キサー、どこにゃのーと司書棟の廊下に声があがるのにキサ・アデルは逃げるように角を曲がった。そこで彼女は、とんっとなにか、柔らかなもの――人とぶつかった。「きゃあ、ごめんなさい」「いや、こちらこそ。申し訳ない」 中華風の黒い長袍をまとった30代後半の男は温和な笑みを浮かべる。それにキサは背後を気にするように振り返り、拳を握りしめた。「あなた、司書じゃない、ですよね? あの、お願いがあるんです! キサを、ツァイレンさんって人に会わせてほしいんです! いま、いま、くろねこに追われてるんです!」 ぶつかった男は不思議そうに小首を傾げたが、遠くからにゃあー! とどこかで聞いたことのある黒猫司書の声に何かを思案するような顔をしたあと快く頷いた。「私も、そろそろ戻るところだったんだ。構わないよ」 ★ ターミナルの少し外れたところに広い庭つきの寺のような平屋がぽつんと建ち、正門には『翠円門』と掲げられている。 キサはそれをまじまじと見つめ、庭を見るが問題の人物がいる気配はない。「さぁ、中へ」「え、あの、けど、ツァイレンさんいな」「ああ、名乗るのが遅れたね。私がそのツァイレンだ」「え、えええ! あの虎を三本指で殺して、蜘蛛の猛毒は平気で、ロストナンバーさんを殺しかけて弟子入りさせて、それでにゃんこちゃんをクッションで窒息死させかけたって怖い人なのに! ……ち、ちっちゃい、もっと巨大でもじゃもじゃのむきむきかと思った」 唖然とするキサにツァイレンは吹き出した。「ご期待に沿えなくて済まないね。立ち話もなんだから、まずは中へどうぞ。私はこれからお茶を淹れてひと休みしようと思っていたんだ。良かったら一緒にどうかな」 促されてキサは門をくぐっるとすぐにお茶となった。庭にあるかたい黒漆塗りの椅子に腰かけるが、キサは考えるように椅子の上に正座した。「足を伸ばしたら?」「いえ。大切なお話のとき……武道家は真面目な話のときは正座だって聞きました! キサは……あ、あの、ツァイレンさんはものすごーく強いって聞いたの。それで、ここでは強くしてくれるって……キサは、あの、強くなりたいんです」「それは、なぜ?」「強くなるのって理由がいるの? う、うーん。胸のなかがもにゅーってなってぎゅーとなって、どかーんなんです! うう、うまく言葉に出来ないの。けど、ううっ……けど、どうしてもなの」 冬眠から醒めた熊のようにキサは唸り上げていると、門のほうから「みつけたー」と声がした。振り返ると今日キサの家庭教師兼見守り役のロストナンバーたちだ。彼らはキサが逃亡したのを心配してここまで探しにきたらしい。「彼らに聞いてみてはいかがかな」 とツァイレン。「ふへ」「強さについて」「強さ、について?」「ここはそういうための場所だからね。さあ、まずは心配をかけたことを詫びたほうがいい」「……うん。っっっっ」 椅子から立ち上がったキサは声らならぬ悲鳴をあげる。どうやら正座して足が痺れたらしい。ツァイレンはその様子をじっと見つめているとにこやかに微笑んで、 つんつん「っ!!」「こうしたほうが痺れははやくとれるそうだよ」 うわぁ、ツァイレンさん、ものすごくいい笑顔でキサの痺れた足をつついてるよ。 あれ、いじめだよ。てか、容赦ねぇなぁ、あの人……
おまえらー、この広いターミナルからキサをさがしだせぇ! とお勉強から逃亡したキサを探すことから本日の家庭教師兼見守りの仕事はスタートした。 やれやれ……ロウ ユエはため息をつきながらも仲間たちと地道な聞き込みから目撃証言を頼りに『翠円門』の前まで来たのだが 「ええとこれはどういう状況なんだ?」 いつも涼しげな笑みを浮かべているユエは珍しく困惑した顔で穏やかな笑顔で足をつつくツァイレンとつつかれて泣き顔のキサを見つめた。 「足が痺れたとキサがいうので。こうしたほうが痺れははやくとれるんだ」 ニコニコとツァイレン。 キサは涙目で震えながら首をふるふると振って声にならない声で助けを求めている、ように見えなくもない。 「……彼女が司書の話していたキサか、はじめまして、だな。俺はロウ ユエだ……足の痺れているのか」 ユエはじっとキサを見つめて、にこっと笑うと屈みこんだ。 