微かな緑光を放つ物体が、打ち捨てられた少女の死体を照らしていた。物体は横たわる少女の死体に触れ、ゆっくりとゆっくりとその胸の中に沈む……。物体が少女に埋没したとき、少女の胸は微かに上下を再開した。☆ ☆ ☆ ☆ 世界司書リベル・セヴァンは、ロストナンバー達が集まったことを確認するや、『導きの書』を閉じ感情の感じられない淡々とした口ぶりで話を始めた。「ヴォロスのある村で竜刻が暴走することが予言されました。皆様にはヴォロスに急行頂き、暴走の制止および竜刻を回収をお願い致します」 リベルはロストナンバー達に資料を配って回る、表紙の整然とした文体がリベルらしさを感じさせる。 資料の一ページ目には一人の女性が描かれていた。年の頃は15前後20を超えることはないだろう、可愛らしいというよりは美人といった感じだろうか気の強そうな女性の絵姿。「この人物が、竜刻の所持者です。彼女の名前はフラン、年齢は16歳、生まれてからほとんど村の外に出たことがない典型的な村娘です。両親はすでになく一人で暮らしです。また、数ヶ月前に重傷を負う事故にあった記録があります。そのためからか、村人達は何かと気にかけているようです」「竜刻は彼女の胸部に埋め込まれており、心臓と一体化しています」 ――僅かな間、ロストナンバー達がその言葉の意味を理解する要した時間か、部屋の空気が変わった。 激しい動揺をみせるもの、だからどうしたという表情のもの、目に真剣さを宿らせるもの…… リベルは、ロストナンバーの反応を意にも介さず、大仰な封がされた細長いケースから布製の札を取り出し淡々と説明を続ける。「暴走を止めるためには、こちらの札を竜刻に直接貼る必要があります。 この竜刻は、生命体と融合し身体能力の強化および再生能力を提供します。彼女には戦闘技術はありませんが、もし彼女が興奮すると竜刻が活性化します。このため十分に皆さんの脅威となりえます。 また、竜刻の暴走が始まれば彼女に供給されるエネルギー量は増し、より強い力を持つと目されます。ただ、竜刻の発する強いエネルギーに耐えきれず、彼女は死亡します」「竜刻の暴走まで時間はあまり残されていません、皆さんよろしくお願いします」☆ ☆ ☆ ☆「フランちゃん、怪我治ったばかりなんだから、今日はそれくらいにしとき」 隣のおばさんの声に思わず苦笑しそうになる、もう怪我が治ってから一ヶ月も経とうかというのに……気を使ってもらうのはとても嬉しいけれども、私だけ特別扱いされるのは村のみんなに申し訳ない。「ありがとうございます、ずっと寝込んでたから体を動かさないと不安になっちゃって、もう少しだけしたら今日は終りにしま~す」 これは言い訳半分に本音半分。怪我が治ってからというもの、すこぶる体調がいい。自分のことなのにちょっと気持ち悪くなるくらいに。 家路につきながら、怪我のことを思い返す。事故のことはよく憶えてないけど、すごい痛いって感じて、ふっと何もかも分からなくなって……次に気がついたらベットの上、お医者様がすごく驚いてたのをよく覚えている。奇跡だってみんな言ってた。全然実感がないけど……みんなががそういうなら奇跡なんだろう。もうしかしたら、天国のパパとママが助けてくれたのかな? うん! きっとそうだ、そう思うことにしよう。 「ただいま~」 答える人はなくとも、思わずついてでる声。 返事がないと少し寂しいなぁ、パパみたいな素敵な人と結婚して……「おかえりなさい」って言ってもらいた……ん? 結婚したら私が「おかえりなさい」いうのかな? 気恥しさからか心音が早くなる。 結婚して、子供を産んでパパよりもママよりも年上になって、精一杯生きたらパパとママにお礼を言いにいくんだ。「あの時、助けてくれてありがとう。フランはパパとママのところに生まれて幸せでした」って。――静かに寝息を立てるフラン、その胸からはうっすらと、緑色の光が漏れていた……。
