――ブルーインブルーのどこか。 漁師や船乗り、ひいては海賊たちの間でひっそりと大切にされている島が、あった。それは海難事故や嵐、戦いなどで亡くなった海原の旅人たちを弔う為の場所。そして、安らかに眠れるよう、祈る場所でもあった。 その島は、中ほどに洞窟があった。小型の船ならば入り込めるそこの奥深く。神秘的に蒼く輝くその奥に、手作りの祭壇があった。特に信仰対象などきめてはいない。けれど、海原の旅人たちはそこを『祭壇』とし、花や酒を捧げていく。 この神聖な場所では、どんな荒くれでも武器を船においていく。そう、この島では戦闘など争いごとがご法度なのだ。破れば住人たちによって海へと落とされる。それを知っているので、ここではいざこざが起きない。 この島に暮らすのは、海賊から足を洗った者たち。彼らは自給自足の生活をしながらこの場所を守り、時に遺体を島に埋め、葬式を執り行う。この島の守り人でもある彼らを、海原の旅人たちは彼らを敬い、『蒼き番人』と呼んでいた。そして、彼らはこの島をこう、呼んでいた。 ――シレンシオ。「……遅くなってしまいましたね」 霧の立ち込める海原を見つめ、1人の青年が小さく呟く。そして、どこか寂しげに、苦しげに遠くをみやった。(今、どんな思いであなたさまはこの海を見ているのですか? ) かつて仕えていた相手は、もうこの世に居ない。生きていたならば、この先もずっと主と共に海に生きていただろう。その事を思うと胸が苦しくなる。なぜ、あの場に自分は居なかったのか。なぜ、主を守れなかったのか。それを思うと悔しくて言葉も出ない。 この青年は、最近までジェロームポリスにいた。主というのはとある鋼鉄将軍であり、彼はその側近として戦っていた。しかし、先日の戦いで離れている隙に、主は戦いの中死んでいった。(ジャンクヘブンの傭兵たちが、主を討ったのは知っている。けれど……) 戦場で、彼は傭兵たちと戦った。そして……戦力の差を思い知った。確かに敵は討ちたい。けれど、今の彼には、『ジャンクヘブンの傭兵たち』と戦って勝つ自信が毛頭も無かった。今ここで会ったとしても、戦う気は無い。それに、今はただ……海原に散った主やジェロームを初めとする海賊たちのために祈りたかった。(俺も、あの島の一員になろう。そして、ずっとあの方と仲間の死を弔って生きていくんだ) 決意を胸に顔を上げる。あたりは濃厚な霧につつまれ、先が見えない。その深さに、青年は歯を食いしばる。 ――この船は、『シレンシオ』へ無事にたどり着けるのだろうか? 0世界、司書室。そこに集まったロストナンバー達の顔を見、鰭耳の男が一礼する。そして、『導きの書』を開いた。「みんな、集まってくれてありがとう。今回は、ブルーインブルーへ向かってもらうが、先に言っておく。今回、戦闘はないと思ってくれ」 彼はそういうと、説明し始めた。 今回、ロストナンバーたちが乗り込むのは、『シレンシオ』と呼ばれる島へ向かう船。この島は海で亡くなった人々を弔うための場所であり、船乗りや海賊たちが戦わないと誓った場所でもある。それ故に、戦闘は禁止なのだ。 普段は何事も無く行く事の出来る島だが、時期によっては濃霧に襲われることもあるという。ちょうど今頃がその時期であり、普段以上に灯りが必要になるのだ。ロストナンバー達はその灯りを燈す手伝いをする、という。「まぁ、濃霧を越えれば、島は近い。その後は各々島で祈ったり、休む事ができるし、島の裏手には小さいが温泉がある。旅人に解放されているから、入ってくるのもいいと思う」 また、住人たちによってちょっとした宿もあるようで食事も提供してくれるそうだ。それを聞き、ロストナンバー達の表情が少し柔らかくなる。世界司書は穏やかな顔で言葉を続けた。