ヴァネッサ・ベイフルックの継いだ妖精郷を手伝いたい、子供達の養育とダイアナ達の墓守として暮らしたい、そう告げたのはカンタレラとクージョン・アルパーク。ふたりにはヴァネッサよりある条件が出された。 要約すると――ロストメモリーになるなら考えてあげてもいい――という。 カンタレラとクージョンは、妖精郷の出入りを正式に認められたので足繁く通っていた。孤児院として建物自体は新しくなったが、体制は整ったとはいいがたかった。ロストメモリーや手のあいている司書達が代わる代わる世話に訪れていたが、決まった大人が常駐していないというのは子供達に不安を与えていることだろう。 ふたりは少しでもそれを取り除けるようにと働きかけた。ロストメモリーとなって0世界へ帰属するという選択についてはさておき、とりあえず出来る限りのことをしようと思ったのだ。「カンタレラせんせー、みてみてー!」 少女が得意げにステップを踏む。どうやらカンタレラの踊りを真似しているようだった。見よう見まねであるゆえに厳しい目で見ればあらが出ているのは仕方ないが、子供が頑張っていると思えばカンタレラの顔に笑みが浮かぶ。真似して踊ってくれる子供が可愛くて仕方がない。「そこのステップはな、こうするともっとスムーズにできるぞ!」 カンタレラが舞ってみせる。少女たちが集まってきた。それに気がついたクージョンはギターを取り出し、かき鳴らした。激しいリズムにカンタレラは余裕の表情で身体ごと乗って。少女がギブアップしたあとも音に合わせて夢中で踊ってしまっていた。「クージョンせんせぇー、お話の途中だよー。冒険の続きー」 男の子たちがクージョンの服の裾を引く。「ああ、そうだったね。ごめんごめん」 旅をしてきたことが、子供達に与えられる財産となっていた。 ふたりはこんなに穏やかに日々を過ごしていた。子供達も最初はふたりに対して警戒と緊張を持って接していたが、度々訪れるふたりにだんだんと心を開き、打ち解けてくれている。 子供達の心の傷を癒し、世界は広いのだと改めて教えていきたい、ふたりはそう考えている。 *-*-* ダイアナとリチャードの墓の手入れを終えたその日、ふたりは妖精郷で咲いた花とお菓子という手土産を持ってエメラルド・キャッスルを訪れた。可能であればヴァネッサとの親交も深めたい、そう考えたのである。「覚悟はできたのかしら?」 花と菓子を使用人に受け取らせたヴァネッサは、ゆったりと椅子に腰を掛けたまま尋ねた。その質問にびくりと揺れたカンタレラの肩をクージョンが支える。「ロストメモリーになるのも……やぶさかではないのだ」「……やぶさかではない? なにか引っかかる言い方ね」「……」 ヴァネッサの鋭い視線に俯いたしまったカンタレラ。彼女を庇うようにクージョンが前へと出る。「ヴァネッサさん、カンタレラは恐れているのです。お互いがお互いを想い合った、その記憶まで手放さねばならないのかと」 クージョンも同じ気持なのだろう。彼が浮かべているのは悲痛な表情だ。だが、ヴァネッサは。「おかしいわね。ロストメモリーになる時に差し出す記憶は覚醒前の記憶のはずだわ」「「え……」」「あなた達はなにか思い違いをしているわね。ロストナンバーになってからの記憶は消えないわよ。これなら返答は変わるかしら?」 ロストメモリーになることは妖精郷の管理人になることの「前提条件」であるからして、もっと積極的な答えがほしいと、そうでなくては許可できないとヴァネッサは思っているはずだ。「時間を上げるわ。もう少し考えてらっしゃい」 ぴしゃり、ヴァネッサはそこで対面を打ち切った。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>カンタレラ(cryt9397)クージョン・アルパーク(cepv6285)ヴァネッサ・ベイフルック(cztt8754)=========
