「……で、……なの……?」「……は……ませ……」 ターミナルの一室の前を通りかかると、女性同士の話し声が漏れ聞こえてきた。取り込み中なのだろうか、そんな思いが頭をよぎったが、依頼の話を聞きたければここにおいでと呼ばれた部屋がこの扉の向こうなのだから、開けずに帰る訳にはいかないとドアノブに手をかけるロストナンバー。 一応軽くノックをすれば、「はーい」と明るい声が返ってきたので安心して。「来たぞー」 声をかけて扉を開けると、果たしてそこには麗しい少女が二人。いや、少女と美女というべきか? とりあえず、女性の年齢には触れてはいけないのだった気がすると、心のなかで思って。 机に向かっている14歳くらいの少女は、世界司書の紫上 緋穂(しのかみ ひすい)。緩いウェーブの長い銀髪が、陽の光に反射してきらきらと輝いている。そしてもう一人は――。「ユリアナさん、一緒にブルーインブルーに行ってくれる人が来たよ」「よ、よろしくお願い致します……」 ひどく丁寧な仕草で頭を下げたその女性。ストレートの銀髪が眩しい彼女は年の頃なら20歳くらいだろうか。緋穂と並ぶと年の離れた姉妹のようにも見える。瞳の色が若干違うが――緋穂は翠で、ユリアナは蒼。 装飾の細かい上質なドレス――といっても舞踏会用のそれではなく、普段着のような――を纏った彼女の側にはちまっとセクタンがくっついているから、彼女はコンダクターなのだろう。「ユリアナ・エイジェルステットと申します」 鈴を転がすような可愛い声で告げて柔らかく微笑んだ彼女。所作の端々から気品が感じられることから、上流階級の出なのかもしれない。「ところで、今回は何が?」 なんとなくユリアナの微笑みに照れつつロストナンバー達は照れくささを隠すように緋穂へと向き直る。彼女は導きの書を机の上に広げて、隣にコトッと客船の模型を置いた。「ブルーインブルーのある成金商人がね、息子の二十歳の誕生日パーティを客船で開くんだって。船上パーティってやつね。それの用心棒を念のために雇いたいってことなの」 緋穂は指で模型の船を傾かせながら続ける。「予見した危機としては、下っ端の海賊が5人くらい、船に乗り移ってこそ泥を働こうとしているくらいかな。当夜はとても晴れた夜でね、空気も澄んでいて、星がこれでもかってくらい瞬いているの。海も凪いでいて、小舟で近づいてくる下っ端達は注意していればすぐに分かるよ。このお馬鹿さんな下っ端達はね、酔っ払って気分が大きくなった所に客船が見えて、『じゃあちょっくら乗り込んで、金目の物を奪ってくるか!』って勝手に小舟を下ろして客船に近づいてくるみたい」「あー……」 下っ端の下っ端だろうから、戦力としては微々たる物だろう。だが戦う場所次第では、苦労することもあるかもしれない。「船や乗客に被害が出ないようにしてくれれば、どこで戦っても構わないよ。見つけ次第敵の小舟に仕掛けてもいいし、敵が客船の甲板に乗ってくるまで待ってもいいし」 まあそこは任せるんだけど問題は、と緋穂は口ごもってコトン、模型を横倒しにした。「招待客は親のつてで集めた取引相手のお金持ちたちなんだけど、誕生日なのに息子の友達を一人も呼べてないんだって。その息子って、性格がちょっと……で結構嫌われているらしいんだ。だから、用心棒と友達役を兼ねて欲しいって」 何事もなければダンスを楽しんだり料理を楽しんだり、満天の星空を楽しんだりしていいっていうんだけど、と緋穂は苦笑する。彼女は『何事も無くない』とわかってしまっているのだから、普通に笑えはしない。金で友達を買おうというのもなんだかいけ好かない。「でもまあ、下っ端達さえ何とかしてしまえば、あとは自由に過ごしていいみたい。