村はずれの丘で三人のロストナンバー達は、野営をしていた。 三人のうちの一人、落ち着いた色合いの旅装をした眼鏡をかけた青年、高城 遊理は「現代臨床心理学の技法」と題された本を片手に思考を巡らせていた。 (リベルさんに聞いた話を統合すると、彼女の肉体・精神・竜刻はリンクしていると考えられる。ならば……心理とカウンセリングの手法……が役に立ちそうだな) 「何を読んでいるんですか? 高城さん」 高城とは対照的に艷やかな服装した長身の男、年の頃は三十路前後といったところだろうか、飄々とした掴みどころのない雰囲気を漂わせている、夢流の言葉が高城の思考を中断させる。 高城は読んでいた本に栞を挟み、夢流の方に向き直る。一種のポーズだろうか、眼鏡の位置を直す仕草をしながら返事をする。 「臨床心理……、心を解して、心の病を直す学問の文献です」 夢流は、得心がいったとばかりにポンっと手をうち、大仰に頷く。 「そうなんですか、それは奇遇ですね。僕は催眠療法士っていうのをやってましてね。臨床心理ですか? 今高城さんが言われてたことと同じような仕事をしていたんですよ」 高城は夢流のプロファイルを思い出す。 (そういえば精神治療をしていたと書いて有りましたね、彼の協力があれば私の考える手段もより成功率が上がりそうですね) 「いえ、私は門外漢ですよ。ただ、今回の件は少女の精神に呼びかけることが重要だと思ってます。そこでこの本を読み返していたということろなんです」 掴みどころのない笑みを浮かべながら夢流は相槌を打つ。 「そうですか、そうですか、じゃあ、僕に協力できることがあれば言ってください。微力ながらも力になりますよ」 期待してますよ、と言うと高城は、本の続きに目を落とし再び思考を巡らせる。 (彼女の心に働きかけ、彼女自身に竜刻の抽出を試みて貰おう。私の考えが正しければ、竜刻は私の呼び掛けに応えてくれるはずだ) 高城は、方寸を明かすことなく呟く (彼女を死なせたくはないね) 「噂なんだけどさ。ブルーインブルーでロストナンバーになった奴がいるかもって話。信じる? 俺は信じねー」 村はずれの丘にいた三人のロストナンバーのうちの最後の一人、学生服姿の少年虎部は、双眼鏡で竜刻を身に宿してしまった少女フランの様子を観察しながら口走る。口元はそんな都合のいい話があるかと言わんばかりの嗤いの表情。 続く言葉に込められた強い意志が完全に前言と嗤いを否定していた 「彼女、生きるのに必死だな。竜刻取って終わりか。そんな悲劇的な結末はぶっ壊してやりたいね」 虎部の兄、流がその場に入れば、その天邪鬼な態度に隆の本気を感じていたであろう。 「俄には信じがたいが、可能であるならば面白い話だね」 本から視線をあげることもなく、高城は虎部に相槌を打つ。虎部は返事に代えてにやりと笑う。本心、不可能であるとはかけらも思っていないのであろう。 (熱いね虎部君は。当てられてしまいそうだね。……彼女を助けるためには彼のような道理を無視する意志が好ましいのかもしれないな) 自分の持てない熱さに僅かに乱れる高城の方寸、だが一寸足りともその気配を外には見せない。 (まあ、虎部君のやり方は私には真似できないな、私の武器は知と理性だから。殊更、彼と同じ方法を試みる必要はないな) 巻き上がる気炎に水をさす、のんびりとした言葉が響く 「出発の前に一服どうです? これから忙しくなってのんびりお茶も飲めないかもしれませんし」 夢流は、虎部と高城に梅昆布茶の煎れられた湯のみを手渡す。 「ささ、ど~ぞ冷めないうちに。