高級な室内。ソファに身を丸めた美しい女が爪をぎざぎざに歪めてしまうことすら構うこともなく、歯で噛み続けなかせら震えあがっていた。「ラライナが、ラライナが殺しに来る」 護衛にあたっている女探偵キサは眉を潜めて一緒にいる仮面探偵のフェイに視線を向けた。「ねぇラライナって死んでるでしょ?」 こっそりとキサは囁きかけるとフェイは頷いた。「ああ。依頼者の大学時代の同級生だそうだ。……地味な使いパシリだったそうだ」 そこまで説明して、さらに声のトーンを落とした。「ラライナは二カ月も前に自殺している。その原因は、コイツらだ。……大学の卒業のお祝い旅行にいったらしい。まぁこのグループ、ラライナ以外は親が相当の金持ちでな。……ラライナはそこで彼女の当時付き合っていた男が寝とられたことを教えられたらしい。さすがに腹を立てて喧嘩したところ、ラライナは誤って車の前に飛び出し、大怪我をしたそうだ。命に別状はなかったが、顔がひどい有様でな。そのせいでせっかく決まった職も内定が取り消しになったそうだ」「ひでぇ。つまりは霊に呪われてるの?」「いや」 そこでフェイは口元を険しくした。「このグループのやつらが死んでいる方法だが、それはすべて人の人によるものだ」「人の手ってことは霊は関係ないの?」 と、客人の訪れをチャイムが告げる。 時間としては深夜だ。訪問時間としてはかなり常識がずれている。 依頼人であるシュリが震えあがるのにキサは手をひらひらとふって誰が来たのか設置されているセキリティカメラで確認した。「おたくの友達のメティアって子らしいけど」「いれていいわ」 ほっとシュリの顔が綻んだ。 キサは頷いて、セキリティロックを外し、そのとき、はっとした。「あれ、この子、ナイフを持ってる? ちょ、血がついてる!」 キサが叫んだときにはすべてが遅かった。 入ってきたメティアという娘は血にまみれのナイフを片手に、にっと笑うと恐ろしいほどのスピードで廊下を走り抜け、シュリに向かっていったのだ。「いゃああああ」 シュリの前にフェイが立ちはだかり、ライターを鳴らすと、そこから炎が蛇があらわれ、メティアに襲いかかる。 じゅっと、肌を焼く炎。メティアは悲鳴をあげるが、その顔はうっとりと喜びに染まっている。 抵抗すれば、するほどに炎の蛇はメティアの体を焼くというのにまるで無頓着にメティアという娘は前へ、前へと進みだす。結果、炎に焼かれて両脚が黒く染まり、使いものにならなくなってしまったというのに、メティアの這いずり、シュリの腕を掴んだ。そして、笑うと自分の首をナイフで刺した。「ああああああ」 シュリが悲鳴をあげる。と、体を痙攣させはじめた。「……自殺した?」 フェイは怪訝な顔をしてライターを鳴らし、炎蛇を消した。「フェイ、依頼人は?」「足を掴まれた以外はなにもされてはないと思うが……すぐに救急車を呼べ。キサ?」 キサが顔を強張らせてソファにぐったりとしているシュリを見つめる。「違う。そいつ、依頼人じゃない」「なに?」「別の魂がはいってる!」 キサの言葉と共にソファに寝ていたシュリが飛び起きた。 にっと邪気な笑みを浮かべてシュリ――だったものが肩を竦める。「あら、残念。いきなりばれちゃうなんて。あんた、霊力かみえるの? あーん、失敗、失敗」「お前、何者だ」フェイが身構えて唸り上げる。「そんなこと聞かれて名乗ると思ってるの? あははは、馬鹿ね。せっかく金も美貌もあるシュリを最後にターゲットに選んだのに。あーあ、ミスっちゃった。また変えなくちゃ。ま、とりあえずは、あんたたち、死んでよ」 その言葉と共にシュリはソファにあるクッションをフェイに投げつけて隙を作ると、その華奢な姿からは想像できない力でソファを持ち上げ、投げた。「この馬鹿力がぁ!」 キサが声を荒らげて鞭を振い、シュリの腕を捕えた。