生きることは痛みだ。 誰もかれも緑の髪、青い目で同じ顔――自分の顔を見たことはないが、俺もあんな顔をしているのか? ここで唯一違うといえば白衣を着た巨大な人間――オトナだ。髪や目の色はここにいるガキどもとは違う。だからこの世にはいろんな種類がいるはずだとわかる。だったらどうしてここにいる奴らはみんな同じなのかとかすかな疑問はすぐに霧散する。 「ナンバーエイト、早く来い」 大人たちが呼ぶ声に一瞬震えた自分を苦々しく思う。 行ってやる。そんなに呼ばなくても逃げたりしない。 世界は白く、狭い。 似た顔の連中が同じ白い衣服姿でわらわらしている。自分ももちろん、同じ白い衣服姿だ。 ナンバーエイトっていう名前だけが俺を肯定する。いいや、ここにいる同じやつはみんなナンバーなんとか……なにもかも同じだけのただの他人。どいつもこいつも。ただの敵だ。こいつらを負かさなきゃ。俺が消される。 いつからここにいるのかはっきりとわからないが、気が付いたときからこの世界に閉じ込められていた。 俺と一緒にいたやつはだいぶ消えた。文字通り消えていった。オトナたちの言う実験にパスしなきゃ、この建物の奥にある黒い扉の奥に連れていかれる。扉がどこに通じているのかはわからないが、そこから戻ってきたやつは誰もいない。 怯えるやつ、泣き叫ぶやつ、暴れるやつ、――みんな同じくせに反応はばらばらだったが、どいつがどいつも結果は同じ。どんなに抵抗してもオナトには勝てたやつはいない。 広いホールの中央に立つと目の前に緑の髪に青い目をした、恨みがましい顔をしたやつがいた。 「制限時間は十分。互いに武器は自由。わかっているな? 戦え。そして勝て。負けるな」 俺と目の前のやつ以外はいないホールで声がするのははじめのうちは不思議だったが、隅っこに隠されたスピーカーからだと理解するとオトナたちはここを監視しているとわかって反吐が出た。 負ければ消えるしかない。 だったら、どんなやつでも潰すしかない。 ★ ★ ★ 生きることは痛いことばかり。 今日もまだ僕は生きていて、そのせいで空腹や全身の痛みに泣きそうになる。 真っ白い廊下をよたよたと歩いて、ようやくついた食堂では白くて丸いおかあさんがみんなにごはんを配ってる。早く並ばないとごはんをもらい損ねる。あわてて駆けていこうとすると足になにかがあたって床にこけた。痛い。 「ぷっ」 「かんたんにひっかけられてやんの」 「こいつ、本当にとろいよな」 「ほんとだぜ。ちびだし」 「だっせぇ」 くすくすと笑う声のあと頭のてっぺんに痛みが走ったのに思わず両手で頭を押さえて縮み上がる。 「キモチワルイやつ」 「ほんと、泣いてばかりでさ」 どうして? みんな同じ緑色の髪、青い目なのに笑うの? 気持ち悪い色っていうの? もしかして僕だけ色が違うのかな? 僕は、みんなよりとろいし、こんな体だし、泣き虫でいつも泣くしか出来ないし…… 「なんとか言ったらどうなんだ? お前、先のときわざと俺にぶつかってこけたんじゃないのか」 「違います」 引っ張られた髪の毛が痛い。別の手がぼくの頭を乱暴に押さえると、ぶちっと髪が抜かれてますます痛い。 「ごめん、なさい。ごめんなさい、ごめんなさい」 はやく立ち去ってくれることをただ祈って、謝り続ける。 「なぁ、こいつの体って面白いんだぜ」 「俺らと違うんだって?」 びくっと体が震えた。 「見たくない?」 「そうだな」 「や、やめて!」 僕は頭を押さえる手を振りほどいて後ろに逃げた。背中に壁のひんやりと冷たい感触がした。まわりを見ると同じ顔が笑ってる。 助けて、助けて……助けて! 口のなかがからからに乾いて痺れる。 頭の上に何かがかかった。野菜の匂いがするのに見ると、お母さんの配っている野菜ジュース。 「オー、悪い、悪い。