あ、コレ、夢だ。 だって、歩いてるのに、匂いがないんだもん。 ゴミが落ちたりしてお世辞にもきれいとはいえない道路には顔に痣つけた人が倒れてたり、それを介抱する人やスーツ姿の人が吐いてたり、セクシーなお姉さんがふらふら……わりとさ、夜によく外出してたから、こういうの見慣れてるんだよね。で、大抵、こういう場所ってすごく饐えた臭いがするんだけど、そういうのゼンゼン感じられない。きょろきょろと周りを見ると、屋台もいっぱい出てる。白い湯気がたってるから、なんかおいしそうな匂いだってしてもいいはずなのに、やっぱり何も感じない。 って、わぁ! 目の前から酔っ払いサンが、ぶつかるのはやばいよね。避けよって、あ、横にも人がいた……あれ? すかって、音がしたらそんな感じに私のカラダ、人の体を通りすぎちゃった。 これって、私、幽霊ってコト? もしかしなくても私、死んじゃった? ……けどさ、それだと、ちょっとおかしくない? だって、私、死んだ記憶がないんだよね。いまのところは。 さすがに死んだらいくらおバカな私でも、痛いとか、苦しいとかそういう記憶ってあると思うんだよね。 今のところ、そういうの、ない、ってことは生きてる、でいいのかな? 死んだとしたら、天国は……ごめんなさい、いままでの人生をふりかえったら絶対にないって思うから、地獄に落ちるのは仕方ないにしてもさ。 人魂になって彷徨うとしてもだよ。なんでブルーインブルーの光景じゃなくて……インヤンガイの汚い路地なの? ……うん、これ、夢。夢で決定! 夢に見るほどココに来たかったのかな? ブルーインブルーに帰属したら二度と来れないから? けどさ、ずっとソレを望んで、一生懸命に努力しつづけてきたのにさ、ちょっと矛盾してる気がする。 あ~。考えるのやめやめ。ここはひとつ、夢だから好き放題してやろっと、えーと、私のことは見えてないんですよね? ……あっかんべーって、あ、反応ない。ならいいよね? このまま走って、とりあえず街中を歩いていればさ、目的の人、見つかるかもだし。 ……結論、無理でした。 なんで、なんでなの! 私の夢のくせに生意気だぞ! 知らない道に行こうと思ったら、思いっきり壁にぶつかったみたいに進めない。 蹴っても殴ってもムリ、ゼンゼン進めない。あーあ、これじゃあ、前にコートやお金貸してくれた理沙子さんにお礼、いえないじゃないよ! ああ、もう! 夢ならいっそ、いきなり理紗子さんのお部屋にあらわれたとか、そういうものすごく都合よくしなさいよね! 誰よ、こんな不便な夢をみてるのって、自分の夢じゃん。はぁああ~。 あ、けど、今、私のこと見えないなら、もし行けたとして、どうやってお礼すればいいんだろう……こ、こういうときは夢の御都合性で、なんか不思議なパワーとかあって、鉛筆を動かして、紙にお礼をしたため、あ、妊婦さんを驚かせたらだめじゃん! 行けないほうがいいかも。うん。仕方ない、諦めよう。だめだよね。私が行ったら。 それに、ココに来ちゃったしな。 よく通った鳳凰連合の屋敷を見上げてため息をひとつ。 シャドウの一件があってからさ、気になってたけど、来るなっていわれてたし。 けど、いまなら、大丈夫だよね。だって、私は透明人間だもん。 よーし、いつもみたいにやるかって地面を蹴って、塀をがしっと掴んだあと、あっと気がついた。 いま、私、見てないんだよね? 大手をふって門の前に進む。 いつもいる見張りさんの前を通り過ぎる。私のことには気がつかないみたい。よし、いける。胸をドキドキさせながら通過成功! よかったぁ! 止められなかった! やっぱり、私のこと見えてないんだよね。 ……いまはソレ、好都合なんだけどね。 誰にも見えなくて、私も誰にも関われないの。 