小暗い悪意うずまくインヤンガイ。しかしそんな世界にも、活気ある人々の暮らしは存在する。生きている以上、人は食事をする。実は、インヤンガイは豊かな食文化の花咲く世界であることを、旅人たちは知っていただろうか――？ インヤンガイのどの街区にも、貧富を問わず美食を求める人々が多くいる。そこには多種多様な食材と、料理人たちとが集まり、香ばしい油の匂いが街中を覆っているのだ。いつしか、インヤンガイを冒険旅行で訪れた旅人たちも、帰りの列車までの時間にインヤンガイで食事をしていくことが多くなっていた。 今日もまた、ひとりの旅人がインヤンガイの美味を求めて街区を歩いている。 厄介な事件を終えて、すっかり空腹だ。 通りの両側には屋台が立ち並び、蒸し物の湯気と、焼き物の煙がもうもうと立ち上っている。 インヤンガイの住人たちでごったがえしているのは安い食堂。建物の上階には、瀟洒な茶店。路地の奥にはいささかあやしげな珍味を扱う店。さらに上層、街区を見下ろす階層には贅を尽くした高級店が営業している。 さて、何を食べようか。● ご案内このソロシナリオでは「インヤンガイで食事をする場面」が描写されます。あなたは冒険旅行の合間などにすこしだけ時間を見つけて好味路で食事をすることにしました。このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・あなたが食べたいもの・食べてみた反応や感想を必ず書いて下さい。！注意！インヤンガイではさまざまな危険がありますが、このシナリオでは特に危険な事件などは起こらないものとします。
――どうしよう。 薄汚れた路地を眩く照らす色とりどりのネオン。 辺り一面に漂うこんがりと香ばしい匂いは、家鴨肉だろうか。 立ち並ぶ屋台を前に、ディーナ・ティモネンは悩んでいる。 せっかくインヤンガイまで来たのに、アレを試さず帰るのは勿体ない。 ひと仕事終えたばかりで昂ぶったままの神経と、気だるい身体を持て余しながら、それでもディーナはおとなしく＜駅＞に戻る気にはなれず、人波の流れに身を任せるように雑踏の中を歩き続けていた。 ぴたり、と、ディーナの足が止まる。 視線の先、物珍しそうに屋台街を眺める金髪の男の頭上には、真理数が無い。 「ン～～フッフッフ」 可憐な口元から、邪悪な笑いが漏れた。 逸る気持ちを抑えきれず、跳ねるように駆け寄り、派手な着物の袖を引っ張って、振り向いた男に向かってにっこりと笑いかける。 「私はディーナ・ティモネン。初めまして。キミ、ツーリストだよね、仕事の後の？ じゃ、一緒に行こっか？」 ぎゅっ、と強引に腕を組むと、男の驚いた様子も意に介さず、さっさと歩き出す。 「ちょっ、オイ、一緒にって、一体ェ何処に――」 よろめきながらも付いてくるところを見ると、振り払う気は無いらしい。 ディーナが振り向いて、えへへと笑うと、男は一瞬きょとんして、小さくため息をつき、仕方ねェなあとばかりに笑みを浮かべて、ディーナの華奢な手を握った。 ＊ 「熱～い、おいひぃぃ～」 蒸したての点心を口いっぱいに頬張って、ウットリと目を細める。 真珠のようにつやつやと輝く餃子に、きゅ、と噛みつくと、弾力のある皮が破れ、中からじんわりとスープが染み出して、ディーナは、美味しくて、幸せで、思わず涙ぐみそうになった。既に数えきれないほど杯を重ねていて、その所為で涙腺が緩んでいるのかもしれない。 『私ね、この前初めてお酒飲んだの。凄く、美味しかったの。でも私、お酒弱いらしくて……記憶ないけど、暴れたらしいの。だからお酒は、依頼のあと、同行者さんが居る時だけって決めたの。ご飯奢るから、さ…… 最後まで私に付き合って、ロストレイルに放り込んでくれないかな？』 おずおずと事情を話すと、金髪の男、鴉御前は快く承諾してくれた。 聞けばディーナの想像通り、鴉御前も『冒険旅行』帰りで、散々暴れ回った後らしく、腹をすかせて屋台を覗いていたのだった。 「これも、おいしいよ」 言いながら、鴉御前の口に点心を突っ込むと、むぐむぐと咀嚼して飲み込み、拳でどんどんと胸元を叩く。グラスの酒を呷り、ぷはっと息を吐くと、あのなァ嬢ちゃん、と真っ直ぐに見据えてきた。 