「!?」 キサは悪い予感にぎくぅと震えあがる。 「そういうことなら協力するぞ? 動けないのは辛いだろう」 「っっっ!?」 ツァイレンとともにユエまで痺れた足をつついてきたのにキサは豪快に悶えたのはいうまでもない。 ぎぶぎぶぎぶぅうう! キサが地面を叩いて訴える様子に舞原絵奈とオゾ・ウトウは苦笑いを浮かべて見守った。 「キサちゃん、大丈夫でしょうか?」 「痺れただけなら、そろそろとれるんじゃないでしょうか」 止めるべきか、面白がるべきか、それが問題だ。 そんな生暖かい視線にさらされていたキサは足の痺れがとれると猫の子のように飛び上がり、笑顔のいじめっこ二人の元からとととーと駆けてその相手にしがみついた。 「わっ! 探したで、キサ。心配かけたらアカンで?」 「た、たちゅけて……あれ、白い?」 涙目で訴えたキサはすぐに違和感を覚えてきょとんとする。 白い着物、白い髪の毛、あれ? 「真っ白いムシアメちゃん?」 「そうそう、ホワイトムシアメ……って、ちゃうちゃう」 けらけらと笑ってキサの頭をぽんぽんと撫でる。 「はじめまして、キサ。わい、ムシアメの弟分のアマムシや。会いたかったで。他の皆さんも、はじめましてやね。にゃんこのところ行ったときはキサがおらんに、ばたばたしとって挨拶できんかったからな」 挨拶するアマムシにキサをつんつんしていたユエは立ち上がり、そうだな、と応じてちらりとツァイレンを見た。 「キサの逃亡に手を貸したのはお前だな?」 「一緒にお茶を飲んでいたんだ。あなたたちも一緒にいかがかな?」 「……断る理由は、ないな」 ユエは嘆息して応じた。 黒檀の丈夫な椅子に、六人も座ると窮屈に思えるテーブル。 四人を歓迎したツァイレンはキサを連れ出したことで迷惑かけたことには謝罪し、薄茶色のお茶と茶菓子を振舞った。それにキサも痺れた足をつつかれて反省したのか素直に謝ると、ここまでの逃亡事情についてたどたどしく語った。 「迷惑、かけてごめんなさい。けどね、知りたかったの。この、むぎゅう、がおーっていう気持ちを、ねっ!」 どうもキサのなかには言葉に出来ない気持ちが渦巻いているらしい。 ユエは茶をいただきながら、これは素直に帰りそうもないと判断した。胸のなかに靄を残したままでは何度だって同じことをする可能性がある。ならとことん付き合うしかない。それは他の三人も同じ考えだったらしく、キサのことを叱ることはなかった。 むしろ絵奈はキサの胸の内にある正体不明の気持ちを理解しようと努めた。以前、自分も、またここに目的を持って訪れたことがあるので気持ちは理解できる。 「ここに来たってことは、キサさんは戦う力が欲しいんですか?」 尋ねられたキサは目をぱちくりさせる。 「うーん、でもキサさんが戦士になるとかあまりイメージじゃないような……」 「戦士?」 「はい。私の世界では、戦う人は戦士っていうんです。よかったら、今のキサさんの力を確認するため、私と腕相撲でもしてみましょうか?」 キサはしばし悩んだように絵奈をつぶらな瞳で見つめたあと頷いた。 「よーし、やりましょう! 手加減しませんよ!」 腕まくりして戦闘態勢をとる絵奈にキサは戸惑いがちにまだら髪を飾る黒リボンを結びなおして同じくかまえる。 見守る男たち四人は戦いに水をささないため、各自茶碗と菓子皿を持ち上げる。 「では、私が審判をしよう」 ツァイレンが右手をそっと二人が手を重ねる上に触れるように置き、スッと離したのを合図に二人が力をこめる。 「ん、んんっ」 「っうう」 絵奈とキサの口から獣じみた気合いの声が漏れる。 二人とも顔を真っ赤にして互いの重なった手を睨む。 手というたった一点に力が集中し、衝突して、小さく揺れ続け――と、力をこめることに集中していたキサはすぐに疲れ果ててしまい、呼吸困難に陥ったようにすっと息を吸い込む、力のきれる一瞬の隙を見切った絵奈の電光石火の押し出し。 「勝者、絵奈」 静かなツァイレンの判定。 「あ」 キサが顔を歪めた。 「まけちゃったぁ」 「勝ちました!」 絵奈が嬉しそうに顔をあげてはじめに見たのはしょんぼりと、面白くなさそうなキサの顔であった。 