オープニング

「バレンタインにネクタイ狩り、やってみません?」
 世界司書ガラの、最初の一言である。
 本件について、早々に突っ込みを入れるか、一応最後まで話を聞いてみるかは、お集まり頂いた諸氏にお任せしよう。
「壱番世界では、この時期、女の人が無差別に男の人のネクタイを狩って回る風習があるんだそうです」
 いつになく、ガラは神妙な面持ちで語った。
「きっと昔、女傑の文明があって、一番狩りの上手い人が讃えられるお祭りが催されてたんですよ。時代が変わって、狩りの対象が獣から転じて男性のネクタイになって、今に伝わってるんじゃないかな? うん。きっとそう。」
 あろうことか、勘違い知識の果てに起源まで想像と言うか、むしろ創造している。
 誰か、そろそろ奴を黙らせた方がいいかも知れない。
「だからね。そのお祭りを再現してみたくって。せっかくのバレンタインだし」
 再現も何もそのような事実は無いのだが。
 ガラはにへっと笑って、トレードマークの旅行鞄をぱちんと開けた。
 平時ならばがらんどうの鞄は――ネクタイとハサミが大量に詰め込まれていた。
「と言うわけで。レッツプレイ・ザ・カーニバルですよう。あ、ネクタイハントの方がいいのかな? それともバトルロイヤル? いや、バレンタイン?」
 もうどうでもいいと思う。

 ガラが提示したルールは、以下の通り。
 先ず、参加者全員がネクタイを着用し、ハサミを持つ。
 後は簡単。無差別に他の参加者のネクタイをハサミで切れば良い。
 ネクタイを切られれば失格となり、己のネクタイを最後まで守り通せば優勝だ。
 優勝者には、ガラから何か贈呈されるとのこと。

「場所は勿論ここ、世界図書館……じゃ、ないですよう」
 他の人に迷惑なのは言うまでも無く、何にも増してリベルが恐ろしい故に。
「これは内緒なんですけど。実は、素敵なチェンバーがあって」
 声が潜めてガラが言うには、誰のものかは不明だが、既に無人となって久しいスポットがあるのだとか。しかも、壱番世界は西部開拓時代、移民町風のチェンバーが展開されており、曰く「勝負にはもってこいの場所」らしい。
 内緒の理由は、無人のチェンバーは正常に動作しない恐れがあり、発見した際は世界図書館への報告を推奨されている為だ。
「しっかり遊んだ後にでも、きっちりリベルに言わなくちゃ、ですね」
 ガラは悪戯っぽい笑顔で、真面目だか不真面目だか判らないことを言う。

「さて、ガラのお話はお仕舞いです。勇敢なる老若男女の参加、待ってます」
 かくして、バレンタインは全然関係無い戦いの火蓋は切って落とされた。
 因みに現地集合だそうですよ。

品目シナリオ 管理番号337
クリエイター藤たくみ(wcrn6728)
クリエイターコメントリベルさんの前にドイツの方が怒らないか心配ですよ。
ご機嫌よう。藤たくみです。

勝負の形式はバトルロイヤル。
スタートの号令及びジャッジはガラが担当致します。
ロケーションは、西部劇によくある町の縮小版です。
開幕時、どこに居ても構いません。
潜伏して待ち構えるも手近な誰かに挑むも自由です。
何れにしても最低一度は交戦する運びとなるので、
接近戦闘を踏まえたプレイングをお奨め致します。
襲撃に備えた行動も必要かもしれません。
更に失格した後の暇潰しにも触れられていれば完璧。