「元来、その場所は海で亡くなった人々を弔う場所。島の上らへんにはお墓もある。騒ぐのは止めてくれよ? 戦闘はご法度だから、守ってくれ」 それにともなって武器の持ち込みも控えるよう言われている。よっぽどの事が無い限り隠すなりなんなりするべきだろう。あとは、特に決まっていないそうだ。「今の時期、ジェロームポリスでの戦いで亡くなったジェローム他鋼鉄将軍らを弔おうと生き残った海賊たちが来ているかもしれない。が、さすがにココでの戦闘はない。彼らも自重するだろうからな。ただ、会話などに注意してくれ」 さすがにロストナンバーである云々は言わないにしろ、ジャンクヘブンの傭兵である、というぐらいは言っても問題は無い。「そう言うわけだ。なんかしら思い入れがある奴は、花の一輪でも手向けて来い」 そういうと、世界司書は『導きの書』を閉ざし、人数分のチケットを手渡すのだった。
序:霧の向こうへ ――ブルーインブルー・とある海域。 いつもならば爽やかな青空が広がるのだが、灰色の雲がどんよりと空を覆っていた。風もなく、うっすらと寒い気がする。辺りには濃い霧が立ち込め、幻想的ではあったが、航海のコンディションとしては最悪な状態であった。 船の乗客たちは皆海に慣れた者たちばかり。彼らは自ずとランタンに火を灯し、舟が此処にある事を示そうと掲げたりする。 ある者は自分の信仰する相手に祈りながら。またある者は霧を晴らすと伝えられているお呪いを唱えながら。ある者は物思いにふけながらランタンの灯火を守っていた。 6人のロストナンバー達もまた、辺りを見渡した。しっとりした空気が頬に触れ、眠気を払っていく。灯りの番を買って出た者たちは各々ランタンを手にした。 「思ったより濃いなぁ」 「そうだな。でも、やらないよりはいいだろう」 コンダクターの柊 白と相沢 優が進路方向を見つつ言い合う。『シレンシオ』まであとどれぐらいかかるのかはわからないが、他の船にぶつかるのはやはり怖い。 「まっしろ、です」 ツーリストのシーアールシーゼロが溜め息をつきながらランタンを掲げる。必要であれば巨大化させようか、等も考えたものの他の乗員たちも進んで火の番をしている為、必要が無いと判断した。 「けれど、この光景も中々綺麗だと思う」 ぽつり、と優が溢す。それに白も、ゼロも頷いた。ミルクのように濃い霧に、ぼんやりと浮ぶ幾つものランタン。これで他の船も気付けばいいのだが。 (まるで……) 何かに似ている、と思いながら白は傍らのドングリフォームセクタン・ぐりの頭を撫でながら霧を見やる。手を伸ばせばその先が溶けてしまいそうな世界。横にいるゼロが辛うじて見えるか、見えないか。そこまで霧は深かった。 「燃料だけでも増やしておくです」 ゼロは燃料の容器だけを巨大化させ、量を増やしておく。これならばランタンの炎を絶やさずに航海出来るだろう。優や白と共に光を掲げながら、ゼロは1つ頷いた。 濃霧の中、ツーリストの墨染 ぬれ羽はぼんやりと立ち尽くしていた。小さく溜め息をつきながら見上げる世界は、淡い灰色とも、白ともいいがたい。眼を凝らしても、人の気配を僅かに覚える程度だった。 「……」 そうこうしている内に、自分は世界に1人きりなんだな、とぬれ羽は思う。それでいて、それはいつものことなのに、と首を傾げていた。そう、自分を育ててくれた『和尚様』を手にかけた時から……ずっと。 と、ぼんやりしているうちに、彼の目に幾つもの灯りが映った。乗員たちが、仲間達が掲げた灯りだと言う事に気付き、ぬれ羽は我に帰る。 「霧は暗いね。嫌いではないけれど」 そう言ったのは、甲板に座るツーリストのベヘル・ボッラ。彼女はフードの奥で「でも島は晴れていると良い」と笑う。彼女はトラベルギアの小型スピーカーを、船周囲をカバーするように解き放つ。