0世界のどこかにある、小さな食堂。しかも看板も小さい。しかし、そこからはなんとも言えない美味しそうな匂いが漂ってくる。そう、そこがカレーとスープの店『とろとろ』である。 ここでは壱番世界でいうカレーやスープが楽しめる。オーソドックスな物からちょっと珍しい物まで、店主のエルフらしい男が作ってくれる、という。 但し、この男は壱番世界を若干誤解している可能性が高い。また、どんな物かさえ教えてくれれば貴方の世界の料理(あるいはそれに近い物)も作ってくれるだろう。「よぅ、いらっしゃい」 ドアを開けると、この店主――名をグラウゼ・シオンという――が笑顔で出迎えてくれる。彼はよっぽどの事が無い限り怒る事は無いので安心してこの店を訪ねてみると良い。貴方の要望に答え、とても美味しい物を作ってくれる。 迷っているならば思い切って『君だけのカレー』を選んでみてはいかがだろうか?この場合、貴方の気分や体調に合わせてスパイスを調合し、具をチョイスしてカレーを作ってくれる。辛さの希望もちゃんと聞いてくれるので安心されたし。 さぁ、貴方もほっこりほかほか、とろとろなご飯タイムを。
この間テレビで見た、真っ青な流氷カレーに、インドカレー屋さんのホワイトカレーにグリーンカレー。ニンジンが入っていなくても美味しいカレーはたっくさんある! 自分で作るときも入れないで作るし、それも美味しいもん。うん、カレーにニンジンなんていらないんだよっ! 0世界のとある街角。フォックスフォームのセクタンをつれた日和坂 綾が、そんな事を考えつつのんびりと散歩を楽しんでいる。と、その形のよい鼻を香辛料独特の芳しい香りが掠めた。 「? なんでカレーの匂いがするの? 」 思わずきょとん、とする。傍らの相棒、エンエンが不思議そうに綾を見つめるも、彼女はうーん、と少し考えながら歩き続ける。……そして、ふと、足を止めた。 「……えっ? 」 振り返る。そしてまた振り返る。傍らに見えたのは小さな看板。それにはこう書かれていた。 ――カレーとスープの店・とろとろ (0世界でカレー屋さん? ) 珍しい、と思って二度見してしまったが、看板には確かにカレーの文字。そして恐る恐る窓を覗くと壱番世界出身の彼女にとって驚くべき光景が見えた。 (耳長さんが、カレーを作ってる! ) そう。そこのマスターは耳長……エルフだったのだ。その辺りが綾の好奇心に火をつけたらしい。彼女はぐっ、と拳を握った。 (むむっ、何か恐ろしい物を食べる為に使ってる別物かもしれない。けど、ここで試さなきゃ女が廃る! ) ふと、ごま油と間違えて黒酢をかけたお肉がカレーに入れたら美味しかった事とか店内の男が使っている物がカレー粉に見せかけた別物だったり? とか考えながら綾はエンエンと顔を見合わせるとドアに手を掛け、勢いよく開けた! 「頼も~う! 」 バン、と音を立てて開かれ、店主である男は思わず振り返る。いきなりだった為か、僅かに驚いたような顔をしていたが、すぐに柔らかな笑みで綾を出迎えた。 「いらっしゃい、お嬢さん。お好きな席へどうぞ」 店内には綾以外だれも客がいなかったから、よく見ることが出来た。ぱっと見た感じでは、壱番世界にもよくあるカフェレストランを思わせる。相棒と共にカウンター席へと座ると、早速メニューを広げる。 (……ん~、意外にフツーに壱番世界食? ) 綾にとっては聞き覚えのあるメニューが並んでいる。中には「これってスープ? 」というような物も書かれていたがとりあえず気にしない事にした。 (ニンジンがなさそうな物にしようっと) ニンジンがトラウマと言う程嫌いな彼女は暫らくメニューとにらめっこしていたが店主が水を持ってきた頃には辛口のタイカレーとまろやかな風味のチキンティッカマサラを注文した。 「そういえば、嫌いな食べ物とかあるかい?アレルギーとか、宗教上の理由で食べないとか。そういうのがあれば言ってくれ」 そう言われ、綾は拍子抜けした。