ダンスパーティは開かれるし、料理もおいしいと思うし。星空もとてもステキだよ!」 息子の方も、わざわざ偽物の友達に話しかけるような面倒な真似はすまい。せいぜい遠くから「ああ、彼らは僕の友達ですよ」とか他の客に話すくらいだろう。ちなみに『友達』に年齢制限はない。様々な年齢の者達が集まるほど「まあ、お顔が広くていらっしゃるのね」となるだろうからだ。「ちなみに全員正装でって依頼だから。ドレスやタキシードとかアクセなどの小物はレンタルするから安心してね!」 正装では戦いにくいかもしれないが、場の雰囲気を壊さない為だと思って我慢して欲しいと告げ、緋穂は人数分のチケットを差し出した。 きちんと、倒れた船は元に戻して。
●『ホンモノ』と『ニセモノ』 星の瞬きは濃紺の天鵞絨にキラキラと星屑を散らし、風の囁きは凪いだ水面を撫でるかのように心地よい雑音を作り出している。 ぷかりぷかりと浮かぶ客船の窓からは、まばゆい光と共に乗客たちの笑い声が漏れ出していた。その中のどれが『ホンモノ』でどれが『ニセモノ』かとは問うてはいけない。 談笑する人々のきらびやかな衣装、贅を尽くした料理や高級なお酒達……それらが並ぶホールを見回しつつ、なんとなく心から楽しむ気になれないのがロストナンバー達。まあ当然のことだろう。彼らの立場は船の護衛兼息子の友達役。護衛だけが任務だったらこんなに渋い顔をすることもなかったのだが。二十歳にもなる息子の友達を金で買い、それに別段良心の呵責を感じてすらいないだろう様子を見ていると、なんだかこう……すっきりしないものがある。 「まあ……これも依頼だ」 「友達役ねぇ……。ま、お仕事ですからねー。気合い入れていきまっせ!」 甲冑姿に黒の太刀を佩くという、船上パーティには少々浮いた衣装の雪。だが騎士の正装はこれなのだ、そこは文句は言わせない。黒い忍び装束で同じく浮いているハギノは、 「ん? 僕はこのままでいいんすよ。なぜなら」 どろんっ 喧騒に紛れてホールの隅でそんな効果音が上がったかと思うと、その場にハギノの姿はなく、赤いドレスの美女が立っていた。 「……ほらね?」 「すごいですの。どこからどう見ても女の人ですの」 ところどころに銀糸を織り込んだシフォン素材のドレスで着飾ったゼロがひょこんと跳ねると、ひらひらとしたスカートと、共布のリボンが可愛く揺れる。 「その格好だと、さすがに場にしっくりきとるのぅ」 自らの格好を見下ろしながら、ジュリエッタは呟く。洋装の客人が多い中で、自分のこの格好は浮いていないだろうか。 「ふむ、だがやはりこの姿だと気が引き締まるのう。どうじゃ殿方達?」 ジュリエッタが着用しているのは、着物に袴。抜けるような青に上品な花柄の散らされた着物に、控えめの黄色の袴はよく映える。 「とても似合っているぜ。しかし20歳の誕生パーティってなぁ」 禅はジュリエッタの向こう、遠くにいる息子に視線を投げて。苦笑して、ホワイトタイを直す。 「……ふん。さっさと行きましょ」 小さく鼻を鳴らして楽園はホール出口へと向かう。コルセットで締め上げ、裾をふくらませた本格的な黒のドレスを纏った彼女はこの場に一番ふさわしい格好ではあるが、素直にここで楽しむわけには行かないのも事実。 一同は目立たぬようにバラけて、ホールを後にした。 ●招待状はお持ちですか? 「みなさん一人でも十分お強いですから、余裕で海賊さん達を撃退できそうなのです」 「まぁ……それは頼もしいですね」 戦闘力のないゼロは、青いドレスのユリアナと共に甲板のベンチの影に座り込んでいた。ここから一緒に皆を応援しようという心つもり。 