それでソナーの役割をしよう、と考えたのだ。 ぬれ羽が不思議そうにそれを見ていると、肩を叩かれる。 「お前、手が空いているなら後方で火の番をしてくれないか?」 ぬれ羽はこくり、と頷き、炎の灯ったランタンを受け取る。そして後ろの方へと歩いていくと、ツーリストのドミナ・アウローラの姿が見えた。彼女は笛を手にしている。 「別の世界では霧が晴れたから、ここでも上手くいくはずよね」 彼女はそう呟き、フルートに唇を添える。そして奏ではじめたのは、晴れた空を思わせる、澄んだメロディーだった。彼女は呪歌『晴天の空』を奏でることで霧を晴らせないか、と考えたのである。彼女は心を込めて、演奏に集中した。 その音色は初め静かに霧の中を駆けた。その切れ端を、ベヘルのスピーカーが拾い上げ、更に効果を広げる。音色は海原をふく風となり、辺りに効果を発揮していった。徐々に霧が薄くなる。 あの濃かった霧が、何処からともなく吹く風に押し流され、どんどん薄くなっていく。空を見れば、厚かった雲が薄くなり、明るくなっていくのが解った。 その爽やかな旋律がフルートの音色を遠く、遠くへ運んでいく。薄れていく白い世界を、流れていく灰色の雲を、ぬれ羽はただ、無言で見続けていた。 「霧が……っ!」 フルートの音色と共に晴れていく霧。それを目の当たりにし、優が声を上げる。白はしめった風が徐々に乾いていくのを感じ、小さく安堵の息をつく。ゼロがあたりを見渡せば、他の船が見えるほどに霧は晴れていた。 「どうやら、ランプはいらなくなったかな?」 白の言葉に優とゼロが頷く。各々ランプの炎を消していると、他の乗員たちもそうしているのが見えた。 「霧を晴らす風がふいた、です。ゼロたちの視界良好ですー」 ゼロは上機嫌になったのか、くるり、と回って見せた。 いつしか青い空が姿を現していた。久々に見た太陽は、やけに眩しく映った。ぬれ羽は突き抜けるような青空に瞳を細め、小さく息を漏らす。 どこか満たされたような心地でぼんやりしていると、ドミナとベヘルの2人と目が合った。ドミナが一緒に行こう、と手招きするとぬれ羽も1つ頷いて応じる。こうしているうちに初め考えていた気持ちが消えたことに、彼は気付いていない。 霧がよそうより早く晴れた事は、乗員たちに明るい話題となっていた。海鳥が鳴き、それと同じように乗員たちの話も盛り上がる。 その話を耳にしつつも、ロストナンバーたちもまた降りる準備を始める。白と優はトラベルギアをパスへとしまい、ゼロとベヘルは身支度を整えた。 相棒である白い狼犬、シーファが不安げにドミナを見やる。彼女は小さく苦笑しながら箱を閉ざし、呪文を唱える。確かな手ごたえを感じると、彼女は相棒の頭を優しく撫でた 「そんな顔をしないで、シーファ。武器には見えないと思うけれど、確かに私達の武器だから」 そう告げる彼女がしまったのは、先ほど奏でたフルート、魔笛『ヴォルターナ』と相棒の竪琴型魔道具『オルフェウス』であった。確かに一見武器には見えない物である。ドミナは「箱に鍵をかけているから、持ち出されたりはしない」と説明し、シーファも渋々了解した。 ぬれ羽は小刀を帯に挟み、袈裟の下に隠しながら顔を上げた。ギアであるマスケット銃は既にパスへとしまっている。そろそろかな、と思いながら顔を上げると、洞窟を持つ島が、目の前に現れていた。耳を澄ませば、到着を告げる汽笛が鳴っていた。 「ぬれ羽さん、降りるですよ」 顔見知りであるゼロの言葉に頷き、彼女と共に船を降りる。 ベヘルはフードを深く被り、日差しを避ける。僅かに揺れる桟橋へと降り立てば、柔らかな風が頬を撫でた。 こうして、6人は『シレンシオ』へと降り立った。そして、皆バラバラに歩き出す。ある者は洞窟へ、ある者は墓地へ。