そーいや、ここに来るのって何回目だったけ? いっかいめー、にかいめって……数えたら、両手どころから足の指も使わないといけないかもだよ。 あれ? 人、少ないかな。 もっと人がいたような気がするんだけどな。もしかしてさ、私の知らない人は、あんまり出てこないとかカナ? そういえば、道路を歩いてるときも、あんまり人がいなかったかも。前になんかで聞いたけど、夢ってその人の記憶とか考えとか、いろいろな要素で作られてるんだっけ? だから私の知らないものとか、作れないのかな? ……うーん。 この屋敷で実験してみよう! 前にボスが「暇じゃし、仕事から逃げるための鬼ごっこに付き合っておくれ、綾」って言われて(たまたま訪ねていきなり言われたから、仕事してるのに、暇じゃないんじゃ……って、つっこみ忘れちゃったけど)二時間くらい屋敷のなかを隠れまわったんだよね。まぁ、そのあとリョンさんに見つかってものすごーく怒られたけど。 よし、どれくらい記憶が正確に再現されるのか確認してやろっと。 そろそろと廊下を歩いて、いろんな部屋を見て回る。やっぱり人が少ないや。 ちょっと寂しいかな。 この屋敷の人がいっぱいなところとか、わりと好きだったんだよね。 あ。 次の部屋のドアを開けて、黒いチャイナ服を見つけた。 私の見たことのない厳しい顔をして、部下らしい人に指示を出してる。すごく忙しそう。 手を伸ばそうとして無駄だってわかってるから、ぎゅっと握りしめて、部屋の隅っこ――今の、私は透明人間だから誰にも見られないし、触れられないけど、なんとなく邪魔かなって思っちゃうし。 立ったままだと見つかりそうで、そんなことないってわかってるけど、屈みこんで、膝に肘をついてじぃと眺めた。 ため息ついて、悩んだ顔して、椅子に座って、眼鏡をかけて、書類を睨んで(書類をみるときだけ眼鏡かけるって言ってたっけ)疲れたみたいに首を軽くまわして。なんか電話受け取って、難しい顔したのに、笑ってる? なんで? パタン! 勢いよくドアが開いて 「リュウいる!」 そこにいたのは――私? な、なんで! 私はここにいるのに、なんでもう一人の私がいるの! 「また門のところで騒いだな? 先ほど、報告が入ったぞ?」 ……コレ、前にあった。 そっか。過去の夢だ。 シャドウの一件の前。まだ、ふつーに訪ねて行って、それで、手合わせしてもらって……だーああああ、私、帰れ! リュウはすごく大変なんよ。私と手合わせしている暇なんてないんだよ! 休ませないとだめなのっ! って、ぁあああ! 透明人間がいくら叫んでも、届かないんだ。……このあとのコト、ちゃんと覚えてる。平気な顔して居座ったんだ、私。ああああ、殴りたい。自分のこと蹴りたい! 本当に、なにしてるのよ、私! あんたなんて、あんたなんてね……っ! 許さないから。絶対に、絶対に許さないからっ! また、わからなくて、押しつけて、迷惑かけた。 紅茶を出してもらって、パウンドケーキを食べて、おしゃべりして。私が一方的にずかずかとリュウの時間を奪っていった。無神経に立ちいった。 まただ……どうしよう 私、全然変わってない。 迷惑かけたいわけでも、困らせたいわけでも、怒らせたいわけでもないのに。 ばかばかばかばか! 私の大馬鹿者! 消えてなくなりたい。 だから、……いま、私、透明人間なんじゃない。 誰にも迷惑かけなくて、見られることもない……一人ぼっちなんだ。一人ぼっちでいいんだ。 何も出来なくてさ(すごく無力なのに傲慢で) 誰からも忘れられたい(自分が自分で許せない) ――なのに、どうして、ここに来たんだろう…… 「――お前は、まるで俺に借金でもしている顔をするんだな。生きることをすべてその返済にあてるつもりか?」 「私は、」――私は、あのとき、なんて言い返した? 「いま、生きてるっていうのは、生きて欲しいって願って、押しつけた奴がいるってことだ。