「悪いけど、おたく、逃がさないよ」「仕方ないわね。まぁ一時だけ、あんたの体で我慢してあげる」「えっ?」 そう言うとシュリは、なんの躊躇いもなく傍にあったクリスタルの大きな灰皿で自分の頭をなんの躊躇いも叩き割った。 美しい顔が砕け、血と肉が無残にも飛び散る。 そして、キサは己を奪われた。「自殺した? ……どういうことだ? キサ、お前、平気――」 鞭が飛ぶ。それを間一髪で避けたフェイは信じられないようにキサを見つめた。 鞭を片手に、キサはにっこりと笑う。「あーあ、こんな貧相な体、やだなぁ。はやくこの体、殺して、新しいの、そうね、うんときれいな女にしたいな。あ、そうそう、探偵さん、あんたには足を焼かれたわね。おかえし!」 キサの鞭が電流を放ち、フェイの左足を狙う。 それをなんとか避けると、フェイは舌打ちしてライターを鳴らした。炎蛇が素早くキサの体を拘束させた。じゅっと焼けつく匂いが室内に新たに広がる。「あ、ぁああ! いや、フェイ、熱い、熱い、焼ける!」「キサ!」 フェイがはっと炎の力を緩めたとき、キサは邪気に笑った。「なーんちゃって」 隙をついて容赦のない鞭がフェイの体を壁まで吹き飛ばした。「あははは、知り合いだから手加減? ばっかみたい。さーて、新しい体を手に入れないと。あ、そうだ。この子、返してほしいの? いいわよ。用が終わったら死体で返してあげるから。あはははは!」 狂うような笑い声だけが残された。★ ★ ★ 探偵事務所でフェイは渋い顔をして立っていた。「キサが、さらわれた。いや、正確には体を乗っ取られた。相手はラライナという女の魂だ。それも、これは正確には悪霊とは少し違う。調べによると、このラライナという女は自殺しているが、その前に禁呪を自らに施していたのが判明した。禁呪とは使用禁止となっている危険な術で、ほとんどの場合は一般人に知られることはないんだが……このラライナはそれをどこからか入手したらしい。そして使用している禁呪だが、【魂渡り】らしい。これは他人の体を乗っ取るというものだ。それもタチが悪いのは人を殺せば殺すほどにその力は強まる上、そののっとった相手から出るときは、その肉体を殺す必要がある……つまりは、このままにしておけば、キサはあの女に殺される」 フェイは顔を横に振った。「調べたが、どうやって肉体を乗っ取る相手を選んでいるのかはまるでわからなかった。あそこには俺もいたが、俺は乗っ取られなかったのは何かしら体ののっとりにはルールがあるはずだ。……キサを助けるためにも肉体から魂を払う方法を探したがなかった、見つからなかった。……だが、術によって無理やりにのっとられているならば、それをなんとか叩きだすこともできるはずだ。それに死ぬと魂が渡るとすれば、極限状態に追い込められれば移ることもあるかもしれない。いや、術そのものをなんとかできれば……早くしないと、時間が経過するごとに、肉体の本来の所有者である魂は銃によって破壊されていく。殺されるか、廃人にされるか……頼む、キサを助けてくれ。俺も出来る限り、協力する」 そこでフェイは俯き、深い怒りと憎悪を全身から放った。「……もし、最悪、キサを殺すなら、俺が、俺がこの手で葬る。ただし、絶対に魂移りはさせない。あの憎い殺人鬼のラライナの魂ごと、灰も残らず燃やし尽してやるっ! 決して許さない、あの女!」