またある者は海辺へと歩いていくのであった。後で島の宿屋酒場で落ち合おう、と約束して。 破:静寂の島で、何を思う? ケース1:シーアールシー ゼロの場合 白い髪が、潮風に煽られる。素朴な小船に乗り、ゼロは祭壇のある洞窟内を進んでいた。陽光のお陰か、真っ青に輝く水がゆらゆら揺れる。その音色が洞窟内で震え、まるで誰かが聖歌を歌っているようにも聞こえた。 その光景を眺めながら、ゼロは色々と考える。まず、脳裏に過ぎったのは、話を聞かせてくれた、壱番世界の老婆だった。彼女が色々語ってくれた物語をゼロは今でも覚えている。そして、二度と聞くことの出来ない、結末が分らない物語も。 (あのお話の結末、聞きたかったです) 話の途中で列車の時間が来てしまい、再会できると信じて分かれた。けれども、ゼロが再びその村を訪ねた時、既に老婆は亡くなっていた。 ゆっくりと小船は進む。櫂が水を跳ねた音で我に帰ったゼロは、前を見た。遠くにランタンの炎と、蒼く光る水面、質素な『祭壇』が見えた。そして、絶え間なく多くの人が祈りを捧げている。誰も皆、日に焼けた肌をしており、傷を持つものも多い。海賊たちではないか、と推測しているうちに、今度はジェロームやジェロームポリスの住人たちの事が脳裏を過ぎった。 (禍福は糾える縄の如しと聞くのです) 本来ならば、この蒼き世界皇帝として君臨しただろう彼とその帝国が、世界の外からの干渉で滅ぼされた。その事に無常観を覚えたゼロはここへと赴く事を決めた。確かに、友人が帰ってきたことは嬉しい。しかし、何故だろう、胸に僅かな隙間が開いたような記がするのだった。 小船を降り、祭壇へと歩み寄る。そして、ぽつり、とかの老婆へ言葉をかける。 「此岸と彼岸の越えがたさに比べれば世界を越える事は容易いのです」 だから、問題は無い。と、彼女は膝を折って、瞳を閉ざす。そして、ジェロームポリスで亡くなった戦死者たちと、ジェロームへも。 (ゼロには此岸のことは判らないのですが、彼らの安らぎを願うのです) 何故だろう、その口に広がったのは、あの夏の日に老婆から貰ったキャンディーの味だった。 ケース2:ドミナ・アウローラの場合 島に赴く前、花を手に入れられたら、と考えていたドミナであったが、結局島で花を買う事にした。彼女は青い花を買うと小船にのる。傍らには相棒も一緒だ。 (その人は何を思って、鎧に身を包んだのかしら) ドミナの脳裏に過ぎったのは、同僚が戦ったという鋼鉄将軍の事だった。その名は、《籠絡の檻》ワーキウ。白き鎧を纏った、静かなる者……。 戦う様を、そして、最後と正体を、ドミナは同僚から聞いている。とてつもない怪力で、重力さえ操ると思わせるような、技。そしてその正体は銀髪の美しい、華奢な娘であった、と。それも、ドミナと然程変わらない程の年齢の。 (……) その話を聞いたとき、ドミナは息が詰まるような思いになった。 (彼女は、きっと、護る為に戦った) きっと、そうだ。そう考え、青々と揺れる水面を見つめる。静かなそこを見つめていくと、頭の中がすぅ、と音もなく透き通っていくような気分になった。 (私達は、海賊や海軍のパワーバランスを崩し、戦いの切欠を作った。そして、そんな彼女や多くの海賊たちを……) 顔を上げる。と、祭壇が見えた。小船を降りて前へ出ると青い花を供える。蒼い空間に手向けられた青い花は、何故だろう、脳裏に過ぎったワーキウのイメージと重なった。 ――何故私たちは、この世界の情勢にここまで関わってしまったのかしら。 自分たちはこの世界に現存していない。異世界からの旅人だというのに、そんな権利があっただろうか? そのような疑問と僅かな苦味を覚えていると、相棒が頭を摺り寄せてきた。それはまるで、ドミナを慰めているかのようだった。 