「あ、あの、ごめんなさい。えっと、けど、これで、互いの力を知るいいチャンスかなって。私も戦士としては半人前だから、なにもパワーだけじゃないと思いますけど、スピードや戦う戦闘スタイルを考えるので、あの、その」 おろおろする絵奈にキサはぷいっと拗ねた顔でそっぽ向いた。 「ぷ」 ユエが噴出したのにキサがむっと睨む。 「駄々っ子勝負ではキサの勝ちだな。ははは。悪い、悪い。そんな短気だとすぐにやられてしまうぞ」 「ぶー」 再びテーブルに茶椀と菓子皿を戻して席についた絵奈は拗ねてしまったキサをはらはらと見つめる。うう、どうしよう、失敗、したかな? 「あの、私は戦士だから、戦うことでしか誰かの力にはなれないけど、キサさんはまだ若いですから、色々な可能性があると思います」 絵奈は言葉を選びながらキサに話しかける。ちらりとキサが絵奈を見た。 「どうして絵奈は強くなりたいの? 戦士ってよくわかんない」 「そうですね、戦士というのは私の世界の特有のお仕事みたいです。私が強くなりたい理由ですか?「皆が笑顔になれる世界」を作りたいからですよ」 絵奈は迷いもなく即答した。それにユエは興味深そうに目を眇め、アマムシとオゾは花の蜜に集まる虫のように惹きつけられた視線を向けた。 絵奈は気が付いたときからは戦士である仲間と姉の傍にいて、自分もそうなることは当たり前のように考えていた。傍にいる仲間たちの笑顔が好きで、彼らのために少しでも何かがしたいと純粋に思っていた。今も、その気持ちは変わらない。 「まあ「世界」は大げさでも、せめて見える範囲の人を一人でも多く笑顔にするお手伝いができたらと思ってます。今の私にはそれを成せるほどの力がない、だから強くなりたい、力をつけたいんです」 はにかんで絵奈は続ける。 「キサさんは今迷っているみたいですし。私たちでよければいくらでも考えの足しになるかわかりませんがお話します!」 「そうだな。何の為に強くなりたくて、強くなって何がしたいかを自覚するのは大切な事だ。わからないなら聞くのも一つだろう」 「ふーぅん」 キサが話を聞きたそうな目をしてユエを見つめた。それに気が付いたユエは肩を竦めて困惑顔で言い返した。 「正直、俺の意見や考えはあまり参考にならんと思うぞ」 「ユエさん、えらそーにいったもん。みんなの意見きくのもいいっていったもん。自分のこと言わないのずるーい」 「えらそー? このしゃべり方は癖だ。だが、そうだな。あえて言えば……俺にとって強さも力も生きる為と、出来るだけ仲間を近しい者を無くさない為に絶対に必要なもの……としか答えようがないんだが」 ユエの形のよい唇から苦笑いが漏れた。 ユエの故郷は力こそ生きるために必要で、弱い者は徹底的に排除された弱肉強食な世界だ。 ユエの生まれは滅ぼされた小国の、王族といえる立場の家柄だ。しかし、楽しかった記憶はないに等しい。兄弟は七人いたというがユエが生まれる前にみな死んだ。 ユエは素性を隠し、信頼できる家臣とともにレジスタンとして戦いに明け暮れ、守るべき民を見つけて救出する日々を送っていた。 間に合わず何度も失った。手が届かず何度も泣いた。 過酷な世界は、生きるためには強くなくてはならなかった。けれどそれは武力的な意味合いだけではない。 「自分の無力さ加減に何度打ちのめされても立ち上がることのできる強さ、生活環境が激変してもそれに適応できる精神的強さも必要だったな」 彼岸花のような赤い瞳が細め、手は無意識にも腹部を撫でたユエはなにかを噛みしめるように顔をあげるとキサに笑いかけた。 「力が有っても守れる物等は、たかが知れている。それでもな」 祈りは儚い、願いは潰される、望んだところで失われる。 滅びた国には薬も食料も不足し、そのために緩慢的に訪れる不満。衰えていくのは弱い者から。場合によっては親しくとも手を下さなくてはいけない現実。次は自分の番かもしれないと避けられない、迫りくる恐怖に怯え続けた。楽には死ねない、死ぬよりもずっと恐ろしい未来もある。けれど決めたのだ。あらがう。最後まで、どんなときも。それは意地のような気持ちだ。 