「ゼロは何のためにいるのかって? ……船が沈むとかの非常時に、巨大化して乗客全員を安全に陸まで運ぶためとかだと思うのです。たぶん」 「それは大切な役目ですね。出番がないに越したことはありませんけれど、備えあれば憂いなしですから」 ゼロの言葉にほんわかとユリアナが微笑む。泳げない彼女にしてみれば、もしもの時の備えはどんなにありがたい事か。 「あ、雪さんです」 ゼロの言葉で甲板に目を向ければ、雪が太刀を使い、厳かに舞っている。剣舞だ。 「……偉大な海の精霊よ、力を」 先ほどの剣舞は彼の特殊能力カミオロシを行う手順の一つ。今回は簡単なカミオロシであるからして、そんなにたくさん舞う必要はなかった。力が発現されると、船の周囲に渦潮が発生したのがわかる。あくまで敵の小舟への牽制であるからして、客船の航行の邪魔をするものではない。 「マルゲリータ、頼むぞい」 「毒姫」 ジュリエッタと楽園が、揃って自身のセクタンを飛ばす。暗闇でも問題なく視界が利くので、偵察には最適だ。ハギノの分身も、甲板を偵察している。 一方禅は、甲板で一人、星空を眺めている女性の保護に当たっていた。いや、決して実益を兼ねているわけではなく、あくまで保護。そう、保護だ。 (陸を駆ける人狼には海上で満天の星などなかなか見れるものじゃない……が、今は) 「綺麗だな。……星もそうだが、君も」 「え?」 突然声をかけられて、驚いたように禅を見る女性。普段だったらただのナンパであるが、こういう場所だ、口説かれてなんぼという感じもする。女性もそう思っているのか、まんざらでもなさそうだ。 「そ、そんな……お決まりの口説き文句ですわね」 「おや、ご機嫌斜めかな? この夜空の星を全て集めても、君の瞳の輝きには敵わないというのに」 さっと顔を伏せた女性の瞳を覗きこんで。 「その輝きを曇らせてしまっては勿体無い。どうだい? この出会いに乾杯でも」 どこから出したのか、女性の分のグラスを差し出して。いつ甲板で戦闘が始まってもカバーできるように客室の方へと誘う。 「きたぞ!」 「きたわ」 ジュリエッタと楽園の鋭い声が響いた。甲板におびき寄せるため、ジュリエッタは舳先から離れる。反対に楽園は舳先へと向かい、敵たちを待った。ハギノの分身が、彼女を守るように付き従う。 「舞踏会に殴り込み? 礼節を弁えない野暮は嫌いよ」 船に縄をかけて、登ってきた最初の海賊に――笑んだ。 「なんだぁ、この女は?」 「上玉だなぁ。俺たちゃついてるぜぃ」 下っ端というのはこうも同じ事しか言えないものか。それこそお決まりの文句を並べ立てながら、次々と甲板へと上がってくる。 「どもどもーはじめまして。いい夜ですねー? 招待状はお持ちで?」 「は? 招待状? んなもの持ってるわけねーだろ」 突然現れたハギノに、苛立ったように海賊たちは身体にくくりつけていた斧を取り出して構える。 「無いですか? 無いなら……通すわけにはいきませんぜ?」 スッ……ハギノの瞳が鋭くなる。そして次の瞬間には、黒装束に額当て、覆面という忍者の正装へと変わっていた。 「私と踊って頂けて? 腰抜けの海賊さん」 くるり、ドレスの裾をなびかせて挑発する楽園の手には、切れ味鋭い鋏が。それに気づいてか気づかないでか、海賊の一人が楽園に襲いかかる。 「毒姫!」 相手が女と油断してかかってきた海賊に、毒姫が翼を当てて視界を塞ぐ。ただでさえ視界が良いとは言えない甲板で、急に光を奪われた海賊は、その場で立ち尽くして斧を振り回す。だがそれはでたらめに振るわれるだけ。大した脅威にはならない。楽園は恐れずに海賊に近づき、その腕を鋏で斬りつける。 