賑やかな大通りから道をひとつ、曲がったところに、緑あふれる公園がある。 『おはな公園』と呼ばれるその公園は、名前の通りくさんの花が咲き乱れる、ターミナル住人の憩いの場で、今日も木々の間に、穏やかな時間を求める人々の姿がちらほらと見え隠れしている。 「『おはな公園』は、初めてですか?」 入り口付近に立っていると、長身の青年が話しかけてきた。ほんわかとした笑顔を向けつつ、青年がひらりと一枚の紙を差し出す。 「僕はこの公園が大好きなんです。よかったらぜひ、寄って行ってください。のんびりできますから……」~手渡された紙の内容~『おはな公園MAP』さまざまな花が咲き誇る公園で、やすらぎのひとときを過ごしませんか?※園内のスポット紹介のうち3つのスポットに赤ペンで丸印が描いてある・『おはなの広場』「公園に入ってすぐの広場です。のんびりお昼寝をするもよし、キャッチボールをするもよし……。僕は、よくここのベンチで本を読んでいます。広場の周囲には花壇があって、そこで花植え体験をすることもできます。鉢植えにして持って帰ることも可能です。半日ほどで咲き始め、その日のうちに散ってしまう、壱番世界でいう薔薇の花に似たかたちの、小さくてはかない花ですが、とても綺麗ですよ」・『洋菓子店アリア』「味はもちろん、見た目にも可愛らしい洋菓子のそろったお店で、甘いモノ好きには是非とも訪れて欲しいところです。店の前のテラスで、ティータイムを楽しむこともできます。色とりどりのマカロンには、食べると気分が変わるっていう、不思議な効果があるんですよ。ひまわり色のマカロンは楽しい気持ち、すみれ色のマカロンは切ない気持ち。若草色のマカロンは……っと、続きはご自分で確かめてみて下さいね。店主のアリアさんは優しいお姉さんで、退屈したら話し相手になってくれますよ」・『祈りの泉』「どこかで聞いたことのあるような、よくあるアレです。その噴水に祈ると、いつか願いがかなうと言われています。面白いのは、『本当の願いと逆さまの願いごとをする』、ということなんです。たとえば僕だったら、『ここから送り出したみなさんが、敵にやっつけられて、二度と帰ってきませんように!』って具合です。泉の神様はあまのじゃくな神様なんですね、きっと。泉っていうか、そもそも、噴水ですしね。泉ですらありませんしね。そんなわけで効果のほどは不明ですが、気が向いたら試してみて下さい」~~~ 「それでは、また。園内でお会いできるのを楽しみにしていますね」 青年はぺこりと頭を下げ、手を振って立ち去った。
午後いっぱいは掛かると思っていた用事が昼過ぎには済んでしまった。 ぽっかりと空いた時間をどう過ごすのか決めあぐねて、然したる目的も無く、それでも気付くとその場所へ向かって歩き出していたのは、何かが千星の無意識に働きかけたせいかもしれない。 きっと、天気が良いから。 千星はそう結論付けたけれど、ターミナルの空はいつもと同じように、抜けるような青色を湛えているばかりだった。 ~薔薇のゲート~ 「ありがとうございます……では行って来ます」 見覚えのある青年司書がマップを渡してくれ、千星は、まるで最初からここへ来るつもりだったかのように、ツルバラの絡まる門をくぐった。 近くを通るたび眺めては通り過ぎてきた、英国庭園風の古めかしく優美なゲート。いつもと違うのは、辺りいちめんに漂う花の香り。園内に足を踏み入れて、初めて気付いたその甘くてみずみずしい香りを、千星は胸いっぱいに吸い込んだ。 (お花だけじゃなくて色々あるんだ……) 受け取ったマップを隅から隅まで眺めて、ワクワクしながら計画を立てる。 「初めてだし……、チェックが付いてる三箇所に行ってみよう。先ずは、美味しい物を食べて、お願いごとして、広場でのんびり……の順かな」 淡いペイルトーンを基調としたマップに、如何にも無造作に付けられた赤ペンの印を指でなぞって呟くと、千星は最初の目的地へ向かって歩き出した。 ~洋菓子店アリア~ 「お邪魔します……」 千星はおずおずと店の中の様子を窺った。カントリー風の家具、ショーケースに並んだ色とりどりの洋菓子に、思わず、ふわあ、と子供のようなため息がもれ、それに気付いた店員らしき女性と目があってしまう。 「あら、いらっしゃいませ!」 どうぞー、と、窓際の席を勧める女性の笑顔につられて、ぺこりと頭を下げると、促されるままに席に着いた。ひとりで店へ入ることには躊躇いを覚えたけれど、マップを見たときから、注文は決まっている。 「ひまわり色のマカロンをください。それと、紅茶を。あの、お茶は詳しくないので……」 「かしこまりました。では、お菓子に合うものをお持ちしますね」 ふんわりと笑うこの女性が、女主人のアリアなのだろう。千星は、お願いします、と頷き、程なくして生クリームで飾られたマカロンと、深く澄んだ色の紅茶が運ばれてきた。 