「ありがとう」 小さな声で礼を述べ、共に祈る。1人と1頭はしばらくの間祭壇で祈りを捧げていた。 ケース3:墨染 ぬれ羽の場合 ぬれ羽は、『蒼の番人』の案内で墓地に来ていた。その中央に、慰霊碑が立っている。その前で、彼は膝をつき、そっと手を伸ばした。 島には、菊に似た白い花があった。それを幾らか購入し、その前に手向ける。弔う相手は嘗て自分を育ててくれた相手であり、自分が殺した『和尚様』である。ぬれ羽は静かに眼を閉ざし、手を合わせ、静かに祈った。 『和尚様』は穏やかな人だった。何故だろう、海の音を聞いているうちに、そんな記憶のようなものが脳裏を過ぎった。自分が殺した相手なのに、今、ぬれ羽の胸の中にはただ優しく微笑む『和尚様』の姿が浮んだ。彼はぬれ羽を恨んでいるようには見えなかった。ただ、ぬれ羽を優しく見守っている、そんな姿が思い浮かぶ。 途方に暮れたぬれ羽を見、心配したのだろう。案内してくれた『蒼の番人』が寄り添うように佇んでいた。その壮年の男性を見上げた時、一瞬、『和尚様』がそこにいたような、錯覚を覚えてしまった。 「……!?」 「どうしましたか?」 優しく問いかける彼の言葉に、ぬれ羽は首を横に振る。まさか、自分を育ててくれた人に見えた、とは恥ずかしくて言えず、僅かに俯く。彼は優しく微笑んで身を屈め、ぬれ羽の頭をそっと撫でた。 「……?」 「貴方も、色々あったのですね」 ただそう言い、そっとぬれ羽を抱きしめる。初めのうち、身を強張らせたぬれ羽だったが、いつの間にか瞳を閉ざして安らいだ。幼い日、怖い夢を見て泣いていた自分を、『和尚様』が抱きしめてくれた時のように。 しばらくして、ぬれ羽は立ち上がる。もう大丈夫だな、と思ったのだろう。『蒼の番人』も身を放した。そして、1度だけ彼の頭を撫でると、小さく微笑んで背を向けた。ぬれ羽は、1度だけ、頭を下げて礼を述べるのであった。 ケース4:ベヘル・ボッラの場合 ベヘルは小高い丘の上にいた。彼女はギアであるスピーカーで島の音を集め、それを聞いていた。スズジの事を知る者は居たものの、今、彼は祭壇で祈りを捧げている。彼とは宿屋酒場で落ち合う約束をし、暫くは物思いに耽ることにした。 (彼も、どこかスズジに似ていたな) スズジの部下であった、という男は伝令としてジェロームポリスを駆けていた、という。それ故に主を救えず、再会した時は既に事切れていたそうだ。その時の哀しみに満ちた表情を、ベヘルは覚えていた。 島では、僅かな音しか集まらなかった。死者を悼む声、悲しみの声、優しい子守唄。そして、決意の声と波の音、水の音。それらを耳にしながら、彼女は静かに瞳を閉ざす。暫くして、スピーカーはただ、穏やかな波と水の音しか放たなくなった。 「スズジ、きみの航海は晴れたのかい?」 誰とも無く呟く。 ――彼らの航海は、晴れたのだろうか? ベヘルの胸にはその問いが広がる。自分が刃を交えた鋼鉄将軍の最後を真似て横たわってみているうちに、ふと、彼の姿が傍らにあるような気配を覚えた。それでも瞳を開かずに耳を済ませる。その内に、仲間から聞いたジェロームの最後が呼び起こされる。 (皇帝は、最後の最後で『面白い』と笑っていた) 怨嗟でも、悔いでもなく、命乞いをするでもなく。彼は本当に楽しそうに、笑っていた。あの燃える世界の中で、高らかに笑っていた。それは美化する訳でもないが、弔うというよりも、称賛したい気持ちの方が強かった。 (本当に、これでよかった、の、かな) 不意に、そう、思う。ベヘルは、司書が図書館単独の迎撃を決めた時、この世界ブルーインブルーの問題なのに、何も言わなかった。異議を唱えるべきだったのではないか、と今でも悔いている。 それでも、多くを引き連れ尚世界を求めた『彼』の死を1人2人が背負えるものではない。