かかっちまったな。ほら。脱がしてやるよ」 僕は震えたまま首を横に振る。 世界は痛みばっかりで、このままだと僕は潰されちゃう。弱いから、僕がこんなのだから……震えるばかりで立ち向かうことも、抵抗もできない。 視線をさまよわせると、青い目とぶつかった。 みんなと同じ緑色の髪の毛、青い目の同じだけど、なんとなく違う。よくわからないけど、そっちに呼ばれた気がした。その顔が見捨てるみたいに逸らされたのに視界が歪んで、頭の奥が熱くなった。 「ほら、抵抗すんじゃねぇよ」 「くすくす」 「見せろよ、その体」 痛い。痛い。痛い。目を閉じたら世界は真っ黒。僕はこのまま潰れて 「やめろ、おまえら」 ばちぃ。何かの弾ける音に僕は顔をあげた。 背中が見えた。それに周りの子たちが顔をこわばらせて固まって、静かにしている。ばくばくと心臓が高鳴る。僕は恐る恐る覗き見るとむすっと怖い顔をした先の人がいた。僕の手をとると食堂から出て、廊下を歩いていく。ひっぱられた手を僕はじっと見つめる。 「お前、服は?」 「……ない、です」 ときどき服が支給されるけど、僕のは、いつも実験で破けて使い物にならないから、着れるのはこの一枚しか持ってない。 舌打ちが聞こえて震えあがる僕を連れて彼はどこかの個室――僕の部屋とは別のところに連れてきてくれた。 「俺の部屋だ。脱いでさっさと着替えろよ」 「あの、服は」 「俺を勝手に使えよ。箪笥のなかにはいってる」 「はい」 お兄さんは部屋の外で待ってる。 僕の住む部屋とほぼ同じ、ベッドと小さな箪笥のある部屋を見回して、いいのかなって震えながら服を取り出すと着替えた。 「着替えました。服は、ちゃんと返します」 ドアから顔を遠慮がちに出して声をかける。 「返さなくていい」 ぶっきらぼうな声。 「何も食べてないだろう。ほら」 差し出されたパンに僕はますます目を見開く。受け取ってもいいのかと迷っていたら乱暴に押し付けられた。 ベッドに二人で腰かけて、僕はパンにかぶりついて空腹を満たしたあと恐る恐る尋ねた。 「どうして僕を助けてくれるの?」 「……お前を助けなきゃいけないって思ったからだ。理由はわかんねぇけど……ああいういじめは嫌いなんだ。ここにいるやつらはみんな同じくせして! 同じ……っていうと、お前が俺を見たとき、なにかが違う感じがしたんだ。うまく言葉にできないけど、他の連中とは違うって」 僕は顔をあげて今度こそちゃんと彼をまっすぐに見る。みんなと同じ緑の髪の毛と青い目に精悍な顔で、頼りがいのある雰囲気がある。 ここのみんなは、みんな同じだと思ってたけど、全然違う。 胸のなかが不思議にほかほかして、安心できる。なんでだろう、大丈夫だってわかって、もっとそばにいたいって思う。 僕が見つめているとお兄さんが頭をぼりぼりとかいた。 「俺はナンバーエイト。お前は」 「いと?」 「エイト!」 「えっと、じゃあ、きと?」 「……お前、バカだろう」 「ば、ばかじゃないもん」 いつもならこんな反論は絶対にしないことだけど、……キト相手なら大丈夫。僕をいじめた人たちを薙ぎ払えるほど強いけど、乱暴なことはきっとしない。 「お前の名前は?」 「うさぎ」 「うさぎ?」 「うん。僕の周りはみんな、うーさいとか、うーえすとか」 「それ、ナンバーのことだろう。お前、本当にバカだろう」 「ば、ばかじゃないもん」 もう一度反論して俯いて右耳に触れた。 「前の実験のとき、オトナに強く頭を叩かれて、そのときから、片方の耳、ちょっと聞きづらくなったんだ。けど今はちゃんと聞こえてるよ」 「そっか。ま、お前、兎ぽいもんな」 ぐりぐりと頭を乱暴に撫でられて僕は俯きがちにキトを睨む。するとキトが笑った。 「いじめられたらまた俺に言えよ」 「キトに?」 