梅昆布茶は縁起物としての側面があってですね、めでたい時に飲むものなんですが、……まあ今回は任務の成功を祈って乾杯しましょう」 (お茶は乾杯しないだろう……) 高城と虎部の二人は、心のなかでツッコミをいれた。 梅昆布茶を幸せそうに啜りながら、夢流は一人驚愕の表情で呟く。 「む! そういえば、昨日からもふもふさんを見ませんね! ……まさか野生に目覚めたのでしょうか?」 村はずれの丘から三人が村の様子を伺っていた頃、ふさふさは、一匹フランの元に先行していた。 (竜刻を取り出すこととフランちゃんの命を助けることを同時に満たすことは難しそうですね。彼女を生かすためには竜刻に変わる新しい生命力の源が必要です。……ここはやはり心臓移植でしょうか、となると当面の目標は皮下細胞のゲットですね) (まぁ何をするにせよ、フランちゃんの信頼を勝ち取ることが重要です。他の方は皆さん男性ですし、フランちゃんを怯えさせてしまう可能性が高いです。ここはまずこの私が一肌脱いで、フランちゃんの精神的な支柱となるべく努力しましょう。幸い彼女は家族をなくして愛情に飢えているはずです。そこに愛らしい私が現れたらたちどころに信頼するに違いありません。私はこれを『やったねフランちゃん新しい家族ができたよ』作戦と名づけました。きっと上手くいきそうです) ふさふさの視界に申し訳程度の柵で覆われた家々が収まる。柵の周りには畑があり、村の中心では竈から炊煙が登っていた。 (ふ、どうやら村についたです。さてっと、あああれがフランちゃんですね、人間にしてはなかなかの美人さんです。まぁ私の先生ほどではありませんけどね) (どうやら水甕を二つ運んでいるようですね、ここは颯爽と手伝って好感度をアップです、人間の女性が持てる重さでしたらこの私なら問題なく持てるはずです) 短い足をちょこまかと動かし、さり気なく水甕の下に滑り込むふさふさ。トラベルギア『浮遊する手』を使用して水甕を支える。 水甕が突然軽くなったのを訝しんで、フランが足元を覗き込む。 「わぁふ」 ふさふさが水甕の下から顔を覗かせる。 「あら……、わんちゃん手伝ってくれるの?」 「わぁふ、わふ」 お任せくださいとばかりに胸を張り、つぶらな瞳でフランを見つめる。 「うんじゃあ、今持ってもらっている水甕よろしくね」 そう言うとフランは、ふさふさの支える水甕から手を離す。 (私のトラベルギア『浮遊する手』の力をもってすれば、女性が持てる重さはよゆ……、な、おも、重いィイイイ) ふさふさはふるふると震える足を必死で抑えながら水甕を運ぶ。 (こ、こんなはずでは……、ううぅ……クルシイ、でもここで踏ん張らないとだめです) ふさふさの試練の時は僅かな時間であったが、彼にとっては永劫にも感じられる時間であった。 共同水飲み場まで運び終え、水甕の中身が空になったとき、ふさふさは神にも感謝したい気持ちになっていた。 (……竜刻のせいですね、計算し忘れていました) 「わんちゃん、ありがとー。私まだ仕事があるから、またねぇ」 フランは、ぽんぽんとふさふさの頭をなでると、手を振りながら炊煙の立ち上る竈に向かって去って行ってしまう。 (むぅ、ここでフランちゃんと別れては『やったねフランちゃん新しい家族ができたよ』作戦が潰えてしまうではないですか!) ふさふさは、プルプル震えて、まっすぐ歩けない足にあらん限りの力を込め前に進む。 だが彼は気づいていたのであろうか、進んだ先にはさらなる地獄が待っているだけであることに……。 陽はだいぶ暮れ、村の家々の灯りもまばらになってきていた。 一日の仕事を手伝い切ったふさふさは、フランの家のベッドの上で肉体の疲労から来る微睡みに囚われていた。(竈のお守り、畑仕事、洗濯、炊事……全て手伝いました。後はベッドを暖めてあげれば計画は完遂です……Zzzzz) 「ごめんね、色々手伝ってもらっちゃって……大丈夫??」 