ターミナルも変化からだいぶ落ち着きはじめてきたが、いまだに樹海には逃亡して身を隠したターミナルに反発した旅団たちとワームがいるので危険を孕んでいたのに定期的に周囲のことを探索する隊が組まれていた。 三人で一隊として樹海探索していたロストナンバーはいつもの巡回の道を進み、甘い香りを嗅いで怪訝な顔をした。 三人が奥へと誘われるようにしてそちらへと進み、息を飲んだ。 赤。紅。茜――周囲の木という木は桜で、狂い咲いていた。 したたり落ちるような血のような桜の花びらが嵐となって散るなか、それ以上に目にひくのは地面から生えた刀だった。 それも一本、二本ではない……十、二十……地面はすべて赤黒く、まるで鉄錆の香りがした。「これは」 三人のうち一人がふらふらと歩き出した。「おい、やめろ! 危険だ」 止める間もなかく一人が刀を手にすると引き抜くと振り上げ、なんの迷いもなく仲間の一人を斬った。「あ、ああああ!」 桜の花びらのなか、飛び散る血を見て錯乱の叫びをあげた彼は気が付いた。 ――強さがほしいか? 振り返ると、刀が黒く刃が怪しく輝き、自分が抜くことを求めていた 強さ――力? ああ、そうだ。ほしい。この恐怖から逃げられるなら ――なら証明しろ 気が付いたとき彼は刀を抜いて襲いかかる仲間を斬ろうとしていた。 二人はもつれ合うようにして刀で斬りあいをはじめた。まるで自分の刀のほうがより強いことを証明しようというように。 そして、片方の刀がぱきっと音をたてて砕けてもう一人を叩き斬った。「ふ、ふははははははは! 強い、強いぞ!」 「ほんまにか?」 狂い笑っていた彼が振り返ると茶の着物姿の男が気配もなく現れ、にっと微笑んだ。「さぁ、かかってこい。お前が強いのか、それを扱えるのにふさわしいのか、俺に証明してくれ。俺を殺して」「ぐあああああああああ!」 彼は獣のように叫び、男に襲いかかった。男は微動だにせず、じっと刃を見ていたと思えば片腕をあげて刀を振り払い、もう片方の拳が刃をたたき折った。「弱い」 砕けた刃の先がくるくると宙を舞い、使い手の首を突いた。まるで刀そのものが壊された恨みを使い手を道連れにすることで晴らすかのように。 赤い血が吹きだし、地面を濡らす。「また失敗か、また失敗、また……誰がおる、どこにおる? 一体誰が使える、俺の刀を……使い手はどこにおる? 探さな、はやぉ、探さなアカン、それまで刀を作らなアカン、刀を……刀を、使ってくれる人がおらんとアカン」 男はふらふらと桜の舞うなか、消えていった。★ ★ ★「樹海に隠れている旅団の一人が発見された。やつの討伐依頼だ」 黒猫にゃんこ――現在は三十代のダンディな黒の姿だ。彼はひどく疲れた顔をして告げた。 ターゲットの名前は矢部。 一度、ナラゴニアから亡命してホワイトタワーに隔離していたが、崩壊後にその行方がわからなくなっていた彼はつい最近、樹海で行動を起こした。たまたま発見したのは樹海を定期的に巡回しているチームの一つだったそうだが「彼と遭遇した者が三名、殺された」 黒は苦く、苦しい顔をして説明を続けた。 矢部のいると思われる場所は桜が狂い咲き、地面からは無数の刀が生えている奇怪な場所だ。 問題は刀を見ているとどうしても刀を抜きたくなり、抜いたら最後突き動かされるようにして他者を殺したくなるのだという。 そして矢部は刀の使用者に挑み、殺していくという。「矢部、フルネームは矢部刃。こいつはホワイトタワーにいたときいくらか事情を聞いたが、もともと出身世界では刀師をしていたそうだ。しかし、こいつの作る刀はどれもこれも妖刀となって、他者を狂わせる」 矢部は優れた刀師だが、出身世界では使い手が一人として見つからなかった。矢部が刀を作りつづけたせいで世界は滅び、覚醒してナラゴニアに身を寄せたあともそれは変わらず、矢部の刀は仲間たちを狂わせて恐れられていた。 矢部自身は自分の作り出した刀の使い手を探し続けているという。「ナラゴニアで一人だけ、矢部の刀を使える者がいたそうだが、先日の戦争のとき、死亡して、それを聞かされてから身を隠していたが」 矢部は長い間の潜伏中に刀を作り、再び狂気をばら撒きだした。「危険な依頼だからな、俺からやれるのはこれくらいだ。護りの加護だ。これで、もし斬られたとしても死にはしない、最悪気絶程度で済む。三人とも全身やられたとしても矢部は死者にあまり執着していないようだからな気絶していたら放置して逃げられるだろう」
