったこともあり、エルトダウン兄弟に相対するのはうっすら気まずい。 目を逸らし、火のついていない煙草をくわえる。 「あのときロバートは、一応とはいえ人質になった。月の王本人の容姿を間近で見ているはずだ。壱番世界の史実の人物との相違を聞いておきたい」 「容姿については、エヴァ姫が再現しているとおりだよ。あれは兄さんの証言と、救出に来てくれたロストナンバーの報告をもとにしている」 「なら、史実のルートヴィヒ2世とは別人ということになる。……おい」 笑みを絶やさない偽ロバートに、由良は思わず片眉を上げる。 「何でそんなに上機嫌なのかがわからん。サラスヴァティに会えたからか?」 「それもあるけれど。また由良くんとこんな話を出来るとは思わなかったのでね。正直、きみたちはもう二度とここを訪れてくれないかも知れないと、覚悟もしていた」 「……ロバートに送ったメールのことは」 「由良くんからの貴重な苦言だ。兄さんからエヴァ姫、エヴァ姫から私、というルートで、もちろん把握しているとも」 ++ ++ あんたは結局、俺たちに何をさせたかったんだ。 同じファミリーと月の王を相手取って、言葉も常識も考えも違う個々人の集まりに過ぎないロストナンバーを、安易に一括りにして頼れないのは当然だし、理解もできる。 なら、じゃあ何で呼んだ。 あんたは結局、たったひとりの側近の心理さえ把握できていなかったんだろ。自己満足の英雄願望より、もっと悪い。 ベンジャミンが何を言っているのかも、俺にはわからなかった。 俺の知る探偵は、好奇心で無関係な事件に首を突っ込む詮索屋だ。 話を一方的に聞かされて納得する探偵なんて、知らない。 螺旋飯店のバッヂは、能力のみを評価したものじゃなかったのか? 職業探偵扱いは迷惑だ。 よくわからない役割を押し付けるな。 ++ ++ 一言一句、あますところなく暗唱されて、由良は固まる。 「少々、悪趣味だね、黄龍」 ムジカがゆっくりと、由良の横に立った。 「由良をあまりいじめないでくれないか」 「これは失礼。つい、うれしくて」 くっくっと笑った黄龍は、ふたりが並ぶさまを、美術品でも観賞するかのような表情で眺めた。 「ムジカくん。きみこそ、もう、ここには来てくれないと思っていた」 「言いたいことはとうに、直接ロバート本人に伝えている。それはロバートしか知らなくていいことで、他の誰にも、話すつもりはないけれど」 この件に限らず、これだけは言っておくよ、と、音楽的な声が響く。 「そこに如何に魅力的な謎が秘匿されていようと、あんたたちが護ろうとしてきた聖域を侵したりはしない。土足で踏み荒らしたりはしない。それが矜持だ」 ふっと表情をゆるめ、ムジカは紅花を振り返る。 「ああ、紅花にも言っておかなければね、勘違いをしているようだから。由良の遊び相手はおれだ。由良で遊んでいいのは、おれだけなんだよ」 「なぁああんですってぇぇーーー! 敵はここにもいたのね!」 しゃあああー、と、それこそ仔猫のように、紅花は全身でムジカを威嚇した。 ためつすがめつ、一は招待状を開いては閉じる。 「……正直、あんま良い趣味とは言えませんけどね」 それでも謎解きの高揚感は未だに、一のこころを捉えて離さない。まるで黒天鵞絨のマントに包まれ、攫われていくような、どこか倒錯的な罠だ。 「ところで一くん。どうやらきみは、私の忠告を聞いてはくれなかったようだね」 これ以上、『鉄仮面の囚人』に近づいてはいけない。私がそう言ったときにはもう、遅かったのかもしれないけれど。 苦笑する黄龍に、一は頭を下げる。 「それも含めて言ってます。……すみません」 でも、と、小声でことばを添える。 