ユエのなすべきことは、生まれたときから存在する義務と使命の全う。仲間や民が何にも脅かされず、平和に生きれる土地を探し出すこと。―-さすがにキサには語れないが、ユエは覚醒の際、心臓を奪われかけ、手足もがれたことから偶然にも望みの仕込みは出来た。だから。 ちらりと脳裏に宿る不吉な現実。もし故郷に帰っても彼らがいなかったら? 想像は容易くユエの心を修羅にかりたてる。そっとユエの手にあたたかい手が触れた。見るとキサが覗き込んでくる。護るべき幼い子どもたち、その未来を信じたい。たとえ絶望が深くとも。 「俺は故郷に戻って仲間の安否を確認したい。そして、平和な国を作りたいと思っている。そのためにも強く在りつづけたいと思っている」 赤い瞳に映されたキサは微笑む。 「なんとなく、わかった」 「そうか? なら語ってよかったみたいだな……絵奈とのやりとりを見て思ったが、キサが望んでいるのはどちらかというと精神的なものを欲しているんじゃないのか?」 「せいしん?」 キサがきょとんとする。 「そうだな、精神……説明するのは難しいな」 「ユエさんの話を聞いて僕も考えたんですが、キサちゃん、あなたが強さを欲しいのは安心が欲しいからでしょうか。それとも、強くなってやりたいことがあるからですか?」 オゾの言葉にキサは目をぱちぱちさせたあと、首を傾げた。 その幼い姿にオゾは苦笑いした。それはユエも同じだ。 「僕は、弱い人間です。ある意味では、キサちゃんの方がずっと強いと思います」 「キサが?」 オゾは優しく頷いた。こんなふうに傍にいるといろんな意味で緊張して、どきまぎしてしまうが、自分の気持ちをしっかりと伝えるためにも真っ直ぐにキサを見つめる。 お花見のとき知り合った――いや、その前に生まれたばかりのキサをオゾは抱っこしたことがあった。 あのときは、自分の過去と対立するためにも依頼を受けた。けれど抱きしめたぬくもりと重みはオゾの心をすくいあげた。 自分は確かにキサを守りながら、救われたのだ。 「ええ。身体こそ丈夫ですが、心というものはとても脆いんです。戦いの心得もありませんし」 生まれた世界は平和、といえば平和だった。だから覚醒して囚われ、利用されたことは大変なショックだった。 人が無意識に行う残酷な行為、それが成立する世界――旅人となってみた世界は美しくも残酷なことがとても多くてオゾを驚かせた。 特にキサの生まれたインヤンガイは人を人とも思わない常識がまがりとおり、悪意、敵意、憎悪が当たり前のように存在している。 「びくともしない強さではなく、たわんでもしなっても折れることはなく、やがて柔らかく戻る強さだと思うんです。こんな話は、少し難しいでしょうか?」 オゾは微笑んだ。 「僕には絵奈さんやユエさんのように本当の強さを語ることはできないんです。けど、だからこそ、ここにいるみなさんの話を聞かせてもらいたいと、キサちゃんと同じで思うんです」 絵奈の心意気、ユエの望み、それがオゾには眩しい。 キサはじっとオゾを見つめて口を開いた。 「オゾさんはつよいよ」 「僕なんて」 「なんて、じゃないよ。だって、キサは覚えてるもん。キサのこと守ってくれたでしょ? 腕を離さないでいてくれたでしょ」 オゾは瞠目する。まさか、あのときのことをキサは覚えていてくれたのか。 思えば花見のときにキサは嬉しそうにオゾに近づいて、手をとってにこにこと笑っていたが。 仰天して何も言えないオゾにキサはさらに続けた。 「オゾさんのお話、むつかしいよ。けど、なんとなく嬉しいなぁておもうの」 「……そう、ですか……ありがとうございます」 今度はオゾが自分から手を伸ばしてキサの手を優しく包み込んで撫でる。 「キサさんの手は誰かと戦うものじゃないですね」 オゾとキサのやりとりを見て絵奈は目を細めた。 「私、自分が戦士だから戦う力だってばかり思いました。けどオゾさんのお話を聞いて、強さは、そうですね。心っていうのもあるんだってわかりました。うん、キサさんの場合、戦闘能力はなくても……自分の好きなことや特技を磨いてそれを武器にしている人達もいっぱいいますし。