「うあぁぁぁぁぁ!」 驚くほどに切れ味の良いその鋏は、切り裂いた腕から多量の鮮血を撒き散らかして。酔っ払っているからということもあるのか、海賊は斧を放り出してごろごろとのたうち回る。 「見苦しいわね」 鋏のには毒性があるので楽園はそれ以上斬りつけることはしなかったが、あまりに煩いのでそっと近寄って懐から出した小瓶を開けた。そして中身を嗅がせる。すると、それまで騒いでいた海賊がピタリと静かにかった。 「死んでしまったのですかー?」 椅子の影から見ていたゼロの問いに、楽園は首を振って。 「あまりに煩いから眠らせただけよ。叫び声でホールの人達が出てきたら面倒でしょ?」 「さあて、お立ち会いじゃ!」 海賊を引きつけて、ジュリエッタがすっと脇差を引きぬく。はらり……海賊の腹のあたりの衣服が破れ、焼けた肌が露出した。 「この小娘ぇ!」 「さすがに客船に雷を当てるわけにはいかんからのう、今回トラベルギアの力は封印じゃ。その代わり、存分に我が力を見せてやろうぞ!」 怒り狂って突進してきた海賊の勢いを利用して、ちょっと力のかかる方向を変えてあげれば、自らの勢いを支えきれなくなってすてんっ……どすんと巨体が甲板に倒れる。 「甘いのぅ……」 少女一人にいいように転がされるのが気にくわないようだが、何度向かってきても同じ。酔っぱらいをあしらうなんて簡単だ。 「愚行には常に責任と報いが付きまとう。それが取り返しのつかないものになる前に、目を覚まさせてやるのが慈悲というものか」 ごふうっ!? 平和と秩序のために戦う騎士であった雪の一撃に手加減はない。容赦無くその腹へと一撃を打ち込み、昏倒させる。怪力により甲板の端まで飛ばされた仲間を見て、一気に酔いが覚めたのか残りの海賊は震え上がっている。ハギノの棒手裏剣で磔のようにされている海賊は、隣までぶっ飛んできた仲間を見て冷や汗たらり。 「何が起こっているの? まさか、海賊?」 「君の瞳に映すまでのことではないさ」 甲板が騒がしくなったことに気がついた女性は禅の肩越しに向こうを見ようとするが、彼はさらっと甘い言葉をささやいて肩を抱く。 「不可抗力だ……許してくれるだろう?」 耳元で囁かれた女性は、それが海賊の攻撃を避けた故だなんて気がついていない。ましてや空いている方の手と足で海賊を痛めつけているなんて。 「いやっ! 手が早いわねっ!」 バチンッ! いい音が禅の頬で響いた。彼に背を向けて走っていく女性は頬を染めていたようだったので、完全に失敗というわけではないのだが、それでも振られたことには違いなく。 「いいところで邪魔しやがって。もう少しで口説けたかもしれないだろーが」 ドスドスドスドスゲシッ! 腹いせに、足蹴に足蹴に足蹴に足蹴にして。最後にゲシッと船の外に蹴り出してやれば。 「わぁぁぁぁぁぁぁ!」 ドスンッ! 運の良い奴め。自分たちの乗ってきた小舟の上にちょうど落ちたようだ。 「誰にでも過ちはある。立ち上がる気概があるなら、見事更生してみせろ」 許すことの大切さも心得ている雪が、次から次へと伸びている海賊たちを小舟へと放り込んで。 「ふぅ。心が痛むね」 手伝ったハギノは言葉と裏腹に超笑顔である。 「ときに海賊のみなさん? その船、8人乗りらしーですね?」 船の上からハギノが笑顔で声をかけて。次の瞬間。 「……沈めー!!」 どこから現れたのかハギノの分身が、6人分船へと乗ったものだから、海賊たちは大騒ぎ。客船につながっているロープから、登って助かろうとするものもいて。すかさず楽園が 「バイバイ」 ちょきん 容赦無くロープをちょんぎって。 海賊たちが暴れる船は、闇に紛れて見えなくなりましたとさ。 ●一曲いかが? 無事に海賊たちを追い払い、これ以上の危機はないと知っているロストナンバー達は、再びホールへと戻った。ホールではちょうどダンスが本格化している時間であり、生演奏によるワルツが流れていた。 「御相手願えますか?」 禅に誘われると、ユリアナは一瞬目をを見開いて驚いて。その後花がほころぶように微笑んでその手を取った。 (目当ての彼女を誘えたはいいが……) 緊張と、危なげな自らの足取りが気になってしまうのとでなかなか甲板でしたような気障な言葉が出てこない。リードが完璧でなくてもユリアナは嫌な顔ひとつせず、常に笑顔で禅と時間を共有していた。 (なかなか、ボスのようにクールなリードは難しいぜ) 曲が終りを迎え、後ろ髪を惹かれつつも礼を交わして。 「ありがとうございます」 席に送って微笑まれれば、自らの中に甘酸っぱい思いが広がる。 若き日の己が憧れていた頭領と、相手をしていた麗しの女性の姿が蘇り、禅の胸を切なさが満たしていく。 「ふ……俺も随分女々しい」 ユリアナが彼女に似ているからかもしれなかった。どうにも強引に口説くことができない。禅はグラスを取り、中身を一気に飲み干した。 (夜空はゼロの出身世界に似ていないこともないのです) ホールの隅の椅子に膝立ちをして、窓から夜空を眺めているゼロ。思い出すのは、懐かしい世界。 (とはいえ雲や月や星があって比べ物にならないほど賑やかなのです) 空に浮かぶ星達。この世界でも星の配置を何かに例えて星座と呼ぶのだろうか。でも、ゼロにとっては天の光はすべて枕座。 (でも布団座でも別にかまわないのです) ホール内の喧騒も忘れて、じっと、じっと星空を眺める。 「おにーさん、踊らないんですか?」 壁に寄りかかって腕を組んでいる雪に近づいてきたのは壮年の海兵。訝しく思い片眉を上げれば「ハギノですよー」と聞いて口調に安心。 「私は上手に踊れないし、巧みな話術とは無縁だから」 「なるほどー。勿体無いですねー。さっきから、女性がチラチラ見ていますよー?」 「それは、私の格好が珍しいからだろう」 実際、格好もそうだがその美貌が目を引いているのだが、雪には自覚はないようだ。ハギノは会話も程々にして、「お友達」を演じるために次の格好へと変身して離れていった。 と、雪の視界に入ってきたのは不愉快な光景。さっきまで、疲れたのか椅子に座ってカクテルを飲んでいたユリアナが、若い男性二人に声をかけられている。 「俺達と踊ってくれない? え? 疲れちゃったの? じゃあ、俺たちの部屋で休もうよ」 「え、あの……こうして座っていれば、すぐに楽になりますから……」 「そんなこと言わないでさぁ、何なら、抱っこして連れていってあげるから」 「あの、ちょっ……キャッ」 触れられそうになるのを避けようとしてか、カクテルが彼女のドレスにかかってしまった。勿論、それを口実にしない男たちではなく。 「あーあー、濡れちゃったね。俺の部屋にかわりのドレスあるよ。着替えようよ」 「そーそー、このままじゃドレスしみになるしね」 「あの、でも……」 無理やり肩を抱かれて椅子から立たされるユリアナ。明らかに嫌がっているし、このまま連れ込まれたらどうなってしまうかは目に見えている。 「何をしている」 「あ? お前には用はねーよ」 「俺達はこのおじょーさんの用事に付き合うだけだからよぅ」 声をかけた雪に返される言葉はお決まりのもの。こういう輩の言うことは、どこの国でも同じか。 「あ……サツキガハラ様……」 縋るように雪を見るユリアナの瞳は潤んでいて、今にも泣き出しそうだ。 「私の連れに何か用か?」 