また、プレイング上で他者の安全面に留意せずとも
ご参加頂いた時点で危険行為を控える補正が入ります。
どうぞお気遣い無く、狩りに集中してください。

尚、必ずガラが用意したハサミを使う形になります。
ネクタイは無ければ貸しますし、自前でも構いません。

以上、興味を持たれましたら、奮ってご参加くださいませ。


あ。
参加者が一名様のみの場合はガラとの一騎打ちです。
予めご了承くださいませね。

参加者
日和坂 綾(crvw8100)コンダクター 女 17歳 燃える炎の赤ジャージ大学生
虎部 隆(cuxx6990)コンダクター 男 17歳 学生
ディガー(creh4322)ツーリスト 男 19歳 掘削人
真堂 正義(csfd3962)コンダクター 男 21歳 学生剣士
ティルス(cvvx9556)ツーリスト 男 18歳 歴史学者の卵
佐川 疾風(ceht3522)コンダクター 男 24歳 現国教師

ノベル

●六人の狩人
 見上げれば、曇り空。
 分厚く重なった雲の流れは速くて、今にも稲光と共に雨でも降り出しそうだ。
 一陣の風に舞う土埃で、家も、人も、なにもかもが例外無くまみれてしまう。
 表通りには銃火器専門店、雑貨屋、宿屋といった板張りの建物が幾つか軒を連ねており、向かい側に見えるのは、星型を刳り貫いた板金が目印の――あれは保安官事務所だろうか。
 そのことを裏付けるように母屋からは石造りの棟が伸びており、無闇に高く小さな鉄格子の窓が窺えた。
 他には通りの突き当たり、チェンバーの出口付近に飼葉が積み上げられた台車が放置されている。
 確かに、西部開拓時代は荒野の町を思わせる佇まい。
 でも、それにしても、なにしろ小さかった。
 西部劇の一場面を切り取ってテニスコートほどの敷地に詰め込むと、例えばこんな風になるだろう。
 主不在のチェンバーよろしく人の気配は無い、と言いたいところだが、今だけは違う。
「…………」
 現国教諭、佐川疾風の視界には、少なくとも三人、ロストナンバーの姿が認められる。
 自分のすぐ傍には、狼の鋭い野生を湛えた頭部に学者然とした身形のツーリストが居り、「楽しそうなお祭りだね!」と親しげに話し掛けてくる。
 このティルスという獣人は、見た目に反して人懐っこい性格のようだ。
「よし、最後まで勝ち残るぞ!」
 此度の催しに臨む様は実に微笑ましい。
 疾風は、特に異世界の住人に誤解があってはいけないと思い、壱番世界の風習に注釈を入れようかとも考えたが、ティルスの楽しげな様子を見て言いあぐねているうちに機会を逸してしまった。
 気を取り直して、視線を少し高いところへ。
 保安官事務所の屋上で仁王立ちしているのは、真堂正義。
 疾風より少しだけ若い、凛々しくも爽やかな青年だ。
 額に巻いたタオルに血が滲む理由や、そもそも何故あんな場所を陣取っているのかは解らないが、ひょっとしたら正義の頭上に乗るオウルセクタンが関係しているのかも知れないし、携えている戦隊ヒーローっぽい剣がヒントのような気もする。
 あ、こっちに気付いた。爽やかな笑顔が逆光のようで正視できない。
 再び地の高さを見る。
 遠くに、一心不乱に掘削している若者を確かめた。
 この場の誰よりも何よりも土で汚れている彼は、ディガーと名乗っていた。
「~♪」
 少なくとも疾風より早く到着して、以来穴掘り三昧。
 お陰でそこら中穴だらけなので、流石に如何なものかと思い声をかけるか否か決めあぐねていたが、しかし鼻歌混じりに掘削中のディガーはとても輝いていて邪魔するのは忍びなく、結局そっとしておいた。
 そう言えば、発起人の世界司書が見当たらない。
「お揃いですか? そろそろ始めまホオオォォイ!?」
 背後からガラの声――悲鳴がこだまして、疾風のみならず皆が振り向く。
 そこにガラの姿は無い。
 ただ、地面に穴がひとつ、空いているのみだった。