入っていたとしても除けてばっくれる自信はあったし、何より克服方法はわかっていた。 (再帰属して忘れてもらえば……いける、はず) 内心そんな事を考えていただけに、妙な緊張があった。が、店主の穏やかな笑顔と一言になんかほっとした。傍らではエンエンが心配そうに綾を見つめている。 「そ、それじゃ……ニンジンなしで……」 「あいよ。ニンジンがダメってお客さん、案外多いねぇ」 店主はそう言いながら、早速調理を始める。綾は小さく溜め息を付くと注がれた水を1口飲んだ。 暫らくして、綾の前にはちょっと赤く、辛そうなタイカレーと風味豊かでとろとろのチキンティッカマサラ、ふかふかのライス、瑞々しいサラダが並んだ。 「これはおまけだよ」 と、店主はエンエンにも辛みを抑えた同じメニューを用意してくれた。 「うわぁ、美味しそう! エンエン、ご飯にしようか」 頷きあって早速1口食べてみる。と、早速辛みが口いっぱいに広がった。けれどまだ限界ではない。具やライスと絡み合って旨みが増してくる。チキンティッカマサラを食べるとこれまた鶏肉とミルクの味がしっかりとしており、まろやかながらしっかりとカレーの風味もあって美味しかった。勿論ニンジンは入っていない。夢中になって食べていたが、ふと、こんな事を聞きたくなった。 「ねぇ、店主さん」 「グラウゼでいい」 グラウゼと名乗った店主に綾はもう1度声を掛ける。 「ねぇ、ナンでカレー屋さんになろうと思ったの? 他にも色々あるけれど……」 「ん? 壱番世界のカレーが美味かったからさ」 グラウゼはそう言いながらウインクする。なんでもコンダクターの友人に振舞われて以来店を出すほど気に入ったらしい。それに頷き、へぇぇ、とエンエンと共に目を輝かせる。 「いや壱番世界にはサバイバルにはカレー粉必須とかいう言葉があって。そういうゲテモノを美食に変える魔力にとりつかれちゃったのかと」 「ほぅ。壱番世界にはそんな言葉があったのか? 」 その言葉に目を輝かせる店主。思わず「えっ? 」と固まる綾。グラウゼはどこからともなく手帳を取り出し、メモし始めた。 「そうか。やはり壱番世界のカレーとは凄いな。という事はコンダクターたちも鞄にカレー粉を持っているのかな? キミもそうなのかい? 」 純粋な眼差しで問いかけるグラウゼ。その澄んだ瞳にえたいの知れない罪悪感を覚え、小さな声で「ごめんなさい」と謝る綾なのであった。 食べ終わる頃を見計らって、グラウゼは2人にラッシーを持ってきた。カレーで身体が温まっていたが、口直しとクールダウンにはもってこいの爽やかな甘さに口元が綻ぶ。 「もし良かったら、デザートも」 そう言って出されたのはアイスクリーム。食べてみると甘いシナモンの風味と濃厚なミルクティーの味が口いっぱいに広がった。どうやらチャイをアイスクリームにした物らしい。 「うーん、おなかいっぱい! 美味しかったぁ」 「満足してもらえて、光栄だよ。ああ、そうそう。もし良かったらメニューについてアドバイスとかくれるとうれしいな」 グラウゼ曰く、壱番世界出身者であるコンダクターが客として来る度にアドバイスを聞いているらしい。綾は少し考え、こう言った。 「煮干しのごま油炒めカシューナッツ入りカレー粉かけは美味しいよ? 」 「それは香ばしそうだな……」 彼女の提案にグラウゼは真面目な顔で頷く。綾はぽん、と手を叩き 「サイドメニューにもガンガンカレー物増やすってどう? けっこうイケると思うなぁ」 「そうだな。色々作って試してみよう! 」 グラウゼもなかなか乗り気らしい。にこっ、と笑うと 「今後も色々試してみるよ。もし良かったら試食を頼むかもしれない。その時は協力してくれるかい? 」 と言うのであった。そんな店主の笑顔に綾も思わず顔を綻ばせるものの、試食と聞くと少しドキドキするのも確かだった。 こうして、昼下がりのひと時は過ぎていく。 (終)
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