「キサを殺すって、本気でいうてるんか。フェイ」 探偵事務所に暗澹たる沈黙が流れていたのを乱暴に破ったのはアマムシであった。いつもの飄々とした捕まえどころのない態度は失せ、真剣な黒い瞳がフェイを睨むように見つめていた。 「本気だとも」 先ほどの燃えさかる炎の怒りは水をかけたように消え、冷静な声でフェイは応じた。 「このままキサが無駄死する姿なんぞ俺は見るつもりはない。誰かに殺されるなら、俺が炎によって殺してやる」 キサとフェイは探偵同士として交流があることをアマムシは知っていたが、それ以上に深い執念がこもっている言葉に怪訝とした。 ふと、フェイは笑った。 「お前たちのことを信用していないわけではないさ。ただできることとできないことがある。……最悪の場合くらいは考えておくべきだろう?」 「ようわかった。……虫で道具の戯言やけど、ラライナは許さへん、それにわい自身がキサにまだ感謝を返してへん」 フェイはアマムシを気遣う視線を向けた。 キサとアマムシは事件の依頼を通して知り合い、少なからず交流がある。アマムシ自身が今回のことでキサを思い、胸を痛ませているのは、その真剣な瞳から容易く感じられた。 「キサは私の餌場だー! 横取りは許さんっ」 叫んだのは真っ赤な髪の毛をなびかせた緋夏。両手で拳を作り怒りにわなわなとふるわせている。 「……餌場?」 「以前、キサが食事に連れていったことがあるんだが、どうもそのときからちょうどいいたかり相手に認定されたようだな」 「これは縄張りを奪われるようなもんだ!」 「縄張りか……」 緋夏の言葉にアマムシは苦笑いを零した。 言葉はつっこみどころがあるが、これが緋夏なりのキサに対する心配と敵に対する怒りのあらわしかたなのだろう。 その証拠に緋夏はとても真剣だ。 「けど、問題はその呪禁のことだよねぇ? もしキサを助けたいにしても、呪禁のことがわからないままだと難しいんじゃないのかな?」 リーリス・キャロンが大きくて赤い瞳に、かわいらしい顔をかしげて呟く。 「キンジュ……情報だけで、他のヒトの身体に移るヒト。肉体があるか、暴霊よりもワタシと同じモノが多いね」 リーリスの横にいるぼろぼろのマントを全身にかぶり、その容貌はまったく見ることのできないヘータが無感動な口調で告げる。 「興味深いな。……ラライナ? それともキサなのかな?」 「どういう意味や?」 「その場合、どちらの情報が多いのかな」 ヘータの言葉にアマムシは目を瞬かせた。 「それ、どういう意味や」 「ラライナは情報に上書きしたのかな? キサの情報はどこにいったのかな」 ヘータのぽつりぽつりと語る言葉は、まるで解き明かすことが大変難しい暗号のようでアマムシも緋夏も困り果てたのにリーリスは楽しそうにくすくすと笑った。 「つまりね。ヘータがいいたいのは、キサの魂をラライナが乗り移ることでどうしたか、ということか。キサの魂について、どうなのかってことよ。ね?」 リーリスがにこにこと笑ってヘータに笑いかけると、赤い瞳でフェイを見上げた。 「どうなってるのぉ? あニィさん」 「俺には調べることができなかった……禁呪とは、危険ゆえに術者たちが封じ込め、一般人には知られないようにしてある代物だ。……ラライナがどこでこの術を手に入れたかも不明だ。たぶん、金に目のくらんだ術者が持ち出したんじゃないかとは思うが」 「じゃあ、術者に聞いてさ、すごく高いお札をキサの額に張るとかして動きをとめられるのとかないの?」 と、緋夏が真剣に問いかけるのにフェイは肩を竦めた。 「いろいろと聞いたが誰もそんなものはもってなかった。あのな、緋夏、そんなものがあったらすでに俺が使ってる。そんなものはない」 「あ、そっか。そうだよね」 残念とばかりに肩を緋夏は落した。 「うーん、乗り移る条件はねぇ、同性でぇ、自分の死を目視している、もしくは死に際に血肉の飛沫を浴びせるだと思うよ?」 「なんでそう思うの? あ、私も同性っていうのは思ってたけど」 リーリスの仮説には緋夏は激しく同意するが、それ以外の条件がまるで思いついつかなかったので不思議そうに首を傾げる。 くすっとリーリスは魅力的に笑った。 「え、そんなの黒魔術の基本じゃん? 