ふさふさは、もはや寝息を立てるのみで返事をしない。かろうじて尻尾だけが、返事の代わりのようにパタパタと動いている。フランは目を細めてふさふさの毛を手櫛で梳く。 「ふふ、新しい家族ができたみたいね、お休みわんちゃん」 ふさふさが、地獄のごとき戦いを行った翌日、高城、虎部、夢流三人のロストナンバーは村長宅にいた。 村で行動する以上は、村長に事情を説明しておいた方が何かと揉め事も少なくなるであろうと判断したためと、あわよくばフランに関しての情報を聞けるのではないかと高城が提案したためである。 幸いにして、村長は偏狭な人物でなくロストナンバー達の言葉に耳を傾けてくれた。もっともこの件に関しては、話しているのは高城ばかりで、夢流は香炉らしきものを懐から取り出して机の上に置いたっきり、自分で煎れたと思わしき梅昆布茶を啜っているだけ、虎部は至っては小難しい話ノーサンキューとばかり船を漕ぎ出す始末であった。 僅かに苛立を感じなくもないがこれは私の役目なんだろうと自分に言い聞かせながら、村長への説明を続ける高城。 「……というわけで、フランさんには我々のような経験のある医師の診療が必要なのです」 (……医者の振りをすると言う夢流さんのアイデアだったが、思いのほか上手くいきそうだ。医者として信頼を得られれば彼女のことを聞くには都合がいいだろうし最先いい) 「診療に必要になると思いますので、フランさんについて色々お聞きしてもよろしいでしょうか?」 村長は涙を流さんばかり、皺くちゃの両手で高城の手を握り締め語る。 「なるほどぉ、なるほど……フランのためにわざわざ遠くから来てくださるとはのぉ……。ほんに、ありがたいことですじゃ。あの子は不憫な子でのぉ、幼い時分に両親をなくしてしまってのぉ、ほんに可哀想な子なんじゃよ。その上あの事故じゃ、わしは天を呪ったもんじゃ……」 (む…これは老人特有のあれか……?もしかして、地雷を踏んでしまったかな?) 高城は、後悔の表情を覗かせる。 この後長きにわたって、村長の昔語りは続いた。 「おお、思わず感傷的になってしまいました、爺の悪い癖ですな。すぐにフランの家に案内させますじゃ」 という言葉が聞けた頃には、流石の高城も安堵の表情を表に出すことを抑えることができなかった。 村長に案内されてやってきた家の前では、どこかでみたようなふさふさ犬と戯れる少女がいた。ロストナンバー達に気づいたフランは、スカートの裾の汚れを払って、居住まいを正し村長に声をかける。 「村長さん、こんにちは。どうしたんですか? そちらの方々はお客様ですか?」 村長は、目を細めて優しい笑みを浮かべる。それこそ、目に入れても痛くないと言わんばかりに 「フランや、この方々は遠くからお前を診るためにやってきたお医者様じゃ。ご挨拶をしなさい」 「お医者様? 怪我のことです? でももう全然痛くないし、大丈夫だと思いますけど……」 村長は、まぁまぁと促し、 「フランや、お医者様が診てくださると言うのじゃ、そういわずにな」 フランは今ひとつ腑に落ちない表情を見せるが 「村長がそう仰られるのでしたら……」 フランはロストナンバー達に向き直り、形式ばった挨拶をする。 「初めまして、お医者様。私フランと言います。わざわざご足労頂きありがとうございます。遠くからお越しでお疲れでしょうから、どうぞお入りください」 「お掛けになっていてください、水しかなくて申し訳ないですけど……」 フランが水の入ったカップをテーブルの上におき、三人に着席を促す。 フランが着席するや否や、高城は話の口火を切る。 「初めましてフランさん、私の名前は高城、そこの二人は夢流と虎部、あともう一人貴方の足元をぐるぐる廻っている犬、ふさふさと一緒に流れの医者をやっています」 「え、わんちゃんもですか?」 