「キャンディというの。控えめな香りで甘いものにも合うし、飲みやすいと思うわ。こちらが、ひまわり色のマカロンでございます。どうぞ、楽しい時間を」 ひまわりの名の通りキラキラと明るい黄色のマカロンは、ふわりと甘く、後味にさわやかな酸味があって、さくりと噛みしめると、心が浮き立つような、晴れやかな気持ちになるような、不思議なお菓子だった。 「いかが?」 ゆっくりと味わってから、こくりと紅茶をひと口飲んだところで、アリアが尋ねてくる。 「楽しい、です」と答えてから、なんだか変な答えだと思い、千星は、ふふ、と笑った。「実は、さっきからずっと楽しい気持ちになってるんです」 初めての場所と、素敵なお菓子。 いつでもチャンスはあったのに、今日起こった偶然。 「よかったわ」アリアも笑う。「ええ、とても楽しそう」 言われて、思わず自分の頬に手を遣る。 「またいつでも遊びにいらして」 千星を見つめて幸せそうなアリアの表情から、自分が今どんな顔をしているのか分かるような気がして、それだけで千星は、もっとずっと、跳びはねたいくらい、楽しい気持ちになった。 ~祈りの泉~ 「え、と……ここだよね……?」 木々に囲まれた、古びた噴水。『祈りの泉』の解説を読み返してから、千星はあたりを見回した。確かにここで間違いない。し、周りには誰もいない。言われてみれば確かに、どことなく厳かな、ミステリアスな空気が漂っているような気がしないでもない。 (何お願いしようかな?) うんうん、顎に手を当てて考える。 「お友達が沢山出来ないでいつも一人ぼっちになりますように……」 まずは、と呟いた願いがあまりにも寂しくて、なんとなく滅入ってしまう千星。ふるふると首を振って気を取り直し、次の願いを思い描く。 「身長が低くなりますように」 せめて、あとちょっとだけ。日頃から頭を離れない切実な思いに、祈りにも思わず力が入る。それから…… 「頭が悪くなりますように!」 もうひとつ、張り切って告げた願いが、静かな森に思いのほか大きく響いて、千星は思わず口元を押さえた。 (願い事を逆さまに言うのって、人には聞かれたくない内容になっちゃう……) なんというか、今更だけど。他に人がいなくてよかった。 千星は、しかし、とりあえず何かをやり遂げたような気持ちになって、胸の前で手を合わせ、もう一度、よろしくお願いします、と泉の神さまに念を押してから、神秘の噴水を後にした。 ~おはなの広場~ 「あ」 広場をぐるりと見渡して、千星は小さく声を上げた。花壇の脇に添えつけられたベンチで読書をしている青年――入り口でマップを手渡してくれた、のんびり屋の世界司書アマノの姿に気付き、ぽてぽてと、子供のような足取りで近付いていく。態度によっては年相応にも見えるのだろうが、千星の立ち居振る舞いにはどうにも幼いところがあり、小さくて華奢な容姿も相まって、実際よりもずっと年少にみられることが多かった。 「あの……こんにちは」 邪魔ではないかと少しだけ気にしつつ話しかけてみる。本から顔を上げた司書に、さっき入り口でお手紙頂いて……と言いかけた所で、アマノは、「来て下さったんですね、千星さん」と嬉しげに言った。 よかったらどうぞ、と隣へ座るよう促され、ちょこんと腰かける。 長身のアマノは千星よりも年下だったが、落ち着いた物腰のせいか大人びて見え、けれど二人は、どことなく浮世離れした雰囲気が共通していて、傍から見ると、仲の良い兄妹のようでもある。 「巡節祭ぶりですよね。お元気でしたか?」にこにこと笑うアマノ。 そういえば、そうだった。 あの時は花を探して、今日はお花がいっぱいの公園で過ごして……、妙に、お花に縁があるなあ、と、ふわふわ考える。 「はい。今日も、すごく楽しかった……です」 これ、とマップを見せ、丸印付きのスポットを回ったことを伝えると、おお、と嬉しげに声を上げて、どうでしたか、などと聞いてくるアマノに、「わたしもこのおはな公園、大好きになりました」と素直に告げて、首を傾げる。 「なんか、へんな感じ」 「どうかしました?」 「逆さまに言わなきゃいけない気がして」 「泉の後遺症ですねえ」 「もう二度と来たくない」 「ええ、また是非」 「……迷惑です」 「どういたしまして」 マップ、ありがとうって伝えたかっただけなのに。 とんちんかんなやり取りの切り上げ時が分からずに、千星は、だけど、楽しいからいいや、と問題を投げやる。 今日はいい日だった。楽しくて、のんびりして。 天気が良かったおかげ。 千星はそう結論付けたのであったが、結局のところそれは、『気まぐれ』という、千星の、時に図らずも幸運を呼び寄せる性質によるのかもしれなかった。 了
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