魂と身体の形……性差って意味だけど、違うとその分消費しちゃうもん。知らないの? 一般常識だよね?」 リーリスは首を傾げて、赤い瞳は甘えるようにアマムシに向けられた。 「あー……わいは、ちょいとその仮説とは違う憶測しとる。この場合は物理的な繋がりがないとあかんのちゃうんか? ほら、はじめは腕、キサの場合は鞭や」 「うーん、ここの呪術って私たちの知るものと少し違うから、けど、たぶん、このどっちかだよね?」 「たぶんなぁ」 アマムシとリーリスが顔を合わせて頷きあうのに緋夏はほーと感心したまなざしを向けて、ぼんやりと立っているヘータに向き直った。 「あ、ヘータは何だと思う? ルール」 「ワタシは考えるの悪いから他のヒトに任せる」 「悪い?」 緋夏が怪訝な顔をするのにくすくすとリーリスが笑ってフォローをいれた。 「苦手っていいたいのよ。ねっ? どっちにしてもキサを見つけ出さなくちゃ。ねぇ探偵のオニィさん、ここの近くで美人の女の子が多そうな場所は? ラライナ、そこでキサから着替えしようとするんじゃない?」 リーリスの言葉にある「お着替え」という言葉にフェイはあからさまに体を強張らせたが、すぐに 「いくつか候補があるぞ。どうするつもりだ」 ヘータがすすっとフェイの前に歩み出た。 「視覚と聴覚と熱……あ、霊力でも探せる」 「お前が?」 「うん。キサの記憶はある?」 「記憶……キサのか」 「ラライナのも欲しい」 ヘータの言葉にフェイは迷うような顔をした。 「ラライナならば昨日の現場にいけば……キサの記憶……それは俺から読み取ることもできるのか?」 「フェイが悪いのはやめておく」 フェイは決意したように片手をヘータに差し出した。 「いや、たぶん、ここで一番キサの記憶……ヘータが言う霊力の情報を持つのは肉親の俺だけだろう。特別なことは必要か? 好きなように読みとれ」 「キサの肉親、フェイ、あんたが……?」 アマムシの言葉にフェイは一度だけ口ごもり、頷いた。 「俺とキサは双子の兄妹だ。……探偵業はなにかと危険が多いうえに狙われるからな。隠してあったんだが、今はそんなことを口にしている余裕はないからな」 フェイの与えてくれた情報を受け取ったあと、一行はキサが体を奪われた現場――シュリのマンションに向かった。 殺人事件があった部屋の前は警察によって黄色いテープが張られていたが幸いにも見張りはいなかった。 そこでヘータは十分に記憶を読みとると、ふわふわと移動しはじめたのに他の三人はついていった。 ヘータが向かったのはブティックなどの高級店が軒を連ねる地区であった。 まだ冷たい風が叩きつけるように吹くなかを流行のファッションに身を包ませた女の子たちが鮮やかな化粧を顔に施し、甘いにおいを漂わせて颯爽と闊歩していく。 「鼻が曲がりそう」 食べ物の露店が立ち並ぶ道は平気な顔をしていた緋夏だが、ここにきて露骨に顔をしかめた。 「こんなところにキサ、いるのかな?」 「霊力を感知した」 ヘータがすすっと進み出る。 立ち並ぶ店と店の間の狭い、人ひとり通ることが精いっぱいのような狭い通路。その奥に若い男女が昼間からだというのに抱きしめあっていた。 「キサ!」 緋夏がヘータを押しのけて叫び、前に出る。 「いや、じゃなくて、ラライナだったけ? とりあえず、キサを返せ」 肉食動物が威嚇するように緋夏は怒声をあげる。 女――キサにかぶさっていた男は怪訝な顔をして緋夏の前に進み出た。 「ちょっと待ってて。なんだ、君は」 男はそばにいるキサにいい姿をみせようと緋夏にまっこうから食ってかかった。 「あんたは邪魔!」 緋夏は男を乱暴に押しのけようとすると、男が緋夏の細い手をとった。 「あのな、お前こそ、俺たちの邪魔を」 しゅ、と風が鳴いた。 男の首を鞭が捕えた。と思ったとき 「うりゃあ!」 