そういう「戦い方」もアリだと思います」 「僕はそんな、ただ……向き合う強さもあると思っただけです」 「向き合う強さ」 絵奈は拳を握りしめて見下ろした。忘れてしまった記憶、思い出すことが怖いと無意識にも逃げているのかもしれない。ターミナルで自分の過去を知る人と会って嬉しいけれど頭の隅でひっかかりを感じて、肝心なところは進みだせないでいる。 「私、まだまだです」 「それがわかっただけでもいいんじゃないのか。焦る必要はないだろう」 ユエがやんわりと声をかけるのに絵奈は口元に笑みを作って小さく頷いて、ちらりと穏やかに微笑んでお茶を飲むツァイレンを盗み見る。 以前、自分がここに訪れたとき、ツァイレンに似たようなことを言われた。 君の中にある強い思いを大事にしなさい その言葉は絵奈のなかにちゃんととどまり、戦いの支えとなっていた。おかげで自分を卑下することはなく、ちょっとずつでも自信を持てるように進歩出来た。 ツァイレンが目を細めて微笑んでくれたのにぺこんと絵奈は感謝をこめて頭をさげた。 「うーん、けど、やっぱり強さっていうと、腕っぷしや力を考えるわ。わいも、絵奈みたいに強くなりたいと思ってる。最近、自分の弱さに気が付いてな」 ユエ、絵奈、オゾの話を静かに聞いていたアマムシは飲み終えた茶碗をテーブルに置いて呟いた。 「弱さですか?」 絵奈が尋ねる。 「そうや。わい、呪いを食えるっていう、相手呪術師にとっては致命的な能力持ちなんやけどな」 「すごいじゃないですか」 絵奈が感心した目を向けるが、アマムシの顔はどこか浮かない。オゾは怪訝な顔で見つめ、ユエがゆっくりと口を開いた。 「特化型……だと、それ以外がおざなりになってしまっているんだな? 俺も、わりと特殊能力に特化しているからな。それに頼りすぎないように注意しているが」 「うん、ユエの言うとおりや。逆に考えたら、それだけなんよ。攻撃には向かんし、防御に関しても呪術と毒に対してだけや。今まではそれを考えることがなかったんや。故郷は術が主やったからな、けど、覚醒してからはいろいろと違うやろ?」 自分の弱さを意識していなかったから故郷では術者とお嬢が、インヤンガイで知り合った探偵も……本当は一歩踏み出したかったが、敵の力はアマムシの専門外でとても真っ向から勝てる相手ではなかった。 かわりに兄が戦ってくれた。 けれどその兄も万能ではない。ロストレイルが襲撃されて兄が浚われた報せを受けたときは生きた心地がしなかった。 幸いなことに兄を失うことはなかったが、つくづく自分は弱いのだと理解した。 戦いたいと思っても、できない自分にかわって兄はずっと戦ってきた。その背をアマムシは見続けた。否、後ろから見ているしかできなかった。 「アマムシさん?」 絵奈が声をかける。 「わい、置いていかれるんはもういやなんや。後ろを守るっていうのはな、わりと寂しいし、不安が多いもんやで」 戦いだけではない、ターミナルで兄が変わったのを見て置いていってほしくないと我儘にも思う。ずっと二人で一つとして扱われていたのに。 兄の変化に関わっているキサをアマムシは優しい目で見つめる。 けど左胸がちりちりと痛い。 「わい、キサに会いたかったのはほんまや。兄ぃだけずるいわ。キサに会ったこと兄ぃから自慢されてたんやで」 茶化すアマムシにキサは思案顔で言い返した。 「キサが我儘いったからムシアメちゃん気にしたのかも」 「へ」 「キサね、ムシアメちゃんが大切にしてるものにむきゅーとなったの。けどね、今はムシアメちゃんの大切なものいっぱい知りたいよ。弟分だっていうアマムシさんに会えて、嬉しいよ。いっぱいおしゃべり出来て、真っ白いのきれいね。虫さんになれるの?」 「わいの本体は蚕やで」 キサの期待する視線にアマムシは笑って蚕の姿になった。 「わぁ、すごい! かわいい! 真っ白い!」 白くて、小さなアマムシを両手で抱き上げてキサは無邪気に笑った。アマムシはキサの手のなかでもまれてにょきにょきと小さな手を動かして身をくねらせる。 「わわ。キサ、苦しいで。んー、この姿で話すんもなんやけど、わいな、強さって弱さと向き合うっていうのやと思う。武力的やろうとなんやろうと、まずは自分の弱さと向き合わんとなにも進まんと思うんや。