いや、そうする事すらおこがましい。あの戦いと死の意味を本当に知るのは自分たちではないけれど、それでも、知りたい。 (臆するのも、偽るのも、非礼。だから、あるがままをぼくは、見定めたい) ケース5:柊 白の場合 白は、船から降りた後、花を買いに行った。そして、丁度良いな、と思った高台から、その花を海へと降らせる。色とりどりの花はふわり、と流れる潮風に煽られ、彼が見つめる傍から海へと吸い込まれていった。 (誇り高い人だったな、あの人は) 彼が弔いたかったのは、刃を交えた鋼鉄将軍、レオニダス。戦いの中でその生き様を見た柊は、久しぶりに熱くなったのを覚えている。 (ああ、あの戦いは本当に楽しかった!) 今でも、その時の興奮は忘れられない。本気で戦う事の出きる相手とめぐり合えて、白は嬉しかった。ぶつかった時の力を、攻撃に混じる殺気を今でもありありと思い出す事が出来る。 死ぬ間際まで『海賊』であり続けたレオニダス。その姿、その最後を思い出すと白は咽喉の奥が苦しくなった。目頭が僅かに熱くなる。 (ジェロームの壁だった。そうであることを、最後まで望み、それが叶った) 本当に、誇り高い『海賊』だった。脳裏に過ぎった彼の姿を忘れないでいよう、と彼は心の中で強く誓う。 「本当に、本当に楽しかったよ、レオニダスさん……!」 わがままを言うならばもう1度彼と戦いたかったが、それはもう叶わない。ならばせめて覚えていよう。白は静かに瞳を閉ざし、しばし黙祷を捧げた。 黙祷を捧げた後も、白は暫く海を眺めていた。青々とした世界は静かに、彼を包んでいる。その静寂に身を委ねながら、小さく溜め息をつく。 (海賊は滅ぶべくして、滅んだのかもしれない。しかし、その原因を作ったのは……) 暴走した仲間を抑えられなかった自分達にもあるかもしれない。そんな事を思いながら瞳を開ける。けれども、潮風も海面も、彼には答えなかった。 ケース6:相沢 優の場合 「ここの辺りからでいいかな?」 優はそんな事を言いながら、花を抱えて呟いた。目の前には青々とした海が広がっている。流れてくる潮風を胸いっぱいに吸い込みながら、優はこの世界で起こった、一連の騒動を振り返っていた。 全ての始まりは、1人のロストナンバーだった。その人は、彼にとって大切な人だった。だから彼は特務派遣隊に参加し、この世界で情報をかき集め、その果てにジェロームポリスでの戦いへと飛び込んで行った。一連の行動に対し、彼には悔いも後悔もない。 (そういえば……) 花を買う際、そこでジェロームの部下だと言う青年とであった。彼とは僅かに話し、残りは宿屋酒場で話す約束をした。その刹那の間でも優はジェロームの下で戦っていた海賊たちの思いや信念に触れられたような、気がした。 彼は、優が「ジャンクヘブンの傭兵である」と言った事にも然程驚かなかった。その背中を思い出しつつも、優は空を見上げる。 (確かに、彼らの行動は数多の人を傷つけた。他の海賊などの介入があったにしろ、覆せないし、赦されない) けれども、ジェロームは、鋼鉄将軍は、あの青年は、確かにこの蒼き世界の住人だった。自分たちのような旅人とは違って。その一方、だからこそ、その人もパスを返して消失の運命にさらされながらも、この世界で生きようとしたのではないか。と、考える。胸に沸き起こる寂しさと、口に広がる僅かな甘みに瞳を細め、彼は小さく頷く。 「俺は、この世界が好きだな」 どこまでも青々と広がる海。数多の人々を抱きしめるような、青。そこにその人は生きようとし、ジェローム達が生きた。 厳しくも、荒々しく、それでいて美しい、青の世界。ブルーインブルーの名に相応しいその青さが眩しくて、優は瞳を閉ざす。 