0世界には特別な場合を除いて夜は来ない。だからせめて虹の妖精郷の中だけでも昼夜の別を、カンタレラとクージョン・アルパークの提案は受け入れられ、このチェンバーは昼と夜、二つの顔を持つことになった。 子どもを育てていく上ではやはり、昼間と夜の区別をつけることが大切だ。以前の妖精郷の教育方針では好きなときに寝て好きな時に起きる、そんな生活が許容されていた――というより規制されていなかったのだろう。それはあまりにも酷いことだ、二人は子供達に『当たり前の生活』を送らせて教育を受けさせる、そのために尽力していた。 当初は通いだったがヴァネッサに頼み込んで『決断』をするまでの間、妖精郷に建てられた館――孤児院のすぐ隣である――で過ごす許可をもらっていた。やはり通いより住み込みのほうがフォローもしやすければ子供達の世話をするのにも適している。 「おはよう、カンタレラ」 昨夜睦み合った後、同じシーツに潜っていた愛しい人の頬へとキスを落とすクージョン。寝ぼけているのだろう、彼女はくすぐったそうに笑ってシーツに頭を押し込むものだから、クージョンも頭を突っ込んで彼女を追う。 日が差し込んでくるものだから、シーツの中もやや明るい。クージョンは一糸纒わぬ彼女の白皙の肌に口付けを落とす。 まずは首筋、そして豊かな乳房、脇腹にへそに――。 「クージョン、くすぐったいのだ」 目が覚めたのか、蕩けるような声で小さく抗議する彼女。へそに当てた唇をつーっと下ろし、茂みに行き当たるあたりでクージョンは上体を起こした。彼女の両脇に腕を突いて、その紅玉の瞳を見つめる。被ったままのシーツは光を受けてヴェールのように神秘的に彼らを照らした。 「目が覚めたかい?」 「あと少しなのだ。だから――」 カンタレラは半身を起こしながら彼の首に腕を回す。そしてしなやかに彼の唇に自身のそれを押し付ける。 これはいつもの光景だ。 これまでの安逸な日々をこれからも送れることに感謝し、二人は唇を離して見つめ合った。 *-*-* カンタレラ達は子供たちが過ごすにあたって規律を設けた。世界図書館が定めた規律を参考にした、妖精郷内独自の規律だ。人が集まる所、集団で過ごす所にはやはり規律が必要で。 以前の妖精郷で甘やかされて過ごしてきた子供たちには少々厳しく感じるかもしれない。けれども妖精郷を離れている間に過ごした集団生活の時が、彼らを少しばかり変えていた。石にされていた子供たちがあって当然の規律を是として受け入れ、守っていたことも影響したのだろう。規律を守らねば、今度は自分達が追い出されると思う子どももいたかもしれない。そんな不安定な子供にはカンタレラがすぐに気づき、ゆっくりとでもいいから慣れていけるようにと気にかけるようにしていた。 「みんな、注目するのだ」 3歳くらいの男児が泣いている。隣の席に座らされてそっぽを向いているのは8歳くらいの少年だ。カンタレラは二人の間に立って、食卓についている子供達を見回す。子供達の視線が自分に集まっているのを確認すると、カンタレラはゆっくりと口を開いた。 「コンラッドがハドリーのフルーツを取って食べてしまった。ハドリーはそれで泣いている。コンラッドがしたことは何が悪いと思う?」 「そりゃ、人のものを取るのは悪いことだろ?」 馬鹿にするなとばかりに口を開いたのはグレンだった。「何で? 欲しかったんだから仕方ないじゃない」、そう言った少女を彼は睨みつける。 「小さい子には優しくしないといけないんだよ」 茶髪のマデリンが口を開くと、だってさ、と獣人のリンジーが口を開いた。 「ぼくたちロストナンバーは成長しないんだから、それだと小さい子のほうがずっと有利じゃないか!」 「ふむ、意見のある者はどんどん言うといい。皆で考えよう。なぜ、コンラッドのしたことはいけないことなのか。カンタレラも共に考えるから」 コンラッドを叱って反省させれば簡単に事が済むかもしれない。けれどもそれではコンラッドのためにも他の子供達のためにもならない、カンタレラはそう考えて問題を共有することにした。個々の問題ではなく全体で考え、意を持ち合うことで新たな発見や解決策が出てくるかもしれない、そう考えていた。 前の妖精郷に馴染んでしまっていた子ども達も、少しずつ、もう前とは違うのだとわかっていってくれればと願う。 * クージョンは自らの持てる知識と経験を総動員して子供達を指導していた。 音楽や絵画に始まり、倫理や数学など、創造の糧となるべく幅広く教えていく。知識や経験は創造の助けになることはあっても邪魔にはならぬだろう。 教師として、そして信頼出来る友人として接するクージョンに心を開いた子どもも多い。以前のような好き放題で学ぶこともない環境が忘れられない子どももいたが、学ぶ楽しさを見つけた子どものほうが多かった。 「喧嘩両成敗というからね、二人共きちんと謝るように」 多少の喧嘩も怪我も経験のうち。さすがに目に余る行いについては諭しもするが、経験する機会を邪魔するようなことはしない。