ふさふさは、勿論ですよとばかり胸をはる。 「フランさん、私たちは貴方を治療した医者から診療データを頂きました。そして、お話を伺わなくてはと思い馳せ参じたのです」 高城はコホンと咳払いし話を続ける。 「さて、フランさん。早速ですが貴方の現状についてお話させて頂いてもよろしいかな」 (できるだけ彼女を動揺させないように話さなくてはな) 「はい、よろしくお願いします」 フランは少し緊張した固い声で返事をする。 「貴方は、最近に大きな怪我を負ったと聞いています。そしてそれは、医者が驚くような時間で回復した。ここまで相違ありませんね」 フランはこくりと頷た。 「端的に言いましょう、驚かないでくださいね。貴方の心臓には竜刻が融合しています。その力によって、貴方の怪我は回復しました。どうです、体に力が漲っているということはありませんか?」 「あります、怪我が治ってからすごく調子がよくて……少し不思議に思っていました」 「竜刻は、今は貴方に良い影響だけを与えていますが、あまり長時間体に宿していると健康を害してしまう可能性があります。そこで私たちが竜刻を貴方から分離するために、馳せ参じたのです」 「そうなんですかぁ、ありがとうございます。わざわざ私のために来て頂いて」 フランは高城に向かってぺこりと頭を下げる 「分離の方法ですが、私と……」 「ちょっとまちな高城さん、そりゃおかしいんじゃねぇかな? あんたフランちゃんに言ってねえことがあるだろ」 ふさふさをわしわしと撫でながら、虎部が高城の言葉を遮る。 (何を言い出すんだこの男は!) 高城は苛立たし気に、虎部を睨みつける。 高城の視線をどこ吹く風、虎部はふさふさを開放し、フランに大仰な作り笑い浮かべながら慇懃な礼をする。 「おっと、挨拶がまだだったな。えー、俺は死神です。あなたの心臓(ハート)をいただきに来ました」 「……はい??」 虎部の奇っ怪な挨拶に、フランは素っ頓狂な声をあげる。 (やべぇ、滑ったかな) 虎部はごほんと咳払いをすると、ずいと身を乗り出しフランに言い放つ。 「フランちゃん、あんたほっとくと竜刻が暴走して死ぬんだ。それだけじゃない…竜刻のエネルギーが無くなったら君は……」 その先を言わせまいと、高城が虎部に掴みかかる。 「虎部!! 貴方は自分が何を言っているかわかっているのか!? 徒に彼女を不安がらせてどうする。何故その話を今する!」 売られた喧嘩は買うとばかりに、虎部は高城を腕を掴み叛服する。 「あんたこそ、何様のつもりなんだよ。フランちゃんに事実を話さないでどうするつもりなんだ。インフォームドコンセントって知らねぇのか!? 黙って竜刻をとって、ハイおしまいってつもりなんじゃねえだろうな!!」 見かねた夢流が二人を止めようと声をあげる……が バン!!!!!べキッィ!!!!!ガッッシャーン! 机が激しく打着され、上にのるコップごと砕けちる音が響く。 激しい音に二人の言葉が止まる、粉みじんに粉砕され、もはや原型が何であったか分からなくなってしまった机を前に、怒りに身を震わせているフラン、その胸からは緑の燐光が見て取れる。 フランは腕を振りながら、ヒステリックに叫ぶ。粒子化した机が、衝撃で舞い散る。 「いい加減にしてください、なんなんですかあなた達は! 急に喧嘩をはじめて! 訳が分かりません! あなた達の言う事全然信じられません! 出て行って!! 出て行ってください!!!」 目を手で抑え、やれやれと言った表情を浮かべた夢流は、まだ何か言おうとする虎部と、怒りを押さえ込むためか深呼吸をしていた高城を部屋の外に引きずる。 「すまないね、落ち着いたころにもう一回来ますよ」 その言葉に応えたのは、凄まじい勢いで投げつけられ扉に刺さったフォークと「もう二度と来ないで!」