「んー、まだちょっと帰るには早いよねぇ」 この後どうしよっかと楽しげに仁科あかりが同意を求める先は、オウルフォームのセクタン。彼女の肩に止まってゆらゆらと気儘に揺れていたモーリンは、小首を傾げるような仕種をする。 「特に意見なーし! ってこと?」 じゃあわたしの勝手にしちゃおっかなーと考えを巡らせ始めたあかりに、モーリンは反論しないかわりにぶわっと羽を広げた。顔面に羽ばたきを受けたあかりは、暴力はんたーい! と声を荒げたが、聞いた様子もないモーリンはとっくに飛び立っている。 追いかけっこでもする!? と怒ってるのか楽しんでるのかよく分からない様子でどこかに向かったモーリンを視線で追いかけると、オウルフォームに突然の襲来を受けた相手と目が合った。 「あっ、バーミヤンー!」 「仁科殿。これは丁度よかった」 元々細い目を尚更細めて久しいなと声をかけてくれる橡に、あかりも笑顔になって駆け寄る。 「お久し振りですー。コヤタンも元気そうだねっ」 言ってあかりが撫でるのは、ドッグフォームのセクタン。正式名称小弥太だが、橡をバーミヤンと呼ぶのと同様あかりなりの呼び方をしている。咎めもせず嫌な顔もせずそれを受けてくれる二人が、あかりはとても気に入っていた。 じゃれ合っているモーリンと小弥太を撫でて愛でていると、仁科殿に土産があるのだと橡が懐紙を取り出した。しゃがんで見上げていたあかりが立ち上がりながら何です? と尋ねると、どこか楽しそうにした橡は無言でそれを広げて見せる。思わず覗き込むと、そこには綺麗な桜の花弁が一つ、二つ。 「わあ! 桜だー!」 「先日、壱番世界に赴く機会があってな。花弁だけではあるが、これも風情かと思い土産にと持ち帰った」 よければ受け取ってくれと差し出され、あかりは思わず目を輝かせながら大事そうにそれを受け取った。 「ありがとうございます!」 「喜んでもらえたなら何よりだ」 あんな思いをした甲斐もある、と小さく呟いた言葉はあかりには碌に聞き取れなかったが、小弥太はどこかしら悟ったように何度か頷いている。何かあったのかなと首を傾げたがあまり追求しても悪いので、懐紙ごと丁寧に畳んで大事に片付けたあかりは何かお礼をしないとですねと考え込む。 「バーミヤン、この後時間はあるですかー?」 「時間なら、いくらでも」 どこか遠い目をして答える橡に、ああ、同居人絡みであまり邸に帰りたがっていないのだったかと思い出す。でも、時間があるなら好都合! それじゃあ早速と、左手のほうをびしっと指した。 「ハローズに向かうでーす!」 「? 仁科殿?」 何事かと目を瞬かせる橡に、いーからいーからとにんまり笑って背中を押す。 「ほら、雪だるまを作ってた時に言ってたじゃないですかー。きっとブーツだったら転ばないって」 「ぶ、ぶーつ」 分からなさそうに繰り返す橡に、いーからいーからともう一度笑ってセクタンたちに振り返る。颯爽と歩く小弥太と、その隣でちょこちょこと頑張って歩いているモーリンに、ふふっと声にして笑う。 「今日は素敵お買い物日和、ってことだよねっ」 あかりに押されるようにして訪れたのは、特にクリスマスによく名前を聞く百貨店。ターミナルの一角にある「ハローズ」だ。人の多さを思うと胃が痛むような気がするが、楽しそうなあかりに帰るとは言い出し辛い。それに、確かに雪で滑らない靴はあると有難いのも事実。 「ここならきっといいブーツも見つかるはず! というわけで、突撃ー!」 元気よく手を振り上げるあかりに、小弥太とモーリンが各々羽を広げたり尻尾を揺らしたりして応えている。橡としても腹を決めて、行くでーすと先頭を切って売り場に向かうあかりについていく。 華やかで人の多い百貨店内は正直橡にとっては厳しい場所でもあったが、隙を衝いて声をかけてくる店員の対応はあかりがしてくれた。何度も試着するのは気が引けたが、それが正しい靴の買い方! と主張するあかりが退屈した様子もなく付き合ってくれるので、満足いくまで試すことができた。 