「お前、とろそうだからな」 いいのかなって迷ったけど、キトの手が僕の手をとった。 その手は痛くなくて、優しかった。 世界は痛みだけじゃない。――ただ潰すだけじゃない――二人ははじめて自分以外をよりどころにすることを知った。 ★ ★ ★ その日から兎はキトとともに自由時間を一緒に過ごすようになった。 実験のときは否応なく離ればなれになって、命からがらなんとか白い世界に戻っても二人は互いがどこにいるのかわかった。 今まではすべて同じに見えたまわりが実はそうではないと二人は気が付いたのだ。 そうして世界は白以外を持って息づきだした。 食事のあと、図書館と呼ばれる娯楽室に二人は集まり、テーブルに腰かけて向き合っていた。 「僕たち、お母さんのおなかから生まれたんだよね?」 「お母さんって誰だよ」 「食堂にいる、あのお母さん」 「ありゃ、飯作って俺らの教育するためのロボットだろうが」 「そうなの?」 「見た目からしてまん丸くて、鉄だろう。お前、オトナたちの言うこと信じすぎだ。しょうもねぇだろう、あんな嘘」 「う。ううっ」 兎が唸る。 「知ってるか」 「なに」 「兎の上に、この文字をつけると、キトって呼ぶんだ」 キトが示す本に書かれた文字に兎は目をぱちぱちさせる。 「おに?」 「実物は見たことないけど、ものすごくこわいものだって書かれてる」 「キトにぴったり!」 兎がぱっと笑うとキトは眉間に皺を寄せた。 「お前、喧嘩うってるのか」 「けど、怖いもん」 拳を振り上げたキトに兎は頭をかばいながらも笑っていた。 「これだったら怖くて強い、兎のお兄さんって意味になるもん」 「……お前の兄貴か」 「うん」 「仕方ないな。じゃあ、俺はこれから鬼兎だ」 「うん。キト!」 兎は嬉しく笑うと、鬼兎も口元を緩めて笑った。 「こんなところにいたのか」 兎の全身が緊張するのに鬼兎は振り返ると白衣のオトナたちが立っていた。 「どちらを連れていくんだ」 「どっちでもいいんじゃないのか? とりあえず、ちびのほうを」 白衣のオトナたちが近づいてきたのに兎は息を飲む。彼らが連れ去るのは痛みの世界、もしかしたらすべてが黒く染められてしまうかもしれない可能性を秘めている。 毎日目覚めて、彼らを見るたびに兎は恐怖と不安に苛まれていた。今まではそれも仕方ないと諦めていたけども、鬼兎と出会ってからはそれがたまらなく恐ろしくなった。 兎が縮こまって震えているのに、鬼兎が立ち上がった。 「実験なら俺がいく」 びくっと兎は顔をあげる。 「どれでもいいなら俺でいいだろう」 オトナたちは顔を見合わせて肩を竦めた。 「そりゃ、かまやしないが」 「自分から志願するとは面白いやつだな。いいデータが、とれるかもしれないぞ」 二人の言葉に兎はすがるように鬼兎を見つめたが、鬼兎はまったく顔を合わせてくれず、白衣のオトナたちに連れて行かれてしまった。 鬼兎がオトナたちに連れて行かれたのを何もできずに見ているしかできなかった。 兎は鬼兎の部屋でじって帰りを待っていた。自分が行くといえばよかったと後悔や罪悪感がおなかのなかでぐるぐるとまわり、涙がいくつもいくつも溢れた。だから泣き虫って言われるのに。鬼兎のベッドにしがみついて待っているといつの間にかうとうとしていて、大きな音が聞こえて目を覚ました。 「あ」 ドアの前に鬼兎がいた。 「キト!」 兎は駆け寄る。 「大丈夫?」 「……平気だ」 ふらふらの鬼兎を兎は支えて、ベッドに導いた。 「ごめんなさい」 「なんでおまえが謝るんだよ、兎。俺は自分でやってくれって言ったんだ」 青白い顔の鬼兎を見て兎の瞳から大粒の涙が溢れだした。 「お前、本当に泣き虫だな」 鬼兎は弱弱しく笑って親指の腹で涙を拭ってくれる。その優しさが嬉しいと同時に苦くて、兎は両手で顔を乱暴に叩くように涙を拭い、真剣な顔で鬼兎を見つめた。 