と拒絶の言葉だった。 はぁ……はぁ……、粉になった机の残骸を前にへたりこんだフラン、その思考は千々に乱れていた。 (……なんなのよ、あの人達は? 何が言いたかったの? 突然喧嘩を始めるなんてバカじゃなの?) 動悸が治まり、上気していた肌は次第に冷め、それと同時に思考も冷静に回りだす。 (顔に変な飾りを付けていた人……私が不安がるって言ってた……私、助かったんじゃなかったんだ。…………私……死ぬの? ……死ぬの? ねぇ? パパ……、ママ……私、まだ死にたくないよ) 「くぅうん」鳴き声と共に頬に湿った感触、はっとして顔をあげるフランを、ふさふさが心配気なまなざしで見つめていた。 「ありがとう、慰めてくれるの?」 ふさふさは鼻先をフランに寄せる。フランは、ふさふさを抱きしめると声を殺し泣き始めた。 (女性に、安らぎを与えるためにその身を投げ出す、我ながらクールです。おっと、まずは……、ふぅむ……やはり皮膚越しの接触では封印タグは意味が無いようです。ああ、竜刻で再生しているとはいえフランちゃんの手酷い状態ですね、うん、ここで皮下細胞をゲットしておきましょう) どのくらいの時間がたったであろう、辺りはすっかり夜の帳が下りていた。 泣き声はやみ、ふさふさを抱きしめる手は緩んだ。 「ありがとう、だいぶ落ち着けた……と思う」 「ちょっと水を飲んでくるね、泣いたら少し喉かわいちゃった」 水を汲みに行くために立ち上がろうとしたとき、ノックの音が飛び込んだ。 ――時間は少し遡る。 夢流に引きずり出されたものの、大人しくしていることもできず虎部は飛び出していた。だが、いざフランの家の前まで来たものの、家の中から漏れ聞こえる泣き声になかなか扉を叩く踏ん切りがつかない。 「くそ、兄貴ならこういう時もっと上手くやるんだろうなぁ」 扉を叩こうとして手を上げて……やめる、そんなことを両手の指の数程繰り返した。 「ええい、突っ立てても何も解決しねぇー、ままよ」 意を決して虎部は扉を叩いた。 扉が僅かに開く、フランの目が泣きはらして赤いのが見て取れる。 「なんですか? もう来ないでくださいって言ったと思います」 フランの声はにべもない。 「頼むぅ!! 話を聞いてくれぇ!!」 虎部は渾身のフライング土下座を敢行した。 若干あきれた声でフランは答える。 「分かりました。……とりあえずそれ止めてください」 (むぅ虎部さんできますね、フランちゃんの好感度をだいぶゲットです) 虎部とフランは、粉末になった机を車座にする。 「俺たちが来た目的は、フランちゃん、あんたの心臓と一体化している竜刻の暴走を防いで、フランちゃんと村の人を助けるためだ」 「初めからそう言ってください……色々損した気分がします」(主に机ですかね)ふさふさは心の中で突っ込みを入れる。 少しだけフランの表情が緩む、フライング土下座はフランの心をだいぶ和らげたようだ。しかし、伝えなければならない言葉を思うと虎部の心は重かった。 「それは高城のやつが……、いやよそう。一番聞いて欲しいのは、これから話すことなんだ」 ふぅーっと、虎部は重い溜息をつく。 「俺達は暴走を止めた後、竜刻を持ち帰るように言われている……竜刻を引き抜けば君が死ぬと知っているにも関わらずね」 重苦しい静寂が虎部とフランの間に存在した。フランの表情は能面のように固まっている。 静寂をやぶったのは、フランの重い溜息だった。 「トラベさん、トラベさんは何をしに来たんですか? そんな話、私にしても誰も幸せにならない。トラベさんは……」 ごくりっ……と喉が鳴る音がする。 「私を殺さないといけないんでしょ?」 努めて平静を装っているものの、声が震えることを隠し切る事はできない。 