トラベラーズカフェの丸テーブル。 紅茶が入った大きなポットと、チョコレートドーナツ、抹茶シフォン、はちみつマフィンが乗ったテーブルを囲むのは女の子三人。お喋りに花が咲くかと思いきや、奥の席に座るミルカ・アハティアラは指をこねこねといじりながら何かを口ごもっている。 「その、お二人にこんなことを頼むのは本当に申し訳ないんですが……」 「どうしたのミス・ミルカ、驚いたコマドリみたいなお顔」 対するソア・ヒタネとメアリベルはそれぞれ頼んだお菓子に手を付けるのも忘れて、ミルカの真剣でそして口の重い様子をはらはらと見守り言葉の続きを待つ。 「い、一緒に、壱番世界に行って欲しいんです!」 「壱番世界……ですか? もちろんです! でも、どうして急に?」 ミルカの口から出てきたのは、何をそんなに思いつめる必要があるのかと思うようなふたりへの依頼。だがこの様子ではきっと、壱番世界に行くことはミルカにとってとても大切で、必要で、でもひとりで遂げようと思うには大変なことなのだろう。それを察したソアは仔細を聞く前ににっこりと微笑んで、ミルカを安心させるように話を促した。 「わたし、ロストナンバーに覚醒したとき、壱番世界に転移したんです。そのとき出会った女の子と男の子に、どうしてもまた会いたいんです……!」 祖父のもとでサンタクロースの修行中だったミルカは、クリスマスの夜。プレゼントの配達中にロストナンバーに覚醒し、壱番世界の大阪という都市に転移した過去がある。状況も飲み込めない、言葉が通じる人もいないなかでミルカが出会ったのは、現地の女の子と男の子。 「女の子は、わたしにたくさん話しかけてくれました。きっとわたしがサンタクロースだってことに気づいたんだと思います。プレゼントを欲しがる仕草も見せていました」 「男の子は……疲れてうずくまってるわたしに、傘を貸してくれました。お礼にヴィクセンのお守り人形をあげることは出来ましたけど、ありがとうの気持ちが伝わってるか気になって……」 男の子には改めてお礼を言いたいし、傘も返したい。ヴィクセン人形がどうなっているかもすこし気になる。だけどもっと気になるのは、プレゼントをあげられなかった女の子のほう。 「わたし、その女の子が怖くなって、逃げ出しちゃったんです。あの時持っていたプレゼントの袋は、故郷の子供たちが楽しみに待ってるものだったから……その中からあげるなんて考えられなかったせいもあるんですが」 それでも、あの時サンタ服のポケットには配達でちょっと疲れた時用にチョコレートや飴玉を入れていたし、男の子にあげたヴィクセン人形だって入っていた。言葉が通じなかったせい、パニックと疲労のせいとはいえ、自分はサンタクロースにあるまじきことをしてしまった。ロストナンバーでいるうちにどうしてもその後悔を濯ぎたいのだと、ミルカはふたりにぽつぽつと語った。 「サンタクロースになって、皆に笑顔をお届けしたい。サンタクロースのディヴさんとお話して、一番大切な最初の目標に気づくことが出来て……分かったんです。わたしが最初に笑顔をお届けするのは、あの女の子なんだって」 だから、一緒にその女の子を探して欲しい。 女の子に笑顔を届けるところを、ふたりに見守って欲しい。 もちろん、それを断るソアとメアリベルではない。 「はいっ、任せてください! わたし精一杯お手伝いします、絶対に見つけましょう!」 「当然よ、ミス・ミルカ。うんと素敵なプレゼントも選ばなくっちゃね?」 「あ、ありがとうございます! よろしくお願いします……!」 ミルカはふたりの即答にやっと心からの笑顔を見せ、思いの丈を打ち明けた疲れからか椅子の背にとんともたれて大きく息をついた。その様子にメアリベルがくすりと笑う。 「ねえ、ミス・ミルカ、鉄仮面の囚人を追ってチャイ=ブレのお腹に迷わず飛び込んで行った、ライオンと戦ったユニコーンよりも勇気があるミス・ミルカ! あなたって自分のことになると、まるでふつうの女の子なのね?」 「……そうかもしれません」 助けたい人がいる、その思いがミルカを危険な場所にためらわず向かわせた。 今は、笑顔を届けたい女の子がいる、その一心がミルカを動かしている。 素敵なサンタクロースになりたい、その思いはとても素敵で美しくて、大切で。だけど、だから。大きすぎる思いは、本当の心を、プレゼントを受け取る誰かのことをほんのすこし見えにくくしていた。悩まなくても、答えはもう出ている。それを、偉大なディヴ・ザ・サンタが気づかせてくれた。 __他人の手をうまーく借りるのも、サンタの技量の一つだぞ 今、ミルカの目の前には、その技量をお披露目できる大事な友がふたりもいる。 ◆ 「大阪という街……都市ですね、広くは無いんですけど、日本のなかでも人が多いところらしいです」 三人は世界図書館に赴き、まずは覚醒したミルカを保護した依頼の報告書を調べることに。ちょうど、当時依頼を担当した世界司書にも話を聞くことが出来たため、細かなエリアを特定することはそう難しくなかった。 「大阪市の道頓堀という繁華街で発見したと書いてありますね。司書さん、ここはどういうところなんですか?」 「依頼に行ってくれたコンダクターさん曰くだけど、人通りが多くてネオン……電飾のことね、がすごく派手で、あなたがサンタ服を着ていなかったらまず探せなかったって言ってたよ」 確かに、ミルカが覚醒し転移させられた時もそんな風に思った記憶がある。思い出すように頷くと、そんなところ、しかも夜の街を小さな子どもが立て続けにふたりも現れるとは考えにくいとの所見を述べた。 「でも、たしかにいたんです。もしかしたらもうこの街にはいないかもしれないけど……」 何もしないのは、嫌だ。 何も出来なかったあのときとは、違う。 「とにかく、行ってみませんか? その時のことを覚えてる人がいるかも……」 ソアの提案に、全員が大きく頷く。 ◆ 大阪市、道頓堀。心斎橋と難波の間、道頓堀川の両岸をつなぐ戎橋を中心に栄える、大阪のなかでもかなり大きな歓楽街のひとつ。昼間でもターミナルよりずっと多い人通り、大音量で宣伝の音楽や映像を流す派手な建物に、がやがやと喧しい人々の話し声。壱番世界の言葉が通じる今になっても、この光景にはやはり圧倒されてしまう。 「あ、この蟹の看板見覚えがあります……!」 ミルカが記憶を頼りに角をいくつか曲がると、道頓堀川沿いとはかなり趣の異なる純和風の建物がいくつも並ぶ細い路地が三人の目の前に現れる。木造の看板を見上げれば、ここは法善寺横丁という名の通りらしかった。 「たぶん、ここで女の子に会って……わたしはあっちに逃げてしまったと思います」 古い飲食店やお寺がひっそりとある向こうには、さっきの道頓堀川沿いのような現代的な建物が並ぶ。時間の流れがそこかしこで違うように感じられるふしぎな街だったが、ただ分かるのは、この街は人が……たとえば小さな子どもが住むには向いていないということだ。 「あの子、どこから来たんだろう……?」 「わたし、思うんですけど」 ソアが周囲を見回しながらおずおずと言葉を投げかける。 「わたしの故郷では、農作業の間に小さな子どもたちを一箇所に集めて、農作業に出られないおじいさんおばあさんや、わたしくらいの歳の女の子が交代で面倒をみていたんです」 この街は人が住んでいるわけではなさそうだが、人は働いている。だったら、どこかに子供を預ける場所があるのではないかとソアは言った。 「そうかもしれないわね、ミス・ソア。こんなにたくさんの大人がいるのなら、子守りの仕事は大繁盛のはずよ。……そういえば、聞きたかったんだけど」 ソアに頷いたメアリベルはミルカに向き直る。 「ミス・ミルカはその女の子に会いたいの? あなたの力なら名前が分かればプレゼントを届けられるのに」 「はい、そうなんですけど」 「?」 ミルカはふっと笑い、故郷の世界でもずっと使っていた小さな手帳を取り出してみせた。中にはプレゼントの候補や子どもたちからの手紙を抜粋したメモがびっしりと書き込まれている。どうやらサンタクロースのネタ帳ともいえるノートのようだ。 「会いたいなって思います。だって、名前で分かるのは居場所だけなんですよ」 女の子が何を欲しがっているかは、会ってみないとわからない。 ◆ 夜でも子供を預かる場所、と仮説をたてて聞きこみをした結果、ミルカが転移し保護された場所の近くには24時間体制の保育所がいくつかあることが分かった。そのうちのひとつを訪ね、ミルカが描いた女の子の似顔絵を女性の職員に見せると、女性は少しだけ眉をひそめて困ったような表情を見せる。 「夜に道頓堀のほうで見かけたのなら、りおちゃんしか居ないんじゃないかしら……」 どうやらこの保育所に入所している篠原りお(ささはらりお)という名前の六歳の女の子が、似顔絵の姿と行動の特徴が一致しているらしい。だが、職員の顔は浮かない。 「いつもお父さんが預けに来られるのよね……お母さんは亡くなってしまってるの」 曰く、この街で働いていたりおの母親は二年ほど前に亡くなってしまったらしい。だがりおはそれをまだ理解出来ず、母親は長い仕事に出て行ったのだと信じている。記憶を頼りに母親が働いていた店を探そうとしては保育所から抜けだしてしまうのだという。 「そうだったんですか……」 職員の話を聞いた感じでは、りおの母親が亡くなったのはミルカが壱番世界に転移するよりも前のことのようだ。