経験することで自ら学べることもあるから。ただし、礼節ある行動だけは心がけさせた。 *-*-* 「――」 夜を迎えた妖精郷の中、カンタレラはダイアナの墓の前に立ち尽くしていた。墓碑を見つめ、黙したまま夜風が肌を撫でるままにしている。 子ども達は寝かしつけてきた。クージョンは年少の子どもたちを寝かしつけた後、やることがあるからと一足先に館へと帰った。カンタレラは、僅かな迷いと共にゆっくりと墓前に座っ膝をついたが、黙したままだ。 「――」 ヴァネッサの声が蘇る。だがカンタレラの決意はほとんど固まっていた。ロストメモリーになることに関しての異議はすでに皆無に近い。ただ、ヴァネッサの前ではっきりとした言い方ができなかったのは、カンタレラが負っている罪に依っている。 出身世界へ戻り、あるじを殺した罪を償いたい――その気持が捨てきれなくて。 (忘れてもいいのだろうか) ずっと自問しているが、答えは出ない。 さすがにクージョンにも話せず、黙したまま墓碑を見つめていた。 「カンタレラにはかつて愛していたあるじがいたのだ」 零される呟きは、誰かに向けたものではない。 「だが……失ってしまった。仕えるべき対象を失ってから、どこかで新たな主を求めていたのだ」 「それが、ダイアナ様だったのだ……」 搾り出されるのはかつての主とダイアナ、どちらをも失ってしまったことへの悔恨。弱さへの力不足なのだと、自分へ向けた糾弾。とりとめのない、まとまりのない独白。 誰に聞かせるともなく放たれた言葉は、墓の下で眠るダイアナに届いているだろうか。 * 「クージョン、まだ眠らないのか?」 子ども達を寝かしつけて館に戻ってきたカンタレラが、そっと背後から声をかけてきた。彼女が帰ってきた気配、部屋に入ってきた気配を感じ取っていたクージョンは驚くことなく彼女を振り返る。ねかしつけに随分時間がかかったなとは思ったが、顔にも口にも出さない。 「ああ。もう少しだけ、キリのいいところまで書き留めておきたいんだ」 「あまり根を詰めすぎないようにな?」 カンタレラは今すぐクージョンの背中に覆いかぶさりたい衝動を抑え、ちょこんとベッドに腰を掛けた。くす、その様子を見て口元に笑みを浮かべたクージョンは机に向き直る。 彼は今、今まての旅を余すところ無く執筆し、大編纂するという作業を行なっていた。それは、ロストメモリーとなることへの前準備にほかならない。 記憶の彼方の故郷、生まれた場所も霞んでしまうほどの放浪と享楽の世界はとても懐かしい。だがそれらにさよならを告げなくてはならない。そのための儀式として彼が選んだのがこの作業であった。 自分の思い出を、最高の作品として遺すための作業。 それは一朝一夕では終わらない、時間のかかる作業だった。だがこの作業を始めたことに後悔はなかったし、むしろ後でこれらを読むのが、子どもたちに見せるのが楽しみであった。 「クージョン……」 すっと顔の横から手が伸びてきて、背中に温もりとやわらかな感触が覆いかぶさった。 「なんだい、カンタレラ」 問わずともわかっている。彼女が黙って待っていることができなくなったのだと。かまって欲しいと思っていること。けれどもあえて問うてみた。 「……意地悪なのだ、わかっているくせに」 甘えるような声が耳元で響き、熱い吐息が耳朶をくすぐる。 「我慢ができないなんて、悪い子だね、カンタレラは」 クージョンは万年筆を置き彼女の白い手の甲にくちづけた。 今日はこの辺で切り上げよう――。 *-*-* その日ヴァネッサを訪ねてエメラルド・キャッスルを訪れた二人。その目的は先日中途半端な形で終わってしまった話をきちんとするためだ。ヴァネッサの方もそれをわかっているようで、面倒そうな顔をしながらも二人との面会を受け入れた。 「それで、結論は出たのかしら?」 いつもと変わらぬ調子で問うヴァネッサ。カンタレラは一つ頷いて、この城の女王に意思を伝えるべく、一歩前に出る。 「!」 だが、そのカンタレラの動きを遮ってすっと前に進みでたのはクージョンだった。カンタレラは瞠目し、ヴァネッサもぴくりと頬を揺らした。 「僕はカンタレラと帰属する。というよりも、僕の故郷はカンタレラなのです」 うたうようにヴァネッサに告げたクージョンは、くるりと向きを変えた。その瞳に映るのは、カンタレラただ一人。 「僕が帰ってきたとき最初に行く所は君の所だし、旅先で思うのはまず君のことなんだ。