「違う!! 俺は君を助けるために来たんだ。……俺を信じてくれ!! 君の命を犠牲にして終り、そんな結末だけは絶対にぶち壊してやる」 激昂しフランの肩を掴む虎部、フランはぽつりと訪ねる。 「……どうするんですか?」 「やりたい事があれば全部しよう」 「その日その日を精一杯に生き、日々の生活に感謝を祝おう。夜は見知らぬ世界に思いを馳せ、いつの日か降り立つことを夢に見よう」 フランは嫌々するように首を振る。 「言っている意味が分かりません」 虎部は、より強く肩を抑え顔を近づけ語る。 「俺を信じてくれ、……もし君が運命に打ち勝てるとしたなら、例えどこに行こうといつか必ず助け出す」 ―――これを受け取って欲しい ―――これは? ―――約束の証だ フランは、虎部の言葉を信じた。 共に生活し人生に悔いを残さない生きる。水汲みで重くて転び、料理に舌鼓を打つ。ピクニックにでかける。 高城のカウンセリングも受け、夜は星空を見上げ、虎部の語る多くの世界の話に耳を傾けた。 「ヴォロスの夜空は綺麗だな」 「そう?」 「ああ、俺が住んでいたところでは、こんな綺麗な星は見れなかったよ。その代わりってわけじゃないけどな、街が綺麗に輝くんだ、それこそこの空みたいにね。百万ドルの夜景とか言ってな」 「百万ドルってなんですか?」 「大勢の人間が作った地上の星々だよ」 「へぇ、私もそんな光景、見てみたいなぁ」 「きっと見れるさ、きっとな」 ロストナンバーが村に到着してから数日がたった。 フランの胸元からは薄く緑色の光が漏れているが見て取れる、竜刻が暴走するまでに残された時間は僅かだ。 虎部の策も高城もカウンセリングも効果を上げることはなく、ただ時間だけが過ぎていた。 絶望感を感じさせる重苦しい空気を打ち破ったのは夢流の発言だった。 「一つ提案があるんだ、まぁ正しくは僕じゃなくて、もふもふさんからの提案なんだが」 皆は犬が提案??と言わんばかりの表情に見せる。 ふさふさは一声「わぁふ」と声を上げ夢流の前に立ち、自信アリ気に尻尾を振る。 辛うじて、ツッコミを入れる気力を残していた虎部が訪ねる。 「えっと、夢流さん。ふさふさがどんな提案をしたっていうんですか?」 「うむそれはだね、聞いて驚くことなかれ心臓移植だ」 「心臓移植ぅー?」 ふさふさは、トラベルギア「浮遊する手」でフランの胸を指し示す。 「あぅふ」 「ふむふむ、クローニングは完了した。準備は万端と」 「はふはふ」 (私はこう見えても天才犬です。心臓移植くらい人工心肺と無菌室とこのクローニングマシンがあれば楽勝です) 「わふぅ」 (麻酔、除菌、培養、拒絶反応を抑えることは夢流さんがやってくれます) 「ああ、分かっているよもふもふさん、器具を持ってくればいいんだろ? 任せてくれたまえ」 ふさふさのパスフォルダーに入っていたトランクから器具を取り出している夢流に、虎部が話しかける。 「夢流さん、……フランの胸から竜刻を引き抜いたら」 夢流は振り返らず、手だけで虎部を発言を制止する。 「わかっているよ虎部君、そのための心臓移植だ。問題を解決するだけなら心臓摘出だけでいいんだからね」 夢流は、準備をしながら背中で語る。 「この方法の確率が高いとは言わないけどね。もしかしたら、フランさんは新しい心臓を生命力の源として生きることができるかもしれない。まぁ、彼女を助けないで解決することをよしと思わないのは、君だけじゃないんだよ」 高城が眼鏡を抑えながら、挙手をする。 「そういうことでしたら私にも手伝わせてください夢流さん、私だって彼女を死なせたくはありません」 「……みんな……すんません」 虎部は頭を垂れる。 「まぁそういうことだ、フランさん、どうする?」 フランは虎部の服の裾を掴みながら、ハッキリと頷く。 