「今、『ホーイ』とか聞こえなかった?」
「綾っちにも聞こえたなら、俺の気のせいじゃないな」
 首を傾げる日和坂綾にすかして応じる自称伝説のガンマン虎部隆は、カウンターの席に腰掛けていた。
 時折傾けるグラスで波打つのは、ミルクである。
「ネクタイを着けた五人を探してる」
「ネクタイに五人って言えばさ。どうしてこう、男ばっかり参加してんの?」
 あくまでなりきる隆に答えると見せかけてナチュラルに流しつつ、カウンターに寄りかかる綾は参加者の男女比に対する思いを口にした。
「ウソかホントかはともかく、女の子がネクタイを狩る遊びって聞いたのに」
「その狩る側がネクタイなんかして。キャリアウーマンのつもりか?」
「キャリアウーマンて……」
 隆の、冗談めかしながらも現代人とは思えない言葉に目眩を覚えつつ。
「っと、もう始まるみたいだね。じゃ、先行ってるから」
 表から今度こそガラの声が聞こえたとみるや、綾はとん、と身軽にカウンターを離れて楽しげに「後でね」と言い残し、店を後にした。
「つれないねえ」
 呟く隆の視線の先には先程まで綾が居り、今は大振りなバスケットと魔法瓶が置かれていた。

 綾が表通りに出ると、土にまみれたガラがスピーカーも何も無いマイク片手に、おどけた調子で再度説明をしている最中だった。無論、拡声はされていない。
 正義は相変わらず屋根の上で、隆も宿屋から出てくる気配は無いが、既に皆が把握しているシンプルな内容をなぞっているだけで、別に聞かなくてもどうということはない。
 それはそれとして、とりあえず他のメンバーは一堂に会していた。
「あの」
 おずおずと手を上げたのは、ガラに輪をかけて土埃だらけのディガーだ。
 右手はシャベル、逆手にハサミ、ネクタイときたら固結びである。
「はいです」
「あ、ぼくはディガー」
「そう、きみはディガー。で、どうしました?」
 ガラにマイクを向けられて、ディガーが気弱そうに問うた。
「あの、トラベルギアは持ってるだけでも駄目ですか……?」
「駄目」
「!! うぅ……」
「嘘ですよう。むしろ……無いと危ないかもです」
「……?」
 涙目になったディガーだが、続くガラの言葉に不穏なものを感じて参加者一同を振り返った。
 全員闘る気満々、か否かはともかく、誰も彼もがギアを携えている。
「ね?」
 満腹の猫みたいなガラの笑顔に、ディガーは何か薄ら寒いものを感じた。
 ガラだけではない。
 何故か、今は皆から殺気を感じる(気がする)。
「コレはアレだ、相手を蹴り飛ばしたり殴り飛ばしたりしながらネクタイをちょん切るってコトだよね?」
「!?」
 綾が拳で平手を叩きながらバイオレンスなことを口走った。真に迫っている。
「ふふ……食事の為の狩りを思い出すな」
「!!」
「僕も狼族の端くれだからね」
 ティルスなどは今にも噛みつかん恐るべき形相(に見える)ではないか!
 もしや皆、穴だらけにしたことを怒っている? だとしたら……。
「他に質問が無ければ、始めますよう。各々好きなところに散ってください」
 ディガーが気のせいで戦慄しているのを他所に、各々ゆるゆると位置に着く。
 結局少し遅れて、ディガーもこれに続いた。