最後まで黒と悩んだが、色は結局焦げ茶にした。履きやすいように少し短めで、かっちりと紐を締める形は慣れるまで少しかかりそうだが履き心地はよかった。底が厚めでずっしりとした重さだが、これなら雪でも水でも滑ることはなさそうだ。 「おおーっ。かっこいー!」 似合うーと拍手を送るあかりに合わせて、小弥太とモーリンも似たような仕種をする。橡は照れ隠しのように軽く頬をかくしかない。 「仁科殿にはすっかり付き合わせてしまった……忝い」 「何を言うですか、買い物はまだまだおわらなーい! ですよ? コヤタンにも選んであげなくちゃだし」 ねー、と楽しそうに同意を求めるあかりに、小弥太も同意するように力強く尻尾を揺らす。小弥太に何を? と首を捻ったが、尋ねる前にあかりがセクタンを引き連れてさくさくと先に進む。どうやら本気で買い物は続くらしい。 この人ごみの中をまだ歩くのかと少し気が遠くなりそうになったが、ふと振り返ってきたあかりがにこっと笑顔になる。 「でもちょっと疲れたから、先にお茶するですか」 缶ジュースになっちゃうけど、と人気の少ない階でひっそりとある休憩スペースを示すあかりに、ほっとして頷く。橡を気遣ってくれたのだろうあかりに感謝しながら椅子に腰掛け、ぴこぴこと尻尾を揺らしている小弥太を撫でる。 「小弥太も何か選んでもらうのか」 「コヤタンには勿論当然、子供でも火がつけられるタイプの簡易ライター」 それは絶対外せないと拳を作るあかりに、小弥太の尻尾も頷くように上下する。らいたあ、と首を捻る橡を他所に、あかりは小弥太の前足を捕まえて熱弁を振るう。 「フォックスじゃない時にいぢめられそうになったら、燃やすって脅すですよ」 身の安全は確保せねばと熱く主張されるそれは、どうやら同居人対策なのだろう。小弥太も同意しているようなので、備えておくのもいいかと反論は呑んだ。何より小弥太やあかりが楽しそうなら、それを邪魔する権利はない。 不思議そうに首を傾げているモーリンを撫で、同居人対策の道具から小弥太に似合いそうな小物、モーリンのリボン、あかりの服と買いたい物が続々と出てくるのを楽しげに見守る。橡にはそこまでの物欲はないが、尽きることなく嬉しそうに話すあかりを見るのは楽しかった。 「はっ! でも一番忘れちゃいけないのがスケボーですよ!」 バーミヤンの為に! といきなり水を向けられ、何事かと目を瞬かせる。あかりは忘れる前に行かなくちゃですと橡の手を取って向かい始め、連れて行かれた先では派手派手しい板がずらりと並んでいる。これは? と首を傾げている間に、あかりは小弥太やモーリンと相談してどれにしようかと選びにかかっている。 (下にころがついているのか……、何とも不安定そうだが) どう使う物なのかと考え込んでいる内に、これに決定ー、と嬉しそうなあかりの声が届く。ほらかっこいいと橡に押しつけるようにしてにこおっとしたあかりに、青を基調にした板に派手な黄色で雷を描いているらしいすけぼー、とやらを抱いて橡は何度か瞬きをした。 結局ハローズで買ったのは、橡のブーツとスケボー、そして小弥太専用武器の三つだけだった。成果がそれだけにも拘らずかなりの時間が過ぎているのは、橡を引っ張り回して冷やかしにつとめたからだ。橡が人込みを得意としないので何度も休憩を入れたからという説もあるが、それよりはやっぱりあかりがはしゃいで振り回したと言うほうが正しい。 けれど、橡は時折目を白黒させていたけれど嫌そうな素振りは一度もしなかった。あかりにとっては何でもない物をいちいち感心して眺めたり、面白そうに目を細めたり。大半はあかりを含めたセクタン組を微笑ましく見守っていたと表現すべきだろうが、うんざりした顔をしないで付き合ってくれるのがすごく嬉しかった。 「ほ、本当に俺がやるのだろう、か……」 今はちょっぴり頬が引き攣っているけれど、それでも律儀に付き合ってスケボーに片足をかけている橡にもちろーんと頷く。 