声と、ともに男の体が緋夏に乱暴に迫ってきた。 「わっ!」 あわてて頭をさげて緋夏は難を逃れるか、投げられた哀れな男は壁に顔からつっこみ、だらしなく倒れ込んでしまった。 「あら、残念。その男と赤毛ちゃんが情熱的なキスしてるの、みたかったのに。ふふふ」 「っ、このっ」 緋夏が地面を蹴り素早くキサの懐にはいると、掴みかかる。 「二人とも、こいつの看病頼むわ」 「任せてぇ。二人ともがんばってキサを捕まえてね!」 倒れている男をリーリスとヘータに任せてアマムシが自身のトラベルギアを取り出した。 小さく、鋭い刃を躊躇いもなく緋夏と取っ組み合うキサへと投げる。 キサは緋夏の腹に蹴りを放つと、アマムシの刃を避けようとあわてて後ろへと飛んで逃げたが、刃はしつこくキサを追いかける。 ち、とキサは舌打ちすると、片手に持つ鞭をふるった。 ばちぃんと電気を帯びた鞭と刃が接しあい、青白い火花を散らす。 「まったくうっとおしい蠅みたい。ふん、虫って嫌いなのよ。昔から、たいっきらいよ、ああ、うっとおしい!」 「キサ!」 緋夏のタックルに壁に叩きつけられたキサは大きく震え、そのままぐったりと崩れ落ちる。 「ん、んん? っ、いたた……ん、緋夏」 「キサ? え、頭打って戻ったとか。キサなの?」 「……なわけねーだろう、ばーぁか」 緋夏が一瞬、ほんの少し力を緩ませたのに、キサは容赦のない拳で、緋夏を殴りつけると、その首に鞭を巻きつけ締めあげて自分の盾とした。 「この鞭、電気が通ってるのよ? ね、仲間助けたい? だったら、攻撃、やめてくれない? ねぇ……アマムシ」 「わいの名前、あんさんに呼ばれたくないわ」 アマムシが吐き捨てるのにキサは悪びれずに笑った。 「あら、ごめんなさい。この体の記憶、ちょっとづづ流れ込んでくるんだもん。で、攻撃やめのやめないの? それとも仲間が死ぬのを見る? ああ、そうだ。いきなり殺すんじゃなくって、電撃の量を増して苦痛にくるしむ姿をみたい?」 アマムシが表情を消し、ただ冷たい目で睨みつけるのにキサは嘲笑った。 「ふふふ、どっちを選ぶ? アマムシ」 「……っ、キサを返せっ」 緋夏の腕が伸び、キサの服を掴みかかろうとした。 「この女っ! 電気をくらえ!」 「ひぃあ!」 容赦のない電流に緋夏の身体は大きく跳ね、意識を失ったのか力なく崩れた。だが、一瞬の隙をついてキサの鞭を持つ手をヘータのマントが捕えていた。 緋夏を人質にしているとはいえ片手を奪われて、己が断然に不利に陥ったことをすぐさまに悟ったらしく渋い顔でキサはヘータを睨みつけた。 「離してくれない?」 ヘータは答えない。 「……ふん、脅しは通じなさそうね。なら、こんな体は捨ててやるよ!」 なにを、と問う前にキサは自分のマントで拘束された腕を壁へと叩きつけたのだ。 がっつんと骨の砕ける音がする。 それと同時に、皮膚が裂け、血が飛び散る。 しかし、それだけでは飽き足らず、キサは女の業をすべて集めたような夜叉の顔で猛然と自分の腕へと噛みついた。 力を失ってだらりとたれさがる血まみれの腕の肉を、ここから逃れたいと思う一心で、彼女は自ら食い千切ろうとしているのだ。 「……っ! ヘータ! あかん、キサを離せ!」 たまらずアマムシが叫ぶとヘータがそろりとマントの拘束を解いた。 それにようやく暴れ狂う鬼は自分の腕から牙を抜いた。 血まみれの口元を綻ばせて、笑ってみせた。 「女はね、生き残るためならなんだってするの。なにをしても、ね」 彼女はまるで痛みを感じないように素早い動きで背を向けると、緋夏を投げ捨て逃げ出した。 「緋夏はん、平気か?」 「うーん。頭くらくらするけど平気! ごめん。私のせいで、キサ、取り逃がしちゃって」 アマムシが声をかけると倒れていた緋夏は起き上がり、ふるふると頭をふって意識をしっかりさせると、その場の状態をすぐに読み取り悔しげに顔を歪ませた。 