それを知って生かすことによって強うなるって。弱さを知ってる分、どうすればええかも考えられるからな。たとえ相手が弱点ついてきても、対応できると思うねんで」 「弱点の対応?」 「そうや。例で言うと、わいの場合は「虫ゆえに炎が苦手」っていう弱点があるんやけど。それに対抗できるよう、兄ぃから水の呪術絹糸織り込んだ布を常にもっとるんね」 「……この姿のとき、どこに持ってるの、アマムシさん!」 もみもみもみ。 「キサ、キサ、ぎぶ、ぎぶやで! そんな、もんだらあかん! 中身がでてまう!」 「キサさん、アマムシさんが潰れちゃいますよ」 「キサちゃん、落ち着いてください」 「いい玩具扱いだな」 探究心旺盛なキサの手からなんとか逃れて人化したアマムシはふぅーと二杯目のお茶をすする。 「あと少しで中身がでるかと思たで」 「ごめんなさい」 「怒ってないで」 キサが謝るのにアマムシは苦笑いして、新しいお茶とともに出された葉っぱをもしゃもしゃと食べる。 「それぞれ求める強さは違うが、聞けて参考になった。俺は前を見続けてきた。だから支えてくれる者のことを、そうだな、理解しきれていないところはあったかもしれん」 ユエは桜の形をした餡餅をそっと口にする。 自分は支えられている。だから応えたい。けれど同じくらい支えてくれるもののことを考えようと後ろを守るアマムシやオゾの話を聞けば思う。 従者はどんな気持ちで自分を支えているのか。今度、話をするのもいいかもしれない。 前に進む強さ。 誰かを思うから、信じるから、たとえどれだけの絶望もユエを屈しさせはしない。それがユエの強さ。 「私は、ずっと強さって力のことだと思ってました。けど、オゾさんの話を聞いて、強さが力だけじゃなくて、精神のことだっていのもわかりました。ありがとうございます! あ、けど、キサさんが身体を鍛えるならおつきあいします! 「健全なる精神は健全なる身体に宿る」って言葉もありますしね!」 絵奈はほがらかに笑う。 不安なことも悲しいこともいっぱいあったけれど、それでも誰かに笑っていてほしいという気持ちはずっと変わらずに在りつづけている。 進ことに恐怖はあるけれども、前へと行きたい、強くなりたい、誰かのため――幼いといわれるような、純粋な気持ちを形とした理想を胸に抱いているから。 故郷で仲間たちが愛してくれたから、姉が守ってくれたから、今はターミナルで知り合った師匠がいるから 誰かの縁が作りあげる強さを絵奈は知っている。 「本当? じゃあ、そのときはお願い! 実はね、前に、メン・タピちゃんからもらった体操着あるからどうしようかなぁって思ってたの。えへへ」 「そうなんですか? いいですね」 「余分にもらったから、絵奈さんも着て一緒にやろう」 「いいですよ!」 絵奈は知らない。キサがもらった服とはつまりメン・タピの趣味丸出しの白い体操着にブルマであることを。 そして、律儀にも約束を守って身に着けたようとした心優しい絵奈であるが、主に胸がきつすぎて着れないという壁にぶつかり、キサにショックを与えるのは少しだけ未来の話。 「僕は……ここにきてよかったです。ずっと迷っていましたから」 キサに会えて、また迷いが少しだけ晴れた気がする。迷ったところで生きるためには進むしかない。進まなくてはなにもはじまらない。 依頼から何度か戦うこととはなったが心得があるわけではない素人な自分をどうすればいいのかと思うことはあった。 しかし、戦うための力というものに恐怖と嫌悪はあるし、人の醜さは怖いと思う。覚醒したときにひどいめにあったことが今でもトラウマになっている。けれどここにきてキサは無垢に信じ、受け入れてくれた。 他の仲間たちの強さを見ると恥ずかしいとすら思える。 自分はやはり弱い。 けれどその弱さをここにきて改めて自覚出来ただけでも一歩前進出来た。 ゆるやかな川の流れのように、小さいけれど、確かにしみこんでいく強さ。それがオゾだ。 「わいは、みんなの話聞いとったら、ちょいといろいろと試してみよかと思うわ。わい、糸吐けるからな、それも武器にならんかなぁって」 「糸か……毒ももっているんだろう? 