「ではではいきますよう。 スリー! ツー! ワーン! ファイヤ、あ、いや、トーー!!」
 ちょっと煮え切らない、けれど大きな、開幕を告げる声が響き渡った。


●ヒーローの条件とか
 正義はトラベルギア『ハイレンジャーブレード(レッド仕様)』を掲げ、挑戦者を待ち構えていた。
 正義自身屋根の上に居り、更にオウルセクタンのパプリカが上空から町を一望しており、奇襲対策もばっちりだ。
 風になびく真っ赤なネクタイは、スカーフの如く横で結んである。
「居た居たぁ!」
 足元のずっと下から、綾の嬉しそうな声がした。
「出たな怪人ヒワサカヤ!」
「誰が怪人よ! エンエン!」
「うおっ!?」
 名を呼ばれた綾のセクタンは直ちに火炎弾を発射。
 正義は真横に跳んで辛くも逃れた。
「んなトコに居ないで降りて来いっての!」
 綾は非難混じりに二発三発と炎を連射する。
「そっちこそ登って来いよ!」
 そのことごとくを身をよじり、伏せ、跳んでかわす正義。
「正義のヒーローは正々堂々、逃げも隠れもしないぜっ!」
 一先ず火炎弾を凌いだとみて、正義は立ち上がった。勿論決めポーズも忘れない。
「散々避けまくっといて言うセリフ!? ……って言いたいトコだけど」
 芝居がかっているとは言え、正義の身のこなしは素人のそれではない。
 本気で楽しめる――熱くなれる相手!
「いっくよ~!」
「おうっ、かかってこい!」
 思わぬ好敵手の出現に歓喜で震えながら、綾は駆け出した。

 ゲーム開始後、隆はミルクを一息に煽って、ゆっくりと宿を出た。
 ゆらり、ゆらりと通りを歩く。
 保安官事務所の上が騒がしいと思えば、正義と綾が死闘を演じている。
「セントウ好きだね~」
 かく言う隆もまた一対一の果し合いを求めて、獲物を捜していた。
 ふと、武器屋の前の、塹壕のような穴に目が止まる。
 こちら側からは地がめくれて、中が窺えない。
――居る。
 己の直感に従い、シャーペンを携えてじりじりと近付く。
 シャーペンは隆のトラベルギアであり、この場においては拳銃と同じだ。
 やがて、穴の二メートル手前ほどで立ち止まった。
 カチカチとノックして、射出に充分な芯を確保。
 風が、吹いた。
――今だ!
 素早く裏側に回り込み、穴に芯を向ける。
「……あれ?」
 居ない。
 刹那。軽く拍子抜けした隆の背後から獣じみた速さで近付く影が在った。
 ティルスだ!
「っ!!」
 土を蹴る音に、隆は振り向き様シャーペンの芯を飛ばす。
 隆の動きを読んでいたティルスはこれを辞書の面で防ぐも、衝撃でやや失速。
 しかし、既にティルスは至近距離に達していた。
 防御を予備動作に転じて、隆に辞書の一撃を放つ。
 くぐもった打撃音が、鈍く響いた。

 さて、前述の二組がなんだかシリアスな戦いを繰り広げている頃。
 荒事が苦手な疾風は隠れてやり過ごすべく、もそもそと台車の飼葉に紛れ込んだ。
 なにしろネクタイにはこだわりがある。某スーツ専門チェーン店の安物だ。
(死んでも死守しないと)
 現国の担当にしては残念な日本語の決意を胸に、ただひたすら隠れた。
 あわよくば、このまま時間切れを狙う算段である。
 ところで時間制限などあっただろうかとぼんやり考えていると、近くでざっくざっくと聞こえてくるではないか。
「……?」
 不審に思った疾風は飼葉から顔を出す。
「あ」
「え?」
 目の前にはディガーの、呆気に取られた時の顔。
「…………」
「…………」
 疾風は仕掛けるか逃げるかでまごまごしている。
 ディガーはやる気のようだ。が、
「こ、これ、どうやって戦うんだろう?」
 見ればディガーの左手は、親指以外の指を二本ずつハサミの穴に納めており、刃を開けずにおたおたしている。
「…………」
「…………」
「……えい」
「わあ」
 ピロッ。
 とりあえず疾風が自身のギアでディガーを軽く小突く。
 ディガーには星屑やキャンディが飛び散ったように見えて目がちかちかした。
 その隙に疾風は飼葉を抜け出し、本人なりに急いで走り去った。
「あれ? 戦わなくて……いいの?」
 打たれた頭を擦りながら、ディガーはきょとんと立ち尽くしていた。