「スケボーする侍、ロックすぎるっ。かっこいー!」 ハローズを離れて少し広い公園に向かうとすぐ、スケボーの見本と称してあかりが散々楽しんでしまった。そうじゃなくて、目的はあかりが楽しむことではなくて。ロックで素敵な侍を見ること。何より橡にも楽しんでもらうこと、だ。 「そこからここまで、だーっと滑ってみるですよー」 「さ、先ほど仁科殿がしていたようにできる自信はないのだがっ」 そわそわしたように続けられた言葉に、あははーと笑って頬をかく。さっきはちょっと、思いっきり楽しんでしまった。アクロバットな技を繰り広げると、小弥太が喜んでくれたしモーリンが自慢そうにしてくれたものだからつい調子に乗ってしまったのだ。 「あれは見本というか、単にわたしが楽しんじゃっただけですから気にしないーです」 最初にやったみたいにそれに乗っかってざーっとこっちまで来るだけでいいですからと促すと、足元で期待したように見上げている小弥太を見下ろした橡が意を決したように頷いた。 「そ、れでは、いざっ」 覚悟を決めた真剣な面持ちで、スケボーに乗る侍。ロックすぎる。 「やっぱりイケてるっ。ね、モーリン」 途中よろっと身体が傾いたりするのもご愛嬌、だ。転ばずに辿り着いて、これはなかなかと口許を綻ばせる橡にあかりまで嬉しくなる。さすがに始めたばっかりであかりほどの腕前には到底なれないけれど、小弥太やモーリンをスケボーに乗せてゆっくりと片足で蹴って進む姿のほうが橡には似合っている気もする。 「はは、すっかり小弥太のほうが気に入ったようだ」 「うん、モーリンも楽しそう。ありがとうです」 「それはこちらの台詞だ。仁科殿のおかげで楽しい時間を過ごせた」 「ふふ。桜のお礼になったです?」 「無論、過ぎるほどだ」 橡が頷いてくれると、お世辞でも何でもなく真っ直ぐな気持ちなんだろうなとすとんと届く。へへ、と照れ隠しに笑ってモーリンを抱き上げると、スケボーを片手に持った橡が小弥太を見下ろした。 「さて、名残は惜しいがさすがにそろそろ帰らねばな」 「えーと。帰っても大丈夫です……?」 帰りたくなかったのではとそろそろと尋ねると、それでも家だからなぁと僅かに苦く微笑む橡が心配になる。送ろうと声をかけられるが、ここはわたしが! と譲らずのんびりした足取りで橡の邸に向かう。 「しかし、俺が送って行くべきではないか」 「今日は私の番。次はバーミヤン。ですよ」 じゅんばんこだからと胸を張ると、あかりの肩に乗ってきたモーリンも大きく頷く。驚いた顔をした橡は滲むように笑い、では次が俺の番かと噛み締めるように呟いた。 そうしている間にも、前方に首攫イ邸が見えてくる。思わず足を止めると気づいて振り返ってきた橡に、もう一度大丈夫です? と尋ねる。 ふと柔らかく笑った橡は、ゆっくりと頷いた。 「あれもさほど悪い奴ではない……、心配をかけてすまんな」 あかりの頭を撫でる橡の嘘を見抜くように見据えると、お守りも貰ったろうと足元にいる小弥太を示される。専用武器にと選んだそれを銜えて自慢げに見せてくる姿にあかりも口元を緩め、うんと頷く。 「長く引っ張り回してごめんです」 「なんの。楽しい時間だった」 なぁ、と同意を求めながら抱き上げた橡の腕で、応えるように小弥太が尻尾を揺らす。あかりと同じように、二人とも楽しいと思ってくれたなら嬉しい。 「それじゃあ、おやすみ」 「ああ。また今度」 促されるまま踵を返し、途中で振り返って絶対またねと大きく手を振る。少し遠くなった橡はふと口許を緩ませ、軽く手を上げて答えてくれる。あんまり眺めていると帰り辛くなるので、肩に乗ったまますりと顔を寄せてきたモーリンを撫でるともう一度大きく手を振り、ぱっと駆け出した。 「また遊ぼうねー!」 聞こえなくてもいいやと思っての確かでない次の約束に、応、の声はちゃんと届いたような気がした。
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