とっさの判断ではあるが嘘も方便。堂々としていれば疑われまい。なおかつ雪の発するのは武人の『気』。社交界で遊んでばかりいるお坊ちゃんを威圧するのは簡単である。 「い、いや……おツレさんがいるとは知らずに……」 「す、すいませんでしたっ!」 鋭い言葉と眼光に威圧された男たちはユリアナから手を離して、蜘蛛の子を散らすようにその場から離れていった。 「全く。逃げ足だけは早いのだな」 「ありがとう……ございます」 助けてもらったユリアナは慌てて頭を下げて。 「それ、早く何とかしたほうがいいのではないか?」 「あ、そうですね……」 グラスの水でハンカチを濡らして、ぽんぽんぽんと叩くようにしてカクテルの染み抜きを試みるユリアナ。放って置くと同じようにことがありそうなので、雪は椅子に座った彼女の側に控えるようにして立っていることにした。 「ダンスは得意よ。父に教わったの。……踊ってくださる?」 「俺でいいのか?」 「ええ。お相手お願い」 優雅にホールの中心に歩みでたのは楽園。声をかけられた禅は最初は戸惑ったが、快諾してその手を取り。 「足を踏んでも見逃してくれよ」 「あら、踏ませやしないわ」 楽園の巧みなリードでステップを踏み出す二人。ワルツよりもテンポは早かったが、少しくらい早いほうが乗りやすくて踊りやすいと感じる禅。楽園は禅に身体を預けるようにしながら、昨年行われた舞踏会を思い出していた。 「恋しい殿方がいたの」 「ん?」 「だけどその人とは離れ離れになってしまった。彼の事を思い出すと今でも胸が苦しい」 呟くように漏らされた楽園の心の奥に、禅は静かに耳を傾ける。幸い、音楽にかき消されて周りには聞こえない。 「……今だけ彼の代わりになってくださる?」 失礼な願いだとは承知の上。でも、弱っている心は縋る場所を求めてしまう。 「……ああ、いいぜ」 それを承知の上で、禅も返事をした。 互いに思い出すのは昔。 「暗い夜空も海も嫌い。あの島を思い出す……」 楽園の呟き。禅は聞こえなかったふりをした。 ●因果応報 誕生日にはつきもののケーキでのお祝いが終わった後、一人になった息子に楽園が近寄る。 「君可愛いね。僕のお祝いに来てくれたんだよね?」 当然自分のために来てくれたと思っている息子の言葉に、いらだちが募る。 「虚栄心の塊ね。その癖プライドばかり高くて昔の私を思い出す。……悔しかったら自力で友人の一人も作ってごらんなさい」 「なっ……!?」 突然浴びせられた言葉が予想と180度違ったからだろう、息子は口をパクパクさせて言葉を発することができない。 「優しい両親は望めば何でも買い与えてくれたけど、友達だけは手に入らなかった。手に入れたければ毒を呑ませて殺すしかなかった。貴方はどうするの?」 ただ、息子が憎くてこんなことを言っているのではない。彼の姿が昔の自分にだぶるから、だからこの苛立ちをどこかにぶつけたくて。少しだけ、息子にこんなことは無意味だと早く気がついて欲しいという思いもあって。 「他者を心から愛せない人間が真実愛されることはないぞ」 後から来た雪が、一言かける。何を言っているんだ、息子は文句を言ったが、雪とて今すぐに理解してもらえると思って言ったわけではない。いつか気づいてくれれば、と。 わぁぁぁぁぁ!! 突如、ホールの真ん中で歓声が上がった。先ほど甲板で行われた海賊との大立ちまわりの再現ということで、ジュリエッタとハギノが対決していた。 と、息子が視線を戻せばもうそこには楽園と雪の姿はなかった。 「ほっ、はっ!」 「よっ、やぁっ! まだまだぁ!」 ジュリエッタとハギノの立ち回りは、勿論見世物用にと脚色されていたが、むしろそれが受けていた。