「『嬢ちゃん』じゃなくて、ディーナ」 「ディーナ」 「なに？」 「うめェもん食べさせてやろうって気持ちは嬉しいが」 「おいしくなかった？」 「いや、絶品だった……、じゃなくて、オイラが言いてェのは」 「じゃあ、よかった！ うん、これ、やっぱりおいしいよね～？」 フフフ……と、ほのかに頬を上気させて嬉しげに笑うディーナを前に、情けなく眉を下げ、諦めたように口に団子を放り込む鴉御前。 「あっ」 「な、なんでェ？」 「そのイカ団子、私食べてない～」 「そんなら、もうひとつ注文して」 「それ頂戴よう～、出して、出してよ～」 「ちょっ、待っ、何す……！」 鴉御前の口元に手を伸ばし、そのままくったりと前のめりに倒れ込んでしまうディーナを、そろそろ限界かと＜駅＞へ連れて行こうとすれば、「まだ！ 帰らないからね！」と、ふらふら次の屋台を探し出す。 覚束なげな足取りに慌てて手を伸ばすと、ぎゅう、と、両手でぶら下がらんばかりにぐったりと体重を預けてくるディーナを、鴉御前は腰のあたりに腕をまわして立たせ、歩きやすいように支えてやった。 「あっち」 「あっち？」 ディーナの指差す先には、ふかふかに蒸し上がったばかりの饅頭。 「デザート食べなきゃ、気が済まない……」 「あいよ、デザート、な」 桃饅頭の屋台に狙いを定め、歩いている筈なのに、一向近付く気配が無いのを不思議に思っていると、鴉御前がため息と共に、ディーナの、力の抜け切ったふにゃふにゃの身体をひょいと担ぎあげ、運んでくれる。 「……あれ？」 「そんなゆっくりじゃァ、いつになったら辿りつくかわかんねェよ。……親父！ 饅頭二つくれ」 「へい！ 饅頭二つな。熱いから気をつけなよ」 「ホラ、熱ィってさ。割ってやるから手ェだしな」 「ありがと」 ふー、ふー、と息をかけて冷まし、かぷりと頬張ると、ゴマの風味のやわらかな甘みが舌の上に広がっていく。 「甘ぁい……おいしい」 「どうでェ、満足かい？」 「ん～、楽しいよぉ？ 私の世界、こんなに食べ物溢れてなかったし？ こんなことしてたら、捕まって殺されてたろうし？」 笑顔のまま事も無げに紡がれた言葉に、鴉御前が顔を上げる。 変なの。 どうしてこの人が傷付いたみたいな顔するんだろう。 やめて欲しい。 殺されるのは私なのに。 埒もなく空想する。 私が殺されたら、キミは傷付く？ 私が殺されたら、キミは悲しい？ 「私……早くどこかの世界に帰属したいなぁ」 ウットリと夢見るように呟く。 酔っていた。 美味しくて、幸せで、気持ちがよかった。 それなのに、どうしてこんなに寂しいの。 言いようもない感情が胸いっぱいに膨らみ、弾けそうになって、ディーナは木製の粗末な椅子から立ち上がった。 ああ、目眩がする。 喧騒の中、ひと際激しい罵声が聞こえる。 ガラスの割れる音。 囃したてる声。 女の悲鳴。 「喧嘩だ！！」 暴れたい。 暴れるだけ暴れて、すっきりしたい。 ディーナは迷わず騒ぎの中心へ向かって行った。 ＊ ぱちぱちと、瞬きを繰り返す。 次第にはっきりしてきた視界のなかに、心配そうに覗き込んでくる鴉御前の顔があった。 「無茶しやがる」 ほのかに甘く、咎める風でもない口調に、自分でも意外なほどに安堵する。 「らってキミ、優しそうに……人を見捨てなさそうに、見えたもん。キミらって……少しは楽しかった、れしょ？」 呂律の回らない舌で訴えながら、熱烈にハグし、頬にキス。 はいはい、楽しかったから……大人しく寝てくんな、と、幼い子供でも寝かしつけるように頭を撫でると、ディーナは鴉御前の胸に凭れ掛ったまま、数分もしないうちに、すやすやと、安心しきった寝息を立て始めた。起こさないよう、座席にそっと横たえ、指先で白い頬に触れる。 ふわふわと頼りないようでいて、頑固で意思が強く、大胆な娘。 無垢を装うほど世慣れているとも思えない、あどけない寝顔。 まったく、危なっかしいったらありゃしねェ。 楽しい夢でも見ているのか、くふふ、と幸せそうに笑い声を洩らすディーナを、鴉御前は複雑な表情を浮かべて見詰め、またひとつ、ため息を吐いた。 了
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