窓の外はどこまでもつづく虚無の空間「ディラックの空」。 ロストレイルは今日も幾多の世界群の間を走行している。 世界司書が指ししめす予言にもとづき、今日はヴォロス、明日はブルーインブルー……。大勢のコンダクターが暮らす壱番世界には定期便も運行される。冒険旅行の依頼がなくとも、私費で旅するものもいるようだ。「本日は、ロストレイルにご乗車いただき、ありがとうございます」 車内販売のワゴンが通路を行く。 乗り合わせた乗客たちは、しばしの旅の時間を、思い思いの方法で過ごしているようだった。●ご案内このソロシナリオでは「ロストレイル車中の場面」が描写されます。便宜上、0世界のシナリオとなっていますが、舞台はディラックの空を走行中のロストレイル車内です。冒険旅行の行き帰りなど、走行中のロストレイル内のワンシーンをお楽しみ下さい。このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・ロストレイル車内でどんなふうに過ごすかなどを書いて下さい。どこへ行く途中・行った帰りなのか、考えてみるのもいいかもしれません。!注意!このソロシナリオでは、ディラックの落とし子に遭遇するなど、ロストレイルの走行に支障をきたすような特殊な事件は起こりません。
ふぅと、憂いを帯びたため息が枝幸シゲルの口からもれた。 まったく、とんでもない目にあった…… インヤンガイで騒動が起こっているという依頼で行って見れば胸が大きくなったり、ピンク色のものが好きになってしまったり……ああ、思い出すのはよそう。人生最大の汚点であり、暗黒歴史を振り返るとどっと五十歳くらいは年齢をとった気分に陥る。 「リンヤンさん、いつか必ずこの手で」 それでなくとも普段から女に間違えられて不愉快な思いをしているのに、今回の一件ではいろいろなネジがぶちとんでしまった。 人を殺すのはどんな理由であれだめだと、そう思うが――ため息をついて目を閉じる。 うとうととしていて、ふっと何かの気配を感じた。 あ、いけない、寝てしまっていた……目を開けると、ひらひらと白衣が見えた。そして、その肩に鉄のキノコ――あ、れ、は! 見間違うはずがない、 我が生涯のすべてを賭けて呪って、叩いて、焼いて、揚げて、しっかりと木端微塵にした暁には家の裏の畑に肥料としてふりまいてやると誓った、リンヤン! ――いや、畑なんかに撒いたりしたら、それこそ変なキノコが生えてきそうだから、灰すら残さず無にかえしたい。 「しかも、あのキノコって、改造くん?」 そう考えた瞬間、シゲルは黙って愛用の弓を片手にがしぃと強く握りしめていた。 「……ここであったが運命、いや、決して自分の私怨を晴らそうとかじゃなくってね、うん……ここで騒動とか起こったら大変だもんね」 そっと肩にプシュケを乗せて、背中にはそれはそれは見事なドス黒い殺気を滾らせてシゲルはすたすたと歩き出す。 「決して、漢女の恨みとかじゃなくて、ここにいるみんなが困らないためにもとめなくちゃね」 別に自分に迷惑かからなきゃ、なにをしてもほっておくが、どーにも、いやな予感がぷんぷんと匂いたっているように感じる。 どんな改造くんか知らないが、絶対にろくなことにはならない。 この列車に乗るみんなが巻き込まれたりしたら……自分の穏やかな日常が遠く、銀河の彼方に笑顔をふって去っていくのがわかる。 やはり、このチャンスに、やつをやるしかない。 ああ、人を殺すほどに追い詰められた人間の気持ちって、こういうものなんだ。ちょっと僕、考えを改めそうだよ。 などと一人、弓を持ってさとりの境地に達する。 「やっぱり殺……いや、しない、しないよ。ふふふ」 笑顔が怖い。 