「いや、しゃあない。ここは狭すぎて戦いには不利すぎる」 「けど、キサ、逃げちゃったの。どうしよう」 「それは……」 落ち込む緋夏にアマムシもかける言葉がないのにヘータがすすっと歩み寄った。 「キサ、どこに行ったのかわかる。依頼は良くらなくっちゃいけないからね」 「ヘータがねぇ、キサに、こっそりトレーサーつけておいたんだって。だからちゃんとわかるんだよ? だからね、二人とも落ち込まないで!」 リーリスの言葉に緋夏は泣き出しそうだった目を丸めたあと大きく頷くと、 「よしっ!」 ぱんと両手で自分の両頬を叩いて気合をいれて、すぐに立ち上がった。 「ヘータえらい。キサ探索機だねっ! 私も頑張るよ。絶対にキサを取り戻そう!」 表情の見えにないヘータが、この妙な褒め言葉をどう感じたのかというのはまったくわからないがアマムシはヘータに視線を向けた。 「ヘータ、何か読めたか?」 「ラライナも情報のヒトなんだよね。感じるのに悪い。……時間が短いから、感じる情報は少ない。……知ることは良いコトだけど」 ヘータは言葉をこぼしていく。 ヘータ自身はキサを助けるよりは禁呪にたいしての純粋な興味があるようだ。 読み取ったのも、禁呪に関することだけだ。 時間がないのとラライナの警戒からだった。また、以来のことも忘れたわけではない。 「ラライナはキンジュ、黒い服の男の人から教えてもらってた」 「つまりは、そいつが呪術師でラライナに禁呪をわたしたんか? なんか魂を追いだす方法は読めんかったか?」 「言ってなかった」 「……そうか。今度追い詰めたとき、呪いを食べたら、解析できるし。それでわかればええんやけど」 夜。 ネオンが輝き、街は怪しい顔を晒す。 そのなかを一人の女が走っていた。 ――は、は、は、 獣のような荒い呼吸をキサは繰り返し、辿りついたのは、小さな公園だった。 ネオンの満ちたなかからまるで捨てられたように闇だけが広がり、ある光といえば街灯がほのかな明かりばかり。 人目を避けるには十分に適した、恋人たちの集まる場所。 そう、男も、女もいて、さらには目立つこともない。 「この体も、もうだめね」 キサは文句を吐き捨て、血走った眼でベンチにいる男女を認めると、その片手で鞭をふるい女へと狙いを定めて放った。 とたん、ごぉと、炎が、現れて鞭の攻撃を封じこめた。 キサは目を丸めて驚いたが、すぐににっと口元に笑みを浮かべた。 「また、あんたたちなの。しつこいやつら」 ベンチに座っていた男女の前に、ヘータのおかげで待ち伏せに成功したアマムシと緋夏が立ちはだかり、睨みつける。 その後ろではヘータとリーリスは恋人たちに声をかけ、安全なところまで避難させている。 「まだ懲りないの? 昼間にさんざんいためつけてやったのに」 「今度は騙されないんだからねっ」 緋夏が目を吊り上げ、全身から怒りのオーラを発し、いつでも飛びかかれるように構える。 「ふふ。容赦、容赦ね。ああ、こいわ、こわい。……アマムシは? 私のこと殺すの? 私を? キサを?」 「……わいは呪術道具や、手加減すると思うか?」 「必要なら、私もその手で殺すね? アマムシ」 「お前はキサとちゃう!」 じっと彼女の目はアマムシを見つめて嫣然と、女王のように微笑んだ。 「飯、奢ってやったのにね。そのときの借り、まで返してもらったないよ?」 キサの目で、唇で、声で、思い出で、彼女は語る。 アマムシは黙って刃を放つ。それにキサは電気を纏わせた鞭を振るう。 きらめく刃と電気はまるでダンスを踊っているに夜の中がぶつかりあう。 緋夏がじりじりと距離を詰め、飛びかかる。それをキサは危機一髪で避けると、自分に向かってきた刃を鞭で叩き落とし、怒声をあげた。 