「私は月の王の最期に立ち会えませんでした。だから、良い機会だなって」 「考察と役柄を伝えたうえで、ひとりずつ舞台に立つ趣向なんだって?」 難しそうだね、と言いながら、蒼はティーセットを銀の盆に乗せてきた。エレナが何も言わないうちから、絶妙なタイミングで、香り高い紅茶が注がれる。 「ありがとう。……うん、難しいけど、わくわくもしてるの」 エレナはふとムジカのほうを見る。 ムジカはある肖像画の前で立ち止まっていた。前回来たときにはなかった絵が一枚、増えていたのである。 若かりし頃のダイアナ・ベイフルックが、そこにいたのだ。 「ここに飾られる肖像画の女性は『故人』……。成る程」 「むっちゃんはどうして、ここにこようと思ったの?」 「彼の狂王には、おれたちの手で引導を渡したかったから」 それがムジカの、今回の上演を支持した理由だった。 (滑稽な男だったが、その動機も背景も知らぬまま、死なせたくはなかった) 「どうなさいました、優さま?」 上演前から、何やらぐったりしている優に、雪花が気遣わしげに声を掛ける。 「なんだか……、ロバートとベンジャミンさんが会えたんだなぁと思ったら、ほっとして」 「甘いものでもお持ちしましょうか?」 「そうだね。……いや、上演後にしてもらおうかな。頭使い過ぎて、糖分がほしくなると思うから」 ──── 第一幕:リヒャルト・ワーグナー(ムジカ・アンジェロ) ──── 音もなく、氷が割れた。 氷花と化していた被害者ふたりは、観客席に一礼し、舞台袖に消えていく。 突然の、霧。 霧の中に浮かぶのは、未完成の玉座。腰掛けた王はいかにも居心地が悪そうに見える。 「ワーグナーはまだか。余の再三の呼び出しにも応じずに、人妻にうつつを抜かしたままか」 「御前に」 ひとりの音楽家が、王の前に進みでた。 「……ようやくすがたを見せたな。『ニーベルングの指環』四部作はいつ頃完成するのだ?」 「バイロイト祝祭劇場の建設が進みませんことには、なんとも」 「そうやっていつものらりくらりと。余がそなたの音楽に心酔しているのは十分わかっておろうに」 「ご厚意はありがたく思っています。陛下が、破産寸前だった私を援助くださった恩義は忘れておりませぬ」 「口さがないものたちは、そなたは余を利用しているだけだと、念願の劇場を建設するためのパトロンに過ぎないのだと ――」 「そのようなことは」 「……それでも良い」 「陛下」 「たとえ国庫が破綻しようと、そなたを援助しよう。そなたの音楽だけなのだ。余を無限の異界にいざない、白鳥の騎士を呼び出してくれるのは。余を、白鳥の騎士と同化させてくれるのは。さあ、『ローエングリン』を今すぐ聞かせよ」 「オーケストラの準備は、ございませんが」 「かまわぬ」 ワーグナーはヴァイオリンを構える。 奏でられるのは、『青と銀に輝く』前奏曲。 青い城を照らし出す銀の月に届くような、そのしらべ。 霧が揺らめき、ひとりの姫が現れた。 歌劇ローエングリンの登場人物、ブラバンド公国の公女エルザだ。 ――同時に。 霧は氷の鎖となって、玉座の王を絡めとる。 「さきほど、この城の中を拝見させていただきました」 演奏の手を止めず、ワーグナーは言う。 「城内の騎士伝説の壁画は、なかなか見応えがあった。ローエングリンは銀髪だったんですね」 こちらへ、と、ワーグナーはエルザに呼びかける。 歌劇と同じ問いを、王にするために。 「「あなたは何者ですか」」 ワーグナーとエルザは、声をそろえる。 それは、白鳥の騎士であれば名乗らずにはいられない、禁忌の問いだ。 そして、王の返答もまた、歌劇と同じ。 