そして、彼は、花を抱きしめたまま、海原へと落ちた。 瞳を開くと、花びらは水面をすべり、ゆるゆると海の中へと踊り行く。 それを見送ると、彼は波に揺られ、胎児のように丸くなった。 脳裏に浮んだのは、セクタンのゼリーフィッシュフォームだった。それは、『彼女』の行動により生まれたフォーム。そして、優にとっては特別な意味をもったフォームであった。 急:追憶の蒼、追悼の蒼 「暑さ寒さも彼岸まで、恨みつらみは此岸だけなのですー」 そんなことを呟くゼロは、ドミナとともに祭壇の洞窟を出、空を見上げた。突き抜けるほどの青に目が眩んでしまう。しかし、暫くすると少しずつ視界が元に戻っていく。 (そういえば、あの戦いから、もうひと月以上は経つのね) すれ違う海賊らしき人々を見、ドミナは時の流れを覚える。しばらくの間ぼんやりしていたものの、彼女はゼロに肩を叩かれて我に帰った。 「そろそろ、約束の場所に行くです? 皆も来ているかもしれないです」 「そうね。行きましょうか」 ゼロや相棒と共に、ドミナは歩きだす。その道すがら、彼女はちらり、と海を見ながら思う。 (この世界に覚醒して流れ着いた私を助けてくれた人は、今も元気かしら?) ベヘルは例の青年との待ち合わせ場所である宿屋酒場へとやってきた。ドアを開けると幾人かの海賊たちが静かに酒を飲んでいる。彼女が辺りを見渡すと、『蒼の番人』の姿をした青年が、片手を挙げる。 「今来た所なんだ。食事をしながらでも、話そう」 「そうだね」 彼の言葉にベヘルは応じ、店主に幾つかの料理を頼む。 嘗てスズジの部下であった青年は、あの戦いの時伝令として戦場を駆けていたという。その為に上司の死に目に会えなかったそうだ。 「君は、スズジ様と戦っていたそうだね。……話せる範囲で良い。あの方の最後を、教えてくれないか?」 「うん。……スズジは、最後まで戦って死んだよ」 ベヘルは、自分の五感で感じた戦いを、スズジの生き様、散り様をあるがままに語った。彼女の話を聞きながら、青年は静かに相槌を打ち、瞼を押えた。 ベヘルが話し終わると、次は青年が在りし日のスズジについて語り始めた。スズジは、部下にとって、信頼できる上司であった。それでいて、筋の通った男だった、と。 「他の鋼鉄将軍に関してはあまり解らないけど、スズジ様は本当に部下思いの上司だったな」 ジェロームに関しては、言葉を詰まらせる。彼にとって、ジェロームは簡単に語れる人間ではなかったようだ。ただ、ぽつりと 「あの方には、覇道を歩んでもらいたかった」 とだけ漏らす青年に、ベヘルは静かに瞳を閉じた。 ぬれ羽が店に入ろうとしたとき、顔見知りの白が後ろに居た。 「あれ? ぬれ羽さんも今きたのかい?」 「……(こくり)」 相変わらず仕草で語るぬれ羽。白はそんな彼を誘って一緒に食事をすることにした。元々レオニダスを弔った後、食事を取りながらも海賊たちの会話を聞いて情報を得ようと、考えていたようだ。 食事を頼み、ぬれ羽と共に待つ。その間でも近くで食事をしていた海賊たちの声が聞こえてきた。どうやら、彼らはそれぞれアラクネー、グラシアノ、レオニダス、ワーキウの部下であったらしく、自分たちの上司の思い出を語っているようだった。 (えっ、レオニダスさんの部下?!) 思わず白の眼が丸くなる。ぬれ羽が不思議そうに首をかしげているのも知らず、白はその海賊たちの会話に耳を欹てる。が、何かを感じたのだろう。海賊の1人が白とぬれ羽を呼ぶ。 「お前ら、ジャンクヘブンの傭兵だろ? 一緒に飲もうじゃねぇか!」 「えっ? でも……」 急な申し出に眼を丸くする白に、海賊の1人が説明する。この海賊たちは自分たちの上司を破ったジャンクヘブンの傭兵たちに興味を持っていたのだという。 興味をもった白は、その申し出を受ける事にした。