 再び、保安官事務所屋上。
 綾が登ってから、正義との激しい鬩ぎ合いが続いている。
 一見すると綾が手数で勝っているようだが、それもそのはず。正義はあくまでヒーロー然とした立ち回りに拘り、相手を倒すのは二の次のような節がある。
 更に、正義は逆手にハサミを構えている。
 重量のある足技相手に片手剣では力不足だった。
「ふざけてると――」
 軸足を踏み込んだ綾は、すぐさま蹴り上げると見せかけて、
「ケガじゃすまないかもよ!?」
「まずいっ!」
 腿を上げて膝から先をくるりと回し、正義に踵を叩き込む。
 がきんっ。
 綾の脚を通して伝わる手応えは、金属質。
 瞬時に諸手で受け太刀した、正義の剣。
「正義のパワーで倒してやる!」
「まだヒーローごっこなの!?」
「ってな場合じゃ無さそうだ」
「……っ!?」
 綾は本能的に危機感を覚え、飛び退く。
 正義は攻めて来るでもなく、ただ、静かに八双に構えた。
「……悪いね。俺、結構負けず嫌いだからさ」
 爽やかな笑みも、わざとらしい台詞も無い。あるのは、研ぎ澄まされた闘気のみ。
「負けず嫌いなら、負けないよ~!」
 綾の声が少し震えた。武者震いであり、歓喜の震えだった。

 そして武器屋前。
 ティルスの辞書の面を辛うじてシャーペンで受け止めた隆は、競り合いで身動きが取れなかった。このままでは押し倒されるのも時間の問題。
 ならば!
 隆は意を決して、シャーペンを辞書もろとも思い切り横に放る。
「わわっ!」
 姿勢を崩したティルスの懐は隆にとって充分広い。
 踏み込みと袖つりを同時にこなし、いざ背負い投げ!
 ちょきん。
「へ?」
 腰を払う直前。
 隆の視界の隅、見慣れた柄のネクタイの切れ端が、はらりと落ちた。
「やったあ! まずは一本」
「へ?」
 何が起きたか解らず振り返ると、ティルスがハサミを持った手でガッツポーズを決めている。
 つまり、ネクタイ切りを主眼に置いていたティルスは体勢を崩しつつも、隆の両手が塞がるという好機を得たのである。
 背負われる瞬間、少し大柄なティルスは隆の胸元に腕を伸ばして、ネクタイを切り落としたと言うわけだ。
「ごめんね、虎さん。それじゃ僕、そろそろ行くよ」
 足元のネクタイを拾い上げて懐に仕舞い込んで、ティルスはさっさとどこかへ行ってしまった。
 独り残された隆に、寂しげな風が吹く。
 藁屑が、からからと転がっていた。
「俺さ、この勝負が終わったら……あの店で、一杯やるん…………だ」
 隆は、儚くも満足そうに笑って、倒れ伏した。


●左手用は高いんです
 宿屋の入口の階段に、ガラと隆、それに疾風が並んで腰掛けている。
 何故疾風も居るのかと言えば、あの後うっかりティルスに捕まってあえなくリタイヤしたからだ。
 三人は、未だ続く戦いを遠巻きに観戦したりしなかったりして過ごしていた。
 ガラは読書、隆はミルク片手にぼんやり、疾風はちくちく裁縫に勤しんでいる。

 綾は、仕掛けるのを躊躇っていた。
 身じろぎ一つしない正義の攻め手が、読めないのだ。
 一瞬の鬩ぎ合いの最中で流れが見えることはあっても、動かぬ敵の心理を読むとなれば話は違う。
 他人の心持ちを汲むのが苦手な綾なら、尚更だった。
「いくぜ」
「!!」
 正義の踏み込みに、綾の反応が遅れた。邪念が身を固くしたのだ。
 正義の手は、鋭く重い袈裟懸け。
 ゆっくりに見えるが、綾自身の動作もまたゆっくりだった。
 避けるのでは間に合わない!
「だったら!」
 右前に踏み込み屈みがてらのハイキック!
 がちっ。
 正義は直ちに太刀筋を殺し、綾の爪先を剣で受けた。
「まだまだ!」
「何っ!?」
 綾が構わず蹴り抜く。
 正義は剣を離さぬよう堪えたが、これが仇となり大きく体制を崩した。
 綾はすかさず腕を伸ばし、正義のがら空きの胸ぐら、その先にあるネクタイを掴む。
 正義もどうにか踏み止まり、逆手のハサミを振り被った。
「貰ったあ!」
「当たれっ!」
 二人のハサミがすれ違った、次の瞬間。
 ネクタイが二枚、ふわりと空に舞って、どこかへ流れた。