「私は、モンサルヴァート城で聖杯を守護する王パルシファルの息子、ローエングリンだ」 ++ ++ 狂王は、自らを白鳥の騎士とする夢を見た。 城という夢現の境を排した劇場を介して、狂王は夢の中へ逃げ、騎士は現実へと顕れた。 インヤンガイに顕れたのは、想像主の手から離れた白鳥の騎士そのものかも知れない。 「だいぶ現実離れした回答だけれど」 ワーグナーは、いや、ムジカは、観客席に向き直る。 狂王の夢の世界であるこの城の中なら、許されるのではないか、と、微笑みながら。 「被害者たちを殺害した動機については、インヤンガイの人間ではなかったからか、王の築く退廃の夢に必要ないとされたのか――どちらにしても」 氷の鎖に拘束されたままの王を、ムジカは痛ましそうに見て、 「あなたの狂気を助長させたのは私の音楽かも知れません。ですが、謝るつもりはありません」 ワーグナーの声音で、言った。 ──── 第二幕:フォン・グッテン(由良久秀) ──── 「まったく、わからん」 素のままで舞台に上がった由良は、コツコツと靴音を立てて、王の周りを歩き回る。 由良の役柄は、ルートヴィヒ2世を精神病と認定し、かつ、ともに水死体で発見されることになった、フォン・グッテン医師である。一応、白衣は着ているが、それとて史実に添っているわけではまったくない。 いつもの服装で、しかもくわえ煙草のまま、面倒くさそうに立ち上がった由良に、ムジカが、「せめて、これを」と白衣を羽織らせ、煙草を一時預かりしたからこうなったのだった。 「わかっているのは、史実のあんたが、騎士物語に焦がれた厭世的な狂王らしい、ってことくらいか」 コツ、コツ。 一定のリズムを重ねたあと、グッテン医師になり切れない由良は立ち止まる。 「これは質問じゃない。ひとり言だ」 立ち止まっては、歩き出す。 「この城の写真を撮ってみた。本物の城とどう違うのかは、外観の色以外にはよくわからん。この城が、あんたが建てたものなのかどうかも何とも言えんが――まあ、あんたなんだろうな」 コツ、コツ……、コツ。 「あんたがなんでバッヂ所持者に拘るのか、その理由もわからん。どうせ憶測だし、動機なんて判りようがないにしても」 そう前置きして、由良のひとり言は続く。 「最初のうちは、素性を隠して謎を解き、ひとを救ってきた黄龍に『白鳥の騎士』――いわば理想のバイエルン王を見いだして挑戦したかったのかも知れない。さらにその兄を太陽王、サラスヴァティをエリーザベトに重ねたのかも知れない。覚醒したからには、王以外になることもできたはずだが、己の為に、己が王であることに拘ったんだろうな」 コツ、コツ……ン。 「だけどあんたは、己を律することが出来なかった。ダイアナの所為で歪んだのか、あんたがインヤンガイで演じた役は白鳥の騎士ローエングリンではなく、ブラバント公国の実権を狙うフリードリヒだった。ふたりを狙うのは役柄通りだが、屈折した嫉妬もあったか――ただ」 コツ、コ……、 「史実の王は、己が王である為の、不特定多数の観客は求めなかったようにみえる。覚醒のきっかけが本当に謎の解明なら、謎は、狂王の死の真相ということになる」 コ……ツ。 「全くの別人が、狂王を演じた可能性もある。弟か馬丁かは知らないが」 そして、由良のおもてに、フォン・グッテンが顕現する。 「王に、覚醒の経緯を問いたい」 「それは、そなたが一番よく知っているのではないかね、フォン・グッテン? 我に狂気の烙印を押した四人の医師のひとりであり、我とともに口封じのために殺されたそなたこそ、証人となり得ように」 王は薄く笑う。 「そうとも、そなたは知っているはずだ。私が弟に殺されたことを」 そして、弟が私に、成り代わったことを。 ──── 第三幕:ゾフィー・シャルロッテ(エレナ) ──── 「そうね」 舞台から降りた由良と入れ違いに、エレナは王を見上げる。 彼女は、ルートヴィヒ2世の元婚約者、ゾフィー・シャルロッテに扮していた。 さほど女性に興味がなく、結婚にも関心を示さなかった王に、何度も何度も式を延期され、あげくに婚約破棄されたゾフィーは、しかしその最後まで、思いやり深い女性だった。 チャリティバザーで起こった、突然の火事。他の娘たちを先に逃がして、彼女は命を落としたのだ。 「あなたはルートヴィヒじゃない。弟のオットーよ。あなたたちは双子のようにそっくりだし、それはエルトダウン兄弟とも重なる。ルートヴィヒは精神病と診断されたけれど、本当は正気だったわ」 「そなたがそのように聡明な女性であったとはな」 「ご存じなかった? そうね、あなたは――いえ、ルートヴィヒは、エリザーベトお姉さましか見ていなかったものね。お姉さまがオーストリア皇后となってからも、ずっと」 ゾフィーはことばを切り、王を見つめる。 「続けたまえ」 氷の鎖が、霧となって消えた。 王は、玉座から静かに立ち上がる。 「ワーグナーはルートヴィヒに白鳥の騎士の夢を見せた。だけどあなたは、ルートヴィヒの白鳥の騎士でありたかった。あなたにとっては、兄こそが憧れの太陽王だった。だから許せなかった。オーストリア皇帝に嫁いでなお、兄のこころを縛るエリザーベトお姉さまが。兄を狂気の王と診断したグッテンが。国庫をゆるがすほどワーグナーに耽溺し、政務をかえりみなくなったルートヴィヒ本人さえも」 「――不摂生がたたって醜く太った男など、兄ではない」 「即位時は、ヨーロッパ一美しい王といわれたルートヴィヒは見る影もなくなった。だけど、あなたは護らなければならなかった。『憧れの兄』と『白鳥の騎士』を」 覚醒したこの世界に、ワーグナーはもういない。 兄は、狂王のまま死んでいる。 だからあなたは、自分が白鳥の騎士になる必要があった。 太陽王に憧れる、美しい月の王である必要があった。 あなたはまず、オットー1世という、自分自身を殺した。 あなたは、インヤンガイで黄龍を見つけた。 兄がいて、家と名を捨てて別人として生き続ける彼に、自分たちを重ね見た。 そして、演出相手として最上と判断した。 だからあなたは、探偵たちにこだわった。 ――探偵でなければ、ならなかった。 それは、ものごとの表層だけをなぞり、大切なひとが奪われていくのをただ見ているだけの、傍観者への糾弾も含んでいたから。 自分の正体に辿り着いてほしかった。 兄の死を含めて謎を解き、あらゆる罪を暴いでほしかった。 だから彼らは殺された。 これは、見立て殺人。 氷漬けになったのは、エリザーベトと、ルートヴィヒ2世。 ベンジャミンをロバートに演じさせることにより、兄と弟が入れ替わり、兄は二度殺されたという暗示も兼ねている。 「質問をしていいかしら?」 「これ以上、何を?」 「たったひとりだけ心の内を知れるとしたら、あなたは誰に何を問うかしら?」 「――兄に」 王は、気だるげに答える。 「あなたが本当に愛していたのは、誰だったのか、と」 ──── 第四幕:城に迷い込んだ村娘(一一 一) ──── 「………あっのう……」 そーーっと舞台に上がり、エレナの横に立った一は、王に向かってぺこりと頭を下げる。 「そこらへんの村娘Aという設定での質問を考えていたんですけど、やっぱスルーいただいてもいいですか?」 「何ゆえに?」 「私の考察は、ゾフィーさんとほとんど同じなんですよね。あなたの正体も、動機も、ベンジャミンさんとサラさんが被害者になった理由も」 「……そうなの? ヒメちゃん」 「そうなんですよエレナちゃん。