ぬれ羽と共に席を移動すると、彼らは快く2人を迎えてくれた。2人はしばらくの間、彼らと話に花を咲かせた。と、言ってもぬれ羽は仕草で答えていた。 海に落ちた優は、『蒼の番人』から温泉に入るように進められる。そして着替えなどを借りて宿屋酒場へ入ると……他の仲間たちや海賊たちが賑やかに食事をしていた。 ベヘルと若い『蒼の番人』が穏やかに話しながら料理を食べている。その姿は一見、兄と妹が静かに誰かの思い出話をしているように思えた。 かと思えばその近くでは白と海賊たちが賑やかな様子で語り合っていた。ぬれ羽は静かに聞いているようだったが、仕草で答えているようだった。 (ちょっとお腹がすいたな……) 優もなにか食べようと思い、テーブルにつくとゼロとドミナが相席になった。他にも数名の海賊たちも一緒である。 「よう。待たせてしまったかな?」 「いや、こっちも今来た所だ」 その中には、先ほど会った青年も居た。優はゼロとドミナとも一緒にその青年や海賊たちと食事をすることにした。 その最中、1人の海賊が席を立ち、穏やかに歌いだす。話によると、ある鋼鉄将軍はこの歌が好きだったようだ。しばらくの間、優たちはその澄んだ歌声に酔いしれた。 海賊たちの話を聞いていくうちに、6人はジェロームや鋼鉄将軍達の以外な素顔を知る事になった。その一部がこのような内容である。 「アラクネー様やワーキウ様は、海鳥と戯れていらっしゃることもあったよ」 「そういえば、グラシアノ様とレオニダス様の手合わせ、1度しか見てなかったなぁ」 「スズジ様はよくアスラ様と武具や武芸について討論していたっけ……」 「ジェローム様は、色々博識だった。色んな科学者達と問答もしていたようだよ」 この他にも色々と話は尽きず、とても面白かった。こんな話が出るほど、海賊たちは上層部を慕っていたようだ。 「確かに、怖いところがある人も居たさ。けれども、利用されたとしても、俺たちは皆、あの方々に仕えた事を後悔していないよ」 と、ジェロームの配下だった青年が笑う。その混じりけの無い笑顔にそれぞれうなづくなり、微笑み返すなり、反応する。 しかし、海賊たちと会話すればするほど、自分たちの介入について考えてしまう面々もいるのであった。 時間となり、6人のロストナンバー達は船に乗るため桟橋へと向かった。その途中、1組の男女とすれ違う。 男性の方は、勇ましい雰囲気を宿した老人だった。彼の片目は義眼であり、生身の目も鋭い生気を感じさせた。 その傍らにいたのは、細身の女性だった。葬式から帰ったような黒いドレスの女性は、その身に僅かながら柔らかい柑橘系を思わせる香りが漂う。 何を思ったのか、優が振り返る。が、その男女は振り返らなかった。そして、優にはその2人が何者であるか、判らなかった。 「行きますよ?」 ドミナの声に頷き、優はみんなの後を追う。桟橋の向こうには既に船がとまっており、次々に人が降りてくる。 「あれが最終便みたいです。乗り遅れたら帰ることができないです」 「なら、乗らなきゃね」 「……(同意の眼差し)」 ゼロと白、ぬれ羽がすれ違った人から聞いた事を知らせる。間に合ったことに安堵していると、ベヘルがくすり、と笑った。 「綺麗に晴れて、よかったよ」 「ああ……」 彼女の言葉に頷きながら、優は瞳を細める。2人はいろいろな思いを胸に肩を並べて船に乗りこんだ。 荒々しく厳しくも、優しく美しき双蒼の世界。 そのどこかにある、弔いの島。 色々な思いや言葉を抱く、静寂の島で、旅人たちはその『欠片』に触れたのだった。 ――『シレンシオ』は今日も、優しく『全て』を受入れていた。 (終)
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