樹海のなかは瑞々しい木々が縦横無尽に枝を伸ばして空と光を遮ってしまうためうす暗く、水分を含んだ空気はよく研がれた刀のように冷やかに肌を撫でる。湿った地面を踏みしめて歩いていると自然と額から汗が滲む。 既に目的地はわかっているので迷うことはないモービル・オケアノス、榊、マスカダイン・F・ 羽空は一列になって進んでいく。 「しっかし、樹ばかりだなぁ」 榊は煙草を吹かしながら笑う。 飄々と人を食ったような雰囲気が漂う彼はここに来る前に司書の黒と軽く言葉の剣を交えて遊んできたところだ。 「黒猫、はげねーのかい」 「はげてたまるか! いやちょっとはげて、言わせるな!」 そんなやりとりを思い出して、榊はくっくっと低く笑い、紫煙を吐き出す。モービルとマスカダインは真剣な顔で沈黙を守るのを榊は面白がるように見つめた。 「そんなに気張ることもないだろう。札もある」 「のんきなのねー。まぁ、ぴりぴりするのはマスダさんのキャラじゃないんだけどね」 マスカダインは頬から力を抜いてゆるゆると応じる。若干まだ顔はこわばっているが、それでも榊の軽口に多少とはいえ緊張が収まったようだ。 「黒さん……護り、信じるよ」 マスカダインは胸のなかに入れておいた札を撫でた。モービルも視線で札をしまっている左腕を覆う鎧を見る。 「そういえば、あんたらはなんでこの依頼を受けたんだ? 結構危ないだろう? 俺はよ、随分昔に死んだ俺の親父も腕はいーけど妖刀ばっか作る刀鍛冶だったの思い出して、刀師を見てみたくなったっつー感じ」 「……戦士として、こんな事件をほっておけないから、だ」 モービルは遠慮がちに言うとマスカダインは胸を張る。 「ボク、矢部っちを生かすよ! そのために依頼うけたよ! だって、そんなに切実に求めてるならきっとまた一緒に歩ける人が巡り会えると思うんだ!」 「巡り会えるねぇ、それにしちゃ、いや、あんたの意見に反論はないが……生かせる打算はあるのか?」 榊が問うとマスカダインは大きく頷いた。 「力を示して武器を振うのが彼の思いを伝える手段なら、逃げちゃダメなのね! 考えたんだけど、言葉が力なら、力も言葉なのね。だからそれを受け止めるべきだって思うのよ」 モービルは目を細めた。 「言葉が?」 「そう、マスダさんはそう思うのよ!」 びしっとモービルを指差してマスカダインは言い切る。 「てか、今回の依頼、ボク以外、もしかしなくても戦闘のプロなのね! ひゃー!」 モービルは見た目からして戦闘を生業にしていると察しがつく、榊はよれたスーツに煙草と一見普通の男だが全身から溢れる余裕が油断ならないと見る者に感じさせる独特の雰囲気が漂っている。 「ぼ、私は、まだ見習いだ」 「俺も、しがない探偵だからなぁ」 二人の言葉にマスカダインはきりっとした顔で眼鏡を光らせる。 「そっかぁ。なにかあっても互いに恨みっこなしなのね!」 「そのために札をもらっておいたしな。あ~もしもバッサリ斬っちまったら勘弁な?」 「そうだ、な」 榊の笑みにモービルは一瞬渋い顔で頷いた。 「うー、怖いんだよ。けど、ボクの世界にも刀はあるんだよね。がんばるよ!」 マスカダインが明るく告げる言葉にモービルはぎゅっと拳を握りしめた。 匂いはなかった。しかし、そこにたどり着いたとき、今まで冷たいと思っていた空気が生ぬるくなったのを肌で感じた。 違和感に誘われてついふらふらと前に進み緑深い木々を抜けると、咲き狂った桜の木々が出迎えた。 純な白、あでやかな紅色、血に似た淡い赤……いくつもの花びらが風になびいて揺れ踊る。 そのなかで地面からいくつも生えた刀が並ぶ異様な光景は三人を驚愕させるには十分だった。 「これが」 マスカダインが呟くなか、ふらっと動き出したのはモービルだった。 一歩、また一歩と誘われるように刀たちのなかへと進んでいく。 「モービルっち!」 マスカダインは迷った末、モービルのあとを追いかけた。 