「ああ、本当にあんたたちうっとおしいわね!」 「うっとおしいのはお前だっ!」 緋夏が怒鳴り返し、口から炎を吐き出した。 「そんな炎で私をどうするの? 焼き殺すこともできないくせにっ!」 炎の壁が消えてあらわれたのはアマムシの刃だった。 緋夏の炎はアマムシの刃を隠すための囮にすぎない。そして狙い通り、刃は鞭を持つ手を貫き、武器を握れないようにすることに成功した。 鞭が落ちたと同時に、緋夏が力をこめてキサの体を後ろへと叩きつける。それを追いかけるようにして刃が――ぎりぎり、キサの肉体に触れないように服を刺して、木に張り付けにした。 キサが声なき声をあげ、ぜぇぜぇと息を繰り返す。 「やった。やったよ!」 「ああ」 はしゃく緋夏にたいしてアマムシは冷静な顔をして、近づいた。 「食べちまえ、そんなやつ」 「術はな、魂は無理や」 アマムシは短くそういうとキサの顎を持ち上げた。敵意を浮かべた目がアマムシを捕えると、ふっと笑った。 「容赦しないんじゃなかったの?」 「無駄な殺生は嫌いや。術、食べさせてもらうで。こういう術はめっちゃおいしいからな」 「……っ」 キサが必死に抵抗しようと動くのに、緋夏が横から力をこめて取り押さえる。キサが口を開いて緋夏の腕に噛みついたが、痛みに顔を歪めたが、それでも緋夏はキサを離さなかった。 「ちくしょう! あああ、くそ、くそったれ! 化け物め。この女がお前がどう映っているかしりもしないで。守りたいの? 助けてあげたいの? ふ、はははは。道具のくせに殺すこともできないのね。かわいそう、あんた。この女が本当はあんたのことどう思っているかもしれないで」 狂ったように女は笑う。吼える。叫ぶ。 心を抉りこむためのナイフをいくらだって放つ。 キサの声で、顔で、 「術を食らう? 魂は無理? なら、はやく殺してみなさいよ」 「術が解析したら望み通りあんさんのことは殺したるわ」 「無理よ。魂渡りにはそんな方法ないの」 女はふっと、悪意に満ちた笑みを浮かべた。 「嘘つくなよ。アマムシっ……どう、わかったの?」 「ああ、今……肉体を渡るだけなんか、この術は」 アマムシの顔がこわばったのに緋夏も息を飲む。 女は笑う。楽しくて仕方がないように。嗤い続ける。 「ふふ、残念ね。お友達は死ぬの。あんたたちが殺すの。ほら、殺しなさいよ。魔術道具だろうがよ。化け物がっ!」 その瞬間、彼女はアマムシに頭突きを食らわせた。そして無茶苦茶に抑え込む力に暴れはじめた。それは緋夏すら抑えることができないほどの力だった。 乱暴に服も、体も引きちぎれることも構わずに体を前へとすすめた。 隙などはなかった。 ただ肉体も、命も、彼女は一切として大切にしていないのだ。 引きちぎれた服に、血まみれなっても彼女は笑って、アマムシの刃を一本、その手にとると自分の首にあてた。 「来たら死ぬわよ? この体が、動くんじゃないわよ? ふん……新しい、新しい体っ」 自分を盾にして、よろけながらキサが進みだそうとしたとき、とんと軽い衝撃が襲いかかってきた。 「え、あ」 キサが驚いて見ると――いつの間にかリーリスが懐にいた。 じれったいほどのゆっくりとした動きでリーリスが後ろに下がると、その手には小刀が握られ、血でぐっちょりと汚れていた。 そして彼女は自分の身に、この肉体に何が起こったのか理解し、崩れ落ちた。 「あ、あああ、いやだ。いやだ、いやだ、いやだ、いやだ。私は、死にたくない、死にたくないっ、いやだ、いやだぁ」 自分の意志で動かない身体を彼女は忌々しげに引きずるのに、その前に立つリーリスは嫣然と微笑んだ。 赤い瞳が、じっと彼女を捕えて、離さない。 「大丈夫」 優しく、愛しむように、すべての不安を払拭するように、リーリスは語る。 