ひらひらとはためく白衣、その肩には鉄のキノコが乗せてすたすたと歩いていくその人物の背をシゲルは気配を殺し、しかし、力いっぱい殺意を滾らせて追っていく。 そのとき、伊達眼鏡もつけておく。 顔を見られて警戒されないための変装だ。決して、今から行う犯行をばれないためとか、そういう目的ではない。たぶん。 その無防備な背に一撃必殺を与えたいが、さすがに人の目がある場所は避けたい。 狙うは完全犯罪――いや、そうじゃない。ハタ迷惑な発明からみんなを守る、ヒーローはこっそりと戦うものと相場が決まっている。 ようやく人がいない食堂にくると、シゲルの目がきらんと輝く。 い、ま、だ! ひっそりと、誰にも知られずに殺……いや、騒動を起こさせないで片付ける――のには、このチャンスしかない。 シゲルは素早く弓を構える。きりりりっと矢をひく。 狙うは再起不能のためにも、頭を! ――むろん、それは、改造くんであって、リンヤンではない。たぶん。 「はぁああ!」 気合いをいれて放つ矢。 しかし、それはひらりんと避けた――渾身の一撃だったのに! む、むかつく。 それも、両手をあげて盆踊りを踊るように避けられたらますます馬鹿にされている気がする。 「プシュケ、ちょっと、手伝って!」 もう一撃で殺――いや、片付ける。 再び矢を構えて、放つ。 「たぁあああ!」 今度こそ、頭に当たれ! ――もちろん、狙いは改造くんであって、リンヤンではない。たぶん。 しかし、それも、今度もひらんりんと両手を高く天にあげて、やっぱり奇妙な踊りによって避けられる。 お、の、れ! 一度ならず、二度までも! こいつは海を漂うくらげか! 「もう、容赦しない……!」 はじめから手加減も、容赦もしていないが、ここまでこけにされて黙っているほどにシゲルは寛容ではない。 「次で決める!」 自分のなかにある殺意、憎悪、リンヤンを殺したい気持ちよ、一つになって、我が一撃に力を与えよ! ――もう改造くんではなくて、リンヤンの頭を狙って、シゲルは血走った目で弓をひく。 「漢女の恨みを思い知れ!」 ひゅっ! ――矢が放たれる。 真っ直ぐに飛ぶ矢は、リンヤンに――しかし、その前に肩にのっていた改造くんがぴょんと飛ぶと、なんと巨大化して、リンヤンを庇った。 「なっ」 だが、シゲルの憎悪を宿した矢は強かった。 改造くんの中央に風穴を開け、破壊することが出来た。 やった、始末できた! リンヤンでなかったのは悔しいが、改造くんを破壊するという目的が達成できたのに思わずガッツポーズをとる。 「やった! って、えええ!」 改造くんの穴から、にょきにょきと小さな改造くんが一体、二体、三体……と溢れていく。 そんなばかな! 小さなキノコが列車のなかをみたして…… 「うーん、うーん、キノコが、キノコが……」 ぽんぽん、ぽんぽん。 「ん?」 肩を叩かれて、シゲルははっと目を開けた。 と、車掌が顔を覗き込んでいてぎょっとした。 「え、あ、ここは……あ、そうか、帰りの列車のなか、か」 ここに、インヤンガイに属するリンヤンがいるはずがない。 では、いまのは夢……? 「なんていう夢を」 それほどに今回の依頼は自分の心にトラウマを植え付けたのか。しかし、なんという悪夢を……これもすべてリンヤンのせいだ。 ますます憎らしい。――これは完全な逆恨みであるが、それすら正当な怒りに思えてならない。なんせ相手があのリンヤンなので。 いつか、必ず、この手で…… 誓いも新たにすると、はぁと疲れ切ったため息が口から洩れた。 傍らにいるプシュケを見つめる。 「なんだか、夢のせいでますます疲れた……紅茶でも、飲んで気分を変えようか、プシュケ」 そっとプシュケを抱えて、シゲルは気分を落ち着けるためにも紅茶を求めて食堂へと向かった。
このライターへメールを送る