「おい、待ちな! ふぅん、こりゃ墓場だな。距離とって刀を破壊できればって思ったが、無理そうだな」 三人を嘲笑うように花びらが風に舞う。 こちらへ、こちらへ……声をモービルは聞いた。 いくつもある刀のなかで一本だけ、黒と白のまだらの刀の前にモービルは進み出た。 つよさが、ほしい、か? 証明したい、か? 声がするのにモービルは拳を握りしめた。ずっと頭のなかで考えていた反論を腹の底に力をいれて口にする。 「我ら武人が求める強さとは、己が仕える主君の敵を打ち倒す力だと決まっている!」 すると花びらはより一層、強く舞って、モービルの視界を気が狂うような白で奪った。 ならば、なぜここにきた、可愛いモービル、私の弟 表向きの言葉はここではなんの意味もないことをモービルは思い知らされることとなった。 白く歪む視界のなか黒い影が見えた、気がしてモービルは大きく震えた。 「……お兄ちゃん!」 モービルが伸ばした手が、何かを掴むとそれは黒い柄だった。 脳裏に走る。黒い影、火、月色の刃……戦え、戦え、戦え、戦え、戦え、戦え戦え戦え戦戦戦――弱い者など生きている価値もないわ! 弱虫、弱いやつめ、こいつは戦いに向かぬ、本当に私たちの種の子か? モービル、お前はどうしてそうなのだ。 戦いを主とする一族たちは誰もが強くあれと口にしてモービルにも強制したが、生まれつき気が弱く、臆病な自分が仲間たちの期待に応えられたためしがなかった。そのたびに仲間たちは白い目で見下して、口汚く罵り、疎んじた。 モービルは必死に歯を食いしばる。 どんなに怖くて、辛くても泣かないように、必死に剣を握りしめていた。けれど たすけて、たすけてたすけてくれたすけてぇええええええええ。悲鳴が耳の奥から広がっていく。瞼に映る血。真っ赤。大地を濡らして、目の前に倒れるのは慕っていた兄。全身が火で焼かれて生前の面影はなくなり、手足がもがれ、ひどい有様だが仲間たちはよくやったと、戦士らしい死だと――笑っていた! モービルは一族が、戦いが恐ろしかった。 怖い、怖い、怖い。怖い、よ。お兄ちゃん ぼくもこうなるの? モービルは咆哮する。 刀を両手で握りしめ、背後の気配を敏感に察知すると殺気を全身に纏わせて、振り返る。 「そうだ、殺せ、殺してしまえ」 モービルは囁く。 自分に恐怖を与えるものへの憎悪からモービルは刃のような目で敵を探す。 モービルの気配が変わったのにマスカダインは足を止めた。無意識に手が何かを探ると、それに行きついた。 「!」 刀が手の中に納まっていた。 「……戦うしかないのなら、やらなくちゃいけないのね!」 無意識にマスカダインも刀を抜き、構えていた。幸いにも刀の構え方は知っていた。もう片方にギアを握りしめる。 モービルと距離感をとりつつ、じりじりと横に動いて桜の木の下にモービルを誘い出そうと試みた。 力比べをするとしたら自分は不利だと判断できる程度には冷静でいられたが、刀のささやきはマスカダインの心にちりちりと焼け付き、不安にさせる。 シロガネさん、シロガネさん、シロガネさん……必死に自分が想う大切な人の名を繰り返す。そうすることで刀のささやきを自分なりに受け止めていた。 どうして強さがほしいのか、大切な人を守りたいから、その人を守る強さがなんなのかまだはっきりと形に出来ないが、誰かを傷つけるものでないのだけは確かだ。 その思いをあえて殺意に変えて刀の言葉を殺す作戦だ。 「けど、長くもちそうにないのね」 アタシを守るっていうのに、戦ってくれないんだねぇ 桜吹雪のなかで聞こえた声にマスカダインは震え上がった。白い手が伸びて頬に触れらる、視界に女性の姿があった。 間近で覗き込んできた彼女はあでやかに笑う。 強さを見せておくれよ 幻影だと思っていてもマスカダインの心の、一番弱いところが焦げつく。 「……っ! そんなこと、そんなこと、あの人は言わないんだよ!」 マスカダインの悲鳴が、モービルを動かした。 刀の言うままにモービルは前に出る。 「!」 明白な殺意をこめて、喉を狙われた。でなければマスカダインは避けることは出来なかっただろう。 