見てて、これで勝つる! って思いましたよ」 「ヒメちゃんと一緒なんて嬉しい」 「私もですよ。気が合いますね!」 手を取り合って喜ぶ少女たちに、しかし、王は腕組みをしたままだ。 「大筋は同じでも、細かい部分に差異はあるだろう。続けたまえ」 「え〜? じゃあ、演技はてきとーでいいですか?」 ++ ++ こほん、と、村娘は、せき払いをする。 「これが劇作であるとすれば、ベンジャミンさんとサラさんの役柄って何だろう、ってとこから出発しました。月の王の正体は弟のオットー1世と推測します。それなら、舞台上のベンジャミンさんと金貨野郎の入れ替わりにも理由がつくんで。つまりは、金貨野郎の役は本物のルートヴィヒ2世で、サラさんの役は狂王が唯一愛したとされる女性エリーザベトじゃないかなって」 「うんうん」 エレナが、うれしげに頷く。 「ルートヴィヒは15歳のときにワーグナーの作る世界に触れ、以降、ずっと傾倒してました。即位して一番先に手がけたのが、借金から逃げ回ってたワーグナーの居所を探し当てることだったというんですから徹底してます。では、もしワーグナーが存在しない世界に狂王がいたとしたら、彼は何に傾倒したか」 このへんだけ、ちょっと違うんですけど、と、村娘は息継ぎをする。 「それはただひとり、心を寄せた女性と、幼い頃から愛したという騎士物語の登場人物ではないでしょうか。物語の人物に憧れるあまり、狂王はアーサー王を倣って髪を金色に染め、エリーザベトと結ばれぬ運命を嘆き、その段階で命を落としていたとしたら」 残されたオットーは、兄の死を嘆き、認めず、糊塗した。本来の自分は狂気に当てられたとして姿を隠した。 その後、兄に扮し、兄としての生涯を終えた。あ、水死体は替え玉ってことで! 本来ならば兄の死後、オットーは王位を継ぐはずですけど、そこで覚醒していたとしたら。 オットー1世は、自分自身のすがたで王位にはつけなかった。 虚飾の月の王は、真の王としての地位を求めたのかも知れません。 「案外、エリーザベトは真相を知っていたのかも。だから『彼は夢を見ていただけ』という言葉が出てきたのかも」 ──── 終幕とともに:王のディナーの料理人(相沢優) ──── 優の拍手が、ぱちぱちと響く。 「すごいな、みんな。推理も冴えてたけど、何て言うのかな、舞台劇として面白かった」 「まだ終わっていないだろう。きみの見解を聞いていない」 もう幕が降りたかのように優は観客席で感想を述べるが、しかし王は再度、王座に腰を下ろす。 「いや、でも、俺が考えたことはみんなが言ってくれたし、それに俺、舞台に上がるつもりはなくて、役も決めてないんですよ」 「では今、私が決めよう。きみは、ノイシュバンシュタイン城で、私のプライベートな食卓をあずかる料理人だ。人嫌いの王は、使用人と顔を合わせるのも厭い、機械仕掛けでせり上がってくるテーブルを設置した。そして王は、あたかも来客との会食であるかのように、誰もいない空間に話しかけ、食事をしていたという」 ++ ++ 「わかりました。でも、演技は許してください」 観客席から動かずに、優は舞台上の王に語りかける。 「ルートヴィヒは白鳥の騎士と太陽王に憧れ、彼らのようになりたかった。彼はワーグナーを援助し、その時だけは白鳥の騎士になることができた。俺は、たとえワーグナーが存在しなくても、彼は夢を追い求めたのだと考えます」 月の王はインヤンガイで名を偽り、素性を隠し、罪人を殺しました。 彼は、被害者の家族たちに感謝されていた。 俺は彼の行為を許せません。けれど、これも確かな事実です。 彼は自分自身もインヤンガイで太陽王や白鳥の騎士のように輝きたかったのかも知れません。 