袴と忍び装束という珍しい格好の二人の立ち回りというのも、好評の要因の一つだ。 人々の視線が一箇所に集中すれば、悪いことを考える者も出てくる。ジュリエッタは護衛の任をセクタンに任せていたが、偶然、息子の背後から近寄って懐に手を入れる怪しい人影を発見してしまった。 「そこじゃっ!?」 「え? ジュリエッタさん!?」 ジュリエッタが突然念じて、そして生じた雷。だが落ちたのは相手役をしていたハギノにではなく。 びしゃーんっ! 小さな雷は、息子と息子の背後から近づいていた怪しい人影に命中。気絶させてしまった。 「んまぁぁぁぁっ! ぼくちゃん、ぼくちゃん大丈夫ですの!?」 慌てて駆け寄る夫人らしき人物。 「やっちゃいましたねー」 カラカラカラ、とハギノは笑って。 「おお、またやってしもうたのう……とはいえ、息子の方は日頃の行いが祟ったとも言えそうじゃが」 息子にいい思いを抱いていなかった女性客などは笑っているが、男性客はどちらかと言えば――怯えてる? 「なんだか乗客の殿方にも恐れられてしまったようじゃし、まだまだ伴侶ゲットの道は遠いのう」 この後ジュリエッタを見る男性客の態度がよそよそしくなったのは、言うまでもあるまい。 ●唯一のハッピーバースディ 宴も終わって、片付けの人たちが寝静まった後も、星は煌々と輝いていた。 ゼロはそっと、与えられた客室を抜けだして、ぺたぺたと船内を歩く。 (万物流転なのです。全ての出会いは一期一会なのです) いつ実行に移そうかと機会を伺っていたが、今以外に良いタイミングはなさそうだった。 (ここで会ったのも何かの縁で、依頼主の息子さんと会うことはおそらく二度と無いのです。生涯に一度のパーティーなのですから、ゼロも贈り物をするのです) そう、せっかくの誕生日なのだから、プレゼントをあげてもいいのではないか。 他の人には嫌な人かもしれないけれど、それでも祝われないのは悲しい。 一生に一度の、二十歳の誕生日なのだから。 「ん~なんだい~」 重要な用事があるのです、と息子を起こしたゼロ。息子は小さなゼロ相手であるからかまだ夢見心地だからか、さほど疑いもなくゼロと共に甲板に出て。 ゼロにしか贈れない贈り物をするのだ。それは―― 「え? ええっ!?」 眼の前にいた少女が突然巨大化したのだ。息子が腰を抜かすのも無理は無い。そして、差し出された手。 「大丈夫なのです。絶対に落とさないですから。ゼロを信じてくださいなのです」 「こ、これは夢……なのかな」 恐る恐るゼロの指に登って、息子は掌に立つ。ゼロは落とさないと注意しつつ掌を胸元まで持ち上げ、そして、更に巨大化した。 「わ、わぁぁぁぁぁぁ!?」 あまりのことに息子が腰を抜かす。ナイトキャップがふわりと風に飛んだ。 「星空の近くまで来ました。どうですか?」 「す、すごいよ……夢でも」 星空に届くまで、近くに。ここでなら手を伸ばせば、本当に星がとれてしまいそうだ。夜空の星を買って欲しいと泣いた、子供の頃の夢が叶うかもしれない。 「夢じゃないですけどね」 でも、夢だと思ってしまっても仕方ないだろう。それでも、他のだけにもできない体験の記憶になったなら、それでゼロは十分だ。 (ブルーインブルーの文明が再び空を手にするまでどれだけの時を要するかは判りませんが、彼には一生涯できない体験だと思うのです) 口を開けたまま見上げる彼と共に、ゼロも一緒に星を見上げた。 ここでなら、星の瞬く音が聞こえてきそうだった。 【了】
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