武術に長けているならば人体の弱点を狙った一撃必殺を放たれることを予期した上での回避、マスカダインは片腕をぎりぎりであげて、モービルの刀を防ぐ。 カん! 鉄がぶつかり合い、火花を散らす。 片手で受け流せるような軽い一撃ではなかった。受けとめてもその力を流すなどという技を持たないマスカダインは反動に地面に転がされた。 「っ、が」 地面に叩き付けられて、全身が痛む。はと丸が目の前でぐったと倒れるのにマスカダインは目を眇めた。二撃目はすぐにくる、急いで立たなくてはいけないと心は叫ぶが体が震えて言うことをきかない。 気が付くとモービルが目の前に立っていた。 モービルの目はマスカダインを見てはいなかった。ただ目の前の敵を見下ろしていた。 高く持ち上げられた刀が迷いも、躊躇いもなく落ちてくる。 殺せ! モービルは刀のささやきに堕ちた。 マスカダインは両手に刀を盾のように前に出す。かンっ! 再び鉄がぶつかりあう。と、ぴしりと音をたててマスカダインの持つ透明な刀にひびがはいった。 「っ!」 音をたてて刀が砕け、マスカダインの胸に刀が叩き落とされる。 モービルはじっとそれを見つめると、刀を持ち上げた。 「お札様々だな」 榊は二人の戦いを見てぽつりとつぶやくと、口にくわえていた煙草を握りつぶした。 モービルのビィ玉のような透明な瞳はもう何も映してはいない、完全に刀に心を奪われている。 長距離から刀を攻撃して運が良ければ壊せるかと思ったが、そんな小手先の細工でなんとかしようという考えはあっさりと捨て、大股で刀のなかを歩いていく。 ささやきはまるで歌うように、甘えるように耳を愛撫するのに榊は不愉快げに足を止め、周囲の刀たちを一瞥した。その顔は先ほどまで仲間たちと談笑していたものとは違う、触れれば薄皮が切れてしまいそうな氷のように冷やかな鋭さが存在した。 「何に声かけているか分かっているのか? 抜刀しても強さを手に入れる事にも示す事にも繋がらぬ。第一的は居ない只の生物斬っても無意味。汝らの強さを示す手伝いをする義理は無い」 刀たちのささやきを心底、軽蔑し、侮蔑した声で凛と吐き捨てる。 威圧された刀たちは深と静まった。 生ぬるい風を顔に受けながら榊はモービルと向き合った。 榊は進み出ながらその手にギアを握りしめる。モービルは刀をぎゅっと握ると前に進む。 二人は向き合ったまま視線を逸らさず、前へ、前へと距離を縮めていく。足取りはだんだんと早くなっていく。一メートルほどの距離になると放たれた矢のようにどちらかともなく地面を強く蹴って飛びだす。 「はぁああああ!」 切迫の気合いの声をあげてモービルは鷹の型――刀を頭上高くに構えて榊を狙う。身長では圧倒的に勝っているモービルは素早くたたき下ろす。 しかし。 榊はさらに一歩前に踏み込んだ。 モービルのがら空きの腹に飛び込み、腰に構えたギアを抜く。 居合切りはスピード、さらには抜いたことによるリーチによって打撃力が増す技だ。 「あ」 モービルの声は虚しく響く。 鍛え上げた横腹、胸、足に目にもとまらぬ速さで強烈な痛みが襲う。肺が圧迫されたモービルは白目を剥いて倒れた。 その手のなかにあった刀も地面に落ちると鈴の鳴るような音をたてて砕け散った。 榊は憐れむような一瞥を向けて前を視線を向けた。 「来たな」 桜の花びらを退けて、矢部が進み出ると微笑んだ。 「お前の強さか、それが」 「……あんたの首持って来いだってよ。刀ばら撒くと人死がでまくって迷惑だからじゃね?」 榊はギアをわざとだらりとさげて億劫げに吐き捨てる。矢部は肩を竦めた。 「だろうなぁ」 「わかっててやったのか」 「わからずやるものか」 穏やかに矢部は言い返す。 「……まぁ、そうだな。それなら故郷が滅ぶ前にとっくに廃業してるわな」 「郷が深いのさぁ、仕方ない。ずっと探しとった。自分の刀を使える人間を、どこにもおらんかった。覚醒して、幸せだったよ。ようやく使える人が見つかってなぁ。けど、そのお人も死んじまった」 矢部は笑う。 穏やかであればあるほどにその内側の狂気が滲み出ていた。榊は怯まない、口を一文字に結んだままじっと見つめ返す。 「いっそ自分で使おうと思わなかったのか? 