「僕、強くなるから。できること少ないけど、キトが僕に頼って、くれるように、守れるように」 「……お前はそんなこと考えなくていいんだよ」 ふるふると兎は首を横に振った。 「僕、少しでも、鬼兎の役に立ちたいっ」 「お前がお前のままでいりゃあ、いいんだよ」 鬼兎はぐりぐりと兎の頭を撫でた。 「お前がいるから俺はがんばれるんだ」 「本当?」 兎はまじまじと鬼兎を見つめる。 「ああ」 「じゃあ、僕、頑張って生きる。痛いのも、苦しいのも、いじめられても、我慢する。がんばって生きる、キトのために、諦めない」 鬼兎は弱弱しく頷いて、意識を無くしたのに兎は鬼兎の細い手にむしゃぶりついた。 何に祈ればいいのかわからなくても、この手のぬくもりを絶対に離したくなくて。強くなりたいと願った。 「いつか、絶対に二人でここを出よう。キト、絶対に二人で」 日に日に同じものは減って、同じものが補給されていく。 白い世界では一定の数が常に存在し続けてバランスをたもっていた。 そのなかで互いが生きているささやかな奇跡を二人は喜び合った。きっといつか出ていこうと語り、支えあった。 そして、その日はきた。 図書館に二人でいると、いきなりけたたくましくサイレンが鳴った。警告、警告! と機械の叫び声。白い世界が赤く点滅し、危険を全身に訴えかける。 二人は顔を見合わせた。 「キト、これ」 「いくぞ! 兎」 「どこに!」 手をとられた兎が叫ぶ。鬼兎は駆けだしていく。 「外に行くんだよ!」 「外?」 「今がチャンスだ!」 焦ったように鬼兎は叫び、兎を見る。 「俺と来るか? 兎」 痺れるような恐怖と同じくらいの喜びが兎の全身を駆け巡り、無意識に握られた手に力をこめた。 「うん!」 白い廊下を駆けていくとオトナを見て鬼兎は獣のように唸った。あと少し。あと少しで兎をここから解放できる。 「兎、走れ」 「キトは!」 兎が叫ぶ。 「俺はこいつを倒してからいく!」 鬼兎の手のなかに雷撃が練り上げ、兎を突き飛ばすとオトナに飛びかかった。目くらましの閃光にオトナが怯んだ隙をついて懐に飛び込む。これでも何度も繰り返された実験で戦うことは慣れていた。 勝利を確信した鬼兎は瞬間、全身が鉛のように重くなり、地面に沈んだ。 「っ!」 骨と内臓が潰されるほどの衝撃に頭がくらくらするなか、鬼兎は必死に手を伸ばす。 「うさ、ぎ……にげろ」 鬼兎が倒れるのに兎は声にならぬ悲鳴をあげた。オトナが兎を見る。こぼれる涙をぬぐいもせず兎はきっとオトナを睨みつけ、鬼兎の前に飛び出すと全身を恐怖に震わせながら全身で威嚇する。 「きみたちは」 オトナの声を遮るように兎は叫んでいた。 「キトになにかしたら僕が許さない! き、キトにひどいことしないで! ……っ!」 オトナはじっと兎を見つめ、口元に笑みを浮かべると手を伸ばした。 「優しい子。少し、眠りなさい」 兎の顔の前に手がかざされ、とたんに意識が遠のいていく。 「キトを、おねがい、キトを、傷つけ、ないで……」 兎は最後まで呟き続けた。 だって、キトは大切な、大切な、―― 燃える施設のなかで彼女は二人の子供を両腕に大切そうに抱えて歩き出しだし、無線機に呼びかけた。 「二人保護した。どちらも子供で……名は、たぶんキトとウサギ、両方とも能力者だ。一人は雷撃、一人は精神能力者だ。それ以外はすべて死んだ。ああ例の人物のクローンだ……ユグドラシルに戻り次第、治療を頼む」 彼女は抱えた鬼兎と兎の手が、いつの間にかしっかりと握られているのに気が付いた。 「しかし、クローンというがこの二人、本物の兄弟のように私には見える」
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