それを綺麗事が好きな奴は愛情だと言うが……俺は、お前に憧れていたんだ。自由に生きろと言ってくれた……俺はそれを振り払った。喪うことも戦うことも怖くて逃げるしかなかったから」 私はさ、愛されてるのかな? だって、あの人は……弟だけで……友達だって、ときどき困った顔されて。けど、けど……覚醒してから、いっぱい知り合って、笑って、楽しくて……こんな私のこと、好きだって、いってくれる人もいたんだ。私も、すごく、すごく好きで、嬉しくて、さ。けど、 「だから」 なに? 「俺は、お前とこうしているのがわりと好きだ」 ひどい、わがままいって、勝手してたのに? 私、すごく傲慢だった。無力だった! なのに? 私と関わっていやな思いしたでしょ? 私、ずかずかとはいって……だから、 寂しいと思うのはおこがましいよね。 人と関わりたいって思うのも。 ……透明人間でいいんだ。 ホラ、ちゃんと私、こうやって平気だって振舞うことぐらい…… 「――いいんだ、綾。お前がお前であって、笑っているなら、それで十分だ。お前が生きているのは俺の願いだ」 リュウ、けど、けどね…… 「積み上げれば崩れる。それは仕方がない。だからまた積み上げていくんだ。何度失敗してもいい。生きていれば大抵のことはやり直しがきく。……俺は一度すべてを失った。そんな俺を生かしてくれて、ここにいることも、自由に生きることも、お前が教えてくれた。だから、お前はお前のままでいいんだ。俺は何度でも言ってやる。お前はお前のままでいいんだ。笑ってくれれば文句はない。……あとはお前が決めることだ」 ……許してもらうのって、ホント、すごく、すごく――。 立ち上がるリュウを追いかける。記憶の私はその場から逃げるように反対側に駆けていったから。 私が、今ここにいる私がありったけの声でリュウの背を見つめて叫ぶ。 私は今、透明人間だから、リュウには届かないし、触れることもできない、けどね、ただ、ただ言いたいの。 ――ゴメンね! 私、アリガトウもサヨナラも言い忘れちゃったの、今更だけど思い出したんだ ――聞いて! 私ね、これからリュウに殺してもらえない所で人を殺すの。 今の私のなかにはいっぱいの憎しみとか後悔とかそんなものしかなくて、そんなものばかり見えなくて、もう映らなくて……灰色なんだ。はじめは薄い灰色だった。けど、気が付いたらすごく濁ってて。リュウが言うみたいに、それは私が選んだんだ。 たくさんの人に返さなくちゃいけない借りがあるんだって思うから。それが不毛でも、でも、けど……いきなり、変われないから、けど、もし、もしも……うまく言葉に出来ないけど、けどね……ここにはたださ、リュウへの挨拶に、私は来たかっただけなんだ。関わるのだめだって思う、透明人間でいいって思いながらさ ――ゴメンね、アリガトね、元気でね、死なないでね! 届かなくても、聞こえなくても、言いたかったんだ、私が! もう夢が終わる――目覚めようとしているのがわかる。 世界がぐずぐす音をたてて崩れていっていく。 壊れる欠片をただ、ただじっと見つめる。 私は、みんなと少しだけ違う生き物で、すごくすごく離れてるから、わからないから ――リュウ、あのね、ありがとう。ありがとネ……ありがとう! ありがとうぉ! いっぱいの光。 リュウが振り返って、笑った。 ……それを最後に全部壊れた。 ★ ★ ★ 目覚めたのは潮騒の響く揺りかごであり、戦場の世界。 綾はぐっちょりと濡れた瞼を乱暴に拭った。 夢は夢。目覚めた瞬間には消えてしまう儚いものでしかない。それでも心の底にある形ないものを抱くように、握りしめて拳を握りしめる。 ……今日こそ、私は仇を、とるんだ。 と。
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