あの日も、母親を探してさまよっていたのだろうか。 「りおちゃんは、今どこに?」 「たぶんもうすぐお父さんと一緒に来るんじゃないかしら」 時計を見れば、そろそろ夕方の五時。職員の答えに呼応するように、保育所のドアがすいと開いた。 「(あ……)」 父親と思しき三十代ほどの男性と一緒に手を繋いで入ってきた、黒い髪をポニーテールに結った気の強そうな女の子。忘れるはずがない。さっと身を隠してしまったが、ミルカは目が釘付けになった。 「りおちゃん、こんにちは。おとうさんにいってらっしゃい出来るかな?」 「パパ、いってらっしゃい! きょうはちゃんとママといっしょにかえってきてね」 「……行ってくるよ、いい子に待ってるんだぞ」 両親を待つ純粋な瞳。ミルカは、あの瞳に何を映せばあの子が本当に笑顔になるのか、考えても考えても思い浮かばなかった。 ◆ 「なんだか大変なことになっちゃったわね」 「でも、投げ出しません」 ミルカはきゅっと口を一文字に結び、必死に考えた。りおが欲しがっているもの、りおを笑顔にしてくれるものを。 「ねえミス・ミルカ? ミス・リオは何を思ってこの街を歩いているのかしらね」 「それは……お母さんを探しているからじゃないですか?」 「ううん、メアリちょっとだけミス・リオの気持ちがわかるわ。ミス・リオはきっと、ママが自分を忘れちゃったんじゃないかって怖がっているのよ」 忘れちゃったから、置いて行かれた。 それは幼い子どもにとってどれだけ怖いことだろう。 「だから、ここにいるよってママに伝えたいんじゃないかしら」 「そっか……」 それはミルカの今の気持ちにもすこし通じる。 故郷から放逐されて、サンタおじいさん……祖父エーヴェルトが自分を忘れてしまっていないかと少し怖い気持ちになることがあるから。パスホルダーを持たされて、世界の仕組み上忘れ去られることは防げたけれど、不安な思いは弱ったところを狙ってするりと入り込んでくるものだ。 「じゃあ、お母さんがりおちゃんを忘れてないよって伝えられたらいいんでしょうか……?」 「ロストナンバーでも、死んでしまった人の声はわかりませんよね……」 笑顔を届けるためとはいえ、嘘を伝えることは出来ない。 じゃあ、何をすればいいのだろう。 「サンタクロースって、世界中の子供たちにプレゼントを届けるんですよね?」 「はい、わたしの故郷ではそうです。壱番世界ではお父さんやお母さんがサンタのふりをしてプレゼントをあげるそうですね」 ソアが何かを思いついたようにふたりを手招きし、ひそひそと耳打ち。ソアの思いつきを聞いたふたりははっと目を輝かせて。 「……ど、どうでしょうか?」 「いいかも! ソアさんすごーい!」 どうやら、プレゼントの方向性は固まったようだ。 善は急げ、なんたって今日はクリスマスイブなのだから。 ◆ やがて夜は更け、時間は午後の九時を回った頃。 保育所で聞いていたとおり、りおは母親を探して職員の目を盗みこっそりと保育所を抜けだしていくのを三人は確かめる。 「じゃあ、作戦通りいきましょう……!」 「はい! メアリベルさん、よろしくお願いします」 「だいじょうぶ、メアリとミスタ・ハンプにまかせて」 慣れた様子で夜の街を小走りにゆくりおの後ろをそっとついていくメアリベルの背中を見送り、ミルカとソアもそれぞれの準備にかかる。 「メリークリスマス、ミス・リオ? ごきげんよう」 「えっ? あ、こ、こんにちは?」 りおがあまり遠くに行かないよう、そしてこれから三人がすることをあまり多くの人に見られないように誘導するのがメアリベルの役目。メアリベルはにっこりと微笑んでりおの手を取る。 「メアリはミス・リオのことを何でも知ってるの、今日はクリスマスの夜だから特別にサンタさんを連れてきたのよ」 「サンタさん!? りお、サンタさんにお願いしたいことがあるの!」 「もちろんそれも知ってるわ、メアリのサンタさんにうんとお願いすればきっとどんなプレゼントもかなうわよ」 うやうやしく、サンタクロースを呼ぶ儀式のようにメアリベルはトラベラーズノートを開き、合図の一文をミルカとソアに送る。合図を受けてミルカはソアを連れてメアリベルのそばにテレポート能力でひとっ飛び。突然現れたサンタクロースの少女に、りおは驚きで目を丸くする。 「サンタおねえちゃん!? りお、サンタおねえちゃん知ってる!」 「えっ、もしかしてわたしのことを覚えててくれたんですか?」 「知ってるよ! 雪の日にあったよね?」 こくこくと頷くミルカに、りおは笑顔半分、泣き顔半分の複雑な表情でミルカをじっと見つめる。 「りお、サンタおねえちゃんにごめんなさいしたかったの」 「わたしに……?」 