 そんなわけで、宿屋前の集団に綾と正義が加わった。
 綾は全て出し尽くしたのか、先程とはうって変わって大人しく、グラスに用意した茶など注いでいた。
「好きなように食べてね」
 各々にどうぞどうぞと茶を配り終えた後、持参したバスケットを開けてサンドイッチをつまみ始める。
「なんだ綾っち、気が利くな」
「一人で食べてもおいしくないもん」
 綾に倣い、早速サンドイッチに舌鼓を打つ隆の肩を叩く者が居た。
「な、な。皆でハイレンジャー観ようぜ! こいつは特撮中の特撮なんだ!」
 正義である。
 誰かが返事をする前から、ポータブルDVDプレイヤー片手に特撮について語り始めている。
 やれ着ぐるみや衣装の造形デザインも大切だが一度に出る登場人物が多いから全員が映えるカメラワークが何より重要だの、やれ決めポーズの秀逸さは他の追随を許さないだの、やれ自分のトラベルギアがハイレンジャーレッドのとそっくりで感動しただの、やれ先週のブルー扱い悪過ぎだのと底無しに饒舌で、熱く、綾と戦っていた時よりも全力で喋り続けている。
 正義が大きいお友達振りを発揮している後ろでは、疾風は皆の切られたネクタイを繕っていた。
 生地が足りないものは、恐ろしいことに適当なボロ布を手繰り寄せて水増ししており、傍らにはなんとも前衛的なネクタイが積み上げられている。
 怪我人が出たら恥を忍んで癒しビームでも使おうかと思っていたが、今のところ必要なさそうで何よりである。お陰で裁縫に集中できるというものだった。

 ディガーは、宿屋と雑貨屋の間に、大柄な体躯を挟めるように身を隠していた。
 失格者達がたむろしている入口寄りではなく、裏手側で息を潜めている。
 先頃ティルスの襲撃に遭ったが辛うじて切り抜け、今は特に鋭い聴覚と嗅覚を頼りに相手の動向を窺っているところだ。
 一方のティルスは、同じく優れた嗅覚を用いてディガーの隙を狙い、手近な樽の陰に隠れている。
 二人は、互いの位置を既に認め、故に動かなかった。
 総合的にみて、この場における二者の基本的な能力は、ほぼ互角。
 運が水をささぬ限り、雌雄を決するのは技術と、意志の強さ。
 ディガーは左手のハサミを確かめる。
 ティルスに襲われた際、彼の手元を見て使い方は理解した。
 今度は土壇場で切れないという事態にはなるまい。
 また、ここで待ち構える限り、正面以外から攻めては来ないだろうとディガーは踏んでいる。
 事実、ティルスは如何に攻めるか悩ましかった。
 この状況は巣穴に篭った獣を狙うのに似ている。
 例えば兎のように燻り出せれば簡単だが、今はその準備も無いし、第一危ない。
 頭上からと言う手もあるが、気付かれずに移動するのは難しい。
 双方に遠距離攻撃の手段も無い以上、最早、真っ向勝負しかない。
「よし!」
 ティルスは腹を括り、一歩、また一歩とディガーに近付く。
 時を同じくして、ディガーも、ついに隙間から出てきた。
 双方の基本戦術が奇襲や待ち伏せなら、最早意味を為さない。
「これで最後だ。行くよ!」
 先手はティルス。上段から辞書を力任せに振り下ろす。
 ディガーは右手のみ振るいシャベルで辞書を弾く。振り切らず、続けてシャベルの面全体をティルスに押し付け、攻め手封じを試みる。
 これをティルスは下から打ち上げるも、ディガーは作用点を意識して跳躍し、衝撃を殺す。
「意外とやるね!」
 まるでシャベルが身体の一部と言わんばかりの体捌き、シャベル捌きだ。
 ティルスは内心驚きつつも、手を休めることは無い。
 身を翻し遠心力を加えた一撃を、ディガーの着地に重ねた。
 ディガーは正中線を庇う形でシャベルを地に向け着地、ティルスの辞書を更に受け止める。
 予備動作が大きかったティルスは、構えが遅れた。
「チャンス……かな?」
 ディガーは隙を見逃さない。
 何より防御を貫いたのは、ハサミを振るう為。
「しまった……!」
 左腕が宙を走り、ハサミはティルスのネクタイを捕える!
 ディガーが左手をしぼめて、勝負は――。
「……あれ?」
 着かなかった。
 ハサミは確かに閉じていたが、ネクタイを文字通り挟むだけで、切れない。
 何度か開閉してみても、端の方に気持ち切れ目ができるに留まった。
「…………」
 ディガーは助けを請う眼差しでティルスを見つめた。
 ティルスは置かれた状況も忘れて冷静に考え、やがてある仮説を導き出す。
「えと、右利き用なんじゃないかな」
「あ……え? 違うものなんだ……」
「うん。だから、こうやって右手で使うと」
 ティルスは例を示すべく、右手でハサミを持ち、実演した。
 ちょきん。
「ほらね」
 つまり、ディガーのネクタイを、切ったのだ。