妖刀っつっても制作者本人が使用不可なんて事ねーだろし、時間はあんだから鍛錬は幾らでもできんだろ?」 榊の言葉に矢部は小馬鹿にしたように体を小刻みに揺すると花びらのようにひらひらと前に出る。来ると思ったときには間合いに入ってきたのに榊は後ろに下がる。矢部の掌打がギアを狙う。この男の能力は報告書を見ると武器破壊とあった。もし下手に武器で守りに入れば破壊されると恐れがあるのにさらに逃げるため足首を軸に体をずらし、間合いから離そうとした。矢部は屈みこみ、片足を鎌のように伸ばして榊の足を絡め、バランスを崩させる。 後ろに榊が倒れるのに矢部は地面に手をついて下から顎を狙って蹴りを放った。榊はとっさに頭を後ろへと捻ってぎりぎりで回避すると体を回転させて、地面に降り立った。 榊は駆ける。 狙うは死角のみ。それ以外ならば矢部はギアを破壊してしまう。そうなったら榊の勝つ手段は皆無に等しい。 桜の花びらがさらさらと舞うなか、狂ったように二人は踊る。 樹と刀のなか。駆けて接近を試みる榊に矢部は動きを止めて待つ。刀と桜の花びら。榊が背後から斬りこむのを矢部は地面を蹴って後ろに下がる。桜の花びらが高らかに笑う。榊は矢部が逃げるのをさらに追う。矢部がまだバランスを失っている瞬間が狙いだ。 榊の口から放たれる切迫の気合いの声は花びらに吸い込まれ、世界に静寂が広がる。 矢部が片腕を出して榊の一撃を受けると、みしっと骨の砕ける音がした。 矢部は笑った。 榊も口角が吊り上る。 次の瞬間、矢部はわざと片足を地面についてバランスを崩し榊の手首をもう片足の自由な足で乱暴に蹴ってギアを空中に弾き飛ばした。 榊は目を眇めて飛びずさりだらりと無防備に両手をさげると矢部もゆっくりと立ち上がり動きをとめ、二人は向かい合う。 「あんた、同じなのか」 「気が付いたかい」 「なんとなくなぁ」 同情めいた声で榊は呟くのに矢部は笑った。 「そういや、黒猫が言ったな。あんたの名前、矢部刃……そのままってことか。あんたが探していたのは、あんたの刀を使える奴じゃねぇ。あんた自身を使えるやつだったわけか。その使い手が死んじまって、俺らを恨んでるのか?」 「……使い手が消えちまったのに、刀だけあるっていうのは可笑しな話だろう」 矢部の言葉に榊は同意しかねるように目を細めた。 「あんた、壊しがいがありそうや」 矢部が構えて動こうとした瞬間、ひゃんと空気を斬って何かが落ちてきた。榊のギアは空中に放たれて回転していたが標的である矢部を見つけると真っ直ぐに落ちてきた。 矢部が咄嗟に後ろに避けようとするのを合図に榊は駆けだした。 矢部の肉体を突くすれすれのところにギアが落ち、地面に突き刺さる。 土が飛び、矢部の視界が奪われた一瞬。 榊の得意とする刃物化で花びらを小さな刃にして矢部を襲い、動きを完全に封じ込んだ隙をついてギアを力強く握り、下から上に向けて抜いた。 鈍い手ごたえがあった。 「俺の強さは、何よりも巧みに的を斬ることだ」 強く、叩き込まれた一撃に矢部は呻き、体を曲げながら腕を伸ばした。榊の首を血まみれの手で捕える。矢部は笑う。榊も、演じて見せる人の表情で微笑む。 そして躊躇いもなく一気に矢部の体からギアを抜き取った。 朱が桜の花びらのように散る。 矢部は力なく地面に出来た己の血の沼に倒れこむが手を伸ばす。 「……っ、……さいごに、つかわれ……」 最期の瞬間すら使い手を求めて、彷徨わせた矢部の手はゆっくりと動きを止める。 血だまりのなかに倒れた矢部を一瞥して榊は背を向けた。耳にかすかに刃の折れる音が聞こえたが無視して懐から煙草を取り出すと一本くわえた。 ふと、その視界にひらりと淡いピンクの花びらに混じって、黒い羽が見えた。榊は手を伸ばしたが、羽は風に乗って樹海の奥に消えてしまった。 「……誰か見てたのか?」 榊は狂い咲く桜を見つめる。 花びらはまるで人の命のように儚く散っていく。 「ターミナルもキナ臭い事件が多くなったなぁ」 一人愚痴って榊は倒れている仲間たちに歩み寄った。 自分には彼らを連れて事の顛末を報告するという後始末が残っている。
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