僕はいつも君の仕草を目に焼きつけ、君の動きを目で追い、君の反応に心癒されてきたんだ」 「クージョン……」 「……」 カンタレラは彼の言葉に耳を向けつつ、その視線を受け止めて。反面、ヴァネッサは少し呆れたように扇で顔を半分隠した。 「カンタレラが僕を嫌がろうが拒絶しようが、すでに僕の帰る所はカンタレラ以外に無いのです」 クルッ……顔だけヴァネッサに向けて、再び意思を告げるクージョン。 「カンタレラは嘘つきだからね。本当にしてほしいことは決して言わない。だから僕の方から行くんです」 「……」 これは、ヴァネッサに対する返事と言うよりも……カンタレラへのメッセージだ。 彼女も、それが自分へのメッセージだとわかっているから、愛しい人の声にじっと耳を傾けている。 「試練の起きない関係は無い。それを乗り越えてこそ本当の関係の一歩が始まる」 再びカンタレラへと視線を移したクージョン。すっと彼女のしなやかな指を手に取り、淑女にするようにくちづけた。 「君の考える幸せと僕の考える幸せは必ずしも一致しない。僕は君と少しづつお互いの幸せについて語り合っていきたい」 それはまるでプロポーズのようにも聞こえて。クージョンはほほ笑みを浮かべ、カンタレラはゆっくりと目を細めた。 既に互いの存在を無二のものと認識している二人には、今更だったかもしれない。だが、ここではっきりと宣言しておく必要があったのだ。 「愛する人の為に行動を共にする……ね。あなたは以前そう言ったわね。これがそれを突き詰めた答えということ」 そう、以前ヴァネッサに惚気を打ち切られてしまったクージョンとしては、彼女を納得させる必要があったのだ。ヴァネッサにはその意図が伝わったようで、彼女は閉じた扇でぱちんと手を打ち鳴らした。 「そうです。聡明なヴァネッサさんのことですから、僕の真意を察してくださると信じていましたよ」 「随分と言うじゃないの」 クージョン揺らがぬ意思はどうやらヴァネッサに通じたようだ。それははたから見ていたカンタレラにもわかった。カンタレラはクージョンに一度軽く抱きついた後、今度こそヴァネッサの前へ出た。 「カンタレラは迷っていたのだ。けれども子どもたちと過ごしていくうちに確信したのだ」 墓場での独白を思い出す。その続きのようなものを、カンタレラは言葉にする。 「やはりカンタレラの忠誠は子どもたちに向かうべきものであるのだと確信したのだ。子どもたちを守り、教え、導いて行きたいのだ」 だから――意思のこもった強い瞳で矢のようにヴァネッサを射抜いて。 「ロストメモリーとなり、0世界へ帰属する決意はついているのだ。新たな心機を表するために、髪も短くしたのだ」 美しい銀の髪を短くした彼女からは、強い意志が感じ取れた。 新しく、何かを始めるために。 新しく、何かを決断するために。 新しく、道を選んだと示すために。 「この間よりすっきりした表情をしているようね。前よりも意思がはっきりと感じられるわ」 ヴァネッサはカンタレラとクージョンを視界に収め、鷹揚に頷いた。 「いいでしょう。あなたたちふたりに妖精郷の管理人を任せるわ。今度行われる儀式にてロストメモリーになること。わかっているわね?」 「! ありがとうなのだ!」 「ありがとうございます」 やったね、カンタレラ――二人は諸手を上げて抱擁を交わし合う。 「わたくしよりも、あなた達のほうが、あそこの管理には向いているでしょう」 「そんなことはないのだ。ヴァネッサ様もいつか来て欲しいのだ、子どもたちと接しに」 それに――カンタレラは付け加える。いつかは気軽にお互いのことを語り合うこともできるような間柄に慣れたら嬉しい、と。 「……ふん」 予想通りヴァネッサには今はまだそんな気はないようで、難しくも思えた。けれどもカンタレラは最初から諦めるつもりなどなかった。 時間はかかってもいい、いつかは。 あの場所はヴァネッサの持ち物なのだから、ヴァネッサとも打ち解けたい――。 *-*-* 夜中に怖い夢を見て泣く子の側にすっと白い腕が差し出される。 ぬくもりと安堵を求める子どもがその腕に縋る。 ゆっくりと子どもを抱き上げ、優しくあやすその姿。 やがて妖精郷には朝が来て、怖い夢の呪縛など消えてしまう。 その時、孤児院にはいつもふたりの大人がいてくれて、子どもたちを見守り、導いてくれる。 そんな日が来るのも、遠くないだろう。 【了】
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