「……お願いします。少しでも生きる努力をしたいです」 夢流は二人の様子を見、莞爾として笑う。 「じゃあフランさん、その寝台の上に横になってくれ」 フランは寝台で横なり、虎部を見つめる。虎部は無言で彼女の手を握りしめた。 「準備はいいようだね、それでは心を落ち着けて僕の笛の音を聞いてくれ」 夢流の笛が雅な音を奏でる。数瞬のうちにフランの意識は深い眠りに沈んでいった。 手術は一昼夜に及んだ。 手術の結果を待ち一人やきもきとしている虎部。 (医療技術がない彼はフランが深い眠りに落ちると無菌室から追い出されたのだ) 無菌室から夢流がひょっこりと顔をだす。 「お待たせしたね虎部君、手術は成功したよ。ああ、気持ちはわかるがそんなに慌てないでくれ、片付けをするからね」 フランを載せた寝台だけを残して、ふさふさの機材はは片付けられた。 手術に疲れたからでであろうか、高城は、 「すまないけど私は先に休まさせて貰う」 といって部屋から退出する。 「僕も寝させて貰うよ、後は若いものに任せてってね」 高城に引き続き夢流も行ってしまう。 ……ふさふさは、摘出され封印タグを巻かれた竜刻くわえて走り回っていた。 虎部は寝台の傍らでフランの目覚めを待っていた。 やがて夢流の術の効力が弱まったのか、フランは目を覚ます。フランの視線は辺りを探るようさ迷う、……探していたものはすぐに見つかった。 フランは虎部に微笑みかける。虎部もつられて微笑み返す。 フランは何かを確認するかのように、自らの頬、胸、腹部に触れる。そして、納得したようにあぁ……と息をつく。 フランは虎部に向けて口を開く 「トラベさんと一緒にいるのは楽しかったです、パパとママと一緒にいた時と同じくらい幸せでした」 「フラン……ちゃん? 何を……」 フランは虎部の手を取り胸に当てる……フランの手は氷のように冷たく、鼓動は殆ど感じられない。 「よかった……お礼を言う時間は残っていたみたい」 まるで体温の感じられないフランの体を、虎部は自分の体温を移すよう強く抱きしめる。 「フランちゃん、おい! しっかりしてくれよ」 「ああ、残念だなぁ……トラベさんに助けに来て貰えないんだ」 フランは弱々しく笑った。 「なんだか可笑しいね、本当に助けて欲しいのは今……なのに……運命に打ち勝ったら……って」 (……トラベさん何か言ってるけど、もう聞こえないや……もう少し一緒に居たかったなぁ) 「ふさふさぁ! どうなってるんだよぉ!!」 虎部は地面を蹴り、あらん限りの声で絶叫する。 「くうぅん」 ふさふさはふるふると首を振る。 (おかしい、さっきまで全く問題がなかったのに……私の計算に狂いが!?) 「クソォッ!!」 虎部は咄嗟にふさふさのくわえる竜刻を奪い取り、もはや生気の感じられないフランの胸元に叩きつける。 「フランッッ!!!」 ――― (たくさんの大きな光がついたり消えたりしている……大きい…お星様? ううん、違う。お星様は、あんなバアーっと動いたりしなもの。トラベ君が言っていた、百万ドルの夜景ってこう言うのかなぁ? あ、また光った……綺麗だなぁ) うっとりした表情で、その光景を眺めるフラン。光の奔流はやがて彼女もその一部とし全てを飲み込んだ。 ――― フランの肉体に竜刻が飲み込まれる、彼女の肉体は末端から光の粒子のようになり流れ出す……。 その光景を見つめながら、虎部は呟く……。 「これは……ディアスポラ現象か……?」 神の悪戯か悪魔の所業か、それとも虎部の思いに応えたのであろうか、死の淵にたったその瞬間フランの元に真実は降臨した。――フランは覚醒したのだった。 -了-
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