 悪気は無かった。


●真実も無かった
「はーい。結果発表ですよう」
 例の如くガラがマイク片手にくねくねと動いて仕切り始めた。
 ガラの後ろではディガーが心置きなく掘削に興じている。
「見事バトルロイヤルを勝ち抜いたのは? ……ツーリストの、ティルスです! おめでとう! 拍手ー、ぱちぱちぱちー!」
 皆が惜しみない――のかどうかは解らないが、とにかく――拍手を贈る。
「ではでは約束通りガラのプレゼントです。ちょっと待っててね」
 ガラは、ごそごそと鞄の中を漁った後、重ねた両手にちょこんと何か乗せて、ティルスに差し出した。
「どうぞ。受け取ってください」
「これは?」
 ティルスが不思議そうに覗き込む。
 掌にはエナメル質で茶色いバゲットみたいな形の物体が、リボンに飾られて転がっていた。
「チョコレート?」
 そう、チョコレートだ。だが、この形は一体……?
「きすですよう」
「きす??」
 ティルスは、とりあえず摘み上げて凝視するが、益々不可解だ。
「ひょっとして、魚か?」
 隆の言葉で、綾、正義、疾風にも合点がいった。
 確かに、目を凝らしてみれば申し訳程度に背びれや尻尾、目や口のようなものも描かれている。
 きすと呼ぶには激しく強引だが、魚と言われれば、ぎりぎり見えないことも無い。
「でもさ、なんできすなの?」
 綾の疑問に「それそれ」と、ガラが嬉しそうに笑って答えた。
「本当はね。ネクタイを狩る代わりに『きす』をプレゼントするんですよう」

「……ん?」
 後に、ディガーは語る。
 急な静けさに振り向くと、あたかも時が止まったかのようだった。自分だけ置き去りにされた気がした、と。

 尚、疾風が補修したハイブリットネクタイは、ハサミと共に、参加賞として全員に配られた。

クリエイターコメントお届けが遅くなり、申し訳ございませんでした。
優勝賞品、並びに参加賞、どうぞお受け取り下さいませ。

今回は2月14日に便乗したお話ですが、実際のネクタイ狩りは時期が重なったりするだけで、バレンタインとの直接的な繋がりは無いみたいです。
きっと、もっと可愛らしいお祭りなのだろうと思います。
そうしたギャップも併せて、少しでも楽しんで頂ければ幸いです。

この度のご参加、まことにありがとうございました。
公開日時2010-03-17(水) 18:30

 

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