オープニング

 ブルーインブルーでしばらく過ごすと、潮の匂いや海鳥の声にはすぐに慣れてしまう。意識の表層にはとどまらなくなったそれらに再び気づくのは、ふと気持ちをゆるめた瞬間だ。
 希望の階(きざはし)・ジャンクヘヴン――。ブルーインブルーの海上都市群の盟主であるこの都市を、旅人が訪れるのはたいていなんらかの冒険依頼にもとづいてのことだ。だから意外と、落ち着いてこの街を歩いてみたものは少ないのかもしれない。
 だから帰還の列車を待つまでの間、あるいは護衛する船の支度が整うまでの間、すこしだけジャンクヘヴンを歩いて見よう。
 明るい日差しの下、密集した建物のあいだには洗濯物が翻り、活気ある人々の生活を見ることができる。
 市場では新鮮な海産物が取引され、ふと路地を曲がれば、荒くれ船乗り御用達の酒場や賭場もある。
 ブルーインブルーに、人間が生活できる土地は少ない。だからこそ、海上都市には実に濃密な人生が凝縮している。ジャンクヘヴンの街を歩けば、それに気づくことができるだろう。

●ご案内
このソロシナリオでは「ジャンクヘヴンを観光する場面」が描写されます。あなたは冒険旅行の合間などにすこしだけ時間を見つけてジャンクヘヴンを歩いてみることにしました。一体、どんなものに出会えるでしょうか?

このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、
・あなたが見つけたいもの(「美味しい魚が食べられるお店」など)
・それを見つけるための方法
・目的のものを見つけた場合の反応や行動
などを書くようにして下さい。

「見つけたいものが存在しない」か、「見つけるための方法が不適切」と判断されると、残念ながら目的を果たせないこともありますが、あらかじめご了承下さい。また、もしかすると、目的のものとは別に思わぬものに出くわすこともあるかもしれません。