壱番世界のルートヴィヒは黒髪でしたが、月の王は銀髪でした。 あえて金髪に偽ったのは、金が太陽の色だったから、って思っています。 俺達に拘ったのは、真実を導きだして欲しかったからかも知れないし、自分という存在を止めて欲しかったのかも知れない。 ベンジャミンさんもサラスヴァティさんも「探偵」です。 彼らは探偵として、罪を推理を真実を求めずにはいられない。 だからこそ、殺された。 自分を追ってほしい相手をあおり、誘い、反対に追いつめて返り討ちにするのが、おそらくは月の王の――愛情なんです。 兄しか愛せなかった月の王が、覚醒後、屈折した愛情を注ぐことが出来たのが、ダイアナさんと、エルトダウン兄弟と、俺たちバッヂ保有者だったんじゃないでしょうか。 「ベルクさん」 優は呼びかける。 舞台上の王が、あたかもベルク・グラーフ本人であるかのように。 「ルートヴィヒ2世の遺言は『私が死んだらノイシュヴァンシュタイン城を破壊せよ』でした。けれど誰も城を壊すことはしなかった。ノイシュヴァンシュタイン城は未完成で、本来ならば玉座も存在しない。……もし」 ――あなたのそばに、心から信頼出来るひとがいたら、また違った道を歩むことができたのでしょうか。 ──── カーテンコール:美麗花園跡地 ──── ステルンベルギアの花束の雨が、今は空洞となった美麗花園に降り注ぐ。 上演終了後、ムジカが言い、全員が賛同したのだ。 ムジカ、由良、一、優、エレナ。 カリス、黄龍、ロバート、サラスヴァティ。 紅花、蒼、墨、雪花。 つごう十三名の、葬儀だった。 ──── 螺旋飯店/レセプション ──── 宿泊者名簿を手に、墨が非常に難しい顔をしている。 「何をそんなに悩んでいるのかね?」 「肝心なことをお忘れではないですか、支配人」 「何だい?」 「ここは、ホテルです」 「それが?」 「宿泊客にお休みいただかなければならない。ですが、螺旋飯店の客室は四つしかありません」 「レディが四人いらっしゃるからね」 「はい、ですから、男性客に我慢いただくしか。でも、どうすれば」 「簡単だよ。ムジカくんと由良くんを同室で、優くんと兄さんを同室で、まとめて支配人室に」 「紛らわしい言い方をしないでください。わかりました、男性客四名は支配人とご一緒ということで宜しいんですね。簡易ベッドを四つ、支配人室に運びます」 ──── 螺旋飯店/支配人室 ──── 同室だね、よろしく、と、ロバートに言われて、由良はこれ以上ないほど嫌そうな顔をした。 「きみに御礼を言わなければならない」 「なんのことだ」 「きみも、サラスヴァティをここに誘ってくれたそうだね」 「それがどうした」 「僕はずっと考えていたんだよ。インヤンガイでのベンジャミンはこのとおり、まったく女っけがないし、これではいつまでたっても、僕は甥や姪に恵まれないじゃないか」 「しったことか」 「今まで、ベンジャミンがなんらかの尊敬と興味を持った女性はふたりだけなんだ。ひとりはエヴァ。もうひとりはサラスヴァティ。もしもだよ、これをきっかけに、サラスヴァティがインヤンガイに帰属する気になったとしたら、もしかしたらもしかするじゃないか」 「他所の家庭の事情などどうでもいい」 ベンジャミンと優はノーコメント、ムジカは、凄まじく脅威的な暴霊に襲われたと見えてベッドに突っ伏している。 それはともかく。 サラスヴァティはベンジャミンと話す機会があったのだろうか、あとで聞いてみなければ――と思う、由良ではあった。 ――Fin.
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