俺の従者が糸に血を流して武器にしているぞ。そういうのはどうだ? 術を食べるとしたら、その力も使いようだろう? 俺は特化型だからな、これくらいはアドバイスできる」 「そうか、そういうのもありやな。ありがとう! わい、糸で団扇作ったりぐらいやったからなぁ」 「アマムシさん、戦うの?」 キサが不思議そうに見つめる。 「そうやで、へんか?」 「アマムシさんは、真っ白で、ほわほわなの。ムシアメちゃんは黒くてつんつんしてるかんじなの。二人とも違うよ」 「……そやな」 「だからアマムシさんは、アマムシさんの強さがあるって思う。それにムシアメちゃんはすごく助けてくれてるよ、キサ、わかるもん」 キサはちょっとだけ考えてつけくわえた。 「あのね、ムシアメちゃんがアマムシさんのこといつも話してたから」 「兄ぃが? ホンマもんのわいはどうや?」 「お話で聞いてるより、うんと素敵! キサね、ムシアメちゃんのことも、アマムシさんのことも知れてよかった!」 キサが笑ったのにつられてアマムシも笑う。 守られて、自分の限界を知って、大切なものを守りたいから強さがほしい。 いつも背を見ている兄の、その背中を守りたいと思う。前を進む人がいればそれを待ち、帰れる場所を守る強さがほしい。 でなければ自分はとても中途半端で、進むことも、成すことも、出来なくていっぱい後悔してしまうとわかるから。 自分は欲深い。もっと強さがほしいと思う。ムシアメは願う、諦めない。大切な人のためにも変わっていきたい。それがアマムシの強さ。 ユエの目標、絵奈の望み、オゾの言葉、アマムシの弱さ……四人はそれぞれ違うが、共通して強さを望んで自分と向き合っている真実にキサはしばし考えるように黙っていたが 「キサは、たぶん、向き合うのが怖いんだと思うの。オゾさんが言うみたいに安心したいの。えーとね、強かったら、なにされても怖くないって思ったから」 キサが覚醒した経緯――欠片を使ってインヤンガイを脅かした。人から、世界から、力を奪い取って好き勝手してしまった。あのときは何も知らず、自分のしてしまったことの罪深さすら自覚しなかった。 ターミナルにきてさまざまな人と関わり合い、知ってしまったから自分のした行動がどんどん怖く、恐ろしくなった。 「キサさん」 絵奈が心配そうに見つめる。 「けど、そういう、こわいのとかへっちゃらになっちゃう強さって簡単に手にはいらないんだね」 しゅんと俯くキサをユエが頭を撫でた。 「それがわかっただけでも進展しただろう? 人生に無駄なんてものはないと俺は思っている。そうやって悩むのもまた一つだ」 「そう、かな」 「俺は、ここで他の奴らの話を聞けてよかったと思ってるぞ」 キサは伺うように他の三人を見た。オゾも、絵奈も、アマムシも笑って頷いてくれる。 「キサちゃん、貴女は怖いものへ立ち向かう方法を、一つ一つ身につけていくためにも、怖いと思う自分の心への向き合い方をこうして一生懸命に覚えて『強く』なろうとしている。そうやってちゃんと考えて動けているのはとっても偉いことですよ」 オゾの心からの褒め言葉にキサははにかんだ。 「……ありがとう」 お茶と御菓子をいただいてそろそろ、黒猫司書が待っている部屋に戻ることになった。キサが四人に連れられて帰るのを門前までツァイレンは見送ってくれた。 「ありがとうございます」 「私はなにもしていないよ」 「けど、ツァイレンさんのおかげでいろいろとわかったし、みんなのお話聞けてよかった……キサ、まだ怖いけど、ちょっと強さ、わかったと思う」 「それはよかった」 ツァイレンの言葉にキサは少しだけ迷うように俯いて囁いた。 「キサは向き合うことが怖かった。まだ怖いけど、ちゃんと向き合えると思う、たぶん」 「少しずつ、がんばればいいと思うよ」 「うん」 けど、と小さな声でキサは付け加える。 「私は、得て失うことが……こわい」 ツァイレンが怪訝な顔をするのにキサは顔をあげるといつものように笑って、手をふると四人とともに司書室へと向かった。
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