品目ソロシナリオ 管理番号537
クリエイター阿瀬 春(wxft9376)
クリエイターコメント 二度続けてのブルーインブルーです。こんにちは、阿瀬春です。

 旅先でのちょっとしたひととき、描かせて頂けないでしょうか。
 ジャンクヘブンにて、買い物や散策、路地裏で迷子になってみるのも楽しいかもしれません。

 ご参加、お待ちしております。
 プレイングの受付期間を少し短めに設定しております。申し訳ありませんが、ご留意ください。

参加者
ベヘル・ボッラ(cfsr2890)ツーリスト 女 14歳 音楽家

ノベル

 海が見たかった。
 依頼の間、船上で波に揺られたけれど、足りなかった。思う存分、本物の海が見たい。
 真理に覚醒するまでは、本物の海などどうでも良かった。機材に囲まれた穴倉のような場所で、仮想世界に沈んでいた。あの世界には何でもあった。勿論、海も。海はよく知っている。そのはずだ。それなのにどうしてだろう、どこまでも、惹かれた。
 薄藍色のマントに潮の匂いする風がまとわりつく。目深に被ったフードの中にも眩しい太陽光が押し入る。本物の空を見たことも、そう言えば稀だった。仮想世界の空にも太陽はあったけれど、こんな凶暴な光は放っていなかった。眩しく、大量の熱を放つ太陽。太陽も空も、こんなに眩しいものなのか。
 陽と同じ金色した眼をほんの僅か、歪め、ベヘル・ボッラは形の良い唇から細く息を吐き出す。色素の薄い肌に容赦なく降り注ぐ強い陽を見仰ぎながら、階段まじりの坂道を登る。左右には石や煉瓦の積まれた小さな家が隙間を埋めるように建ち並ぶ。太陽を時折遮るのは、路地の狭い空に渡され、潮風に翻る色とりどりの洗濯物。青空から駆け下りてくる潮風に、石鹸の匂いが混じる。
 あれはどうやって干すのだろう、と顔に表情を浮かべることなく、首を微かに傾げる。風にフードを持っていかれそうになって、華奢な左手で抑える。
(いちいち変な目で見られるのはめんどうだからね)
 中性的な端正な顔に表情は浮かび難い。滑らかな白い肌を撫でる髪は一筋も無い。フード越しの左手に、うなじに埋め込んだソケットが触れる。マントに隠れて一切動かない右手は、人の形をしていない。子供のような身体に不釣合いな程の、機械の腕。奇異の眼で見られることへの戸惑いはない。感傷もない。唯、面倒なだけ。
 坂道を登りきった先から、大勢の人の声が賑やかに聞こえる。海に面した市場でもあるのか。人の声を包み込むようにして、海が響いてくる。陸に打ち寄せる波の音。船の腹に寄せる波の音。風に舞う海鳥の声。
 静かな路地裏からは想像も出来ないほど、人の声に満ちた道の先を見遣る。坂道の果てに、ぽつり、小さな人影。背丈はベヘルの半分、ふくふくとした頬も腕も、よく陽に焼けている。
 市場から路地裏を覗き込んで、
「おかあさーん」
 胸を掴むような切ない声で呼ぶ。小さな子供の泣き出しそうな声は、どうして人の感情を揺らすのだろう。
(迷子)
 間近まで近付く。壁に縋るようにして路地を覗き込んでいた子供が顔を上げた。真っ赤になった頬と、今にも泣き出しそうに歪んだ眼。
 知らぬ顔で脇を通り過ぎようとして、
(かなわないなあ)
 足を止める。
「迷子?」
 フードを目深に被った知らない人間に声を掛けられ、子供は顔を強張らせる。見下ろしてくる白い頬に表情は無く、声にも柔らかさは感じられない。
 それでも、子供はどうにか頷く。
「待っていれば見つけてくれるだろうけど」
 綺麗な唇が動くのを夢のように見仰ぐ。市場の人込みの向こうに広がる海を見る眼は、朝焼けの海のような金色。
「泣かないのなら、来るかい?」
 ぼくは海を見たいだけだけど、と温度の無い声で呟いて、ベヘルは人波に入り込む。様々な人の熱と声に混ざって、小さな足音が付いて来る。迷子の子供は、迎えが来るまで、声を掛けてくれたベヘルにくっついていようと決めたらしい。
 瑞々しい果実や野菜が無造作に木箱に入れられて並ぶ。海から揚ったばかりの魚が日除け布の下で売りに出される。店先に女神像の立つ不思議な店は骨董屋だろうか。売り子や客の声が賑やかに耳へ届く通りを横切る。
 波音が近い。潮の香りが風と共に押し寄せる。
 石畳の道の先には、海上へ縦横に巡らせた木製桟橋の道が広がっている。桟橋を辿れば、海上都市ジャンクヘブンの様々な場所に行けるのだろう。
 視線を少し遠くに向ければ、何隻かの帆船が泊まっているのが見える。爪先の下には、海。白い石畳が途切れ、蒼い海がのんびりと揺れている。澄んだ水の中、小さな魚がゆらゆらと泳ぐ。
(風はべたつくし)
 潮風に晒されてしょっぱくなった頬に指先で触れる。陽に当てられた頬が熱い。
(太陽は眩しすぎるし)
 とぷん、と波が寄せる。潮風に紛れて、ざあ、と波の白く砕ける音が聞こえる。暖かな空を渡る海鳥が、かぁお、と気ままな声をあげる。
 背後からは港の市場に満ちる人々の様々な声。足元にしゃがみこんで海を見下ろす子供の息遣い。
(かってに、見えて、聞こえるものが多すぎる)
 視界を埋めて、海。波が生き物のように絶え間なく蠢き揺れる。海鳥が空から波の上に舞い降りる。魚が跳ねる。波飛沫が太陽に眩く光る。
「おかあさん」
 人波の中、子供を呼ぶ声がしたのだろう。視界の隅、足元にうずくまっていた子供が勢いよく立ちあがった。
 母親の元へと駆け出していく子供の背中をちらりと見もせず、ベヘルは海を見続ける。
「ありがとうございます」
 若い女の声で呼びかけられ、マントの裾を小さな手で引かれた。眼を向ける。母親らしい女に手を引かれ、迷子の子供が笑顔で立っている。
 ベヘルは小さく首を横に振った。
「海を見ていただけだよ」
 母子と別れ、波止場を離れる。人込みを離れ、桟橋の群を辿る。海の匂いと音の濃い方へ、足の向くままに歩く。桟橋が途切れる。潮溜まりとなった岩場を危なげなく跳んで行けば、人気の無い小さな砂浜へと着く。
 波の届かない乾いた砂の上に腰を下ろす。白い砂浜には波に漂白された樹の幹や貝殻が無尽に転がっている。手近な白い巻貝を拾い上げる。砂を払い、そっと耳に当ててみる。
 巻貝の中には、静かな潮騒に溢れている。
 周囲の音が集められた音だとも、貝と耳の隙間に入ってくる風の音だとも、体内を巡る血流の音が反響する音だとも、言う。
(何にしても、生命の音だよね)
 面白いと思う。
 巻貝を掌に収め、海を見詰める。身動ぎせずに、いつまでもいつまでも。見る者がもし居れば、あまりの動かなさに不審に思えるほどに。
 潮風が舞い、巻き上げられた砂粒がぱたぱたとマントを叩く。生き物の腹のように、波が揺れる。遠く近く、波音が響く。
 胸が騒ぐのはどうしてだろう。いつまでも見ていたいこの気持ちの底にあるのは何なのだろう。
(……ぼくは)
 この生命に満ちて賑やかな海の底も、やはり暗いのだろうか。陽の光が一筋も入って来なかった、昔の仕事場であり棲家でもあったあの穴倉のように。
 棲家の端末から、仮想世界の海にはいつでも行けたけれど、あの海はもっと快適だった。風も太陽も、こんなに騒がしく不便な命に満ちてはいなかった。けれど。けれど、
 ――本物の海が、見たかった。


クリエイターコメント 海上都市・ジャンクヘブンでの一幕、如何でしたでしょうか。
 海を描くのは、なんだかどきどきします。

 ベヘル・ボッラさま。
 静かな海の底から浮かび上がって来て、陸の明るさや賑やかさに戸惑っている精霊のような。そんな雰囲気を感じました。
 海に焦がれる気持ちをベヘルさんらしく描けておりましたら、また、楽しんで頂けましたら、幸いです。
 ご参加、ありがとうございました。
 またいつか、何処かでお逢いできますこと、願っております。
公開日時2010-05-20(木) 22:20

 

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