「うん、りおがいいこじゃなかったから……。りお、もうプレゼントもらってたのに、もっとほしいものがあったから、サンタおねえちゃんにおねだりしちゃったの……」 テレポートで現れたミルカを本物のサンタクロースだと信じきったりおは、父親からもらったであろうプレゼントもミルカが運んでくれたと思っているようだ。そして、もっと欲しいもののためにミルカに直接プレゼントをねだったのだとりおは涙をがまんしながら言う。 「りお、ママにあいたい……サンタさんは世界中にいけるから、りおをママのところにつれていってほしかったの……」 「そうだったんですね……。わた……サンタさんこそ、りおちゃんに本当に欲しいものをあげられなくてごめんなさい。ずっと、気になっていたんです」 七夕さまにも、初詣でも、もちろんサンタさんにもお願いしてみたけど、誰もお願いをかなえてくれなかった。 「りおちゃん。あの時、わたしが持ってたプレゼント袋の中にはね、りおちゃんが欲しいものは入っていなかったんです。今も、この袋の中にりおちゃんのママは入ってません」 「そうなの……?」 「でも、りおちゃんはわたしにごめんなさいをしたかったんですよね? りおちゃんはとってもいい子です! だから、後であげるプレゼントの前に、ひとついいことを教えてあげます」 ミルカがソアに目配せをする。 「今から、ママからの伝言を伝えますね。今は会えないくらい遠いところにいるけれど、ママはりおちゃんのことが大好きで、絶対に忘れたりしません。だからりおちゃんも、ママのことを忘れないでいい子にして、パパを大好きでいてくださいね」 「ほんとに、ほんとにママがいってたの?」 「……はい、ほんとです。その証拠に、今から雪を降らせてみせましょう」 ミルカの言葉を合図に、後ろに下がってりおの視界から離れたソアがそっと、トラベルギアの花笠を空に向かって放り投げる。すると、ネオンに負けずオリオンがうっすらと光る大阪の夜空がみるみるうちに雲で覆われ、白い雪がちらちらと降り出した。りおはあっけにとられたように空とミルカを交互に見て、何か言いたそうにしている。 「ママには会えないの……?」 「そうですね、とってもとっても遠くに行ってしまったから。だから、こんな風にひとりぼっちでママを探しまわっては駄目なんですよ。とても危ないことです」 「……りお、わるいこ?」 「それはちょっとだけ悪い子ですね。もうしないって約束出来ますか?」 「そっか、りおわるいこだったんだ……そっか……」 りおは何か納得するところがあったのか、空から降る白い雪をただじっと眺めていた。 「さあ、お父さんが迎えに来る保育所に戻りましょう。先生たちもうんと心配してますよ」 「うん……」 メアリベルと手をつなぎ、りおは保育所への道を戻りだす。ちらちらと降る雪を見上げてふと立ち止まり、確かめるようにミルカに向き直って。 「サンタおねえちゃん、ママはりおのことだいすきだよね?」 「はい、もちろんです!」 「……うん!」 りおがやっと、にっこりと笑う。 三人がしたことは子供だまし、その場しのぎの嘘かもしれない。それでも、りおは納得して笑ってくれた。次のクリスマスからはきっと、プレゼントを落胆せずに心から喜んで受け取ってくれるだろう。 「りおちゃん、プレゼントは何が欲しかったんですか?」 「ママといっしょにあそんでたおままごとのセットと、ママがよんでくれたえほんの続きのほんがほしかったの。おうちにはもうないから……」 「そっか……」 きっと、りおの父親も母親を思い出して辛いから、思い出の残る品物は隠したか処分したかしてしまったのだろう。それは大人の解決法かもしれないけれど、こうしてりおを寂しがらせてしまった。 りおを保育所に送り届けてから、ミルカはりおの父親に宛てて短い手紙を書いた。 「ミス・ミルカ、なんて書いたの?」 「お母さんとの思い出の品で遊べるようにしてあげてください、って」 ミルカとりおは違う世界の住人だ。最初に出会ったからとはいえ、いつまでもりおを見守り続けることは出来ない。だから、物をあげるよりも……そんな思いがミルカにあったのかもしれない。りおが本当に欲しがっているプレゼントをあげられるのは、今のミルカではなく、りおにとっての本当のサンタクロースしかいないのを知っているから。 クリスマスは、一年で一番、みんなが笑顔になる大切な日。 心からクリスマスを楽しめるようになってほしい、そんな心遣いから出た優しい嘘が、三人からのクリスマスプレゼント。
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