「助けてあげるよ? さぁ、私のなかにおいで」 その声に、導かられるようにして、彼女はリーリスの腕にしがみついた。 そして、キサの体は大きく一度痙攣をすると、地面にずるりっと崩れ落ちた。 「キサ! え、やだ、死んだの。やだよ。そんなの!」 緋夏が倒れたキサに駆け寄って、あたふたしているのにアマムシはキサの身体を抱き起した。 「キサ? 生きとる! リーリス!」 「うん。小刀に強烈な麻酔薬をつけておいたの。それで死んだようにラライナに思わせたの。いまは私のなかにいるよ」 リーリスの言葉に二人がぎょっとした顔をする。 「あ、大丈夫。私のほうが強いから。それにね」 リーリスはなんの躊躇いもなく自分の持つ小刀で自分の胸を突いてみせた。それでも彼女は平気な顔をしてにこりと笑っている。 「ね、私は死なないから。ラライナは出てこれないの。このあとのことはちゃんと決めてるから大丈夫」 「任せてもええんか?」 「うん。平気だよ?」 リーリスの笑顔にアマムシは釈然としないが頷き、腕の中にいるキサを見た。 「けど、これってキサなのかな? あのむかつく女が残っているとかないのかな?」 「ワタシが見るよ。……うん。キサだけだよ」 「さすがヘータ! 嘘発見みたいだ!」 また妙な呼ばれ方をしてしまったヘータはさして気にしてないのか、ただ首を傾げているだけだ。 ん、と小さな声が、漏れて、キサが目を開ける。 「あれ? ここ、なんか、すげぇ痛い。それに……私、あんたたちと戦った? なんか、記憶がぐらぐらして……いったぁ」 「キサー!」 「え、緋夏? わ、ちょ……いたたた。いたたた。緋夏、痛い、痛いって、ええっと」 緋夏に思いっきり抱きつかれてキサは痛みに悲鳴をあげる。しかし、緋夏は嬉しさに泣きながら離れてくれない。 「緋夏、落ち着け。……キサ、なんか覚えてるん?」 「うん? ああ、少しだけ、ね。迷惑かけちゃったね……アマムシ、あんた、なんて面してんのよ」 「あー、兄みたく冷徹ぶってみたけど、わいにはあわへんかった。わいお気軽気楽な道具の虫食いのアマムシやさかい」 そのあとアマムシは少しだけ困ったように笑った。 「キサ、わいのことどうみえてるん?」 キサは眼を開き、ふっと嗤った。 「アマムシはアマムシにしか見えてないよ。……なんか知らないうちにひどいこといっぱい口にしたみたいだね」 キサの手がアマムシの手を迷うように、とった。 「けど、アマムシに出会えて、私、すげぇ感謝してる。ありがとう」 「キサ、私は! ついでにおなかすいた!」 「緋夏にもすげー感謝してる。あーあ、あんた、私のせいで傷だらけになって……お礼におなかいっぱいになるまでにご飯奢らないとね。ほら泣かないなのよ、もうっ」 「だってぇ、嬉しいんだもん!」 「ははは、ヘータもありがとね。いろいろと、あれ? ……リーリスは?」 リーリスはみんなからこっそりと離れ、一人でそれと対峙していた。 ――死にたくない、死にたくない、いやだ、いやだ 暴れる魂の声を聞き、リーリスは微笑む。 「お前の気が狂うまで、少しづつ喰らってやろうと思ったけど、邪魔になるから今全部食べてあげる」 優しい声、しかし、それとは裏腹に赤い目は血をたらしたように暗く陰気な光を湛えていた。 そしてリーリスは自分のなかにある魂の最期の悲鳴を堪能し、悦にはいった。 「例えわが身が封じられようとも、身体を持たぬ魂ごとき、食らい尽くすは一瞬ぞ……ふふ、ふふ、だからここって大好き」 「リーリス、なにしてるのー! 行くよー!」 「え、あ、はーい! まってぇ!」 声をかけられ、リーリスはいつもの無垢であどけない少女の仮面をかぶり、みんなへと駆けよっていった。
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